第2部〜その1 薬飲みつつ後片づけ
             /1999.12.5〜2000.1.9


後始末が終わらない



 年の瀬も押し迫る12月5日、新居の完成と同時に、私たち一家は何とか引越しを済ませた。引越しとほぼ同時に、住んでいたマンションも首尾良く売却。アパートに一時避難することもなく、金銭的にはほとんど無駄のない移動をなしとげた。
 だが、家の工事監理やセルフビルド、そして移動に伴う諸々の雑務に忙殺され、私の肉体と精神はすでに限界を越えていた。年齢的にもちょうど50歳で、体力的にもあまり無理はきかなくなっている。本当は新居でゆっくりと静養すべきなのは分かっていたが、目の前に累積する難問の数々は、まだまだそれを私に許そうとはしなかった。

 引越し第1日目が明けた朝、月曜なので息子たちには学校がある。二人とももう立派な大人なのだから、勝手に起きてそれぞれ出かけてくれればいい。最初はそう思っていた。疲れ切った身体を、せめて朝寝で休ませたかった。
 ところが二人とも駅までの道順がまるで分からない、と情けない顔を並べて言う。こんなこともあろうかと、工事中に家から駅までの道順を実際に自分で歩いて覚えるよう、何度も息子たちに諭したのに、彼らはまるで聞く耳をもたなかった。いい年をして結局は親に負担を強いるしか能のない我がバカ息子に、無性に腹が立つ。
 だが、ここで嘆いてみても始まらない。子供の思いやりや自立を示唆はするが、期待するのは虚しいだけだ。高ぶった精神と暑過ぎる暖房のせいで早くから目覚めていた私は、仕方なくJRの駅まで彼らを送り届けることにした。
 何か食べてから出かけようとしたが、ひどい吐き気で、水以外は喉を通らない。私の不機嫌な様子に怖れをなした息子たちは、駅に近づくやいなや、そそくさと車を降りて雑踏の中に消えてしまう。出たついでに、そのまま区役所まで行き、転入届けと健康保険等の住所変更を一気に済ませた。

 区役所の自販機でオレンジジュースを買い、無理やり喉に流しこんだが、家に帰る途中にすべて吐いてしまう。最悪の体調である。ようやく家にたどり着き、胃薬だけを飲んでひとまず横になった。
「何か食べなきゃ駄目よ」と、妻はさかんに私を気遣うが、とにかく水以外は一切身体が受けつけないという緊急事態だった。もしもこのとき病院を訪れていたなら、その場で入院ということになっていたかもしれない。

 数時間眠り、暖かなソーメンを作ってもらって少しだけ胃に流し込んだ。しばらくは病人食で過ごすしかない。目覚めると頭をめぐるのは、マンションに残した残存物やゴミ芥のたぐいである。売却を仲介した不動産屋との約束で、水曜日までには完全に掃除を済ませ、明け渡す手筈になっていた。今日を除くと、あと二日しかない。
 鉛のように重い身体にムチ打ち、昨日まで住んでいたマンションに向かって再び車を走らせた。途中、仕事が詰まって体調が悪化したときに決まって飲む栄養剤、ユンケルを大量に買い込む。もはやすべては薬頼みである。
 あらかたの荷物が運び出され、暖房の消えたマンションは寒々としていてまるで廃虚のように見えたが、感傷に浸っている暇などない。とにかく片づけるのが先決である。残されたものは不要品が多かったが、そのまま放っておくことはもちろん出来ない。幸い、翌日は燃えるゴミの日、翌々日は燃えないゴミの日だったので、必要なものと合わせて、都合3つの山に分けて整理整頓を始めた。
 大きな問題は、暇にまかせてあちこちに造り付けた棚やパイプ、電灯のたぐいである。新居ではほとんど必要なさそうな物ばかりだが、すべて取外さなくてはならない。この日はそこまで手が回らず、ゴミの分類だけで日が暮れてしまう。部屋の掃除も含め、最終的な始末は結局翌日に持ち越しとなった。
 這うようにして家に戻るが、相変わらず流動食しか受けつけない。疲労のために二階までの階段が昇り切れず、途中で一息つく始末。早々に眠りにつく。



体重3キロ減



 午前中、仕事の依頼の電話で起こされる。本当は有り難いはずが、よりによってこんなときに…、と思わずため息が出る。納期は充分ある仕事で、まずは一安心。とにかく、仕事の出来る状況を新居に早く作り上げることだ。
 ふと見回すと、家の中には段ボール箱が溢れ、足の踏み場もない。予算の関係ですべて自分で作るつもりの押し入れや食器棚、クローゼットのたぐいの収納家具が全く形になっていないのだから、当然と言えば当然である。食卓だけは以前から使っていたものを再度組立ててとりあえず間に合わせたが、妻は段ボール箱を積み上げてカウンター代わりにし、何とか毎度の食事をこさえている。仕事机もそうだが、食器棚を作る作業も急がねばならない。

 昨日ついた電話の調子がとても悪い。マンションでは機能していた番号表示機能がうまく働かないのだ。引越しにあたって、インタホン機能を付加するターミナルを買い足したのだが、どうもそれが邪魔をしているようだ。
 番号が表示されないので、仕事かプライベートかの区別が全くつかず、やむなくすべての電話に事務所名で応対するが、そんな日に限って息子あての電話がやたら多く、ますます気分を苛立たせる。
「洗濯機のホースが水漏れして洗濯が出来ない」と、妻が困り果てた顔で訴える。これまた新しい給水栓との相性が悪いのか。いろいろ調べてみるが、こちらもどうにもうまく作動しない。業を煮やした妻は、結局手洗いで急場を凌ぐ。これでは泣きっ面にハチだらけだ。
 銀行に行き、セルフビルドで使った塗料代を販売店に直接振り込む。設計事務所ということで、納入価格を工務店と同率に値引いてくれた。少しのお金でもありがたい。その場で建物の登記をどうしたらいいのか、金融公庫の担当者に尋ねると、建てた工務店が代行してやってくれるはずだ、と教えられる。ハウスメーカーや建売り業者に建築を依頼したときには無用の心配だが、ローコストを徹底させるということは、こんな些細な事務処理も自分やらねばならないのだ。さっそくK建設に電話し、専門業者を手配してもらうことにした。

 午後、気になっているマンションの後始末に出かけるが、相変わらず片づかない。体調がすぐれず、思うように身体が動かせないせいもあるのだろう。燃えないゴミだけを何とかまとめ、大量に出す。
 家に戻ってみると、知り合いの業者に直接発注してあった窓のロールスクリーンとブラインドが、すべて取付けられていた。暖かなレンガ色が思いのほか木の内壁に良く合っていて、疲れた頭と身体がしばし癒される。夜、用意しておいた挨拶の品(ティッシュボックス)を携え、妻と共に近所に引越しの挨拶回りをした。
「えっ、あのお宅でもう住んでらっしゃるんですか?」と、向かいの若い奥さんからたいそう驚かれる。クロスも何も貼っていない下地材のままの内壁が、窓越しにすっかり見えているので、引越しはまだまだ先だと思っていたようだ。まあ、そう思われても無理はない変てこな家であることだけは確かだ。
 荷物の山の中から体重計がようやく出てきて、さっそく測ってみたら、なんと3キロも痩せていた。



まだまだ芝居小屋



 建物の完了検査の申込みに市役所に行く。12月10日の午後に期日が決定する。施主みずからが設計者なので、こうした手続きもすべて自分で処理しなくてはならない。その足でまたまたマンションに向かう。今日は出がけに妻が、「私もついて行く」と言い出し、助手席に鎮座していた。どうやら私の体調を気遣ってのことらしい。妻にもやるべき仕事は山積みのはずだったが、取りあえず好意に甘えることにした。
 やはり一人より二人だった。作業は手際よく進み、掃除を含め、17時過ぎに3日ががりの作業をなんとか終えた。始末に困った古いカーペットと押し入れタンスは、結局お金を払って大型ゴミとして引取りにきてもらうことにした。
 玄関ドアや物置き、駐車場のタイヤ置場など、都合4箇所のキーを束ね、近くの不動産会社の支店を訪れるが、この日に限ってなぜか定休日である。正式な明け渡しは明日以降に持ち越しとなったが、ともかくも片づけだけはようやく終えることが出来、ほっと胸をなでおろす。あとは新居の整理に集中するだけだ。

 翌日、洗濯機の給水ホースの水漏れがようやく直り、3日ぶりで洗濯機が唸りだした。少しずつでも、日常生活のペースに戻さねばならない。体調の様子をみながら、ようやく仕事部屋を仮復旧させる。まだまだ芝居小屋のようだが、製図台を組立て、最低限のデザイン道具を並べ、取りあえず仕事だけは始められる状況を整えた。
 その勢いでさっそく月曜に依頼されていた仕事に取りかかるが、重い倦怠感が身体中を襲い、とても続ける気力がない。どうやら思っていたよりダメージは大きいようだ。4枚の内の1枚だけを気力で仕上げるが、残り3枚は明日早起きしてやることに決め、倒れるように床につく。ドリンク剤、胃薬、ビタミン剤など、相変わらずの薬漬けである。


引越し2週間後の雑然とした1階居間周辺


 翌朝、6時に起きて残りの作業に勤しむ。倦怠感と戦いながら作業を続け、午前中の約束時間に何とか間に合った。午後、完了検査立会いのため、K建設のヤマセさんが来る。市役所のタムラさんが時間きっちりの14時に現れ、わずか数分で検査完了。これにて建築関係の諸手続きはすべて終わりとなった。
 お茶を飲んだあと、ユーティリティの中に、ステンレスの物干パイプを取りつける。これでようやく洗濯物が干せる。通常、この種の小物はすべて業者側がつけてくれるものだが、この家に限っては別である。ホームセンターで予め見繕っておいたパイプを壁の寸法に合わせて金ノコで切り、適当な場所に取りつける。ささやかだが、これが引越し以降に手掛けた、記念すべきセルフビルド第1号作品だった。
 週末、電話の修理や宅配業者など来客が相次ぐが、いまだにインタホンがついていず、確認に苦労させられる。テレビの映りも極端に悪く、アンテナ調整も不十分なままだった。
 要するに電気工事が完全に終わらぬままに入居してしまったようなのだが、どうやらこれはあまりにも発注金額を値切ったツケのようで、職人の手が空いたときに必要最低限の仕事だけを順次進めていく、という話に最初からなっていたらしい。そうなるとこちらもあまり強気にもなれず、ひたすらお願いするだけである。ローコストの道は実に険しいのだ。



気密断熱性能の評価



 第1部でも触れたように、この家には「パッシブ換気」と呼ばれる、新しい暖房換気システムが用いられている。建物全体を煙突のようにみなし、床下に配置した暖房器で家全体を暖め、建物最上部に配置した排気筒から自然の温度差を利用して空気を循環させるという方式である。床下からの暖房がむらのない温度を家中に作り出しているかどうかが、この方式の大事なポイントだった。
 床下には3箇所のパネルヒーターがバランスよく配置され、暖房専用ボイラの間欠運転によって家全体の温度がコントロールされている。(いわゆる「床下暖房」)個々のパネルヒーターの温度設定、そしてボイラのタイマーの運転方式を条件に合わせてうまく設定してやることが、このシステムの成否を分ける。

 引越し前、予想された微量の残存有害物質を除去するべく、すでに暖房用ボイラを2日ほど焚きっぱなしにしてはいたが、もちろんそのまま連続運転で済むはずはない。引越しと同時に、さまざまに条件を変えながらボイラは運転されていた。
 基本的な考え方は、人間が活動していて寒いときにはボイラをどんどん焚き、暖かいときには消してしまうか、あるいはあまり焚かない。人が活動していない深夜などは、結露が生じない程度に、そして翌朝誰かが起きだしてくる頃には支障ない程度にボイラの温度を上げてやることだった。
 取りつけたコントローラはこれらの細かい設定が自在に出来る優れものだった。各部屋には温度計と湿度計も備えてある。しかし、部屋の温度は外気の温度に大きく左右されるのが常だった。家が完成したばかりで、材料が十分に暖まっておらず、いわゆる定常状態に達していない中での運転の設定には、極めて困難なものがあった。
 あるときは温度設定が高過ぎて室温が上がり過ぎたり、暑過ぎるからとボイラを切ってしまったら急に冷え込み、温度復旧に半日もかかったりした。

 間欠運転と温度設定のコツらしきものをようやくつかんだのは、入居して2週間ほどが過ぎたころである。
 深夜はボイラ温度設定を1/5前後まで下げ、朝5時くらいにまた元に戻す。日が昇ってきて窓から太陽が室内に照っている午10時くらいにボイラを完全に停止し、太陽の影響が消える16時過ぎから23時までまた温度を上げるというやり方である。
 23時にボイラ温度を下げても、余熱で2時間は室温が下がらない。これらをすべてコントローラに設定し、あとは機械まかせである。太陽が照らない日など、どうしても寒さが感じられるときだけ手動で温度を上げた。
 このほか、パネルヒーターに自動温度制御のバルブをつける手法も考えられたが、パッシブ換気のように本体が床下に隠れている場合では、温度コントロールが非常に難しくなる。工事価格もかなりのアップが予想された。これらのことから、パネルヒーターのバルブは全開にし、すべてをボイラの運転だけで制御しようと考えた。

 当初の目標として、暖房による年間の石油消費量は1000リットル前後を設定していた。建物の性能、家全体の体積、住んでいる地域の気象条件などから計算すると、理論的にはそのあたりの数値になるはずだった。北海道の一般的な戸建住宅の年間石油消費量の平均値がおよそ2000リットル弱(あくまですべての住宅の平均値)だから、かなり大胆な予想値であり、「これくらいに収まってくれたらいいな〜」という淡い期待値でもあった。
 入居して3週間後、業者が石油を入れにやってきたが、伝票の数値から逆算した日平均石油消費量は、給湯も含めて約8リットルである。試算してみると、目標値に限りなく近い。工事の手抜きは一切ないので、理論値と実験価の誤差は少ないはずと考えていたが、期待した通りの数値に、思わず頬がほころぶ。これなら年間の光熱費もかなり少なくて済みそうだ。



パッシブ換気の威力



 パッシブ換気による暖房の効果はほぼ予想通りのものだった。室温は1階が理論値通りの20度、2階が19度だった。ふく射暖房なので、これくらいの温度でも少しも寒く感じない。2階は暖房器のある床下からの距離が遠くなる関係で、やや低くなることは講習会で聞いていた。主たる生活空間は1階であり、2階は仕事部屋と子供部屋と寝室の用途だったから、多少室温が低いくらいがちょうどいい。
 計測してみた床下温度は場所によって異なったが、27〜30度の間だった。室内で最も暖かく感じられるのが床で、そこから上の温度むらは一切なく、吹き抜けの傾斜天井の上端でも19度で、室内と全く同じ数値である。感覚的には床暖房に非常に近い下からふわっとくる暖かさだが、床暖房より暖かさは柔らかい。

 北側にあるトイレや浴室前の空間などは温度差が生じやすい空間だが、今回の計画では北側床下の給気管の真横にパネルヒーターを配置した関係で、トイレや脱衣室は特にぽかぽかと暖かい。
 設備配管が集中するこれら水回りの床下空間は、概して結露などの問題が生じやすい北方住宅の危険ゾーンのひとつだが、そもそもその危険な床下には防湿用の鉄筋コンクリートを全面に打ち、暖房器を配置して30度近くに暖め、湿度も60%以下の乾いた空間に常時保たれているわけだから、これらの問題とは全く無縁の快適ゾーンである。
 竣工時にK建設がサービスでわざわざつけてくれた暖房便座は全く不要で、スイッチは常にオフのまま。雨の日や冬の洗濯干場も兼ねている洗面脱衣室は、運転するボイラと床下からの熱で真冬でもわずか半日で洗濯物が乾いてしまい、それまで冬はマンションの居間に洗濯物を並べざるを得なかった妻をいたく喜ばせた。

 北方住宅のもうひとつの危険ゾーンは窓際であり、冬期はここから冷気が床に降りてきて、横方向の温度むらを作りがちである。床暖房などでも窓際だけはひやりと冷えた感じになる場合があるのは、この窓からの冷気降下(いわゆる「コールドドラフト」)のせいである。
 これを防ぐ手立てとして、窓際にパネルヒータを配置してやるのが一般的だが、パッシブ換気の場合はすべてのパネルヒータが床下にあるわけだから、これが出来ない。そこで点検口をかねた床下換気口を窓際に配置してやる。こうすることで、冷気は床下から上昇してきた熱で暖められるか、直接床下に流れこんで居住空間には被害をもたらさないわけである。

 家の中央に煙突のように配置した吹き抜けと階段室が空気の循環路としてうまく機能し、石油消費量が少ない割には、非常に快適な空間が出来上がった。入居が真冬ということで、新しい試みが果たして理論通りにうまく働くのか一抹の不安があったが、家中どこにいても温度差のない快適な暮らしに家族全員大満足で、設計者であり家族のリーダーを自負する私を、ひとまずほっとさせた。


パッシブ換気の概念図



しまった!



 こう書くと、パッシブ換気による暖房換気方式は、まるでいい事ずくめのように思える。しかし、実際にそれを組込んだ家に住んでみると、やはりいくつかの欠点はあった。
 まず、2階を主たる生活空間にする計画では、床下から2階への暖気の導き方がかなり難しいのではないか、ということだ。2階専用の大きな暖房器からの暖気を、大きめの換気ダクトで直接2階へ導いてやるような工夫が必要だ。それでも2階よりも1階が暖かくなる傾向がどうしてもあるから、1階に寝室などを配置した計画の場合、暑過ぎて眠れないということも充分考えられる。パッシブ換気を採用するなら、今回の計画のように居間はやはり1階に配置するのがもろもろの制約が少なく、最も設計がしやすいだろう。

 次に音の問題である。パッシブ換気では家全体をワンルームのように考え、家中の温度差をなくしてやるのが基本的な考え方だから、どうしても音が通りやすい。入居後の私たちをまず驚かせたのがこれで、2階で仕事をしていても1階のテレビの音が吹抜けを通してすっかり聞こえてしまう。
 客が来て1階に招いた場合には話声が2階に、2階に招いた場合には1階にそれぞれ筒抜けである。つまりはプライバシーがまるでないということで、暮し方によっては非常に困るケースが出てくるかもしれない。私たちの家は1階にも2階にもほとんど間仕切りがない構造だから、なおさら音が問題になったのだろう。
 マンション暮しの場合、ウナギの寝床のような細長い間取りが大半であり、各部屋もドアやコンクリートの壁で完全に遮断されている。こうした内部の音の問題は、ほとんど問題にはならない。反面、細かく仕切られることによる温度むら、結露の問題がつきまとう。各自が個室にこもることによる、家族間の別の問題も出てくるだろう。
 要するに欠点は裏を返せば長所であり、利点は同時に欠点になる可能性を秘めているということだ。住んですぐに欠点だと大騒ぎせず、ここはじっくり家族の在り方、暮し方を見直してから事の善し悪しを見極めたい。そんなふうに考え直した。音の問題ならば深夜はテレビの音をしぼるなり、声を潜めるなりの暮しかたをすればそれで済むことだ。開放的な暮らしであれば、温度むらが解消される利点のほか、家族間のコミュニケーションが極めてスムーズに運ぶという利点にもつながるだろう。
 ただ、やはり閉鎖的な家族には不向なシステムであるという印象はする。いい事ずくめのように見えて、パッシブ換気がなかなか一般に普及しない背景には、案外このプライバシーの問題があるのかもしれない。オープンな暮しは、かって日本人のごく普通な生活スタイルだったはずだが、いったん閉じこもる生活を獲得してしまったいま、元に戻すのは至難の技なのだろう。家の新築、増改築を機に、家も人間関係もオープンなものを目指そう、作り上げよう。そうしたラジカルで合理的な考えの家族には、結構向いていると思う。

 最後の問題は、排気筒からの風音の問題である。同じ音のトラブルだが、これは内部からの音ではなくて自然の風によるものだ。しかし、入居当日が強い風の夜で、それでなくとも神経が高ぶっていた私を相当悩ませた。通常パッシブ換気の排気筒は煙突のように垂直に立てるが、今回の計画では施工費を節約するため、空調配管のように水平に配置し、排気口は外壁の最も高い位置に設けた。結露と風の逆流を防ぐため、排気管の水平距離を2メートル近く引っ張ったことで音が共鳴しやすくなったようだ。室内側には換気レジスターさえつけてなく、音を遮断しようがない。
 音を何かにたとえると、「ブォ〜」といった船の汽笛のような音である。空き瓶の口に真横から息を吹き当てたときに出るような音、と言い換えてもいい。おそらくこれはパッシブ換気の欠点というよりも完全なる私の設計ミスで、多少換気量が落ちてもやはり外部には完全防風型の深い換気フードを設けるか、あるいは室内側に完全に閉じられるような換気レジスターを設けるべきであったと思う。
 神経の太い妻や息子たちは頓着せずに熟睡しているが、私のようなナーバスな人間にはちと辛い。ましてや私には設計責任というものもある。今後暮してゆくなかで、何らかの対策が必要な箇所であることは間違いない。



固定資産税の算出法



 12月中旬、市から固定資産税の調査員がやってきた。これは建築指導課による完了検査とは全く別物で、家屋の登記を申請すると書類が法務省から自動的に市に回り、担当者がやってくる仕組みになっている。
 要はその家が不動産としてどれくらいの価値があるかを実地調査にくるもので、この調査によって以降支払いを義務づけられる年間の固定資産税の額が決まる。家を建てるときだけでなく、移り住んだあとも日々ぜい肉を落とした暮しを目指していたから、私にとっては非常に重要な意味を持つものだった。

 固定資産税の算出法にはおおよその知識があった。もちろん設計にあたっては、なるべく税金の評価額が低くなるような工夫をこらしてあった。簡単に書くと、ぜいたくな家、広い家の評価額は高く、従って税金も高い。このときに調査員に直接聞いた内容も含め、以下その概要を記す。

●床面積の大きい家は評価額が高い
 当り前といえば当り前の話である。我が家の床面積は、わずか91.08平方メートル。第1部でも触れたように、住宅金融公庫の融資を受けられるぎりぎりの床面積である。地球資源保護の意味でも、むやみと広い家を建てず、身の丈にあったコンパクトな暮しを心がけたい。

●構造材をむきだしにした家は評価額が低い
 たとえば天井を張らず、張りや根太を表しにした構造であれば、安普請の家ということになり、評価額は低くなるらしい。我が家では2階に天井がなく、梁と柱がむき出しである。

●タイルを使った家は評価額が高い
 タイル張はやはり高級な仕上げとみなされるようだ。玄関床には大半の家でタイルを張るが、評価額は高くなる。同じ理由で外壁にタイルを使うと当然評価額は上がる。
 今回の家には一切タイルがない。我が家のポーチはモルタル塗りを基本とし、一部私が素焼きレンガを自分ではめ込んだが、モルタル塗と評価してくれた。台所にもタイルは使わず、DIYショップで調達した不燃ボードを自分で張った。外壁は鉄板張りなので、これ以上ない安普請である。

●キッチンセットはある長さを超えると評価額が高い
 調査員はスケール持参で実際に寸法を測っていった。キッチンセットの長さで税金の額が違うとは驚きだった。「いったい何センチ以上だと高いのですか?」と恐る恐る尋ねてみると、240センチ以上だという。私の家は最低寸法に近い210センチだったので、まずは一安心。

●洗面台はある長さを超えると評価額が高い
 これも上と似たようなポイントである。洗面台の長さが80センチ以上だと高くなるという。我が家はこれまた最低に近い74センチである。シンク容量は洗髪や洗濯下洗いも可能な大形21リットルだが、こちらは評価額とは無関係である。

●内装材に銘木板を使うと評価額が高い
 ポーチのタイルと同じで、高級な材料を使うとたちまち評価額は上がる。我が家の1階天井は米松構造板をサンダ−がけして釘で打ちつけただけの代物だが、一見豪華に見えるらしく、「これは銘木板じゃないですか?」としばし疑われた。椅子に乗って実際にさわってもらい、ようやく納得してもらったが、調査員に一切妥協はないと心得るべし。
 これに限らず、我が家の内装材はハードボードやOSB構造用パネル、松の無垢材などの安いものをただ釘で打ちつけただけだったから、おそらく評価額は最低ラインに近いものばかりだったはずである。

 以上のような調査により、数カ月後に呈示された注目の不動産評価額(家屋分)は、わずか234万円だった。これによる年間固定資産税額は32,800円。(平成12年度分)土地は市街化調整地域である関係で、固定資産税額はゼロである。これは土地を購入前に不動産会社から知らされていた耳寄り情報のひとつだった。(第1部〜その2参照)
 これらを引越し前に住んでいたマンションの数値と比較してみる。67.72平方メートルの鉄筋コンクリート造5階建のうち、1階3LDKの物件である。建設直後のデータが手元になく、数値は建築後10年を経た平成6年度のものだが、家屋評価額が619万円、土地評価額が38万円である。これに基づく固定資産税額は年額114,800円であり、家屋分だけを案分すると、108,000円となる。
 今回建てた家の数値と単純に比べてみると、金額で75,000円、比率では3.3倍も高い。新築住宅の固定資産税は3年間だけの優遇税制で、これが過ぎると税額は倍の65,600円に上がるが、それでもマンションに住み続けていたら、10年間で都合52万円もの差が出たことになる。これは大きい!
 木造の戸建住宅と鉄筋コンクリート造のマンションとを比較すること自体に多少の無理はあるが、その後同規模の戸建住宅と数値を比較してみたところ、今回の評価額が格段に低い数値であることが判明した。工夫をこらした節約設計が、見事に功を奏したらしい。



食器棚をなんとかして!



 引越しに伴う雑事や、期せずして次々と舞い込む仕事に追い立てられながらも、身体は徐々に回復のきざしをみせつつあった。家が完成して神経をすり減らす毎日の現場監理がなくなり、無理なセルフビルド作業も自重してひたすら養生に努めたことが良かったようだ。
 私の体力の回復に合わせるかのように、日常生活に必要最低限の設備を早急に整えてくれるよう、妻から悲痛とも思える叫びがあがっていた。無理もない、入居後2週間近くにもなるというのに、いまだに食器棚や調理カウンターすらなく、食事の支度にも不便を強いていた。辛抱強い我が妻だからこそ耐えていたようなものの、人によっては大騒動になっていただろう。
 押入れや仕事用の本棚、子供の机やベットなどは後回しにするにしても、健康維持に直結する食事の設備だけは、何としても年内に準備しなくてはならない。

 12月16日、スローペースの電気業者がようやくインタホンを取りつけにやってきたのを機に、私も食器棚兼カウンターの材料カットにとりかかった。設計図はすでに出来上がっていたので、K建設にあらかじめ発注しておいた材料の山から適当な木材を探し出し、電動ノコと電動ドリルで寸法通り加工してゆく。すでに氷点下の寒風が吹き荒れている外での作業は不可能である。引越し荷物をどかして作った狭いスペースに不自由しながらも、作業はなんとか進められた。
 作品のコンセプトは、ずばり「エコロジー食器棚」である。家のコンセプトのひとつである「エコロジー」に合わせ、材料にすべて無垢材を使って、ホルムアルデヒドなどの有害物質を極力揮発させない家具を作り出そうと思った。この考えは食器棚に限らず、これから作り出す数々のセルフビルド作品のすべての基本となってゆく。
 合板類を使うとどうしてもホルムアルデヒドの問題が出てくるので、安全で安価な家に使った内装材を基本材料に使おうと考えた。ベースになる材料は幅10.5センチ、厚さ18センチの通称「ヌキ」と呼ばれている松の構造材である。構造材だから仕上がりは荒い。しかし、安くて安全なのである。梁に相当する部分には同じ構造材である松タルキを用い、カウンター部分だけは厚みのあるツーバィ材を使った。もちろんツーバィ材も、安くて安全な材料である。

 これらを木材専用のビスでネジ止めしてゆく。私の場合、接合はすべて木材専用のビス止めでやる。接着材は有害物質の拡散につながるので極力使わないが、補助的に用いる場合には安全無害な酢酸樹脂系のもの(ホワイトボンド)を使うことにしている。
 釘を使わないのは、分解するときのことを考えてである。釘よりもビスのほうがはるかに分解しやすく、材料の傷みも少なくて再利用も容易だ。作ったものはいつか壊すか、作り直すときが必ずやってくる。建物であろうが電気製品であろうが趣味の小物であろうが、それは変わる事のない宿命だった。だから何かを作るときは、必ず壊すこと、そして壊したものをどう始末するかを考えて作らねばならない。それは創造者に与えられた義務のようなものだ。「エコロジー」とは、単に自分たちの命や利益を守るだけでなく、もっとグローバルな視野に立ったものだと私は考えている。
 たとえば接合の問題にしても、効率だけを考え、有害な接着剤や分解しにくい釘を使ってしまえば、壊したり再生したりするときの資源の無駄や有害物質の拡散はどうしても避けられない。ちょっとした工夫で、少しでもそうした危険を回避したかった。

 仕事の合間をぬって粛々と作業は続けられ、縦1.8メートル×横1.8メートル×奥行30センチの大型食器棚がようやく完成したのは、暮も押し詰まった12月26日のことだった。写真を見ると分かるように、ドアの開け閉めの苦手な妻のことを考慮し、ドア類は一切つけていない。家ばかりでなく、食器棚までもがあくまでオープンなのである。
 中央部分を背後の壁に2箇所ビス止めし、地震による転倒に備えている。引き出しの造作は結構難しい作業だったが、何度かの修正を経てぴったりと収まった。


カウンターを兼ねる「エコロジー食器棚」(2000年度DIYグランプリ入選作)



なんとか年越し



 こうして食器棚はどうにか年末のおせち料理に間に合った。28日には忙しさにかまけて引越し後の挨拶を怠っていたエモトさんの事務所にお礼に伺う。K建設への挨拶はすでに済ませていたから、お世話になった方々への気掛かりは、この日でようやくすべて解消した。
 年明けには住宅金融公庫の最終申込み、そして住んでいたマンションの売却契約処理など、まだまだ事務手続きは山のように残っていたが、健康状態もようやく回復したいま、年だけはどうにか無事に越せそうだった。

 大晦日には横浜に独り暮す娘が帰ってきた。初夏のころ、まだ荒れ放題だった更地を見せただけで、娘が新居を見るのはこれが初めてである。デザインのプロである娘の家の評価が私には少しばかり気になったが、好奇心の固まりのようになった娘は、家の内外をじっくりと観察したあと、「外観はシンプルだけど、内部はすごく面白い空間を作っているわね」との評価を私の作品に下した。
 そうだろう、そうだろうとも、そうこなくっちゃな。いろいろと苦労したんだぞ、ここまでくるには。心でそう思いながら、そんな娘の言葉がうれしくもあり、くすぐったくもある。

 正月になんとか間に合わせようと、年末ぎりぎりまで2階押し入れの材料加工を続けたが、年内完成はどうにも不可能のようだった。食器棚の完成と暖かな床下を一部収納空間として利用することで、1階の段ボール箱はほとんど姿を消したが、2階は相変わらず段ボール箱に埋もれたままである。仕方がない、こうなればこのままの状態で年を越そうと覚悟を決める。



換気エコロジー押入れ



 心配された雪や風もさほどではなく、穏やかに2000年ミレニアムの年が明けた。正月気分もそこそこに、さっそく気がかりだった押入れの仕上げに取りかかる。
 押入れを自分で作るということ自体、奇異に感じる方がいるかもしれない。家具やデッキを手作りする例はいくらでもあるが、玄関ポーチや押し入れまでを自分で作る人はほとんどいない。通常、これらの工事は施工業者の仕事であり、施工の順序や収まりからいっても、自分でやるのは難しいのである。しかし、施工業者とよく話合い、職人の手を極力わずらわせないように環境を整えれば、自分でやることは決して不可能ではない。施工費もその分下がるのは当然である。
 第1部で書いたように、玄関ポーチの工事は建物の外回りが完成するのに合わせ、職人の仕事を邪魔せず、なおかつ入居後の生活に支障のないぴったりのタイミングですでに仕上げていた。押入れを自分で作る場合は、設置する予定の場所を普通の部屋の延長として大工さんに仕上げてもらえばいい。壁や床、そして天井は同じ材料で段差なく仕上がることになる。
 その空間に補強した棚板を上下2枚はめこめば押入れが出来上がる。棚板は壁にビス止めした受け枠にただのせるだけで、固定しない。こうすることで、将来の増改築も簡単に行える。材料には電動カンナで仕上げた松の構造材(タルキ)を主に使い、布団などをのせる平らな部分には、内壁と同じハードボードを用いた。

 押入れの棚板は背後の壁にぴったりとくっつけて仕上げるのが普通の施工方法だが、今回は背後に約5センチの空間を設け、押入れ内に空気が自由に流れるようにした。
 実は押入れも北方住宅の隠れた危険ゾーンなのである。そもそもが閉鎖した空間で湿気がこもりやすく、外壁側の結露しやすい位置に設けられることが多い。布団をどかしてみたら押入れ内が結露で水びたし、などというトラブルはよくあることで、部屋と押入れの温度差、そして押入れ内部の換気がスムーズにいかない構造であることがその主な原因である。
 要は押入れも今回のパッシブ換気の床下と同じように、室内空間と同じような温度、湿度を保ってやれば、何も問題は起こらない。予算があれば設計上の配慮で同様の収納空間を作ることはもちろん可能だが、今回の計画は超緊縮予算でもあるので、それらすべてを自らの手でやろうと考えた。

 この押入れには扉もない。閉鎖的な扉はスムーズな換気を妨げるからで、全面ガラリの扉ならば問題ないが、コストがべらぼうに高い。そこで、バーゲン品の幅広布を5メートル買ってきて、簡単なロールスクリーンを作り、扉代わりに使った。
 押入れの上部は傾斜天井になっている関係で、開放されたままである。換気が抜群なその分、最上段はほこりがかぶりやすい。従って最上段には箱物を中心に置き、掃除が簡単に出来るような工夫をしてある。
 こうして出来上がった押入れ内部に温度湿度計を持ち込み、計測してみると、当然のことながら室内と全く同じ環境になっている。蛇足だが、床に全く段差がなく、部屋と同じ仕上がりになっているので、下段の物の出し入れが極めてスムーズである。また、多数の来客時にはスクリーンを少し上げ、布団を出した空間をそのまま部屋の延長として広く利用出来る。なかなかつぶしの利く空間なのである。



ようやく家らしく



 1月4日にはスペースだけを確保しておいた1階階段横の物入れにパイプを3本つけ、クローゼットに仕立て上げた。こちらにも扉は一切なく、安い布屋で買ってきた布を暖簾のように加工して入口に吊るしただけである。ミシンは中学生のころから得意だったので、新居に関わる諸々の生地加工とその購入は、すべて私が担当した。
 2階には幅2.6メートル×高さ2.4メートル×奥行0.8メートルの押入れ、1階には幅0.8メートル×高さ2.4メートル×奥行1.35メートルのクローゼットがこうして誕生し、一気に室内が片づいた。

 仕事がないことをいいことに、1月8日には仕事部屋と夫婦寝室の仕切りをかねる本棚を作った。材料は1階床に使った松パネル材の残りである。K建設が工事で余った材料を多数プレゼントしてくれたおかげで、セルフビルドの材料調達は随分と楽になっていた。
 本棚はかなり重くなるので、設置場所を太い梁の上にした。通気を考えて背後には仕切板を一切張らず、あるのは外枠と棚板のみである。本をびっしり並べると光と視線はほとんど遮られるが、風は自由に通る。本も寝室と仕事部屋の両側から出し入れ可能である。風を自由に通してやることは、この家の新たなるコンセプトのひとつになりつつあった。
 さらに一部の棚板を外し、窓のように両側からのぞけるようにした。妻が先に寝たときに仕事部屋からの電気がまぶしくならないよう、この部分だけ小さな布を暖簾のように吊るした。あるようでないような、あいまいな間仕切りの完成である。転居後に手がけた大物家具が都合4つ完成し、ようやく家らしい体裁が整いつつあった。

 翌9日には町内会の新年会が催された。越してきて1ケ月たったばかりなので、無理して出る必要もなかったが、あえて私は出席した。土地を買ったときにすでに分かっていたことだが、この地区は2本の川に挟まれた空き地だらけの50戸足らずの小さな集落である。狭い地域であるがゆえに、近隣の人間関係には大都会とは全く異なった親密なものがあるはずである。ならばそこから逃げ出さず、最初からその中に飛び込んでゆけばいい。そのほうが今後この地で健やかな人間関係を築きやすいはずだ。そんなふうに私は考えた。
 集いは思っていた通り、和気あいあいとしたものだった。土地の雰囲気も私の生まれ育った田舎にどこか似ていたが、どうやら人情までもが都会からは取り残された純朴なままのようである。自己紹介の場面で私は、「この土地は茫漠とした感じが私の生まれ故郷とよく似ていてとても気に入り、引越してました」と素直な心情を語り、周囲の人々を大いに喜ばせた。
(よし、この土地に根を降ろして生きて行こう、生きて行くぞ)
 小さいがそんな確かな決意が、胸の底から静かに沸き上がっていた。



窓結露止まらず



 このころ、外は次第に風雪が強まっていた。雪嵐がしばしば地区を襲い、排気筒からの風音はその都度私を悩ませた。あるとき、ふと思いついて梯子に昇って排気筒の口に古シーツを押し込んでみたところ、風音はぴたりと止まる。どうにも我慢が出来ないときは、とりあえずこの応急措置が役に立ちそうだった。
 同じ時期にもうひとつ私を悩ませたのは、窓ガラスの結露である。マンション住まいのときにも同じ問題に悩まされ、おかげで部屋の壁をすっかり黒カビだらけにしてしまったものだが、まさにその悪夢を再現させるような問題だった。
 湿度を測ると60%前後でそれほど高いとはいえない。原因は朝方の冷え込む時間に窓の下部が冷やされ、露点以下になってしまうことだった。調べてみると、どうやら湿度を50%以下にしないと結露は止まりそうにない。

 結露といっても、朝起きてみると窓の下端がうっすらと曇り、窓枠の結露受けに水が少し溜る程度である。窓はプラスチック製だったが、ガラスにはペアガラスを使い、マンション時代のものとは比べ物にならないほど性能面では優れている。マンション時代には窓から流れ落ちる水が壁や床に溢れ、ガラスの雑巾ぬぐいが日課になっていたほどだ。それに比べるとはるかにましなのだが、私には気に入らなかった。気密断熱にこれだけの配慮をしたはずなのに、窓が結露してしまうという事実が、どうにも受け入れ難かった。
 窓を木製の3重ガラスにしていれば…と、後悔が走った。土壇場まで迷ったあげく、予算の都合で断念したツケがこれだったのかと、取りかえしのつかない思いがじくじくと自分を責めたてた。
 窓の交換は事実上不可能なので、あとは湿度をいかにして下げるかだった。だが、入居後まだ1ケ月そこそこである。木材が完全に乾燥するには、最低1年はみなくてはいけない。それまでは大量に使った木材からは水が出続ける。床下に打った厚いコンクリートも完全乾燥には程遠い。床下と部屋は換気のために一体構造に近い。打ったばかりのコンクリートは濡れ雑巾にたとえられるほど、これまた大量の水分を空気中に放出する。かくして水分は当分の間、この家の空気中に放出され続ける…。

 新築住宅の宿命のようなものだった。完成と入居が冬というのは、結露に限ると最悪の条件である。内部に調湿機能の優れた木材を多量に使っているその分、まだこの程度で結露が止まっているのかもしれない。その証拠に、壁や天井を隅々まで調べてみても、結露は一切見られないではないか。
 結局私は、しばらく様子を見ることにした。最低1年は様子をみないと、簡単に結論は出せない。パッシブ換気が充分機能していることはすでに分かっていたから、時がきて内部の乾燥が進めば、自然に問題が解決する可能性は充分にあった。
(その後1年を経てから、窓の結露はほとんどが解消した)

 排気筒からの風音、窓の結露など、予期せぬトラブルに見舞われた私たちだったが、この年は例年よりもはるかに低気圧の勢力が強く、冬の季節風はいよいよ厳しさを増し、雪は次第に深くあたりを埋め尽くそうとしていた。
 諸般の事情で、玄関前車庫の完成をやむなく翌年に持ち越してしまった私を責めるように、さらなる困難が爪を研いで私たち一家を待ち受けていた。

(第2話「冬ごもり雪ごもり」へと続く)