父子対談 /'98.6
そのとき、サッカーがあった…
《ぼくも泣きました》
受験でしばらく休んでたけど、大学でのサッカーはどうだい?
キックのときなんか、ボールがまだ足につかない感じがする。
なんたって、まる2年もブランクがあるからなあ。
スタミナも問題だね。ハーフ(40分)が限界。
スタミナはもともとたいしてなかっただろうが。
確かに。新聞配達がいいトレーニングになるはずだったけど、全然役立ってなかった。
独り暮らしは食生活に問題が出やすいから、たぶん基礎体力が落ちてるんだろう。
でも、最近やっと感覚が少し戻ってきたんだ。この前の公式戦で初得点もしたし。
そうだってな。高校のときよりも早い初ゴールだ。ポジションはどこだ?
右のMF。3バックだから、守りも攻めもやらされて、疲れる疲れる。
レギュラーで出られそうだったら、そのうち応援に行くよ。
まさか「親馬鹿サッカー奮戦記」の続編を書くとか?
たぶんそれはないと思う。ところで、お前も読んだんだよな?
うん、学校で読んだよ。
どうだった?
正直言って、泣きました。誰もいない情報処理室のパソコンの前で…。
そうか…、それはよかった。見ず知らずの人が涙を流してくれるのだから、当事者である本人が泣くのは無理もないかな。
何て言うか、読んでてどっとくるところが何カ所かある。
流れの中で自然にそうなったんだよな。
《パスがきて困った?》
僕の記憶とは微妙に食い違ってる部分もあったけど。
え?そりゃいったいどこだ。
たとえば例の「トルネードボレー」だけど、あんなにすごいもんじゃなかったと思うんだ。
う〜ん、ちょっと描写過剰だったのかな。でも、見てるこっちがびっくりしたのは事実だ。俺だけじゃなく、母さんや姉ちゃんも同じ意見だったよ。(註:最初のトルネードボレーは、家族全員が目撃)
見ての印象は別にそれでいいんだけど、打つ瞬間に確か軸足が地面についていたはずなんだ。
そうだったかな?
そうじゃないとボールコントロールが微妙にぶれるし、両足を上げて打ったとすると、普通のバイシクルシュートになっちゃうよ。
なるほどそうか。それでは改訂版ではそこを直すとしよう。ほかにも、書いていて「あいつ、このときはどうだったのかな?」と気になった箇所がいくつかあったんだ。
たとえば?
まず最初のほうの幼稚園対抗サッカー。あれはいわばお前にとって、記念すべき公式戦デビューだよな。どんな感じだった?
グランド行ったら知らない大人の人がやたら多くてさ、「いったいこりゃ何の騒ぎだ?」って思ったね。
はっきり言えば、ビビったわけだな?
まあ、そうだね。それまで幼稚園でやってた紅白戦とはまるで雰囲気が違ってた。テレビカメラなんかもきてたし。
練習とは微妙に動きが違ってたよな。
「親馬鹿…」には書いてないけど、実はあのとき最初は先生から「タクヤはキーパーをやれ」って言われてたんだよ。
知ってる。初回はあまり気を入れて書いてなかったんで、そこらあたりの細かい部分は省略したんだ。
で、そのキーパーがやりたくなくてさ、試合前に嫌々練習してたら…。
味方のキックを受け損ねて、突き指したんだよな。
そうそう、「親馬鹿…」の少年団編でもちょくちょく登場してる、右トップのヨウタだよ、あいつのキックでやられたんだ。
それでフォワードのポジションが転がり込んできた。
正直言って、「ラッキー!」と思ったね。
その割には決定的な場面で外してたじゃないか。
あのときさ、自分にパスが来た瞬間、(こりゃ困ったぞ…)って思ったんだ。
パスがきてなんで困るんだよ。
う〜ん、たぶん(外すとまずいな…)って一瞬考えたんだと思う。
ああ、そりゃ打つ前にすでに自分でマイナスのイメージを作ってたんだ。それじゃ入らないはずだよ。
《壁を感じたとき》
少年団編の4〜5年あたりはあんまり詳しい試合経過が書いてないけど?
なぜかあの頃の試合の記憶があいまいなんだ。あまり試合経過ばかりだと、読んでいる人が飽きてしまうんじゃないかとも思ったしね。
6年のときの記録はやたら詳しい。
そりゃそうだ。お前が絶好調の時期だったから、記憶も鮮明なわけだよ。筆にも自然に力が入る。
全部記憶だけで書いたの?
基本的にはそうなんだけど、お前がつけてた「サッカーノート」が随分役にたった。ほら、お前が東京に旅立つ前に「おい、あのノート置いてけ」って頼んだだろ?
そうだったっけ。
スコアを見てると不思議に試合経過を思い出すんだ。ただし、ベストイレブンになったときの試合経過だけは、あの大会が終わった直後にまとめて父母会と学校関係者に配った「ベスト8への道」っていうパンフレットを参考にした。実はそのパンフレットがやたら好評だったんで、この「親馬鹿…」を書く気になったのさ。
中学校編は?
クラブチームの部分は資料をとってあった。部活のところは資料もないし、お前もいないしで、仕方なく記憶だけで書いた。
中学校最後の試合での交代のタイミングがちょっと違う気がするけど、大筋では合ってると思う。
クラブチームをやめたくだりなんだけど、あの回をアップしたときには随分と反響があった。連載のちょうど半ばあたりで、ストーリーが大きく転換するところだったからな。
あそこの部分は周囲の状況やぼくの心情を余すところなく書いていると思う。
改めて聞くけど、後悔はしてないか?
クラブチームでは、いろいろな意味で無理だと思った。
高いレベルの中に放り込まれて初めて自分を知ることがあるってことかな。それまでにも壁のようなものを感じたことはあったか?
5年生のとき、札幌選抜のセレクションで最後の最後で落とされたでしょ?あのときが最初。
ああ、あれか。俺はてっきりお前が合格するものと思い込んでたからな。
実際に受けてみて、「同じ年でこんなに上手いやつがいるんだ」って感心させられたよ。
Jリーグ入りした例のS高校のK君もそのときに受けてたんだよな。
らしいね。あいつは早々と合格したらしいけど…。
それで、落ちたときのショックはどうだった?
仕方ないな、とあきらめた。それしかなかったよ。でも、気持ちは変にさばさばしてた。
悪いイメージは引きずらなかったのか。
コンプレックスは残ったけど、紋別での全道大会でベストイレブンに選ばれて、とりあえずそれは消えたんだ。
《夢の曲がり角》
ずっとプロになるのが夢だったわけだけど、どこらへんで限界を感じたのかな。
そうだね、中学校あたりでちょっと無理かな…、って思い始めた。
そりゃまた俺が思っていたよりも早い。
だって、部活で伸び悩んだからね。
あのころは俺も相当悩まされたぞ。勝てそうで勝てないし、お前の反発はくるし…。
あのときはぼくも難しい年頃だったから…。それでも1年のころのチームは強かったんだよ。
F氏のチームとの練習試合で「剃刀スルーパス」に開眼したあたりだな?
それが2年秋に新チームになったとたん駄目になった。個人的にも、少年団では自分よりも下だと思ってた連中に、どんどん抜かされていく感じだった。
いったい何が悪かったのかな?
はっきり分からないけど、やっぱり指導の問題じゃないかな…。とにかく基本練習とランニングがやたら多くて、ミニゲームや紅白戦なんかは皆無だった。
実戦練習の不足ってやつか。
だから自分でやっていくしかなかった。
少年団のときのように十分に助けてやれなかった部分は俺も悔やんでいる。
やっぱり中学校でのサッカーがポイントだと思うよ。伸びる伸びないの大きな曲がり角のような気がする。この時期にまず、いい指導者に巡り会うことが大切だと思う。
少年団で勝負は決まらないってわけか?
まだまだ挽回出来るよ。あのM校の先輩のMさんだって、少年団ではぱっとしなかったけど、中学校でぐんと伸びたんだから。それが高校で開花した。実はね、MさんとS校のKは同じ中学校の部活にいたんだ。
そうだったのか。中学校で伸び悩んで、高校で挽回ってのは難しいんだな、きっと。
中1くらいまではぼくよりずっと上手かったやつで、いまは泣かず飛ばずってのを何人も知ってるよ。
少年団であまりいい思いをすると、伸び悩む場合が多いみたいだな。
それと、父さんも「親馬鹿…」に書いてたけど、ぼくが小学校1年のころに連れてってもらったサッカー教室で泣いたことがあったでしょ?
知らない子とやるミニゲームは嫌だ、って泣きわめいたやつだな。
いま思い返せば、あれがすべてだった気がするんだ。もしぼくがあそこでビビらずに平気でゲームをやれる子だったとしたら、案外いまごろJの舞台に立っていたかもしれない。
それは俺もときどき考えることがある。技術や身体能力にたいして差がなく、指導上の大きな問題もないとすれば、最後の勝負はメンタルな部分で決まるんだよ、きっと。
《それでもサッカー》
高校編はお前が家に戻ってきてから取材して書いたから、事実関係は完璧だよな。
というより、僕になりきって書いている部分もある。
高校ではいったい何を支えにやってたんだ?
あきらめきれない部分での夢が半分、あとは純粋なサッカーの楽しさだね。
それが徐々に「夢」の部分が小さくなっていったわけか。そうやって少しずつ「夢」と折り合いをつけてったんだな…。
高校の監督とうまくやれなかったことや、先輩のMさんの期待に十分に応えられなかったことも含めて、結局はぼくの力不足。いまは他人を責める気はない。
それでもまだサッカーを続けてるのはなぜだ?
だって、2〜3日クラブが休みだと、無性にボールが蹴りたくなる。結局、自分はサッカーが好きなんだ、ってことが身にしみて分かるのはそんなときさ。
ああ、俺にもよく分かるよ。子供相手の紅白戦でも、自分のイメージ通りのプレーが出来ると、やたらうれしい。
そうそう、それ。テレビでプロが何気なくやっていたプレーを、さっそく自分で試してみたりしてね。やっぱりサッカーは楽しいよ。
それがある限り、プロじゃなくてもサッカーは続けてゆける。このごろ母さんとときどき話すんだ。「いつか俺たちの孫の誰かが、サッカーをやってくれたらいいな」って。
父さん、今度は「爺馬鹿サッカー奮戦記」だ!
はっは、本当にそうなるといいな。それまでせいぜい元気で長生きするとしようか。