お助けの数珠


        1993.12  菊地 友則


 私は自転車のペダルを踏み続けていた。南国の強い日ざしがアスファルトの路面に照りつけている。放浪の旅に出てから、はや二十日。車輪に取りつけられた小さなメーターは、やがて千五百キロをさそうとしていた。
 場所は宮崎県の堀切峠。北では決して見られないシュロの樹が道の両側に並んでいる。もうすぐ頂上だ。汗が背中を伝い落ちる。私はペダルを踏む足に力をこめた。
 遠くの道端にチカッと光るものがある。なんだろう。ガラスかな、と最初は思ったがそうではない。もちろん、鏡でもない。光が紐のようにつながって見える。私は自転車から降り、ゆっくりとその光るものに近づいた。  真っ白い数珠だった。紫の房がついている。私の母親は寺の娘だったから、数珠は見慣れている。別に何の変哲もない数珠だった。だが、何かおかしな感じがした。そもそも、交通量の激しい国道と数珠との取り合わせが、ひどく不釣り合いである。それに、なぜあんなに遠くから光って見えたのだろう?
 私は数珠を手にし、あたりを見回した。落とし主を捜すためだった。だが、あたりには人っ子一人見あたらない。 放浪の旅に数珠はいらない。いらないと分かっているのに、なぜか捨てる気にはなれない。私に拾ってもらうため、その数珠がそこで待ち受けていたような気がしてならなかったのだ。
 私は数珠を自転車のハンドルの間についているベルにしっかりと結びつけた。特に意味はなかったが、そうしたかったのだ。

 三日後、強い雨と風の中、私は熊本県人吉市に向かう川沿いの急な道を走っていた。今日中に人吉の国民宿舎に入るつもりだった。
 強い台風が九州に近づいていた。北国に生まれ育った私は、台風の本当の怖さを知らなかった。台風が来るのはラジオで分かっていたのに、無理な峠越えをやろうとしていた。
 道が次第に険しくなるにつれ、風雨もその激しさを増した。通り過ぎる車は既に一台もない。道の左側は切り立った崖。右側は数十メートルの断崖絶壁である。その絶壁の底には、日本三大急流の一つである球磨川が水かさを増し、荒れ狂う竜のように激しく渦を巻いていた。
 私は疲れ果てていた。肉体も精神もすでに限界に近づいていた。風はいよいよ強まり、坂道はますます険しく私を拒絶する。私は自転車を降りて押し始めた。目的地まではまだ遠い。ラジオは台風の九州上陸を叫び続けていた。
 坂が幾分緩やかになった。押してばかりでは距離をかせげない。私は再び自転車にまたがった…。
 瞬間、強い風圧を感じた。突風か。バランスを大きく失う。自転車は私と荷物を加えて、ゆうに百キロは越えている。その自転車がふわっと、実にふわっと風に運ばれる。 私は道の左端を走っている。そのつもりだった。しかし、意に反して自転車は右端のガードレールへやすやすと運ばれる。その下は断崖絶壁の濁流だ。
 自転車がガードレールに接触するのがわかる。反動で上体がガードから飛び出す。真っ赤に濁った濁流が視界いっぱいに迫る。
(落ちる…)
 私はその時、初めて「死」に直面した。

 どれくらいの時間が過ぎただろうか。ほんの一瞬の出来事のはずなのに、随分長い時間だったような気がする。
 私は何か強い力に引っ張られ、道路に引き戻されていた。気がつくと両手はしっかりとガードレールを掴んでいる。どうしてそんなことが出来たのかはわからない。自分にそんな力が残っていたこと自体が不思議だった。
 自転車は無残に横転し、カラカラと空しく車輪が回っている。私は生きていた。助かったのだ。
 ガードレールから這い上がるとしばらく身動きが出来なかった。ボロボロの身体と魂をひきずり、私は近くの屋根つきのバス停に長い間座りこんでいた。雨も風も一向に治まる気配がない。拾った数珠がそんな私を励ますように、チリーンと小さな音をたてた。

 それから三年の月日が流れた。私は東京にいた。故郷を離れて社会人としての第一歩を踏み出していた。私の就職先は建設関係の会社だった。
 就職して三週間目くらいのころ、どこかの現場に研修を兼ねて新入社員が見学に行くことになった。
 作業服に着替えて少し離れた駐車場に歩いて向かう途中、急に雨が振り出した。私は雨がかからぬよう右手をメガネの上にかざし、小走りに駐車場へと向かった。
 狭いT字路を駆け抜けようとした時、右の腰にずしりと鈍い痛みを感じた。最初は人にぶつかったのだと思った。だがそれは人よりも大きく、黒く、重かった。
 車だ。激しいブレーキの音がきしむ。私の身体がふわっと浮かんだ。フロントグラスの中の運転手の顔が大写しになる。
 私の身体は空に舞い上がっていた。あの九州の台風のときと同じように、それはとても長い時間に感じられた。通りの向こうに見えていた電柱がぐんぐん近づいてくる。
 電柱の下には、誰かの食べたラーメンの丼が重なっている。折れた割り箸が丼に刺さっている。食べ残しのナルトが汚れたスープの中に浮かんでいる…。
 死神が微笑んでいるというのに、なぜそんなつまらないものがはっきりと見えたのかは分からない。だが、それはまるでビデオのポーズボタンを押したかのように、頭のスクリーンにはっきりと焼きつけられているのだ。  私の身体は頭からアスファルトに落ちてゆく。
(このままだと死ぬ…)
 そう思った時、どこからか(右手、右手)とささやく声が聞こえた気がした。その瞬間、なぜか右腕がすっと延びた。
 私は柔道の受け身のような形でアスファルトに着地し、そのままくるくると地面を転がっていた。起き上がってみるとかすり傷ひとつない。
 運転手が血相を変えて降りてくる。
「大丈夫ですか!?」
 駐車場から会社の人も駆けつけてきた。
「あんなに飛ばされてよく生きてたねぇ」
 としきりに首をひねる。聞けば、軽く十メートルは飛んだという。私の運動神経は鈍いほうだ。もちろん柔道の経験もない。だが、私の胸のポケットには、あのときの数珠が入っていた。
 それは単なる偶然だったのか。とっさに出た「火事場の馬鹿力」のようなものだったのか?
 そうではない、という強い気持ちがどこかにあった。私は不思議な力の存在を信じたかった。あのとき以来、いつも数珠を肌身離さずにいたのも、そんな力の存在をどこかで信じていたからである。

 さらに月日が流れた。私は長年勤めた会社を辞めて独立し、故郷北海道にいた。上の娘が小六の時、夏休みのキャンプが計画された。妻はクラスの役員を務めていたため、運営を手伝わなくてはならない。自由業で時間のやりくりのきく私も応援に駆り出された。
 私の役目は店で買ったスイカを家で冷やし、夕方キャンプ場まで届けることだった。キャンプ場までは車で小一時間で行けた。
 その日、私は忙しかった。あっという間に約束の時間が迫っていた。出先から家に戻ると、いつもなら必ず車を駐車場に入れるのに、その日に限って家の横を通る国道に停めた。少しの時間が惜しかった。
 家に入り、浴槽で冷やしておいた六個のスイカを手早く箱に詰める。それをかかえ、ドアに鍵をしめてまた国道に走る。この間、五分足らずである。
 スイカの箱を両手に抱えたまま、私は子供のようにそこに立ち尽した。車がない。どこにも見えない。顔から血の気が引いた。買って一ヶ月足らずの新車だった。まだローンもろくに払っていない。
(車泥棒…)
 私はポケットを探り、キーの所在を確かめた。ちゃんと抜いてある。だが、キーなしでもあっという間にケーブルを接続させ、エンジンを始動させるプロの手口がすぐに思い浮かんだ。
 スイカの箱を道端に放り出し、私はそこらを走りまわった。目撃者を捜すためだ。幸い、すぐ近くに通行人がいた。
「あ、あの、ここに止めてあった白い車知りませんか?」
「え?ライトバン?ああ、あれならさっき誰かが乗って行ったようだけど」
(やはり車泥棒か)
 それでも諦めきれずに、私はあちこちを探し回った。途中でエンストでも起こして犯人がどこかに乗り捨てたかも知れない。
 国道の向こう側に渡り、ある会社の駐車場を見たとき、どきりとした。私の車だ。いやまて、あんな車種はどこにでもある。ナンバーを確認する。91……間違いない!私は胸の動悸を押さえ、そっと近づいて中の様子をうかがった。
 誰もいない。ドアに手をかけると、あっけなく開いた。しかも、車はどこも壊されていない。おかしい、どうやってここまで運んだ?私はおそるおそるキーを差し込んだ。一発でかかった。サイドブレーキをゆるめようとした。かかりが甘い。
(そうか!サイドブレーキだったのか…)
 最初止めた場所が悪かった。そこはゆるい下り坂だった。サイドブレーキを引いたつもりが、焦っていたのでかかりが甘かったに違いない。車泥棒などではなく、車は暴走してこの駐車場へ…。
 そこまで考えて論理の矛盾にすぐ気がついた。この片側二車線の通行量の激しい国道を、サイドブレーキのゆるんだ車が運転者もなしに横断することが、はたして出来るだろうか?しかも、車は無傷で駐車場に停車している。停めた場所からハンドル操作なしでこんな場所に来ること自体不可能だ。第一、さっきの通行人は「誰かが運転して行った」と確かに言っていた。いったい、誰がどうやって運転したというんだ?
 真夏だというのに、私の身体は冷水をかけられたように覚めわたった。
 ふと思いついて、私は車のダッシュボードを開けてみた。その奥には、やはりあのときの白い数珠がひっそりと横たわっていた。私はまた不思議な力に救われたのだった。


〜その後の数珠〜

 この話は、私自身がこの二十数年間に体験した、ひとつの数珠にまつわる三つの不思議な話です。もちろん今でもその数珠は、私の車の中のダッシュボードの中にあります。
 拾った場所が国道添いだったこと、そして不思議な経験がすべて交通に関係することだったこと。そんなことから、車の中があの数珠の置き場にもっともふさわしい気がしてならないのです。
 この不思議な数珠の霊力はまだ残っているのでしょうか?それとも、すべてただの偶然で最初から霊力などなかったのでしょうか?
 私は最後の事件で通行人が言っていた「誰かが運転していた」という言葉が忘れられないのです。いつか、私もその「誰か」の姿を見るような気がしてなりません。