訪問ライブ顛末記


老健施設ぼだい樹・冬の演芸会_1F /2018.2.7



 車で20分ほどの距離にある老健施設で歌った。「冬の演芸会」という切り口だが、出演は私だけ。ネット経由で初めて依頼されたが、老健施設で歌ったことは過去に数回しかなく、先方と何度か打ち合わせを重ね、慎重に準備した。

 開始は13時30分で、まず1階で歌ったあと、10分の転換時間を経て2階でも同じ内容で歌うという変則的な内容だった。

 開始30分前の13時ころ先方に到着。以前に建築設計を手掛けた現場近くに施設はあり、経路は熟知していた。
 控室に案内され、連続するライブの段取りをまず打ち合わせる。続いて会場となる1階と2階を見せていただいた。移動に使うエレベーターと機材の運搬方法も確認する。

 13時15分くらいに1階会場のホールへと移動。こちらには20センチほどのステージやスポット照明が準備されている。
 利用者が三々五々と集まってきたが、車椅子の方がかなりいて、集合に時間がかかった。時間調整としてマイクテストをかね、「憧れのハワイ航路」「瀬戸の花嫁」を軽く歌ったが。この時点ですでに拍手が湧いた。

 やがて開演時間となったが、まだ会場は落ち着かない。少し遅れて、13時33分くらいにスタート。次のステージが控えているので終了時刻は予定通りにし、およそ27分で10曲を歌う。


「北国の春」
「おかあさん」
「お富さん」
「知床旅情」
「二人は若い」
「高校三年生」
「仰げば尊し」
「函館の女(矢切の渡し)」
「月がとっても青いから」
「青い山脈(歌詞カード)」


 聴き手は職員を含めると50名を超えた。会場の音響がよく、長く患った副鼻腔炎も完治したこともあって、喉の調子は久しぶりによかった。
 初めての場なので冒険は避け、やや賑やか系の曲を多めにしたオーソドックスな構成で臨んだが、おおむね好評でホッとした。

 7曲目の「仰げば尊し」では涙を流す人が複数いて、8曲目の昭和歌謡2択リクエストの趣向には、一転して会場が湧いた。
 叙情系の曲は「知床旅情」「仰げば尊し」だけで、他の曲には手拍子を誘導することもなく進めたが、会場からは自然発生の手拍子も飛び出して、全体的に手応えはよかった。

 終了後に会場に余韻が残り、「もっと聴きたい…」という声も聞こえてきたが、施設側の進行の都合で、アンコールはなし。マイクやPAの機材は組み立てたままの状態で、次なる会場の2階へと向かった。


 

老健施設ぼだい樹・冬の演芸会_2F /2018.2.7



 1階ホールで30分弱のライブを終えたあと、組み立てたままの状態で機材をエレベーターで2階へと運ぶ。2階にはステージがなく、聴き手と同じレベルの仮想ステージで歌ったが、大きな問題ではない。
 ステージ前にはすでに整然と聴き手が座っていて、いつでも始められる状態。聴き手の数は1階と同じく50名を超えていた。

 設営は簡単に終わり、予定を早めて14時7分から始めることになった。1階と同様に正味30分で10曲を歌う。

「北国の春」
「おかあさん」
「お富さん」
「知床旅情」
「二人は若い」
「高校三年生」
「故郷」
「矢切の渡し(函館の女)」
「月がとっても青いから」
「青い山脈(歌詞カード)」


 事前の打ち合わせで、2階には介護度のやや重い方が多いと聞いていたので、7曲目の唱歌童謡は「仰げば尊し」ではなく、より分かりやすい「故郷」に切替えたが、不思議なことにこの曲でも涙を流す方がいた。
 8曲目にしかけた2択リクエストは、1階と結果が逆転したが、こちらは「別の曲もぜひ聴きたい」という職員さんの強いあと押しがあったように思える。  1階に引き続いて自然発生の手拍子も出て、無難に歌い終えた。ほぼ連続で20曲を一気に歌ったにも関わらず、喉は好調を維持していて、キーは全て普段通り。水は移動時に一度飲んだだけで、ライブ中は全く飲まずに乗り切った。

 終了後に一部の利用者から「これまでよりずっとよかった」「最高!」などという声が耳に届き、職員さんにも大変喜ばれた。長く引きずった喉の不調、ようやく抜け出せた感じがしないでもない。

 ライブは10日ぶりだったが、最近試みている新しい調整法で今回も臨んだ。マイク前での練習は直前の2日間に軽くやっただけ。他はイメージトレーニング程度で、ほとんど歌ってないに等しかったが、歌唱への悪影響は特に感じなく、むしろプラス側に働いた。
「むやみに歌わず、ひたすら喉を休める」という調整法、細く長く弾き語り活動を続けるうえでの決定打になりそうな予感。


 

ネクサスコート北大前・2月誕生会 /2018.2.18



 車で30分ほどの有料老人ホーム誕生会で歌った。ネット経由での依頼だが、実は系列の別施設で、7年前に2度歌っている。当時の担当者はすでに辞めたらしく、施設も異なるので、全くゼロからの打合せとなった。
 運営母体は同じで、入居者の入れ替わりが少ないという条件は同じ。介護度の重い方が多いということで、担当のMさんと内容を電話やFAXで細部を煮詰めた。

 前回歌った施設では、「演歌は歌わない」「洋楽系を多めに」など細かい条件が出たが、今回は「可能であれば、裕次郎を1曲」以外に具体的な要望はなく、構成は一任された。
 30分という短めの演奏時間ということもあり、冒険を避けてごく一般的な内容で臨むことにする。

 開始30分前の13時に先方到着。小学生時代に住んでいた地域なので、迷うことはない。
 歌うのは2階のホールで、聴き手は50人ほどか。定員は98名とのことだが、全員が参加するわけではないようだ。

 13時15分くらいから機材の設営を始め、20分過ぎにはスタンバイした。念のためPAは2台を準備したが、聴き手の数と矩形に近い会場の形状から、普段通りの1台でやることにした。
 冒頭にMさんの挨拶があり、予定より早めの13時27分から歌い始める。およそ30分強で、11曲を歌った。


「北国の春」
「蘇州夜曲」
「お富さん」
「知床旅情」
「二人は若い」
「高校三年生」
「仰げば尊し」
「矢切の渡し」
「夜霧よ今夜も有難う」(リクエスト)
「月がとっても青いから」
「青い山脈」


 ある程度予想していたが、場の反応は全体的に弱かった。初めての場なので隔たった構成は避けたが、懐メロ系として選んだ「蘇州夜曲」「二人は若い」の手応えがまずまずで、昭和歌謡系の反応がいまひとつの印象。
 唱歌系として歌った「仰げば尊し」は、明らかに他施設よりも反応が弱い。ここは「故郷」を歌うべきだったかもしれない。
 洋楽系はあえて歌わなかったが、「ケ・セラ・セラ」や「サンタ・ルチア」「エーデルワイス」あたりを試してみたかった気もする。

 始まりが早かったので、予定の10曲では時間が余りそうだった。進行上、終了時間は予定通りにすべきと判断。急きょ「矢切の渡し」を歌って時間を調整する。

 共に歌ったり手拍子をしたり、目を輝かせて聴いてくれる一部の利用者の方も確かにいたので、歌が全く届いていなかったわけではない。しかし、難しい進行だったことは間違いない。

 終了後に担当のMさんとしばし話したが、フォーク系の声なので、フォークも1曲聴いてみたかった、と言われた。しかし、歌っている立場としては「君恋し」「誰か故郷を想わざる」「長崎の鐘」など、戦前の懐メロや童謡をもっと歌うべきだったかも…、と反省しきり。
 初めての場とは、かくも難しいものである。


 

ツクイ札幌稲穂・訪問ライブ /2018.2.25



 冬は車で1時間はかかる遠方のデイサービスで歌った。数年前にネット経由で依頼され、一時は年3〜4回という頻度で歌わせていただいた。
 ところが、昨年5月を最後に、ぷつりと依頼が途切れた。担当者がやめたり別施設に移動したりすると、それを機に縁が切れることがよくある。

 今回久しぶりに依頼があったのは、これまでずっと担当だったTさんとは別の方。ライブ中もTさんの姿は見えなかったので、何らかの理由でいなくなった可能性が高い。(あえて確かめなかった)

 数日前から続く風邪の症状に加え、昨夜から左耳の耳鳴りがひどく、聞こえが悪くなった。風邪やストレスと関係があるのかもしれない。指圧を繰り返してどうにか症状を緩和する。
 加えて、今朝起きると頭がボーとして身体が少しダルい。(もしや…)と思って体温を測ると、36.8度という微妙な数字。事前の練習で声はまずまず出たので、スケジュールに穴を開けてはならないと、そのまま出かけた。

 用心して早めに家を出たが、路面はすっかり乾いていて、車の流れは順調。夏と変わりない45分で先方に着く。

 耳と喉の両方に不安があるので、これまでこの施設では一度もやったことのない、PA2台方式で臨むことにする。
 聴き手は40名ほど。予定ぴったりの15時から始め、結果として50分強で18曲を歌う。(※はリクエスト)


「北国の春」
「白い想い出」
「なごり雪」
「蘇州夜曲」
「愛人」
「仰げば尊し」
「サン・トワ・マミー」
「宗右衛門町ブルース」
「春一番」(初披露)

「憧れのハワイ航路」
「二輪草」
「お富さん」
「故郷」
「みかんの花咲く丘」
「リンゴの唄」
「青い山脈」
「夢一夜」※
「愛燦燦」※


 1曲目からいきなり(まずい…)と直感した。自宅リハでは問題なかったはずの出だし部分が、きれいに出ない。昨日からの声がれ症状は残っていたが、なぜか本番になって高音も出なくなっている。
 急きょキーを半音(1カポ)下げて歌うことにしたが、問題はカポなしで普段歌っている曲。咄嗟の転調はリスクが高く、やむなくそのまま歌ったが、「なごり雪」はどうにか乗り切ったものの、「サン・トワ・マミー」でごまかしが効かなくなった。
「宗右衛門町ブルース」はどうしても高音が出ず、1番で打ち切ってしまうという失態。

 いつも1時間近いライブを求められるが、この日はどう考えても無理。しかし、「喉の調子が悪いので、30分でやめます」とは言い出しにくい雰囲気だった。そこで9曲を歌った時点で、大幅な路線変更を決意する。

 歌い手がアップアップで余裕のない状態なので、聴き手の反応も極度に弱い。当然といえば当然だが、その中で唯一手応えのよかったのが「仰げば尊し」。これをヒントに、音域が狭く、キーを2つ下げても歌える唱歌系懐メロ系の曲を急きょ見繕い、時間の辻褄だけは合わせようと考えた。
 キーは下げたが、低音は比較的安定していて、女性にも歌いやすい。高音部の声がれが解消したこともあって、「憧れのハワイ航路」からの後半は、場の反応が俄然よくなる。

 開始から40分が過ぎ、最後の曲になって初めて、「喉の不調により、お聞き苦しい部分があったことをお詫びします」と陳謝。懐メロの反応もよく、どうにか場を収めたと安堵して撤収しようとしたら、施設長さんがやってきて、リクエストが出ているのでぜひに、と言う。
 帳尻だけは強引に合わせたが、この日はとても人に聴かせる歌ではなく、固辞しようとしたが、1番だけでも…と譲らない。やむなく2曲を1音下げてどうにか歌い切る。

 終了後、なぜか場は予想外に盛り上がっていて、「懐かしい曲を久しぶりに聴けてよかった」と、わざわざ私に伝えに来る利用者の方さえいた。
 喉が絶好調と自分で思っていても、まるで手応えのない場があり、反対に最悪のコンディションで歌っても、それなりの評価がもらえることもある。ライブの七不思議のひとつだろうか。


 

デイ&デイ・訪問ライブ /2018.3.24



 1ヶ月ぶりに人前で歌った。風邪による喉の不調で最悪のライブを終えて以来、歌はしばし自重していたが、その後の養生で喉は70%くらいまでに回復。まだ多少の声がれは残っていたが、キーは普段通りで、この時期としてはまずまずの調子。
 幸いに、依頼先は過去に10回以上も歌っている近隣のデイサービス。信頼関係も厚く、長いブランク後の場としては最適だった。

 いつも通り、14時からライブ開始。この日は聴き手が少なく、ざっと20名弱。男性がゼロで全員が女性という変則的な構成だった。
 およそ60分で17曲を歌う。(※はリクエスト)

《前半》
「北国の春」
「白い想い出」
「珍島物語」
「蘇州夜曲」
「愛人」
「みかんの花咲く丘」
「サン・トワ・マミー」
「いい日旅立ち」
「宗谷岬」
「春一番」

《後半》
「大空と大地の中で」※
「レット・イット・ビー(オリジナル訳)」※
「夜霧よ今夜も有難う」※
「北国の春」※
「恋」(コラボ演奏)
「世界に一つだけの花」
「故郷」※

 いつもの傾向だが、場は非常に大人しい。人数が少なめで、男性が皆無という条件も影響していたかもしれない。

 これまたいつものように、参加型の曲は少なめにし、傾聴型の曲中心で臨んだ。普段ならこれでうまく収まるはずが、前半を終えて場からリクエストを募っているわずかの間隙に、最前列に座っている女性(今回が初参加)から、不可思議な質問が矢継ぎ早に出て困惑させられた。
 なぜここで歌っているのか?誰の許しを得たのか?そんな責任者などいない等々、返答に窮する内容ばかり。丁寧に対応したが、そのうち立腹して大声を出し始めた。場が一気に冷え込む気配。まずい…。

 過去にも何度か経験があるが、いわゆる「クレイマー・オーディエンス」という代物である。どのような場であっても、ライブ中にクレームの類いがはいると、たとえそれが正論であってもライブは宙に浮く。
 職員さんが懸命にとりなそうとするが、クレームは延々治まらない。他の方のリクエストは続くのでそのまま歌い続けたが、自分が無視されたとでも思ったか、しまいには歌い手にとって屈辱的な言葉まで投げつけられた。
(施設にとって利用者は「お客様」なので、こうした状況下での対応は困難を極める)

 凍りついた気分のまま、予定通りにライブは終了。職員さんから、大変な失礼がありましたと陳謝されたが、かなり気分が落ち込んだ。想像だが、認知症の周辺症状(BPSD)のひとつかもしれない。
 1ヶ月前は最悪のコンディションでも予想外に喜んでもらえたが、今回喉は回復してもライブ内容は最悪という皮肉な結果。なかなかうまく噛み合わない。
 体調面と進行面の両方で、以前のペースに戻せる時期がくるのかどうか、全く分からなくなった。


 

ツクイ札幌新川・訪問ライブ /2018.4.26



 系列施設からの紹介で、車で30分ほどの隣区にあるデイサービスで1ヶ月ぶりに歌った。
 風邪に起因する体調不良から、しばし活動を自粛していたが、ようやく春らしい暖かな陽気となり、そろそろ動き出すべき時期到来である。

 開始は14時だったが、初めて訪れる施設なので20分前には先方に着く。聴き手は40名ほどで、デイサービスとしては多いほうだ。食堂の窓際をステージに想定し、こちらの要望で椅子を片側に整然と並べてもらった。
 普段通りの椅子やテーブルの配置で歌えば施設側の負担は少ないが、たとえボランティア演奏といえ、ライブはある種の非日常であることに変わりはない。聴き手と歌い手に程よい緊張感を与える意味でも、場としての体裁は必要であろう。

 準備が整ったので、予定を5分早めて13時55分から始めた。ちょうど1時間で計19曲を歌う。


《セレクトタイム》
「北国の春」
「おかあさん(森昌子)」
「宗谷岬」
「真室川音頭」
「蘇州夜曲」
「幸せなら手をたたこう」
「高校三年生」
「みかんの花咲く丘」
「荒城の月」
「故郷」
「釜山港へ帰れ」
「夜霧よ今夜も有難う」
「時の流れに身をまかせ」
「いい日旅立ち」

《リクエストタイム》
「北酒場」
「ブルーシャトー」
「五番街のマリーへ」
「さくら(直太朗)」
「また逢う日まで」(三択リクエスト)

 系列施設では多数歌っているが、場としては初めてなのでリスクを避け、ごくオーソドックスな春メニューで臨んだ。
 出だしの4曲はストローク系の曲でまとめたが、場の反応はまずまず。喉の調整もおおむねうまく運んで、多少の声がれはあったが、普段通りのキーで歌えた。

 5曲目で初めてアルペジオの曲を歌ったが、タイトル紹介で歓声が湧く。その後の聴き手参加型の曲の反応も悪くなかった。中ほどに入れた唱歌メドレーは、多くの方が一緒に歌ってくれた。場の傾向としては、やや傾聴型だったかもしれない。

「夜霧よ今夜も有難う」を歌い終えた時点で、時計は14時35分あたり。すでに40分が経過している。後半にリクエストを募る旨をここで告げたら、最前列に座っていた男性から、早くもリクエストを書いた紙が差し出される。
「北酒場」「人生の並木路」とあり、レパートリーにあった「北酒場」をまず歌う。その後、場に再度リクエストを募ったが、女性が多いこともあってか、ただちに声はあがらない。
 そこで傍らに準備してあったリクエスト用紙を取り出し、私自身が声をかけて聴き手に直接手渡すことにした。場がやや大人しいときにしばしば試みるが、聴き手との距離を近づける効果がある。

 ここから場の反応が俄然よくなり、リクエストが次々と飛び出す。懐メロや演歌は皆無で、POP系の歌が続くことに驚いた。リクエストが止まらない雰囲気になったので、進行の方に適当なところで打ち切ってもらった。
 ラストは「青い山脈」「リンゴの唄」「また逢う日まで」の三択リクエストを仕掛けたが、予想通りPOP系の「また逢う日まで」が圧倒的な支持を得た。

 終了後、「いい歌でした」「68歳にしては声が若い」などと声をかけてくれた利用者が複数いたので、出来としては悪くなかったと思う。自己評価としては、細部の表現にまだ不満が残ったが、これはあくまで歌い手自身のこだわりの部分である。

 施設長さんが学生時代からバンドを組んでいて、ギターを担当していたと聞かされる。あの竹原ピストルと大学の同窓で、同じステージを何度も踏んだという。いまもライブをこなすそうで、弾き語りには理解の深い方に恵まれたようだ。
 ライブ中にたまたま系列別施設から電話があり、電話越しに歌を耳にした先方が、「我が施設でもぜひに」との話になり、来月歌わせてもらうことになった。
 春の訪れと共に、長い低迷からようやく抜け出すきっかけをつかめたかもしれない。