第2部〜その4 冬よ来い!
             /2000.8.31〜2000.12.31


外物置の功罪



 北国の生活に欠かせないもののひとつに、外物置があげられる。北海道ではアパートはもちろん、マンションでさえ専用の物置が備わっている例がほとんどだ。東京、千葉、香川などの各県で暮した経験が私にはあるが、共同住宅や戸建住宅を問わず、どこにもそんなものは備わってなかった。ではなぜ北国ではそれが必要なのか?
 車のタイヤに夏用と冬用の2種類あることがまず大きな理由ではないだろうか。車のタイヤは非常にかさばって置場に困る。野積みしておくと盗難にあう可能性もあるので、どこかにしまう場所が必要だ。雪かき用のスコップも北国では必需品だし、冬に漬物をつける家庭も多い。ガーデニングの趣味があれば、それらの園芸用品をしまう場所も必要になる。夏に乗った自転車も、雪の中に放っておくわけにもゆかぬ…。
 かくして膨大な季節の生活品に囲まれた暮らしには、どうしても物置、それも外から利用出来るものが必要になってくるのだ。

 ところがこの外物置、物をしまっておくには大変便利だが、建築計画上の処理は非常に難しい。洗濯物干場と同じで、下手に扱うと外観を著しくこわすのだ。外物置をどう考えるか、どう処理するかでそのハウスメーカー、建築家の力量が問われると言っても過言ではない。
 デザイン面だけに限れば、建物と一体化させて計画するのが最もなじむ。だが、しょせんは脇役に過ぎない外物置を最初から計画にとりこんでしまうと、建ぺい率や容積率の数値に関わってくる。都心ではこれらの数値に余裕がないケースが多いので、外物置は計画からひとまず外して考えがちである。
 さらにコスト面の問題がある。独立した外物置の面積は1〜2坪前後だが、当初から計画に取り込んだ場合、この増分が総工費にもろに関わってくる。ローコスト住宅の場合、この1〜2坪が大問題となるのだ。

 それやこれやの理由で、外物置は結局建物本体の計画から外されてしまう。だが、現実の暮しが始まれば、いずれ外物置は必要になる。
「外物置は本建築が終わってから、プレハブ式の簡易な物を建てましょう」とか、
「外物置はプレハブ式の車庫を大きめにして、兼用させるということでいかがでしょう…」
 などと担当者から言い含められた経験をお持ちの方は少なくないはずだ。

 ところが、こうして出来た間に合わせの外物置を街でながめてみると、建物本体になじんでいるケースは極めてまれである。建物本体とぴたり同じ材料の壁や屋根を使っている例がまずない。せいぜい「似たような柄のサイディング」「似たような色の屋根」といった程度で、その中途半端さが家や街並みの質を落としている。いっそのこと、まるきり違った材料を使ってくれたほうが潔い。
「邪魔物なのだが、生活には欠かせない」
 それが北国における外物置の困った存在なのである。



収納としての外物置



 これらの外物置の取扱いに関する難しさは、今回の計画でも例外ではなかった。建ぺい率や容積率には充分余裕があったのだが、頭を悩ませたのはやはり予算面である。
 玄関ドア外のアプローチ部分に車庫兼用の物置を作るのが当初の計画だったが、当の車庫すら断念してしまった経緯がある。デザイン面でちぐはぐになるプレハブタイプの物置を作るつもりはさらさらなく、車庫と一体化した外物置を自分で作るしか手はない。雪解けと同時に車庫はすでに完成させていたので、幅にやや余裕のある北側部分に壁を作り、冬の防風防雪を兼ねた外収納を作ろうと思った。
 加工のしやすさ、経年変化の美しさ、デザイン面でのトータルなバランスなどを考えると、使う材料は木材以外に考えられなかった。材料自体の価格は決して安いものではないが、加工組立てをすべて自分でまかなうことで、なんとかやり繰りは出来る。

 デザインは「縦の美学」(第1部連載〜その5、その7参照)へのこだわりから、幅10.5センチのヌキ材を目透かしで縦に張ると決めた。単純に冬の季節風を止めるだけの目的なら、間を空けずに隙間なくふさいでしまったほうが効率はいい。あえてそうしなかったのは、デザイン面でのこだわり以外に、風による建物本体への負担を減らすためだった。
 車庫は雪や風による倒壊を防ぐため、梁の一部を建物本体にがっちり止めたことは前回詳しく書いた。壁のない柱と梁だけの構造なら問題ないが、これに壁をつけてしまうと、とたんに横風の影響を受ける。建物端部にある車庫が受ける風圧によるねじれ力は、建物本体にとって結構な負担になる。これをなるべく少なくし、なおかつ雪や風の被害をある程度止めるには、材料の間をわずかに空けてやるしかない。
 さらに壁は屋根面から2.2メートルまでとし、地面に近い下の0.9メートルは完全に空けて何もない空間とした。風はこの空間を吹き抜け、建物本体への影響はさらに軽減される。風や雪の流れてくる方向や強さは、前年の冬に充分把握していた。北側の地面には雪がうずたかく積もるので、元来腐食や湿気に弱い木材の壁をあえてここに設ける必要はない。雪自体を防風防雪に利用しようと考えたのだ。(この考えに誤りがなかったことを後に知る)

 外物置の大きさを決定するにあたっては、充分な時間をかけた。第1部連載でも触れたように、今回の家には屋内床下に充分な収納空間があり、スキー用品、キャンプ道具などの季節用品はあえて外物置にしまう必要はなかった。どうしても外物置にしまう必要があるもの、屋外に置くのが望ましいものだけを慎重にピックアップし、それらの寸法や容積から必要な収納空間をはじき出した。
 具体的に挙げると以下の通りである。

 ●車備品(タイヤ4本、ウィンドウ洗浄液、ワイパー等)
 ●自転車用品(本体1台、空気入れ、予備パーツ等)
 ●漬物用品(樽2個、石2個)
 ●雪かき用スコップ2丁
 ●園芸用品(スコップ、肥料、支柱、植木鉢、散水ホース、鎌等)
 ●冬期野菜(クーラーボックス利用)
 ●その他(外バケツ、ブラシ、外ほうき、熊手、ロープ、セメント等)

 ドアつきの独立物置は予算とスペースの両面から無理とあきらめ、北側の壁ぎりぎりに吊り棚のような形で収納棚を作り付けようと決めた。
 車の出し入れを考えると、寸法はなるべく小さいほうがよく、直径60センチ近いタイヤ4本は、吊り棚下90センチの空間部分にしまうことにする。これによって奥行き寸法は漬物樽が収まるぎりぎりの45センチに決定。棚は上下2段とし、簡単な取手のついた木製ドアを4枚つけた。


車庫北側にあしらった外物置の全体と内部詳細



見せる美学



 かくして冬の到来を前に、外物置は完成した。ドアは上下独立のバタフライ式だったが、晩秋の強風で壊れたため、その後上下連結の観音式に変えた。ドアの材質は天井と同じOSB合板で、塗料はすべて外壁と同じ物を使った。上部空間には冬期、自転車をしまう予定でいたが、外に放置したまま2シーズンが過ぎ、実際に収納したのは3年目の冬からだった。
 しまう物を限定すれば、外物置に必要な収納空間はごくわずかである。独立した物置の場合、独立した屋根と床、壁やドアが当然必要となるが、今回のようにそれらを車庫の空間とすべて共有させてやれば、ローコスト&シンプル住宅むきの非常に効率のよい外物置が出来上がる。収納空間が限定されていることが、モノが無節操に増え続けることに自然にブレーキをかける効果があることを、実際に使ってみて感じた。

 写真でも分かるように、屋根が完全にふさがれてないので、目透かしのヌキ板の間から細い光が自由に下に落ちてくる。外側に透明のポリカ波板を張ったので雨や雪は落ちてこない。家の中も極めてオープンな作りだが、外でも空間はあくまでオープンなのである。
 目透かしの壁は雪や風を防ぐのに充分な働きをしたが、予想外の思いがけない効果ももたらした。夜、北側の道から家に帰るとき、細いヌキ板の間から玄関の外灯の赤い光がチラチラと漏れてくるのだ。歩みにあわせて瞬く光がたいそう心地よく、(我が家に帰ってきた…)という穏やかで暖かな感覚に包まれる。家作りにあたって、こうした感覚は大切にしたいと思う。

 スコップは物置右に出来た空間(壁)に木製フックを付け、シーズンを通してそこに掛けてある。扉の中に隠さずにあえて外に見せるようにしたのだ。写真では赤のスコップ1丁だけだが、その年の冬に黒の違うタイプの物を買い、左右にバランスよく配置。中央には竹製の熊手を置き、全体としてオブジェとして見えるような工夫を施した。
 ある意味では単なる自己満足なのだが、当方の苦心の「作品」にデザイン的な価値を見い出し、指摘してくれた奇特な方がちゃんといた。
 あるとき、町内会費を集めにきた近所の奥さんが、
「あら、こちらではスコップまでちゃんと家に合うようにレイアウトされているんですね」
 と声をかけてくれたのである。
「ははは、それに気づいてくださったのは、あなたが初めてです」
 などと応じつつ、つい頬がゆるんだ。

 スコップに限らず、この家の計画では物をあえて隠さず、バランスよく見せることにもこだわった。扉のない台所の食器棚がそうだし、鍋や調理器具なども大半が見える場所に整然と吊るしただけだ。
「扉のない収納」について前回書いたが、収納に関して一定のリズムを作り、バランスを保ってやれば、食器にしても服にしても本にしても、物は本来見せて美しいものだと私は信じている。あとは埃を払うわずかの手間と、住み手の覚悟の問題だけではないか。



多機能クローゼット



 話が多少前後するが、衣類を収納するクローゼットの考え方も、人によってさまざまに意見が分かれる。最近では2〜3畳前後の独立した部屋を寝室の隣などに設け、パイプを吊って洋服をかけたり、一部にタンスを並べたりしている例が多いように思える。寝室=更衣室、化粧室という考え方だ。
 私たち夫婦の場合、結婚のときに整理タンスは2本買ったが、洋服タンスは買わずに済ませた。新居に作りつけの洋タンスがあったからで、その後3度の引越しではアパートの押入れの一部にパイプを吊り、応急の洋タンスにしつらえて間に合わせた。結婚9年目に買ったマンションには作りつけのクローゼットが3ケ所あり、タンス作りからはようやく解放された。

 現在の住まいの新築にあたっては、クローゼットの考え方にも相当頭を悩ませた。ローコスト&シンプル住宅であるので、面積がとられてコストアップにつながる独立したクローゼットはまず候補から外した。外物置のように共有スペースから出し入れ可能で、なおかつ動線的に最も使い勝手がよい場所を選ぶ必要がある。
 悩んだ結果、玄関ホール横の階段昇り口にある幅90センチ×奥行き135センチ、0.75畳大のスペースを最終決定した。階段直下とはいえ、寝室が2階なので位置としてはやや遠い。だが、「みんながそうしているから」ではなく、自分たちの日常生活をよく見つめ直した結果、最適と判断したのがこの位置だった。
 買い物やちょっとした外出、仕事の打合せなどで着る服は、妻も私も普段着の上に軽く何か羽織るか、雨か雪の日なら、その上にコートを着る程度である。取り出しやすくてしまいやすい、玄関ホールすぐ横の場所が好都合なのだ。更衣室など必要ない。
 めったにないが、スーツなどに着替えて出かける場合、前日から服を取り出しておき、すぐ隣にあるユーティリティの洗濯ポールに吊るしておく。この部屋は我が家で唯一鍵がかかり、トイレと洗面所があり、下着やワイシャツをしまう整理タンスも備わっていて、4.5畳もの広さがある。妻はあまり化粧はしないが、する場合でも道具類はすべて洗面所に置いてある。着替えて出かける準備をするにはここが更衣室兼化粧室となり、まさに最適の場所なのだ。
 外出から帰ったら全く逆の順序で着替え、スーツの手入れを充分してからクローゼットにしまう。動作の流れにも無駄がない。

 問題はクローゼットの大きさだった。マンション時代の経験で、洋服をしまうスペースは幅に換算して2.7メートル必要であることが分かっていた。間口90センチのクローゼットなら、前後2段にパイプを吊っても、まだ90センチ足りない。かといって、他に洋服を吊るす場所はない。さて、どうしたものか…。
 思い悩んで分厚い建築関連のスクラップ集をめくっていたとき、目に飛び込んだのが狭いスペースにしつらえた上下2段のクローゼットだった。そうだ、奥に上下2段のパイプを吊り、さらに手前に1本パイプを吊れば合計2.7メートルの長さになる。
 幸いなことに、クローゼットに予定していたスペースは、天井高2.4メートルあった。下段奥に上着だけのパイプをぎりぎりまで低く吊り、その上段に普段あまり着ないコート、ワンピース類を吊るすことにする。手前のパイプには最も使用頻度の高い衣類と傘を下げた。
 空いた横の壁にはフックを取りつけ、ネクタイや帽子、ノコやスケールなどのDIY用品を吊るす。同じく空いた手前下の床にはDIY用品を詰め込んだ箱を置き、奥の上段の物を取り出す際の踏み台兼用とした。脚立や窓ふき用のモップなどの長物もここにしまってある。用途を限定しない、多機能クローゼットの完成である。

 スペースと予算に余裕のないローコスト&シンプル住宅での収納を考える場合、その内外や用途に関わらず、上記の例のように入れるものすべてをピックアップし、長さ、あるいは容積などに換算して必要容量をあらかじめ弾き出しておくことが不可欠である。
 そのためには、新築計画時に生活のチェックや生き方の見直しが大切だ。家の中に溢れるモノの多さで、日本人は世界に類を見ないという。「とにかく大きめの収納を」で見切り発車してしまうと、モノは無節操に増え続け、せっかくの収納もいずれ不足してしまうだろう。



ナチュラルな庭作り



 秋が日増しに深まり、家庭菜園のトマトが終わりに近づいた。この年に採れたトマトは合計約80個で、植えた苗が4本だから、1本の苗から、およそ20個の実が収穫出来たことになる。かけた費用は苗(1本100円弱)と鶏ふんの肥料くいらいだから、元は十二分にとれている。
 トマトは風に弱く、支柱の管理が結構大変である。生長期のわき芽摘みも忘れてはならず、手間はかなりかかる野菜と言っていい。だが、採れたてのうまさは格別で、すべての苦労を忘れさせてくれる。家庭菜園には欠かせない存在だ。
 この年に植えた野菜類はトマトのほか、小松菜、からし菜、トウモロコシ、枝豆、大根(2種類)、ジャガイモ、大葉、ネギ(2種類)など、都合10種類を超えた。初年度としては少々欲張り過ぎの感があるが、大きな失敗もなく、晩秋まで毎日の食卓を賑わしてくれた。

 前回も触れたように、「完全無農薬有機農法」が菜園作りの基本コンセプトなので、安上がりだが手間暇はかかる。毎日の雑草抜きのほか、虫や鳥との終わりなき闘いがある。特に小松菜や大根、大葉の若芽は虫の大好物らしく、ちょっと隙を見せるとたちまち壊滅の危機に瀕する。農薬を使わない使えないとなると、対策は害虫の温床となる周囲の雑草を刈り取るほか、最後は手で一匹ずつひねり潰すという原始的な手段だけだ。
 しかし、ギラギラと太陽を浴びながら地面をはい回り、野菜に群がる虫たちを一匹ずつ潰す作業も、やってみるとそう悪くはない。よく考えてみれば、虫はたまたま好物のエサがそこにあるから食べているに過ぎず、それをただ自分が苦労して植え、育てたからという理由だけでひねり潰してしまうのも、結構理不尽で殺生なことではないかと思えてくる。せめて農薬という文明の利器を使わないことで、免罪してもらうことにしよう。

 こうした自然に沿った野菜作りの手法は、庭作りにも活かされた。どこからか飛んできて、庭に勝手に生えるいわゆる雑草のたぐいは、一般的にはやっかい物である。「雑草という名の植物はない」と、誰かが息巻いていたが、「生長力が強くて、名前のよく知られていない植物」とでも言い換えてみようか。我が家ではこの「雑草」たちとうまく共存している。
 工事の際に敷地はわずかに土盛されていた。ところが予算の都合で、この土盛が黒土ではなく、安価な火山灰である。火山灰はもともと風で飛ばされやすい。この地はとりわけ風の強い土地だ。強風で土地が「目減り」してはかなわないので、早急に対策を施す必要があった。
 手っ取り早いのは、芝で地面を埋めつくすことだった。芝の根が縦横に張れば、もはや風で土が飛ばされる心配はない。ところが芝は刈り込みや水まきなどの管理が面倒である。他の雑草の侵略に弱いこともマンション時代に思い知らされていた。
 そんなとき、娘が通っていた高専の広場を埋めていたクローバーのことを思い出した。クローバーならわざわざ買わずとも、種がどこからか飛んできて、どんどん増殖してゆく。マンション時代の庭も、しつこいクローバーの繁殖に相当悩まされたものだ。いっそ庭全体をクローバーで埋めてやったらどうか?
 調べてみると、クローバーを芝の代わりに使っている例がわずかだがあった。管理も楽で、種は実質タダ、「ナチュラルな庭作り」というコンセプトにも、ぴたり合う。

 普通は邪魔物として引き抜かれ、時には農薬で根まで殺されてしまうクローバーを、こうして少しずつ庭に増やしていった。といっても、飛んできて自然に生える芽をただ抜かずに育てるだけである。種類は違うが、同じような性質を持つカタバミも抜かずに育てた。
 クローバーやカタバミの繁殖力は極めて強く、およそ2年で庭全体を埋めつくした。手入れはほとんど不要で、伸びずぎた茎をたまに鎌で払ってやる程度。基本的に地をはって枝葉を伸ばしてゆくので、非常に楽だ。足りない場所には穴を掘って株分けしてやれば、そこからまたどんどん増えてゆく。おかげで強風の日も砂塵に見舞われる心配がなくなった。
 クローバーは白い花、カタバミは可憐な黄色い花を初夏にそれぞれ咲かせる。取り澄ました芝には決してない素朴な美しさがそこにある。


庭を埋めたクローバーとカタバミの一群



内から外へのアプローチ



 10月、車庫北側の壁にあわせて玄関南側に小さな袖壁を作った。こちらは全面壁ではなく、表通りから玄関の出入りの視線を遮る程度、幅にして90センチ弱である。南側なのでなるべく開放的にしたかった。
 材料はやはり木材だが、通常の半分の幅の木材を用い、縦スリットに変化をつけた。さらに開けたときドアが風であおられないよう、ドアノブの当たる位置にゴムの戸当たりをつける。
 こうして玄関回りの囲いは、迫りくる厳しい冬を前にすべて完成した。内でも外でもないあいまいな空間は、現実の生活にさまざまな彩りを与えてくれた。
 雨や雪の日に出かけるとき、濡れずに車から乗り降り出来、そのまま家の玄関をくぐれるのがとにかくありがたい。吹雪の日に漬物をとりに行くにも、以前のような決死の覚悟は不要だった。冬の雪かきも前年よりは格段に軽減されるだろう。

 さて、残された作業は、前面道路から玄関に至るアプローチと車庫床の処理だけである。こちらは特に冬の到来とは関係がないが、あまり仕事のない秋口に、その家の「顔」とでも言うべき玄関回りの体裁を、なるべく完全なものに仕上げておきたい。
 アプローチに使う材料が問題だった。第1部で書いたように、外回りで使える材料の候補はそう多くない。玄関前のポーチは入居前にすでにセルフビルドによって素レンガとブロックとで作ってあった。その視覚的延長として考えると、どちらかを使うのが最もなじむ。地面に接する木材として唯一使える枕木を思い切って使う手もあったが、浸透しているクレオソートが環境に及ぼす悪影響を考えると、二の足を踏んだ。結局使える材料は、レンガかコンクリート関係以外に考えられなかった。
 コスト面だけで考えると、ブロックかコンクリート平板を単純に並べるのが最も安い。だが、経年変化による美しさでレンガの右に出る材料はない。雨水の浸透性も抜群で、環境に及ぼす悪影響も少ない。迷ったすえ、妻の姉たちからいただいた新築祝をはたいて、180個のレンガをホームセンターで買い求めた。

 たかがレンガを並べるだけと高をくくっていたが、いざ始めてみると作業は困難を極めた。アプローチには50センチの厚さで砂利を敷き詰めてある。レンガの凍上を防ぐ下地としては30センチもあればよく、厚さとしては充分過ぎるくらいだった。ところが玄関ポーチから道路までこの砂利をなだらかに均し、水平を保ちながらレンガを敷き詰めてゆく作業が重労働だったのである。
 堅く転圧されている砂利をスコップでいったんどかし、砂を混ぜながら堅い木材で突き固めてゆく。水平器でおおまかなレベルを出したあと、6個のレンガを横に並べて再度水平をチェック。狂いを修正してから10ミリの目地をとって間に砂とセメント2:1に混ぜた「から練り」を詰めて安定させる…。(この「から練り」は月日が経つと自然に硬化する)
 やってみると、一日5列、30個のレンガを敷き詰めるのが精一杯で、恐ろしく根気と体力のいる作業だった。最終日にはピッチをあげたが、結局作業終了まで5日を費やした。
 レンガの終点は敷地境界にあたり、ここにはアクセントとして丈夫なコンクリート縁石を3個並べる。ギックリ腰の再発というありがたくないおまけまでついて、アプローチはどうにか完成した。



オブジェ再び



 数日間腰を休ませたあと、アプローチから道路側溝まで、70センチほどのスペースを埋めるコンクリートを施工する。レンガ終点から側溝までのスペースは本来自分の敷地ではなく、公道である。本来何もしてはいけないのだが、家の敷地自体が市街化調整地域である関係で、通常の道路のようにアスファルト鋪装される見込みはない。しかし、現状の土のままだと、デザイン的に著しく見劣りがする…。
 委細かまわず、インターロッキングやアスファルト等を施工している家も近所には結構多いが、せっかく金と手間をかけた挙げ句、いざ下水工事でも始まって壊されても、公道だから文句は言えない。
 そこで万が一のときにもすぐに壊せ、デザイン的にもバランスのとれる薄い2センチ程のコンクリートで埋めることにした。道路側溝のグレー、そしてアプローチのレンガと視覚的な橋渡しをするべく、コンクリートが乾く前に、細かく砕いたレンガを表面にふりかけ、コテで均す。モルタルに玉石を混ぜて塗り、石を浮き出させる左官工法があるが、それを応用したオリジナル工法だ。名づけて「クラッシュレンガこて押え」。

 こうして前面道路から玄関ドアまでを自然な流れで導く、立派なアプローチが完成した。出来上がったアプローチを道路からじっくりながめてみたが、どうも何かが足りない。出入口にある車庫の柱がコンクリート束石に載っているだけで、いかにも無愛想な印象だ。ここを何とか出来ないか…。
 じっとながめるうち、車庫左端の柱周囲に、門のようなイメージのオブジェを作ろうと思いたった。うまい具合に、軸組に使った1メートル程の火打ち梁が1本だけ余っている。火打ち梁なので両端が45度にカットされていてボルト穴まで開いているが、逆にこれをデザイン的にうまく利用し、オブジェ風に仕立て上げようと思った。

 土台にレンガを敷き、長さを微妙に変えてカットした火打ち梁を垂直にたて、束石を隠す。火打ち梁には最初に墨汁を薄く塗り、他の木材よりも色を強くした。
 車庫柱から挟むように2本の腕を出し、垂直の火打ち梁を抱えるようにする。2階の「挟み梁」と同じデザインだ。腕の上端には小さな縦格子を組んで取りつけ、腕の間には台を作って植木鉢が置けるようにした。小さな縦格子は、もちろんこの家の基本コンセプトである「縦の美学」を象徴している。玄関先の門代わりとも言えるオブジェに、この家のコンセプトのいくつかを託したのである。



アプローチの概念



 道路から玄関に至るアプローチはまっすぐではなく、少しひねったほうが本当はいい。アプローチ自体を少し曲げるか、門あるいは門に相当するものを少し左右にずらすか、玄関ドアをアプローチに対して直角にするなどの配慮である。途中にわずかな段差をつける手法もある。
 これらがすべてまっすぐ一列にあると、玄関ドアを開けたとき、家の中が道路から丸見えになるし、道路からその家の「顔」である玄関を見通したときの変化に乏しく、平坦な印象になってしまうのだ。その意味では、今回の家は正道からまるで外れている。実はこれが苦肉の選択だったのだ。

 街の家々を観察してみると、特に雪国ではこの「少しひねったアプローチ」の配慮をしている家は案外少ない。知識やセンスがない、ということもあろうが、冬の降雪や除雪、車の駐車などを考えると、愛想のない「段差のないまっすぐ一列のアプローチ」が、逆に最も合理的な配置になるのである。
 アプローチをひねればひねるほど除雪は難しくなり、工事は複雑になる。駐車場を建物本体に取り込む設計の場合はなおさらだ。特に我が家のようにアプローチが車庫や外物置まで兼ねている場合、とにかく全体をすっぽりまとめて計画してしまうのが簡単で安全なのだ。皮肉なことに雪国では、美感上はぱっとしない「道路から再短距離でたどり着ける単純一列アプローチ」が、最もシンプルでローコストな計画ということになる。

 だが、この「単純一列アプローチ」でも、工夫次第で欠点をカバーすることは出来る。今回の計画では、ドアを開けた真正面に壁を配置し、道路から家の中が丸見えになるのを防いでいる。先に書いた玄関横の袖壁や機能的には意味のない玄関回りのオブジェ類の配置なども、道路からの第一印象に変化をつけるためだった。
 充分な予算と維持費、そして敷地の余裕と卓越した建築家のセンスがあれば雪はロードヒーティングで強制的に解かしてしまい、段差とひねりを加えた変化に富んだ美しいアプローチが造りだせるだろう。だが、最大積雪が軽く1メートルを超える豪雪地では、なかなか厳しい条件なのである。

 余談だが、アプローチをあまりにひねり過ぎると通りから全く見通しがきかず、防犯上あまり好ましくない家になることがある。押売りや空き巣は通りからの見通しが悪く、人目につきにくい家を本能的に選ぶ。
 近所に通りから玄関が全く見えないこの種の家が一軒あり、多くの庭木にも囲まれて美感上はなかなかよろしいのだが、案の定、最近悪徳リフォーム業者に家の中まで上がり込まれ、老夫婦が非常に怖い思いをしたそうだ。
「人の出入りがわずかに通りから見え、なおかつ軽いひねりか段差の変化などがあるアプローチ」これが理想のアプローチと言えようか。



風通しのいい部屋



 11月に入って早い初雪が降った。中旬には一晩で40センチという大雪を記録。新居に引越してから二度目の冬の到来である。余裕の全くなかった最初の冬とは違い、冬への備えは万全だった。
 ウッドデッキでは30本の大根が干され、漬物の干場と作業場としての働きを充分果たしていたし、車庫は雪と季節風から玄関口をがっちりと守り、外物置ではニンニクやジャガイモ、玉ねぎなどの冬野菜が備蓄されていた。

 外での作業が不可能になったので、かねてから構想にあった屋内改造計画をいよいよ実行に移すことにした。「部屋を個人ではなく、用途別に分ける」という大胆な試みである。
 住宅における部屋は、居間や台所などの共有空間を別にすれば、「夫婦寝室」「子供部屋」「老人室」「書斎」などのように、使う個人に普通割り当てられている。この概念を取り払い、すべての部屋を使用用途によるゾーンで分けようというのだ。

 新居は2階全体がワンルーム、1階にLDKという間仕切りのない曖昧な空間でもともと作られている。夫婦寝室だけは南東の一角である程度の独立空間を保っていたが、二人の息子の占有空間は北東と南西の一角にそれぞれ机とベットを置くことで確保していた。
 ところが、実際に1年間暮してみると、この割当てがどうもしっくりこない。家族4人の活動時間に大きなズレがあり、それぞれの睡眠や仕事、学習の時間がぶつかりあって、互いが支障をきたすのだ。完全な個室であればそれほど問題にならないことが、空間の仕切りが曖昧であるための弊害だった。これは何とか手を打たなくてはならない。
 そこで遂行されたのが先に書いた実験的計画である。具体的に書くと以下のようになる。

●「生活する空間」
 食事を作り、食べ、排泄し、身体を清潔に保つ空間である。家族間で最も白熱した議論や会話が展開されるのもここだ。我が家では1階にある「居間」「台所」「トイレ」「浴室」「ユーティリティ」などの部屋がこれに相当する。
●「創造する空間」
 2階の南西側のゾーンにあり、ここで図面を引き、絵を描き、本を読み、ワープロを打つ。8つある机や2台あるパソコンは私や息子たちの共有物である。作業時間が重なるとき、息子たちが私のところにやってきて、いろいろ疑問点を尋ねたりする。寝る前の妻をつかまえ、閃いた新しい小説の構想を私がとくとくと語ったりもする。
 この空間は1階の「生活する空間」と吹抜けで上下につながっており、1階での母と息子の会話に、2階で仕事をしている私が声だけで「乱入」したりもする。
●「休息する空間」
 家の2階北東側のゾーンにあり、のれんや腰壁、本棚などで曖昧に仕切られてはいるが、音は筒抜けで、光も一部もれる。誰かが寝ているときには、起きてる人間は音や光を絞るという暗黙のルールが家族間で出来ている。

 実施にあたっては、特に息子たちとの話合いを充分にもった。二人とも20歳を超えた大人であるので、個の空間にこだわるのではないかと怖れていたが、いざ話を持ち出してみると、「いいよ」と二人とも実にあっけない。
「北側にふたつ並べたベットの間に簡単な仕切りを作る手もあるぞ」と水を向けても、「そのままでいい」とこれまた拒否。結局当初の計画通り、息子たちの空間を木のスリット壁でまっぷたつに仕切り、東側全体を休息ゾーン、西側全体を活動ゾーンとすることで一件落着した。
 当時、下の息子は朝5時に起き出してバイト、上の息子は深夜のバイトを終えて明け方に帰着という変則的な生活が続いていた。息子二人が同時に眠ることがほとんどないから、こんな奇想天外なプランも受け入れられたのだろうか。

 この種の「ゾーンによる部屋割」を提唱している専門家は少なくないが、多くは「子供が成長して個室を欲しがるまで」という期限つきで、完全実施している例はごくわずかである。
 今回の改造計画と同様に子供数人の部屋をゾーンで分けてしまい、個としての「こもる部屋」を排除してしまっている例が、手元の住宅雑誌にひとつだけある。「個の空間」として存在するのは、2畳ほどのベット回りの空間だけだ。踏み切るには建築家の強いポリシーと施主との信頼関係、そして家族の相互理解が必要だったに違いない。
 我が身を振り返ってみると、私が家で仕事をし、一室を占拠してきたせいで、我が家の子供たちは個室を与えられずに育った。鍵つきの個室を与えられている他の「恵まれた」友人たちと比べ、そのことを引目に感じていた子もいたかもしれない。しかし、強がりでなく言うが、逆にそのことで私たちは、強い家族の絆と風通しのいい家族関係を築くことが出来たように思う。
 パラサイトシングルにでもならない限り、親が子供と暮らせる時期はほんのわずかである。鍵つきの個室を子供が欲しがる、いや、親が与えたがる思春期、受験期だけを考えると、10年にも満たないわずかな期間だ。人生の中でも特に大切なその期間を、親の目が届かない「子供部屋」という名の空間に閉じ込めてしまっていいのだろうか。
 家作りのプロセスは、家族や夫婦関係の構築と切っても切れない密接な関係にあると私は思う。

(最終話「終わりなき家作り」へと続く)