ツクイ札幌稲穂・訪問ライブ /2022.6.4
2年4ヶ月ぶりに人前で歌った。場所は20キロほど離れた市内のデイサービス。9年前から切れ目のない依頼があり、この日が実に19回目のライブ。昨年末にも依頼されていたが、新型コロナ・オミクロン株の感染急拡大とまんぼう措置発令により、あえなく中止となる。
4月下旬になって再度の打診があり、今回は幸いに市内のコロナ感染が減少傾向。ようやく実施の運びとなった。
依頼された時点では演れるかどうかはっきりせず、前回の急な中止のこともあって、いまひとつ気持ちは乗らなかった。しかし、受けた以上は演ることを前提にして準備する必要がある。1ヶ月前から1日10〜15曲を歌い込み、じょじょに喉の調子を上げていった。
長いブランク中にもそれなりに練習はやっていて、直前の1週間までには、まずまず人前で披露するレベルに達した。
当日は15時開始にあわせ、14時に家を出る。石狩市役所経由の新ルートを見つけ、35分という過去最短時間で先方に着いた。玄関で体温測定や手指の消毒などコロナ対策を入念にやり、控室に案内される。部屋の換気は充分だった。
オヤツ時間が少し長引いて、予定10分遅れの15時10分から開始。50分でアンコールを含めて15曲を歌った。
「北国の春」
「おかあさん」
「お富さん」
「バラが咲いた」
「幸せなら手をたたこう」
「蘇州夜曲」
「いつでも夢を」
「みかんの花咲く丘」
「君恋し」
「時の流れに身をまかせ」
「小指の想い出」
「いい日旅立ち」
「ミネソタの卵売り」
「リンゴの木の下で」
「青い山脈(アンコール)」
コロナ禍が完全に終息したわけではなく、病院や介護施設での感染リスクは相変わらず高い。ライブは終始マスク装着でやることで事前の了解を得ていた。
聴き手は30名ほどで、職員や利用者も当然ながら全員がマスク姿。衣装はXmas以外ではほとんど着ない赤をあえて選んだ。
イメージトレーニングを含めた充分な調整のかいあって、喉の調子は悪くなかったが、マスクで聴き手の表情が読めず、反応をつかみにくいというやりにくさがあった。同時に聴き手にとっても、歌い手の表情がよく見えないという不満があっただろう。
再開1回目のライブということもあり、全体的に守りの進行となった。聴き手との意思疎通を図るべく、極力目線を上げて会場を見渡しつつ歌うよう努めたが、ほどほどにしないと歌詞を見失うのが怖い。
「どうぞご一緒に歌ってください」との声もかけづらく、聴き手の参加は曲間の拍手や手拍子に限られた。
そんな悪条件下でも、曲間で「いい声だね」「70代とは思えない」など、自然発生の声が会場からあがって勇気づけられた。
構成は定番曲を中心に、起承転結やメリハリを考慮したオーソドックスなもの。大きな冒険はないが、長いブランク後の生ライブということで、聴き手の耳にも歌が新鮮に届いたように思える。
最後の歌が終わると、最前列に座っていた男性が突然立ち上がって一歩踏み出し、
「コロナで溜まっていたクサクサした気分が吹き飛ぶ素晴らしい歌でした。ぜひともアンコールを!」と熱く労ってくれる。
(届いていなかったのでは…?)という漠然とした不安も、この一言で吹き飛んだ。
アンコールを歌い終えたのち、この日が見学日という別の男性から、「並んで記念写真を」との要望がある。珍しく全員での写真も撮り、早々と9月の敬老ライブまで依頼される。再開によって歌の力を再認識した。みんな歌を求めていた。
反省としては、力を入れて歌うと唇がマスクの内側にふれて、歌いにくかったことか。あとで職員さんに確かめたら、特に聞きづらくはなかったという。次回は立体マスクを準備すべきかもしれない。
ともあれ、手探りではあったが、無難にやり終えたことを喜びたい。
ツクイ札幌稲穂・訪問ライブ /2022.9.8
6月に2年半ぶりに人前で歌ったデイサービスから、3ヶ月後のライブを依頼されていた。当時はまだ新型コロナ感染が落ち着いていた時期で、翌月から新型コロナ第7波が爆発。
コロナの勢いはなかなか収まらず、ライブの実施は難しいように思われた。しかし、引き受けた以上やる前提で準備しなくてはならない。
前回のような長いブランクはなく、練習に本腰を入れ始めたのは8月中旬から。折悪しく定期検診で胃ガン宣告を受けたが手術は9月下旬で、ライブ自体に支障はない。
施設からは特に連絡がなく、予定の4日前になってこちらからスケジュール確認すると、予定通り9/8に実施するという。日々の練習を怠らずに正解だった。
時間は前回と同じ15時開始。14時5分に家を出て、40分で先方に着く。前回開拓の裏道ルートでも平日のせいか、やや時間がかかった。
施設はちょうどおやつタイム。椅子のセッティング替えなどあって、開始は15時15分あたり。秋メニューを中心に、アンコールを含めて50分で15曲を一気に歌った。
「高原列車は行く」
「二輪草」
「炭坑節」
「瀬戸の花嫁」
「二人は若い」
「高校三年生」
「荒城の月」
「北酒場」
「星影のワルツ」
「涙そうそう」
「古城」
「つぐない」
「丘を越えて」
「また逢う日まで」
「時計台の鐘(アンコール&リクエスト)」
聴き手はおよそ30名。前回と曜日が異なるせいか、顔ぶれは大幅に入れ替わっている。マスクを着用し、聴き手との距離は広くとって感染に配慮した。
聴き手も当然ながら全員がマスクで、表情が読みにくい条件は変わらない。1曲ごとの拍手で反応をうかがったが、全体的に大人しいなかで、手応えがあったのは「二輪草」「高校三年生」「荒城の月」「丘を越えて」「また逢う日まで」あたりか。
前半の喉の調子はいまひとつで、特にロングトーンの音程が不安定だった。だましだまし進めて、後半は尻上がりに回復。不織布マスクの新品を使ったせいか、前回のような歌いにくさはなかった。
ラスト曲を歌い終えたのが16時ちょうどで、係員がまとめようとしたら、利用者から「アンコールは?」の声が自然に湧く。
準備していた「リンゴの唄」をありがたく歌おうとすると、最前列で熱心に聴いていて、ときに一緒に口ずさんでいた男性利用者から、「『時計台』をぜひに」との声があがる。
思わず「裕次郎(「恋の町札幌」→出だしに時計台が登場する)ですか?」と問うと、違う、時計台の歌だよ、と重ねる。
どうやら唱歌の「時計台の鐘」が希望らしい。過去のライブで何度も歌ったが、リクエストは一度もない。素早く電子譜面を検索すると、案外簡単に見つかった。
5年ぶりに歌ったが、これが自分でも驚くほどうまく歌えた。求められると、普段持っている以上のパワーが歌に乗り移るものらしい。
終了後、全員で記念撮影。移動してきたばかりの若い施設長さんから労われる。
ライブ前に調べてみたら、最初の依頼が大腸ガン発症直前の9年前の夏。以降年2〜3回ペースでコンスタントに依頼があり、奇しくもこの日は20回目のライブだった。
Xmasライブの打診もあったが、胃ガン発症と手術の予定を率直に話し、患部の進行状況がはっきりするまで、しばらく活動を休止することで了解をもらった。
先日の本修繕ボラと同じで、ボランティアを続けるにも、まずは自分の健康が最優先である。