叙情歌暦 〜誰も知らない夜 /2012.11.1
自主企画ソロライブ「誰も知らない夜」が無事に終了。毎年秋の恒例だが、思い立ったのが暑い盛りの8月末で、集客ノルマがなく、使用料も格安1,700円で済む近隣の地区センター視聴覚室で今回はやることにした。
週末は他のライブや行事との競合が怖く、平日の木曜を選択。時間は3枠ある中から夜の部18〜21時を選んだ。17時終了の午後の部も考えたが、勤めのある方が参加できない。かといって終了時刻が遅すぎると中高年には厳しいので、妥協案として早めの18時半に開演し、20時終了とした。
準備期間2ヶ月は過不足なかったが、途中で各種ライブが急増。さらに完全手作りでオリジナルCDをリリースするという暴挙を企てた。それらの多忙な作業のなかで、オリジナルCDを中心にライブを組み立てることを思いつく。
こうしてライブタイトルはCDと同じ「誰も知らない夜」に自然に落ち着く。前半をCD内のオリジナルでやり、後半をこの1年間チカチカパフォーマンスで評価の高かった各種ジャンルの歌で構成することにした。
いつものことだがネットでは全く告知せず、集客はあくまで口コミが中心。今回は「ライブをやる際はぜひに」と事前に連絡のあった方を中心に声をかけたが、直前になっても予約は10名強とやや拍子抜け。
ライブは無料だったが、当日は札幌ドームでの日本シリーズ第5戦と日程が重なり、歌よりも野球という嗜好はあるのだろうと思った。
17時過ぎに機材一式を積み込み、妻と共に家を出る。会場となる篠路コミュニティーセンターには5分で着く。出掛けにあいにくの雨。晴れ男にしては珍しく降られた。しかし、建物は駐車場の目の前なので、あまり問題はない。
割増料金を払って17時20分から部屋は借りていたので、すぐに設営開始。予め調べてあった部屋寸法から椅子を4セットずつ5ヶ所、つまりは20席並べた。当日になって3名の予約が入り、合計15名。これで充分足りるはずだった。
使わないテーブル類を廊下に搬出するのに手間取り、靴シートや案内状スタンド設置、入口の案内状貼り、PAや照明のセットなど、時間はあっという間に過ぎてゆく。窓のカーテンは当初半分開けるつもりでいたが、セットしてみると閉じた状態でも充分見映えはよいので、そのままで歌うことにする。
かなり早めにいらした方もいて、挨拶やお相手などするうち、たちまち開場時間となった。あとで思ったが、椅子の設営などは妻以外の友人に手伝ってもらう方法もあったかもしれない。
リハーサルは自宅でざっとやっただけで、この時点で会場での調整は全くやっていない。やむなくその場にいる方にお断りし、本番では歌わない曲を見繕って、マイクテストをかねながら調整することにした。
唱歌を中心に5曲ほど歌う。きちんと最後まで歌ったので、早めにいらした方には、よい場つなぎになった。ただ、ここで少し気持ちを入れすぎてしまい、それがライブ後半での疲れにつながった可能性がある。ライブのペース配分は、リハやマイクテストまで考えておく必要があるようだ。
PAはどうにか最適値を得たが、そうこうするち、次々とお客様が現れる。案内状は配ったが、返信のなかった方、一人だと思っていた方が連れを伴っていたりと、椅子がどんどん埋まってゆく。
足りなくなりそうだったので、急きょステージ横の予備椅子を使うことに。あとで数えてみたら、男性8名女性12名、合計20名もの方々がいらしてくださった。自主企画ライブの記録更新である。20代から70代まで年齢層も幅広く、ストリートライブで知り合った方も4名いた。
部屋に備付けの蛍光灯照明は準備中の18時まで点けていたが、開場直後に持参の電球照明3個のみに切り替えた。会場が明るすぎると、どうしても雰囲気が事務的で無味乾燥になる。スポット照明をうまく使い、開演前からステージ周辺にひとつの気分を作り出そうと考えてのことだったが、これは思惑通りに運んだ。
18時30分ちょうどにライブ開始。前半は全てオリジナル曲である。
「誰も知らない夜」
「雨ニモマケズ抄」(作詞:宮澤賢治)
「夕凪ワルツ」(作曲:イワノビッチ)
「秋の日に」
「抱きしめて」
「独り」(作詞:まりりん)
「サクラ咲く」
「夢の旅路」
40年近く前の曲やら3週間前にできた曲など、内容は多彩。今年できた曲が3曲あったのは、自己のたゆみなき前進という意味では喜ばしい。
19時5分に前半終了。室内が暑く、体力を消耗するので休憩時に上着を脱ぐ。8分後の19時13分から歌で開始を告げる、という手法で後半を始めた。
「とうだいもり」
「庭の千草」
「白い冬」
「夢一夜」
「恋心」
「モルダウの流れ」
「桃色吐息」
「ハナミズキ」
「ラブ・イズ・オーヴァー」
「川の流れのように」
〜アンコール
「ヘイ・ジュード」(オリジナル訳詞)
ラスト3曲くらいで左手の指がややつり始め、声の伸びも目一杯になった。さらには、右の耳が突然聞こえなくなり、かなりあせった。エレベーターで一気に高所に昇ったような状態で、耳が聞こえなければ歌えない。幸い、スピーカーは2個とも聞こえるほうの左側にあり、どうにかライブは進められた。
耳の異常は確か以前にもあった気がする。ライブ終了後1時間ほどで自然に元に戻ったので、心身の消耗が原因であることは間違いない。(調べてみたら、今夏の酷暑ライブ時にも同じ症状になっていた。暑さが一因だったかもしれない)
この日にむけて練習を重ねてはきたが、やはりソロライブはきつい。場の応援で何とか最後まで歌い切った。
終了は19時55分。アンコールではラストの「dada...」のリフレイン中にギターを弾きながら最後の挨拶を入れるという試みをしたが、これはうまくいった。挨拶終了後、期せずして場内から拍手、そして続けて歌ったラストの「dada...」に合わせて手拍子までいただく。
体力面での問題は多少あったが聴き手に支えられ、まずまず無難に終えることができた。ご来場のみなさまに感謝します。
ライブの翌日、参加していただいた方から、感想が5件ほど早くも届いた。常連の方や初参加の方などいろいろだが、おおむね好評のようで、胸をなでおろした。
なかでも20代男性からの「自分のスタイルを確立して長年続け、崩さないのがすごい」というコメントにはしびれた。そのほか「あくまでCoverであり、Copyではないのが好印象」「オリジナル曲の歌詞が素晴らしい」「還暦を過ぎてもツヤのある声を維持していることに驚き」「《抱きしめて》は一発で心に残る曲」など、細部にまで目を向けていただき、歌い手としては嬉しい限りである。
場所の設営に予想外の時間がかかるという問題はあったが、初めて利用した地区センター視聴覚室という場は清潔で静ひつ。聴き手にも好評だった。視聴覚室の新しい使い方という意味では、センター側にもアピールできたと思う。
最後の挨拶でもふれたが、今後も節制して精進を重ね、少しでも長く歌い続けていきたい。