二〇〇二・秋冬乃章

   つれづれに、そして気まぐれに語ってしまうのである。
   なにせ『徒然雑記』なのだから。


ホームページ営業/'02.9

 このところ大変忙しい。ホームページを見た人から、雑多な仕事の引き合いや注文が、続々舞い込んでいるのだ。先月はとうとう盆休みも取れずじまいだった。

「ホームページを使った営業を展開しよう!」と宣言し、実際にホームページ上で公示したのが昨年の6月。最初はその効果に、当の私自身が懐疑的だった。確かに去年、ホームページがきっかけで私は一冊の本を出すことが出来た。だが、あくまであれはひとつの運であり、同じ事が他の建築関係の仕事でやすやすと成功するとは、とても思えなかった。
 ところが結果は違っていた。今年に入って少しずつだが、具体的な仕事の引き合いのメールがき始めた。途切らすことなく更新を続け、飾り立てない率直なページ作りが、他の共感を得たのかもしれない。それとも、時代がそういう方向に徐々に動きつつあるのだろうか。
 結果的に8〜9月の仕事の大半は、ホームページを見た人からの依頼となった。どうやらホームページには、従来のコネや足や広告媒体を使った営業とは、全く異なる営業力があるらしい。

「ホームページはまだまだ金にはならないよ」

 つい最近、とあるところで、それなりの社会的地位にある人から、そう言われたことがある。そう、実は私自身もつい最近まではそう思っていた。このページのどこかにも確か書いたはずである。

「お金もうけだけを考え、サービス精神のないホームページは、やがて死に至る」と…。

 そうなのだ。第三者の目は作り手が思っているよりはるかに厳しく、お体裁の裏側に見え隠れする嘘を、本能的に人は見抜く。「ホームページは金にならない」と思い込んでいる人は、おそらく作り方のどこかに間違いがあるのだろう。流行を追い、ただ形だけのホームページを作ってみても、社会的評価はなかなか受けにくいのだ。

「インターネットで仕事をやってくれる人を探したら、いくつか条件にはまるページが見つかりましたが、まずは菊地さんに連絡をとってみました」

 メールで仕事の連絡をくれ、面談して受注に結びついた人は、異口同音にそう言ってくれた。これは私の全く一方的な思い込みだが、ガラス張りのページ作りが、相手に安心感と信頼をまず与えているのだとしたら、これほど有り難く、喜ばしいことはない。

「見ず知らずの人からの仕事の依頼に、リスクはないのか?」と問う声が聞こえてきそうだ。インターネットやメールの匿名性は、直接の面談に比べると確かにうさんくさい。単なるからかいや冷やかし、そして仕事を依頼するふりをして、市場調査や価格調査が本音だったりするケースも混じっているかもしれない。
 だが、そうした怪しげな意図のメールには、必ずそのメール自体に謎を解くカギが隠されている。たとえばペンネーム、たとえば無記名、たとえば匿住所…。たとえどんな美辞麗句のオブラートにくるまれていたとしても、うさんくさいメールにはどこか怪しげな臭いが漂っている。誠意や信頼は、メールの内容に必ず表れてくるのだ。

 独立開業して20年にもなると、これまで特に代金回収面で、いろいろ危ない目にあってきた。納品して1年以上も入金がなかったり、とうとう払ってもらえなかったケースも一度だけではない。これらはすべて何らかの形での紹介仕事であり、当然直接面談して交渉したものである。
 商売にリスクは元来つきものだが、信頼関係にあるはずのクライアントからの紹介でも、こうしたトラブルは起きる。引き合いの過程が問題なのではなく、相手の人間性そのものが問題なのだ。自分一人の責任範囲で相手を判断し、交渉に当たることが可能な「ホームページ営業」は、意外に不透明な現代には最もリスクの少ない手段なのかもしれない。




散 歩/'02.9



 というわけで、このところ大変忙しい。縄文生活を決め込んでいる自分にとっても、有り難き恵みの雨となる。理念は必要だが、理念だけでは食べていけないのが厳しい現実で、ほどほどに忙しいのは精神衛生上も大変よろしい。
 ところが、休みなく仕事に追い立てられるのは、精神にとっても身体にとっても、非常によろしくない。以前は週に数回、地域の子供たちへのサッカー指導があって、つい机にしばられがちなヤクザな我が仕事にとっての、いいアクセントになっていた。ところが新しい土地に引越してきて以来、これといった決まった運動はしていない。これは由々しき事態である。

 以前にも触れたように、20年前の開業時期に、仕事の忙しさにかまけて身体の手入れを怠り、腎臓結石の大病を患ったことがある。私にとって運動不足は、命取りになりかねないことは、そのときの教訓として身に染み付いていた。
 根がまめであり、ひとときもじっとしていられない質だから、仕事のない時期は身体を動かす種には事欠かない。暇なときには、運動不足など無用の心配なのだ。だが、問題は多忙期である。

(散歩でもしてみようか…)

 ふとそう思いついた。「ウォーキング」などという洒落た言葉が巷に溢れているが、つまりは散歩である。要はぶらぶら歩けばいいのだ。
 幸いなことに引越してきた場所は、札幌でも自然がまだまだ豊かに残された地域だ。散歩道には事欠かない。そこで地図を広げ、自宅を中心にいくつかの散歩コースを考え出した。
 自宅は3本の川に囲まれた複雑な地形の中心にある。川の土手に沿った道には車が通らず、5つの橋でつながっている。この土手道と橋をうまく使えば、距離と景色のそれぞれ異なる、変化に富んだ散歩コースが出来上がる。

 最もオーソドックスなのは、玄関を出てすぐ前にある土手沿いの道に出、反時計回りに土手道を歩く「内回りコース」である。この道沿いにはほとんど民家はなく、川の土手も自然を活かした造りになっていて、セグロカモメやアオサギなど、たくさんの水鳥たちが見られる。
 道の北端は三角州の頂点にあたり、ここで別の川と合流している。何かの魚が釣れるのか、川辺で釣り人がときどき竿を垂れていたりする。ここからの手稲連峰の展望は見事だ。散歩の時間は夕食前がほとんどだから、天気の良い日は美しい夕焼けが天空に広がっている。土手の突端でそれをしばし眺める。

 ここから土手道は南側に180度折れ曲がり、景色は一転する。土手沿いのさまざまな植物群が、斜め後ろからの夕陽を浴びて映える。同じ時刻、同じ道を毎日のように歩いても、どこかがわずかに違っている。自然の営みの確かさを感じる瞬間だ。
 土手沿いの野菜畑を突っ切り、古い農家を囲むポプラの並木を左に曲がると、やがて我が家の屋根が見えてくる。都合1.5キロの、ちょっとぜいたくな散歩道だ。

 時間に余裕があるときは、橋を渡って向い側の土手道に出、少し距離のある「外回りコース」を選ぶ。当然のように周囲の景色は一変する。そのときの気分に応じて、途中いくつかある橋を渡ったり、渡らなかったりしてコースに変化をつける。
 まだ一度もトライしてないが、自宅を拠点にすべての土手道とすべての橋を渡る「完全周遊コース」というのがある。測ってみると、合計6キロ弱もあり、ゆうに1時間はかかる計算になる。こうなるともはや散歩の領域ではなく、立派なトレッキングだ。コーヒーと軽食をディバックに詰め込んで、冬が来る前に妻と二人で走破してみようか。




時間単価/'02.11



 開業以来、仕事をするときはいつもストップウォッチを手元に置き、作業時間を正確に測っている。作業開始と同時にスイッチをオンにし、作業終了時はもちろん、電話の応対や休憩時にはオフにするから、作業に要した純粋な時間が把握出来る。紙やインクを使った手作業から、仕事の大半がパソコンに変わったいまも、その習慣は変わらない。
 合計の作業時間は、仕事毎にまとめて依頼台帳に順に記録する。年収を年間の累計作業時間で割ってやれば、その年の自分の時間単価が割りだせる仕組みである。データをすべてパソコンに入れ、データベース化した1997年以降は、その年の時間がオンタイムで瞬時に分かるようになった。
 仕上がった作品を取引先に届ける時間や、打ち合わせ、そして経理事務等の雑多な仕事の時間は一切含めていない。こうすると、一職人としての自分の時間単価が年毎に把握出来、仕事の単価を決めるときや、将来の展望を見通したりする材料として、大変役立つ。

 さて、こうした純粋な作業時間は、いったい年間どれほどになるか想像がつくだろうか?サラリーマンの年間労働時間は、1800〜2000時間などと言われている。年間労働日を250日として、一日あたり8時間弱。それよりはちょっと少ないくらいか…。
 統計をとる前は、私もそんなふうに考えていた。ところが、ほとんど休みもなしに働き詰めだったバブル当時でさえ、年間累計時間が1000時間を越えたことは一度もないのだ。これはちょっと意外だった。効率よく働いているつもりでも、実際には無駄な時間がたくさんあるということなのだろう。

 打ち明けると、バブル前後の頃は、この時間単価が1万円に迫った。時間単価1万円と言うと、おそらく弁護士や医者の時間単価と同じレベルである。組織を持たない一匹狼の自営業者でも、身を粉にして働き通せば、この領域まで達することは可能なのだと、ひとり感慨に浸ったものだった。
 ところが不景気風が一向に吹き止まない昨今では、この時間単価は下がる一方である。総作業時間も減る一方で、相対的に懐具合も寂しくなるばかり。
 調べてみたら、今年の時間単価は最盛期の3分の一近くにまで下がっていた。もっとショックだったのは、収入が倍近くあった一昨年の総作業時間より、まだ2ケ月近く残している今年のほうが、かなり作業時間が多いという事実だった。まさに「働けど、働けど、我が暮らし…」の心境である。
 数字をながめながら思わず愚痴をこぼしたとき、傍らの妻が口をとがらせた。

「何よ、私なんか時給700円そこそこで、年中働き通しなのよ」

 家計の食費分を妻の稼ぎに依存している我が身としては、何も言い返せない。電卓をはじいてみると、妻の年間労働時間は1200時間近くにもなる。生真面目な彼女の性格からして、ほとんどロスタイムはないはずだ。つまりは、私なんぞよりもはるかに妻のほうが働き者ということになる。
 平均的サラリーマンで同じ試算をすると、500万÷2000時間=2500円という時間単価がでる。これにはおそらくかなりのロスタイムが含まれているはずだが、このあたりの数値から比較検討すれば、昨今の私の時間単価は限りなく平均値に近づいたと見るべきで、収入をせめて世間並みに近づけるには、要はもっと仕事を探してせっせと働け、というしごく当り前の論理に到達するのである。




再生期/'02.11



 とうとう53歳になった。なぜ「とうとう」なのかと言えば、私にとってある区切りの年齢に到達したからなのである。
 かなり以前に、「十年ひと区切り」というタイトルで雑文を書いたことがある。23歳で社会に出、10年ずつをひとつの区切りとして生活や人生を組みたててやってきた、という主旨の文で、それぞれの10年には、その時期を象徴する名前がちゃんとついている。

 ●23〜32歳=「充電期」
 ●33〜42歳=「疾走期」
 ●43〜52歳=「転換期」

 この文を書いたのは40代の半ばで、53歳からの「予想」として、「悠々期?」という仮説をたてている。おそらくいまのような厳しい縄文生活は予想だにしてなかった時期で、まあ子育ても終わって経済的にも楽になり、妻と二人で悠々と人生を送ろう、などと甘美な計画を立てていたのだろう。
 時は流れて、とうとうその年がやってきてしまった。他人の子は知らぬ間に大きくなっているとよく言うが、なに、そんな自分自身だっていつの間にか年老いていき、年月の早さにふと気づいてあわてふためく。それが人生というものだ。
 ともかくも、これからの10年をどう過ごそうか、真面目に考え直さなくてはいけない時期なのだが、現実の生活が「悠々とした人生」には程遠く、「悠々期」という名はどうにも不似合で当てはまらない。はてさて、これまでを顧み、今を見つめ、そしてこれからを見据えて、いったいどんな名前の10年がふさわしいのか?誕生日を迎えたこの一月余り、ずっとそのことを考え続けてきた。

 年頭に掲げた「縄文期」という名がまず候補にあがった。だが「縄文」は生活の指針にはなるが、生き方全体を表す言葉としてはいまひとつしっくりこない。歴史上の一時代と区別しにくいという面もある。何かもっと相応しい言葉はないか…。そう思い直して、この数年をじっくり振り返ってみた。そしてようやくたどりついたのが、「再生期」という標記の名である。
 私自身の仕事の落ち込みから始まり、この一年余に、数多くの困難な事態が家族に持ち上がった。いいことは家族の健康と円満くらいのもので、(実はそれが一番大切なのかもしれないが)受難続きの昨今といってもいい。そのすべてを公表することはとても出来ないが、いつまでもその受難を甘受してばかりはいられない気分に近頃なり始めた。運命に逆らうことは出来ないかもしれないが、試練に耐え、再生に向けて一歩ずつ歩き出すことは出来る。

 そんな時期、インターネット経由で素晴らしい仕事仲間にめぐりあった。建築士の資格を持ち、自宅を拠点に10年間建築パースの仕事を続けている、私とよく似た境遇のSさんである。Sさんは私よりもひと回りも年が若いが、この不況下で断るほどの量の仕事があり、たまたま使っている3D-CGソフトが同じという偶然もあって、Eメールで仕事の一部を依頼してきたのだった。
 話が専門的になるので詳細は省くが、このSさんの仕事のやり方と造り出す世界が、私の全く知らない世界だったのだ。一言で言うと、パソコンのソフトを駆使し、リアリティをとことん追求するという姿勢で、完成した作品は、これまで私が見たこともないファンタジーで刺激的な輝きに満ちていた。それらの世界を、Sさんはすべて独学で編み出したという。

「まだまだやりたいことが頭の中にあるんです。手伝ってくれませんか?」

 Sさんはそう誘ってくる。利用してやる、という営利的意図からの言葉ではなく、私を同志として認めてくれているのがその目で分かったが、応ずるにはかなりの覚悟が自分にも必要な気がし、即答することが出来なかった。

 膠着した現状をもしも革命的に打開しようとするなら、Sさんの造る世界をなぞることがその切り札になるかもしれない、そんな確かな予感がする。いまは私にも出来るデータ作成業務のみを請負っているが、長年培ったノウハウを惜しみなく教えてくれるSさんを見ると、もう一度やってみるか…、と徐々に気持ちは動き始めている。
 離ればなれで暮してはいても、やはり父親は家族のリーダーであるべきなのかもしれない。そのリーダーがいつまでも意気消沈していては、家族全体に悪い連鎖を及ぼす。人生の半ばは確かに過ぎたが、老け込むにはまだまだ早過ぎる。年金が貰える年になるまでのあと10年、家族全体の「再生」へむけて、少しずつ歩き始めることにしよう。




ADSL/'03.1



 ついにと言うべきか、ようやくと言うべきなのか、ADSLを導入してしまった。直接のきっかけは、昨春から首都圏のインターネット関連会社に勤める長男からの情報である。
「父さん、篠路(札幌の我が家のある地名)でもADSLが使えるようになったようだよ」

 札幌北部にある我が地は、都会でありながら田舎の名残りが色濃く残っているある種の過疎地であり、電話局からの距離もはるか遠くて、ブロードバンドやら光ファイバーやらのネット最先端技術の恩恵には、当分あずかれないものとあきらめていた。半信半疑で調べてみると、確かに8Mと12MのADSLが導入可能とのネット審査結果が出た。どうやら自宅から2キロほどの距離に、中継局が出来たらしい。
 折しも仕事では数メガ単位のファイル納品が昨秋から相次いでいて、56K内蔵モデムでの細々とした送信では、業務に支障をきたし始めている。年明けからネットを使った本格的な事業拡大の構想もあり、いまこそ導入の時期到来かと考えた。
 電話とネットが同時に使え、通信速度が数十倍になるADSLはいいことばかりのようだが、現実の導入となれば、さまざまな障害が立ちはだかる。まずそれらを詳細にシミュレートし、何をどうするのが最も適切なのかを、冷静に判断しなくてはならない。

 ●年間必要経費:年間どれくらいの支出増になるのか
 ●初期設備投資:どんな機器を購入し、具体的にどう設置すればいいのか
 ●ネット環境の移行:現状のネット環境をスムーズに切替え可能か

 さまざまな情報を集めた結果、インターネット電話を利用し、電話代も含めて考えれば、年間の支出増はおよそ13000円。月換算で1100円弱で、ごくわずかであることがわかった。これくらいの差なら、導入による多くのプラス面を考慮すると、充分見合う投資である。

 必要な機器はADSLモデムをいつでもグレードアップ可能なレンタルとすれば、家の中の数台のパソコンを同時にネット接続するためのハブ内蔵のルータと、それらを相互につなぐケーブルをそろえればよかった。ケーブルの不要な無線LANも検討したが、設備投資と年間経費が増大するため断念。ケーブルを壁や天井の中にできるだけ隠し、有線LANでしばらく様子をみることにする。
 ルータは常時接続によるセキュリティ保護のために必須の設備で、MacとWinが混在していても問題のない製品を5000円強で入手。ケーブルは2台のMacのLANに使っていたものを転用するなどし、無駄な投資を極力省いたせいで、電話局の工事費を含めても初期投資額は1万円弱に収まった。
 日本中どこでも3分7.5円という電話料の安さから、接続業者はyahoo!に決定。対応が遅いという風評もあったが、申込んでわずか5日目に電話局の工事、6日目にはもうモデムが送られてきて、残されたのは家の中の接続工事だけとなった。




怪我の功名/'03.1



 屋内接続工事の最大の課題は、1階にある電話のローゼット(差し込み口)と2階にある3台のパソコンをいかにして美しく、機能的につなぐかだった。経費のかかる接続工事を外注するつもりはさらさらなく、さりとてケーブルを長々と床や天井に転がすのはデザイナーとしての気概と自負が許さない。日頃つちかったセルフビルドの技術をフルに活かし、なんとか体裁を整えなくてはいけない。

 家作りの連載でも触れているように、主に断熱と換気上の理由から、我が家の床下〜壁〜天井裏はすべてひとつの空間でつながっている。壁も床も簡易な構造用ボードで施工されているので、一部を取外したり切り取ったりし、そこにケーブルを隠ぺい配線するのはそう難しいことではない。試行錯誤の結果、家の中央にある1階天井を一部取外し、そこを中継基地としてケーブルを配線することにした。
 ところが、脚立に登っていざ作業を始めてみると、思っていたより難しい。慎重に釘を抜こうとしても、どうしても天井板に傷がついてしまう。大工さんがていねいに打ち込んでくれた釘は数十本もあって、全部をきれいに抜き取るのはとても無理な相談だった。

 開通は12月1日からにしたかった。こうすれば2ケ月間のもろもろの初期サービスが目一杯受けられる。あまり時間の猶予はない。鉄は熱いうちに打たねばならぬ。流れの中で計画が変更になるのはセルフビルドではよくあることで、障害が立ちはだかったときは臨機応変に対応するのが肝要だった。今回も当初の予定だった居間天井の取外しをすっぱりあきらめ、目立たない台所の天井の一部を細ノコで最小限度の寸法で切り抜くことを即座に決断した。
 切り抜き寸法は20センチ×24センチ。頭がぎりぎり入って天井裏の配線工事が支障なく出来、あとから簡単に蓋が出来るサイズだった。この寸法であれば天井板を支える構造材を一切いためず、なおかつ釘を一本も抜かずに作業を進められる。この半分のサイズの穴を1階と2階の中継基地ともなる位置の吹き抜けの横壁にもうひとつ開け、そこにルータを設置する。ルータの電源は2階の床換気口からケーブルを配線してとった。
 モデムは電話ローゼットとの距離が短かいほどノイズの影響を受けにくいので、最短距離の1階電話口に設置。そこから壁に小さな穴を開け、天井裏からの配線をつなぐ。開けた穴はコンセント用のプレートを使ってうまく隠ぺい。2階の3台のパソコンからルータまでは、それぞれの距離に応じた長さのケーブルを2階の梁の裏に配線。かくしてすべての作業はほぼ目標通りに首尾よく終了した。
 12月1日零時を待ちかねてすぐに試してみると、あっという間に接続に成功。ADSLの場合、ソフト上の接続の煩わしさは、ほとんどないといっていい。ファイル転送速度が平均150Kbpsで、これまでの50倍というスピードにただ満足。

 やむなく開けたはずの2ケ所の天井裏の穴は、実はいまだにそのままにしてある。1階天井に穴が開いていたほうが、この家の大きな売りであるパッシブ換気がうまく働くことが分かったからだ。
 パッシブ換気は自然の温度差を利用したクリーンな暖房換気計画だが、床下に暖房器を置いて暖気を家中に循環させるため、冬期に2階の温度が1階より1〜2度低くなることが欠点だった。ところが、たまたま1階天井に穴を開けたことで、床下〜1階〜天井裏〜2階にスムーズに空気が流れるようになったようである。
 これはかねてから試してみたいと思っていたことで、実にいい機会だった。まさに怪我の功名と言える。 (天井裏の穴はいずれ木製の換気スリットで隠す予定)




R計画/'03.1



 すべて予定通りに終わったはずのADSL導入だったが、いくつかの懸念がまだ残されていた。ひとつは外部インタホンとの連動である。
 最近の新築住宅では当り前のようになっているテレビホンが我が家にはない。インタホンはコードレスの電話器と連動していて、不審な来客は玄関横の細窓から目で直接確認する仕組みである。余分な配線工事が不要で、1階と2階にある受話器で、電話と来客のすべての応対がスクランブルに出来る、たいそう便利なシステムだった。ところが、このシステムがどうやらノイズの影響を受けやすいADSLには天敵らしく、送られてきたyahoo!のアニュアルにも、「インタホンと連動した電話は使用出来ないことがある」とうたってあった。
 最悪の場合、インタホンを買い替えねばならなかったが、設置後に恐る恐る試してみると、なぜかどちらも支障なく作動する。たまたま器械の相性が良かっただけかもしれないが、無駄な出費をせずに済んだことだけは確かだ。

 もうひとつはFAXモデムとの連動である。かなり前から、FAXを使うのは受信のみで、送信はすべてパソコン内蔵のモデムで直接送信していた。プリントアウトの時間と経費が節約出来、なおかつ汚れのない美しい文字と画像が瞬時に送信出来るので、クライアントの評判もたいそう良かった。
 ところがインターネットがADSLの常時接続となると、内蔵モデムは使わなくなってしまう。ADSLモデムにFAX機能はないので、場合によっては、以前のようにいちいち文章等をプリントアウトして送信する必要がありそうだった。
 いろいろ調べた結果、ADSLモデムとローゼット間で回線を分岐し、パソコンと直接回線をつなげてやればうまく作動するらしいことが分かった。ところがそうすると、せっかくの安いインターネット電話が使えない。そこでマニュアルを無視し、1階にあるFAX電話の出口に分岐口を取りつけ、そこから2階のパソコンとをつないでみることにした。うまい具合に、1階と2階にはADSL導入で不要になった電話配線があり、それを利用することにする。
 試しにちょっとした連絡を同業者に送ってみたら、すんなりと送信出来た。マニュアルをうのみにせず、なんでもやってみるものだとつくづく思った。

 昨年末からこの雑記帳でも一部触れてきたが、今年はずばり「再起」の年にしたいと思う。名づけて「R計画」である。本当は名前なんてなくたっていいのかもしれない。でも、昨年年頭に掲げた「縄文元年」「縄文生活」のうたい文句は、実に的確に昨年一年間の生き方、暮し方を示唆するものだった。何か事をするにあたって、タイトルやキャッチコピーは決しておろそかには出来ない。
「R計画」の中の「R」は、「Restart(再出発)」「Restore(修復、復元)」「Reset(再配置)」「Remake(再制作)」「Retructure(再編成)」などの言葉を統合的に象徴する頭文字だ。傷つき、疲れ果てた精神や肉体、そして家族関係を修復し、自己回復させようという遠大な計画なのである。
 ADSL導入もこの「R計画」の一環だった。導入直後から、他の計画も着々進行中である。インターネットに山のようにある資料を検索、ダウンロードし、いままでやろうとしてやれなかった新しいタッチの建築パース、そして建築アニメーションを構築中である。
 こうした制作作業はもちろん、大容量ファイルの納品、距離の離れたクライアントとの折衝等にも、幅広くADSLは貢献してくれるだろう。不公平な現状を打破するべく、小さいが確かな一歩を踏み出していきたいと思う。