訪問ライブ顛末記


ホームのどか・クリスマス会 /2011.12.18



 近隣のグループホームでのクリスマス会イベントを無事に終えた。昨夜から断続的に降り続いていた雪が、朝になっても止む気配を見せない。窓から外を見ると、自宅前の道路は雪に埋まっていて、早朝に新聞を配達に来た車のわだちがうっすらと残っている程度。このままでは車を出すことは困難だった。
 いつも決まってする出発前の自宅リハをどうすべきか、かなり迷った。1週間前にひいた軽い風邪が完全には抜けきらず、リハを充分にしたいのは山々だったが、問題は目の前の雪である。
 ひとまずマイク前で声を出してみると、思っていたよりも出る。最高音がややきつい感じはしたが、無闇に練習を重ねるより、軽めに済ませてここは雪かきに専念すべきと考えた。

 急きょ床下から取り出した電動除雪機で玄関前から道路、そして北へ通ずる道を延々と除雪。隣家のご主人も熱心に除雪中で、どうにか隣家までの20数メートルを30分ほどで除雪し終えた。
 まだ雪が残っている箇所はあったが、これ以上続けると集合時間に遅れる。あとは運を天にまかせ、機材を積んでただちに出発。除雪した箇所でスピードをつけ、雪の深い部分はギアをセコンドのままで一気に突っ切った。

 吹雪が一瞬途切れた道をひた走り、開始時間に何とか間に合う。12時過ぎから食事で、12時30分から余興タイムとなる。昨年は出演3組中の3番だったが、今年は3組中のトップだった。
 食事を伴う場の歌は非常に難しい。以前にも何度かふれたが、人間基本的に歌よりも食い気であり、歌や楽器が飛び出すのは充分に満ち足りた後と相場が決まっている。
 出番が早いので食事はほとんどとらずに備えたが、歌が始まってもまだ会場では食事が続いていて、食べる合間に聴いていただく、という難しいシチュエーションのなかでライブは始まった。

 この日歌ったのは以下の11曲。こんな状況もあろうかと、前半は手拍子無用の静かな曲を多めにし、後半にニギヤカ系の曲を並べた。


「銀色の道」
「白い想い出」
「この道」
「モーツアルトの子守唄」
「ウインター・ワンダーランド」
「この広い野原いっぱい」
「マル・マル・モリ・モリ」
「男はつらいよ」
「おかあさん」
「We wish you a Merry Christmas」
「のどか小唄」(オリジナル)


 聴き手は施設利用者とその家族、職員に地域ボランティア等、バラエティに富んだ老若男女がざっと60〜70名ほど。曲によってまちまちだったが、聴いてくれる人は実感として場の半数ほどだったろうか。
 お祭り系のイベントにも似た傾向があるが、ともかく食べたり飲んだりしている人々を対象に歌うのは以前から苦手で、要するに力量が足りないということだろう。

 とはいいつつ、この日も初披露の曲はあった。「この広い野原いっぱい」「We wish you a Merry Christmas」の2曲で、妻が強く推した「We wish you a Merry Christmas」は、後半に日本語訳歌詞を混ぜた関係もあってか、思いのほか受けた。
 実はこの曲、先日カフェであったX'masギターコンサートでラストに演奏されたもの。聴いてみていい歌だなと思い、さっそく取り入れた。いい判断だった。

 食事がだいたい終わって聴く余裕の出てきた後半のほうが受けたのは、当然といえば当然か。あとで職員の方が録ってくれた動画で「この道」の音源を聴いたが、出来自体は決して悪くない。聴いてくれようがくれまいが、歌うべきときには歌うという凛とした姿勢を、客観的な視点から自分に感じた。

 30分で自分の割当て分を終了。その後、女性一人によるかっぽれ踊り、フォークユニットの男女、施設関係者のカラオケ、ビンゴと続く。合計2時間の盛りだくさんの内容で、帰り際には花やお菓子など、たくさんのお土産をいただく。

 雪のちらつくなかを家に戻り、もう一度雪かき。珈琲を飲んだあと、明後日の街角ライブに備え、候補曲を15曲ほどおさらいした。喉の調子は昼間よりもさらに復活していた。怒涛のX'masライブ月間は、いよいよ佳境に差し掛かる。


 

ふぁみりあ・クリスマス会 /2011.12.24



 近隣のグループホームでのクリスマス会余興に出演。施設訪問系ライブとしては今年最後のライブである。
 今回の施設では2年前にも歌わせてもらっている。2年も月日が経つと普通はそのまま忘れられてしまう。たとえボランティアとはいえ、あくまで選ぶのは施設側の都合で、そこがお金を払って歌うライブハウスとは少し違うところ。

 事情はよく分からないが、ともかくも2度目の依頼はあった。よくぞ覚えていてくれたものである。依頼が集中する12月だったが、先方が希望するクリスマスイブの予定が奇跡的にぽっかり空いていた。何かしらの巡り合わせを感じずにはいられない。

 今回は先方のリクエスト曲が事前にFAXで送られてきて、そのリストにそって入居者のみなさんと一緒に歌うという趣向。歌詞カードも全員に配るという。いわば歌声喫茶懐メロふうといった感じで、構成に頭を悩ませる必要もなく、ある種気楽な気持ちで臨んだ。
 車で5分ほどのよく知っている場所だったが、事前にリクエスト曲の何番まで歌うかを打合せる必要があり、昼食と自宅リハを終え、はやめに出発。機材をセットしていざマイクテストの段になって、マイクが見当たらないことに気づいた。

 数日前のチカチカパフォーマンスの際、移動用に使ったショルダーバッグにマイクを移したまま、元の段ボール箱に戻すのを忘れていたのだ。「構成が楽」「場所が近い」「2度目の依頼」という部分で、気持ちに緩みがあったツケである。
 ノーマイクで歌おうか一瞬迷ったが、事情を話すと少し遅れて始めても構わないという。その言葉に甘え、急いで自宅にマイクを取りに帰った。

 とんぼ返りで戻ると、ヘルパーさんが「練習」と称し、今日の予定曲を無伴奏で歌ってくれている。恐縮しつつ、15分遅れの13時15分から始めた。
 まずはリクエストで以下の8曲を歌い、その後アンコールで3曲を歌った。


「月がとっても青いから」
「カチューシャの唄」
「銀座カンカン娘」
「故郷」
「丘を越えて」
「青い山脈」
「ここに幸あり」
「上を向いて歩こう」
〜アンコール
「お富さん」
「おかあさん」
「浜辺の歌」


 マイクを忘れるという過去7年間で前例のない失態をやらかした割に喉は絶好調で、いくらでも歌える感じがした。写真のように吹抜けの傾斜天井が広がった伸びやかな空間なので、音響効果は抜群である。歌っていてナチュラルリバーブが心地よく、気分がいいのだ。

 リクエスト曲のうち、「カチューシャの唄」「銀座カンカン娘」は初披露で、「月がとっても青いから」は7年ぶりに歌う曲。いずれも今回のために集中して練習に励んだ。
 全体的に高齢者が歌いやすいよう、ゆっくりペースで進め、歌詞もクセをつけずに聞き取りやすく歌うよう努めた。曲の出だしには軽く「ハイ」と掛け声をかけ、間奏もその都度告知した。

 前回に引き続き、ライブは聴き手にも好評。自由参加だったが、歌声を聞きつけて数名の方が自室の扉を開け、聴きにきてくださった。熱心に拍手をしてくれていた2名の入居者の方が、帰り際に玄関口まで見送ってくださった。

 儀礼的かもしれないが、職員の方に次回もまたぜひに、と声をかけていただく。以前にもふれたが、2回目と3回目の依頼の間には高い壁がそびえているのが常。その壁を乗り越えたのはこの7年間の活動のなかで、わずか3施設のみ。その中でいまでも依頼が続くのは2施設のみという厳しい現実である。
 果たして4施設目の例となるのか否か、神のみぞ知る領域の話なのである。


 

茶話本舗デイサービス銭函・誕生会 /2012.2.28



 平日だが、札幌の北隣にある小樽のデイサービス・誕生会で歌ってきた。ネット経由で知ったのですがと打診されたのは、仕事に追われていたわずか1週間ほど前のこと。しかし、予定ではほぼ山を越えているはずだったので、ありがたくお受けした。
 特に確認しなかったが、もしかすると他のボランティアの方が直前でキャンセルになったのかもしれない。長く活動を続けていると、こうしたことはたまにある。しかし、経緯は重要ではなく、要は自分がやれるかどうかだ。

 施設にもよるが、デイサービスは平日にイベントを実施することが多い。宿泊を伴わない施設なので、必然的にそうなる。これまで平日の弾き語り活動は控えてきたが、昨年あたりからケースバイケースで応じている。
 仕事が以前ほど忙しくないこと。札幌駅地下歩行空間でのストリートライブの大半が、平日午後にやらざるを得ない事情であることなどから、もはや週末や休日に限定した活動にこだわる意味はなくなっている。

 最近は「○日午後1〜3時は街作り活動のイベントに参加しますので、電話対応が難しくなります」などと、率直に取引先にも連絡することにしている。今回も納めた仕事の修正が入る可能性があったので、電話やメール対応が難しくなる時間帯を事前にメールしておいた。
「そんな相手に仕事はやれない」と仮に言われた場合、分かりましたと大人しく引き下がる覚悟はできているが、いまのところそうした動きはない。最終納期はきちんと守るし、時には休日も返上、そして夜も眠らずに無理難題に誠実に対応する。そんな積み重ねと信頼関係があれば、仕事をしながらの活動もどうにか進められるのではないか?と模索中である。

 今日の施設は距離的にはかなり遠いが、幸いなことに札幌の北端にある我が家からは都心を避けてバイパスが通っていて、市内よりも早く着けるほどだ。
 事前にグーグルのストリートビューで入念に下調べをしていったので、迷うこともなく、40分足らずで先方に着いた。

 開始は13時半からで、20分の余裕がある。機材をセットしたあと、最初に歌う誕生日の歌やシングアウトで歌う「青い山脈」の歌詞の打合せをする。
 予定より5分早く開始。初めての施設なので歌の嗜好がつかめなかったが、およそ40分で以下の12曲を歌った。


「お誕生日のうた」
「北国の春」
「宗谷岬」
「北の旅人」(ハモニカ伴奏)
「かなりや」
「仰げば尊し」
「花(滝廉太郎)」
「知床旅情」(リクエスト)
「聖母たちのララバイ」
「真室川音頭」
「青い山脈」
〜アンコール
「宗谷岬」


 聴き手は10人で、そのほかに職員さんが3人。男性は一人だけだった。古い民家を改造したこじんまりとした施設である。狭い場だと事前に聞いていたので、セットや撤収が素早く済む乾電池式のPAを使った。
 最初の数曲は手応えがいまひとつで、聴き手との距離が遠い印象だったが、「花」あたりからようやく聴き手の表情が生き生きし始め、一緒に口ずさむ方もでてきた。
 実は「かなりや」を歌ったあとに不思議なことが起きた。歌い終えても全く拍手が起きず、ただしんと静まり返っている。出来は決して悪くはなく、普通はお愛想でもパラパラと拍手がくるものだ。
 一瞬何が起きたか判断できず、当惑しつつ会場を見渡すと、目はみなこちらを向いている。あとで冷静になって考えてみると、過去にも数回同じ経験をしたことがあって、聴き手が軽いショック状態に陥っていた可能性がある。だとすれば、感動による沈黙だったことになるが。

 ともかくも、場が一気に盛り上がったのは、直前に職員さんから渡されたリクエストの「知床旅情」を歌ってからだ。「もし余裕があれば…」とのことだったが、本当はここに「釜山港へ帰れ」を予定していたが、ちょっと暗すぎる感じがして咄嗟の判断で差し替えた。
 1年近く歌ってなかったが、念のため準備した100曲分ほどの譜面がここで活きた。場をつかむのがやや遅かったが、ひとまずよしとしよう。

「聖母たちのララバイ」を歌い終えると、前列にいた方数人が、「この人の歌はなんだか涙がでるね」と、しきりに顔をぬぐっている。
 この曲は非常に強いということは先日のストリートライブで実証済み。そんな結果を予想し、直後には明るく手拍子で歌える「真室川音頭」を配置したが、これは正解だった。施設系ライブはやはり楽しく終わるべきだと、長い活動のなかで学んだ。

「青い山脈」を全員でシングアウトし終えると、みなさんが口々に賞賛してくださった。聴き手のなかに宗谷岬近くで生まれ育ったという方がいらして、「宗谷岬」の歌は素晴らしかった。情景が目の前に広がるようでしたと目を輝かせる。
 ぜひもう一度聴かせてくださいというので、最初には飛ばした2番の歌詞を今度は入れ、アンコールとして歌った。最後のMCで、16歳のときの単独自転車放浪旅行のこと、その行き先が宗谷岬であったこと、この歌を歌うとその青春の魂がまざまざと蘇ってくることなどを話した。
 この日はストリートライブで手応えのあった「いまが旬」の歌を重点的に歌うつもりで臨んだが、ほぼ思い通りに運んだ。帰宅後はすぐに仕事に追われたが、「平日の仕事の合間に、妻のサポートなしで弾き語り活動をする」という手法を、またひとつ積み重ねることができた。


 

篠路チョボラ会・3月茶話会 /2012.3.21



 平日だが、午前10時から近くの福祉会館で地域の中高年を対象としたコンサートがある。夏は草刈りや農作業のボランティア、冬は茶話会を中心とした交流を続けている地元住民の組織から出演依頼があったのは昨年末のこと。責任者のOさんとは昨夏の東日本大震災支援コンサートに出演した際、「今度はぜひ私たちの集まりで歌ってください」と声をかけられた。

 基本的に午前中のライブは声が出にくいのでお受けしない方針だが、集まりは午前中実施が原則で、お昼を全員で食べて解散、というのが恒例だという。たってのご要望なので、お受けした。

 前日は普通に2時近くまで起きていたが、当日は普段より3時間以上も早い午前7時に起床。以前にプロ歌手の高橋真樹さんが「起床後4時間は経たないとまともな声は出ない」と言っていたのを参考にしたが、結果としてもう1時間早く起きるべきだったかもしれない。
 出かける直前に簡単にリハを実施。不安のあるキーの高い曲を中心に練習したが、この時点でまずまず声は出た。眠くて頭がボーとしていたが、9時半には先方に着き、初めての場なので充分にマイクテストも実施し、万事ぬかりないはずだった。

 来賓挨拶などあって、10時15分からコンサート開始。聴き手はおよそ60名で、顔見知りも多数いる。40分で以下の12曲を歌った。


「サン・トワ・マミー」(洋楽)
「オー・ソレ・ミオ」(洋楽)
「宗谷岬」(唱歌)
「浜辺の歌」(唱歌)
「季節の中で」(フォーク)
「時代」(フォーク)
「聖母たちのララバイ」(昭和歌謡)
「瀬戸の花嫁」(昭和歌謡)
「野ばら」(洋楽)
「月の沙漠」(唱歌)
「神田川」(フォーク)(リクエスト)
「高校三年生」(昭和歌謡)(リクエスト)


 この日は現時点でチカチカパフォーマンスで使っている4種類のパターン、つまりは「シャンソン&クラシック系」「唱歌系」「フォーク系」「昭和歌謡系」のうち、まず各パターンから2曲ずつ歌い、一巡後に再度1曲ずつ順に歌うという趣向である。介護の必要がなく、地域の元気な中高年対象のコンサートとして、この方向性自体は間違ってなかったと信ずる。

 出だしはまずまず順調だった。つまずいたのは2曲目の「オー・ソレ・ミオ」だ。この日最も高いキーの曲で、開始直前に喉に少しひっかかりを感じていたが、自宅リハではいちおう歌えていた。そこでラストの聴かせどころをいつも通り最高音で歌ったが、声が途中でプツプツ途切れてしまった。
 あきらかに喉の不調からくるトラブルで、以前にも雪解けの時期に同じことが一度あり、気まずい思いをした経験がある。よりによってそれが請われて歌った場で起きてしまうとは…。

 やってしまったことは仕方がないので、歌い終えた直後に素直にわびた。「実は午前中のライブはほとんど経験ありません」と言い訳がましく添えた。活動開始時の7年前に午前中のライブを依頼されたことが数回あるが、あまりに声が出ないので以来ずっとお断りしてきた経緯がある。受けてしまったとはいえ、やはり無理であったかと後悔した。
 以後、その心理的ダメージを引きずったまま歌い続けたが、用心して危ない曲はキーをひとつ下げて歌った。「宗谷岬」「季節の中で」「高校三年生」がそれで、全体的に守りのライブに結果としてなってしまったのは、やむを得なかった。

 その後は大きなミスもなく、最後まで無難に歌い終える。歌自体は「時代」あたりから落ち着いた感じだ。終了後にOさんを始めとする事務局の方々から「素晴らしかったです」と労われ、場の反応も決して悪いものではなかったが、自分としての満足度は低く、悔いの残るライブとなった。

 ともかくも終わって駐車場から車をバックで出そうとしたとき、左後方からくる車に気を取られ、右側にある電柱に対する注意が一瞬遅れた。車が切れたので一気に出ようとしたとき、車体右側から異音。サイドミラーと電柱が接触し、ミラーが無残に壊れてぶらさがっている。たぶん10年ぶりくらいの事故である。
 幸いに人身事故ではなく、車も普通に運転できた。すぐに戻って保険会社や修理会社に手配。免責分5万円の出費は痛いが、大事にならずによかったじゃないのと、妻からは慰められた。

 ライブでの失敗が事故の遠因になっていた可能性は否定できない。直前にもボイラ2台の同時故障を始め、多くの機器類が続けざまに壊れたり故障したりして、トラブルと災難続きである。こんな時期は問題を粛々と処理し、災いが過ぎ去るのを身を潜めてひたすら待つしかないことを経験的に学んでいる。嵐はいつか去る。


 

ニチイケアセンター元町・夏まつり /2012.8.18



 近隣のグループホームでの訪問ライブを無事に終えた。インターネット経由で初めて依頼された施設だったが、たまたま車で15分ほどの近距離。時間も14時開始と余裕がある。
 こんなときに限って忘れ物をしがちなので、久々に「備品チェックリスト」を取り出し、出発前に入念に指差確認した。
(以前にこれを怠って、マイクを忘れた苦い経験あり)

 13時40分に先方到着。初めて訪問する施設は必ずグーグルマップで周辺景色を確認するよう、最近は心がけている。カーナビは相変わらず買ってないが、お陰で迷うことなく辿り着ける。
 夏まつりイベントの一環だったが、周辺地区の子供たちを招いたスイカ割り大会などがあり、玄関ホールの椅子でしばし待機。開始5分前にようやくステージとなる食堂に移動し、素早く機材をセット。14時ちょうどからライブを始めた。

 開始前に担当の方から私の経歴に関し、簡単な紹介がある。最近、事前に「経歴書を送って欲しい」との依頼が急増している。
 今回のように経営母体が全国展開企業の場合、個人経営に近い施設と異なり、こうした要求がでる傾向がある。伝統ある場である「すすきの祭り」や、札幌大谷学園百周年記念館で先月実施されたクラシック系復興支援コンサートでもそうだった。

 以前はこうした肩書き的経歴にさほどの関心はなく、歌い手にとっての勝負は歌だろう、という拘りもあり、かなり適当に出していた。しかし、最近は少し考えを改め、先方が求めているであろう内容に沿って記すようになった。
 20代前半からギター弾き語りを始めたこと。2004年からボランティア活動を始めたこと。得意なジャンル。以前はここまでだったが、最近は「札幌駅地下歩行空間パフォーマーライセンス取得」を必ず書き添え、過去に出演したビックなイベントの一覧、さらには出演したテレビ・ラジオの放送局名も記すようにしている。
 最終的な勝負は歌であっても、客観的経歴に重きを置くのは日本社会の特質で、ボランティア弾き語りの領域でも例外ではない。であれば、逆にそうした価値観に乗じてしまうのもひとつの考えだと思い直した。

 しかし、あれこれいっても結局は歌だ。どんなに輝かしい経歴を並べ、過去の栄光にしがみついたとしても、いま歌う歌が貧しければ何の意味もない。
 ということで、この日は職員やご家族の方々を含めて40名ほどの聴き手の前で、以下の13曲を35分で歌った。


「草原の輝き」
「瀬戸の花嫁」
「宗谷岬」
「ゆりかごの歌」
「砂山」
「二人は若い」
「エーデルワイス」
「月がとっても青いから」
「埴生の宿」
「お富さん」
「青い山脈」
「丘を越えて」
「知床旅情」


 担当のKさんからは事前に「地域の子供さんも来るので、唱歌を多めに」との要望。しかし、子供たちは皆お土産を貰うと、歌の前に帰路についてしまった。よくあることだが、状況の急変である。
 5曲目までは予定通りに歌ったが、途中から路線変更。アニメソングを外して予定にはなかった手拍子系懐メロの「二人は若い」を試しに歌ってみたら、これが大受け。合の手を聴き手に求めたことも幸いして、場は一気に盛り上がった。
 このまま懐メロ連発で突っ走ろうか…、と一瞬思ったが、思い直して予定の唱歌に懐メロを随所に混ぜ、無難に進めた。

 施設母体がグループホームなので、やはり手拍子系の歌が好まれた。あいにく電子譜面内蔵の中華Padが修理中で、譜面も用意してなかったが、「お座敷小唄」「炭坑節」「真室川音頭」「ソーラン節」あたりも間違いなく受けただろう。
「ずっと聴いていたい」という嬉しい声援も飛び出したが、施設側の都合もあって35分でお開き。それでも予定より3曲も多く歌ったので、聴き手は大満足の様子だった。

 終了後、4〜5名の入居者の方から「また来て歌ってください」と順に頭を下げられ、応対に忙しかった。職員の方々からも「思わず職務を忘れて聞き惚れた」と労われた。初訪問の場としては大成功である。

 この日、歌ってみて不思議な感覚に陥った。これまで出てなかったような自分の声を聞いた気がした。うまく書けないが、「強く響く」感じの声だ。およそ5ヶ月ぶりの訪問ライブということがそうさせたのか、その正体は不明。今年になってさまざまな修羅場をくぐり抜けてきた成果だとしたらうれしい。


 

ディPOP・夏まつり /2012.8.25



 昨年1月の新年会で歌わせていただいた、都心にある総合福祉施設に再び招かれた。「菊地さんの歌をもう一度聴きたい」とのお話しである。同じ施設から3度以上招かれるのは稀だが、2度までならよくある。ありがたくお受けした。

 しつこい残暑のなか、16時ちょうどに先方に着いたが、会場では入居者やその家族、元職員などによるカラオケ大会の真っ最中で、大変な盛り上がりよう。4人の審査員による採点方式で、出場者も応援も力が入る。私のライブは16時20分に開始予定だったが、審査員全員の総評、上位3名の表彰式や賞品贈呈式などがあり、進行がかなり遅れた。
 控室でそんな気配を察知し、マイクスタンドやPAなど、事前に組立て可能なものはセットして備える。終了後ただちにステージに運んだ。

 2分くらいでスタンバイ。時計を見ると、16時27分あたり。かなり押していたが、進行の方に確認すると、多少遅れても予定曲は全部歌って欲しいという。挨拶もそこそこにライブを始める。
 盛り上がった場の直後で、外は30度を超える暑さ。14時から始まった夏まつりイベントの最後の出し物で、すでに開始から2時間半を経過している。ライブとしては非常に難しい条件だった。

 ともかくも予定曲を順に歌っていった。事前の打合せでリクエスト7曲を含めた全16曲を歌うことになっている。時間に余裕があれば中間にMCをかねた軽い休憩を挟む予定でいたが、もはやそんな余裕はない。
 慌ただしい気分のなか、50分で以下の16曲を一気に歌った。
(※印は初披露、◎印はリクエスト)


「ブルーライト・ヨコハマ」
「瀬戸の花嫁」
「草原の輝き」
「丘を越えて」
「月がとっても青いから」
「恋する夏の日」
「青い山脈」
「まつり」(北島三郎)※◎
「川の流れのように」◎

「大空と大地の中で」◎
「星のフラメンコ」※◎
「秋桜〜コスモス」※◎
「恋のバカンス」
「酒よ」※◎
「神田川」◎
「また逢う日まで」


 カラオケ大会では職員を含めて60名前後の人が場にいたが、私のライブになるとかなりの方々が帰るか自室に戻ってしまったらしく、40名前後に減っていた。場全体が疲弊した印象で、曲に対する反応もいまひとつだった。
 とはいいつつ、喉の調子はピークに近かったので、暑さもなんのその、余計なMCも挟まずトントンと歌い進んだ。

「草原の輝き」あたりで、場の反応が少しずつよくなり、特に求めてはいないのに、自然発生的手拍子が起きる。アグネス・チャンの曲はこれしか歌えないが、いつどこで歌っても受ける。非常に強い曲である。
 20代から90代までという幅の広い層が居住する複合介護施設なので、リクエストも多岐にわたり、それに伴う構成も難しい。前半9曲までを小さな区切りとし、自分の得意とする懐メロ系を多めにして高齢者向きとしたが、この方向は間違ってなかった。

 ただ、聴き手の体力が残っていたのは9曲目の「川の流れのように」までで、ここから場の反応はじょじょに弱くなり、席を立つ方も増えた。「30分を超えると高齢者にとって危険な時間帯」という、これまでの経験から得た教訓はここでも活きていた。

 開始35分から終わりまでの時間は、まるで反応の弱いストリートライブをやっているかのようだった。残り4曲になって再度進行の方に確認すると、予定通りにやって欲しいという。私の喉はまだまだ余裕があったが、聴き手は限界を超えているようにも思えた。しかし、要望通りに最後まで歌った。
「神田川」を歌い始めると、ステージの後ろにあるトイレに向かっていた入居者の方が、ドア付近でバッタリ倒れる音がした。職員数人が血相を変えて走る。一瞬歌を中断しようかと迷ったが、怪我はなかった様子。そのまま進めたが、動揺して2番の歌詞を一部飛ばしてしまった。
 ラストの「また逢う日まで」ではシングアウトらしく盛り上がったが、全体としてやはりライブが長すぎたのだと思う。

 終了後、責任者のNさんが、「いろいろ無理をいって、すみませんでした」と労ってくれた。ライブとしての評価は難しいが、やるだけのことはやった。

 個々の歌では、「月がとっても青いから」「まつり」「川の流れのように」の反応がよかった。いずれも前半で、聴き手に余裕があった時間帯である。
「まつり」は初披露だったが、この曲は使える。リクエストだったが、思わぬ拾い物をした。「川の流れのように」は過去にあまり歌ってなかったが、たぶんこの日が最高の出来。歌い終えてライブ録音を録ってなかったことを後悔したほど。この歌の自分なりの歌唱法を、ほぼつかんだと思う。

 これ以上ないほど過酷な条件のそろったライブだったが、それなりに収穫はあった。