海峡を越えてきた叔父


        1994.6  菊地 友則


 結婚式はフィナーレに近づいていた。場所は東京にある区立の結婚式場である。出席者は五十人ほどで、派手な演出もない小さな式だったが、主役である私たちは満足だった。式場選びから披露宴の演出、そして式の費用のすべてを自分たち二人だけの力でやりとげたのだから。
 それはまさに、手作り結婚式と呼ぶにふさわしい式だった。
「ウェディングケーキくらいやらないと、式そのものが白けちゃいますよ」
 従来の結婚式の殻を打ち破りたい、という私たちの願いに、式場の関係者は、あまりいい顔をしなかった。だが、結局私たちは自分流のやり方を押し通した。
 結婚生活とはゼロから築きあげてゆくもの。そのスタートを自分たちの力だけで切ることに、私たちはこだわった。

 祝宴は佳境に差し掛かっていた。彼女の叔父にあたる人がマイクの前に立つ。彼女に父親はなく、この叔父が事実上の父親代わりである。彼は朴訥な語り口で挨拶を始めた。
「父親を早く亡くした関係で、これといったことは仕込んでおりません。ですが、ただひとつだけ仕込んだことがあります。それは、どんな苦労にも耐え得る辛抱であります」
 ざわついていた会場が一瞬静まる。辛抱は仕込むものではないことは誰でも知っている。叔父が言いたいのは、そんなことではなかった。
 結婚生活に必要なものは、ある種の忍耐だ。新婦である私の姪には、それだけは備わっている。あとは、君たちで築きあげてゆけ。私には彼女の叔父がそうエールを送ってくれているように感じられた。叔父の気持ちがうれしかった。
 三泊四日の瀬戸内方面へのささやかな新婚旅行から戻ると、私たちは手土産と結婚式の写真を持ち、叔父の家に挨拶に出向いた。
「立派なものだね。兄貴が生きてたら、喜んだだろうに」
 式の写真を見つめながら、ポツリと叔父がつぶやいた。叔父の目許が、心なしか潤んでいるように思えた。

 私の意識は光の中を漂っていた。暖かく、やわらかな光の中で、私は光の子供たちを追い回していた。私が手を延ばし、その心地好い光を放つ七色のベールをはがそうとするたび、子供たちはふいに方向を変え、再び私に向かって手招きをする。私と子供たちは、もう随分長い間そうやって、飽きることのない追いかけっこを繰り返していた。
 不意に光が重みを増す。光の子供たちは、たちまち深い闇の底へと消え去ってゆく。私の意識は、急に鮮明になる…。
 ぼんやりとした意識の向こうに、盛り上がった布団が見えた。いつもと変わらぬ朝の寝室の光景だった。家の中の静けさで、まだ起きる時間ではないことが分かった。しかし、寝室のカーテン越しにさしこむ朝の陽光は、横に眠る妻の布団を柔らかに包んでいた。
 私はなんとなくそれに安堵し、再び眠りに落ちようとした。と、そのときだった。まだ完全に覚めきっていない視界の中で、何かゆらゆらとうごめくものを私は感じた。
それは眠る妻の首すじあたりに漂っていた。青い煙のようでもあり、顕微鏡の中のアメーバのようでもあり、はっきりとした形には見えなかった。
(あれはなんだろう…)
 自分がまだ完全に眠りから覚めきっていないせいでそんな物が見えるのだろうと最初は思った。だが、そうするうち、その青黒いガスのようなものは、次第にその形を鮮明にし始めていた。
(人だ!)
 私は思わず心の中で叫び、妻を揺り起こそうとした。だが、その瞬間、私の体は固く硬直し、全く身動きがとれなくなってしまっていた。
 青黒いガスのような物体は、相変わらず妻の首元を漂っている。小さな頭と細い両手がゆらゆらと揺れ、妻の首を締めつけるように動く。それはまるで妻にとりつく悪霊のように私の目には見えた。不思議なことに、体は全く言うことをきかないのに、なぜか視界だけははっきりと開けていた。
(お教だ、お教だ…)
 あせる気持ちを押さえ、悪い夢を見たときや金縛りになったときにいつもそうするように、私は胸の中で必死にお教を唱えた。そうして、息を大きく吸い込んだ。
 瞬間、硬直していた筋肉が弛緩し、私の身体はようやく自由になった。そのとき、妻の体を覆っていた得体の知れぬものは、まるで私から逃れるかのように素早く妻の体から離れ、寝室の上部にある小さな換気口の奥に吸い込まれるように消えていった。
 私は布団の上に起き上がった。たったいま目の前で起こったことは、いったいなんだったのだろう?そのとき、私の気配で眠りから目覚めたのか、妻が薄く目を開け、不思議な言葉を発した。
「う〜ん、あれぇ、変な夢見ちゃった。……叔父さんの夢…」
 なんと、妻の口から出たのは、結婚式の時に父親代わりを務めてくれた叔父の名だった。背筋を再び冷たいものが走り抜ける。
(……叔父さんだって?)
 叔父は数年前にすでに亡くなっている。確かそのとき、妻は身重で通夜には行けず、私が代理で行った覚えがある。その後、妻は叔父の墓前を訪れたのだろうか?私は必死で記憶をめぐらすが、はっきりとは思い出せない。
 何事もなかったように、妻は再び寝息をたてている。私は恐怖に身がすくみ、その後再び眠る気にはとてもなれず、かと言って妻を起こして真偽を確かめる気にもなれず、夜明けの布団の上でただ狼狽えていた。

 十日余りが過ぎた。妻にも私にも、特に変わったことはない。私は数日前のあの朝の出来事を、いつまでも妻に言い出せずにいた。
 こうした体験を実際にした人なら分かると思うが、自分が見聞きした奇妙な出来事を誰かに話すのは、何かのたたりがあるようで、ためらいがあるものなのだ。
「あのさ、……叔父さんのことだけど」
 ある日、思い切って私は妻に切り出した。
「え、叔父さんがどうかした?」
 妻の顔は屈託がない。
「この前、明け方に叔父さんの夢見てたよね?」
「えっ?いったいいつのこと…」
 妻には全く記憶がないと言う。しかし、私はあの朝、確かに妻の口から叔父の名を聞いたのだ。しかも、妻の胸元にそれらしき青い霊体が訪れていたその直後に。
 私は事の一部始終を妻に話して聞かせた。
「叔父さんが亡くなってから、お線香あげに行った?」
 私たちが住み慣れた東京を離れて北海道に移り住んでから、やがて五年が過ぎようとしていた。
「ええ、もちろん行ったわよ。でもそう言えば…」
「そう言えば何?」
 驚きの表情で話に聞き入っていた妻は、こう言葉を継いだ。生前叔父は兄弟の中でただ一人東京を離れ、遠く北海道に移り住むことになった姪(つまり、私の妻)のことをいつも気にかけていたと言う。
「もしかすると、私たちの様子を見に…」
 私は結婚式のときのあの叔父の言葉を思い出していた。

 もしも妻の推測通りだとすると、私が見たものは遥か津軽海峡を渡ってきた叔父の霊そのものということになる。しかも、それは妻の夢枕に立ち、私の目の前に姿を現した。それは、たたりでも何でもなく、死してなお身内の安否を気遣う、優しき叔父の霊だったのではないか…。