訪問ライブ顛末記


白ゆりあいの里・秋祭り /2013.9.21



 近隣の特養ホーム秋祭りで歌ってきた。依頼は最近激増するネット経由。完成して間もない施設で、大規模なお祭りイベント自体が初めてだという。屋外でやることは決まっていたが、音響システムがはっきりしない。
 入居者は100名で、これに家族や職員を含めると、参加者は150名を軽く越えるという。広い屋外で小さすぎるPAは要注意だ。不安があるので、事前に現地調査に行った。
 持参したミキサーを施設にあるワイヤレンスアンプにつなぐと、普通に音が出た。調整した各種数値をメモし、本番はこの組合せで臨むはずだった。

 当日は青空の広がる絶好の秋晴れ。開始30分前に会場に入ると、音響が全く別のものに変わっている。施設側のPAの調子が悪く、急きょ他のPAを借りてきたという。
 事前の調整は無駄になってしまったが、PAそのものは立派で、メインアンプから3本のマイクと3個のスピーカーが繋がれている。会場を取り込むようにスピーカーが配置され、音の通りは抜群。

 問題は私のミキサー端子をどこにどう繋ぐかだが、コネクター付きの長いマイクケーブルが使えそうな感じが直感的にした。

 余興の1番手としてフラダンスがまず登場。進行が15分遅れていて、11時半から開始。ダンスを横目に、すぐに機材を組み立てた。
 11時50分にフラダンスが終了。マイクスタンドやミキサーは事前にミニステージ上に設置しておいたので、ただちに見込みをつけておいたマイクケーブルにミキサーを接続。PAに明るい人がいないので、接続の手順や調整は全て私の判断で進めたが、幸いに音は一発で出た。

 涼しくなってきたので、この日から衣装は長袖シャツに変更。ただ、「祭り」を意識して頭には帽子ではなく、赤いバンダナを巻いた。

 あっという間に設定が終わり、「早めに始めてください」との担当者の要望から、予定より8分早い11時52分から歌い始める。およそ27分で以下の10曲を歌った。


「憧れのハワイ航路」
「知床旅情」
「炭坑節」
「幸せなら手をたたこう」
「浪花節だよ人生は」
「童謡メドレー:夕焼け小焼け・紅葉・赤とんぼ」
「高校三年生」
「丘を越えて」
「月がとっても青いから」
「まつり」


 会場が非常に広く、客席の周囲には屋台や縁日の出店が並んでいて、全体的にざわついた雰囲気。ある程度それを見越して、ストローク系の調子のよい曲を並べたが、その判断は正解だった。(選曲は全面的に任された)
 特養(特別養護老人ホーム)なので、デイサービスや多機能型施設に比べると、介護度の高い方が大多数。大きなかけ声等はなかったが、サポートする職員やボランティア、家族の方々がうまく盛り上げてくれた。

 お祭り系イベントでいつもラストに歌う「まつり」で、ラストの歌詞に施設名を入れて歌い終えると、場は拍手喝采で最高潮に達する。大きなトラブルもなく、無難に場をまとめて、担当者を始めとする多くの方々から喜ばれた。
 関係者の一人から、年金関連の演芸イベントに出演しないか、と打診される。毎年9月に近隣の街づくりセンターで実施されるそうだが、現状ではスケジュール的に厳しい。身体が2つ欲しい。

 ラストの「まつり」では、いつもギターを和太鼓のリズムでカットして弾いている。私の次に和太鼓のパフォーマンスも予定されていたので、この「和太鼓ふうのギター」をMCでちょっとふれたら、終了後に準備中の和太鼓チームから、「素晴らしかったですよ」と声をかけられた。
 中学生時代にブラスバンドでパーカッションを2年やった経験が、ストローク奏法ではけっこう活きているなと、この年になって実感する。

 終了後、飛び入りで入居者2人のハモニカ演奏がある。進行を急いでいた理由はこれだったらしい。昼食をいただきつつ、次の出し物の阿波踊りを見物する。フラダンスでは持参したラジカセの音をマイクで直接拾っていたが、ここでは生演奏の横笛と太鼓に合わせて踊っていた。

 食事中、通りすがりの高齢者の女性から話しかけられる。さっきの歌、素晴らしかったです。以前に玄関前で練習してましたよね?その時もずっと2階から見てたんですよ。
 聞けば「月がとっても青いから」が大好きだとか。もう一度聴きたいというので、その場でアカペラでさわりを歌うと、喜んで一緒に歌い出す。歌詞を知りたがるのでいったん箸を置き、車に置いてある予備の楽譜を持ってきてさし上げた。

 しばらくすると、再度近寄ってきて、もう一度一緒に歌って欲しいという。本当はあなたのギター伴奏で歌いたいというが、目の前では阿波踊りの真っ最中で、それは無理。
 希望通り、1番だけをもう一度一緒に歌う。音程がしっかりしていて、88歳という年齢に見合わぬ美声。「月がとっても青いから」は音域が広い難曲だが、かって民謡を習っていたことがあるという。次回、ぜひあなたの伴奏で歌わせて欲しいと念を押された。
 そばにいた家族(娘さんとお孫さん)からは、無理ばかりお願いしてすみません、と恐縮されたが、人生を前向きに生きるその姿勢に、ちょっと感動した。


 

北区社会福祉協議会 敬老演芸の集い /2013.9.28



 午後から近隣の地区センターで実施される社福協・敬老演芸の集いに出演。2010年から毎回招かれていて、今年が4度目となる。9月の敬老月間最後となる8本目のライブで、折しも自宅外壁の板を自力で交換作業中。いろいろな意味で疲れはピークに達していた。
 ぎりぎりまで作業に勤しみ、あわただしく昼食をとってリハーサルをするが、食べた直後で作業の疲れもあってか、声にはいまひとつツヤがない。

 荷物をまとめ、14時過ぎに会場となる地区センターに入る。進行は10分ほど遅れていたが、14時半あたりから急に入れ替わりが早くなり、ほぼプログラム通りの14時50分から歌い始める。

 音響は施設にあるものを使うことになっていたが、電子譜面を不安定な細い譜面台にセットするより、普段使っているマイクスタンド一体型の譜面台が使い勝手がいい。そこでマイクスタンド一式を持参し、マイクのみ施設のものを使って歌った。
 ギターの音はケーブル取りが難しそうだったので、別の専用マイクを使うことにする。ギターは生音の大きいヤマハのエレアコを持参した。
 およそ10分で以下の4曲を歌う。


「高原列車は行く」
「浜辺の歌」
「青い山脈」
「世界の国からこんにちは」


 曲目リストは先月上旬に提出済みで、プログラムにも印刷されている。ラストの2曲は毎年恒例の「会場のみなさんと一緒に歌おう!」という主旨の、いわば敬老会的シングアウトである。
 聴き手はおよそ150名。毎度のことだが、この会場はスピーカーの音が非常に聞き取りにくく、ほとんど勘だけで歌わねばならない。体調がいまひとつの割には無難に歌い進めたが、ラストの「世界の国からこんにちは」で、一箇所歌詞を間違えた。

 会場の歌声が「青い山脈」ほどステージに届かないので、気になって一瞬譜面から目を離して会場を見たのが間違い。1番で「サクラの国」を2度続けて歌ってしまった。(本来は片方が「世界の国」)
 間違えた歌詞でも意味は通じなくはない。しかし、あくまで歌詞は歌詞で、しかもプログラムにも印刷されている。普段はほとんど歌わない曲というマイナス面もあったが、ちょっとした気の緩みと集中力の欠落である。反省。

 終了後、顔見知りの街づくりセンターの方と地区センターの館長さんから、来月と来年のライブの打診がある。来月の分は確定だが、来年度の分は未知数。しかし、非常に興味深い企画である。ぜひ実現して欲しい。
 急いで帰宅し、珈琲ブレイクもそこそこに、日暮れまでDIY作業に勤しむ。歌とDIY、どちらも好きでやっていて楽しいが、両立させるのもなかなか大変である。


 

ベストライフ東札幌・11月誕生会 /2013.11.24



 有料老人ホームの誕生会イベントに出演。依頼は1ヶ月以上も前にあったが、依頼してきたヘルパーさんが以前に勤務していた系列の別施設で、私の歌を推薦してくれた方がいたそうで、そのつながりが発端である。
 仕事でもそうだが、誠意をこめてやっていれば、それはどこかでつながっていて、思わぬ形で花を開いたりする。仕事でもボランティアでも、ひとつひとつの行為に決して手を抜いてはならないということだ。

 実は施設自体では5年前にも一度歌ったことがある。その際にちょっとした行き違いがあり、つながりの糸は途切れたままだった。全国展開の施設なので、当時とは職員もかなり入れ替わっているに違いなかったが、過去のライブレポを参考に、慎重に選曲して準備した。

 開始は14時半からだったが、施設側のイベントが15分ほどあり、進行のAさんが「では本日のボランティアの菊地さんを皆さんでお呼びしましょう。菊地さ〜ん」と声をかけ、「は〜い、こんにちは」とステージ横から私が登場するという演出。過去に記憶がない変わった趣向だが、直前の打合せで聞かされていたので、意向に合わせた。

 私のライブ開始は14時47分あたりから。およそ35分で、以下の12曲を歌った。


「サン・トワ・マミー」
「知床旅情」
「お富さん」
「バラが咲いた」
「幸せなら手をたたこう」
「高校三年生」
「とうだいもり」
「おかあさん」
「人生いろいろ(初披露)」
「ここに幸あり」
「浪花節だよ人生は」
「月がとっても青いから」


 聴き手は職員を含めて70名ほど。事前に予想した通り、5年以上の時を減ると入居者も職員もすっかり顔ぶれが変わっていたが、場の反応自体は前回同様悪くなく、いきなりの手拍子や一緒に歌ってくれる方が続出した。
 暖房による湿度低下で前日まで喉の調子がいまひとつだったが、前夜飲んだユズ茶が利いたのか、一夜明けたら劇的に回復していた。いい感じでライブは進み、「高校三年生」から「おかあさん」あたりで会場の熱気はピークに達する。会場からは「いい声だ」「ブラボー!」のかけ声が飛び出した。
 聴き手のノリは歌い手を強く後押しする。いつもは(ミスをしないように…)という守りの気持ちが心のどこかで働いているが、この日は珍しく自らが楽しみつつ歌い進めた感じだった。

 私を推挙してくれた司会役のAさん、娘か孫のような年代で、進行もどこかぎこちなかったが、曲間にマイクをとり、「あ、この歌、私も知ってますよ。つい一緒に歌っちゃいました」とか、「私にも皆さんにも高校3年生の時代がありましたよね〜」「フォークダンスって経験ないんですが、皆さんはやりました?」などと、アドリブで話しかけてくる。
 これまたかって経験のない手法だったが、「フォークダンス、私は学校祭でやりましたよ。女の子の手を公然と握れる、最高の機会だったです」などと、私もアドリブで応酬。打合せには全くないキャッチボール的進行だったが、場を和ませるには充分効果的だった。

 予定曲を終えても、場の熱はなかなか治まらず、「アンコール!」の嵐。実はアンコールには「丘を越えて」をちゃんと準備していたが、ここでもAさんがついと近寄ってきて、「突然ですが、職員のM主任と何か1曲歌っていただけませんか?」と小声でささやく。
 出だしの施設側イベントで「もしかするとM主任の歌がまた聴けるかもしれませんよ」との声を耳にしていた。ときどきイベントで歌を披露している方のようだった。
 とはいえ、事前に何も打合せしていない。しかし、何かやれるだろうと思って承諾。Aさんと二人で「M主任〜、お願いしま〜す」と事務室に座っているMさんに呼びかけた。

 やってきたMさん、さて何を歌おうかと電子譜面を繰るが、なかなか決まらない。私が選んだ「青い山脈」「丘を越えて」「きよしのズンドコ節」「宗谷岬」等々、全て知らないか自信がないという。
 ここで時間をかけると、会場の熱が冷める。唯一知っているという「幸せなら手をたたこう」をもう一度歌うことに即断。私はギター伴奏に専念し、Mさんにマイクを渡して存分に歌ってもらうことに。
 職員さんが参加すると、文句なく場は盛り上がる。うまく収まってお開きとなった。

 終了後には何人もの入居者の方が近寄ってきて、「素晴らしい歌をありがとうございます」「いい声ですね」「またぜひ歌いに来てくださいね」などと労っていただく。歌い手冥利につきる、至福の時間だった。


 

ホームのどか・クリスマス会 /2013.12.21



 長いおつき合いのある近隣のグループホームでのクリスマスライブに出演。入院手術後初めてのライブで、大腸ポリープ発覚前から依頼されていたが、力を入れて歌うことをようやく許されたのが、わずか3日前。懸命の調整で、どうにか間に合った。
 昨年は12月に7本のライブをこなしている。施設訪問系を中心に活動している私にとって、9月に並んで12月はイベントの多い月。しかし、今年は思わぬポリープ騒動で、これが2本目である。我が身と相談し、無理ないペースでやっていこうと思う。

 開始時間は早めの11時。いつもは最初からごちそうが並んでいるが、今年は椅子だけが会場に並べられていて、普通のコンサートふう。聞けば、まずは飲食ナシで1時間のコンサートを実施し、その後に食事するという段取りだった。
 聴き手が歌に集中できる環境なので、歌い手としては歓迎である。(空腹状態ではなく、食後にゆっくり聴いていただくのが理想だが、それは難しそう)

 いつも通り、1番手は私。11時5分くらいに始まり、およそ20分で以下の6曲を歌った。


「函館の女 」
「雨のち晴レルヤ(初披露)」
「人生いろいろ」
「宗谷岬」
「浪花節だよ人生は」
「ウィンター・ワンダーランド」


 聴き手は職員を含めて50名弱。椅子席横に食事準備用のテーブルが並んでいる関係でスペースに余裕がなく、ステージの前後スペースはかなり狭かった。
 狭いスペースで最前列の方がうるさく感じてしまう問題が別施設で秋にあったばかり。この日は移動時のフットワークを考慮して乾電池式の小型PAを持参したが、それでも音が大きすぎる心配があった。

 歌う位置を慎重に検討し、聴き手に対して少し斜めに立った。さらにボリュームを普段の80%ほどに絞る。この日は手製の木製吊り下げユニットを使い、乾電池PAを初めてマイクスタンド中央に吊るして歌ったが、事前に何度も調整をしたので、何ら問題なく歌えた。狭い場なら充分に使える。

 最初に水を一口飲むのを忘れたせいか、単なる調整不足か、はたまた3週間近い実戦でのブランクのせいか、1曲目の出だし高音部で声が充分に出なかった。一瞬歌い直そうかと迷ったが、声量を少し下げることで、どうにか回避。2曲目からはようやく普段のペースに戻る。
 9月の同じ場でのライブで男女フォークユニット・エイプリルさんと2曲重なった経験から、今回は事前に予定曲を互いにメールで打ち合わせて臨んだ。
 唱歌系の曲は珍しく「宗谷岬」1曲のみ。演歌系中心の構成にしたが、これが最近のこの施設の嗜好である。

 最初は大人しい印象だった場も、後半2曲で一気に手拍子で盛り上がる。だいたい思惑通りに運び、無事に復帰最初のステージを終えた。

 その後、エイプリルさんのステージが20分あり、さらには入居者全員で「北国の春」「知床旅情」を伴奏なしで斉唱。出だしは職員さんの号令から入ったが、伴奏がなくとも、それなりに歌は楽しめるものだと再認識させられた。
 余興終了後に食堂の椅子やテーブルを配置換えし、食事がテーブル上に並べられた。この時間が15分ほどあって、やや間延びした印象。場の段取りとは難しいものである。

 花束やプレゼントなどいただいて、13時過ぎにお開き。家族のような仲間と、今年も楽しい時間を過ごせた。


 

札幌連合断酒会・忘年会 /2013.12.22



 2日続きのライブだった。前日に引き続き、この日のライブも大腸ポリープ発覚前からネット経由で依頼されていて、担当医に詳しく事情を話し、どうにかお許しが出た。
 依頼主はNPO札幌連合断酒会。忘年会で歌って欲しいという。酒席や紫煙のたちこめる場でのライブは原則お断りしているが、会の主旨からして当然アルコールは一切出ない。会場が公的空間なので、完全禁煙。「アルコール依存症から立ち直るための市民組織」ということもあって、喜んでお受けした。

 会場は他のライブでよく行く市内西区の繁華街にある区民センター。あいにく下調べや音響チェック等が一切できない。電話で状況を確認した限りでは、PAに一抹の不安があった。
 無線マイク2本は確実に使えるとのことで、生音でも鳴るヤマハのエレアコを持参。ケーブルが長ければ、有線マイクも使えるかも…、とのことで、小型ミキサーやケーブル、各種コネクターも念のため持参した。

 前夜からかなりの雪が降ったが、日曜なので道は空いていた。約束の13時15分前には着いたが、あいにく駐車場が満車。少し離れた有料駐車場に停め、そこから歩く。
 厳しい真冬日で、雪も間断なく降っている。用心してタイツをはき、毛糸の帽子を持参して正解だった。

 会場に入って、まずは音響のチェック。長いマイク用ケーブルがあり、そこにミキサーからのアウト端子をつないでやれば、音は会場の大型スピーカーから出ることが分かった。
 持参のマイクとギターシールドをミキサーにつなぎ、ミキサーからのアウト端子をコネクター2種類を介して、マイク用XLR端子に接続。以前から準備してあったXLRコネクタが、初めて役に立った。

 機材の準備を済ませて舞台袖で待機。ステージ上では会員によるカラオケが発表されていたが、みなさん達者。直後の13時15分から私のステージは始まったが、ちょっとやりにくい雰囲気はあった。
 最初に音のテスト。幸いに音は一発で出た。ミキサーの音量を調整し、ただちに歌い始める。35〜40分程度と聞いていたが、時間の都合で30分くらいに縮めて欲しいという。およそ33分で以下の10曲を歌った。

「涙そうそう」
「レット・イット・ビー(オリジナル訳詞)」
「つぐない」
「ハナミズキ」
「宗右衛門町ブルース」
「サクラ咲く(オリジナル)」
「人生いろいろ」
「グッドナイト・ベイビー」
「青春時代」
「上を向いて歩こう(リクエスト)」


 聴き手は100人前後。ホールは広く、天井も高い。高さ80センチほどの立派なステージもある。モニターは一切ないので、勘で歌わざるをえない。かなり歌いにくい環境である。
 宴は11時半から始まっていて、およそ2時間が経過している。場はかなり間延びした印象で、こちらも歌い手にとっては難しい条件だった。
 モニターがないので、自分の声が出ているのかいないのか、はっきりしない。そこも大きな不安だったが、それでも熱心に耳を傾けてくださる方がかなりいて、ステージ上からそうした方に語りかけるように、ひたすら歌い続けた。

 聴き手は50〜60代の男性が中心で、家族(奥様)の姿もチラホラ見える。最初は大人しかった場だったが、「宗右衛門町ブルース」から少し湧き始めた。構成は担当者との打合せで決めたが、もっと演歌系を増やすべきだったかもしれない。
 場が最も湧いたのは、「グッドナイト・ベイビー」。途中でテンポアップする部分で、全体から盛大な手拍子と歓声が起きた。この曲でこれほど強い反応があったのは初めてのこと。おそらく場の気分に合っていたのだろう。

 この勢いで、事前の打合せで決まっていたラスト曲「上を向いて歩こう」へ一気になだれ込むべきか一瞬迷ったが、予定通りに「青春時代」を歌った。これが判断ミス。前曲に引き続き、場は手拍子をしようとするが、テンポが早すぎて続かない。このあたり、実戦から遠ざかっていた弊害だったかもしれない。
 時間が押していたので、そのまま挨拶して舞台を降りようとしたら、期せずして「アンコール」の声。担当者からの「お約束アンコール」ではなく、場から湧いた自然発生的アンコールである。
 機材を再びステージ中央に戻し、ありがたく「また逢う日まで」を歌わせていただく。あとで思ったが、ここも手拍子が起きやすいクリスマスソング、「ウィンター・ワンダーランド」を歌うべきだった。これまた場の流れを読みきれない、小さな判断ミスである。

 難しい条件がいくつか重なったが、リハビリ的復帰第2弾のライブを無事に乗り切ることができた。


 

ベストライフ白石・1月誕生会 /2014.1.19



 車で40分ほど離れた市内の有料老人ホーム、誕生会余興に出演。施設長さんとは別施設にいたころから長いつきあいがあり、1年近く前にも一度訪問している。
 依頼は大腸ポリープ摘出手術直前に受けていたが、術後の経過がどうなるのか、その時点では、はっきりしてなかった。事情を率直にお話しし、病理検査が出る期日もお伝えして、ひとまず保留扱いとなった。

 他の方に出演交渉する時間も充分にあったはずが、3週間後の検査翌日に再度の依頼電話が入って、ちょっと驚いた。すでに担当医の了解も得ていたので、ありがたくお受けすることに。これも何かの縁である。

 全国展開の施設で、市内の系列別施設でも何度か歌わせてもらっている。ある程度傾向はつかんでいたつもりが、1年ほど前にうかがった際は、ちょっと難しい印象がした。全体的に反応が弱いのだ。その経験をふまえ、今回は明るめの曲を多くして臨んだ。

 誕生会なので、まず施設側のイベントがある。14時15分から始まって、10分ほどそれが続いた。施設長さんの交代挨拶などもあって、歌い始めたのは、14時28分あたりから。終了は15時と聞いていたので、やや押している。無用のMCを極力省き、およそ32分で以下の11曲を歌う。

「ろくでなし」
「知床旅情」
「真室川音頭」
「宗谷岬」
「幸せなら手をたたこう」
「おかあさん」
「白い想い出」
「人生いろいろ」
「月がとっても青いから」
「丘を越えて」
「まつり」


 年が明けたので冬から春にかけての曲を中心に構成したが、いざ歌い始めてみると、やはり前回同様、いまひとつ反応が弱い。3曲目に洋楽の「ウィンター・ワンダーランド 」を予定していたが、難しいと判断して飛ばした。
「幸せなら手をたたこう」で少し気分が乗ったが、その後の「白い想い出」「人生いろいろ」の流れが、やや大人しすぎたかもしれない。ようやく熱くなりかけた場の熱を、冷やしてしまった感じは否めず、どちらかを「お富さん」あたりに差し替えるべきだった。

 前半の予定を1曲減らしたので、別の曲をどこかで埋める必要があったが、明るい曲調の「月がとっても青いから」をラスト近くに入れることにした。ラスト2曲は予定通りで、遅まきながら場もじょじょに盛り上がってくる気配。
 ラストの「まつり」を歌う前に少しMCで間をおき、紅白のことなどを聴き手の方々とキャチボール的に話す。その後一気に歌へとなだれこんだが、ここで場の盛り上がりは最高潮に達した。少なくとも北海道でのサブちゃん人気は確かなものがある。
 歌詞のラストは例によって、施設名を入れて終える。ここでも思惑通りに大喝采。本当に苦しいときに使える曲だ。こうも受けると、次は路上ライブでも歌ってみたい誘惑にかられる。

「終わりよければ全てよし」ということに結果としてなったが、たとえ系列が同じ施設でも、施設ごとに入居者や職員の気質は異なり、求める色も違うのだということを、改めて学んだ。