第1部〜その6 恐怖の全面設計変更


無駄の再点検 /99.5.26



  目の前に立ち塞がっていたやっかいな諸届けの嵐を、半年がかりでようやく解決したばかりの私だったが、代わって登場した「予算」という巨大な壁を前に、出口の見えない困難な作業を再び続けなくてはならなかった。確認申請を通したばかりだったが、いまの図面では到底目的を達成出来ないことはすでに明らかだったから、思いきったコストダウンが必要だった。
 この計画の名であり、自宅そのものでもある「TOM CUBE」は、それまでパート3まで変化をとげていた。その歴史は主として純粋な計画面での変遷だったが、予算面でさまざまな問題が浮き彫りになったいま、今度は価格面から大胆な改良を企てる必要がある。

 こうした場面での私の結論とそれに伴う行動は、限りなく素早い。T工務店から正式に断りの電話が入ったその日のうちに、私は以下の改良を決意した。進化したのか後退したのか評価は難しいが、順番から行けばこれで「TOMCUBE4」が誕生したことになる。

●車庫2台分を1台に削減
 それまでの計画では、ピロティ形式(屋根を主に柱だけで支えた壁のない構造)の車庫が2台分用意されていた。車庫は屋外に平らなスペースだけ確保して何も作らないのが本来最もローコストである。だが、屋内から外へいきなりではなく、屋内から曖昧な空間としての車庫、そして外と通ずる一連の流れを無理なく自然に作りたい、という強いコンセプトが私にはある。そのためには2台は無理としても、1台分の車庫だけはどうしても確保したかった。

●2階の45センチの跳ね出しをやめる
「床面積不足!」の緊急事態でやむなく採用した案だったが、建築確認申請で車庫通路部分の床面積算入を指摘されてから、あまり意味がなくなっていた。相談をもちかけたエモトさんのありがたい提案だったが、裏を返せば、当初から単純な矩形をイメージしていた私のコンセプトとは本来異なる。予算が切羽詰まったいま、立面の収まりが悪く、断熱施工が難しくなり、引いては価格上昇に直結するこの跳ね出しは、この時点ですっぱりとやめることにした。

●床暖房をやめる
 それまで、暖房計画はエモトさんの強い勧めもあって床暖房で通してきた。確かに、床暖房には利点が多い。長い間エモトさんが使い続けてきたからには、それなりの理由がある。建物上下の温度分布にむらがないので、吹き抜けを縦横にとった今回の計画にはぴったりだった。床そのものが暖かいのだから、以前から床に座る生活を続けてきた私たち一家にとっても、うってつけの暖房方式である。
 だが、不都合な面もいくつかあった。やはり値段が割高になることである。理論上ボイラは同じような仕様になるが、床の下に敷く暖房パネルの価格が馬鹿にならない。床の材料が制限されるのも問題だった。今回、床暖房にするつもりの1階は、床材をコルクタイルにする予定だった。コルクは安全で再生が利き、上品な肌合いが魅力だが、価格が非常に高い。合板フロアーに比べると三倍近いのだ。だが、値段の安い合板には例のホルムアルデヒド問題がある。
 さらに、床暖房には60度を越える温度の悪影響がある。高温によるダニ類の繁殖や、床材の経年変化が考えられた。窓際だけが冷気で寒くなる、いわゆる「コールドドラフト」も避けられない。

 せっかくのエモトさんの勧めだったが、さまざまな理由から床暖房もこの時点で断念した。まるで保護者のように確認申請にまで「引率」してもらい、工務店を紹介されたり、さまざまなアドバイスをいただいたりした私だったが、「大幅コストダウン」というやむにやまれぬ事情により、このあたりから徐々に人に頼らない、手探りの独り歩きが始まる。



暖房と換気 /99.5.26



 さて、床暖房を断念したからには、それに代わる暖房方式を選ばなくてはならない。対流式暖房であるストーブ類はあまりにも欠点が多く、使う気は最初からまるでなかった。当初から2階は温水ボイラによるパネルヒーター(放熱器)で暖房する予定でいた。床暖房もパネルヒーター暖房も難点の少ない、同じふく射式暖房である。だが、パネルヒーターには床暖房に比べてさらに欠点が少ない。もちろん価格も安い。パネルヒーターによるセントラルヒーティング以外に、有効な暖房方式は見当たらなかった。
 暖房方式はこうして自然に煮詰まっていった。平行して大幅な設計変更に伴う図面の手直しも集中的に行われた。街にはすでに初夏の風が漂い始めている。なるべく早く図面を直し、しかるべき業者に再度の見積を依頼しなくてはならなかった。

 暖房と平行して再考しなくてはいけない問題に、換気システムがあった。建物全体を太い一本の煙突のよう考え、屋内の空気を均一にすみやかに通してやる、という考えは設計当初からあった。建物を単純な矩形にし、縦横に切り裂く吹き抜けを設けたのも、ひとつにはそのスムーズな通気が目的だった。
 屋内と屋外で寒暖の差が激しい北国では、どうしても結露が生じやすく、それがさまさまな障害となり、引いては建物そのものの寿命を短くする原因になっている。建物内部の温度むらをなるべく少なくし、結露を極力生じさせない工夫は、北国の住宅設計では不可欠なのだ。

 当初は建物最下部である地下室壁に空気取入口を設け、そこから吹き抜けを通して2階傾斜天井の上端につけられた換気ファンで室内空気全体を引っ張ってやる考えだった。通気だけに限れば、基本的にはこのやり方でも問題ない。だが、かねてから私が気にしていたのは、暖房とのかねあいである。通気を良くしてやればやるほど、それに比例して暖まった空気も外へ逃げてゆき、暖房効率がすこぶる悪い。24時間運転になってしまう換気ファンの電気代も馬鹿にならない。熱交換器つきの24時間換気システムは効果的だが、予算的にもちろん無理だし、こちらの電気代はさらに割高だ。もっと合理的なやり方はないか…。
 最初は土中深く埋めたパイプから空気を導こうと思った。冬でも土の中は暖かい。10mくらいのパイプを通してやれば、外気はかなり暖まって暖房効率も上がるのではないかと考えた。自然を利用した熱交換システムである。だが、この考えは甘かった。いろいろな資料を調べて導きだした計算値は、それほどの効果がないことを示していた。しかも、その割には工事費がかさむ。なんとか暖房方式と相性のいい換気システムを見つけたかった。



パッシブ換気との出合い /99.5.28



 話が少しさかのぼるが、実施設計図に追われていた4月中旬、「パッシブ換気」という名の新しい換気方式に関する記事が新聞に載った。基本的な概念は私の計画と同じだが、「外気との温度差を利用して動力を一切使わずに換気させる」「そのために暖房器を床下に入れる」「外の寒さが換気動力となる北国向きのユニークな換気法」など、思わず目がくらくらするような魅力的な話が載っている。
 そのときは忙しさに追われ、記事を切り抜くだけで終わっていたが、大幅な設計変更が避けられないいま、多くの問題を解決してくれそうなそのパッシブ換気とやらを、もう一度深く研究したみたいと思った。

 記事に載っていた連絡先に電話を入れると、信じられないことにちょうど翌日に大規模な講習会が実施されるという。資料を送ってもいいが、ぜひ講習会に参加して欲しいと担当者は要請した。
 翌5月28日、北海道建築指導センターが主催するその講習会に私は参加した。図面修正に追われているさなかだったが、システムの全容をどうしても知る必要があった。問い合わせの翌日が講習会というのも、何かの巡り合わせである。

 会場は大勢の人で溢れていた。この時点で私はこの「パッシブ換気」を自分の計画に取り入れようと決意していた。記事に載っていた図や説明文で、システムの概要は把握していた。あとは具体的な手法さえ確かめればいい。
 講師の説明は分かりやすく、的確なものだった。従来の住宅のように床下を外部空間とはせず、完全に断熱した内部空間とみなすのである。地面と接する水平部分には鉄筋コンクリートを打ち、地面からの湿気を完全に封じ込める。そしてそこに何台かの暖房器具を置く。外部から取り入れた新鮮空気は、その熱源ですぐに暖められ、屋内空間や間仕切り壁を通って最上部の煙突から自然の温度差を利用して抜けてゆく、という概念だった。床下に置く熱源は、パネルヒーターが最適だという。直下に熱源がある関係で、特に1階の床は床暖房に近い温もりが期待出来る。
 ほとんど自分の計画のために考え出されたようなそのシステムに、私はたちまち有頂天になった。質疑応答の時間は私の独断場だった。事前に十分な勉強をし、具体的な計画がすでにあったわけだから、そもそも意気込みが違う。この講習会で、私はそれまでの自分の理論に大きな誤りがないという、確固たる自信を持った。そして、この「パッシブ換気」の採用は、エコロジーでかつローコストな自分の計画に添った、太い骨格となったのだ。



手探り独り歩き /99.5.28〜6.1



 こうしてローコスト化になんとか目途がついた。感覚的には、数百万単位でコストが下がったはずである。だが、これで本当に自分の思惑通りの見積が出るのかどうか、最初の業者との交渉で手ひどい目にあっているので、まるで自信が持てない。
 5月28日、まだ修正図面は完成していなかったが、私は自分で探し出した業者に見積の依頼をしようと決意した。数日前の新聞に、あるローコスト住宅の特集記事が載っていた。坪40万弱で建てられたというその建物は、粗削りだがユニークな材料の使い方やデザインに、どこか自分の設計と似通ったものを感じていた。電話帳を繰ってその建築主を探し出し、施工業者を紹介してもらうつもりだった。
 先に書いたように、最初の業者を紹介してくれたエモトさんは、すぐに次の業者の紹介を申し出てくれていた。気持ちは大変ありがたかったが、あまりエモトさんばかりに頼るのは嫌だった。すでに設計仕様の変更でも、徐々に独自の道を歩み始めている。ここはひとつ業者の選定も自力でやってみようと考えた。

 電話に出た建築主のヨシノさんは、すぐに事情を理解してくれた。しかし、詳しく話を聞くと、なんと設計も施工もヨシノさん自身だという。新聞にそこまで書いてないのは、記事が業者の営業宣伝にならないようにとの、新聞社側の配慮だったらしい。
「では、すでに図面の出来上がっている建物の施工は、手掛ませんね?」
 私はヨシノさんにそう確かめた。設計者と施工業者が同一である建築業者は少なくない。ユニークな設計をまず新聞に売り込み、興味を持った読者から設計と施工を込みで請負おう、という意図なのだろうと思った。
「いや…、場合によっては施工だけ受けることもあります」
 意に反して、ヨシノさんはそう答えた。設計を自ら手掛ける業者に、見積の依頼だけをするのはためらわれた。こちらの設計意図と相手のそれとが噛み合わない場合、プライドがぶつかり合って問題が別の方向にねじれかねないからである。しかし、その時点で他にローコストを売り物にした業者の心当たりはない。とにかく図面を見せて欲しい、という相手の要求通り、翌月曜に会う約束を交わして電話を切った。

 三日という短期間ですべての修正図面をなんとか整え、約束の月曜(5月31日)にヨシノさんの工房を訪れた。父親から受け継いだ工務店を経営しているというヨシノさんが自ら設計し、大工と二人で三ヶ月がかりで施工したというその工房は、ほぼ想像していた通りの印象だった。
「ウチが施工を請負うと、だいたいこういう粗い感じに仕上がりますが、これでもよろしいですか?」
 ダメを押すようにヨシノさんは言った。異存ないです、そう応じながらも、果たしてこちらの思惑と相手の思惑とが噛み合うのか否か、不安はつのるばかりである。貴重なローコストの極意をここでいろいろと教えてもらい、さっそく自分の図面を見せると、ヨシノさんの表情がとたんに難しくなった。
「これで予算はいくらなんです?」
 ヨシノさんは単刀直入にスバリと聞いてくる。ここでの駆け引きは無用だった。1100万です、と正直に答えた。その瞬間、ヨシノさんの表情がさらに厳しくなったように見えた。



後がない /99.6.1



 翌日の朝、ヨシノさんから連絡があった。非常にユニークな建物で、ぜひ施工してみたいという気持ちはあるのだが、残念ながら以下の理由により、1100万では施工が困難だと彼は言う。

●細かい壁の仕切り、構造材の表し部分などに大工手間がかかる。
●外断熱のポリスチレン断熱材の施工に手間と金がかかる。
●地下室と基礎杭に金がかかる。
●ハードボードの切断に手間がかかる。そもそもハードボードは収縮が大きく、使う気がしない。

 やはりそうか、という印象だった。相手の口調と内容からして、電話はやんわりとした断わりを意味している。何の義理もない飛び込みの依頼者に、リスクを背負ってまで請負う業者など普通はいない。「ハードボードは使う気がしない」という言葉にも、当初懸念していた相手の設計者としての意地やプライドが感じられた。ハードボードの使用は今回の計画の目玉である。この業者との折り合いも難しそうだ…。この電話を受けた時点で、またまた私はそう覚悟せざるを得なかった。
 それでも私はすぐに電話を切らず、ではいくらなら施工可能なのかをスバリと聞いた。すると1400万は最低欲しいと言う。建物本体は約25坪だったので、坪40万として1000万。地下室と車庫が合わせて約10坪あるが、そちらも同じく坪40万は欲しい、というのが相手の主張である。合算すると、確かに1400万になる。
 屋根と柱しかない車庫が坪40万ですか、と少しあきれた口調で私が尋ねると、ああいう物でも結構手間が馬鹿にならないんですよね、とあくまで相手は譲らなかった。
 ぎりぎりのコストダウン計画を図った甲斐あって、十日前に最初の業者から出た見積より、300万ものダウンではあった。しかし、これでもまだ予算とは300万もの開きがある。相手の雰囲気から察して、これ以上の歩み寄りは困難であることは明白だった。
「もう少し図面を煮詰めて、また連絡します」
 そう短く言って電話を切る。事実上の交渉決裂である。

 自分ひとりの力で果敢に試みた業者との交渉は、こうしてあえなく挫折した。だが、すべてが無駄ばかりではもちろんなく、結果的にその交渉はさまざまな収穫を私にもたらした。
 ヨシノさんが並べた断わりの理由は、そのまま自分のローコスト計画の不備を指摘している。再度の設計変更を試み、そこをすべてつぶせば、おそらく目標の数値に限りなく近づくに違いない…。そう考えた私は、休む間もなく、三たびの設計変更に取りかかった。もしこれでも駄目なら、計画そのものを断念するしかない。もう後がない、まさに崖っぷちに立たされた最後の設計変更計画だった。



究極の1LDK住宅 /99.6.2〜12



 迷走する私の計画を案じたエモトさんからは、その後もしばしば連絡が入っていた。私が自分で探し出した業者との交渉経緯をきたんなく話すと、面識のない業者との交渉は危険だよ、今度こそ信頼出来る業者を紹介するから、とエモトさんは心配そうに言う。どうやら自分が最初に紹介した業者との交渉が決裂し、その結果私自身が苦境に立たされていることに、エモトさん自身も責任を感じている様子だった。
 私はそんなエモトさんの申し出を素直にありがたいと思ったが、いずれにしてもいま少しの時間が欲しかった。どの業者に頼んだとしても、交渉の中で出た1400万という概算数値に、大きな隔たりはないように思えた。

 6月2日、私は究極の設計変更計画に着手した。その概要は以下のようである。

●地下室を中止
 実は地下室を強く勧めたのもエモトさんである。北国の生活に地下室は大きな潤いを与えることは事実だった。高床式の半地下構造にすれば雪害が少なく、日照にも有利な建物になる。手作りの好きな私にとって、地下室は格好の遊び場になるだろう。季節の道具が多い北国の生活には、物置きとしても重要な役割を果たす。
 そんなもろもろの理由から、私も当初から地下室を計画の中心に考えていた。だが、どうしても価格に響く。単純に計算してみても、100万以上は余分にかかるのだ。計画が切羽詰まったいま、これを思いきって切り捨てる英断が必要だった。

 1階床が約70センチ低くなることの見返りに、日射量が減らないよう特に1階窓の位置、大きさ、高さを慎重に調整する。敷地全体にも約20センチの盛土をし、相対的な建物の高さが、極端に低くならないように配慮した。以前にも書いたが、これらの作業はすべて3DCGソフトを使って迅速かつ正確に行われた。
 物置きとしての地下室の位置づけは、先に書いた「パッシブ換気」の採用による床下の大空間を一部収納として利用することで対処する。

●車庫を中止
 ついに矢折れ、刀尽きた感である。内から外への緩衝空間としてこだわり続けてきたピロティ形式の車庫を、ここで断念せざるを得なくなった。これだけで100万近くは安くなる。しかし、どうしても未練が残った。そこで、図面にはある秘策を施した。屋根のない外枠だけをパーゴラとして描き、「外溝工事」として残したのである。
 外溝工事は通常、建築工事には含まれないから、見積には出ない。屋根がないので、床面積や建築面積からも除外される。ではいったい、どうやってそれを施工するのか?

 通常、こうした外溝工事は施主から造園業者などに別発注される。だが、そんな余分な金はもちろんない。答えはセルフビルド、すなわちDIYである。かねてから私は手作りを趣味や生き甲斐にしてきた。プロによる工事が価格面で行き詰まったいま、最後の切り札としてそれを活かそうと考えたのだ。
 車庫のような大物はかって一度も手がけたことがない。雨や雪に備え、可動式の覆いだけはつける予定でいたから、工事はなおさら困難が予想された。だが、もうそれしか手はなかった。以前に「ローコスト」「エコロジー」の2本の柱が自然発生的に出来たと書いたが、必要に迫られて出来た3本目の柱、それこそがこの「セルフビルド」の柱なのである。

●ウッドデッキの中止
 中止の理由は車庫と同じようなもので、こちらも材料だけを買って施工はすべて自分でやろうと覚悟を決めた。以後、すべての局面でこの「セルフビルド」のコンセプトが君臨してゆく。

●2階をワンルームにする
 これは相当思いきった変更だった。当初から2階は息子と私たち夫婦の寝室、そして仕事部屋の四室を計画していた。「横の吹き抜け」という概念から、スライド式の引戸を開ければ開放的な空間でつながるようにはなっていたが、引戸を閉じればもちろん個々の空間に区分される。だが、一室四畳半ほどのこの空間を仕切る壁、ドア、収納などの大工手間が、馬鹿にならないことが分かった。
「家の中に隅(角)の数が多いほど施工手間がかかり、割高になるんですよ」と、ローコスト住宅の先輩であるヨシノさんは教えてくれていた。間仕切りやドアが何もないワンルームなら、同じ面積でも極めて安上がりになるというのだ。確かにその通りに違いない。

 そこで2階の壁の大半を取り払い、ワンルームのような構造にした。個々のコーナーは、やはりこれもセルフビルドで可動式の家具を手作りし、空間を仕切ろうと考えた。プライバシーの確保が難点だったが、将来の家族変化などにも柔軟に対応出来る。これぞ究極のローコスト計画である。
 結果的にこの家のドアは、玄関と浴室のドアを含めても4枚だけとなった。トイレにさえドアがなかった。2階が一切仕切りのないワンルーム、1階がLDKのこれもワンルームだったから、「TOMCUBE5」はいわば28坪の1LDK住宅なのだった。

●各部寸法を定尺寸法にする
 工場などから出荷される製品の決まった寸法のことを「定尺寸法」と呼ぶ。たとえば合板類の代表的な定尺寸法は910×1820である。住宅の各部寸法をこれらの定尺寸法にぴたりと当てはまるよう設計してやれば、無駄な材料の切り捨てがほとんど出ない。従って加工の手間もかからない。ローコスト住宅の大事なポイントである。このことは計画当初からある程度意識してはいたが、これらをすべての部分で徹底させた。

●各種材料の再度の見直し
 壁や床には本来下地材や構造材を使ってローコストを図り、窓やドアにも格安の製品を使っていたから、もう材料でのローコスト化は限界かとも思われた。だが、やる気になればまだまだ落とせる部分は残っている。

 ひとつ目は断熱材だった。ヨシノさんの指摘にもあったように、外断熱のポリスチレン断熱材は機能的には優れているが、価格や施工の難しさに問題がある。そこで断熱材を高性能グラスウール(充填断熱)+20ミリポリスチレン断熱材(外断熱)の折衷とした。この構造なら湿気によるグラスウールの経年劣化を30%ダウンとして計算しても、断熱性能に遜色はない。価格的にも相当のコストダウンが図れるし、厚さ20ミリであればポリスチレン断熱材の施工にも面倒はなかった。ただし、基礎壁周囲の断熱材だけはグラスウールを使いようがなく、当初予定通り60ミリのポリスチレン断熱材を用いた。

 二つ目は外壁波形鋼板の施工方式である。当初計画していた角小波板縦張のボルトレス工法は、やはり相当割高であることが判明。そこで「0.35mm、アルミ亜鉛合金めっき鋼鈑」はそのままにし、世間ではあまり使われてなかった「大波板縦張」を使うことにした。ボルトが表に出てくる工法なので多少の粗はあるが、その分安い。市場にはあまり出ていない製品なので独創的でもある。波が深いその分、光による陰影もより強くなるだろう。

 三つ目は1階床の材料である。床暖房を中止したので、もはや高いコルクを使う必要はない。2階にあわせてOSB合板とする案もあったが、やはり1階は少し高級感を出したかった。そこで、本来壁用である薄い松の板(17ミリ)を思いきって床に使おうと思った。狂いやすく柔らかい松の薄板を使うのはある種の冒険ではあったが、無垢材なので極めて安全でしかも安価な材料である。父親が建てた田舎の家の床が同じ薄い松で作られていたので、使うことに対する違和感はない。優しい肌触りには郷愁のようなものを感じていた。

●各種工事のカット
 住宅をローコストにあげる手段のひとつに、工事の種類をなるべく減らすことがあげられる。木工事や板金工事、設備工事、電気工事など、どうしても省けない工事はあるが、左官工事やタイル工事、塗装工事などは省略したり自分でやったりすることが可能である。全体工事を請負う建築業者の理解が必要だが、そうすることで膨大な手間賃が浮く。
 今回はいろいろな工夫で、タイル工事と塗装工事をゼロにした。それらを埋め合わせたのは、やはりセルフビルドである。台所のタイルは化粧石綿ボードを自分で張りつけることに、玄関のレンガ敷きや外壁の木部分、内部床の塗装などもすべて自分でやることにした。

●建物を直方体にする
 数ある変更のなかで、これだけがコストアップにつながる変更である。何でもかでもコストダウン一辺倒ではあまりにもわびしく、せつない。車庫を面積の出ない外溝工事にしてしまったので、またまたどこかで床面積を稼ぐ必要があったが、2階の跳ね出しを再現させる気はもちろんない。
 そこで、当初の計画よりも建物を1、2階とも91センチだけ東西に広げ、全体をわずかだが直方体とした。この変更により、東西方向は切りのいい1820のスパンがきっちり4ケ所入ることになり、材料の無駄がなくなる。試算してみると、床面積が12%も増えて空間がかなり豊かになるにも関わらず、コストアップはごくわずかであることが分かった。
「面積を小さくすれば安くなるってもんじゃないんですよ」
 そう教えてくれたヨシノさんの貴重な指摘が、ここでも活きた。



見積書のからくり /99.6.9〜6.23



 こうしてわずか一週間で究極のローコスト設計変更は終わり、合計18枚の図面が完成した。結果論だが、「TOM CUBE4」はわずか1週間ほどの短い命だった。修正があまりにも多く、大半の図面はまるごと書き直しが必要だった。作業は連日夜を徹して行われ、端から見ればおそらく鬼気迫るものがあったろう。
 図面が出来たあと、次なる業者に見積を依頼するまでの少しの間に、私は見積を合理的に行うプログラムをパソコンで作成した。表計算ソフトの一部を利用しただけの簡単なものだったが、とかく曖昧に見積もられがちな木材の量も、少数第二位まで正確にはじきだせるという優れものだった。
 このソフトに完成したばかりの図面のデータを入力し、こと理論的な数値に限れば、極めて正確な見積書のひな形が出来上がった。
 業者との見積の突き合わせは、設計事務所の重要な仕事のひとつである。最初の業者との手痛い失敗に懲りた私は、有無を言わさぬ合理的な数値とその根拠を最初から相手に示し、交渉を自分のペースで有利に進めようと考えたのである。

 6月12日、修正図面一式とその見積書を、新たにエモトさんから紹介されたK建設に渡す。エモトさんの忠告で、見積書は項目と数量の記入だけに留め、単価の部分は伏せた。
 約束の2週間がすぐに過ぎ去った。最終変更計画といっていい今回の修正には自信があった。自分で作った見積プログラムの確かな裏づけもある。6月23日に業者から待望の見積が出た。こちらの目論見通り、大幅に下がっている。それでも当初の予算よりはやや高かったが、私はこの見積で手を打ってもいいと思った。度重なる変更で、身も心も疲れ切っていたせいもある。差額分は非常用の資金を取り崩すなり、公庫の借入金をぎりぎりまで増やすなりして対処すればいいかな、とぼんやり考えた。
 しかし間に入ったエモトさんは、「まだまだがんばれるんじゃないか?」とまるで私をけしかけるように言う。
「キクチさんだってここまで譲歩したんだから、施工業者にもまだまだ譲歩の余地はあるはずだ」

 エモトさんの主張は相手の出した見積書の経費の金額に由来していた。見積書をつぶさに調べてみたところ、数値や単価に前回のような大きなズレはなく、私のはじき出したものと比べてもその差はわずかである。最も大きな差が出たのは、諸経費だった。

 単に「諸経費」と書くと感覚的にいまひとつ分かりにくいが、住宅建築工事ならば、材料を買ったり、職人に支払ったりする費用以外に必要なもろもろのお金のことである。具体的には、現場監督や経理事務員の人件費、本社の光熱費や電話代に至るまで、その範囲は多岐に渡る。
 私も自分で事業を営む身だったので、そうしたお金の必要性は充分に把握していた。一般的には直接工事費の何%、という形で見積書には計上するが、その数値が何%であれば適切なのかはそれぞれの会社組織や運営方法によってまちまちであり、判断には極めて難しいものがある。

 業者が利益を確保しようとする場合、見積書の単価を仕入れや実際の工賃よりも何割か増やして計上するケース、そしてこの諸経費の数値を実際にかかるものより多めに計上するケースの二つがある。
(このほかにも素人には分かりにくいように数量を実際の数値よりも増やしてしまうやり方も現実には多々あるが、良心的な業者では本来あり得ないことであり、今回は私自身が厳密にはじいた数量表を事前に添付しているので、考えない)
 単価を増やす手法は、今回ほとんどないことが確認済みだった。流し台ひとつ、サッシひとつとってみても、工務店には定価の何割かが値引かれて入ってくるが、建築家は当然その値引率を把握している。だから良心的な設計事務所が施主との間に入った場合、機器の取付費や事務手数料のような正当な費用を別にすれば、この種のからくりはほとんど除去されていると考えていい。
(「良心的な設計事務所」とあえて書いたのは、業者と癒着して施主から必要以上の金を巻き上げる悪徳設計者が、全くいないとは言えない現状があるからである)

 しかし、諸経費だけは別だった。業者が会社の運営のために必要な経費を確保するのは当然であり、たとえ施主側に立った設計者といえども、最低限の諸経費は認めなくてはいけない。問題はどこまでそれを認めるかである。
 バブル景気のころはともかく、出口の見えない不景気風が吹き荒れている昨今では、ぎりぎりまで諸経費を詰め、少しでも受注に有利な金額を出すのが常識になりつつあった。今回の私のケースでもそれは例外ではない。エモトさんが言うように、相手業者がどこまで経費率を下げてくれるかが、最終的な価格の詰めの焦点だった。



土壇場での契約締結 /99.6.27〜7.2



 いったんは受ける気でいた相手業者の価格提示を保留にした私だったが、「もっと経費率を下げて欲しい」とやみくもに相手に要求を突きつけることだけは避けたかった。相手も人間である。数量や単価に大きな差はないことは確認済みだったから、相手の譲歩を要求すると同時に、こちらからもさらなるローコストの努力を示さなくてはならない。
 そげるところは徹底的にそぎ、落とせる材料はとことんまで落としたつもりでも、まだ小さな修正部分は残っていた。このころになると計算上わずか数万の差でも、限りなく大きなものに思えてくる。
 同時に、相手見積に含まれていた多少の手違いのチェックも怠らなかった。台所の調理ヒーターが電気工事と設備工事の両方に計上されていたり、洗濯機パンがふたつ計上されていたりした。こうした小さな数字の積み重ねで、またまたかなりのコストダウンが見込まれた。

 7月2日、相手業者から再度の金額提示があった。最初の提示金額とこちらの予算に大きな隔たりがないことは、すでに私の対応で先方も充分推測出来たはずである。おそらく先方もこれが最終金額のつもりだったに違いない。数字には相手の精一杯の誠意がこもっていた。
「分かりました。いろいろとご配慮、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
 施主であり、設計者でもある私は、気持ちをこめてそう言葉を返した。事実上の受諾である。一時は全面降伏まで考え、迷いそして悩んだ設計変更の長い行程には、こうしてようやく終止符が打たれた。

 もがき苦しみながらも、なんとかここまでたどり着けた最大の要因は、私自身の強い執着心である。幸いなことに、「いったい食らいついたら決して離れない」という執念と粘り強さとが私には備わっていた。
 だが、エモトさんを始めとする友人、知人の協力も決して見逃すことは出来ない。仕事を通じて長いつきあいのあった二つ年上のエモトさんは、私にとって時には先生でもあり、時には同志のようでもあり、そして時には兄貴のような存在でもあった。もしもエモトさんの紹介と口添えがなければ、K建設もおそらくここまで譲歩してはくれなかっただろう。
 人は自分ひとりの力だけで歩いているようでいて、実は小さな思いやりや善意に支えられて生きている。業者決定という大きな山を越えたいま、私はあらためてそんな感慨にふけったのだった。



相性と信頼関係 /99.7.2



 施主が住宅の建築を第三者に依頼する場合、建設業者、ハウスメーカー、建築家(設計事務所)のいずれかを何らかの形で選ばなくてはならない。そのきっかけは、住宅展示場だったり、新聞の折り込みチラシだったり、友人知人の紹介だったり、たまたま住宅雑誌や街角で見かけた家だったりする。
 しかし、いずれの場合でも共通しているのは、その相手との相性、そして信頼関係である。これをよく考えずに安易に事を進めてしまうと、どこかで歪みが生じ、いつか必ず何らかの形でトラブルとなってはね返ってくる。

 この連載の開始にあたり、「満足な設計経験のない万年駆け出し建築家」などと自分を揶揄して書いたが、実はこの私にも過去に幾度かの設計依頼があった。内容はいずれも基本設計と概算見積までの簡易なものだったが、そのうち、開業当初のある知人の依頼によるものが、よんどころない事情により頓挫してしまった経験がある。依頼者が無断で私以外の業者に「二また」をかけたのだ。
 施主が複数の業者(工務店やハウスメーカーなど)に同時に見積を出すケースは少なくない。同じ図面と仕様書に従って複数の業者に見積を依頼したほうが、同じ質でより安い価格の住宅が得られるからだ。だが、競争入札や設計コンペでもない限り、施主がある建築家とある施工業者、あるいは二人の建築家に同じ仕事を同時に、しかも無断で依頼するケースはまずない。もしやれば、その瞬間に信頼関係は崩れ去り、設計作業は白紙に帰すと考えるべきだろう。
 私の場合、依頼者が私の設計実績の少なさを危惧し、思わず内緒で他の施工業者にも声をかけてしまったのかもしれない。しかし、腐っても鯛である。たとえたいした実績がなくとも、設計士としてのプライドはある。そこは尊重して欲しかった。結果的に私は目の前にある金よりも、我が身の小さな自負心のほうを取った。私は実に生き下手な男だった。

 こうした施主と業者、あるいは設計者との信頼関係は、常に金を出す施主側が全権を握っていると考えがちだが、私はそうは思わない。世の中、究極的には人間と人間のつきあいである。金に物を言わせて事を進めたい人たちは、そういう相手を選べばいい。たとえ力関係で自分が上位にあろうが下位にあろうが、こうした物の道理に対する私の考え方は変わることはない。
 今回の私と業者のケースは、こうした相性、信頼関係が見事に噛み合った典型例である。なけなしではあったが、私はお金を握っている「施主」だった。だが、相手の立場を尊重する姿勢は決して崩さなかった。そうした姿勢は実際に工事が進んでゆくなかで、さらに確固たるものとなってゆく。

(第7話「着工までの長き道のり」へと続く)