イベントライブ顛末記


歌酔倶楽部ありがとう・MJ "赤しばり"/2012.7.29



 たまに顔を出す居酒屋ライブハウスの月例イベント「MJ」に参加。記念すべき通算60回目ということで、最古参メンバーの代表幹事の方が掲示板を通してネーミングや趣向を参加者に公募。「60なら還暦MJしかないのでは?」と何気なく書き込んだら、そのまますんなり採用となった。
 他の意見などから、還暦→赤、という発想で、赤いものがタイトルか歌詞に含まれている曲でエントリーすること。さらには、どちらも無理ならば、何かひとつ赤いものを身につけて歌うこと、といった取り決めがなされた。

 参加は17組と札止め状態となったため、開始時間は普段より30分早く、19時30分。開始前に「還暦MJ」の命名者としてお店から記念品をいただく。掲示板ではそうした予告はあったが、てっきりジョークと思い込んでいた。帰宅後に開封すると、普段はまず口にしない高級日本酒。ネーミングごときで貰いすぎの感がしないでもないが、慎んでいただくことにします。

 19時30分ぴったりにライブ開始。トップはママさん、ラストはマスターと決まっていて、私の出番は早めの2番。ややオープニングアクトに近い位置づけだが、文字通りの「還暦シンガー」としては、無理のない順番であろう。

 選曲には頭を悩ませ、歌う直前まで実は決めてなかった。当初は昭和歌謡の「赤いスイトピー」、オリジナルの「昭和46年7月…」のつもりでいたが、最近急増する女性参加者と「赤いスイトピー」が重複する可能性があるらしいことを知る。
 基本は「赤しばり」なので、それに沿って再考するうち、ふきのとうの「運命河」、赤い鳥の「赤い花白い花」、加川良の「赤土の下で」も歌えることを知る。譜面は5曲分用意し、出発前の練習でもすべて練習したが、気持ちとしては純粋フォーク路線ともいえる「運命河」「赤土の下で」に次第に傾いていた。

 ステージに上がってから、他に歌う人がいないことを確認し、まず「運命河」を歌う。4ヶ月ぶりの参加なので、歌いながら足が小刻みに震えた。明らかに上がっている。
 この歌は3日前にストリートライブで初めて歌ったばかり。後半の歌詞に「空に赤く光り…」とあり、「赤しばり」をクリアしている。好きな世界観だが、曲調が暗い。何せ「三途の川」をテーマにした曲だ。
 暗いが、せつなくて叙情的なので、自分には向いている。出来はストリートのほうがよかったと思っていたが、帰ってからライブ動画で聴いてみたら、そう悪くはない。ということで、久しぶりにYouTubeにアップしてみた。

 2曲目は「赤土の下で」。これまた暗い。何せ、葬式の歌だ。しかし、非常にマニアックな曲なので、重複の心配はまずない。タイトルに赤が入っていて、こちらも「赤しばり」を難なくクリア。忘れていたが、まるでダメを押すように、首には赤いバンダナを巻いた。
 実は私の弾き語りデビューは同じ加川良の「戦争しましょう」である。40数年前のことだが、同じアルバムにある「赤土の下で」も非常に好きな曲だ。しかし、内容が内容だけに、めったな場では歌えない。「赤しばり」の拘束に逆に甘えた格好だ。
 まずまず無難にこなしたが、この曲はたぶん私向きではない。もっと渋くて太い声の方に似合っているはずだ。なので、たぶんYouTubeにはアップしない。一度こっきりの歌であるが、まあ歌えてよかった。曲順は逆にしたほうが落ち着いたかもしれない。しかし、いずれにしても「死」をテーマにした重い選曲であったことに変わりはない。

 その後、15組の方々の熱唱が続き、最終組が歌い終えたのは深夜0時15分。5時間近くの大イベントは無事に終わった。
 詳しい資料はないが、この種のイベントが60回も続くこと自体が奇跡のようなもの。果たして何回まで続くのか、そして我が身は何回まで見届けることが叶うのか?当面の関心はそこにある。


 

第48回すすきの祭り/2012.8.3



 札幌都心で実施された「すすきの祭り」の屋外ステージに出演。復興支援コンサートの縁で依頼されたが、チカチカパフォーマンスも間接的に関わっている。この種のイベントは、いろいろな縁が重なって結実するもので、人とのつながりは大切にすべきとつくづく思う。

 会場はススキノ十字街、つまりはススキノのど真ん中である。48回も続く由緒あるイベントだ。幸いに暑さも程よく、カラリと晴れ上がった。
 私のステージ開始は18時30分で、35分前に会場入りした。完全に閉鎖した車道中央にステージは設営されている。

 ちょうどお神輿行列が始まったばかりで、あたりは大変な賑わい。18時10分くらいからステージ開始で、まずは8人組のダンスパフォーマンスが始まったが、1曲だけであっという間に終わってしまう。
 持参した譜面台を組立て、楽譜と磁石式クリップもセットして準備していたので、ただちにステージに上る。

 テレビでよく見る女性司会者の紹介のあと、予定より少し早い18時20分から開始。お神輿行列はステージ前から移動してはいたが、まだ2ブロック先あたりにいて、周囲には人だかり。ステージ周りは人が引いてしまい、ソロの弾き語りとしては難しい条件のスタートだった。
 お囃子の音が遠くから響くなか、25分で以下の7曲を順に歌った。


「季節の中で」
「恋のバカンス」
「サン・トワ・マミー」
「空港」
「ハナミズキ」
「青春時代」
「また逢う日まで」


 特に上がることもなく歌い始めたが、出だしから喉の調子が抜群にいいことを直感した。喉の調整がうまく運んだことが第一だが、PA(音響)が大型で抜群に聴きやすい。自分のボーカルがビルの谷間に轟き渡るような感じなのだ。
 場としてはトップクラスなので、音響はいいだろう…、という予感はあり、選曲もそれを見越した聴かせどころが多いものとしたが、正解だった。
「1曲目からすごい迫力で、びっくりした」とは同行の妻の弁。この日の調子のよさ、音響のよさを裏づけている。

 選曲は先日のチカチカパフォーマンスでの予行演習に沿ったものだが、その日の反応をふまえ、微修正を加えた。テレサテンの曲は必ず歌うつもりでいたが、構成上中盤にスローな曲を入れたい。そこで「夜霧よ今夜もありがとう」を「空港」に変更、「つぐない」は中止とし、ラストを乗りのいい「また逢う日まで」に変更した。
 スタートから「フォーク」「昭和歌謡」「シャンソン」「演歌」「J-POP」という順に小さな変化を加え、ラスト2曲を昭和歌謡でまとめるという趣向である。失敗は許されない場なので、初披露の曲は当然ない。

 進行と共にじわじわ人が集まってきて、場の反応も次第に熱くなってくるのが分かった。聴き手の後押しで歌はますます乗るという好循環。晴れがましい場に負けない会心のステージである。
「サン・トワ・マミー」や「空港」では曲紹介の時点で会場から拍手が起こり、「青春時代」では歌が終る前にさざ波のような拍手をいただく。「また逢う日まで」では、「サビの部分をご存知の方、よろしければご一緒にどうぞ」と直前のMCで言い添えたが、多くの方が歌ってくれた。いわば昭和歌謡のシングアウトである。聴き手は最終的に200名を越えていたように思う。

 5曲目のあと、予定通り「あと2曲で終わります」と宣言したら、係員の方がステージ下に近寄ってきて、「もう少しやっていただけませんか」と小声でさややく。時間に余裕があったせいもあろうが、会場の手拍子にも後押しされ、(もしかして…)と準備してあった「グッド・ナイト・ベイビー」をアンコールで歌わせていただく。

 結果として30分も続けて歌っていた。ステージを降りると、事前に連絡のあった知り合いの方々が近寄ってきて、労ってくれた。そのほか、見ず知らずの方々からも「よかったよ!」「いい声してるね!」などと、たくさんの声をかけていただく。

 その後エアロビ系フラ、よさこいソーランとステージ前の路上を使ったパフォーマンスが続く。最後まで見届けてはいないが、弾き語り系のパフォーマンスは異色。全体の中でよいアクセントになっていたように思える。お呼びがかかった理由はこれだったかもしれない。まあ、臆せずによくぞ歌った。ストリートライブでの修羅場経験が効いている。
 電子譜面搭載の中華Padが修理中なので、この日も印刷した譜面を使ったが、前回修正した磁石式クリップはうまく機能した。無風に近い感じでも、やはり風で譜面はめくれる。2個のクリップは必須で、1曲毎の留め替えに多少時間は食ったが、MCでうまくつないだ。
 苦手としていたお祭り系ライブだったが、どうすればいいのか、きょうでほぼ方向性をつかんだように思う。場にもよるが、昭和50年あたりを基準とした昭和歌謡をベースに肉付けしてゆけば、当面はやっていけそうな気がする。

 いろいろな意味で、これより上のステージは今後難しいような感じがしないでもないが、しばらくは満たされた余韻に浸っていたい。


 

北園小第3期同期会・余興/2012.9.8



 夕方から小学校の同期会が区内のホテルであり、今回から幹事を担当し、余興も任されているので、早めに準備して家を出た。
 自転車に機材一式を積み、まずは最寄りのJR駅へ。その後、JRから地下鉄と乗り継いだが、乗り換えの階段や通路が予想よりもはるかに長く、30度に迫る暑さで機材一式の重さが堪えた。

 幹事集合時間の16時30分より15分早く到着。すぐに会場に入れてもらい、部屋の大きさや明るさ、ステージの位置などを確認した。
 幹事全員が集まった段階で、機材一式をセット。マイクをステージに載せて簡単なリハーサルをやることにした。重量の関係でPAは乾電池式のもの。非力だが、やむを得ない選択である。
 正面ステージに載って歌ってみるとテーブルが横に長く、歌いにくく聴きにくい印象がした。ステージが不安定で踏ん張りもきかず、この位置は諦めて、ステージ左側にある壁を背にして再度歌ってみた。
 床が同じ高さだが、歌いやすい。メインステージの進行と無関係に準備できるのも好都合で、こちらで歌うことに決める。

 10分遅れて17時40分から宴会が始まる。ギリギリになって参加者も増え、最終的な参加者は24名。乾杯、そして歓談となったが、18時から開始予定の各自近況報告が、なかなか始まらない。30分近くも遅れてくる人が数名いたためで、実際に始まったのは19時近くだった。
 私の余興は18時40分からの予定だったが、大幅に繰り下がることになる。全員の近況報告が終る頃を見計らい、機材を全てセットしてスタンバイし、終了後の19時30分頃からただちに歌い始める。

 近況報告が笑いあり涙ありでかなりの盛り上がりを見せ、開始から2時間近くが経過して、各自酔いもかなり回っている。先日の訪問ライブに似た、難しい条件のなかで余興は始まった。
 この日は「青春歌暦」と題し、小学校〜中学校〜高校〜成人、という青春の懐かしい軌跡を歌でたどる、という趣向である。およそ20分で以下の5曲を歌った。


「カレンダー・ガール」〜オールディズ(小学校時代)
「オブラディ・オブラダ」〜ザ・ビートルズ(中学校時代)
「亜麻色の髪の乙女」〜グループ・サウンズ(高校時代)
「風来坊」〜フォーク(成人)
「また逢う日まで」〜アンコール


 企画としては悪くなかったはずだが、ライブとして成り立ったのは、冷静に判断して2曲目までだったろう。同窓会的な場は初めてだったが、思っていたイメージとはかなり異なっていて、お祭り系イベントよりもさらに浮ついた印象である。最も近いイメージは、サラリーマン時代の社内旅行宴会余興だった。
 結局のところは酒宴なので、そうした気分になるのは当然といえば当然。ラストのアンコールは別の幹事からの気遣いである。
 本当は「エーデルワイス」「僕の胸でおやすみ」も用意していたが、場の状況からバラード系の曲は無理と判断し、カット。全体の時間が押していたので、これはこれで正解だった。

 ライブはいまひとつ食い足りないものだったが、幹事不在だった組の世話役を急きょ引き受け、その最大の役割としての余興担当だったので、その一点では歌ってよかったと思う。

 会自体は大変な盛況だった。「来年から毎年やろう!」の声も飛び出したほど。参加人数が多ければよい、というものではないことを知った。歓談の中で各自が抱えている諸問題も出たりし、細く長く続く基礎は固まったように思える。
 もし余興の「次回」があるなら、「聴かせよう」という野心は一切捨てて、中高年に受けるメジャーな曲を短めにまとめる方向となろう。数十年ぶりの酒宴余興出演だったが、いい勉強をした。


 

チカチカ・第3期オーディション /2012.9.15



 31度に迫る酷暑のなか、日に2本という掛け持ちライブを久しぶりにこなした。弾き語り活動を本格再開した時期に1〜2度やった記憶はあるが、心身に多大なストレスを伴うので、還暦を過ぎてからは意図的に避けている。
 しかし、今回は断れない条件がそろってしまった。まずは1年間続けた札幌駅地下歩行空間でのチカチカパフォーマンス・オーデションである。一度合格しても、必ず1年毎にライセンスを更新する必要があり、受けないと資格を失う。再開するには、半年後にゼロから受け直すことになる。

 チカホではこの1年で17回のパフォーマンスをこなし、延べ300曲以上は歌っている。多くの出会いがあり、新しい発見があり、自分の歌の幅も大きく広がった。
 集客面でも限界値と言われる60名に数回迫り、ある程度の達成感はある。このまま受けずに流してしまう考えもあったが、熟慮のすえ、もう一回だけ更新してみようかと思い直した。
 仮に半年後に受け直しても合格する保証はなく、やるなら実績が残っているいまのうちだ。

 日程はかなり前から決まっていたが、「敬老月間」である9月中旬と聞いて、(もしかして何かの訪問ライブと重なるのでは…)との不安があった。しかし、調整してうまく避けたつもりでいた。

 ところが数日前になって地元社福協の責任者から電話があり、依頼を忘れていたが、週末の敬老会のラストに出演していただけないか、という。聞けば、日程も時間も全く同じである。
 指定された懐メロ系の曲を歌いながらリードし、会場の方と一緒にシングアウトするという大事な役割で、過去2年続けて出演している。カラオケやピアノは使いにくく、ギターが手っ取り早い。すでにプログラムも印刷し終えており、代役はいないという。
 日頃お世話になっている方なので断りにくい。義理は大事である。チカチカの事務局に事情を話し、オーデションの順序を極力早い時間に調整してもらうことにした。

 オーデションの順序は11組中のトップで、13時10分開始である。この時間なら終了後に何とか地元に戻って、敬老会のラストに間に合う。
 当初は10分の持ち時間だったが、3回目となる今回は受験者が半減し、急きょ20分に増えた。直前の決定だったので、予定通り10分でもよいとのことだったが、目一杯を使うことにする。長く歌えば聴き手は徐々に増える傾向にあるので、パフォーマンスとしては正解だと判断した。
 とはいえ、20分間には転換時間も含むので、実質17分前後に収める必要がある。この1年の総集編のような位置づけで、ジャンルの異なる以下の5曲を歌った。


「サン・トワ・マミー」(シャンソン)
「エーデルワイス」(唱歌)
「季節の中で」(フォーク)
「つぐない」(演歌)
「聖母たちのララバイ」(昭和歌謡)


 ほぼ予定通りにライブは始まったが、冷房がないので地下も外と変わらぬ暑さ。歌い始めたとたん汗が吹き出した。写真の顔が妙に上気しているのは、上がっているのではなく、暑くて体温が上昇したせいである。
 トップなので、100席近くある会場はまばら。気楽といえば気楽だが、やはりたくさん集まってくれたほうが張り合いがあるというもの。

 いつものペースで無用なMCは省き、中華Padによる電子譜面で曲間の切換えも瞬時。サクサクと歌い続けるうち、じわじわと聴き手も増えてきた。ラスト2曲あたりでは、最前列に座る方もかなり出てきて、8分ほどの入り。
 パフォーマンスとして弾き語りの集客力はいまいちなのが日頃の活動から分かっているので、これだけ集めれば充分。オープニングアクトとしての役目は果たせたと思う。
 実績ある曲ばかりなので無難にこなしたが、モニターが足元にないので、ほとんど勘で歌わざるを得なかった。持参したPAを真横に置く普段のスタイルのほうがむしろ歌いやすい。
 ラストの曲の最後のストロークで、ハイコードAmの押さえがやや甘く、音がぶれた。暑さによる集中力の欠落だが、もったいないことをした。しかし、実質時間は練習通りに17分ぴたりで収めた。
(練習ではMCも擬似的に入れるので、ズレはまずない)

 会場で偶然、知人のSさんに出会う。ライブハウスで知り合った方だが、今回初めて受けるのだとか。妻が仕事でこれなかったので、写真はそのSさんにお願いした。
 終了後、ただちに地元の地区センターへと向かう。Sさんのステージは後半なので、見届けることはできない。駐車場へむかう途中、さすがに疲労感を感じたが、もうひとがんばりである。
(後半のライブレポに続く)


 数日経って事務局からメール連絡があり、オーディションに合格したことを知った。11組受験中合格は9組で、弾き語り系は3組受験して、合格したのは私だけだった。
 対してジャグリングなどの他ジャンルは全員合格で、音楽系には厳しい結果である。今回の結果に関して自分なりに分析してみたが、あくまで「通りを行く一般市民」に向けたパフォーマンスなのだから、その芸には何かしらのサービス精神がなくてはならず、たとえ技術的なレベルが合格点でも、そこが合否の分かれ目なのではあるまいか?と思ってしまった。
(全パフォーマンスを見届けたわけではないので、あくまで推測である)

 特にジャグリング系パフォーマーの場合、すべてのパフォーマンスは外に向かっていて、そのサービス精神ぶりは徹底している。
 音楽系パフォーマーの世界は得てして自己陶酔、つまりは内へと向かいがち。ジャグリング系と全く同じことは無理としても、曲の構成やMC、歌うスタイルなどである程度のことは可能ではないか。いつまで続けられるかは分からないが、今後もこうしたサービス精神を見習い、忘れずにいたいと思う。


 

パトス・カフェコンサートvol.7 /2012.10.6



 入場無料のオープンなイベント「パトスカフェコンサート」に初めて出演した。場所は札幌市営地下鉄琴似駅地下。そこにスタジオやホールがあり、演劇や音楽を随時やっている。
 そんな話を耳にしたことはあったが、一度も行ったことはない。たまたまツイッターで出演者の募集を知り、主催がチカチカパフォーマンスを運営しているNPO法人と同じだったこともあって、メールで問い合わせたら、ぜひにとのことだった。

 そもそもNPO法人が主催するコンサート自体が稀。スタジオ前のロビーで昨年から不定期に実施され、通算7回目。今年は3回目で、拡大版として初めて週末に持ち時間30分でやるという。
 今回の参加者は以下の通り。(敬称略)

17:30 スミレ(ピアノ弾き語り)
18:00 渡辺慎吾(ギター弾き語り)
18:30 よしだともひこ(エレキギターシンガー)
19:00 =休憩&カフェタイム=
19:15 谷口千恵(ダンス&ボーカル)
19:45 菊地友則(ギター弾き語り)
20:15 伊藤賢一(クラッシックギター独奏)


 会場までは車で30分。行ってみるとチカホのライブで昨年知り合ったTさんとばったり出会う。聞けば、長年ここでボランティアをやっているのだとか。世間は狭い。
 時間ぴったりの17時半にライブ開始。ステージはロビーに隣接するギャラリー内にあり、絵に囲まれてスポット照明も豊富。見上げると高い天井には配管やダクト類がむきだし。美と粗の入り混じった独特の雰囲気で、イメージの掻き立てられる空間だった。

 出演者の事前情報はなかったが、非常に若い。1番手の女性はなんと高校2年生である。不思議なことに全員がソロ、そして全員が本名でエントリーしていた。

 続く出演者も一様に若い。メモによれば年代は順に、16→37→20代→20代→62(*_*)→30、といったところ。ほとんど子供か孫の世代である。全体的に場が若そうな印象はあったが、想像を超えていた。
 さらには、出演者の大半がオリジナル曲で臨んでいた。4人目までの合計でカバー曲は1曲のみ。それぞれが個性に溢れ、歌唱や演奏力も確か。退屈することなくプログラムは進んだ。

 ロビーには15席分のテーブルと椅子がランダムに並んでいて、数は少ないが空間が伸びやかで広い。公的施設なので完全禁煙だが、100〜150円のドリンク類が飲める。(強制ではなく、持ち込みも可)
 ステージ横には出演者用の楽屋もあり、快適な環境が整っている。出演者は拡大版30分枠で1,000円、通常版20分枠で500円の参加費を支払う。(ワンドリンク付)
 モニタはないが、PAは立派で歌いやすい。グランドピアノも完備。これだけ整った条件が格安で提供されるのは、運営が営利追求目的ではないNPOだからだろう。

 休憩を挟み、19時45分から私の出番。とにかく時間は正確である。この日のセットには相当頭を悩ませた。他の出演者の動向が全くつかめず、およその検討でマニアック過ぎる曲は避け、半分程度のオリジナル傾向で臨んだ。


「雨ニモマケズ抄」(オリジナル作曲)
「夕凪ワルツ」(オリジナル作詞)
「傘がない」
「Let it be」(オリジナル訳詞)
「エーデルワイス」
「ラブ・イズ・オーヴァー」
「サクラ咲く」(オリジナル)


 初めての場ということもあり、出番直前にはちょっと上がった。しかし、テレビで観たオマジナイで凌ぐ。いざ始まったら肝が座り、普段のペースで演れた。

 客席は8分の入り。スタッフを含めて聴き手は20名弱か。大半が出演者とその関係者、そしてスタッフなので、ライブ中は非常に静謐。客席がかなり暗いのでステージからはほとんど見えず、集中できる条件がそろっていた。
 ドリンク類には一品だけ「麦とホップ」というアルコール系飲料が提供されていたが、飲まれている気配はなかった。実質的な完全禁酒禁煙スタイルで、勢い場の集中度は増す。これなら高校生や高齢者でも気軽に参加可能で、これまたNPOならではの環境といえる。

 若手の中でつい気負いそうになる自分をぐっと抑え、淡々と歌い進んだ。出来は悪くなく、突出年長者としての気概と存在感は確かに示せたと思う。終わると数人の出演者やスタッフに囲まれ、いろいろ声をかけてもらった。
 この日が初披露の「Let it be」オリジナル訳とか、「傘がない」など、腐心した選曲も効果的に働いたらしい。「サクラ咲く」はオリジナルCDで評判の良かった曲だが、ここでもやはり受けた。

 全く未知の場で不安もあったが、若い人のエキスをたくさんもらい、いい刺激になった。もし次回があるとするなら、オリジナルの比率を80%くらいに上げよう。オリジナルの引き出しを充分に持っていないと、ちょっと辛い場である。逆にそこが大きな魅力であるかもしれない。


 

叙情歌暦 〜誰も知らない夜 /2012.11.1



 自主企画ソロライブ「誰も知らない夜」が無事に終了。毎年秋の恒例だが、思い立ったのが暑い盛りの8月末で、集客ノルマがなく、使用料も格安1,700円で済む近隣の地区センター視聴覚室で今回はやることにした。

 週末は他のライブや行事との競合が怖く、平日の木曜を選択。時間は3枠ある中から夜の部18〜21時を選んだ。17時終了の午後の部も考えたが、勤めのある方が参加できない。かといって終了時刻が遅すぎると中高年には厳しいので、妥協案として早めの18時半に開演し、20時終了とした。

 準備期間2ヶ月は過不足なかったが、途中で各種ライブが急増。さらに完全手作りでオリジナルCDをリリースするという暴挙を企てた。それらの多忙な作業のなかで、オリジナルCDを中心にライブを組み立てることを思いつく。
 こうしてライブタイトルはCDと同じ「誰も知らない夜」に自然に落ち着く。前半をCD内のオリジナルでやり、後半をこの1年間チカチカパフォーマンスで評価の高かった各種ジャンルの歌で構成することにした。

 いつものことだがネットでは全く告知せず、集客はあくまで口コミが中心。今回は「ライブをやる際はぜひに」と事前に連絡のあった方を中心に声をかけたが、直前になっても予約は10名強とやや拍子抜け。
 ライブは無料だったが、当日は札幌ドームでの日本シリーズ第5戦と日程が重なり、歌よりも野球という嗜好はあるのだろうと思った。

 17時過ぎに機材一式を積み込み、妻と共に家を出る。会場となる篠路コミュニティーセンターには5分で着く。出掛けにあいにくの雨。晴れ男にしては珍しく降られた。しかし、建物は駐車場の目の前なので、あまり問題はない。

 割増料金を払って17時20分から部屋は借りていたので、すぐに設営開始。予め調べてあった部屋寸法から椅子を4セットずつ5ヶ所、つまりは20席並べた。当日になって3名の予約が入り、合計15名。これで充分足りるはずだった。
 使わないテーブル類を廊下に搬出するのに手間取り、靴シートや案内状スタンド設置、入口の案内状貼り、PAや照明のセットなど、時間はあっという間に過ぎてゆく。窓のカーテンは当初半分開けるつもりでいたが、セットしてみると閉じた状態でも充分見映えはよいので、そのままで歌うことにする。

 かなり早めにいらした方もいて、挨拶やお相手などするうち、たちまち開場時間となった。あとで思ったが、椅子の設営などは妻以外の友人に手伝ってもらう方法もあったかもしれない。

 リハーサルは自宅でざっとやっただけで、この時点で会場での調整は全くやっていない。やむなくその場にいる方にお断りし、本番では歌わない曲を見繕って、マイクテストをかねながら調整することにした。

 唱歌を中心に5曲ほど歌う。きちんと最後まで歌ったので、早めにいらした方には、よい場つなぎになった。ただ、ここで少し気持ちを入れすぎてしまい、それがライブ後半での疲れにつながった可能性がある。ライブのペース配分は、リハやマイクテストまで考えておく必要があるようだ。

 PAはどうにか最適値を得たが、そうこうするち、次々とお客様が現れる。案内状は配ったが、返信のなかった方、一人だと思っていた方が連れを伴っていたりと、椅子がどんどん埋まってゆく。
 足りなくなりそうだったので、急きょステージ横の予備椅子を使うことに。あとで数えてみたら、男性8名女性12名、合計20名もの方々がいらしてくださった。自主企画ライブの記録更新である。20代から70代まで年齢層も幅広く、ストリートライブで知り合った方も4名いた。

 部屋に備付けの蛍光灯照明は準備中の18時まで点けていたが、開場直後に持参の電球照明3個のみに切り替えた。会場が明るすぎると、どうしても雰囲気が事務的で無味乾燥になる。スポット照明をうまく使い、開演前からステージ周辺にひとつの気分を作り出そうと考えてのことだったが、これは思惑通りに運んだ。

 18時30分ちょうどにライブ開始。前半は全てオリジナル曲である。


「誰も知らない夜」
「雨ニモマケズ抄」(作詞:宮澤賢治)
「夕凪ワルツ」(作曲:イワノビッチ)
「秋の日に」
「抱きしめて」
「独り」(作詞:まりりん)
「サクラ咲く」
「夢の旅路」


 40年近く前の曲やら3週間前にできた曲など、内容は多彩。今年できた曲が3曲あったのは、自己のたゆみなき前進という意味では喜ばしい。

 19時5分に前半終了。室内が暑く、体力を消耗するので休憩時に上着を脱ぐ。8分後の19時13分から歌で開始を告げる、という手法で後半を始めた。


「とうだいもり」
「庭の千草」
「白い冬」
「夢一夜」
「恋心」
「モルダウの流れ」
「桃色吐息」
「ハナミズキ」
「ラブ・イズ・オーヴァー」
「川の流れのように」
〜アンコール
「ヘイ・ジュード」(オリジナル訳詞)


 ラスト3曲くらいで左手の指がややつり始め、声の伸びも目一杯になった。さらには、右の耳が突然聞こえなくなり、かなりあせった。エレベーターで一気に高所に昇ったような状態で、耳が聞こえなければ歌えない。幸い、スピーカーは2個とも聞こえるほうの左側にあり、どうにかライブは進められた。
 耳の異常は確か以前にもあった気がする。ライブ終了後1時間ほどで自然に元に戻ったので、心身の消耗が原因であることは間違いない。(調べてみたら、今夏の酷暑ライブ時にも同じ症状になっていた。暑さが一因だったかもしれない)
 この日にむけて練習を重ねてはきたが、やはりソロライブはきつい。場の応援で何とか最後まで歌い切った。

 終了は19時55分。アンコールではラストの「dada...」のリフレイン中にギターを弾きながら最後の挨拶を入れるという試みをしたが、これはうまくいった。挨拶終了後、期せずして場内から拍手、そして続けて歌ったラストの「dada...」に合わせて手拍子までいただく。
 体力面での問題は多少あったが聴き手に支えられ、まずまず無難に終えることができた。ご来場のみなさまに感謝します。

 ライブの翌日、参加していただいた方から、感想が5件ほど早くも届いた。常連の方や初参加の方などいろいろだが、おおむね好評のようで、胸をなでおろした。
 なかでも20代男性からの「自分のスタイルを確立して長年続け、崩さないのがすごい」というコメントにはしびれた。そのほか「あくまでCoverであり、Copyではないのが好印象」「オリジナル曲の歌詞が素晴らしい」「還暦を過ぎてもツヤのある声を維持していることに驚き」「《抱きしめて》は一発で心に残る曲」など、細部にまで目を向けていただき、歌い手としては嬉しい限りである。

 場所の設営に予想外の時間がかかるという問題はあったが、初めて利用した地区センター視聴覚室という場は清潔で静ひつ。聴き手にも好評だった。視聴覚室の新しい使い方という意味では、センター側にもアピールできたと思う。
 最後の挨拶でもふれたが、今後も節制して精進を重ね、少しでも長く歌い続けていきたい。