第2部〜その2 冬ごもり雪ごもり
             /2000.1.10〜2000.4.10


引越しシンドローム



 引越しが終わってまたたく間に一月が過ぎ去った。休日返上の作業によって新居内の家具や収納設備も少しずつ整い始め、初めての戸建て住宅暮しに戸惑いながらも、日々の生活は徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
 セルフビルド作業は優先度の高い順に進められた。収納設備がほぼ整い、次なるターゲットは台所の諸設備である。食器棚はすでに完成済みだが、水切り棚作りと調理台前の不燃ボード貼が残っている。作業用のワゴンや分別ゴミストッカーも構想にあったが、それほど急を要してはいないのでこちらはひとまず後回しにした。

 台所の整備をことさら急いだのは、引越しによる妻の精神状態への配慮からだった。私には一家の柱としての責任と自負があり、新築と転居という人生でもそう何度もないであろう大きなイベントから持ち込まれる諸々のストレスにも、何とか太刀打ちしていた。だが、自分の思うままに事態を取り仕切れない妻はそうはいかない。妻は元来、引越しや旅行などに代表される環境の変化に弱い質だった。25年間の共同生活を振り返ってみてもいくつか心当たりがあり、それに伴って妻にもたらされる気鬱は、しばしば夫である私を悩ませた。
 今回の移動でもそれは例外ではなく、引越し直後から妻は何か一仕事終えたときには決まって、嘆きともあきらめとも受け取れる深いため息をつくようになった。名づけて「篠路ぷ〜」である。
 普通ならため息は口をあけて発する。ところが妻の場合は息を吐くときに口をあえて閉じ、頬をぷっと膨らませてから吐き出すのだ。「篠路」という地域に引越してから突然始まった「ぷ〜」というため息。だから「篠路ぷ〜」なのだ。

 年頭の町内新年会の折、隣に座った方から同じような悩みを聞かされた。その方は定年後の新しい環境を求めて長年住んでいた古い家を売り払ってこの地に越してきたのだが、引越しの主導権を夫が握って進めていたせいもあったのか、転居後いくらたっても奥様の気鬱が回復せず、一年を経てもいまだに部屋のひとつには段ボールが溢れ、奥様はため息ばかりの毎日で外出もせずに閉じこもったままだという。
 いわば「引越しシンドローム」とでもいうべき症状で、特に高齢者の場合、引越しに伴う環境の激変は時に健康を損ねたり、引いては寿命を縮めたりすることにもつながりかねないから、仕掛けた側はよくよくの配慮と覚悟が必要だろう。

 妻の場合、まだ50歳になったばかりだったから、新しい環境へは充分順応出来る年齢である。問題は真冬の引越しということで、外出、特に妻が主導権を握っている毎日の食事のための買い物が、以前住んでいた地域のように自由に出来ない、という状況にあった。
 妻には車の免許がない。だから、この地域のように雪と寒さに閉ざされる冬がやってくると、自由な外出はままならない状況となってしまう。いつも思うことだが、自立しようとする女にとって車の免許は極めて重要なアイテムである。もしも妻に免許があり、自分の意志での自由な外出が可能な立場であったなら、症状はもっと軽かっただろう。



F2合板再利用



 1月14日にはそれまで住んでいたマンションの売却手続きと代金の受け取り、そして残っていたローンの支払いと抵当権の抹消など、住み替えに要するもろもろの手続きを一気に終えた。これにより、雑多な諸手続きのなかで残っているのは、住宅金融公庫の資金受取りとそれに伴う工事代金の支払いだけとなった。
 台所回りの環境がほぼ整い、妻の作業空間は引越し前と比べても遜色ないものとなった。水切り棚は当初市販品を買うつもりが気に入ったものが見つからず、結局以前使っていたタオル掛の部品を再利用したステンレスパイプと木材を組み合わせた手製となる。
 台所の不燃ボードはタイル工事を浮かせるための苦肉の自衛策だったが、木枠を上部にあしらい、そこにカラー釘を打ってお玉やフライ返しなどの台所用品を整然と並べた。物を扉などで隠さず、あえて見せるようにしたのである。常時使うものは隠さずに見せるのがある種の機能美にもつながると私は考える。実際に台所に立って作業をしてみると分かるが、扉や引出しなどは極力ないほうが作業性は格段にいい。

 台所が整備されてゆくにつれ、妻の要求は次第に子供用の家具備品に移りつつあった。ほとんどの既婚女性がそうであるように、妻もまた妻である以前に、まず母でありたいと願うタイプだった。しかし、私は妻が母親であると同時に、また妻であることも決して放棄してはいないことを充分心得ていたから、要求通り子供のベット兼本棚、そして机の作成にさっそく取りかかった。
 ベットの材料は以前住んでいたマンションで使っていた3段ベットを捨てずに分解し、搬入してある。だが、それを作った十数年前は、まだシックハウスだとかホルムアルデヒドだとかの環境問題は全く起きていない時代だった。記録にはないが、材料のすべては当時市場に最も大量に出回っていたF2ランバー合板(ホルムアルデヒド放出量基準5ppm以下)と思われ、明らかにホルムアルデヒドの放出が問題になりそうな材料である。
 私は迷った。ホルムアルデヒドは10年以上の時を経ても放出が完全に止まることはないという。そのまま使ってももちろん、作り直しで材料を切断すれば、切り口から新たなるホルムアルデヒドが放出されるのは確実だった。かといって、まだまだ使える大量の材料を、むざむざ捨てるのも忍びない…。
 迷ったあげく、主要部分だけには安全な無垢材を使い、ベットのすのこだとか机の天板など、ほとんど切断せずに使える箇所だけに限って先のランバー合板を再利用することにした。あまり使えそうにない端材は、この時点で思い切って処分した。
(このとき再利用したF2ランバー合板が、のちのちまで室内空気に悪さを働くことになる)


2階北西部の長男のコーナー、予算の関係で窓のブラインドがつくのはまだ先


 こうして二人の息子のコーナーが1月中旬にようやく完成した。写真を見ると分かるように、ベットの脚の部分が本棚を兼ね、ベットの下が季節もの衣類などの収納になっている。さらにベットと一体型の机があり、その延長にサイドテーブルをしつらえた多機能かつコンパクトな作りである。
 実はこのコーナー方式を使ったのはわずか1年弱で、このあと、ベットと机をそれぞれ同じコーナーに分離合体させる、いわゆる「用途別部屋割り」の大改造を行うことになる。



月見の窓



 寒さが次第に厳しさを増し始めたある夜更け、1階の居間の吹き抜けを通して何気なく2階の高窓を見上げたとき、窓の中心にぽっかりと丸い月が浮かんでいる。切れるような寒気の中に佇む青い月だった。その凛とした美しさに、思わず目を見張った。
 その窓の位置と高さは周囲に家が建て込んでも居間に光が落ちてくるよう、3DCGソフトの日影効果を使って慎重に計画されたものだった。太陽の位置は厳密に計算されており、確かにその通りに陽光は部屋に落ちてきていたのだが、さすがに窓越しに月が見えることまでは計算していない。ただ、西南の高窓であるので、ある季節ある時間になれば月は見えるかもしれない、見えたらいいな、といった程度の期待度だった。
 それまで住んでいた家で、窓越しに月が見えたのは野中の一軒家だった生まれ故郷の家以外に記憶がない。予期してなかった新しい発見である。その日以降、その窓を「月見の窓」と密かに名づけた。

「月見の窓」だけでなく、この家の各窓にはそれぞれ手前勝手な名をつけた。しょせんお遊びの部類だが、こんなことも日々を楽しく暮す大事なキーポイントかもしれない。

●星見の窓
 居間南東側にある合計3.6メートルの横長の窓。将来南側に家が建ったときのプライバシーを考え、居間に座ったときには外が全く見えない高さにしてある。夜が迫ると真っ先にこの窓から一番星が瞬く。ブラインドを降ろすのは夕闇を充分楽しんだ一番最後。月の美しい秋はブラインドを開けたままにし、東から西へ月がゆっくり動いてゆくのを居間に座りながらボ〜と眺めている。

●暁の窓
 東側階段吹抜け上部にある窓。この窓の前は広い川の土手になっていて、さえぎる物が一切ない。そのせいで真夏の早朝、ここから朝日が水平に差し込み、反対側の2階の壁を茜色に染める。それが刻々と壁を移動していくさまは、息を飲む美しさだ。

●夕映えの窓
 台所の前にある横長の窓。西南にあるので、どの季節にでも美しく空を染める雄大な夕日が望める。妻のリクエストでつけた窓だが、「この窓の前に立つと一日の疲れがとれる」と、大のお気に入り。

●雪見の窓
 居間の西南にあるやや低めの窓。テラスや庭に降る雪が手に取るように見える。この窓の外側にスポットライトをつけたので、雪降る夜にはブラインドを開け、外の灯りをともして雪見酒としゃれこむこともある。

●額縁の窓
 2階階段を昇りきると、真正面に見える窓。実は「月見の窓」と同じ窓なのだが、見る角度で景色はすっかり変わる。外の木と遠くの山々がまるで縦長の額縁に切り取られたように見え、移ろう季節を映し出す。

●人見の窓
 東側玄関横にある小窓。高さと大きさ、そして位置が3DCGソフトによって何度もシュミレートされ、微妙に調整されている。階段の真下だが、階段の昇り降りが外から見えず、万が一階段から転げ落ちてもガラスにぶつからず、そして近づけば玄関外をくまなく見渡せる位置と高さにある。
 この家にはビデオインタホンがなく、インタホンは移動式電話と連動した音声だけの古いタイプである。不審な来客は電話の受話器を持って話しながら、この小窓から目で直接確認出来るようになっている。相手からは死角になっていて、気づかれにくい。
「あの窓の位置と大きさは絶妙ですね」と、鋭く気づいた来客が一人だけいた。よくぞ気づいてくれた、分かる人にはちゃんと理解してもらえるものなのだと、大いに喜んだ。



窓の効用



 窓の話を少し続ける。この家には窓がやたら多い。どういうわけだか私は幼きころより、窓の少ない暗い家で育っている。大工を生業とし、住まいには絶対的な権限を握っていた父の家に対する強い主張として、「窓の多い家は高い(コストがかかる)」「窓の多い家は寒い(断熱効率が悪い)」「窓の多い家は弱い(構造的弱点が出来やすい)」があったため、必然的にそうなったようだ。
 そのすべてがある意味では正しいのだが、その反動としてもたらされる弊害にも、家族はひたすら耐えねばならなかった。窓が少ないから部屋は暗く、太陽の恩恵もあまり受けない。暗い家に住んでいると、気分までが滅入ってくる。精神が参れば、家族関係まで悪化する。そもそも太陽の当たらない部屋はカビがはえやすく、不健康極まりない。やはり人間は太陽に照らされてこそ元気が出るものだと強く思う。

 自分が家を建てるときは、多少の犠牲を払ってでも、とにかく明るい家にしようと決めていた。コスト面はともかく、断熱面と構造面の弱点は工夫すればなんとかなる。特に北方型住宅の場合、熱損失面から窓は極力少なくするという考え方も根強い。だが、実際に窓面積の大きな家に暮してみた感じでは、窓からの熱損失量よりも窓からの日射によるエネルギー獲得量のほうがはるかに大きい気がする。
 建築基準法では継続的に使用する部屋、すなわち居室の窓の必要面積は床面積の1/7と決められているが、今回の計画では基準の約4.5倍の面積の窓をつけた。従って南西部にある居間や台所、仕事部屋などは明るいことこのうえない。
 反対に北側や東側の窓は最小限にした。この方向からの陽光はあまり期待出来ないから、気密断熱的にすぐれている壁にしたほうが熱効率はいい。間仕切りがないので光は間接的に通ってくるが、空間自体はやや暗い。窓の平面位置を単純な対称形にしてしまうと平均的な明るさは得られるが、光の強弱はなくなり、めりはりのない平坦な印象の家になってしまいがちである。明るい場所があり、また同時にそれをひきたてる暗く沈んだ場所も存在することが家作りでは大切なことだ。

 一般論だが、窓の高さには一定のリズムがあったほうが見栄えはいい。家の外からの見栄えは決しておろそかに出来ない。家はそれ自体が街並から孤立していたり、突出していたり、閉じていたりしてはいけないと私は考えている。色やデザインなど、あくまで周囲環境になじんでいなくてはならず、その中からじわりとにじみ出てくるような個性を、工夫をこらして出すべきだ。
 最も人目につく道路からの見栄えは特に大事で、この家では南東面と北東面の道路からの見栄えが重要になる。計画にあたって南東側と北東側の窓は1、2階とも床からの高さ、窓自体の高さをそれぞれそろえ、位置や高さも含めてパースで何度も検討を重ねた。
 それに比べ、西南の窓だけは機能を優先させたせいで、外から見るとやや統一感に欠ける。周囲に家が建て込めば西南側はほとんど視線から隠れてしまうにしても、やや悔いが残る。特注サイズの窓を使えばもう少しまとまりを出せたが、何せ予算の壁がそれを許さず、断念せざるを得なかった。



多目的テーブル



 息子たちのコーナーをひとまず整えると、休む間もなく居間のテーブル作りにとりかかった。最大寸法が1.8メートル近い大型多目的テーブルで、居間に集う家族の中心となるべき大切な家具である。
 我が家では長年床に直接座る生活を続けてきた。その中心になったのは大形の多目的テーブルである。マンション時代に使っていたのは、90センチ×180センチのランバー合板のパネル1枚にそのまま脚をつけた豪快なもので、冬はこの下にヒーターを仕込んでこたつに仕立て上げた。床がカーペットだったので、座れば足元がぽかぽかと暖かい。
 家族がいつもそこに集まり、食事をしたりテレビをみたりおしゃべりをしたり宿題をしたり、時には口論したりした。疲れたらごろりと横になって眠る。自然に人が集まってくる不思議な空間で、家族の絆作りに随分と役立ったと思う。

 時は流れて家の形態も変わり、床も木の板に変わった。パッシブ換気の床下暖房なので、こたつももはや必要ない。子供が巣立ってしまうのも間近で、そうなれば集うべき家族も妻と私だけになる。だが、私はそれまでの床に座る生活を変える気はさらさらなかった。高価で堅苦しいソファは、ただ場所をとるだけだ。住まいが変わったとしても、人が自然に集まり、自由にくつろげる床に座る生活を手放すことは出来ない。
 無垢材の床板はカーペットと同じように柔らかく、冬でも素足で歩けるほど優しい。こたつはなくなっても、居間の中心には80センチ×170センチの暖気吹出し口を設け、足元がぽかぽか暖かくなる工夫を施した。ここに大型のテーブルを置けば理想とする空間は完成する。

 長年使い込んだランバー合板のテーブルには愛着があったが、傷みがひどく、使い続けることはもはや不可能だった。何度も触れたように、合板にはホルムアルデヒド問題もある。ここは思い切って無垢材による安全なテーブルを作り直す必要があった。
 長い時間検討を重ね、38ミリ厚のツーバィ材をそのまま天板として使う決断を下した。補強材としてでなく、ツーバィ材そのものを天板として使った経験はそれまでない。幅89ミリの材料を20枚近く並べ、大型天板として耐え得るものを作り出すのが腕の見せ所である。外国のDIYの本を参考に、長いビスで板を一枚ずつ順に横に継ぎ足していく技術を考え出した。多少の歪みはあるが、やすりがけでなんとか調整する。


多目的テーブルを作るべく奮闘中、背後の押入れにはこの後スクリーンをつけた


 平面デザインは単純な長方形ではなく、グランドピアノの形をイメージした奇抜な台形にした。さし向かった人同士の視線が正面ではなく、やや斜から交わせる仕掛けである。互いに圧迫感がなく、落ち着いた会話が出来る。入口から入った部分を斜めにカットしたのは、玄関ホールからユーティリティ、あるいは台所への動線をテーブルに沿って自然に導き、居間にテーブルを中心とした「たまり」を作り出す配慮である。
 居間の計画で特に重要なのが人の動線がこないこの「たまり」を作り出す配慮で、訪問してなぜか落ち着く家には、必ずこの「たまり」がある。「たまり」のない家はたとえ家族であっても、まるで落ち着かない。どんなにコンパクトで、どんなに低予算であっても、「たまり」は断固確保しなくてはならない。その手段には多々あってむろんそれはプロの仕事だが、たとえプロの仕事であっても、「たまり」の配慮がまるでない家も多々あるので、要注意である。

 実はカットした斜線の角度は、屋根の勾配26度とぴたり合わせた。そんな些細な部分にもこだわりを見せたのだが、さすがにこのことに気づいた人はまだいない。
 テーブルの四辺の長さはすべて異なっている。写真は通常の生活の配置だが、多人数の来客がやってくるときはテーブルを180度回転させ、長辺に多人数が座れるようにする。こうすると最大8人が同時に座ることが可能になる。
 テーブルの完成に合わせ、大小都合10枚の座ぶとんカバーと3枚のクッションカバーをすべて作り直した。家と家具の雰囲気に合わせ、紺を基調にして布地を選んだ。といっても余分な金はないので、あり合わせの布でなんとか間に合わせた。妻と娘が大の端切れ好きで、買い集められたままあちこちで眠っていた布地が、思わぬところで役立った。


台形多目的テーブルを中心とした1階居間の様子、南西の窓から深い光が差す



冬将軍到来



 1月中旬から2月上旬までは最も寒さの厳しい季節で、雪もこの時期に集中的に降る。
 まず1月11日に25センチ、ついで1月24日に一晩で約40センチというこの冬一番の雪がまとめて降り、家族は終日雪かきに追われた。本格的な冬将軍の到来である。設計段階では玄関前に風よけのパーゴラ車庫を設けることになっていたが、諸事情で間に合わず、結果的に玄関前はさえぎるものが何もない吹きさらし状態となっていた。
 玄関前に停めてある車周囲の除雪以前に、まず雪で開かなくなっている玄関ドアをなんとかしなくてはならない。そのため、寝る前には除雪スコップを屋内に入れておく必要があった。
 雪の降った朝はまず玄関ドアを足で蹴飛ばしてあけ、降り積もった雪をどかす。そのあと、玄関から道路まで約5メートルある通路の雪かきをする。時には日に何度も家族が交代で作業を行うことになった。ある程度覚悟していたとはいえ、マンションに住んでいたときにはまるで無縁だった非生産的労働が家族を苦しめ、リーダーとして結果的に失態をさらけ出した私を苛んだ。
 私は人一倍責任感が強い。いつもは苦手な朝も、大雪が降った朝は除雪車の地響きにせき立てられるようにすぐに飛び起きた。
 積雪が3メートル近くにもなる辺地で育った私は、雪かきが非常に得意である。「スノーダンプ」という1メートル四方ほどの大型スコップに雪をのせ、遠くまで雪を運んで捨てに行くのが北国の人々のごく普通の除雪スタイルだが、私はそんな手間と体力のかかることはしない。中型のスコップになるべくたくさんの雪をのせ、遠心力を使って風下の空き地に向かって遠く高くはね飛ばす、ただそれだけである。運ぶ労力がなく、風の力を利用しているので、短時間で済む。結局この冬は、この中型スコップ一丁だけで乗り切った。

 最高気温が−6.9度、最低気温は−11.2度という日最高気温がプラスにならない、いわゆる「真冬日」がやってきたのは1月25日。寒さは三日三晩続き、三日目の最低気温は−14.9度まで下がった。この間気温は一度もプラスにならず、街はまさに氷漬けとなった。
 家の外はともかく、家の中は平穏に保たれていた。完成したての家の木材や床下コンクリートから蒸発する水分のため、深夜から朝にかけての窓下部はあいかわらず結露に悩まされていたが、マンション時代の雨が降るような結露から比べると可愛いものである。パッシブ換気とセントラル暖房によってがっちりと管理された暖房システムは、最低気温で18度、最高気温が20度という理想的な平衡状態を室内に保ち、冷凍庫のような屋外とは無縁の快適さだった。

 暖房ボイラは1月中旬から24時間連続運転に切り替えていた。それまでスイッチを切っていた深夜や日中でもごく微少でボイラを運転させる。いわゆる「ソフト運転」というもので、設置したボイラにはその機能がついていた。外気が常に氷点下の状態だったから、いったん室内温度を下げてしまうと、回復に長い時間とエネルギーを費やしてしまう。そんな事態を避ける措置だった。
 連続運転にすると石油消費量の増大が心配されたが、微少運転時の石油消費はごくわずか。断続運転のほうがかえって効率が悪い。この24時間連続運転は2月上旬まで続き、その後は太陽が照る日中の5時間(11時〜16時)はボイラを切った。ボイラの運転時間だけで考えると、北国の真冬は約1ケ月弱ということになる。

 寒さが最も厳しい1月末、新築にあたって何かと世話になったK建設のオバタ専務と建築家の友人エモトさんを完成後の新居に初めて招いた。この家のさまざまな新しい試みの中の目玉でもあるパッシブ換気の成否を、エモトさんは当初から危ぶんでいた。わざわざ寒い時期を選んだのは、そのエモトさんに最悪の条件下での性能を、胸を張って見て感じてもらおうと思ったからである。
 余程居心地がよかったとみえ、エモトさんとオバタ専務はあたりが暗くなるまで話し込んでいった。
「これくらい暖かければ問題ないね」
 エモトさんからそんなお墨付きまで得た。我が意を得たりである。



トイレのドア



 雪かき作業の合間をぬってのセルフビルド作業が粛々と続く。2月9日に金融公庫のお金がすべて降り、翌10日には自己資金分を含めた工事代金のすべてを、K建設に一括で支払い終えた。家の登記とマンションの売却はすでに終え、これで新築と移転に伴うわずらわしい諸手続きはすべて終了したことになる。あとは月々5万円強のローンを、滞りなく20年間払い続けてゆくだけだ。(参考までにボーナス払いはない)

 引越して2ケ月が過ぎたころ、それまでつけてなかったトイレのドアを、とうとうつける羽目になった。建具は屋根工事と同じで本来プロの仕事であり、あまり素人が手を出さないほうがいい。今回のようにやむを得ず素人が作る場合、開き戸よりも引戸のほうが粗が目立たなくて無難だ。開ける分のスペースが不要の引戸は、そもそもが狭い家むきの優れた建具である。
 扉本体は2階の床と同じOSB合板とし、枠は1階床の余り材を使う。レールはU型のアルミレールを鴨居にビス止めし、扉上部に小さな戸車を2個つけて引っ掛ける構造にした。吊戸式の引戸がこうして見事に出来上がった。

 トイレは居間から続くユーティリティの奥、浴室の隣にある。下がり壁と枠だけはあるが、当初からドアはなく、用を足すときはユーティリティの引戸を閉めてもらうつもりでいた。来客の場合は引戸についている鍵をかける。浴室や洗面所、トイレなどがいっしょくたになった、西洋の「バスルーム」のような考えである。
 そもそもこの家のトイレの配置が普通ではない。浴室や脱衣所、洗面所、洗濯場までを一緒にしたスペースはよく見受けられるが、トイレだけは分離独立させ、玄関ホールなどから直接出入り出来るようになっている間取りが圧倒的に多い。おそらくは来客時のことや、入浴時のトイレへの出入りのことを配慮するからなのだろう。この家のように2階にトイレがない場合は、なおさら階段下の玄関ホール横にあったほうが便利である。
 実はトイレをこの位置に決めるまでには相当迷った。いろいろな状況を想定したが、結局は居間から最も近く、冬でも暖かい環境を確保出来るこの位置に落ち着いた。家族のすべての行動の中心が、結局は居間になるだろうと考えたからである。仕事の来客は年々減っていて、年に数回、そのうちトイレを使った客は年平均一回にも満たない。私用の客はかなりくることが予想されたが、それとて親戚かごく親しい友人のたぐい。それほど気を遣う必要はない。
 誰かが入浴中に、別の誰かがトイレを使いたくなったらどうするか?家族なら一声かければ済む。来客が入浴する機会など極めて限られているが、そんなときは浴室前の部分だけにカーテンをかけて仕切り、トイレへの動線からは独立した脱衣コーナーを臨時に作って対処することにした。
(普段は壁際にある洗濯用のポールが、その部分に移動出来るようになっている)

 こうして幾多のシミュレーションを終え、期待通りに設備は使われるはずだった。ところが実際に生身の人間が生活してみると、予期せぬさまざまな問題が持ち上がった。まず、誰もがユーティリティの引戸を閉めようとしない。用を足すときもトイレの便器部分は居間から死角になっているから、とくに引戸を閉めなくとも済むのだ。住んでいる家族で唯一の女性である妻さえ、引戸を閉めない。肝心の私でさえ閉めないのだから話にならない。
(なぜだろう?)と自問自答やら聞き込み調査をしてみると、要は「面倒臭い」からだった。トイレの入口近くにある戸なら片手で閉めもするが、ユーティリティのさらに奥にあるトイレに入るために、はるか手前(といってもわずか3メートル弱だが)にある引戸など、面倒で閉めたくないのである。
 これは由々しき問題だった。引戸を閉めればトイレの水音は気にならない。だが、開け放した状態だと、要を足す姿こそ見えないが、水音はまるで筒抜けなのである。いくら家族とはいえ、居間でくつろいでいる最中に誰かが用を足す音など、あまり聞きたくはない。あいにく我が家には、女子高などによくあるという擬似的に水音を出す装置などついていない。
 このほか、特に「大」のほうの用を足すときには、やはりトイレそのものにドアがないとまるで落ち着かないという息子たちの指摘もあった。トイレにドアのない家は決して皆無ではなく、高名な建築家もたびたび採用している。来客にはあまり評判がよくないと聞いていたが、実際に暮してみて、なるほどそうかと納得したのだった。

 トイレにドアをつけてからの後日談である。めでたく皆その引戸を利用したのかと言えば、必ずしもそうではなかった。「大」のほうはさすがに全員が戸を閉める。だが、「小」のほうは相変わらず閉めない。息子たちはもとより、妻でさえ半分くらいしか閉めない。やっぱり面倒なのか、それとも、狭い空間に閉ざされることを嫌うのか?
 さすがに当の私は努めて閉めるようにした。だが、家に誰もいない午前中など、すべての戸を開け放って用を足すことがよくある。スツールに座って開口部から首だけ出すと、居間にある南西部の大きな窓を通して、外の様子がすっかり見える。これがなかなか快適なのだ。毎日の空模様から、季節によって移ろう庭の木々の色まで、手に取るように分かる。まるで野で用を足すような開放的な気分である。皆があえて戸を閉めたがらないわけが、なんとなく分かる気がした。
 予算面で断念したが、トイレの天井を屋根面まで吹き抜けにし、頂部に窓をつけてそこからシャワーのようにまっ逆さまに光を落としてやる「光のトイレ」という構想もあった。夜は同じ場所からスポットライトを落とす。いっそ真上に天窓でもつけたらどうだろう?目をあげると、青空や星空、降る雪まですっかり見える。
 三方をガラス張りにした浴室を屋上に置いた、「天空浴」というのは雑誌で見たことがあるが、こんなトイレはまだ見たことがない。もし実現すればきっと気持ちのよいトイレになるだろう。「実験台」になってくださる勇気ある方はいないだろうか。



家を人に合わせる



 同じ時期、どうも使い勝手の悪かったトイレのタオル掛の位置を修正した。設計図にはトイレのタオル掛位置の指定まではない。そもそもタオル掛は木製の統一されたデザインのものを自作する予定だったから、仕様書にも一切うたっていなかった。ところが設備業者がステンレス製のタオル掛を、いつの間にかサービスでつけてくれていた。ところがこの取りつけ場所が悪い。
 トイレの手洗いの位置よりもやや高く、しかも遠過ぎるため、洗ってからタオルに手を運ぶまでの間に水がしたたりおち、壁を濡らすのだ。壁は段ボールのようなハードボードなので、水には弱い。この部分だけは木材のパネル張とすべきだったと反省したが、とりあえずはタオル掛の位置を手洗い位置近くにつけ直すことで対処した。
 ついでに壁横にあったペーパーホルダーの位置を、動作の邪魔にならない隅の位置に変更する。ごく些細なことだが、このへんもきちんと図面で指示してやらないと、使い勝手のいい家にはならないことを思い知った。

 これに限らず、家の中の備品の位置や使い勝手は、相当吟味したつもりでも小さなほころびが出た。代表的なのが玄関ホールの照明スイッチの位置で、居間から階段へと続くホールの北側につけた。ところがこの位置だと使い勝手がすこぶる悪い。
 外が暗いときに外出から戻ったとき、靴をはいたまま足元を照らしたいが、スイッチが遠過ぎて目一杯手を延ばさないと届かないのだ。反対に玄関ホールを明るくしていざ外出すようとすると、消すのに往生する。完全なる私の設計ミスだったが、家族にはあえて黙っていた。すると二男がすぐにこの欠点に気づき、鋭く指摘した。かなりたってからだったが、私は自分の非を認めてスイッチの位置を玄関よりに変更した。
 同様に練りに練ったつもりのコンセントの位置にも、微妙なブレが生じた。最たるものは居間西側のコンセントの位置で、窓下につけたのは全くのミスだった。妻からの要求でその場所には収納ベンチを後日つけたのだが、そうなるとコンセントは完全に隠れてしまい、使えなくなる。将来家具の位置になりそうな場所のコンセントは無駄になりかねない。ここはもう少し台所側のテラスドア横、隠れる可能性がゼロに近い場所にするべきだった。

 開き戸は開いたときに家具などにぶつからないか?動線を自然に導く形状に開いているか?の二点で開き勝手を決めたが、幸い大きなミスはなかった。
 居間から玄関ホール〜階段へと抜けるドアは、引戸にしようかどうか完成直前まで迷ったが、結局原案通りとした。南側の壁にタンスを置いたので、夏などにドアを終日開け放したときは、引出しの開け閉めにドアが多少邪魔になる。だが、暖房が始まるとやや温度の低い玄関ホールは、オンオフのはっきりした開閉戸のほうが機能的に優れている。難しい選択だが、もしかすると将来引戸に変更するかもしれない。
 いずれにしても人が家に合わせることはさまざまな弊害を生む。選択の余地のない賃貸住宅や建売住宅はやむなくそうなることも充分あり得るが、せっかくの注文住宅なら、家を人の自然な動作に合わせることは細部まで徹底させなくてはならない。



冬ごもり雪ごもり



 2月に入ると、風雪はますますその勢いを増した。第一部でも触れたように、札幌の北の外れにあるこの地区は図抜けて風が強い。従って雪は天からでなく、横から殴りつけるように激しく降る。
 日中でも陽がささず、終日外が吹雪いていたりすると、それまで終日20度前後で安定していた室温が、知らず知らず18度まで下がっていることがあった。さすがに少し寒い感じがし、そんなときはボイラの目盛りを2段階ほど上げねばならない。窓を多くすると真冬でも太陽の恩恵を充分に受けるが、反対に荒天が続くと熱損失が増えてしまって微妙に室温に影響する。その都度デジタル式のスイッチを押してやるだけの話だが、もし予算さえ許せば、室内のどこかに温度センサーを設け、ボイラと連動させる完全自動運転方式が望ましかったろう。

 2月下旬には一晩で56センチという今季最高の雪が降り、街はすっぽりと雪に包まれた。積雪量も136センチとなった。道路両側にはうず高く雪が積み上げられ、まさに雪ごもりという言葉にふさわしい豪快な雪である。寒さはすでに峠を越した感があったが、この雪の山が片づくまでまだまだ春は遠く、少しも気を緩めることは出来ない。
 冬は自転車が使えず、外がそんな調子だから重い荷物を抱えて歩くことは難しい。外出はもっぱら車に頼らざるを得ず、買い物はいつも夫婦仲良く免許を持つ私の運転で、ということに必然的になってしまった。以前のようにお気軽に夫婦喧嘩などしている暇も余裕もない。なにせ、下手に喧嘩などして買い物が滞れば、家族一同食いはぐれかねないからだ。
 自然の過酷な地域に暮すと、夫婦仲むつまじくならざるを得ない。住んでみて初めて分かった意外な発見なのだった。冬の雪かきにしても夏の草刈りにしても、田舎には男のやるべき仕事が山のようにある。都会は便利このうえないが、体力のある男が活躍する場が少ない。夫婦仲が優れない男女は、便利な都会をあえて離れて田舎に暮すことを真剣に考えてみるべきかもしれない。

 さて、そうは言っても毎日のように雪をかき分けて買い物に出るのは車でも難儀だった。春が近づくとそれなりに建築関係の仕事も増える。乾物類や冷凍食品など、買い置き出来るものは安いときになるべく大量に買っておき、備蓄しておく必要があった。
 室内のストック場所は床下をはじめ、2階ロフト部分やあちこちに作った収納で充分に確保されていた。乾物や飲物類の置く場所には事欠かない。だが困ったのは漬物や野菜などの置き場所である。
 我が家では長年たくあんを漬けている。わずか30本ほどだが、12月の末から春がくるまで、酒の肴やごはんのおかずとして毎日の食卓を賑わしてくれる。マンション時代は風雪の影響を受けにくいひさしのついたテラスがあり、そこに漬物樽を置いていた。だが、この家には玄関フードも車庫もテラスもまだなく、ドアを開ければそこはいきなりの外、さえぎるものなど何一つない。常春に近い環境の室内に漬物を置けばすぐに酸っぱくなってしまう。いったいどこに漬物を置けばいいのか?
 困り果てた挙げ句、結局その冬は玄関ドアのすぐ外にベニヤ板で囲いを作り、厚いシートをかぶせて漬物を置くことにした。たくあんの大半を平らげるのは私だったから、毎日の雪かきは当然のように私の担当である。

 これに限らず、室内が暖か過ぎる家に住むと、暑くも寒くもない場所がどうしても欲しくなる。温度で言うと常に5度くらいの場所、そこに越冬野菜やミカン、漬物などを備蓄しておくスペースだ。大型の冷蔵庫が何台もあれば別だが、せっかく雪という自然の冷却装置があるのだから、なんとかそれを利用したい。
 北国にはかって「ムロ」と呼ばれるコンクリート製の貯蔵庫があった。多くは地下に作られていて、外の寒さの影響を受けにくく、それでいて物が腐るほど暖かくもない自然の冷蔵庫である。私が生まれ育った家にももちろんあったが、寒い納屋の地下深く、暗くてちょっと危険な場所だった。最新の住宅でもそれに近くてもっと使いやすいものを作ることは可能だが、断熱材の使い方がやや難しくなり、建設コストも当然割高になる。
 私が漠然と考えていたのは、昔の「ムロ」に近いが、それほど大袈裟ではない仕掛けである。外でも内でもない空間、この家でいうと玄関前のパーゴラ車庫、あるいは居間横のテラスなどに何らかの装置をつけ、漬物やちょっとした野菜などをストック出来る場所を、翌冬までにはなんとか手作りで確保しなくてはならない。



コックピット仕事部屋



 3月に入ると、さすがに雪もようやく峠を越した感があった。体重も55キロのベストに戻り、忙しさを増してきた本業の合間をぬって、室内家具の手作り作業も順調に進んでいた。
 室内家具の仕上げは仕事部屋を整えることだった。寝室との仕切りを兼ねる本棚はすでに完成していたが、マンション時代に使っていた古い手作り家具で間に合わせていた仕事用の机類を、すべて新居むけに作り直すことにした。
 マンション時代に作っていた家具は、仕上げと加工の楽なランバー合板を主材料としている。子供部屋のベットや机はもちろん、テーブルや椅子にいたるまですべてこの材料でまかなっていた。ホルムアルデヒド問題のあるランバー合板だったが、予算の問題も立ちはだかっている。作り直しにあたって、面積の多い机の天板などはやむなくこの材料を再利用した。いずれ余裕が出来たら少しずつ作り直したい。

 仕事部屋家具の基本は、壁に沿うようなカウンター形式の机群である。下の写真を見ると分かるが、左端にある本棚から天板が始まり、右回りにパソコン机〜事務用補助机〜製作用机〜作図用机〜打合せ机兼補助机、と壁際から右側の吹き抜けを囲むように順に連なっている。
 中央のくぼんだ部分に椅子を置き、全体をコントロールする。この後、パソコン前には専用の椅子を作ったが、基本的にはマンション時代の仕事部屋と同じ「コックピット方式」である。独立後20年の自由業暮しの中で自然にたどりついたやり方で、仕事や趣味などの雑多な作業を同時進行させることの多い私のような生き方には、一番しっくりくる配置だった。


ロフトから見下ろした2階仕事部屋


 写真右側にある吹抜けは、妻の居場所である台所と居間の通路部に直結している。顔は見えないが、「コーヒーまだ?」とか、「お風呂湧いたわよ」とか、「ごはんよ〜」だとかの日常会話が、それぞれの作業を中断せずに吹抜け越しに自由に交わされる。時にはもっとシリアスな会話が交わされることもある。互いに別の階にいながら、少しも孤独感を感じさせない仕組みになっているのだ。
 多くの堅牢な壁に仕切られたウナギの寝床のような構造のマンション時代は、とてもこうはいかなかった。妻がテレビを見ていたりすると、仕事部屋からどんなに大声を出しても気づかない。「開放的な間取りはプライバシーの確保が難しい」と前回書いたが、家族のコミュニケーションの一点に絞ると、これほど有益で好都合なものはない。



愛すべきOSB



 2階は全部で25畳のワンルームだが、床はすべてが段差のないOSB構造パネルぶきである。2階の傾斜天井もすべて同じ材料で、1階とはがらりと違った雰囲気になっている。OSB構造パネルに関してはすでに第一部で詳しく触れたが、ホルムアルデヒドがごく少なく、構造的にも非常に丈夫、しかも安いという優れた材料である。傷や汚れも目立たず、木屑を再利用しているので地球にも優しい。
 実はこれを床に使用している例は極めて少ない。見てくれが悪いせいなのだろうか。私には幾何学的模様が素晴らしいアートに見え、とても気に入っている。近づいて目をこらすと、さまざまな色の廃材がランダムに入り混じり、せめぎあっている様子がよく分かる。じっと見ていると有効利用された木屑たちが、「捨てずに使ってくれてありがとう」とお礼を言ってくれているようにさえ感じる。

 この家では床や天井だけでなく、階段のけ込み板(垂直部分の板)にもこの材料を用いた。2階から下へ降りるときには見えないが、2階へ昇るときだけ目に入る。1階から2階へと続く動線の中で、いわば材料の「受け渡し」のような役目を果たしている。階段の踏板(水平部分の板)は1階の床と同じスプルス材(米マツ)にしてあるので、2階から下へ降りるときには反対にこちらが暗黙のガイド役となる。
 直接目にはつかないが、床や屋根の下張材などもすべてOSBである。トイレの引戸や台所ゴミストッカーなどのセルフビルド作業でも多用した。
 欠点は模様が大き過ぎることで、常時目につく場所に多用するとうるさく感じる。壁一面に使っている例をときどき見るが、ちょっと辛いかもしれない。壁はやはり無地に近い材料が無難だろう。
 材料規格を刷り込んである面の扱いも難しい。裏面を使えば問題ないが、凹凸が大きいので天井なら使えるが、そのまま床には使いにくい。加工場であらかじめプレーナーをかけるか、現場でサンダーがけをして消すしかない。この場合は多少の加工費がかかる。スタンプなど委細構わず、そのまま使っている人もいて思わず敬服してしまう。

 3月上旬のドカ雪を最後に、さしもの冬将軍も徐々にその勢いを弱めていった。それに合わせて暖房ボイラの運転時間も急減。4月の声を聞くと連日の暖気で一気に雪解けが進み、4月10日に気象台はようやく積雪ゼロを告げた。
 終わってみればこの冬の累積積雪量は630センチ。平年よりも150センチも多く、観測史上4位という記録である。まあ、よくぞ降ってくれたものだ。寒さが感覚だけではなく、記録上でもはっきりと示されていたことになる。
 さて、ともかくもこうして長く厳しかった冬はようやく終わりを告げた。雪が消えると外での作業が可能になる。車庫やテラスを始めとする外部のセルフビルド作業、庭作り、家庭菜園作りなどの外仕事が、今や遅しと私を待ち構えている。楽しく、期待に満ちた春が目前に迫っていた。

(第3話「楽しき外仕事」へと続く)