訪問ライブ顛末記


のどか祭り /2014.9.6



 毎年招かれる近隣のグループホーム秋祭りイベントに出演。足掛け10年になる長いお付き合いが続いている施設で、当初は年に3回歌わせてもらったが、ここ数年は家族や町内会を招く秋祭りとクリスマス会の2度に定例化した。
 屋外の駐車場を使い、ステージも特にないスタイルで歌う。幸いにカラリと晴れ上がり、予定より少し遅れて、13時10分あたりからステージは始まった。

 手慣れた場所なので、特に気負うこともなく臨んだが、この日はなぜか聴き手のノリがいまひとつで、会場の人の動きもどこか落ち着きがなく、場をつかみきれないまま、歌い進んだ。

 およそ25分で8曲を歌う。


「年下の男の子」
「月がとっても青いから」
「ブンガワン・ソロ」
「旅の夜風(初披露)」
「さんぽ」
「のどか小唄(オリジナル)」
「アロハ・オエ」
「まつり」


 場の反応があったのは、「年下の男の子」「さんぽ」「まつり」くらい。しかし、それすらとても「熱い手応え」とは言い難い。消化不良のまま、ライブは終わってしまった。

 直後に始まった若いヘルパーさんと入居者代表の男性による「いっしょに歌おう」のコーナーでは、歌詞カードが配られて「北海盆唄」が歌われたが、打って変わってこちらは抜群のノリ。終わると「アンコール!」の声が飛び、同じ歌をもう一度歌うことに。
 それでも場は納得せず、再度のアンコール。ヘルパーさんが困って、「もう準備がありません」。すると「なんでもいいよ」の声があり、入居者男性が得意な演歌を1曲歌って、ようやく収まった。

 ある意味ではショックな結果である。聴き手は50〜60人ほどで、歌った場所や時間は例年通り。違っていたのは、PAを乾電池式の小型に変えたことくらいだが、ヘルパーさんたち2人はPAなしのノーマイクで歌っていたので、音響は関係ない。
 奢りや気の緩みはなかったと自分では思っているが、「聴かせる」という気持ちがどこかにあって、それが場にマイナスに働いた可能性はある。同じ場で飽きられずに10年歌い続ける難しさもある。もしかすると自分のスタイルそのものが、この施設には合わなくなってきているのかもしれない。

 このところ路上系とデイサービス系の場が激増していることも関係ありそうな気がする。昨年の敬老月間は月9本という殺人的スケジュールだったが、やはり「ハズレ」はあった。場に応じた柔軟な態勢が必要なのだろうが、難しい。
 今後のことも含め、少し頭を冷やして考えてみたい。


 

ライラックイースト・敬老会 /2014.9.12



 自宅から車で20分ほどの近くにあり、1年前にネット経由で依頼されたデイサービスから再び招かれ、敬老会ライブで歌ってきた。いわゆる「最も強い2度目の依頼」だが、行ってみると依頼時とは担当者が変わっていて驚いた。

 聞けば先週辞めたのだという。出掛けに出演時間確認の奇妙な電話が施設からあり、不信に思っていたが、そんな訳だったとは。
 人の出入りが激しいのは、この業界の傾向のひとつだが、幸いに引き継ぎは行われていて、予定通り13時15分からライブは始まった。

 聴き手は13名で、職員が3名。デイサービスの規模としては小さい部類である。前回の記録を参考に準備したが、他と比べて突出した特徴は、「男性の比率が高い」ということ。
 介護施設の一般的な特徴として、女性の比率が高いことが挙げられる。およそ70〜80%は女性で、全員が女性という施設も少なくない。女性は寿命が長いことのほか、集団生活への順応性が高いことが背景にあるのではないか。

 今回も13人中7人が男性。基本的に女性中心に構成を組み立てているので、男性にも配慮するとなると、これがけっこう難しい。叙情歌系の比重を減らし、男性受けする演歌系の曲を多めにして臨んだ。
 まず30分ほどで12曲を歌う。


「憧れのハワイ航路」
「お富さん」
「おかあさん」
「おふくろさん」
「炭坑節」
「二人は若い」
「バラが咲いた」
「浪花節だよ人生は」
「さざんかの宿」
「高原列車は行く」
「星影のワルツ」
「月がとっても青いから」


 最初の数曲は場のノリがいまひとつで、苦戦した。1週間前のグループホーム秋祭りでの悪夢が蘇る。今回は食事など、他に気を取られる要素はないので、MCで盛んに声かけをし、何とか自分のペースに持ち込もうと腐心した。職員さんにも手拍子などでの、具体的な応援をお願いした。

 場がようやく乗ってきたのは、意外にも叙情系の「バラが咲いた」から。数は少ないはずの女性の反応がよく、ここから徐々に雰囲気がよくなってきた。あまり男性女性を意識せず、得意な叙情系の曲は随所に散りばめよ、という教訓だろう。

 最初は大人しかった男性も積極的に声をかけてくれるようになり、私もすかさずそれにアドリブで応じた。(この種の場で、おしなべて男性は大人しい)
 開始前にいくつかリクエストが出ていたので、予定曲をひと通り歌ったあと、アンコールをかねたリクエストタイムとした。およそ20分で合計6曲を続けて歌う。(※はリクエスト)


「川の流れのように※」
「矢切の渡し※」
「皆の衆※」
「酒よ※」
「青い山脈」
「サン・トワ・マミー※」


「美空ひばりを何か」「村田英雄をぜひ」というリクエストがまずあり、最初に「川の流れのように」を歌ったとたん、別の女性が「《矢切の渡し》を聴きたい」と、突然の要望。3曲を無難にこなしたあと、ラストに「青い山脈」を全員で歌って締めようとすると、盛んに声をかけてくれていた男性から、「吉幾三の《雪國》か《酒よ》を歌って」と、これまた強い要望。
 施設側に時間を確認すると、14時を多少越えてもOKとのことで、電子譜面で検索しやすかった「酒よ」を歌う。

 およそ2年ぶりだったが、これがなぜか非常に気持ちが入った。場がぐんぐん寄ってくる確かな感触があり、後押しされるように、フルコーラスを歌う。歌い終えぬうちに万雷の拍手で湧く。
 理由は定かではないが、「請われると乗る」という本能のようなものが作用したか。

「青い山脈」を歌い終わり、やれやれと撤収にかかろうとしたら、女性のヘルパーさんから、「アンコール!」の信じ難い声。さすがに虚を突かれた思いで、一瞬たじろいだ。時計は終了予定の14時をすでに回っていたし、ここまで17曲を歌って、リクエストをかねたアンコールも終わったつもりでいる。
 しかし、「利用者さんを意識しない、菊地さんが本当に好きな歌を1曲聴きたい」と、ヘルパーさんは言う。フォークかシャンソンか一瞬迷ったが、ここは洋楽を選択。曲目を告げると、何とそれまで大人しかった利用者の女性が、越路吹雪のファンだと歓声をあげる。こんなふうに、うまく運ぶときは、なんでもいいほうに働く。

 終了後、「予想を超える素晴らしさでした」と、新担当の方からも労われる。歌は歌い手だけでなく、聴き手や場を管理するスタッフも含めた三者が一体となったき、より強いパワーとなって結集するものだと再認識した一日。


 

KJの里・敬老会 /2014.9.15



 近隣のデイサービス敬老会イベントで歌った。昨年春と夏に2度歌わせていただいた介護施設の職員さんが別施設に移動し、私の名を覚えていてくれて、その新しい施設に招かれた。
「仕事は人につく」という持論があるが、ボランティア活動や趣味活動でも同じ現象がしばしば起きる。この世は合理性だけで進むわけでは決してなく、人と人とのつながりが大きく作用しているのだ。人との関わりを軽んじてはならない。

 偶然だが、場所は3日前に歌ったデイサービスから数百メートルの距離。この地区では、7月にも別のデイサービスで歌っている。成熟した地域なので古い家々が多く、つまりは利用者となる高齢者が多い、ということなのだろう。

 15時10分前に会場に到着。実は3日前のライブ終了後に立ち寄って、会場の下調査は済ませてある。素早く設営し、予定通り15時ぴったりから歌い始めた。

 担当のAさんとは事前に入念な打合せをやった。構成等は基本的にお任せいただいたが、ラストに「上を向いて歩こう」を全員でシングアウトしたいという希望がまずあった。
 利用者は全体的にカラオケが好きということで、事前に送られてきたFAXには、好みの曲が演歌を中心に27曲列記されており、その他にAさんが個人的に聴きたい曲として、昭和歌謡を中心に10曲の記載があった。

 選曲には相当悩んだが、これら37曲を無視することは出来ず、ある種の「リクエスト」と考え、利用者好みの演歌を中心に8曲をプログラムに組み込んだ。
 およそ1時間で、アンコールを含めて17曲を歌う。(※はリクエスト)


「高原列車は行く」
「ソーラン節※」
「おかあさん」
「瀬戸の花嫁※」
「時の流れに身をまかせ※」
「二人は若い」
「バラが咲いた」
「浪花節だよ人生は※」
「さざんかの宿※」
「星影のワルツ」
「無言坂(初披露)」
「月がとっても青いから」
「酒よ※」
「函館の女※」
「上を向いて歩こう※」
〜アンコール
「空港※」
「神田川※」(職員さんのリクエスト)


 聴き手は利用者が12名、職員が3名。男女比は2:1ほどで、女性が多い。こじんまりとした施設だが、他のデイサービスに比べて介護度の高い方が多い印象がした。そのせいか、全体的に大人しい。やんやの喝采やかけ声は皆無で、歌い手としては難しい場である。
 こうした場には唱歌を含めた叙情性の強い曲が向いているのだが、担当のAさんと充分に打合せをしたすえの構成だったので、途中での路線変更は一切しなかった。

 幸いに喉の調子は非常によく、打開策として高音部の聞かせどころのある曲は、特に力をこめて引っ張った。そうするうち、場の反応もじょじょによくなってくる。
 この手法を駆使した「さざんかの宿」や「月がとっても青いから」以降のラスト4曲には、熱い手応えがあった。普段はあまりやらない手法だが、場を自分のペースに持ってくるためには、時に「力技」も必要になる。

 ちょっと困ったのは、開始25分過ぎくらいから、トイレで席を立つ方が続出したこと。開始直前までカラオケ大会が実施されており、ほとんど休憩なしで私のライブへとなだれこんだので、高齢者にとっては辛い状況だったかもしれない。
 車椅子利用の方も多く、トイレには職員さんの介添えが必須。場に職員さんがほとんどいない時間帯もあったりで、集中力を保つには難しい状況が続いた。

 さらには、ライブ時間が長すぎたこと。デイサービスは他の介護施設に比べて、長い演奏時間を求められることが多い。定時まで時間をフルに使う必要があるというシステムが関係しているのかもしれない。
 歌い手である私は、過去に休憩なしの1時間半ライブを経験しており、長い時間は苦にしない。しかし、介護度が高めの高齢者にとって、休憩なしの1時間近いライブは相当厳しいものと思われる。

 この時間をどうしても費やすなら、途中で全く別のゲームを挟むとか、完全な休憩タイムを設けるなどの工夫が必要となりそうだ。

 課題は残ったが、高齢者相手でも力技が通用すると分かったのは、収穫だったかもしれない。
(数日経って担当のAさんから運営に関して、次回は修正する旨の連絡がありました。あくまで次回があればの話ですが…)


 

北区社会福祉協議会 敬老演芸の集い /2014.9.20



 近隣の地区センターで実施の敬老会イベントに出演。2010年から毎年この時期に招かれているが、ラストでシングアウトの音頭取りをもっぱら任されている。
 持ち時間は10分だが、そのうち「青い山脈」「世界の国からこんにちは」の2曲は主催する社福協からの指定で、この5年間不動。手慣れてはいるが、その「慣れ」が「緩み」につながらないよう、気持ちの調整が重要になってくる。

 イベントは13時から始まっていたが、私の出番は14時45分。30分前までに会場入りするよう言われていた。ぴったりに到着すると、「だいぶ押してる(進行が遅れている)みたいだよ」と顔見知りの館長さんが言う。
 受付を済ませて舞台を確認すると、予定より30分も遅れていた。出番前に長時間待つのは苦手だが、ジタバタしても始まらず、ステージを観たり顔見知りの方と話したりして時間をつぶす。

 プログラムで確認すると、出演者は合計12組。合唱1、カラオケ系3、詩吟系2、フラダンス1、大正琴1、マジック1、日舞系2、そしてギター弾き語り1(私)である。
 全体的な傾向として演歌歌謡曲系の演目が多く、そんな傾向を察知して、今回はあえて洋楽系の曲目を選んだ。

 ようやくステージに上がったのは、15時23分あたり。予定より38分も遅れている。これまたそんな展開を予想し、マイクスタンドは搬入が一度で済む電子譜面搭載の多機能型を持参した。
 マイク2本は会場のものを借りたが、セットがスムーズに運ぶよう、この日のためにクリップ式のマイクホルダを購入。ギター用マイクもスタンドに瞬時に装着できる専用のホルダを自作して臨んだ。

 前の出演者が終わると同時に、素早くステージにマイクスタンド一式を移動。マイクも一発で装着が終わった。司会者のMCが終わらないうちに、1分ほどでスタンバイ完了。ただちに歌い始めた。

「ブンガワン・ソロ」「エーデルワイス」をまずソロで歌い、「みんなで歌おう!」という趣向で、恒例の「青い山脈」「世界の国からこんにちは」を全員で歌った。
 大きなキズもなく、無難にこなして15時30分には終了。間奏を省くなどし、時間は7分強に詰めた。

 終了後に顔見知りの関係者と話したが、開始自体は定刻だったという。予定より30分以上も延びてしまったのは、出演者が持ち時間を守らなかったことが大きな要因らしい。

 出演者の演目に応じ、5分または10分の持ち時間が割り当てられていて、この中には転換(入替え)時間も含む。この種のイベントとしては非常に厳しい進行スケジュールで、転換時間を1〜2分別に入れる進行が無難だとは思うが、同じ手法でやった昨年は大きな遅れはなかった。
 持ち時間に対する主催者側の不徹底と、出演者の時間意識欠如の両方が背景にあったように思える。

 私の場合、転換こみの持ち時間が10分なら、演奏そのものは8分程度で終わるよう、事前のリハで徹底させる。非常時にはその場の判断で、間奏や歌詞を切り詰めたりもする。それが普通の感覚だろう。
 いろいろなイベントに出演してみて思うのは、場によって時間の感覚がバラバラであること。主催者出演者双方にとって、時間厳守は最低限のルールではないだろうか。


 

ツクイ札幌稲穂・訪問ライブ /2014.12.7



 往復50キロほども離れたデイサービスに午後から歌いに行った。昨日のハードなライブを終えたばかりだったが、直前の練習での声はまずまず出た。
 問題は寒波で、前夜未明から雪が降り出し、日中の気温も零度近くに張りついたまま。太陽はほとんど顔を出さず、夏場なら40分で着く場所だが、用心して開始1時間以上も前に家を出た。

 案の定道路状態は悪く、凍てついた道はスピードがあまり出せない危険な状態。12月最初の日曜とあってか、あちこちで渋滞していた。
 イオンに用事があるという妻を途中で降ろし、事故を起こさぬよう慎重に運転して向かったが、先方に到着したのは開始1分前の14時59分。恐縮しつつただちに設営に入り、15時10分に準備を終えた。

 準備が整うまでの間、ヘルパーさんの機転で「お絵かきしりとり」なるもので時間をつぶしていただく。ホワイトボードに絵を描き、それが何であるかしりとり形式で当てながら進めてゆくもので、さすがにその道のプロはいろいろな引き出しを持っているものだと、妙に感心させられた。

 15時13分くらいから歌い始め、およそ50分で計15曲を歌う。


「高校三年生」
「おかあさん(森昌子)」
「ソーラン節」
「月の砂漠」
「幸せなら手をたたこう」
「リンゴの唄」
「上を向いて歩こう」
「バラが咲いた」
「さざんかの宿」
「函館の女」
「星影のワルツ」
「月がとっても青いから」
〜以下3曲はアンコール&リクエスト
「矢切の渡し」
「長崎は今日も雨だった(初披露)」
「愛燦々」


 定期的に招かれる場で、今回が都合4度目。利用者が日替わりするデイサービスだが、以前に何度か顔を見かけた方も数人いた。
 珍しく男性の比重が高く、全体の4割ほど。介護施設利用の男性は押しなべて反応が弱いのが常で、この日も例外ではなかった。

 それでもヘルパーさんの盛り上げなどもあって、「幸せなら手をたたこう」あたりから、ようやく場の反応がよくなる。「リンゴの唄」ではそれが最高潮に達した。この施設では前回もこの歌の反応が抜群だった。相性がよいのかもしれない。
 やや不安だった喉の調子は悪くなく、それなりに声は出た。

 予定分12曲を一通り終わって、すでに恒例となったアンコールを兼ねたリクエストタイムとなる。まるで昨日の続きのようだったが、4曲でたリクエストのうち、1曲だけが全く知らない曲だった。
 残り3曲をヘルパーさんの希望する順番で歌う。「矢切の渡し」は過去に別施設で2度歌っているが、いずれもリクエストによるものだった。場が望む歌には、ある一定の傾向があるように思える。
「長崎は今日も雨だった」は以前に別施設で希望が出たが、応えられなかったいわくつきのもの。その後覚えて、今回が初披露である。地味だが、こうしたメンテナンス的な作業も欠かせない。

 リクエストタイムとなると、俄然場の反応がよくなった。喉の調子が次第によくなってきたせいもあるが、昨日のコンサートと同じで、リクエストという行為そのものによって、より強く聴き手が参加できるからだろう。
 今後あらゆるシーンで、電子譜面の検索機能を駆使したリクエストを有効に活かしたい。


 

ツクイ札幌太平・訪問ライブ /2014.12.13



 車で10分ほどの距離にあるデイサービスへ歌いに行った。依頼はかなり前にあったが、実は6日前に歌ったデイサービスから系列施設へと移動した職員さんによる紹介である。
 HPやSNS等のネット経由という最新の依頼ルートも近年は多いが、「紹介」というアナログ的ルートもまだまだ健在。人と人のつながりは実にさまざまだ。

 担当のKさんとは1ヶ月ほど前に新施設で面会し、会場の下調査も済ませてあった。当日は私の伴奏で「あの素晴しい愛をもう一度」を一緒に歌うという趣向も決まっていたが、開始10分前に施設を訪れると、当のKさんがインフルエンザで欠勤しているという。
 当初30名前後と聞いていた利用者も、半分の15名ほど。しかし、ライブは予定通りやって欲しいとのことで、ステージ位置を当初の打合せから、椅子を移動せずに済む位置に変更した。

 Kさんと一緒に歌う計画はなくなったが、ラストに全員で歌う「ソーラン節」は予定通り。要はシングアウトというヤツだ。歌詞が複数あるので、どの歌詞をどの順で歌うか簡単に打合せる。
 やや遅れて14時2分くらいからライブ開始。およそ50分で15曲を歌った。(※はリクエスト)


「高校三年生」
「おかあさん(森昌子)」
「お富さん」
「月の砂漠」
「幸せなら手をたたこう」
「リンゴの唄」
「バラが咲いた」
「さざんかの宿」
「北の旅人(南こうせつ)」※
「ここに幸あり」
「丘を越えて」
「愛燦々」※
「夜霧よ今夜も有難う」※
「月がとっても青いから」
「ソーラン節」


 この日は最高気温がマイナス3度という、まさに氷漬けの一日。その日の体調や天候によって参加を決めるデイサービスでは、利用者が半減するのも仕方のない気象条件だった。
 初めての施設なので、進行は手探り。6日前の系列デイサービスのセットをベースにしたが、たとえ同じ系列でも、場所が変われば嗜好がガラリ変わることもよくある。決めつけは禁物だ。

 予想もしてなかったが、2曲目の「おかあさん」で、目頭を押さえる方が続出した。特に「泣かせること」を狙って歌っているわけではもちろんないし、そもそも狙えるようなものではない。しかし、それが起こった。
 しばしそうしたシーンからは遠ざかっていたので、正直戸惑った。譜面に目を落としつつも、いやでもテッシュで顔をぬぐうシーンが目に入る。努めて平静を装って進めたが、その後の「お富さん」や「月の砂漠」までそのイメージを引きずってしまい、あやうく崩れそうになった。

 その後明るめの曲が続いてようやく立て直したが、7曲目の「バラが咲いた」で再び場が静まり返り、涙をぬぐう人が続出。歌い終えるとと職員さんの一人が感極まって、「寒い冬の日に、あたり一面がバラの花に包まれるような感動的な歌唱でした」と声をかけてくれる。

 この歌は時に涙を誘うので、ある程度事前の心構えはあって、崩れることなく冷静に歌えた。
 ハードな条件のライブが続き、喉にダメージを最も受けやすい時期ともあって、この日の調子はあまりよくなかった。特に高音部の伸びが悪く、だましだまし歌っている状態だったが、最近は悪いときでも悪いなりに歌う術を心得たように思える。

「南こうせつを歌ってください」と、先の職員さんから請われ、8曲目から演歌を続ける予定を急きょ変更し、9曲目からは場の嗜好に合わせ、叙情性の強い曲中心に切り換えた。
 これまでは事前に自分の決めたセット構成にこだわってきたが、地区センターでの全曲リクエストライブをこなして以来、そんなこだわりは捨てて、臨機応変に場の流れに合わせるつもりでいる。

 リクエストの「夜霧よ今夜も有難う」でも涙を見た。これまた泣くような曲ではない。しかし先日の地区センターライブでも、見届けた友人から「あの曲はすごくよかった」とのメールが届いていた。自分ではよく分からないが、聴き手を打つ何かがあるのかもしれない。
「丘を越えて」では、席を立って踊りだす男性が現れた。職員さんびっくりのハプニングだが、こちらは過去に数回経験がある。
 ラスト2曲は全員の手拍子が飛び出し、涙を吹き飛ばす楽しい締めくくりとなった。

 終了後、全員で記念写真を撮りましょうと、誰からともなく声があがる。めったにあることではなく、過去に記憶があるのは一度だけ。この日のライブが刺激的だったという証しであろう。
 ライブはまるで川の流れのようで、何が当たって何が外れるのか、やってみるまで分からず、つかみどころがないもの。その筋書きのなさが大きな魅力。生モノとしてのライブにこだわる理由がそこにある。