第1部〜その2 意地でも探すぞ安い土地
安い土地を求めて /98.11.12
とんだ思惑違いでお目当ての土地を買い損なった私たちだったが、その失敗にもめげず、あくる日から新たなる土地を求めての奔走が始まった。
篠路の物件(第一回に現場調査をした札幌市北区の物件。以降「篠路の物件」と記す)の仲介を依頼した旧知のH不動産からは、「安い土地ならぜひウチで世話させて欲しい」と、さっそくいくつかの物件情報をFAXで送ってきた。
そのうち、市内南区の山間部にあるふたつの物件はそれぞれ56坪で530万、68坪で398万という超破格値。だが、都心への距離があまりにも遠いこと、積雪の不安、敷地が両方とも傾斜地ということで、とりあえずパス。もうひとつの市内北区の物件は48坪670万で予算オーバーだったが、平坦で地盤もよく、H不動産のお勧め物件である。
価格が思惑よりも高いということで、あまり気乗りはしなかったが、建築家の友人エモトさんの強い勧めもあり、初雪の降り積もる中を再び北へ向かって車を走らせた。現地に到着したのは夕方だった。なるほど確かに敷地は平坦で、地盤はよさそうだ。だが、私の第一印象はいまひとつだった。まず、あまりにも丘珠空港が近すぎた。少し歩くと、飛行機の格納庫が間近に見えるのである。5時過ぎというのに、上空にはうるさくヘリコプターが舞っている。騒音はかなりの問題になるだろうことが予想された。
もうひとつは、広いタマネギ畑の真ん中に、街区がまるで離れ小島のようにポツンと孤立していることだった。それでいて、街の中は家がびっしりと建ち並んでいて緑が少ない。都心への唯一の足であるバスは、1時間に2本だけである。近くに大きなスーパーもない。要するに、位置づけが中途半端なのだ。これなら「篠路の物件」のほうがまだましである。予算が大幅にオーバーということもあり、妻に相談するまでもなく、この物件はボツになった。
競売物件もあるぞ /98.11.13
翌日、都心にある札幌地方裁判所におもむいた。「土地探しで裁判所?」といぶかってはいけない。そう、いま一部では不動産探しの「穴場」とも言われている競売物件に目をつけたのである。
競売物件の存在を知ったのは、住宅情報誌からだった。通常の不動産物件と共に、数多くの競売物件が並んでいる。そのどれもが、驚くような安さだった。さらにインターネットで詳しい情報を仕入れてみると、価格的には有利だが、法的な差し押えによる物件であるので、いろいろなトラブルに巻き込まれる可能性もある。情報をうのみにせず、まずは裁判所で閲覧書類を直接確かめ、これという物件に出会ったら現地を直接自分の目で確かめること、とある。閲覧室には壁いっぱいの棚に気の遠くなるほどの物件ファイルが並んでいて、閲覧する人も数多い。情報誌とインターネットで目星をつけておいた物件を直接チェックする。しかし、目をつけた物件のどれもに、第三者占有があったり、(債権者以外の人物が物件に居住していること。こうした物件を買っても、法外な立退料を要求されることが多い)残置物があったり、(物件の中に、債権者に所有権のある品物が残されていること。これまた搬出料を要求されたりする)貸借権が残っていたり(債権者と第三者の間に貸し借りの契約が残っていること)の問題があった。
要するに、安いものにはそれなりの訳があるということだ。収穫が何もないまま帰るのもしゃくなので、市内北西部にある値段が手頃な土地の競売物件を見つけ、とりあえず見に行くことにする。夕暮れが迫るなか、地番を頼りに物件を探す。だが、目的の場所は容易に見つからなかった。「たぶんこのあたりだろう」と思った場所は、荒れ果てた原野のど真ん中。これでは満足に地域サービスを受けられるのかさえも分からない。またまた「篠路の物件」よりも劣る内容である。競売物件という煩わしさもあり、この物件もあえなく沈没となった。
インターネットで探そう /98.11.14
新聞や折り込みチラシ、そして住宅情報誌、インターネットなど、ありとあらゆる媒体を総動員して土地探しは続けられた。中でも、インターネットは土地探しには極めて有効な手段だった。そしてこのインターネットで様々な不動産情報を検索するうち、ある手頃な物件にたどりついた。●売り地680万/江別市○○台組み込み車庫付建築条件なし55坪、公庫土地融資付…
なんとも魅力的な条件である。価格は予算オーバーだが、傾斜地にロードヒーティング、シャッター付の車庫がすでに施工済み、とある。当初から建物には屋根付の車庫を組み込む予定でいたから、その分の予算150〜200万がまるまる浮くというわけだ。そうすると、篠路の物件と予算的には大差ない。
江別市は札幌市の隣町で、ベットタウンとして急速に発展しつつある。いまの住まいの横を走る同じ国道沿いにあり、札幌を離れて住むことにも違和感はなかった。裏道を走れば、冬でも都心へ1時間以内で楽にたどり着く。偶然だが、その分譲地は春に私自身が広告パースを描いた地区でもあった。
願ったり叶ったりの好条件に、私は深夜のパソコンモニタの前で、思わず色めきたった。(よ〜し、明日はこの物件を見に行こう!)
翌朝、普段は寝起きの悪い私も、こういうときの目覚めは早い。朝食もそこそこに、またまた妻と連れだって現地へと出かけた。
目的の場所はすぐに見つかった。国道から1Kmほど入った住宅地と畑の境目に、新たに作られた大規模分譲地である。現地事務所で詳しい資料をもらう前に、まずはめざす物件の下見である。事前の情報だと、格安の物件は1件のみ。いわゆる客よせのための「目玉物件」というやつだ。(売れ残っていて欲しい…)
そんな祈る思いで、広い街区を地番を頼りに徘徊する。すると、街区の外れの緩い傾斜地にその物件はあった。なるほど、確かに立派なシャッター付の車庫がすでに備えつけられている。車庫のちょうど真上に宅地が乗っているような形だった。
車を降りて車庫横の長い階段を昇り、街区の案内看板を確かめる。確かにここだ。だが、悲しいかな、その看板には赤い残酷な文字が貼りつけられていた。『売約済み』
「ここ、もう売れちゃってるよ」
あきらめきれない気持ちで、私は傍らの妻に呼びかけた。「えっ!」と絶句する妻。敷地の端に立ってあたりを見渡すと、すぐ近くにはタモの雑木林がうっそうとひろがり、遠くには手稲連峰がひろがる絶好の展望である。売れたとなると、ますます欲しくなるのが人情だ。
「ここ、欲しかったな…」
未練たらしく私が言うと、でも外階段の昇り降りが冬は大変そうよ、と意外に冷静な妻。あながち強がりでもなさそうだ。それでもあきらめられない私は、「事務所で確かめてこよう」と妻を促した。
公庫融資の土地 /98.11.14
冬が迫っているせいか、現地事務所は閑散としていた。係員から分厚い資料をもらったあと、目当ての宅地が売約済であるかどうかを再確認してみる。やはり間違いなかった。念のため、内金が支払われているかどうかも聞いてみた。
不動産を購入する場合、口約束よりも有効なのは、何といっても現金である。たとえ3万、いや1万でも、内金を先に入れたほうに優先権があるものなのだ。
だが、その物件には内金もすでに支払われていた。あとは契約流れを待つしか手は残ってないが、すでに契約日の日程も決まっているので流れる可能性は極めて低い、と係員に駄目を押されてしまう。どうやらあきらめるしかなさそうだ。「今後の分譲計画で同じような車庫付の物件が出る可能性はありますか?」と私は尋ねた。十数年前、マンション購入であちこちのモデルルームを回ったとき、目当ての物件は完売だったが、業者から今後の売出し計画を教えてもらった経験がある。もしかすると宅地でも同じようなことがあるのではないか、と考えたのだ。
だが、傾斜地の開発がほとんど終わっているため、その可能性は薄い、と係員はつれない。道は閉ざされた。私たちは寂しく事務所をあとにした。車をゆっくりと走らせ、帰りがてらすべての宅地を見て回る。何か掘り出し物を見落としている気がしたからだ。帰りがけに係員が言った、「この分譲地は開発の認定を受けているので、土地と家の両方に金融公庫の融資が受けられるんですよ」の言葉も引っかかっている。いっそすべてをローンにしてしまえば、もう少し予算を上げてもいいのではないのか?そんな漠然とした思いも湧き上がっていた。
宅地はどれもが広く、立派な構えだがその分値段も高く、とても手が出ない。だが傾斜地を下り、バス停や繁華街から遠ざかると、宅地の区画割は小さく、値段もぐっと安くなった。そのうちの一区画に、こんな看板が立っている。私の目はそれに釘付けになった。●区画61-9・773万/62坪、公庫土地融資付…
坪単価12.5万円で、かなり割安である。車庫はないが、売れ残っている区画の中では、最も手頃だった。もしも最初の試算通り、800万強で家が建てられたとしたら…。
自己資金500万、ローン1100万、合計1600万でなんとかなるんじゃないか?そんな計算が頭の中で素早く働く。「ここはどうだい?土地と家の両方をローンで組めば、何とかなるかもしれない…」
妻に水をむけると、本当に買えるの?と妻は半信半疑。詳細な検討をしていないのでいまひとつ自信はもてなかったが、幸いに同じ条件の宅地が全部で4物件売れ残っており、検討する時間は充分にありそうだった。
マンションの査定 /98.11.18
帰宅後、特に資金面で再度詳細な検討を試みた。すると、万一家の建設費が1〜2割膨らむと、かなり危険な状態であることが判明した。事態は予断を許さない。いま住んでいるマンションがいくらで売れるか、はたまた自己資金にどれくらいの余裕があるのか、早急に調べる必要があった。まず、定期預金等の利子がどれくらいついているかを調べた。元金だけでは本当の資産はつかめない。保険にも定期預金にも思っていたより利子がついていて、ほっと一息つく。
次にマンションを買ったときと同じ不動産に出向き、いま住んでいるマンションの査定(中古で売り出したときいくらくらいで売れそうかの見積)をお願いした。机上の空論で、「たぶんこれくらいで売れるだろう」では、資金計画としてはなはだ不安である。実績のある不動産で、なるべく実態に近い価格を割り出してもらうのが、こうしたケースでは不可欠なのだ。
子供が3人いて、自宅を長い間仕事場として使ってきた関係で、マンションは汚れや傷みが激しい。売値があまり安いようだと、またまた計画は頓挫する。果たしてどれほどの査定価格がでるのか、不安に押しつぶされそうになりながら、担当者の来訪を待った。現れた担当者からは、多くの有益な情報を得ることが出来た。箇条書きにすると以下のようになる。
1)中古物件は転勤時期の春先に売りに出すと最も売れやすい。
2)3LDKのマンション内装をすべて施工し直した場合、費用は70〜80万必要。
3)新築、中古を問わず、不動産売買の仲介手数料は、価格×3%+6万が一般相場である。
4)このマンションは現在金融公庫の中古融資対象になっており、その点での条件はいい。新築と違って中古融資は年間を通していつでも受け付けている。
5)すぐに売れたとしても、手続きの関係で相手の入居までには2カ月かかる。
6)一般的には、まずマンションを売ってから次の移転計画を実行する。相手の入居と移転予定にずれが出来た場合、短期間だけアパートに移ることも考える。あくまで業者の言い分だから、こちらとしては納得出来るものと、出来ないものとがある。補修費や仲介手数料にかなりの金がかかるのはやむを得ないとしても、早々と売れてしまって新築住宅の完成が間に合わず、アパート住まいを余儀なくされた話は、同じマンションに住んでいた友人がかって経験したことだった。余計な出費と手間がかかり、ただわずらわしいだけと聞いていたので、この事態だけは何としても避けたい。
そして注目の査定金額は、以下の通りである。●内装補修完済の場合:880万
●現状のままの場合:800万補修をかければ高く売れるが、その分持ち出しになるという簡単な理屈である。16年前に買ったときの価格が1425万だったから、約44%の値下がりになる。売れた価格から仲介手数料が引かれ、ローンの残額と抵当権抹消費用(今回の場合は推定2〜3万)を差し引いたものが実際の実入りとなる。
ざっと試算すると、なんと200万にも満たないささやかな額だった。なんとなく割りきれなく、メモした数字を前に唸っていると、「その分暖かくて楽しい思いをしたじゃない」と傍らの妻が慰めるように言い、そうだよな、と私も自分を無理に納得させた。
それにしても汗水流してローンを支払い続けた15年間で手元に残るのがわずか200万弱である。住宅、特に昨今のマンションは、買った瞬間に中古になり、値段は下降線の一途をたどる運命にあるのだという当然の論理を、私は改めて思い知らされたのだった。
ふんぎりがつかない…
こうして資金面の再チェックをしつつ、土地周辺のさらなる調査も怠りなかった。最初の物件を見ていただいたエモトさんにもまたまた現地をチェックしてもらったが、今回は地元農協が開発した大規模分譲地ということで、物件そのものには何等問題がない。
もっとも、傷が全くないわけではなかった。まず近くにスーパーがなく、一番近くて徒歩25分の距離。車以外で唯一の足であるバス停までもやや遠く、徒歩10分。しかも本数は1時間に1〜2本という少なさである。特に冬場は運転免許のない妻を嘆かせそうだ。
宅地の北西を走るバイパスまでが直線で200m。交通量はかなり多く、しゃへい物が何もないので、特に夜は騒音が問題になるかもしれなかった。北1Kmの地点に清掃工場。北風が吹きつける冬は、ダイオキシンが気になりそうだ。こうしたいくつかの問題点を差し引いても、物件には魅力があった。土地に公庫融資がついている場合、物件が中古になってもその権利は保証されるという。つまり、資産的価値が高いのだ。雑木林に囲まれた自然豊かな周囲環境も私好みだった。買い物や交通の不便さは、いずれ解決する。資金はぎりぎりなんとかやれそうだ。これを買おうか…。私たちは大いに迷った。だが、どうにもふんぎりがつかない。やはり資金面での不安が、どうしてもぬぐい切れない。
仮にマンションの売却金額と新築する家の建設費が確定していたなら、もう少し踏み込んだ行動が出来ただろう。だが、この時点でそれはとても無理な注文だった。
悩んだあげく、春に広告パースを描いたときの広告代理店に相談を持ちかけた。広告を引き受けた関係で、ひょっとすると業者割引きの対象になるかもしれないとの思惑があったからだ。事の顛末をすべて話したところ、値引きの可能性は大いにあるが少し時間が欲しい、と言ってくれた。無理もない。先方としては少しでも宅地が売れるにこしたことはないが、出入り業者とはいえ、いざ値引きとなればそう簡単に話が進むものではない。結果として私たちは結論を先のばしにしたことになる。値引きの結論が出るまでの間、気持ちは何となく落ち着かない。仮に5%の値引きとしても、40万近くになり、資金計画は相当楽になる。だがもしも値引きがないとしたら…。
あれやこれや考えるだけしか術がない他人まかせ。自分で頼んでおきながら、ただ相手の出方を待つだけの日々は、相当に辛いものだった。
そんなとき、たまたま同じマンションの中古物件の載ったチラシがポストに投げ込まれた。価格は790万である。当初の価格を調べてみると、1540万の物件だった。(売出し時の価格表はなぜかすべて保存してあった)
私たちはこのチラシを見てあわてふためいた。なんと下落率49%である。自分たちの物件で計算し直してみると…、1425万×(1−0.49)=727万になってしまうではないか。先日の査定金額より、70万も低い。
訪れた担当者は、査定金額はあくまで見積価格であり、実際にこの価格で売れるという保証をするものではない、と確か言っていた。もしもこのあたりが実勢価格とすれば、資金計画はまたしても大きく揺らぐ。これは一大事だ!
東へ西へ
ただでさえ資金面で不安のあった私たちに、そのチラシの金額は致命的なダメージを与えた。そんな折、値引きを依頼していた広告代理店の担当者から、現金での値引きは難しそうだ、との連絡が入った。うまくいって庭木か門塀などの外溝工事でのサービスがせいぜい、との期待を裏切る内容に、私たちはまたしても目当ての土地を断念せざるを得ない状況に追い込まれたことを知った。
身の不運、いや、資金力不足を嘆いていても事態は少しも好転しない。こうなれば本格的な冬が来る前に、なんとしても土地だけは確保してやる。そんな気概に燃え、さらなる物件を求めての放浪が再び始まった。
私が事を急いた理由はふたつある。ひとつは不動産を動かすために不可欠な「鉄は熱いうちにうて」という教訓。大金を動かすには、ある種の勢いのようなものが必要なことが経験的に分かっていた。
ふたつ目は土地や金融公庫の金利、それに家の建築費はここ半年前後が底値だろうという強い読みだった。土地を買って家を設計し、契約するまでにはどう急いでも半年くらいはかかる。もし景気が上向いて市場が動けば物の値段は上がり、金利も上昇する。土地と家の両方を買い手有利な価格で手に入れるためには、どうしてもいまのうちから事を進める必要があった。すでに11月も末に差しかかり、早い冬の訪れで街は一面雪景色である。ぐずぐずしてはいられない。あまり雪が深くなると、物件の大事な部分が雪で覆われて見落としてしまう恐れがある。事態はひっぱくしていた。この時期、それまで保留にしていた物件を始め、新たに市場に提供された様々な競売物件など、短期間に数多くの物件を精力的に調べた。
資金面に難があるので、予定価格は当初の500万前後に逆戻りである。だが、予算に見合う物件には、それぞれ何らかの難点があった。土地が崖地だったり、極端に変形していたり、日当たりの悪い北側の斜面土地だったりした。中でも私を最も深刻な気分にさせたのは、競売物件でいくつか出会った「一家心中物件」である。
交通や買い物の便がやたらよく、新築7〜8年でまだまだ新しい中古住宅の好物件が立て続けに新聞に掲載された。第三者の居座り等のやっかいな問題もない。価格はいずれも土地建物こみで1000万以内の破格値である。半信半疑で裁判所の閲覧室におもむいた私を迎えたのは、書類の末尾に弁護士によって書かれた次の一文だった。「なお、本物件の内部で、自殺があったことを特に記しておく…」
いくら価格が安くても、さすがに自殺物件を買う気にはなれなかった。仮に価格につられて買ったとして、霊感の強い私の前にいつ何時霊が現れて苦しめないとも限らない。
こうした物件がひとつだけではなかったことも私を驚かせた。建てられた時期を調べると、いずれもバブル景気の1990年前後、購入価格は3000万前後と共通している。
裁判所の閲覧書類には、物件の内部写真が何枚か貼られている。写真には住んでいた人の家具や生活備品が雑然と並んでおり、たったいままで人が住んでいたような生々しい生活の気配が立ち上ってくる。同時にそれは、せっぱ詰まって追い込まれた死の気配でもあった。(無理をしたんだろうな…)と写真を眺めながらしみじみ思った。せっかくの新居での楽しい生活は、ほんの束の間だったのだろう。ローン返済に苦しんだあげくの結末が、一家心中だったとは…。写真の中の家族の運命は、一歩間違えば私たちの運命そのものだった。そうだ、無理をしてはいけない。
そのとき、私の中にはっきりとひとつの結論が湧き上がった。(やっぱり篠路の物件を買おう。結局あの物件に一番傷が少なく、何より私たちの身の丈に一番合っている…)
篠路、再び /98.12.3
12月3日、篠路の物件を買う決意をした私たちにぴたり合わせるように、江別市の土地の値引き交渉を依頼していた広告代理店から正式に「値引き不可能」の連絡が入った。こちらから個人的な事を依頼したお得意さまに、断りの電話は入れづらいもの。篠路の物件に踏みきる唯一の懸念はこれでなくなった。午後になって私は、最後の駄目を押すつもりで再び篠路の地を訪れた。一カ月ぶりの現地は一面の白い雪で覆われていて、晩秋の景色とはまた別の趣がある。当初の懸念事項のひとつだった狭い6m道路も完全に除雪されていて、アスファルトはむきだしだ。近くにある家の屋根の雪も風で大半が吹き飛んでいて、脅かされていたほどの豪雪ではない。延び放題だったあたり一面の雑草も、すっかり雪で覆われてすっきりとしている…。
現金なもので、数え切れないほどの物件を見たあとでは、つい一カ月前には大きな傷と思っていたことが、たいした問題ではなかったように思えてくるから不思議だ。
1998.12.6撮影の現地。左側に見える赤い杭のあたりが目的の土地
午後になって私は新聞に載っていたR不動産に直接電話を入れた。面識は全くなかったが、知り合いのH不動産を通す気はもう全くなかった、広告に付記された不動産業者の登録更新回数で、その会社が長く営業を続けていることをつかんでいたからだ。
(登録番号の横に記載された○で囲まれた数字が更新回数。不動産業の場合、3年に一度の更新なので○7の場合なら、21年の営業実績があることになる。一般的に登録更新回数の多い会社ほど、信用度が高いと言われている)「新聞に載っていた篠路の物件は、まだ残っていますか?」おそるおそる私は尋ねた。あれから一カ月以上もたっている。冬場の札幌では不動産は動きにくいと言われているが、万が一売れてしまっていたら万事休す、縁がなかったものとあきらめるしかない。
電話に出た担当のムラタさんから、まだ売れていないことが知らされ、ほっと胸をなでおろす。ここでムラタさんから、新聞に載っていない耳寄りな情報を数多く仕入れる。(詳細は連載の中で掲載予定)週末にさしかかっていたこともあり、正式な面談は週明けということにし、電話を切る。だが、篠路の土地購入が事実上決まったのは、まさにこの日だった。
本契約の日 /98.12.18
土地を購入する旨を正式にR不動産にに連絡したのが週明けの12月7日。あくる12月8日に我が家を訪れた担当のムラタさんに内金5万円を払い、難産だった土地騒動はようやく仮契約にこぎつけた。「実は今朝、知り合いの工務店からあの土地を買いたいという電話がありましてね、もちろん断りましたけど、一日連絡が遅れていたら、話がそちらに行ってたかもしれません」
ムラタさんのそんな話に、(やっぱり縁があったんだな…)と感慨を新たにする。ここで物件の価格と内金、契約年月日などを記載した「買受申込書」を相手に渡す。生命保険解約の関係で、本契約は12月18日と決まる。当日お金は現金で用意して欲しい、とのムラタさんの言葉は、金は銀行振込で払うものと思いこんでいた私をたじろがせた。どうやらマンション購入と土地購入とでは勝手が違うらしい。
契約日当日、場所はR不動産指定の司法書士事務所である。司法書士立ち会いのもと、現金と売買契約書とを引き換えるという寸法だ。まず、物件の概要を詳しく記載した「重要事項説明書」なるものをもらう。宅地の地番図はもちろん、周辺道路の詳細、上下水道の配管図にいたるまで、ありとあらゆる情報の詰まった文字どおりの重要書類である。
次に、「不動産売買契約書」をかわす。契約金額と契約者、立会人、そして契約破棄の場合の違約金などが記載された正式書類である。これと現金とが引き換えになり、初めて本契約の成立である。
この時点でまだ「登記済証」はない。これがくるのは、正式契約をかわしたあと、司法書士がしかるべき手続きを法務省で行ったあとである。滞りなく契約は終わり、さらに暮れも押し迫った一週間後の12月25日に正式な登記も終了。紆余曲折のすえ、54坪のささやかな土地はこうしてようやく私たちのものとなった。
(第3話「土地を買ったら遊ばせない」へと続く)