
第2日/比布町 蘭留〜音威子府村 筬島
1966.8.2(火)雨のち曇り、気温12〜18℃
3:45 起 床〜5:15 出 発
全くひどい一夜であった。雨には参った。時計のネジが気になって、夜中に2度も巻いた。石にあたった背中が痛い。寝袋が雨でベトベトに濡れている。衣類を入れたナップサックも濡れ、中の衣類が湿っぽい。ビニール袋に包んでおくべきだった。
グズグズしていても仕方がない。固形燃料を燃やして衣類を乾かす。寝袋まで乾かしていては日が暮れる。チョコレートとジュース1杯で朝食。アリナミン6錠を飲み、コップ1杯の水で歯を磨いて顔を洗った。
深夜から降り続いた雨は上がっている。残ったおにぎり2個が傷んでいたので捨てた。具には梅干しを入れるべきだった。自転車に油をさして出発。
朝になってよく見ると、この付近には家が一軒も見当たらない。ヒドイ場所で寝たものだ。それにしても眠い。何しろ7時間ほどしか寝ていないのだ。蘭留の市街地でポストを見つけ、昨夜書いた葉書を出す。

人生初の野宿を乗り切って、蘭留を出発
6:00 塩狩峠
この旅行中、いくつか遭遇した難所のひとつだった。坂が急なうえに、カーブがやたら多い。50くらいはあっただろう。ギヤをローにしてもペダルが重くてどうにも進めない。
腹も空いているし、昨日からの疲れもあった。自転車から降りて粉末ジュースを飲み、あとは峠の頂上まで押しっぱなし。この峠は三浦綾子の小説の舞台にもなっていて、道の両側は白樺や松の原生林に覆われている。
頂上に着くと、下りるのは楽だ。麓の塩狩温泉まで一気に突っ走った。ここにユースホステルがあることをあとで知った。もっとよく調べておけばよかった。
6:25 和 寒
この街の記憶は全くない。塩狩峠の疲れで、見る余裕もなく通り過ぎたらしい。
市街地を少し過ぎた道端で固形燃料を点け、即席焼きそばを作って食べる。30分の休憩。この焼きそばがマズイことマズイこと。水を飲み飲み、やっと流し込んだ。
8:10 士 別
市の入口にある郵便局で、自宅に無事を知らせる電報を打とうと8時きっかりに入ったが、人の気配がない。全く田舎の局はノンキだ。
市の出口が橋の架替え工事で通れず、回り道。このせいで旅に出て初めて道に迷った。「聞くは一時の恥」のことわざに従い、付近にいた女の子に聞いてようやくわかる。
9:15 風 連
予定では昨日ここに泊まるはずだった。5時間ほど遅れたが、ともかくも第1目的地に到着。道路地図では舗装してあるはずの道が、一部に砂利道が残っていてガックリ。
10:10 名 寄
市の入口で道路工事のおじさんに呼び止められ、いろいろ話をした。
「坊、どっかた来た」…「エライもんだナァ」
「ウチの坊主にもこんな自転車買ってやらなきゃな」
「ところで中学生か?」…(高校生ですっ!)
2L入るポリタンクの水が空になり、駅の水道で入れるつもりで回り道したが、なぜか水道がない。どうしようか…。
店に入って菓子パン2個と牛乳2本を買い、ポリタンクの水を頼んだら、快く引き受けてくれた。市街地を過ぎた道端で早めの昼食。あまり美味しく感じない。
走っているとサイクリング自転車で追いかけてきた20代の男性が
「どっから来たの」
「俺も高校時代に自転車旅をやったんだ。今度は阿寒のほうに行きたいと思ってる」
「ここから北は道が悪いから気をつけてね!」などと声をかけてくれた。
道沿いのレコード店から加山雄三の「蒼い星くず」のメロディが流れていて、どうしてかわからないが、聞いているうちに胸が苦しくなって泣きそうになった。
11:45 美 深
天気が一気によくなった。調子いいぞ。濡れた寝袋や衣類をバックの上に広げ、乾かしながら走る。
市街地を過ぎたころ、後部キャリアに積んだナップサックのヒモが突然切れた。支持ボルトの破断と同じで、荷物の重さと砂利道の振動に耐えきれなくなったのだろう。寝袋の袋を取り出して代用し、ナップサックは雨具入れに転用した。
15:40 音威子府
美深からここまでの30kmは一級国道とは名ばかりの、すさまじいソロバン道路。ずっとローのギアで走ったせいで、少しも距離を稼げない。途中でまた道に迷って、道路工事のお兄さんに教えてもらう。
音威子府はちょうど夏祭りの前夜。露店でアイスキャンディを2本買った。
市街地を過ぎてすぐ、ちょっとしたはずみで右側に転倒した。身体はうまく抜け出して難を逃れたが、右のペダルがクランク部分で曲がってしまい、回らなくなった。このままでは旅に支障があり、直すハンマーも持っていない。
道端で大きめの石を探し出し、2度叩いたら何とか元に戻った。全くヒヤヒヤの連続だ。
17:30 音威子府村 筬島(おさしま)
日は暮れているが、今宵のねぐらは見つからない。山の中の道路はどこまでも続く。山霧と雨のせいか、道路は水溜りでドロドロ状態。自転車も泥んこだ。
通り過ぎる車は工事用のブルドーザやトラックばかりで、もちろん家は一軒も見当たらない。トラブル続きで、物も言えないほど疲れ果てた。エイ、仕方がない。市街地から15km近く西に離れた道路脇の藪の中で今夜は寝ようと決断。蚊がうるさい。
1時間ほど前に研いでおいた米をコッヘルに入れ、固形燃料で炊いたが、火力が弱くてひどいメッコ飯。インスタント味噌汁とフリカケで無理に流し込んだら、涙が出た。旅の前に固形燃料で飯を炊く練習をしなかったのが失敗。
昨夜の雨でこりたので、今日から寝袋にビニールシートをかけて寝ることにする。ビニールの上に大型のカタツムリが這い上がってきて、腰が抜けるほど驚いた。バカめ!
谷川の音が間近に聞こえる。ああ、もし夜中に増水してここまで溢れてきたらどうしよう…。などとオカシナことを考えた。頭が錯乱しているのだろうか。
道のすぐ横を汽笛を鳴らして夜汽車が通り過ぎる。あの汽車に乗れば、家に帰れるんだなァ…。眠い…。
この付近には熊が出没することをあとで知った。恐ろしい思いをした。
《2日目の走行データ》
・走行距離:120km
・朝食:焼きそば、チョコレート、ジュース
・昼食:菓子パン×2、牛乳×2
・夕食:ご飯、即席味噌汁、ふりかけ、チーズ、フルーツ缶詰
・出費:菓子パン×2(50円)牛乳×2(40円)アイス×2(20円) /計110円
59年後の追記
初日に続き、気温が低く雨模様の厳しい旅程だった。前日の疲れと悪路のせいで、走行距離が大幅にダウン。最終日を除くと旅行中の最低を記録した。
砂利道では想定していた12.7km/hでの走行はとても無理で、舗装路の半分程度、せいぜい7〜8km/hが限度と思い知る。
当日の天候と気温は気象庁のデータから直近アメダス数値を参照したが、当日の旭川アメダスによると、未明から明け方にかけて6.1ミリの降雨を記録している。土砂降りではないが、ジクジクと濡れる雨だった。
寝袋さえあればテントなしでも多少の雨は凌げると出発前は考えていたが、大きな計算違い。寝袋の周囲には溝を掘って雨水が流れこまない措置をし、寝袋の上はビニールシートを三角形に張って覆うなど、寝床が雨に濡れにくい配慮をすべきだった。完全な経験不足である。
食糧費節約のため、自宅から持参したおにぎり8個で最初の2日を乗り切るつもりでいたが、対策の甘さで傷んだ2個を廃棄。固形燃料では米がうまく炊けず、食事計画に暗雲がたちこめる。雨対策や自転車の故障など、トラブルが相次いだ。
自宅を離れて丸2日が経ち、里心がつき始めたのも全くの想定外。強い意志で旅に出たはずが、自分の弱さ脆さを思い知らされた。何かと声をかけてくれる見知らぬ人々がとてもありがたく思え、ときには自ら会話を求めていった。
名寄で街頭から流れてきた「蒼い星くず」は、そんな孤独な境地に忍び寄り、励ましてくれる象徴的な歌詞とメロディだった。いま聞いても胸が熱くなり、当時の切ない心境がまざまざと蘇ってくる。

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