第6話/下関〜鳥取  絶勝山陰道は胸突き八丁



第23日 下関〜萩 /1970.8.18(火)曇りときどき雨



《値段の価値あり、秋吉台鍾乳洞》

 小雨の中を東に向かってペダルを踏む。瀬戸内海に面する山陽を避け、あえてひなびた印象の強い山陰道を行くことにする。秋吉台着、11時。
 少し迷ったあげく、大枚350円をはたいて鍾乳洞内を見学して行くことにする。その価値あって、黄金柱、百枚皿、くらげの滝登り、どれもが迫力ある自然の彫刻。気分はすっかり観光客。
 80mのエレベーターを上って、社会の授業で習ったカルスト地形もついでに見る。霧が深くたちこめ、半袖シャツと短パンだと、寒くてたまらない。鍾乳洞を出ると、3時半になっていた。

 ゆるやかな坂道を上り詰めると、川の流れが北に変わり、山陰に入ったことを知る。6時、萩指月ユースホステル着。また雨になりそうなので、今日はここに泊まることにする。


《もうユースホステルはやめだ》

 今夜でもうユースホステルに泊まるのはよそうと思う。ユース自体は安くて良いのだが、泊まりにくる連中と僕との間に違和感を感じて、どうにも溶け込めない。
 彼らの会話といったら、どこの景色は良かったとか、どこどこで某大学の女の子を引っかけて(註:いまでいう「ナンパ」のこと)どうにかしただとか、早い話が、日常生活の会話と全然変わっちゃいない。馬鹿馬鹿しい。旅ってそんなものか?もっと他にあると思うが。ちょっと僕は考えが固すぎるかな。

 とにかく、やめます。相手してるだけで疲れますわ。ひとりでテント張って、まずいメシ食ってたほうが、ずっと気楽です。

●本日走行距離/97.9Km  ●走行距離合計/2205.7Km


 ユースに連泊したのは、この旅で最初である。雨のせいもあるが、なんといってもあちこちからいただいた餞別で、ふところに余裕が出来たせいだ。いままでなら通りすぎてしまうような観光地めぐりもしかり。
 その反動で、いままで見なくて済んでいたものが、いやでも気になり始めた。気持ちがあまりにも頑な過ぎて、多少の奢りが感じられる記述もあるが、当時の素直な心境だったのだろう。

 旅はやはりそれまでの自分のペースで続けるべきだ。そんな決意を新たにした山陰の第一夜である。




第24日 萩〜三隅町 /1970.8.19(金)曇り



《今度は距離メーターを落とした》

 萩は江戸情緒の残る不思議な雰囲気の街。侵入してくる敵をあざむくため、歴史的に街の道路が複雑に入り組んで造られている。白壁の家も数多い。


 益田への道は舗装が切れ、40キロほど延々と砂利道の悪路が続く。伊勢の山道で慣れてはいるものの、やはり辛い。
 砂利道の激しい振動でネジが緩み、距離メーターをどこかに落としてしまったらしい。3キロほども引き返し、道端でころがっていたやつをようやく見つける。2264キロを指したメーターを見てつくづく思った。ずいぶん走ったものだと。

 このあたり、道は悪いが景色は素晴らしい。かといって、特に国定公園などに指定されてるわけではない。思わず立ち止まって、しばし見とれる。ここの自然もまだ生きている。


《役場の宿直室にお世話になる》

 益田あたりで急にペダルを踏むのが嫌になる。日も暮れてきた。三隅町までイヤイヤ走る。川の土手で久しぶりの自炊。ユースよりも身体は辛いけど、やはりひとりだけの自炊のほうが落ち着く。熱いコーヒーも飲んで、さて、今夜はどこに泊まろうか?
 小学校のグランドで野球をやっている人たちに声をかけてみる。

「この小学校の廊下にでも寝かせていただけませんか?」
「なんだ、泊まるんなら役場に来いよ」

 役場の草野球チームの人たちだった。言葉につられていっしょに行ってみると、出来たばかりのとても立派な建物。勧められるまま、宿直室に泊めていただく。宿直の方に、土地の風土などの話を伺う。やっぱり土地の人の話には独特の味があっていい。

●本日走行距離/96.9Km  ●走行距離合計/2302.6Km


 長い旅を続けていると、これといった理由もないのに、どうにも旅が嫌でたまらなく妙な一瞬があるものだ。人生や夫婦と同じである。旅もすでに一カ月近く、これが「旅疲れ」とでもいうのかもしれない。本来なら一日でも足を休めて、しばしの休息をとればいいのだろうが、迫り来る日程でそれもままならない。

 砂利道の悪路ではパンクがつきものだ。しかも、100キロを越す総重量である。パンクに備え、暗闇でも15分近くで修理出来るよう、旅行前に何度も練習しておいたのは当然だった。
 しかし、奇跡というかタフというか、1+1/2インチという旅行用の特殊タイヤを装備した我が愛車は、3000キロもの過酷な旅の間、ただの一度もパンクせず、僕の頼もしい味方となってくれた。




第25日 三隅町〜多伎町 /1970.8.20(木)晴れときどき曇り



《台地の上でキャンプ》


 宿直の人に朝御飯をご馳走になる。

「島根ナンバーの車はおとなしいけど、鳥取ナンバーの車は運転が荒いから気をつけて」
 そんな「貴重」な忠告をいただいて、7時半きっかりに役場前を出発。

 浜田あたりから急に道が良くなる。ただひたすら北上するのみ。
 夜はキャンプ場ではなかったけれど、海岸の台地の上にテントを張る。国道のすぐそばで、トラックの騒音が夜通し響き、うるさいけれども構っちゃいられない。

 ラジオがまたまた台風の接近を告げている。これで9号、10号と連続攻撃だ。まったくよく来る台風の野郎だ。夜、雨が降り出さないようにと祈りつつ眠る。
三隅町役場前にて        


●本日走行距離/100.0Km  ●走行距離合計/2402.6Km


 鳥取県の方々の名誉のために付け加えると、言われたほどの運転の荒さは特に感じなかった。こうして日本中を回ると、やれ…県人には気をつけろだの、やれ…県人の通った跡には草木も生えぬだの、さまざまな誹謗中傷のたぐいが、当地では真しやかにささやかれている。だが、あくまで旅人の立場から言わせていただくと、僕にはそれほどの差は感じられなかった。
 長い間そこに住んでみて初めて見えてくるものが、きっとあるのだろう。同様に、行きずりの旅人でなければ見えない別のものも、確かに存在するのだ。




第26日 多伎町〜松江 /1970.8.21(金)雨



《またまた台風に出っ食わす》

 夜中の2時半、テントに当たる雨の音で目がさめる。しかし、まもなく止んで、また眠る。
 6時15分起床。素早くテントをたたんで出発。ラジオを点けたまま走る。ニュースは台風の中国地方接近を告げている。大粒の雨が空から落ちてくる。風も強い。
 こうごめんだ、台風は。松江にある島根大の寮に緊急避難しようと思う。

 出雲から道が平坦になり、晴れていれば左手に宍道湖を望む素晴らしいコースのはずが、いまは湖から吹き抜ける風が冷たく、ただうらめしい。水面も茶色に濁り、波が激しく岸に打ちつけていた。それにしても、旅行中に三度も台風に出っ食わすなんて…。
 通りかかったクリーニング屋さん、わざわざ車から降りて、

「君、台風が来てるんだよ。大丈夫かね?」と声をかけてくれる。
 う〜ん、あんまり大丈夫じゃないな。

 午後1時にようやく島根大雄翔寮を探し当てる。鉄筋コンクリートの立派な寮。どうにか助かった。
 この寮、男子寮と女子寮とが廊下でつながっていて、食堂が男女共用という摩訶不思議な造り。僕の寮と比べると、まさに天国と地獄。男の子と女の子が手を組んで寮内を闊歩する姿を見て、うらやましさを通り越してあっけにとられてしまった。

●本日走行距離/55.0Km  ●走行距離合計/2457.6Km




第27日 松江〜鳥取 /1970.8.22(土)晴れ



《20世紀梨にかぶりつく》

 台風一過。山陰は道こそ悪いが、さびれた感じがたまらない。蒸気機関車も多く、真っ黒な車体がこれまた山陰にはよく似合う。
 両側が田んぼの一本道をまっすぐ走る。相次ぐ台風の来襲で、すっかりペースを狂わされてしまった。稲の穂がもう垂れ始めている。陽射しもめっきり弱くなり、とても走りやすい。出発してからはやひと月、もう秋の気配が感じられるころになってしまったのか。

 道端で売っていた20世紀梨にかぶりつく。甘く、水分が豊富で、さすが本場の味。
 このあたりで5人のサイクラーのグループと挨拶を交わしたが、なんとそのうちの二人が女性。いいことです。女性もどんどんサイクリングやりましょう。

 鳥取大北斗寮は分かりやすい場所にあった。さすがは鳥取、砂丘のど真ん中に鉄筋コンクリートの寮がそびえ建っている。やっぱり大学の寮は気楽だ。もうすぐ夏休みも終わり。泊まり客も僕ひとり。

●本日走行距離/125.9Km  ●走行距離合計/2583.5Km




第28日 鳥取〜高浜 /1970.8.23(日)晴れ



《雄大…鳥取砂丘》


 朝、通りすがりにある鳥取砂丘を見物する。幅は浜松砂丘のほうが広かったが、奥行きはこちらが圧倒的に広い。なにしろ、向こう側にいる人間がケシ粒ほどにしか見えないんだから。
 見物客がいっぱいいたので、家族連れのお父さんに写真を撮ってもらう。

 この砂丘のど真ん中にテントを張っている豪傑がいた。さすがぁ。
 らくだを使った案内人がしきりに客をひいていたが、砂丘→砂漠→らくだという発想がなんとも安直で、こちらはいただけない。


《トラックに乗せてもらっちゃう》

 蒲生峠の頂上5キロ手前をヒイヒイ押して上っていたら、うしろから来た京都ナンバーのトラックがキーッと僕の横で止まり、

「ヨォ、兄ちゃん。大変やろ。乗ってきぃ」

 トラックの荷台は空だ。日程がかなり遅れていたし、肉体的、精神的にも参っていた。この向こうにはすごい峠が待ちかまえている。自転車の旅でヒッチハイクは邪道なのは分かっている。でも…。
 エーイ、乗っちまえ。甘い誘惑にはとうとう勝てなかった。後ろの荷台に自転車ごと乗せてもらう。

 しかし、文明の利器とはオソロシイ。汗水流して格闘してた、あの山、あの丘がひとっとび。ペダルを踏むのが馬鹿らしくなってしまう。
 いかんいかん、これはイカン。人間、楽をすることを一度覚えると、いつまでも楽をしたがる。こんなことをしていたのでは、旅の意味がない。もっと苦労しなくっちゃ…。
 福知山に着いたところで、早々に下ろしてもらう。それでも一番辛いときに、ずいぶん助かったのも事実だ。背中にべったり入れ墨をした、見るからに怖そうなお兄さんだったけれど、心根は優しい人だった。走り去るトラックに向かい、最敬礼。

 舞鶴で新日本海フェリーの支店に寄り、小樽へ帰るフェリーの予約をする。このあたり、女の子の肌の色ががらりと変わり、抜けるような白さになってくる。北陸は近い。


《トンネルを抜けると…》

 トンネルを抜けると「福井県」の道路標識がいきなり目に飛び込む。ついに北陸に入った。この辺ではもう稲刈りをやっている。早い。

 高浜町の海岸の防波堤でキャンプ、そして自炊。地面がコンクリートで平なので、良く眠れそうだ。今夜もコーヒーがうまい。

●本日走行距離/88.6Km  ●走行距離合計/2672.1Km


 振り返れば、まさにこのあたりがゴール直前の胸突き八丁だった。誘惑につられて20キロほどトラックに乗ってしまったのは、精神的にも肉体的にもせっぱ詰まった、ぎりぎりの状態だったからである。
 鳥取砂丘での写真を見ると分かるが、長旅ですっかりやせてしまい、まだ朝だというのに表情にも疲労の色が濃い。ひょっとして、かなり危険な状態だったのかもしれない。あとで計ってみたら、出発前と比べると体重は4キロ近くも減っていた。

 ともかくも旅は大きな山を越え、実りの秋の気配が漂う北陸のゴールへとなだれ込む。