僕は高校2年の夏に、稚内〜宗谷岬への単独自転車旅行を計画した。動機は2つある。
 ひとつは自分の体力と精神力の限界を試したかったこと。そして「君は高校時代に何をしたか?」と問われたとき、すぐに答えられる大きなことをやってみたかった。

 だが、この旅をやり遂げるには多くの困難があった。初めに困ったことはお金である。
 旅に出るには自転車のほか、野宿するための寝袋、荷物を入れるフロントバック、バックを自転車に載せるフロントキャリア、小型空気入れ、炊事用コッヘル、飲料水用のポリタンク、雨具などの各種備品が必要だった。


旅を共にした自転車「ナショナルサイクラーパンチE」
        (当時のカタログより)


 高1の冬休みに年賀状配達のバイトで貯めた金の多くは自転車(2万円弱)とサドルバック等で消え、手元には4千円しか残っていない。
 フロントバック1,000円、フロントキャリア700円、空気入れ300円、コッヘル825円、ポリタンク240円、固形燃料375円などを順にそろえた結果、3,440円が消えた。旅行中の飲食代等を考えると大切な寝袋が買えなくなり、旅もこれで終わりかと思われた。

どうしてもやり遂げたかった僕は、やむなく家にあった古い毛布とビニールシートを寝袋代わりにしようと考えた。
(当初からテントなしの野宿を前提とした計画である)
 そうするうち、見かねて姉の一人が割引を使って4,500円の寝袋を買ってくれた。所有権はあくまで姉で「貸してくれる」という前提だったが、まさに救いの神である。

 これで備品類はどうにかそろったが、またまた別のやっかいな事が起こった。父と母が計画に反対したのだ。
 僕が行くと言い張るので母は仕方なく折れたが、父は絶対に許さない。だが、たとえ許してくれなくても行くつもりでいた。決意は揺るがなかった。

旅立ちの朝、母が2千円を渡してくれた。昨晩、父から託されたという。そして「もし事故が起きたら、これで帰ってこい」と言い添えたという。とてもうれしかった。「お父さん、ありがとう」心からそう思った。
 こうして僕は家族の暖かい理解と激励のもと、6泊7日の予定で宗谷岬へと旅立った。
(注:消費者物価指数から換算すると、1966年の貨幣価値は2025年の約4.5倍)



旅行スケジュール
  (計画段階の旅程で、実際とは異なります)

 札幌出発 8/1
・1日目:風連町  ・2日目:中川町
・3日目:宗谷岬  ・4日目:天塩町
・5日目:美深町  ・6日目:深川市
・7日目:札幌帰着



装 備(重宝したものは太文字)

食器&炊事用品
・コッヘルセット ・ポリタンク ・プラ密閉容器×2 ・固形燃料×3
・アルミホイル ・マッチ×3 ・缶切り ・ナイフ ・箸 ・布巾 ・スプーン
・フォーク ・お玉 ・プラコップ ・新聞紙 ・包装紙

衛生用品
・エアーサロンパス ・ちり紙 ・毛抜き ・石鹸 ・正露丸 ・風邪薬 ・オロナイン
・アリナミン ・赤チン ・包帯 ・絆創膏 ・セロテープ ・糸と針 ・ハサミ
・安全ピン ・歯ブラシ ・歯磨き粉 ・櫛 ・鏡 ・スポイド ・ビニール袋

衣 類
・長ズボン ・ショートパンツ ・半袖ポロシャツ ・肌着×2 ・靴下×2 ・スボン下
・体育ジャージ上下 ・合成革靴 ・キャップ型帽子 ・タオル×3 ・軍手 ・雨具

自転車用品
自転車:ナショナル サイクラーパンチE/外装4段変速 B-415C(定価 24,600)
・フロントバック ・サドルバック ・パーニャバック ・ナップサック ・空気入れ
・パンク修理用具 ・プライヤー ・ドライバー ・機械油 ・結束ゴムバンド
・ウェス ・道路地図(5万分の1) ・磁石 ・鎖錠×2 ・防虫網

野営用具
・寝袋 ・ビニールシート ・空気枕 ・ペンライト ・ろうそく×10

記録用品他
・カメラ ・フィルム ・接写レンズ ・筆記用具 ・葉書 ・ノート ・時計
・生徒手帳 ・お金
(2,560円)



食 料(実際に食べたものは太文字)

主 食
・米2.2kg(15合) ・即席ラーメン×2 ・即席焼きそば×1 ・おにぎり×8
・餡パン ・乾パン ・餅菓子400g ・クラッカー ・カステラ

副 食
・即席味噌汁×5 ・即席椎茸汁 ・コンソメスープ ・ポタージュ ・ふりかけ
・サンマ蒲焼缶詰 ・おでん缶詰
・キュウリ漬物 ・魚肉ソーセージ×5
・チーズ×6 ・味付け海苔×2
・小魚 ・鰹節&ネギ ・梅干し ・醤油

嗜好品、飲物
・お茶 ・インスタント珈琲 ・粉末ジュース ・汁粉の素 ・レーズン
・裂きイカ ・ピーナッツ ・チョコレート ・フルーツ缶詰



59年後の追記
「なにをやるか?」については、夏休みに単独での自転車旅行をやろうと、早くから決めていた。しかも簡単にはやれそうにない遠くへの旅を。
 小学校3年から3キロの道程を夏は自転車、冬はスキーで通学し、脚力には多少の自信があった。休みには近郊に自転車で出かけるなど、それなりにトレーニングも重ねた。
「日本最北端の地」である宗谷岬は目的地としては絶好だった。道北の幌加内町で生まれ育ち、北は自分にとってのルーツでもある。

 札幌〜宗谷岬の片道距離は400km強あると道路地図から知った。1日135km走れば、3日で宗谷岬に着ける。そこで1日の余裕をみて、往復6泊7日の旅程を立てた。7日なら1日のノルマは115kmとなり、そう無謀な計画ではない。
 走行速度は事前のトレーニングから、舗装路で17km/h、砂利道で75%の12.7km/hを想定。平均で15km/hを目指した。1日に9時間走ると、目標値の135kmに達する。
(完走後の全走行距離が815km〜日平均136kmで、計画値とピタリ一致した)

 問題は旅行資金不足のため、テントなしの完全野宿を前提としていたこと。野宿旅はもちろん、キャンプ経験もゼロ。長い旅の装備や野営の経験不足は明らかで、そこに大きな不安があった。親が強く反対した心情も、いまとなっては理解できる。
 装備や食料をみてもその不安が反映されていて、備品の絞り込みができず、無駄なものが多く含まれている。炊事用のコッヘルセットは小型の容器1個だけで十分だったし、多くを持参した米は、ほとんど食べられなかった。
 逆に予備ボルトやベルト類、応急用の針金やロープなど、緊急時に役立つ備品が不足していて、読みの甘さをさらけ出した。