第4日/宗谷岬〜初山別
 1966.8.4(木)晴れ時々曇り、気温14〜21℃


5:00 起 床〜5:45 出 発
 昨夜の寝床はこれまでで最も快適な芝生で、9時間も寝てしまった。オホーツクの夜明けは夏にしては寒すぎるほどだが、なかなかいいものだ。
 学校は高台にあり、眼下に宗谷海峡が見渡せる。真っ赤な朝焼けで波静か。蒸気船の音がポンポンと聞こえてくる。
 坂を下りて、波打ち際にある「日本最北端の地」の石碑前に立つ。


(とうとうやったのか…)
 心の中でぼんやり思った。
 海に少しだけ足を入れてみる。辺りには人っ子ひとり見当たらない。
(やったぞ、やったぞ…)
 何度も何度も心の中でつぶやく。なぜか、あまり感動は湧いてこない。

(もう帰ろう…)10分経ってそう思った。
(帰るぞ…)こうして宗谷岬を後にした。


誰もいない石碑前で、到達の自撮り


6:00 宗谷村
 目的を遂げた帰り道のせいか、非常に調子がいい。岬の西に位置するこの集落は会津藩が開拓したそうで、会津の護国寺もある。質素な佇まいの集落で、子供たちが家の前に集まり、ラジオ体操をしていた。

 道の左側には低い崖が続き、海岸段丘の形状をなす。道端には知らない花が寒々と咲いている。(高山植物だったと後に知る。高山植物が平地に咲くのは珍しいらしい)


稚内から宗谷岬に至る声問海岸


7:45〜7:55 稚 内〜サロベツ原野
 陸橋の上で水を飲み、朝食として餅菓子を1袋食べる。通勤の人々がジロジロ見て通り過ぎるが、お構いなし。
 今日のオホーツ海は灰色。雨で湿った衣類を乾かしながらスタート!ズボン下を荷台にしばって走っていたら、通りすがりの若い女性2人にゲラゲラ笑われた。

 豊富までの道の両側にはオレンジ色のエゾカンゾウと紫のカキツバタが咲き乱れ、花園の中を突っ走る感じ。行きは走るのに夢中で、気づかなかった。遠くには大沼や兜沼も見える。いいところだ。


10:45 豊 富
 カラリと晴れていい天気になった。自宅宛に電報をまた打った。
ミサキ ブジツイタ

 食料をまとめて購入。ガラナ(ガラナの実を使った炭酸飲料)が美味い。


13:40 天 塩
 帰り道が行きと同じではつまらないし、音威子府、塩狩峠、神居古潭の峠道はもう走りたくない。そこで天塩橋を右折して日本海側に抜けることに決めた。自宅に通ずる国道12号には、留萌から深川に向かえば合流できる。

 途中の道端で固形燃料に点火し、即席ラーメンを作って昼食。豊富でガラナを飲んで元気が出たので、天塩でもまた飲んだ。親切な店のおばさんと話をする。
「どこから来たの」「どこで寝るの」「自転車旅行は楽しいかい?」
 天塩からは右手に真っ青な日本海を見ながら走る。暑くなってきたので、ジャージ上衣の袖をめくって走る。日焼けしそうだ。


15:30 遠 別
 天塩から2時間足らずで到着。順調でアル。ジュースとアイスを買った店で、またポリタンクに水を入れてもらう。
 店にいた同学年のお兄さんと話した。「俺もやってみようかな」と関心を持った様子。


18:10 初山別
 調子が悪い。天塩〜遠別間は平坦だった海沿いの道が、遠別を過ぎると急に山道に変わった。海岸段丘が迫って海岸沿いに道が作れず、山の中を通しているためだ。大きな坂が連続し、上りはほとんど自転車を押して歩いた。
 明日に備えて、今夜はこの街に泊まることにする。宗谷岬のように校庭に泊めてもらおうと考え、アイスを買った店で学校の場所を聞いた。店にいた客が家に泊めてやると言ってくれたが、遠慮した。

 コンクリート造りの立派な初山別小学校に行き、宿直の先生に校庭への宿泊をお願いする。
「校庭の隅で寝ます」「テントは張りません」「火も使いません」「朝5時には出ていきます」等々さんざん頭を下げて、ようやく許してくれた。泊めてくれるだけでありがたい。
 火が使えず、おでん缶詰とサンマ蒲焼缶詰の両方を開け、乾パンと共に食べた。高台にある校庭から、日本海に沈む夕日を初めて見た。素晴らしいの一言に尽きる。明日はいよいよ我が家だ!

4日目の走行データ
・走行距離:142km
・朝食:餅菓子、チョコレート
・昼食:即席ラーメン、みかん缶詰
・夕食:おでん缶詰、サンマ蒲焼缶詰、フルーツ缶詰、乾パン
・出費:アイス×4(50円)みかん缶詰(55円)ガラナ×2(93円)
 電報(60円)ジュース(10円) /計268円

59年後の追記
 目的を果たした宗谷岬に立った印象は、不思議なことにそう強烈なものではなかった。サロベツ原野を抜けてオホーツクの海を見た時点ですでに達成感は得ていて、(着いたから、早く家に戻ろう)といった帰巣意識のほうが勝っていた気がする。
 悲壮な覚悟で旅に出たつもりが、まだまだ親の庇護からは抜け出せない16歳の少年だったということか。

 持参した即席ラーメンを昼食で初めて食べたが、固形燃料でも問題なく作れた。米と違って研ぐ手間もいらず、腐る心配もない。
 結果論だが、米に替えて多めに持参するなり、途中の街で必要な分だけ買うなどすれば、もっと効率よく旅が進められたはず。

 宗谷岬に続いて、この日も学校の校庭に野宿させてもらった。草むらや藪の中に比べると安全だが、学校は本来野宿する場所ではなく、管理者(先生)の好意にすがるしかないのが実情だった。
 当時はまだルート沿いにキャンプ場は皆無で、東屋などが設置された公園もない。雨露を凌げる神社はあったと記憶しているが、恐れ多くて野宿などはできず、食事と並んで泊まる場所の確保は旅の大きな悩みだった。