第3日/音威子府村 筬島〜宗谷岬
 1966.8.3(水)小雨のち晴れ、気温15〜21℃



熊が出そうな草むらでの野宿


3:50 起 床〜4:55 出 発
 ぐっすり寝た。爽快な気分だ。昨夜は19時半に寝たから、8時間20分ほど眠っている。夜中に雨が降らなかったし、自転車を枕にせず寝たせいか、背中も痛くない。
 菓子パンとジュースで簡単に朝食を済ませ、早めに出発。早くこの山道を抜け出して、人家のある場所に出よう。人が恋しい。

 昨日はあんなに辛かったはずの泥道も、今日はスイスイ進む。すぐに農家が見つかって牛がいた。牛乳が飲みてぇ…。
 この辺りは道路工事の真っ盛りで、回り道の連続。途中、工事のおじさんに道を尋ねながら進んだ。このところ、人を見るとすぐに道を聞く。たとえわかっていても、人と話がしたいから。


8:00 中 川
 いじけた道を走って、やっと中川に到着。最初に立てた計画では、ここが2日目の宿泊予定地だった。かなり取り戻したが、まだ3時間は遅れている。
 開いたばかりの店で500円のエアーサロンパスを買う。持参した300円の品は昨日で空になった。貧乏旅行では大きな出費だったが、毎日の足の手当てには欠かせない。
 店のおじさんから「若いうちだな、そんなことができるのは」と、しみじみ口調で言われた。

 この街でまた迷った。地図と磁石が頼りだが、回り道ばかりで方向感覚が狂ってしまう。トラックで荷下ろし中のお兄さん達に尋ねたら、4人がかりで教えてくれた。
 雄信内からロクシナイ峠経由で天塩に行く予定だったが、地図には載っていない新道が開通していて、直接豊富に向かうことにする。舗装したての快適な道だった。途中で激しい雨に降られたが、すぐにやんだ。


10:30 天塩橋
 天塩川に架かる水色の素晴らしい橋だ。ここで小休止してピーナッツと裂きイカを食べていると、同じスタイルの自転車旅行者が稚内方面からやってきて、話しかけてきた。
 東海大学3年の村田さんで、東京都大田区に住んでいるという。7/24に東京を出発し、釧路まではフェリー。前夜は農家に泊めてもらったそう。
 とても感じのいい好男子で、あれこれと話をし、互いに激励し合って別れた。人と話すのは楽しくていい。


12:00 豊 富〜サロベツ原野
 いまにも雨が降りそうで、ビュンビュン飛ばして黒い雨雲から逃げ出し、やっと豊富に着いた。フルーツ牛乳とみかん缶詰を買い、ポリタンクに水を入れてもらう。

 豊富を抜けると有名な大湿地帯「サロベツ原野」が延々と広がる。耕地はほとんどなく、たまに見かける草原には大きな牧場があって、何十頭もの牛が草を食べている。学校の門までがサイロの形をしていて、この辺りは牧畜業が盛んのようだ。
 道はまっすぐ平坦で坂はなく、きれいに舗装されていた。これまでの苦闘がウソのように、昼食抜きで快調に飛ばす。途中、2人の自転車旅行者とすれ違って挨拶を交わす。


15:15〜16:35 稚 内
16:20 稚内駅に到着

 北の花々が咲き乱れる大草原を抜け、坂をひとつ越えると、突然目の前に真っ青なオホーツク海が広がった。ついに稚内だ!意外に早く着いた。

 今日はこの街に泊まるつもりで、奮発して早めの夕食を「」という食堂で食べる。一番安い150円の定食を注文。地方は物価が高めだ。
 どんぶり飯、キノコ味噌汁、焼き塩鱒、カボチャ天ぷら、沢庵をガツガツ食べた。
 旅行3日目にして初めてまともな食事、そして初めての外食だった。美味かった、本当に…。

 天塩橋で出会った村田さんに「テントを張らなければ、稚内公園で泊まれる」と聞いていて、探しながら途中にあった稚内駅で写真を撮り、八百屋で青いトマトを1個だけ買って、郵便局で自宅宛に電報を打つ。
 発信者名を入れると5円高くなるので、倹約して「ブジツイタ」とだけ名無しで打った。これで意味は充分に通じるはず。1日目に葉書を出したきりで、ずっと音沙汰なしだったから、家では心配しているだろう。
 すぐ近くで交通事故を目撃。オソロシイ、気をつけなくては。

 目的の稚内公園は探せど探せど見つからず、まだ日は高い。最終目的地の宗谷岬をめざし、行けるところまで行こうと決意した。


19:00 宗谷岬
 岬に向かう途中で辺りが薄暗くなってきた。夕日が背中を照らす。浜では海猫が騒ぐ。遠くに灯台の光が見える。もうすぐだぞ、がんばれ、がんばれ。今日中に到着だぞ…。
 着いた!とうとうやった…。予定通り、3日で目的地に到達できた。

 灯台に泊めてもらうつもりでいたが、無人灯台と知った。やむなく岬の突端にある大岬中学校に一夜の宿をお願いする。校長先生が偶然いて、快く許してくれた。外の芝生で寝ることにする。テントを張った先客がいて、大坂の大学生が4〜5人。
 砂混じりの井戸水が自由に使え、稚内で買った青いトマトを冷やして丸ごとかじる。こんなに美味いものがあったのか!と思える、忘れられない味だった。
 20時に就寝。寝袋の窓から満天の星が見えた。明日もきっと晴れるだろう。


夕闇迫る宗谷海峡


3日目の走行データ
・走行距離:156km
・朝食:菓子パン、ジュース
・昼食:なし
・夕食:食堂の定食、餅菓子、トマト
・出費:エアーサロンパス(500円)フルーツ牛乳(20円)みかん缶詰(55円)
 定食(150円)電報(60円)トマト(43円)乳酸飲料(20円) /計848円


59年後の追記
 愚図ついた天気がようやく回復し始め、悪路の連続だった道も中川町を過ぎてから一気に快適な舗装路へと変貌した。当時は一級国道でも舗装されていない道はザラで、砂利道ではペースが半分以下に落ちてしまう。舗装路は快適な旅の重要な要素だった。
 出発して3日目に入り、旅のペースや孤独な境地にもようやく慣れてきた。サロベツ原野を走っている辺りから、(この旅はきっとうまく行く…)という予感のようなものが湧き始めた。

 あっけなく到着した稚内で初めて食堂を利用したのは、固形燃料ではうまく米が炊けず、当初の自炊計画に大きな破綻が生じたから。持参の食料では栄養補給に限界があり、弁当やおにぎりが手軽に買えるコンビニもまだない時代。父からもらった2千円を、ここでありがたく使わせてもらった。
 野営道具や自転車備品の支出がかさみ、自分で用意できた旅行費用は、わずか560円。節約を重ねてはいたが、父からの2千円は実にありがたく、心強いものだった。高価なエアーサロンパスも、これなしでは買えなかった。


大岬中学校と灯台、テントは大阪の大学生