ゲルマニウムラジオ  /'02.2



 ゲルマニウム、むかし化学の時間に必死で覚えた元素記号の中にあったはず。最近では花村萬月氏の小説のタイトルで一世を風靡した。でも、そのゲルマニウムがかってラジオの部品として使われていたことを知る人、ましてやそれを店で買い、大事に使っていた経験を持つ人はあまりいないかもしれない。
 少年の頃、ある日突然ラジオが欲しくなった。こんなふうに幼き日のある日突然、何かが欲しくてたまらなくなる経験って、それが叶ったかどうかは別にして、どなたにも一度はあるはず。私の場合はそれがグローブだったり、カメラだったり、双眼鏡だったり、パチンコ台だったり、自転車だったりした。小さい頃から機械系のものが大好きだったので、必然的にメカっぽいものが多かったように思う。

 さて、欲しくなったのはよしとして、問題はどうそれを実現させるかだった。私は元来執念深いたちなので、中古の物をもらったり(自転車)、ゴミ捨て場から拾ってきたものを修理したり(グローブ)、はては自分で作ってしまうなど(パチンコ台)、何らかの形で手に入れていた。ところが、ラジオだけはどうしても手に入らない。
 当時、我が家には立派なラジオがあった。父親が大きな仕事を請負ったときに買ってきたソニー製の高価なトランジスタラジオで、乾電池を入れてやればどこにでも持ち運べた。電気の必要な真空管ラジオが全盛だった当時としては画期的な製品で、家族の宝物のような存在だった。家の教育方針でテレビを見ることは許されなかったが、ラジオだけは大目に見てくれた。即物的映像のテレビではなく、音から対象をイメージせざるを得なかったことは、その後の私の人格形成に多大な影響を及ぼした気がする。
 ところが家に1台しかないラジオだったので、必然的に家族6人の奪い合いになる。親のいいなりだった幼少時は別にして、次第に自己主張の強くなってくる小学校高学年にもなると、ときには親とは別の番組も聞きたくなってくる。
 私は家族の中でもひとり興味の対象が変わっていて、皆が見向きもしない落語や浪曲、演歌などを聞くのが大好きだった。当時歌手では三橋美智也が人気だったが、母は彼が大嫌いで、家では絶対に聞かせてくれない。
(これは自分のラジオをぜひとも手に入れ、隠れてこっそり聞くしかない…)
 そう私が思うようになったのも、無理からぬことである。

 しかし、当時ラジオはまだまだ高価だった。真空管ラジオは比較的安価だったが、それでもとても自分の小遣いで買えるような値段ではない。
 チャンスはいきなり訪れた。小学校6年の夏、父親の仕事の都合で私たち一家は田舎から札幌に引越した。札幌のデパートには模型のコーナーがあり、小型カメラを始め、見るだけでわくわくするような品物がずらり並んでいる。
 あるとき、そこで300円とという破格の安さのラジオを発見した。300円といっても、いまならおそらく2000円くらいの価値で、親から一切小遣いを貰ってなかった身には結構な負担である。しかし、300円なら私にも何とかなる…。「ゲルマニウムラジオ」という、それまで聞いたこともないような変な名のラジオに、私は狙いを絞った。

 厚さは1センチくらいで、大きさは3センチ角ほどの正方形。スピーカーはなく、イヤホンで聞く仕掛けで、周波数を合わせるダイヤルもちゃんとある。アース用の長いコードが別についていて、その端がコンセントに差し込める形状になっていた。といってもプラグ形式ではなく、ついているのは普通のプラグをふたつに割った変な形だった。
 不思議なことに、乾電池も一切不要だという。アース線でコンセントから電気を供給するのかとも考えたが、そうでもないらしい。こんなオモチャのような代物で、はたして本当に放送が受信出来るのだろうか…。
 私は迷いに迷った。300円は私にとって大きな投資だった。万が一でも無駄にしたくはない。友達に聞いてみても、当時は皆がテレビに夢中で、ラジオに関心を示す者など誰一人いない。
 そこで、図書館や学習雑誌などでゲルマニウムラジオの何たるかを徹底的に調べた。このあたりの経緯は、何か事を起こそうと企てたとき、インターネットなどで徹底的にリサーチするいまのやり方と全く同じである。いやはや、「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだ。
 すると、何だか難しい論理だが、ともかくゲルマニウムには電波を集めるような働きがあるらしいことが分かった。けっしてオモチャなんかじゃない。そう確信した私は、ついにそのラジオを買う決意をした。

 中学校の1年だったと思う。平日だったが、たまたま教育研修か何かで、午前中で授業が終わりになった。そこでバスに乗り、デパートに出かけた。オレンジ色の可愛いデザインのゲルマニウムラジオが狙いで、ウィンドウにあるのは1台だけである。
(売れずに残っていて欲しい…)そんな祈りが通じたのか、私はようやくそのラジオを買うことが出来た。喜び勇んで家路につこうとしていたとき、階段のあたりで背広姿の目の鋭い男にいきなり呼び止められた。

「君、ちょっと」
 念願のラジオを手に入れたばかりの私は、思わず身構えた。
(まさかこのラジオを脅し取る気じゃないだろうな…)私は変に警戒心の強い子だった。

「君はどこの中学校だ?平日のこんな時間に、デパートで何してるんだ?」
 矢継ぎばやの彼の質問に、私は瞬時に事態を理解した。(これが噂の補導委員だ…)
 いまでもやっているかどうかは知らないが、生徒の非行を防止する目的で、中学校の指導担当の先生が交代で繁華街を巡回しているという噂を聞いたことがあった。まさに彼がその補導員に違いない。

「生徒手帳を見せなさい」
 まるで刑事のような鋭い眼と居丈高な口調で彼は言った。私は非常に品行方正な生徒だったので、外出時はいつも制服制帽、もちろん生徒手帳も手放したことがない。私の手から手帳を受取ってざっと目を通すと、彼はさらに質問を続けた。口調はいくぶん和らいでいる。

「今日は何しに街まで来たの」
「ゲルマニウムラジオを買うためです」
 正直に言って、いま買ったばかりの包みを見せた。ふうん、なるほど…。そう言って彼はまたしても不可解な質問を私に浴びせかけた。

「ところで、君は学校で真面目なほうだと自分で思うかね」
「ハイ、真面目だと思います」
 間髪を入れず、私は答えた。私みたいな真面目人間がいるものか。いい年して、オマエサンはそんなことも見抜けないのか…。そんな辛らつな思いを込めて。

「分かった。用事が済んだなら、早く家に帰りなさい」
 その一言で、ようやく私は彼から解放された。


 ゲルマニウムにまつわる不可思議な思い出である。補導員と交わした一語一句まで正確に覚えているから、私にとって余程印象的な出来事だったのだろう。
 肝心のラジオのほうは、予想を越える感度で、アース線などつながずとも、あらゆる放送が立派に受信出来た。住んでいた地域がたまたま電波状態のいい場所だったことも幸いしたのだろう。好奇心にかられて、蓋を開けて中を調べてみたことがあるが、部品が3つほどしか見当たらない実にシンプルな構造だった。
 私は心置きなく自分の好きな番組を聞くことが出来、自分だけの世界の虜になった。イヤホンだから、何を聞いているのか親には分からない。ゲルマニウムラジオは私にとって、異次元の世界へと自分をいざなってくれた羅針盤のようなものだ。人はこんなふうにして、知らず知らず親とは異なった価値観、生き方を育ててゆくものではないだろうか。

 このラジオ、高校生になってちゃんとスピーカーのついたトランジスタラジオを買うまで、5年以上も大切に使い続けていたのだが、なぜか処分してしまって手元にはない。電池不要でいつもまでも聞けるから、もしいまあれば災害用としても重宝していたかもしれない。おそらくもう二度と手に入らない逸品だろう。どうして捨ててしまったのかと、いまでもふと悔やまれることがある。