親馬鹿サッカー奮戦記・第7話
 涙のベストイレブン /'97.10



紋別に負けに行く気か!



 宿願の全道大会行きが決まってからというもの、選手にはなんとなくだれた空気が漂い始めた。かってない輝かしい成果を収めたことで学校内はもちろん、地元スポーツ紙までが取材に訪れてちやほやするせいで、すっかり気持ちが舞い上がり、増長してしまったのである。
 子供だから無理もないといえばそれまでだが、練習にもそれまでのような緊張感がなくなり、その慢心はすぐに結果となって現われた。

 全道大会予選と本大会の合間を縫うように7月中旬に実施された札幌市民大会で、我がチームは区の予選リーグこそ2戦全勝で勝ち抜いたものの、同じく区の決勝トーナメントでは結成3年目の新進チームに0:2での完敗を喫し、実力では当然と思われていた全市大会をあっけなく逃してしまったのだ。
 試合後、私は木陰に選手を集め、地面に座らせて緊急ミーティングを実施した。たった今終わったばかりの最悪の試合内容と、ここ数週間のだらけた練習態度とが腹にすえかねていた。

「お前等な、ちょっと強くなったからって、いい気になるなよ。なんだ今日の試合内容は。普段の練習がだらけているからこうなるんだ」

 話しているうち、私は次第に自分の感情が抑え切れなくなっていた。

「全道大会まであと一週間しかないんだぞ。バスに乗ってノコノコ紋別まで負けに行くつもりなのか?よく考えてみろ!」

 長いコーチ生活のなかで、私が本当に激したのはこのときが最初で、おそらく最後である。私は本当に怒っていた。勝つとか負けるとかそういうことではなく、サッカーに対してひたむきな姿勢を失いつつある選手と、それをどうにも出来ない自分とに腹が立っていた。
 普段とは違う私の声色に、水を打ったように選手全員声もない。そんな中で息子だけが一人眼をあげ、何か私に言いたげだった。横にいた監督のK先生が見かねて仲裁に入ってくる。
 あなたが本気で怒ると本当に怖い、と言う妻の言葉を私はそのとき不意に思い出した。このままこの場にい続けるとどうなるのか、自分でも予測がつかない。あとのまとめを監督にまかせ、やりきれない気持ちのまま、私はひとり会場をあとにした。
 あんなに怖い父さんを見たのは、あのときが初めてだ。あとになって息子がそう私に打ち明けた。

(父さん、そんなに邪険に怒るなよ…)

 もしかすると息子はそのとき木陰で、そう私に訴えていたのかもしれない。

 私の「恐怖のミーティング」のあと、子供たちは自主的に公園に集まって練習しだした。運悪く学校のグランドが工事に入って使えなくなったせいもあるのだが、どうやら私のカミナリがきっかけになり、何とかしようと子供たちが相談しあって決めたらしい。すでに学校は夏休みに入っていた。
 最初は静観していた私も、子供たちの連日の熱心な練習ぶりに心を揺り動かされ、ついには練習につきあう羽目に。
(このとき本来の監督のK先生は奥さんの出産切迫のため、またしても不在)
 ボールを追う子供たちの眼に戻った明るい輝きに、私は全道大会に対する手応えを徐々に感じ始めていた。



幸先よく緒戦勝利



 1990年7月28日、ついに全道大会のときが来た。まだ薄暗い早朝4時半に札幌を立ってから5時間余。午前10時に夢の全道大会の開催地、紋別にバスは到着した。開会式の感動に浸る間もなく、さっそく近くの空き地で練習開始。なにせ、午後2時から予選リーグ一回戦が実施されるという強行日程なのだ。

 道北らしくないギラギラした太陽が照りつけるなか、試合開始。相手は道南の雄、函館東サッカー少年団。長いバス旅行の疲れが選手に残っていないか、緒戦の緊張はないか、気掛かりはいくつも湧いてくる。
 しかし、キックオフと共にそんな心配を吹き飛ばすように選手はいい動き。10分に息子が中央から右サイドへドリブルで切れ込み、中央に走りこんでいたトップのヨウイチに絶好のセンタリング。ヨウイチ、これを難無く決めて先制点。北斗杯で札幌SSS相手に試みた捨て身の「サイドへのドリブル突破攻撃」の成果が、思わぬ場面で出て私を喜ばせた。
 このあと、15分にもゴール前の混戦から息子が押し込んで相手を突き放す。バックスの動きもよく、このまま楽勝か?と思わせるが、勝負はそう甘くなく、前半終了直前に相手右トップのセンタリングがそのままゴールインという不運な失点。やはり油断は禁物だ。
 後半も激しい攻防で互いに譲らず、試合はそのまま終了。記念すべき全道初勝利をあげたのだった。



決勝トーナメント進出



 明けて29日、前日とはうって変って雨模様の肌寒い天気。9時からの予選リーグ第2戦の相手はサッカー王国室蘭からやってきた優勝候補の一角、室蘭日新サッカー少年団。前日の試合ですでに偵察ずみだったが、攻撃的なサッカースタイルは我がチームとどこか似ていて、点の取り合いになりそうな予感がした。

 開始早々、我がチームが相手を圧倒。常に相手陣内で攻める有利な展開になる。5分、ゴール前の混戦からのこぼれ球をMFオザワが思いきりよく決めて先制。10分にも息子のポストプレーから再びオザワが決めて2点目。
 油断しないよう、ハーフタイムで気合いを入れ直した後半、相手も必死で攻めてきて、予想通りの激しい点の取り合いになった。
 しかし、こちらも25分に息子からのパスを右トップのヨウタが決めて3点目、30分に再び息子が決めて4点目と、点を取られたらすぐ取り返すといういいリズムで相手にリードを許さない。
 39分にコーナーキックから3点目を許し、一瞬冷やりとさせられるが、なんとか守り切って貴重な2勝目。

 11時の試合で函館東少年団が敗れ、勝ち点の関係で2位以内が確定し、最終戦を待たずこの時点でついに決勝トーナメント進出決定!旅館で待機していた選手と父兄に喜びが走る。
 最終戦の相手は春の全道選抜大会で優勝している強豪、旭川緑新サッカー少年団がおり、決勝に進むにはどうしても1〜2戦を勝っておきたかったのが、まさに計算通りの展開。
 今回の予選のクジは非常に悪く、強豪ひしめきあうリーグで初参加の我がチームが勝ち残るのは難しいだろう、というのが大方の下馬評だった。そんな風評をくつがえしての会心勝利に、私は心ひそかに溜飲を下げたのだった。



まさかのベスト8



 翌30日、決勝トーナメント一回戦の相手は予選リーグを1位で勝ち抜けてきた函館港サッカー少年団。私が最も警戒したのは予選と同じ函館のチームということで、チームの情報が指導者間で流れているに違いない、ということだった。つまり、敵はまず第一にエースの息子をつぶしにくるであろう、ということ。
 そこで私は試合前の息子にこうささやいた。

「マークがきついかもしれないから、無理して切り込まないでうまく周りを使え」

 試合が始まってみると案の定、息子には分厚いマーク。しかし、忠告通り、息子はバックスを充分引きつけておいて、出来たフリーのスペースやフリーの味方にパスを送るというクレバープレーで対抗。味方もそれに応えて、5分、10分にMFオザワが次々に豪快ミドルシュートを決め、流れを呼び込む。
 後半になっても流れは変らず、30分にさらに1点を追加。バックスも決定的なチャンスを身体を張ったプレーでつぶし、完勝。まさかのベスト8進出だった。



泣くな、息子よ



 2試合おいての準々決勝。ここまでくればぜひとも勝って3位以上のメダルを手にしたいのは選手も指導者も同じ。開会式には8チームいた札幌勢も次々と姿を消し、この時点で勝ち残っているのは我がチームを含めてわずか2チームだった。
 相手は帯広地区代表の池田サッカー少年団。ずば抜けた技術を持つエースのスーパーマン的な働きで勝ち上がってきたチームで、この10番をどう押さえるかが勝敗のカギを握りそうだった。

 午前中のいい動きを見せつけられ、私の心に中には、

(ひょっとしてこの試合も勝てるのではないか…)

 という甘い期待が育ち始めている。実際、選手の動きは素晴しく、5分にMFオザワ〜FWヨウイチ〜FWヨウタとつないだボールをヨウタが確実に決めて難無く先制。さらに10分にFWヨウタが右に持ち込んで折り返した球を息子が目のさめるようなダイビングヘッドで合わせて2点目と意気上がる。
 しかし、敵もしぶとく、15分に問題の10番に長いフリーキックを直接決められ、2:1。やがてハーフタイムの笛が鳴る。
 内容からいって我がチームの優位は動かない。過去3年間、前半をリードしていて負けた試合は一度もないのだ。このまま逃げ切れる、と私は踏んでいた。選手も半分勝ったような気で賞状やらメダルやらの話で盛り上がっている。私も別段それを注意するでもなかった。だが、結果的にこの気の緩みが、私に勝負の恐ろしさを思い知らせることになろうとは…。

 後半になって両チームの選手の動きががらりと変る。負けているはずの相手は機敏な動きでグランドを駆け回り、対照的に我がチームは勝ちを意識したせいか、緩慢な動きでボールを支配される。
 25分に10番にドリブル突破で2点目を許して同点。30分にゴール前のフリーキックをサインプレーで決められて逆転され、さらに35分にはゴール前の混戦から致命的な4点目を許して万事休す。
 残り時間は刻々と迫り、選手はすっかり浮き足立ち、ベンチは(なんとかしてくれ…)とただ祈るばかりで打つ手なし。焦りと緊張とで次第に身体がガタガタと震えだして止まらない。
(ベンチでガタガタ震えたのは、このとき以外に記憶がない)
 ロスタイムに入ってからFWヨウタが持ち込んだボールを息子が意地で決めて3:4。息子が泣いているのがベンチからもはっきり分かる。泣きながら相手キーパーからボールをもぎ取っている。息子はまだあきらめていない。(もしや…)という私の期待も空しく、直後に無常の長い笛。
 終わった、終わりました。ついに負けました。選手は全員泣きじゃくり、最後の挨拶も言葉にならない。応援の子供たちも貰い泣き。だが、私の眼になぜか涙は湧いてこなかった。おそらくそれはハーフタイムで流れを大きく相手に変えられた心の「悔い」が胸の内に残っていたせいに違いない。まだまだ私はコーチとしては未熟者だった。



ベストイレブンの勲章



 グランドを去るときになっても息子の涙は止まらない。私はコーチとしての自分の立場も忘れ、思わず駆け寄って息子の肩を背後から抱きしめた。すると息子は涙声でうわ言のように何か言っている。

「僕のミスだ、僕の…」
「何だって?」 私は息子が何をいっているのか分からなかった。
「あそこで右へのパスはない、自分で行くべきだった」

 どうやら終了直前の好機に、右FWのヨウタに出したパスがオフサイドとなり、チャンスを逃したことを言っているらしい。

「もういいんだよ、もう…。お前はよくやったよ」

 そう言って私は息子の頭をなでた。眼をあげると、競技場のスタンドの向こうに、藍いオホーツクの海がまっすぐに広がっていた。道北の短い夏が通りすぎようとしていた。戦いが終わった緑の芝生の上で、私と息子とはコーチと選手から、ただのサッカー好きの父と息子に戻っていた。


 翌日、準決勝、決勝が終わったあとの表彰式で、息子は4ゴール3アシストの数字とベスト8に貢献した働きとが認められ、晴れてベストイレブンに選ばれた。私は自分のコーチとしての采配にはいまひとつの不満を残しながらも、息子の栄誉に対しては心から拍手を贈った。この栄誉が息子の新たな出発点になることを期待しながら…。
 子供たちとそして大人たちの長い長い「紋別の熱い夏」は、こうして終わりを告げた。



(感動の巨編は第8話『選抜チームの壁厚し』へと続く)