第1部〜その1 なるか?悲願の建築家デビュー


私は建築家なのか? /98.10



 私には建築士の資格がある。しかも「一級建築士」という物々しいものだ。ちゃんと設計事務所登録も済ませてある。だが、「紺屋の白袴」というやつか、この十数年というもの、自宅は愛想のないマンション暮しだ。
 ふた昔近く前の一九八二年、脱サラと同時に東京から故郷北海道の札幌にJターンし、ほんの片手間のつもりで始めた建築パース(建物完成予想図)の仕事が予想を越える忙しさで、あっという間に月日が過ぎ去った。その間の純粋な設計の仕事はごくわずかである。
 せっかく苦労して取った資格も宝の持ち腐れ、有効に使っているとは言い難い。もともと不動産というものにそれほどの思い入れがないこともあり、自宅の設計などには縁がないものと決め込んでいた。
 折しも巷では平成の大不況の嵐が吹き荒れ、金利は下がる一方。しかし、同時に土地の値段もどんどん下がっている。このまま一生マンション住まいを続けるのも悪くはないが、底値に近いであろう土地をいま買い、近い将来に一戸建に住み替えて建築家として本格デビューしたい未練もまだまだ残っている。
 15年前に買ったマンションに、いまのところ不自由はない。だが、平均寿命まで生き長らえるとしてあと30年、とても住み続けられるとは思えない。人生の末期を迎えて、万一マンションの建て替え騒動に巻き込まれたら何とする…?
 もし何か事を起こすなら、まだ身体が自由に動くいまだ。そう思いたつと、はたして現実にそんなことが可能なのか、まるで独立のときの準備のように、綿密なる「一戸建移住シュミレーション」を試みた。

 私はこうした計画、すなわち餅をつく前に、まず絵に描いてみるのが大好きな性分である。ことわざなら餅は絵のままだが、あまり非現実的な計画を立てないせいか、私の場合はだいたいが実現してしまっている。餅を食べたければまずは絵に描いてみることも、カネや力のない人間にとって大切な手段なのだ。
 ともかく、思い立ったが吉日、札幌の土地の相場調査から始まり、現在のローンの借入れ状況、いま住んでるマンションの中古相場、家計の資産、今後の仕事の見込み、家計の収支、二人の息子の学費、借入金融機関の利率、そして家族四人が住める家の概算価格の算出…、これらの作業を根っからの凝り性の力を借りて、またたく間にやり終えた。
 そのとき作った資料がまだ手元に残っているが、収入と支出の出入りを五年後まで詳細にはじいたもので、我ながらなかなかの出来映えである。

 試算で最も重きを置いたのは、住宅関連費の支払い額である。現金一括払いでもしない限り、月々の住宅ローンの支払いはマンションでも一戸建て住宅でも必須の経費だが、マンション住まいの場合は、管理費、修繕積立金、駐車場代、庭使用料など、一戸建てにはない独特の費用が、強制的に徴集される。マンションから一戸建て住宅に移り住む場合、ローンの書換えや登記に伴う諸費用などの一時的支出さえ凌げれば、借入額が多少増えても、トータルでの住宅関連費の支払いは激減するケースが多い。
 こうした家計の総合診断の結果、そこからあるひとつの結論が導き出された。

「総額500万以下の土地を入手し、坪単価30万で延25坪の家を建てること」

 その道のプロ、いやプロでなくても、ちょっと不動産に詳しい人が聞いたら、きっと目をむくに違いない。いくら値段が下がっているとはいえ、札幌近郊でこんな安い土地を探し、こんなに安い家を建てられるはずがない。そもそも、25坪の家で家族4人が住めるものかと…。
 しかし、これであっさりあきらめてしまえば、苦心さんたんのシュミレーションがすべて無駄になる。実現の可能性がゼロじゃないなら、なんとか道を探ってみようではないか。これが「紺屋が紺」を着る、最後のチャンスかもしれない…。



坪10万の超緊縮予算 /98.10.29



 季節は晩秋である。地面が雪に覆われる前に、ぜひとも土地だけは決めておきたい。そう思い立つと、一刻の猶予もないような急いた気持ちになってくる。私は実にせっかちだった。まずは1カ月分の新聞をひっくり返し、すべての不動産広告をピックアップした。
 先に書いたように、予算は土地の面積が50坪前後として坪10万以下、つまり総額でかっきり500万という、まるでアホみたいな予算である。今後必要となる教育資金、新しい建物のローンなどを考慮すると、どうしても予算はこの程度に限られた。
 土地資金は先年亡くなった妻の母が残してくれた保険金と、いくつかある私自身の保険金とを解約して調達する。土地代だけはなんとしても現金を工面しなくてはならない。義理だけで入ったいくつかの保険のうち、本当に必要最低限なものだけを残し、あとはこの際、すっぱり整理してしまおうと考えた。

 チラシや新聞の広告を丹念にチェックすると、思った通り厳しい。500万前後の物件自体、決して皆無ではなかったが、大半は札幌からはるか遠く離れた地方都市。現在の私の得意先を考えると、冬でも札幌都心まで1時間以内で着けることが最低条件だった。(冬の札幌は道路渋滞が激しい)そうすると、これらの物件はたちまち脱落である。
 やっぱり無理かな…、と半分あきらめの気持ちで新聞をめくっていたとき、ある物件が目についた。

 ●売り地520万/篠路町54坪市街化調整地域地区計画有建率50%容率80%…

 予算ぴったりの物件である。都心からも比較的近い。(「篠路町」は札幌市内の地名)電卓で坪単価をはじくと、坪9万6千円強という破格の値段だった。これは安い!だが待て、いくらなんでも、安すぎやしないか?
 広告をよく読むと、気になる記述がある。「市街化調整地域地区計画有」というよく分からない文章だ。「市街化調整地域」だけなら家は建てられないはずだ。そもそもこの文章は、「市街化調整地域地区」と「計画有」で区切られているのか、それとも「市街化調整地域」と「地区計画有」で区切られているのか?もし後者だとしても、「地区計画」っていったいなんだ?
 電報のような不動産広告独特の言い回しは、読めば読むほど不可解で、ただただ疑問が広がるだけだった。

「う〜ん、これはまず現地を見てみないと、何とも言えないな」
 妻とも相談し、不動産屋に連絡する前に、番地を頼りにとにかく現地に行ってみることにした。



第一回現地調査 /98.10.30



 翌日は金曜だったが、たいした仕事はない。仕事が多忙なのは春先のごくわずかの期間だけで、特に秋口から冬にかけては、開店休業状態がここ数年続いている。珍しく早起きし、妻と二人でいそいそと現地におもむいた。
 丘珠空港の脇を抜け、タマネギ畑を突っ切った川べりにその土地はあった。二つの川に挟まれた三角形の土地が200区画ほどの小さな街区を形成している。周囲には田園地帯が広がり、ポプラの防風林やアカシアの林が点在し、のどかな地域である。土手から見下ろすと、なんだか私の生まれ育った故郷の風景にどこか似ていた。

「土地を買うときは、第一印象を大切にしろ」

 とよく言われる。「故郷とよく似た街」これがその第一印象だった。

 車を止めてゆっくり見て回ると、古い家と新しい家が混在する不思議な街並みである。建築中の家も2軒あったが、まだまだ大半が空き地だらけといった印象で、戸数は全宅地の1〜2割程度と思われた。気になっていた「市街化調整地域」の件は、実際に家が建築中であることから、おそらく何らかの規制緩和があるに違いないと判断した。
 番地表示がないため、めざす土地がいったいどれなのかはっきりしない。さらに調べると、いくつかの土地に赤い杭が打ってあり、よく見るとそのすべてに新聞で売り出されていた不動産会社の名前が書き込んである。どうやら物件はこれらの土地のどれからしい。
 南西に道路のある物件がふたつあり、残りひとつは北西道路である。南西道路の物件は道幅も広く、陽当たりや周囲環境も申し分なかったが、北西道路の物件は道幅が狭く、周囲が資材置き場や伸び放題の雑草などで非常に汚らしくて印象は悪かった。

「もし物件が南西道路だったら悪くないけど、北西道路の物件だったら、ちょっと考えものだな」

 実際に家を建てるにしても、設計しやすいのは南西道路の土地である。妻も私と同意見だった。
 来たついでに、周囲の環境を調べた。歩いて5分の場所に市のコミュニティーセンターとバス停、15分のところにJRの駅がある。バス、JRとも1時間に2本ほどで、まずまずの条件だった。
 そのまま都心まで車を走らせ、所要時間を測ってみると、約35分である。これなら私の仕事にも支障はない。なんだかすべてが好都合過ぎて拍子抜けした印象の第一回現地調査だった。



エモトさんの指摘 /98.10.31



 翌日、友人である建築家のエモトさんに電話し、昨日の物件についての意見を聞いた。エモトさんは、困ったときにパースの仕事をくれるお得意様でもあるのだが、年齢や脱サラした時期が近いこともあり、得意先というより、気の合う仲間という感じである。
 不動産屋に連絡を入れる前にわざわざエモトさんに相談したのは、建築設計一筋20数年のキャリアのあるエモトさんなら、土地に関する何らかのアドバイスをいただけるのではないか?と期待したからだった。
 事の次第をありのまま率直に伝えると、そういう話なら現地を一度見に行きましょうとのありがたいお言葉。私も素直にそれに従い、その日の午後に昨日行ったばかりの現地に、エモトさんともう一度行くことになった。

 現地に着いたエモトさんは、鋭いプロの目で入念にあたりを調べた。そしてただちに、いくつかの問題点をピックアップした。その問題点とはこれだ。

■用途地域:
「市街化調整地域」で、本当に家が建てられるのか、役所で条件などを確認する。
■地域サービス:
 仮に建てられるとして、上下水道、除雪、ごみ収集などのサービスが普通に受けられるのか確認。
■地盤の軟弱さ:
 この地域はいわゆる「泥炭地」で、地盤はすこぶる悪い。基礎杭が必要になるはずだが、支持地盤(杭を受ける固い地盤)の深さを調べる必要がある。
■土地の低さ:
 駅周辺に比べ、土地がかなり低い。過去の水害例などを調べる必要あり。
■風雪対策:
 この地域は冬の厳しさでは、札幌市内でも一二を争う。いざ住むなら、雪対策が設計上極めて重要になる。

 どれもが細かく、現実的で「なるほど」と感心させられる指摘である。少しばかり浮かれていた私は、エモトさんの言葉に思わず身を引き締めた。そして事前にエモトさんの相談してやはり良かった、とも思った。
 帰り際、昨日の調査では確かめなかった近隣の造成地の価格をついでに調べてみる。市が直接売り出している物件で、きれいに区画整理されていて雑草ひとつないが、価格は坪19万強で目と鼻の先にありながら約2倍である。
「ここと比べてちょっと安すぎるんだよな…」
 重ねてエモトさんにそう言われると、不安は広がるばかりだった。



これぞサイコロハウス /98.11.1



 さらに翌日、日曜なので仕事もなく、土地に関する情報を仕入れようにも、役所は休みである。家でぼんやりしていると、頭に浮かぶのは見てきたばかりの土地のことばかり。そして、私の頭のスクリーンには、あの土地の上に建つ家のイメージがすでに出来上がりつつあった。
 イメージを一言で言えば、「サイコロ」である。つまり、正方形や立方体をモチーフにした家だった。私は机にむかい、一心に鉛筆を走らせた。

 建築家のはしくれとして、私には長年に渡って蓄積してきた住宅に関する多くの資料がある。「もしも自分の住む家を自分で設計するとしたら…」という漠然としたイメージはかねてからあって、それが現実に買えそうな土地を目にしたとき、一気に結実したのかもしれない。ともかく、気がつくと机の上には何枚かのエスキス(家の簡単なスケッチとアイディア)が散らばっていた。

 これがそのとき描いたエスキスの一部である。当然のように、土地は南西道路をイメージしている。あちこちに思いついたアイディアの書き込みと推考の跡があり、ほとんどいたずら描きに近い状態だが、これでも描いた本人にはちゃんと分かる。手間は食うが、こうしたスケッチを数多く重ねることが、良い住まいへの道につながるのだ。

 外観は本体、付属車庫ともほぼ立方体で、屋根は表面積の最も少ない「方形屋根」(法隆寺と同じ形)である。本当は平らな陸屋根のほうがもっと表面積は少ない。最近の北国住宅では近隣への落雪を考慮し、この形の無落雪屋根がひとつの流行にもなっている。だが、最初に土地を見たときのイメージで、こうした屋根は周囲環境にそぐわないと私は判断した。土地が狭い都心の地区ならいざしらず、建ぺい率も小さいあの地域なら、デザイン的にも優れた落雪屋根(三角屋根)がいいだろうと考えた。
 立方体にこだわったのは、同じ容量では表面積が最も少ないから。使う材料が少なくて作りやすく、結果的にローコスト化が図れる。表面積が最少だから、断熱効率もいい。
 外壁はかねてからアイディアを暖めていた鉄板張りである。普通は屋根に使う材料だが、あえて壁に使う。コストダウンと「他ではあまりやってない」という両面からこれを選んだ。張り方も正方形へのこだわりから、菱ぶきとした。

 私が長年培ってきた家に関するイメージは、「ローコスト」という一言に集約される。日本の家はあまりにも高すぎるとかねてから思っていた。先進国の中でも飛び抜けて高い住まいの価格が、さまざまな社会悪を生むのではないかという懸念を持っている。
 ただ安いだけで性能が劣るのは困るが、贅肉を落としながらも建物の性能はきちんと確保するという妥協点を、なんとか設計レベルで見つけられないか?それが私の抱えてきた課題だった。
 ローコストの延長として、「単純構造」「見栄やお体裁を排除した本音の暮らし」「出来る部分は極力手作りで」などの主張があり、さらに反骨、偏屈精神の象徴として、「あまり人がやっていないもの」「一般のハウスメーカーとはひと味違った家」というこだわりがある。これらは私の生き方そのものとも一致しており、生きる場の中心である住宅を設計するということは、結局そういうことなのだと思う。

 こうして出来た第1案の予算をざっとはじくと、付属車庫を含めて28.5坪、総額800万とでた。坪単価28万という、これまたとんでもなく非常識な単価だ。住宅の積算から長く遠ざかっているため、内容にいまいち自信が持てない。「これで出来るはずだ」というより、「これでなんとか収まって欲しい、収まったらいいな…」という願望のほうが強い、我ながらなんとも頼りない試算である。
 ともかく、土地を見たわずか二日後に、まる一日を費やして書き上げたこの第1案が、以後すべての案のたたき台として君臨することになるのだ。



市役所で調べる /98.11.2



 週が明けて早々に市役所におもむき、関係各署を精力的に回ってさまざまな情報を入手した。以下、その成果を順に列記する。


■建築課構造係(地盤に関する相談)
・その地区に関する地耐力のデータはなく、従って指導も出来ない。
・仮に基礎杭を打つとすれば、支持地盤は20mを越えるかもしれず、戸建て住宅でその長さの杭を打つのは、現実的ではない。
・基礎をフラットにした工法などを検討してはどうか。
・現在その地区で建築中の業者に頭を下げ、地盤のボーリングデータを入手する方法もある。

■建築課管理係(低地、水害に関する相談)
・その地域は「出水の危険が著しい地域」に指定されており、基礎は鉄筋コンクリート造、一階床高さは全面道路から60cm以上という規制がある。

■建築課地区計画係(用地地域に関する相談)
・その地区は確かに市街化調整地域であり、通常なら家は建てられないが、1998.7.31に都市計画法による「地区計画地域」に指定されており、一定の条件下ならば家を建築することは可能である。
・その地域の地区計画は原則として「第一種低層住居専用地域」(最も制限の厳しい地域)に準ずる規制がある。(ここで地区計画に関する参考資料をもらう)

■都市計画課宅地係(市街化調整地域への建築物に関する相談)
・市街化調整地域内の建築物計画は、以下の流れで行う。
  事前相談→予備審査→建築行為許可願
・ここまでで通常2〜3週間を要し、この許可が降りて初めて通常の確認申請が提出出来る。
・住宅に困っている人で、継続的に居住するのみが対象である。セカンドハウス、賃貸住宅は一切認めず、提出書類には居住者全員の住民票を添付すること。


 サラリーマン時代に役所の直轄工事を数多くこなしてしたこともあり、役人との折衝には慣れていた。それでも一日でこれだけの部署を回り、情報を仕入れるのはかなりの労力を要した。もちろん自分が買うかもしれない土地のことだから、苦にはならない。
 それにしても、なんとも難解で堅苦しい言葉の羅列である。 内容をかみくだいて書くと、

「その地域にはうるさい規制がたくさんあって、水害の可能性も結構あって、地盤も柔らかいよ。住みたいなら住めるけど、工事費もかかるし、届け出も面倒だし、それなりの覚悟が必要だよ」

 とまあ、こんなところだろうか?ううむ、やはり超安値の土地だけある。さてどうしたものか…。



さらなる継続調査



 当初の予想通り、市街化調整地域ではあるが、「地区計画」という名のある種の規制緩和により、制限をクリアすれば家を建てることは可能だった。しかも、交付はわずか3カ月前のこと。これはかなりラッキーなタイミングと言える。だが問題は風雪の厳しさ以外にも、次々に暴き出された数々の規制と制限である。
 妻の意見は、まあ安い土地なんだからそれくらいのハンデは覚悟しているとのクールな返答。エモトさんに経過を報告すると、軟弱地盤はそれほど問題ではなく、設計で対応出来るとのことだった。それより、そんな特殊な規制のある地域に住む覚悟はあるのか、そしてその地区の建築物に、住宅金融公庫の融資が受けられるのかも確認しておいたほうがいい、と再度のアドバイスを受けた。

 エモトさんが言う「覚悟」とは、そういった特殊な地区には、普通の価値観とは少し違った人たちが集まってくるのではないのか、という懸念である。エモトさんは私の妻が東京生まれの東京育ちであることを知っており、いわゆる小奇麗な身なりのカタログ的生活を妻が望んでいるとでも思ったらしい。
 それは全くの思い過ごしであり、妻はあのフーテンの寅さんと同じ葛飾柴又で生まれ育った庶民派。「都会のトレンディ奥様」より、むしろ「少し変わった価値観の愉快な人々」とのふれ合いを好むたちだった。電気も通っていない僻地で生まれ育ったこの私も感覚は同じである。
 それより問題は住宅金融公庫のほうである。こちらは私も見落としていて、万一借りられなければ大変である。忠告通り、さっそく住宅金融公庫の北海道支店に出向いた。以下、金融公庫窓口での相談結果である。

1)建築確認申請の下りる建物なら、収入等の基準を満たせば融資は可能。
2)土地に関しては公の区画整理事業による物件以外は、融資出来ない。
3)1998年度の申込については、1996〜1997年の2年間の収入で融資額を審査する。

 ほほ予想通りの回答で、まずは一安心する。ざっと試算すると、妻のパート収入と合算すれば、最大1000万くらいは楽に借りられそうだった。今後に備え、来たついでに構造等に関する金融公庫基準の分厚い書類を購入した。

 さて、残された懸念は地盤の地耐力の問題だった。すでに周辺には住宅が建っている。中には地盤沈下で柱や窓枠がずれてしまっている建物も多くあった。これらは明らかに基礎杭なしで建てられたと思われる。
 仮に土地を買って家を建てるなら、頑丈な基礎工事だけは絶対に省けない。そのため、特に最近の建物でどんな基礎対策を施しているのか、どうしても知りたかった。
「建築中の業者に頭を下げて地盤のデータを教えてもらいなさい」と言った担当者の言葉が思い浮かぶ。偏屈な私だが、自分の知らないことを人に頭を下げて教えを請うことには、何の抵抗もなかった。幸い、二度目の現地調査のとき、2軒の建築中住宅の設計業者名は、表示看板からメモをとってある。 (建築中の建物には、設計者の記載が法的に義務づけられている)
 うまい具合にそのうちのひとつは、面識はないが、私のよく知っている建築家のナミヤさんだった。もし聞くとすれば、この人しかいない。私は覚悟を決め、ナミヤさんの事務所に電話を入れた。

 例によって率直に訳を話すと、相手のナミヤさんは「分かりました」と言い、すぐに地盤に関する貴重なデータを教えてくれた。もしこの種の地盤調査を自前で行うとすれば、5万円程度の支出は確実である。しかもまだ購入していない土地の調査など、事実上出来ない。私はナミヤさんの好意に、深く感謝した。
 データを詳細に分析すると、基礎杭に関する支出はどうやら50万前後で済みそうだった。予想よりも安い。これですべての懸念は払拭されたわけである。建物に関するアイディアも日増しに増え、エスキスもどんどん充実している。機はすでに熟していた。



とんだ思惑違い /98.11.11



 最初の調査から2週間近くたったある日、ついに私は不動産屋に連絡を入れる決意をした。こう書くと少し大げさだが、いざ安い土地を買うとなれば、これだけの調査と覚悟は必要である。
 再びエモトさんのアドバイスをいただくと、見ず知らずの不動産屋にいきなり連絡をするより、顔見知りのH不動産を通して交渉したほうが、より安全ではないか、と言う。そのH不動産は私自身もよく知っていたので、またしても忠告に従うことにした。

 さて、新聞記事のコピーをH不動産に渡し、連絡を待つ。ほどなくしてエモトさんが物件の詳細が書き込まれた不動産情報を握ってやってきた。その顔がなぜか浮かない。

「TOMさん、南西道路の物件は、全部売れてしまっているみたいだよ。残っているのは北西道路の物件だけだ…」

 しまった、と私は土地の事前調査にかけた手間のことを悔やんだ。もしかして、調査にもたついていたその間に、南西道路の物件は売れてしまったのか…。
 だが、事実はそうではなかった。南西道路の物件は9月には売れていて、10月末の広告段階では、すでに物件は北西道路だけだったというのだ。
「もし物件がこれだったら、考えものだな」と北西道路の物件を前にして言った自分自身の言葉が思い浮かぶ。周囲の資材置き場や延び放題の雑草はともかく、狭くて設計しにくい6mの北西道路がどうにも気になってならない。
 いったいこの2週間の努力はなんだったのか?という苛立ちと、きちんと売出し物件を確認してから調査をすべきだったという自責、そして(もうひと月動き出すのが早ければ…)という悔いばかりが頭を駆けめぐる。物件を買う気は、もはや完全に失せていた。

 こうして私たちの土地探しは、完全にふりだしに戻った。

(第2話「意地でも探すぞ安い土地」へと続く)