
第5日/初山別〜滝 川
1966.8.5(金)晴れのち雨、気温17〜20℃
4:00 起 床〜4:50 出 発
5時には出ていく約束で、早めに起きて時間より10分早く出発する。宿直の先生はまだ寝ている時間で、挨拶なしで出た。
いい天気だ。相変わらず坂道が延々と続く。朝食抜きなので力が入らず、全く進まない。見知らぬ農家のおじさんが「たいしたもんだなぁ」と声をかけてくれる。
羽幌まで20kmの道を3時間近くもかかった。まずは朝メシにしよう…。
7:30〜8:00 羽 幌
通り沿いにあった「タロウちゃん」という食堂が開いたばかりで、さっそく入る。人のよさそうなお爺さんが店にいた。
「定食できますか」
「いまちょうどできたところだよ」
真っ白なご飯が釜にどっさり。
「昨日の残りの赤飯もあるよ」
旅のことをいろいろと聞かれ、全て話すと、感激して大盛りにしてくれた。どんぶり飯、ネギ味噌汁、カレイ煮付け、タコ酢の物、白菜&キュウリ一夜漬、番茶、赤飯。どれもたまらなく美味しい。
「ゆっくりして行きなさいよ」の言葉に甘えて新聞を読むと、夜には雨が降るという予報。困ったな…。(ラジオは持ってなく、天気は自分の勘だけが頼りだった)
代金はサービスで100円にしてくれた。ありがとう、本当に…。
9:15 苫 前
腹ごしらえをして、ぐんとペースがアップ。メシを食べたあとが一番調子が出る。昨日飲んで元気が回復したガラナをまた飲む。
羽幌を出た直後にフロントバックの固定ベルトがぷっつり切れた。悪路による振動に耐えきれなかったらしい。応急処置でなんとか修理。
ここまでひどい坂道の連続だったが、土地の人に聞くと、この辺りからようやく海岸沿いの平坦な道になるという。よかった、よかった。
牛乳を買おうと店の前でブレーキをかけたら、思い切り転倒!右膝をすりむく。危ない。運動神経が鈍ってきている。店のおじさんが心配していた。チェーンが外れただけで、自転車は無事だった。

苫前 ローソク岩
13:00 小 平
元気の素ガラナを飲んで、なぜか調子が悪くなった。33kmを3時間45分もかかった。もしかして飲み過ぎ?
道沿いの店で牛乳を買い、持参のクラッカーを食べさせてもらう。店のおばさんが地図を出して、深川へ向かう北竜経由の近道を教えてくれた。
14:10〜14:30 留 萌
留萌は大きい街だ。ここで食堂に入り、遅い昼食を食べる。カレーライス100円也。大盛りにしてくれた。時間の節約もあり、旅の後半は食堂を利用することが増えた。
桃の缶詰を買って出発。深川まであと50kmだ。
幌糠までの舗装された道を快調に走っていたら、突然ガタガタの砂利道に変貌。砂利道はバテる。おまけにひどい峠道。道路工事の関係者に尋ねたら、この先深川まで舗装はされていないという。ゲーッ!
17:15 秩父別
どうも時間がかかり過ぎている。この調子で今日のうちに札幌に着けるのか?そのつもりで、14時に留萌の郵便局で「ヨナカツク メシタノム(夜中着く メシ頼む)」などと電報を打ってしまったが…。
空も予報通り曇ってきた。周りを水田に囲まれた道をひたすら走る。途中で5人の自転車旅集団とすれ違い、挨拶を交わす。

留萌で打った最後の電報と、初日に書いた葉書
18:15 深 川
石狩川に架かる深川橋は青に塗り替わり、すっかり様子が変わっていた。
国道12号の合流地点で、おまわりさんに交差点の曲がり方の注意を受ける。急いでいてつい、車と同じ手法で曲がってしまった。スミマセン…。
深川温泉食堂で盛りソバとフルーツ牛乳の夕食。とうとう雨が降ってきた。周りも暗くなってきたぞ。よし、雨具を着て行けるところまで行こう。雨もそのうちやむだろう。
19:15 江部乙
疲れた。雨もやまない。もう真っ暗だ。悪いことに、ライトが壊れて直らない。やむを得ずノーライトで走る。トラックが警笛を大きく鳴らして追い抜いてゆく。
学校が道沿いにあるが、まだ行けると思って通り過ぎる。今夜中の札幌到着は、おそらく無理だ。雨がやめば別だが…。フロントバックはすでに穴だらけで、コッヘルもデコボコ状態。だいぶ無理をしたからな。
20:10 滝 川
ガムシャラにここまで来たけれど、雨はやむ気配もないし、精も根も尽き果てた。フラフラと店に入ってアイスを買い、学校の場所を聞くと、すぐ近くだという。店にいた客のお兄さんが「オレの家に泊めてやろうか?」と言ってくれたが、遠慮した。
また少し走って牛乳を買い、再度聞くと学校は目の前にあった。今日の札幌到着は断念し、泊めてもらおうと思った。
玄関横の窓に明かりが見えた。中に入って応対してくれた先生らしき人に、一晩の宿をお願いする。
「寝袋があります。廊下でけっこうですので、一晩泊めてください」
「先生と相談してみるから」
どうやら用務員(公務補)の方らしい。現れた宿直の先生に生徒手帳を見せる。こんなこともあろうかと、「この子の稚内までの自転車旅行を許可します」と、空きページに署名捺印つきの許可証を母に書いてもらってある。
先生と用務員さんとがあれこれ相談して、結局泊めてくれることになった。不審者ではなく、家出少年でもない。親の手書きの証明書が効いた。

廊下で寝るつもりが、布団がひとつ余分にあるからといって、宿直室に泊めてくれた。
おばさん(用務員さんの妻)が「布団が汚れるから」と、古いトレパンをパジャマ代わりに貸してくれる。枕にもタオルでカバーをかけてくれた。
あまり自覚はなかったが、雨と埃で相当汚れていたのだろう。
おばさんが熱い番茶とハッカ菓子を持ってきてくれる。とても美味しい。家で心配しているだろうからと、電話をかけるよう促された。
ところが、かけた電話に応答がない。よく考えると、この日の夜に下の姉が旅行に出ると話していた。たぶん駅まで見送りに行ったのだ。しばらくしてもう一度かけると、ようやくつながった。5日ぶりに母の声を聞く。用務員さんにも電話で話してもらった。
用務員さんの弟も若いころ、北海道から九州まで手製の寝袋で放浪旅行をやったことがあるという。2年前には新潟の高校生が自転車旅行の途中で立ち寄り、一晩泊まったことがあるという。いろいろな意味で縁に恵まれていた。
その晩は先生が遅くまでテレビを見ていて、神経の高ぶりもあってか、なかなか眠れない。先生につきあって「ザ・ガードマン」を最後まで見終え、10時半に寝た。
《5日目の走行データ》
・走行距離:152km
・朝食:食堂の定食
・昼食:食堂のカレーライス
・夕食:食堂の盛りソバ、牛乳
・出費:定食(100円)カレーライス(100円)盛りソバ(60円)ガラナ(43円)
アイス×2(20円)牛乳×5(100円)桃缶詰(45円)電報(60円) /計528円
59年後の追記
この日は深夜までかかっても家に戻るつもりでいて、留萌では今夜中に着くという電報まで打っている。
ところが初山別から札幌の自宅までは地図上で236kmもある。1日に走れる距離は最大でも160kmが限度で、深夜の雨の道を走るリスク前提の計画は、どう考えても無謀だった。
留萌から深川までの道がずっと起伏のある砂利道だったことも計算外で、夕方からの雨やライトの故障も重なり、ついに続行を断念。道沿いにあった学校に助けを求めた。
最後の最後で他の善意にすがる形になったのは不本意だったが、下手をすれば命を失う危険もあり、まさにギリギリの選択。切羽詰まって学校に駆け込んだ判断は、いま思い返すと間違っていなかったように思える。
寛大な対応にも恵まれ、目には見えない大きな運の後押しを感じずにはいられない。

|