第6日/滝 川〜札幌市 白石
1966.8.6(土)晴れ時々曇り、気温18〜24℃
5:30 起 床〜7:10 出 発
雀がチコチコとさえずり、雨も上がってスカッとさわやかないい朝だ。顔を洗って鏡を見たら、日焼けと虫刺されで薄汚く、ひどい顔をしている。
貸してくれたトレパンを持っていけとおばさんが何度も言う。これ以上の迷惑はかけられないと、強く辞退した。
6:45におばさんが即席ラーメンを作ってくれた。2個入りで魚肉ソーセージ、支那竹、ネギも入った豪華版。お腹いっぱいになった。デザートに桃缶も食べた。先生と用務員さんの名前を聞き、学校名と共に手帳にしっかり記す。
・滝川第三小学校 ・宿直のT先生 ・公務補のMさんご夫妻
3人の見送りを受けて出発。みなさん、本当にありがとう、ありがとう…。
7:45 砂 川
昨夜は6時間半しか寝ていないが、柔らかい布団で熟睡できた。スイスイ快調に走る。
8:15 奈井江
スイスイ、スイスイ。
9:05 美 唄
アイス最中と牛乳で休憩。
10:25 岩見沢
行きでも遭遇した道路工事の場所で、10分ほどストップ。待つ間、クーペに乗ったおじさんと話をする。その人も16歳で芦別〜小樽間(150km)を自転車で旅したそうだ。
12:40 札幌市 厚別
ジュースでエネルギー補給しながら快調に走り、ついに札幌市へと入った。ドーナッツとファンタで昼食とする。旅の終わりが近づいた。
13:45 札幌市 白石
懐かしき白石の街よ、わずか5日だが、まるで別の街に来たかのように感じる。少し飛ばし過ぎたが、最初の予定より1日早く帰着できた。
母と上の姉が家の外で迎えてくれた。電報がなくて心配したという。母が用意してくれたプリンを2個食べる。
その夜は6日ぶりに銭湯へ行き、たくさん食べて、ひたすら眠った。この旅で得たものは大きかった。綿密な計画と強い意志とがあれば、できないことはないと思った。僕の心に残った何かが、いつか役立つときがきっとあるだろう。
《6日目の走行データ》
・走行距離:84km
・朝食:即席ラーメン(おばさんの手作り)、桃缶
・昼食:ドーナッツ、ジュース
・出費:アイス(24円)牛乳×2(40円)ジュース×3(105円)
ドーナッツ(30円) /計199円
《旅の全走行データ》
・全走行距離:815km(136km/日)
・合計出費:2,083円(347円/日)
《実際の旅程図》
札幌出発 8/1
・1日目:比布町蘭留 ・2日目:音威子府村
・3日目:宗谷岬 ・4日目:初山別村
・5日目:滝川市 ・6日目:札幌帰着
《遭遇したトラブル》
・自転車関連:
後部キャリアの固定ボルト破断/ペダルの湾曲/ナップサックヒモ切れ
フロントバックに穴/フロントバックのベルト切れ/ライトのランプ切れ・衣類&野営関連:
雨具破損/雨具内部の汗/就寝時の雨水侵入/就寝中の背中痛・食事関連:
米がうまく炊けない/全体的にカロリー不足・健康関連:
虫刺され/軽い胃炎(砂利道の振動?)
59年後のあとがき
生涯初めてとなる冒険の旅は、(必ずやり遂げてやる…)という執念に近い思いと、多くの人々の好意と支えにより、予定より1日早い5泊6日で完遂できた。
最後まで反対していた父は、すぐに挫折して戻ってくると思っていたらしい。1日経っても2日経っても戻らないことに驚き、「アイツは俺に似なかったな…」としみじみ母に語ったと、のちに聞いた。
確かめたことはないが、尋常高等小学校を卒業し、14歳で住み込みの大工見習いとして家を出た父にも、似たような青春の希望と挫折の歴史があったのかもしれない。そんな父も、稚内到達を告げる電報を受け取った直後はたいそう喜び、「スイカを買ってこい!」と母に命じたという。スイカは当時めったに食べないご馳走で、父にとっては、息子の成功を祝う「祝膳」の意味があったのだろう。
砂利道続きで自転車関連のトラブルが相次いだ割に、覚悟していたパンクは一度も起きなかった。買って4ヶ月しか乗ってなく、タイヤが新しかったせいだろうか。他のトラブルに致命的なものはなく、その都度工夫して乗り切った。
記録によると出発前の身長は163cm。体重はおそらく45kgほど。同級生の中でも平均以下の貧弱な体格だった。しかも運動神経が鈍く、体育の成績はいつも悪かった。体格のハンデキャップを、ひたすら気力で補っていたのが実情。
当時通っていた高校では、保護者同伴のない宿泊旅は禁じられていたと記憶している。計画は秘密裏に進められたが、ごく親しい友人2人だけには打ち明けた。
反応は「お前、死ぬぞ」「途中で帰ってくるさ」などと厳しく、否定的なもの。親の反応と大差なかったが、それでも決意が揺らぐことはなかった。
それほどまでに自分を駆り立てたものは何だったのか?59年後のいま振り返ると、親の庇護から離れ、独り生きていくために自らに課した儀式のようなものだったように思える。「不測の事態への柔軟な対応力」「少しだけ先を見越した判断力&決断力」
走りながら自然に会得したそんなものが、旅を成功へと導いてくれた。この旅の16年後に会社勤めを辞めて事業を立ち上げ、曲りなりにもやり通した経緯にもどこか通ずる、そんな一匹狼的人生の始まりを暗示する旅だった。
「生活の柄」〜山之口貘詩集より歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構はず寝たのである (後略)![]()
使用ソフト等
PicWish:白黒写真のカラー化
イラストAC:挿入イラストの一部