縄文の日々をめざして


 
ドリップコーヒー.... 2005/秋



 暑い夏も去って、コーヒーが旨い季節になった。インスタントではない本格コーヒーにこりだしたのは、大学に入った時期だった。学生街に日替わりでストレートコーヒーを飲ませてくれる喫茶店が開店し、そこに行けばマンガ週刊誌がタダで見られることもあって、10枚綴りのチケットを買って足しげく通った。
 当時、本格コーヒーを出す店には、「サイフォン」「パーコレーター」「ドリップ」の3種類の落し方があり、どちらかといえばサイフォンが全盛で、この器具をそろえて自分でコーヒーを入れている人もごくわずかだがいた。
 セットしてアルコールランプをつけると、誰でも大きな失敗のないコーヒーが入れられるところが、一般受けしたのだろう。

 しかし、「プランタン」という名のその店は、すべて手作業と勘が頼りのドリップ式にこだわっていた。豆をその場で挽き、ネルドリップとホーローのポットを使って、客の目の前で1杯ずつていねいに入れてくれる。
 お湯はポットに温度計を差し込み、その都度目盛りで温度を確認してから注ぐ。注ぎ方とタイミングにも、マスターしか知らない独特の手順があるようで、ほとんど職人芸に近いその技を見るのも楽しみのひとつだった。

 マスターとはすぐ懇意になり、いろいろ話を聞いたりしているうち、いつしかその手順を目と耳で覚えた。就職して道具や豆を買える身分になったら、同じようにして自分で入れてみたいと思った。

 社会人になって東京で働くようになってから、少しずつ器具をそろえた。ねらいはドリップ式一点で、まずはイギリス製のコーヒーミルを1万円も叩いて買った。当時の私の初任給が6万円だったから、とんでもなく高い買物だった。(写真1)
 コーヒーミルは電動のほうが楽だが、電動式はモーターの熱が豆に影響し、微妙に味が変わるという。手動の製品も数多く出回っていたが、欠点は時間がかかることだった。しかし、このコーヒーミルは優秀だった。机や壁にネジ止めする構造なので、非常に力を入れやすい。他の製品と比べると、半分以下の労力と時間で豆を挽くことが出来た。
 挽いた豆が簡単にスーパーで買えるようになり、このコーヒーミルの出番は極端に減ったが、たまに豆のままでいただいたコーヒーを挽いてみると、買って30年経ったいまでも変わらぬ使い心地を与えてくれる。

 1973年当時、豆はスーパーではまだ入手出来ず、一部の喫茶店だけでしか手に入らなかった。私が好きだったのがグァテマラをメインにブレンドしたもので、香り高い味が気にいっていた。
 ドリッパーはカリタの陶器製で、フィルターは紙製である。ネルドリップにするかかなり迷ったが、結局やめたのは、管理が大変そうだったこと、陶器製ドリッパーと紙フィルターでも、入れ方に気を配れば味に大きな差は出ないことが分かったからだ。

 さて、こうして幾度か自分でコーヒーを入れ、やはり自分で入れた本格コーヒーはひと味違うぞと悦に入っていたが、そうなるとどうしても、他人の評価が気になってくる。たまたま社員寮にコーヒー好きの先輩がやってきたのをつかまえ、「僕の入れたコーヒーを飲んでみませんか」と大胆にも申し出た。
 ほう、どれどれとその先輩は気軽に部屋にやってきて飲んでくれたが、一口飲むなり、「まだこれは人に飲ませる味じゃないな」と手厳しい評価。どうやらただ見ただけで職人芸を盗めるほど、ドリップコーヒーの落し方は簡単ではないことを思い知った。

 それからはマスターの手先を懸命に思い出し、何度も何度も練習に励んだ。味は次第に向上していくように自分では感じたが、それでも先輩の厳しい言葉にこり、他人に飲ませることは二度としなかった。
 自分が入れたコーヒーをその後第三者に飲ませたのは、数年たって結婚したあと、つまりはいまの妻だった。恐る恐る差し出したコーヒーを一口飲んだ妻は、「美味しい!喫茶店の味と変わらないわ」と言って私を喜ばせた。
 妻もまたコーヒーには非常にうるさく、その言葉が決してお世辞ではなかったことは、その後いろいろな客にふるまった私のコーヒーに対する評価で分かった。


 以下、学生時代にマスターから伝授されたドリップコーヒーの落し方の概要を記す。

陶器ドリッパーの内側に紙フィルターを折っていれるが、収まりをよくするため、底と横とで折り方を逆にする。(写真2)

コーヒーカップかサーバーにドリッパーを載せ、お湯で紙フィルター全体を濡らし、紙の匂いをとる。同時に下にお湯をあふれさせ、カップやサーバーを予め暖めておく。(写真3)

分量の豆をドリッパーに入れ、指ですり鉢状にくぼみを作ってやる。(写真4)
 豆の量はメジャースプーンより、やや多めのほうがなぜか味はよいが、これは各自の入れ方や好みで変化する。

豆をわずかにお湯で湿らせる。通称「ふかし」と呼ばれる重要な工程である。このとき、沸騰したお湯は火力を微弱にし、温度を100度弱に保っておく。

1〜2分たったらカップやサーバーを暖めておいた湯を捨て、お湯をできるだけ細く注ぐ。火はこのときとめる。(写真5)
 この注ぎ方で味の大半が決まってしまう。つまりは、何度も何度もやって慣れるしかない。ポイントとしては以下のような感じだろうか。

・糸のように細く注ぐ。
・周囲から中心にむかい、渦を描くように注ぐ。
・ある程度注いだら、最後はドリッパー全体を撹拌させるように勢いよく注ぐ。
・一度で足りない場合、ドリッパーの壁についたコーヒーをお湯でこすり落すように二度目を注ぐ。二度目以降は湯の勢いをあまり強くしない。

うまく落し終わったあとのドリッパー内は、写真6のようにヘドロ状のコーヒーがすり鉢状になっているはず。

 新婚後の数ケ月、コーヒーを落すのはもっぱら私の役目だったが、やがて妻にも上記の手順を手取り足取り伝授し、いまではほとんどそん色ない味のコーヒーを入れてくれる。

 こうして自分で入れたドリップコーヒーの面白さは、その日そのときの気分がもろに味に出ることだ。せかせかと入れたコーヒーは尖った味が、ゆったりした気分で入れたコーヒーには、優雅で芳醇な香りが漂う。
「いつでもどこでも同じ味」という当たり外れのないコーヒーも決して悪くない。だが、あたかも自分の感情を映し出す鏡のような存在の手入れのドリップコーヒーは、毎日独りで諸事を切り盛りする身である自分を上手にコントロールする、大事なアイテムのひとつになっている。