感想メール広場


『親馬鹿サッカー奮戦記』完結にあたって、ここではみなさまから届いた感想メールをご紹介します。 (上のほうが新しいお便りです。なお、文中の敬称は省略させていただきました)



大人げ無く泣きました


 初めまして。先月 TOM様のHPを偶然見つけ、そして「親馬鹿サッカー奮戦記」読ませて頂きました。実は今会社のPCからメールしています。(自宅PCが壊れ、買い替えも今のところ予算無く(涙))
 泣きました。大人げ無く泣きました。TOM様親子に感激しました。 感動しました。仕事中周りを気にしながらも 、二日で奮戦記を読破。はっきり言って給料泥棒状態でした。でも、読まずにはいられなかったです。
 全ページプリントして帰宅、家族に読ませました。読み始めた途端、黙りこくって 読み始めました。私はこれを3回読みました。そしてそのたび泣きました。友達にも見せました。タクヤ君が今もサッカーを捨てずにいた事を皆で喜びあいました。
 そして今 「父が息子に残すもの息子が父に贈るもの」 読み始めました。私の息子が この本を横取りしそうです。私は、「読み終わるまで貸さない! 」と取り上げました。

 TOM様のHPに出会えて良かった!
 TOM様の本に出会えて良かった!

 有り難うございました。またこの本読みながら泣きます!
(こんな感想で失礼しました)
(これから仕事始めないと!)
('03.12.5 /感涙ママ)

 感動、感涙のお便り、どうもありがとうございました。軽い興奮状態が私にまで伝わってきます。HP連載を全ページプリントアウトし、ご家族でお読みいただいたそうで、大変なエネルギーをお使いなさったことでしょう。おまけに本までお買い上げいただいたそうで、書き手としてはこれに勝る喜びはありません。
 この物語りを書き上げてからはや6年、本が出てから2年半にもなりますが、いまだにこうした感動、感涙のお便りが途切れることはありません。本の売り上げもおかげさまで「スポーツノンフィクション」「子育てノンフィクション」の常に上位を占めています。ありがたいことです。
 実はこの本、近々韓国でも翻訳され、出版されます。無名の新人の書いたものとしては、大変珍しいことのようです。サッカーを通した親子の物語に、どうやら国境はないようですね。




「夢」を応援したい

 こんにちは。高校1年のサッカー少年の母親です。検索していたら偶然こちらのサイトと出会いました。
「親馬鹿サッカー奮戦記」読ませていただきました。まるで我が家のような出来事が次々書かれているので、とても人事とは思えず、共感しまくりで涙を流しながら読んでしまいました。ほかの方の感想も拝見いたしましたが、ほんとにみんなそれぞれのドラマがあるのだなと驚いたり感動したり…。
 我が家もどっちかと言えば父親の方が息子のことには熱心です。毎日毎晩、サッカーの話で息子への父親からの叱咤激励が飛び交ってます。私はそんな二人をもう長いこと見ているだけですが、我が家のことながら、とても素敵な親子だと思ってます。今までの10年間の悲しい出来事、つらい出来事、最高に輝いてた出来事、そんな数々の出来事は何よりも大事な価値のある宝ものだなって思います。

 息子は小6のころ、ある地区代表の10番でしたが、その活動は思っていたものとはかなりかけ離れていました。中学2年の頃、やはり息子も所属していたクラブチームをやめてしまいました。有名な方が何年か前に立ち上げたチームでした。でも、そのひとが実際来て練習を見るわけでもなく、実際には指導者の資格も持たない若いコーチが、ただグランドに集まらせ勝手に練習してるようなかんじでした。
 有名なチームなのに、なぜもっときちんと指導しないのだろうとか、ボランティアならともかく、Jの下部組織よりも、いや、下手すればそれより高い月謝を払ってまでこんなチームにいなければならないのかとか、いろいろ不満だらけでした。息子もこのクラブチームの「中盤がない」サッカーがとてもつまらないといつも言ってました。出番もあったり、なかったりの繰り返しでした。
 でも今考えると、なぜ私は最後まで息子とお父さんを応援してあげられなかったんだろうと思ってます。結局は私たちは「環境」や「他人のせい」にしていたんだなと後悔しています。
 生活には決して余裕がある家庭ではないけれど、もう少し我慢して続けさせてあげればよかったのではないか、と思うときがあります。たとえどんな環境でも、どんな指導者であっても、それを越えられるように、私がもっとプラスに考えて二人をひきとめ応援していたらよかったのではないかな…と。

 そのあとやはり我が家も中学の部活に移り、中体連の大会でも良い結果は残せず…、卒業。そして現在は、地区では必ずベスト4かベスト8には入っているシード校の私立高でサッカーをやってます。(全国大会出場経験や、昔ですがJリーガーになった選手もいます)
 我が家には子供が3人おり、そのうえ2年前にマイホーム購入という怖い挑戦をしてしまったため、私立はとても無理と思ってましたが、特待生ということで入学金も免除、授業料も公立並みで助かりました。
 でも、遠征代だけでもお金がかかり、もう貯金も底をつきました。それでも親馬鹿な私は、これは誰にも言ったことはありませんが、いつか息子が代表のユニホームを着て君が代を歌う姿をイメトレして、かなうことはないと思いつつ、一生懸命働いてます。そんな夢でも見ないかぎり、とてもじゃないけれど毎日きつくて働けません…。

 現在もこれからも…、私は息子やお父さんが「夢」をあきらめないかぎり、二人をずっと応援していきたいです。中学のときのように、途中で見ているのがつらいからと、父と息子を応援することから逃げたくないのです。どんな監督でもどんなコーチでも、どんなに苦しくても、やれるだけやってほしいです。
 もちろん、現実的にはプロにはなれないとも思いますが、サッカーにかかわる仕事に将来息子がつければいいなと私は思ってます。

 長々と自分のことばかり書いてしまいすみませんでした。これからもきっとさまざまなドラマが我が家にも起こると思いますが、そんなとき、菊地さん親子のサッカー奮戦記、きっと何度も読み返すでしょう。素敵なお話、そして共感できるお話にめぐり合えてとてもよかったと思っています。どうもありがとうございました。
('02.11.14 /応援ママ)

 胸にせまる感動的なお便り、まるで我が事のように読ませていただきました。高校1年といえば、結果がどう出るか、ぎりぎりの年頃だと思います。息子さんの経歴は私の息子のそれよりも、はるかに輝いて見えますが、それでも決して道は平坦ではなかったのですね。
 我が家ではすでに「敗者」としての結果が出てしまったわけですが、結果はどうあれ、サッカーという共通言語を通して家族がひとつになれた、それが一番大切なことだったんじゃないか、と近頃は思っています。
 息子さんとご家族の将来に幸多きことをお祈りしています。




再読して御礼

 前略、私も語れば長くなりそうな親馬鹿でございます。
 今年、息子が高校1年になり、今までと違ったサッカーに面しています。思えば、貴殿のページを拝見した頃、私どもは少年サッカーの渦中におりました。読者の皆様と同様の感動を受けましたが、メールをすることにはためらいがありました。私どもとあまりにも似た境遇のドキュメントに、「そうだ、そうだ」としか言葉が出てこない小生の未熟さに憤りを感じ、心中は応援しつつもメールは出来ませんでした。
 ところが昨年暮れ、息子の進学とサッカーに関して親子の間でいろいろなことが起こりました。今年になり、ようやく高校サッカーのまっただ中に身を任せる息子を見て、「親馬鹿サッカー…」を何度も読み返す日々が増えたのです。読むたびに新しい心境になる自分には、どうしても「親馬鹿サッカー…」が人ごとではなく、激しく感涙することもありました。
 かつては息子に思いきり私の身勝手な期待を背負わせたことで、彼のサッカーを大きく変化させてしまったことを悔やみつつ、いま彼が自分のためのサッカーを目指し始めたことが好転であり、一生続けていこうとしている彼をそっと見守れる心境になったことは、更に私が「親馬鹿」の度合いを深めたのだなと自覚しています。

 小6の時のジュニアクラブチームで逃した全国への切符を、息子は中3のJr.ユースチームでも逃してしまいました。心機一転、ユースチームではない高校でのサッカーを息子は選択しました。サッカーはこれほどまでに新しい目標を与えてくれます。
 息子は選手肌ではなくスタッフ肌が合っていると、兼ねてから私は感じています。きっと、貴殿の「親馬鹿サッカー…」と違った結末が待っている気がしています。この続きもいずれまたメールさせて頂ければ嬉しく存じますが…。
('02.7.20 /HM)

 息子さんとの長いサッカー人生、まだまだ途中のご様子ですが、折々に拙文をお読みいただいてるそうで、大変ありがたく、またうれしく思いました。
 16歳といえば、ある意味でサッカー人生の岐路に立たされているといった感がいたします。少なくとも私の息子の場合はそうでした。いろいろ考えたすえに高校サッカーというひとつの結論を出されたのですから、あとはこの道をまい進することを祈るのみでしょうか。スタッフとしての道も確かにひとつの選択肢ですね。
 いずれにしても、サッカーを通して共有した息子さんとの時間は、お二人にとってかけがいのない財産となるはずです。息子が社会人として自立し、家を出たいま、私はそれを強く実感しています。息子との間にサッカーがあってよかったと…。
 サッカーに関わる親子が1000組いれば、1000組のドラマがそこにあるのだと思います。HMさんもこれからの息子さんとの時間を大切になさってください。「続き」をときどきお知らせくだされば、喜んで読ませていただきます。




手探りの一年

 こんにちは。以前、スポ少のサッカーのコーチをひきうけるかどうか迷っている時にメールしたものです。結局、コーチを引き受け、4級審判員と少年少女指導員の資格を取りました。現在、監督とお父さんコーチ(偶然にも小、中、高の同級生)と自分の3人で21人の子供を見ています。
 この一年、いろいろいい経験をさせてもらいました。手探りでやってきましたが、公式戦で一勝することもできず、卒業する六年生には申し訳ないと思っています。(四年生以下の試合は勝ったのですが)今後はもっと勉強して、自分のレベルを上げていきたいと思っています。少年少女サッカーフリー会議室等、参考にさせてもらいます。
 話は変わりますが、『父が息子に残すもの息子が父に贈るもの』をスポ少用にと2冊買いました。(今注文中です)父兄の方にぜひ読んでもらいたいです。また、私どものチームもホームページを開設しました。よろしければ、ご覧になってください。それでは、失礼します。
('02.2.4 /井上 賢)

 本を2册も買ってくださったそうで、大変ありがとうございます。井上さんのお子さんはまだ小さいはずでしたが、コーチを引き受けられたのですね。自分の子供がいないチームの指導を引き受けるのは勇気がいります。頭が下がります。形は少し違いますが、私は自分の子供が卒業してからも6年コーチを続け、いろいろと苦労しました。
 指導はもちろん、初めてのチームで勝つこともまた大変難しいことですが、熱意さえあればいずれ結果はついてくる気がします。アットホームな雰囲気のホームページを拝見し、そんな印象を持ちました。




私も一言…

 こんばんは!はじめまして!何時ごろから読み始めたか定かではありませんが、「親馬鹿サッカー奮戦記」一気に読ませていただきました。気が付いたら、こんな時間になっていました。
 わたしは、日高管内様似町に住み3人のサッカー少年を息子に持つものです。(現在中2・小5・小3)たくさん共感できる部分があり、時には声を出して笑ってしまったり、「あるある」「そうそう」なんてつぶやいてみたり・・・。
「うちの息子もプロを目指してもいいのかな?」などと考えていたわたしにとって、将来息子がつまずいた時、心の支えになってくれるような気がしました。すばらしいHPに出会えたことを幸せに思います。
 ・・・ありがとうございました。
('01.4.12 /プリン(^0^)/より)

 もう出尽くした感がありましたが、まだまだ感動してくださる方はいらっしゃるようです。それにしてもメールの時間が夜中の1時20分とは!書き手としてはとてもありがたいですが、三児のお母さんとしては他人事ながら少し気になったりします。
 発売中の「父が息子に残すもの息子が父に贈るもの」は、「親馬鹿サッカー奮戦記」を原案としたいわば完全版です。口幅ったいですが、「子育てのバイブル」として、ぜひお手元に一冊どうぞ!




一気に読みました!

 初めまして、九州は福岡県在住の1957年生まれの「ロジスパ」と申します。「親馬鹿サッカー奮戦記」一気に読ませていただきました。イヤ・・正確には涙・鼻 水をティッシュで拭きながらです。
 自宅にPCを持っていないため、会社のPCでネットサーフィンをやっておりまして、サッカー関連のリンクでたどり着きました。かれこれ六時間ほど夢中に成っているところです。

 私の息子も小学2年生から福岡県古賀市にあるクラブチームでプレイをして今春、中学一年生となり、地元中学校のサッカー部で汗を流しています。私自身も小学生時代にサッカーの経験が多少有り、サッカーは大好きなスポーツのひとつです。
「奮戦記」の中で紹介されている出来事と同じようなことが私自身にも有りました。息子が中学でもジュニアユースでやると申しましたので、監督にヨロシクと挨拶をしたのもつかの間、ひと月あまりでやめると言い出し大いに憤慨いたしました。
「別に親父の私がジュニアユースでのプレーを助言したわけではない、自分で選んでおいて・・」
 今の時代にそぐわないのかもしれませんが、「一度男が決めたことをウンヌン・・・」とやったわけです。一週間ほど息子と会話がなく、視線も合わさない。初めての事でしたが、こちらのほうが馬鹿らしくなりました。ただ、やめたい理由は何なのか?私にも問いかる方法はあったと反省をしています。しかし何とか現在では中学校の部活動に専念しているところです。

 私もまだまだ、親馬鹿サポーターをやめられません!息子のチームの活躍を心の中で大声で応援したいのです!!感動の文章を有難うございました。「爺馬鹿サッカー奮戦記」楽しみにしております!!
('00.10.30 /ロジスパ)

 息子さんのジュニアユース退団騒動、お父さんとしてはさぞショックだっだことでしょう。私の場合は親子納得づくでしたが、それでもあとあとまで引きずりました。
 最近よく考えるのですが、どうも子供とは「友達のように仲よく」ではなく、「壁のようになって真正面から対決する姿勢」のほうが、一時的に血は流れても、長い目でみれば結局子供にとっても親にとっても、いい方向にむかう気がしてなりません。
 ロジスパさんもこれから息子さんといろいろなあつれきがあるとは思いますが、どうか正面から向かい合っていって欲しいと、勝手ながら思います。
「親馬鹿サッカー奮戦記」ですが、実は近々自費出版の予定がありまして、ただいま準備中です。11月中にはホームページでも通販する予定ですので、もし本として手元に置いておきたいとか、チーム回覧用に一冊とかのご要望がありましたら、ぜひご利用ください。




親馬鹿を目指しています

 はじめまして。「親馬鹿サッカー奮戦記」を楽しく、時には涙を流しながら読ませていただきました。私にも現在1歳2カ月になる息子がいますが、いずれはサッカーをやってもらいたいと思っています。近所に2つの小学校からなる少年団のチームがあるのですが、来年にはそれぞれに分かれるようです。現在のコーチ(4名います)は隣の地区に住んでいるため、分かれたあと私の地区のチームにコーチがいなくなるというのです。
 それで、監督と面識のある私に「コーチをやってくれないか」という話がきています。が、中学校時代しかサッカー経験がなく、子供にも教えた事のない私に勤まるのか、でもいずれは子供が入るチームだから存続させて強くしなければ、と日々葛藤しています。
 コーチを引き受ける引き受けないは別として、練習方法など勉強だけでもしておこうと思い検索していたらここにたどり着きました。これを読み、サッカーに対する情熱さえあれば自分にもできるのではと勇気付けられました。また、これからの息子とのかかわり方に大変参考になりました。ありがとうございました。今後いろいろ悩むことがあると思いますが、その時はまたメールさせてもらいます。
('00.9.9 /井上 賢)

 息子さんが1歳で早くも親馬鹿ぶりを発揮!といったお便りです。コーチとしての知識や技術はあとからどうにでもなりますが、情熱ばかりはそうはいきません。私の場合も「チームをつぶしてなるものか!」という意地みたいなものから出発していますから、井上さんの場合と同じような動機と言えます。今後のご健闘をお祈りしています。




本当に幸せな毎日

 はじめまして、札幌市に住む親馬鹿親父の1人です。2人の息子がおりますが、上の子は中1で市内のジュニアユースクラブチームで、下の子は近くのサッカー少年団でサッカーをしています。知人より薦められ、親馬鹿サッカー奮戦記を見始め、一気に読んでしまいました。
 舞台も札幌であることから、かなり身近な話題に感じ楽しませていただきました。特に親と子の関係、やり取りなど私の場合とダブりやっぱり親の気持ちはこうなんだとか、あの時息子にはこうな風に接してあげれば良かったとか考えさせられることが多く、息子たちとの今後の関係に参考にさせていただきたいと思います。

 私の少年期は“巨人の星”が大ブレイクで、野球は知っているがサッカーについての知識など皆無に等しい状態でした。上の子が小学校三年生になった時に「野球かサッカー、どっちかの少年団にはいれ」と強制した時に、息子とのキャッチボールを1人夢見ていた私に「サッカー以外考えられない」と言いきった息子に当時はがっかりしたものです。
 そうはいっても親は親、息子の試合を見るたびにワールドカップを見る以上の興奮を覚え、すっかり親馬鹿の道にはまってしまい、息子の試合の追っかけはもちろん、ビデオでの反省会、練習などと今のところ子供たちのおかげで本当に幸せな毎日を過している実感があります。
 私も子供たちと良く朝練をするのですが、トムさんが黄昏のグランドで感じたように、朝靄のグランドで誰もいない広い場所で自分たちだけの世界にいる感覚はまったく同じかも知れませんね。本当に気持ちの良いものです。

 話は変わりますが、実は下の子(現在5年生)が今年の春に少年団を移籍しました。理由は以前の少年団の監督の指導に強い疑念を感じたためです。その団の指導者は監督の上に総監督がおり、総監督は中学の教諭をされていたせいか人格者で非常に尊敬しておりますし、他のコーチの方も熱心な指導で何の不平もなかったのですが、監督だけはどうにも納得できないことが多かったのです。
 試合中はプレーの良くない子にベンチから名前を大声で連呼するだけで具体的指示を出さない。名前の呼ばれた子供はどうしてい いのかわからなくなり足が止まる。するとまた名前を連呼するといった具合で、大会本部から注意を受けることもありました。
 試合の後も、他の指導者に周りに聞こえているにもかかわらず、あいつはだめだとかお構いなしに話し出す。それを聞いている子供たちは試合中にチームメートを気遣うどころか、非難し始めました。あるときは負けた後、せっかく休みを取ったのにこんなんではこないほうが良かったとか。父兄の前ではベンチでイエローカードを受けたことを自慢気に話し、それでも方針を変えないと公言したり、およそ人格を疑うことばかりといった感じでした。
 少年団はスポーツを通しての地域の少年育成の場であるという建前があります。これは理想であり、現実的には奇麗事ばかりではやっていけないのは判ります。また指導者はボランティア活動で、どうしてもボランティアを受けている子供や父兄は弱い立場にあります。でもそうだからこそ、指導者がやってはいけないことがあるはずです。そんな疑問を持ちながらすごしておりましたが、子供がサッカーを止めたいと言い出したことをときっかけに、そんな人間のためにサッカーそのものを止める必要がないと思い、すぐとなりの少年団へ移籍をすることとしました。(本当は近くではなくクラブにでもいれたかったのですが、経済的にも厳しいので)
 先日の試合で上の子のチームの監督が息子をみて、のびのびやっているなといったそうです。それを聞いて私ども夫婦は移籍して本当に良かったと感じています。やはりサッカーをやっているそれぞれの家庭で、それぞれのドラマがあり面白いものですね。

 長々と愚痴をこぼしているようで申し訳ございません。そんなこんなで今では下の子もサッカーそのものに打ちこんで日々がんばっております。上の子は左サイドバック、下の子は主にボランチのポジションに起用されており、とくに上の子はなれないポジションでつらいようですが、タクヤ君がプロを夢見ていたように、上の子は札幌選抜を、下の子は区の選抜を夢見て練習している今日この頃です。私ももう少し親馬鹿を続けて子育てをしていけるようで楽しみです。
(00'.8.25 /親馬鹿親父 )

 サッカーを通した子育てを本当に楽しんでおられる様子が、文章から伝わってきます。下の息子さんのチーム移籍の問題にしても、親として真正面にぶつかって対処している姿勢に、共感を覚えます。こんなお父さんのいる家庭では、少年犯罪など無縁でしょう。日本中が皆「サッカー親馬鹿」(またはスポーツ親馬鹿)になることが、いまこそ必要なんじゃないのか?近ごろ世間を賑わすやりきれない犯罪をみるたび、そんなことを思ってしまいます。




感動いたしました

 親子サッカー奮戦記を読ませていただき、ありがとうございます。感動しました。
 僕には、3人の息子がいて、上から7歳、6歳、2歳のだんご3兄弟の父です。高校、大学と部活動でサッカーをやっていました。今でも、地域のリーグでたまにボールを追っかけています。
 息子さんのご苦労は結構わかります。うちの上の息子らにもサッカーを幼稚園の年長からさせており、末っ子にも、やわら かいボールを蹴らせているほどのサッカーおやじをしています。Jリーグの試合もたまに見につれていっています。
 高校生の時にプロに憧れたことがありますが、単なる憧れで終わってしまいました。だけどそのような憧れを持つことは、とっても大事ですよね。それに夢に敗れることもいいことだと思います。特に、プロのサッカー選手になるという夢は、静岡県ですらサッカーを本気でやってる1000人に一人の狭き門なので、まずかないません。でも、これは破れて実にさわやかな夢なんですよ。こんなサッカー選手に憧れさせたくて、息子たちにサッカーをやらせています。

 自分がサッカー経験者なので、小学生チームの試合に行くと、それこそ監督をしてしまいそうなほど熱中してしまいます。子供よりも自分がのめりこんでしまいそうですよ。いま少年団のにわかコーチをしていますが、いろいろ勉強したりしているうちに、だんだん熱心になってしまいます。息子たちやそのサッカー仲間が、どこまでもどこまでも栄光につきすすんでい けたらなと思うのは、どの親も同じでしょう。そんな夢を見させてくれる子供はすばらしい存在だと思います。
('00.8.2 /匿名希望の親ばか)

 息子と同年代の仲間が大学卒業時期を迎え、顔見知りの幾人かがプロ入りしそうです。中には全道大会で息子よりも成績が下だったチームからの選手がいたりして…。
 そんなニュースを耳にするたび、(どこで差がついたのかな…)と複雑な気持ちになったりしますが、この記録をよく読んでみると、いくつかのキーが隠されていることに気づきます。簡単に言えば、「スキル(技術)」「フィジカル(体力)」「メンタル(精神)」の3つのバランスを高いレベルで最後までキープし続けられる選手が、最終的な夢をかなえられるんじゃないのか?ということです。
 息子はそのうちの幾つか、あるいは全てを成長の過程で失っていったのだと思います。でも、「破れて実にさわやかな夢」という言葉に、なんだか救われた気がします。匿名さんも「サッカー親馬鹿」を充分堪能なさってください。




親馬鹿に感動

 はじめまして。神々のふるさと出雲からおたよりします。小学4年生の男の子(晃平)の母です。もちろんサッカーやってます。しかも、スポ少とクラブチームと掛け持ちで。

 職場のパソコンで仕事中に「親馬鹿サッカー奮戦記」を読んで感動しました。特に第5話からは、息子たちのこれからの姿と重なって涙が出そうになりましたが、机でパソコンに向かって泣くわけにいかず、あわててトイレに駆け込んで涙を拭いました。

 息子の幼稚園からの親友(H君)が、才能を買われ、スポ少でもクラブチームでも、おまけに市のトレセンでも5年生と一緒に練習しています。その子を筆頭に、今年の4年生は今までのチームとはどこかが違うと言われ、2年後の全日を目指して頑張っています。
 4年生の監督が私の高校時代の同級生のご主人(公務員、サッカー暦30年)、コーチは2年前に赴任してきた小学校の先生(サッカー暦25年)で、これまた高校の同級生(高校・大学とバリバリのサッカー部でした)という関係です。

 私自身は、子どもがチームに入るまでサッカーとは縁のない生活をしていましたが、今年のお正月に高校の同窓会があり、同級生コーチの「僕はH君をつれて全国大会に行く、晃平も連れていってやるから」という言葉を聞いてから、すっかり少年サッカーにハマッテしまい、さっそく、保護者会の4年の役員を引き受けてしまいました。
 でも、母親ばかりがサッカーに夢中で、父親はちょっと冷めている(本当は野球をさせたかった!?)のが悩みの種です。

 パソコンは初心者ですが、ちょうど今年度から職場で一人に一台ずつ買ってくれたので、仕事の合間に全日の情報を探しているうち「サッカーやろう」からここにたどり着いたというわけです。
 すごいページですね。1日かけても全部を拝見できませんでした。もうすぐ、家でもインターネットをつなぐ予定なので、またゆっくり見させていただきます。
 札幌には昨年の夏休みに家族旅行で行きました。大通り公園のジャガイモととうもろこしおいしかったです。
 では、また。(^.^)/~~~
('99.6.11 /Kouhei MaMa)

 心暖まるお便り、うれしく読ませていただきました。出雲は学生時代に自転車旅行をした折、いろいろな人々に親切にしていただいた、懐かしい思い出の地です。息子さんの全日行きが実現するといいですね。




同じ親馬鹿っているもんだ!!

 「親馬鹿サッカー奮戦記」を読んで驚きました!!、ここまで私と同じ様な”親馬鹿”が世の中にいようとは…。

 東京杉並でサッカークラブに入っている小5の父親です。小1からサッカーを始めた息子を見るにつれ、多少なりともセンスが有りやと思い、経験の無い私としては雑誌、新聞でサッカー教室開催を見つけるとはじから応募して連れ歩き、試合とも成れば妻共々欠かさず熱烈追っかけサポーターと化し、ビデオを回し、息子のプレーを見ては一喜一憂しております。
 私も同じように、息子や息子の子供達と一緒にサッカーをやって来ましたが、これがきっかけで私が進んだ道はコーチではなく、この年(現41才)で人生初のサッカーを初めて早2年程に成り、自ら同じプレヤーとして息子へのアドバイスをし、競い合ってもおります。
 もっとも、片や伸びる一方、片や老いる一方で最近ではとても叶わなく成ってしまいましたが…。

 それにもまして似通っているのがタクヤ君と息子の状況で、
>上級チームの中で息子のポジションがオフェンシブハーフ、
>当時はまだ小柄で、体格のいい上級生の中ではかなり見劣りがした。
>息子の武器は天性の身体の柔らかさだった。その柔らかいボールタッチから繰り出されるパスやドリブル、シュートは上級生の中でもそれなりに機能したのだ。

 のくだりまでそっくり、更には性格までも、
>チームエースのはずの息子は、格下の相手には得点を重ねるのに、強豪相手のここ一番の場面になるとなぜか得点出来ない。息子には今までの連載でもお分かりのように、大舞台なると少し臆するところが…

 その通りと思わずうなずいてしまいました。

 まだ今年小5では有りますが、今までの数々の試合での思いで、息子のシュートで勝った試合、息子のミスで負けた試合、PK戦での悶々とした気持ち、それなりのサッカー関係者からの賛辞には…と思ったり、大事な試合で今ひとつの動きに腹を立てたり等、私ども親子のことを書かれているようで、驚き、笑い、ちょっぴりしんみりと読まさせていただきました。

 中学生以降はタイムマシンに乗った様な気持ちで、息子の将来と重ね合わせて、育て方、息子への指導方法等、これからの親子関係に大変参考に成りました。
 ”親馬鹿奮戦真っ最中”の私としては、これから先息子がどう育ち、どこへ進むのかは未知数ですが、サッカーがどうのこうのは別にして、少なくとも奮戦記のような親子関係が私と息子の間にもできればと、先輩親馬鹿を見習って息子共々頑張って行きたいと思っております。
('99.4.8 /杉並の親馬鹿)

 確かに、かって私と息子を取り巻いていた状況によく似ています。「力と力」で息子と張り合おうとする姿勢は、父子関係において、とても大切だと私は思っています。
 中学生以降は、あまり私たちに似て欲しくはないですが、こればかりは神のみぞ知る…という部分もあるでしょう。今後のご活躍とご幸運をお祈りしています。




「親馬鹿サッカー奮戦記」に感動

 私は昨年から小樽の某少年団のコーチを引き受け、練習方等を検索していてたまたまリンクし、参考にさせて頂いた者です。(良かった)会社で気分転換に「親馬鹿サッカー奮戦記」を拝見させて頂きましたが、ハマッテしまいました。

 私は1956生まれで、もう42歳になってしまいました。サッカーは小6から始め、中学3年生で全国大会出場(第2回大会)しましたが、レベルの差をおもいっきり感じました。当時は炭坑が多い北海道空知地区は、サッカーも強豪高が多く、インターハイ、選手権等に私の母校である美唄工業、三笠大谷(のちに高見)がよく出場していました。
(「サッカーマガジン」や「赤き血のイレブン」にも載っていました)

 社会人となってからは、空知リーグでは何度も優勝出来ましたが、北海道地域リーグではさっぱりでした。道民体育大会(国体予選)での3位が最高でした。

 その後、しばらく現役をはなれ「親馬鹿サッカー奮戦記」同様に、2人の息子に期待していました。長男、 二男は札幌のS小でプレーさせて頂き、長男は釧路での全道大会につれていってもらえました。(兄はサブでした)
 二男が4年生の時に小樽へ転勤となり5、6年生と全道大会に出場でき私も親馬鹿でした。その少年団のコーチが転校等で不在となり私に白羽の矢が飛んできました。
 3年前から四十雀でプレーしていましたが、ブランクは大きく先輩殿より走れない、動けない、届かない・・・マイッタナーと思っていた時のコーチの要請、体力つくりには子供達とプレーすれば四十雀の為にも成ると安易に考え、コーチ就任となりました。

 それからが大変、監督さんの家庭の事情、あと2人居るはずのコーチの事情で30名以上の子供達をほとんど私1人でコーチングとなりました。
 結果は優勝1回、2位2回、3位4回(新人戦、フットサル含む)予選リーグ敗退は1回だけとまずまずでしたが、全道大会へは行けませんでした。3年連続出場を目指していましたが、代表決定戦でまさかの延長逆転負け5−6でだめでした。フットサルも数年連続全道大会に行っていましたが今年はダメでした。でも、子供達は精一杯のプレーをしてくれ新米コーチとしては、ある程度満足しています。

 子供達は「あやつり人形」ではないと私はいつも考えています。だから試合中は「ナイスプレー」「ナイスキック」等子供達の考えでプレーさせ、ハーフタイムには軽くアドバイスをするだけです。
 楽しくないのに勝ったサッカー、何も考えず言われたままやって勝ったサッカー、すごく楽しかったけど負けたサッカー等、色々有りますが、「自分で考えるサッカー」が楽しく、面白いサッカーだと私は考えています。
 出来ないプレーを試合中にやれと行っても出来ないと思います。それは、練習で教えてあげて、10回に1、2回出来たら試合でプレーさせてみて、1回でも成功すれば、選手の自信になり自分でさらに上のプレーを目指していけば良いと思います。指導法も年齢やレベル、個性に応じた指導が大切だと考えています。
 わずか1シーズンの経験で偉そうな事を言って申し訳有りません。今後も菊地様のページを参考にコーチングを学ばせて頂きます。
('99.2.9 /チエゾー)

 情熱あふれるコーチ1年生の方からの有意義なメールでした。今後のご活躍をお祈りしています。




なんと親孝行なタクヤ君..

「親馬鹿サッカー奮戦記」仕事中に一気に読んでしまいました。私も涙無しでは読めませんでしたが、ちょっと違った観点から涙してしまいました。
 私の父親はとても頑固な人でした。それとともに、とてつもない親馬鹿でもあったらしいです。この父親を去年亡くしましたが、考えてみると親孝行なことなど何一つした覚えがありません。
「親馬鹿……」を読みながら、自分がしてきた何倍もの親孝行をしているタクヤ君の姿を追い、かつ「うちの父親も自分がこうだったら、どれだけうれしいだろうな」と考えて泣けてきました。

「脱サラ日誌」もこれから先の展開を楽しみにしてます。大変だとは思いますが、更新頑張って下さい。
('98.12.4 /鈴木久留磨)

 同じ文章でも人によって色々なとらえ方があり、様々な思いが交錯するものなのだな、ということをお便りを読んで改めて感じさせられました。どちらにしても、自分の書いた物で泣いていただけるということは、とてもうれしいことです。ありがとうございます。




親馬鹿も卒業しかけの私です

 私も「親馬鹿……」を楽しみに読ませて頂いていました。小学校時代の部分は、「自分の息子を自慢している嫌なヤツ!」と言うのが率直な感想でした。しかし、中学生になってクラブチームか部活かというあたりからがとても読み応えが出てきました。
(小学生時代の背景が有ったから、より一層中学生年代以降のテーマに充実感を感じたのだと思いますが)
 私にも小学4年の終わりからサッカーを始めた中学3年の息子がおります。私も「子供の追っかけ〜審判〜コーチ」というお決まりのコースを進んできました。今思えば、サッカーを始めるのが少し遅かったかなと言う感じもしますが、とりあえずは選抜だの代表だのと言う言葉とは無縁のところで、いわゆる弱小チームの主力選手としてポジジョンはほとんどCFでがんばってきた息子です。
 そんな息子も進学先の高校をそろそろ決めなくてはいけなくなってきたわけです。一応この地域で一番優秀な学校と呼ばれているF高校か、F高校に追いつき追い越せとがんばっているH高校か悩んでいます。幸い勉強の方はそこそこと言う感じですので、一応どちらでも大丈夫なようです。(中略)

 この「親馬鹿……」の奥の深さと言うのは、「自分のこどもが小学生年代でチームの主力として活躍している保護者には、分からないだろうな」と感じています。でも、そういう保護者の方に是非呼んでほしいと思い回覧したいと思ってます。
 他のコーナーにも有りましたように、プレーしている選手は子供で親はどうあるべきか?は、大きなテーマだと考えます。現在私が携わっているチームの代表が常に、「親馬鹿は大変結構でも馬鹿親は困ります。」と言っているのですが、ご多分にもれず後者に限って分かっていないと言う状態です。この「親馬鹿……」が「馬鹿親」が「親馬鹿」になってくれるためのバイブルとして何とか活用させて頂きたいと感じました 。
 私個人としては、自分の息子が世話になっている「サッカー」という競技に自分なりに少しでも貢献できればと、協会や何やらといろいろとお手伝いさせて頂いてきましたが、そろそろ一息いれても良いかなと思ったりもしている今日このごろです。
('98.12.1 /Atushiの父)

 長いメールをありがとうございました。一部を掲載させていただきました。
 この連載を書き始めたとき、息子のサッカーはすでに結果が出ていましたので、「小学校時代はプロを夢見たが、あえなくついえた」という敗者の視点で描こうというもくろみが最初からありました。必要以上に小学校時代を「自慢げ」に描いたのも、後半を対比的に描くためのある種の演出だったのかな、とご指摘をいただいて初めて思いました。




タクヤくん親子の生き方に感動!

 愛知県にすむかげやまともうします。あちこちからサーフィンしてここまできました。わたしの息子は 小学校5年生タツヤと申します。お宅のお子様と同じように幼稚園からサッカーをはじめて、もう8年目になろうとしています。
 息子さんが大きくなっていく(精神的にも)文章を読みながら、自分の息子もこんな風になっていくのだろうかと思ったしだいです。

 今、うちの息子は地元チームでサッカーをしています。3年生の時からキャプテンをまかされ、今にいたっています。来年早々の新人戦にむけ先日選抜チームの発表がありました。ありがたいことにチームの頭として残ることができましたが、選抜チームに残らなかった友達のことを思うと親としても残念で仕方ありません。自分とペアを組んでがんばってきたディフェンスのK君。彼がいなければ・・・とかなり落ち込んでいました。片腕をもがれたような気分らしいです。
 私達がみていても彼と息子の連携プレーは「暗黙の了解」ともいえるナイスフォローが多かったからです。息子にとっても試練の時かもしれません。
 これからの問題は中学へいってからだと思っています。息子はサッカーが続けていきたいといっていますが、中学にはサッカー部がないので今のクラブチームのジュニアに残るつもりでいます。そこで問題は部活との両立です。どこまでやっていけるのか・・・と心配していますが、彼の人生タクヤくんの様にたくましくあってほしいと思っています。
 突然のメールで失礼いたしました。
('98.10.30 /かげやまあつこ)

 息子さんが選抜チームに残られたそうで、なかなか優秀ですね。 喜ばしいことです。連載にもありますように、私の息子の場合はすれすれで落ちてしまったので、その難しさはよく知っています。
 文章から察するに、選ばれても天狗にならず、落ちた友人を気遣っているようですから、その謙虚さを忘れない限り順調に延びていくことでしょう。今後のご健闘をお祈りしています。




親ばか予備軍です

 はじめまして@奥村と言います。
 親馬鹿サッカー奮戦記を読んで感動しました。あやうく大学の研究室で泣いてしまうところでした。(いや〜危ない)サッカーを通じての親子の絆が良かったです。私も将来息子が出来た時、参考にさせて頂きます。いい親子(家庭)ですね。
 どこからこのホームページに入ったのか忘れてしまったのですが・・実は、ホームページを立ち上げたばかりで、私もサッカーについて書こうと思ってるのですが、少し興味を覚え”何書いてるのかなぁ”と思い見てみたのが、きっかけです。

 実は将来子供には、サッカーをやらせたいと思っている”親ばか”予備軍です。また、出来れば素人ながらにもコーチまでいかなくても子供達のサッカーチームのお手伝いが出来ればいいな。と漠然と思っていました。なので、おっ、これはと思い一気に読んでしまいました。
 しかし、少年団のコーチや監督というのは、やはり大変な仕事のようですね。また、サッカーでは子供の頃の指導者がいかに影響力があるのか良くわかりました。才能をつぶすつぶさないは、指導者,環境が大事なのですね。もっとも本人のやる気が一番ですが・・・。また、他のところもおいおい読んでみたいと思います。これからも頑張って下さい。
('98.10.25 /@奥村)

 親馬鹿予備軍の方からのメールです。ありがとうございます。サッカーを通して、子供たちの手助けをしてあげたいという心意気に感心しました。将来、きっとよき指導者になられるでしょう。応援します。




ウルウル涙で拝見しました

 親馬鹿サッカー奮戦記に感動しました。
 現在39歳、小5の息子と京都の少年サッカーチームで全日出場を目指す親馬鹿サッカー親子です。小2、小3の2年間転勤で神奈川の藤沢に住みました。そこで地元の少年サッカーにはまってしまい、楽しい2年間を過ごしました。当時の事を思い出しウルウル涙で拝見しました。

 当時、試合を見に行ってるうちに試合前の光景が気になりました。自チーム試合前に審判割り当てがあり、監督が審判してる間、子供たちはジャングルジムやすべり台で野放し状態。相手チームは監督コーチとミーティング。監督が帰って来る頃には子供たちはセンターサークルでキックオフ。チームが落着き出すのはハーフタイムの監督指示が出てから。
 これではアカン!監督に審判させてたら、こいつらいつまでたっても勝たれへん。「審判は俺がやる」と叫んだ時に、どこで手に入れたのか審判試験申込書を目の前に差し出したのが女房でした。
 そんなこんなの2年間、監督補佐のコーチとして大輝を含む14人の子供たち親たちとの奮戦記を繰り広げました。3級審判試験もそろそろ狙うかとなったころ地元関西への帰還命令。監督子供たちとの涙涙の別れでした。

 関西はサッカー熱も低く、各小学校土曜日に3時間、全学年に監督1人のお遊びサッカー。火・木・土・日どっぷり練習と試合になじんだ息子には物足りず、土日に水曜練習もあると言うだけで現在のチームに入部。常に京都の上位、10年前全日優勝、京都の名門SSだとは入った後からわかった事。当然、各学年にコーチがおり、4級審判のにわかお父さんコーチなど入り込める余地などなく寂しい思いの毎日でした。
 一方、息子は勝利至上主義ながらも基礎・テクニック・戦術と確固たる指導力を持ったSSでめきめき上達し、元お父さんコーチはサポーター兼、次から次へだめになるスパイク提供スポンサーになってしまいました。
 でも、あの楽しかった子供たちとの2年間が忘れられず、いつか…の為に4級審判更新だけは続けています。

 長々とメールしてしまいました。「親馬鹿サッカー奮戦記」素敵な感動ありがとうございました。かげながら今後のご活躍応援させて頂きます。
('98.9.9 /桜ヶ丘の4級審判)

「親馬鹿まっただ中」の同志からの長いお便りでした。追っかけ→審判→コーチ→子供が自分の手を離れてしまう、といった過程が私と実によく似ています。しかし、どんな形でも親は子供に関わっていけると思いますよ。サッカーを通した時間を息子さんと共有していけるいまを、大切になさってください。ご声援、ありがとうございました。




涙なくしては読めません

 よもやま会議室でお世話になった、「迷える親ひつじ」です。会議室では皆さんのご意見を頂きまして、本当に有難うございました。おかげで親子共々現在のチ−ムでサッカ−を続ける勇気がつきまして、相変わらず頑張っております。
「親馬鹿サッカ−奮闘記」ついに完結してしまいましたね。第1話から感動しながら読まさせてもらいました。回を重ねるごとに感動が高まり、涙なくしては読み続ける事が出来ないくらい、心を揺さぶられました。
 特に、中学に入学してからのJrユ−スクラブから学校の部活への編入部の「拓也君」の心の葛藤、高校入学への決意、高校時代の伸び悩みと監督へのわだかまり、そして最後まで情熱を持ち続けたサッカ−への思い等々、拓也君の成長が手に届くように描写されていました。

 私の息子は現在小学6年で、拓也君に負けじ劣らずのサッカ−大好き少年です。「親馬鹿サッカ−奮闘記」を読みながら、おそらく息子も将来同じ悩みにぶち当たるのだろうと思いました。
 父親として、息子に何をしてあげられるか?それは男としてどう生きるかの助言程度だと思います。それをTOMさんは見事にやり通しましたね。
 最終話「息子の旅立ち」では拓也君の頼もしくなった後ろ姿を誇らしげに眺めているTOMさんの笑顔が見えました。父親として息子に恵まれ、息子と共に悩みまた喜ぶ時間をサッカ−を通して共有できる私は今、本当にうれしく思えてなりません。
 TOMさん、本当に感動の超大作巨編を読まさせて頂きまして有難うございました。
('98.6.11 /迷える親ひつじ)

 このお便りを読み返すたび、溢れ出す熱い想いを抑えることが出来ません。人によっていろいろな読み方があるとは思いますが、ここまでくみ取っていただくと、「書き続けてよかった」と心から思います。ありがとうございました。




プリントして回覧しています

 とうとう完結しましたね、「親馬鹿サッカー奮戦記」。しかし子供さんの人生には、これから文章に表せないような素晴らしいことが待っていることでしょう。
 私がTOMさんのホームページに出会ったのは、昨年の8月頃。子供がサッカーをしている関係で「親馬鹿サッカー奮戦記」を興味深く、かつ楽しく読ませていただきました。

 子供の友達で同じようなサッカー一家に、「親馬鹿サッカー奮戦記」をプリントして回覧しています。(TOMさんの許可を得ていませんでしたすみません)その家は、長男小6(私の娘と同学年)次男小4(私の息子と同学年)3男小1、すべて、私のところと同様に、全員サッカー小僧(娘、親)なのです。しかも次男の名はタクヤというのです。そのうち感想を聞いておこうと思います。
 次は「親馬鹿 子育て奮戦記」でも書きますか?楽しみにしています。
('98.6.11 /柏のカズ)

 いつもいろいろなコーナーにメールをいただいている柏のカズさん、今回も早々とありがとうございます。プリントまでして見ていただいているとは!何だか気恥ずかしいです。
「子育て奮戦記」ですが、すでに答えが出ている娘に的を絞ったものなら、何か書けるかもしれません。女の子の育て方で、いろいろ考えることもありますので…。




思春期をやり直したい…

 突然ですが、はじめまして戸田といいます。

「親馬鹿サッカー奮戦記」毎回楽しみにしていました。ぼくが読み始めたのは、第八話あたりまでアップされていたところで、輝かしいサッカーの記録の数々に中学校でどうなるんだろうとわくわくしながらアップを待っていました。
 しかし回が重なるにつれ、もどかしい展開というか、作者の「親」であるがゆえの申し訳無いとか、こうすればよかったんじゃないかという悔いの思いが出てくる場面が何度かあって、先がもう決まっているのに「うまくいけばいいなあ」とはらはらしてしまいました。
 で、最終話のところで、結局インターハイ予選の試合が最後の公式戦になってしまったという部分で、こちらもすっかり力が抜けていました。

 第一話から読み直してみると、小さな子供が思春期を超えて大人になっていく過程が、親の眼線から書かれているので、自分の思春期の頃に想いを帰しながら、ダブらせて考えていくと、とても切ないような、やり直したいような気がしてしまいました。
(実際に、ぼくはもう今年で30になるのですが、今だ学生でモラトリアムが続いているためであるかもと想えますが)
 それと、ぼくの弟も一年半ほどしていたので、新聞配達の住み込み奨学生というのは、とても大変なものだということを知っています。実際大変だったろうなあ、とも思いました。
(いろいろな人がいて人間の嫌なところが見えることが多いという意味でです)
 ながながと、下らないメールでしたが、これからも楽しみにしておりますので、無理なさらないように長く続けてください。
('98.6.11 /戸田)

「中学校編」あたりから物語の展開がもどかしく、前半のイメージより暗くなってしまったのは自分でも分かっていました。「事実を事実として包み隠さず表現する」という一点ではうまくいったとは思いますが、もっとユーモアのセンスを散りばめるなどし、工夫すればよかったと反省しきりです。
 それにしても、この連載が「親馬鹿」の立場の人ばかりではなく、かってはサッカーに熱中していた元サッカー少年や、特にサッカー経験のない方にも広く読まれていたことを知り、大変うれしく思いました。




わたしにも何か出来るのでは

 始めまして、親馬鹿サッカー奮戦記を読ませて頂きました。わたしも今小学生6年生の子供を持つ父親ですが、小学校3年の時から息子がサッカーをしています。ポジションはFWです。(性格としては向いているとわたし独りよがりかもしれませんが、思っています)
 わたしもサッカーは、息子がやりたいと言い出すまで全然知りませんでした。わたしも親馬鹿ですから、サッカーの試合だけは、必ず応援に行きます。読ませて頂いて、わたしにも当てはまる事が多くありました。
 仕事の関係もあるのですが、いままで練習を見てやることもできませんでした。今年は小学校最後の年なので、父親らしい事を何かしてやりたいなと思っていたところです。わたしにも何か出来るのでは、と勇気づけられました。
('98.6.10 /takeshi)

 最終話をアップしたその日にいただいた、記念すべき「完結感想メール第1号」です。息子さんが少年団最後のシーズンだそうで、「サッカー親馬鹿」としての楽しみは、まだまだこれからですね。