訪問ライブ顛末記


ホームのどか・クリスマス会 /2010.12.25



 今年最後となるライブが、近隣のグループホームで実施された。例年招かれるクリスマス会の余興で、聴き手は入居者やその家族、職員を含めて40名を超す盛況。今年は3組のボランティア・パフォーマーが参加となった。
 乾杯のあとに食事をとりながら歓談が続き、午後12時半くらいから余興が始まる。1番手は30歳前後と思われる若い男女二人組。ボーカルが女性、ギター伴奏が男性というユニットで、参加のきっかけが女性のグループホームでのヘルパー研修からとか。つまりは介護福祉士の卵である。
 ライブ活動を初めてまもないということで、多少の力みもあったが、一青窈の「ハナミズキ」や、キロロの「未来へ」など、新しい歌に果敢にチャレンジしていた。「クリスマスメドレー」や「見上げてごらん夜の星を」など、場に相応しい選曲の工夫も見られた。

 2番手はケーナ演奏のSさん。施設の社会労務を担当してる方で、3度目の参加である。今回はギターのサポートがなく、ちょっと苦戦していたが、童謡メドレーや演歌系の「川の流れのように」など、これまた場への配慮が見られた。

 そしてラストが私。いつもはトップを任されるが、この日に限って副ホーム長のAさんが、「ぜひともトリを」との強い要望。事前のプログラムと順序が違うので一瞬戸惑ったが、素直に従った。
 演奏者が複数いた場合、聴き手はどうしても比較してしまうが、逆にそれを利用し、自分の特色を強く打ち出すよう心がけた。予定をかなり変更したが、結果としてこの日歌ったのは11曲。28分のパフォーマンスだった。


「青い山脈」
「函館の女」
「ゆりかごの歌」
「夕焼け小焼け」
「故郷」
「ピクニック」
「高校三年生」
「ソーラン節」
「白いブランコ」
「のどか小唄」(オリジナル)
「上を向いて歩こう」


 1曲目は「ジングルベル」を歌う予定が、最初の若いユニットが歌ってしまったので避け、ひとつ飛ばして「青い山脈」から歌う。当日になって虫が知らせたのか、急きょこの曲にもフットタンバリンを合わせていたので、場は一気に盛り上がった。いわゆる「鳴りもの」であるフットタンバリンの威力はすごい。
 早めに歌った童謡唱歌でも、予定していた「赤とんぼ」が、ケーナ演奏のSさんと重複。急きょ「故郷」に差し替えた。以前は重複しても気にせず歌っていたが、経験ある年長者でもあり、可能なら若手に譲るべきだろう。

 訪問ライブを始めた6年前から何度も訪れてよく知っている場なので、この日はいくつか新しい試みをした。初披露の曲は、「ゆりかごの歌」「ピクニック」「白いブランコ」の3曲で、「白いブランコ」は先月の社福協交流会でも突発リクエストで歌ったが、フルコーラスでは初めてだ。

「ゆりかごの歌」は唱歌なので計算通りだったが、伴奏が冗漫にならないよう、3番だけに初めてミュート奏法を使った。まずまずミスなく弾けたので、今後は実戦でも使えそう。
「白いブランコ」では、間奏のメロディラインをハモニカで演奏した。この1ヶ月、毎日練習し、最近では自己流のビブラート奏法も口だけで吹けるようになったので、こちらも無難にこなした。
 ハモニカは郷愁をかきたてる音で、その種の曲にはよく合う。高齢者中心の場ではハモニカでの弾き語りそのものが珍しく、場をぐっと引きつける効果もある。緩みがちな後半に使うのがお勧め。
「ピクニック」ではこの日2度目となるフットタンバリンを使用。洋楽なので不安があったが、動物の鳴き声の部分でギターを弾く手を一瞬止め、右手を耳にかざして会場の声をうながしてみたら、ちゃんと応じてくれてうれしかった。
 この曲は場が水を打ったように静まり返った「夕焼け小焼け」「故郷」の直後に意識的に配置したので、反動でうまく場が乗ってくれた。妻のなにげない鼻歌をヒントに思い切って歌ってみたが、今後充分に使える曲だと思う。

 つい3日前のライブが非常に盛り上がったので、この日は気持ちが守りに入りそうになった。2度続けて当てるのは難しい気がした。しかし、攻めの姿勢を貫いたのがよかったのか、3日前を上回る会心の出来。この場では珍しく、アンコールまで飛び出した。
「最後の曲にします」と宣言したとたん、「菊地さん、あと2曲聴きたい!」と期せずして司会のAさんから声が上がる。予定になかったので、持参した譜面をめくりながら一瞬迷ってしまい、「みなさん、静かな歌がいいですか、それともニギヤカな歌がいいですか?」と率直に尋ねると、3〜4名の方から「ニギヤカな歌!」と反応がある。静まり返った「白いブランコ」の直後なので、さもありなん。
 そこでこの施設のテーマソングとして作ったオリジナル「のどか小唄」をラスト前に歌った。

 この日は意図的に「静かな歌」「ニギヤカな歌」を数曲まとめて歌い、ライブ全体に大きなうねりのようなものを作ってみた。最近とみに多い場の流れに任せたライブの中で思いついたもので、以前は1曲毎に交互に繰り返す構成を好んで使っていたが、同じ傾向の歌を数曲続けた方が、聴き手にとっては心地よいらしいことに気づいた。
 まだ手探り段階だが、20分を超えるライブなら、どんな場にも通じる気がしている。

 終了後、入居者代表の方から花束をいただく。ちょっとしたことだが、細かい配慮がとてもうれしい。ボランティアとしていろいろな場を回っているが、場によって気遣いも多種多様。人生の妙味をつくづく感じる。

 見知らぬ方が何人も近寄ってきて、握手を求められたり、親しく言葉を交したりした。その中で地元町内会の高齢者ボランティア組織の中年女性から、ぜひ町内会の集まりでも歌って欲しいと頼まれた。敬老会や婦人部の交流会など、催しはいろいろあるらしい。
 聴けば本人はシャンソンや叙情系の歌が好みとかで、かって8年間プロにシャンソンを習っていた時期があるそう。かなりマニアックなシャンソン談義で盛り上がり、別の場でコンサートをやるときは、ぜひ声をかけて欲しいとも言われた。しまいには、過去のライブCD音源を送る約束まで交す。
 音楽の同士はあちこちにいるもので、どこに幸運が転がっているか分からない。どのような場のどのような対応でも、手を抜かずに魂をこめて歌ってきた成果かもしれない。地域センターでのコンサートが実現したら、まず声をかけてみたい。


 

ディPOP・新年会 /2011.1.10



 正月気分も抜けきらぬなか、2011年最初のライブを実施。今回も依頼はネット経由だった。介護施設系ライブの依頼は、「一度歌った場からの再依頼」「以前に別のライブで見かけて」そしてこの「ネット経由」の3つに大別されるが、最近急増中なのがネット経由である。
 登録しているボランティアNPO法人のサイト経由や、単純なネット検索によるものだが、過去の詳細なレポートや、YouTubeを中心とする音源等の情報公開により、頼みやすい雰囲気はできつつあるらしい。

 今回のライブには難しい条件がいくつかあった。まず、聴き手の層が下は20代から上は90代と、とんでもなく幅が広いこと。「グループホーム」「ディサービス」「障がい者施設」の3つを兼ね備えた都心の大規模施設からの依頼なので、そういうことになるらしい。
「どの世代にも受ける」という歌はそうないので、正月休暇で帰省中の息子の意見も聞き、選曲にはかなり頭を悩ませた。

 当日になって、別の問題が発生した。数日前からの記録的な豪雪で雪かきに追われ、腰痛の持病を持つ体調が充分ではない。前日には町内会新年会が離れた公共施設であり、雪の中を歩いて苦手な宴会に4時間近くおつきあいする。
 二次会のカラオケは固辞してすぐに家に戻り、ライブの準備をするはずが、空きっ腹にビールを飲み過ぎたせいか、そのまま夕食まで寝込んでしまい、歌の最終練習は夜半に15分ほどしかできなかった。

 当日になっても雪は降り止まず、最終リハをする以前に、まず車庫前の雪かきを強いられた。道路の渋滞が予想されたので、予定よりかなり早く出かける必要があり、結局当日のリハも15分ほどで打ち切り。
 先方には開始20分前に何とか到着したが、10階建ビルの2階にある施設には駐車場がなく、2ブロック離れたコイン駐車場から、重い荷物を3つ抱えて滑る道をトボトボ歩く。
 ようやく着いた施設玄関には、厳重なセキュリティシステムがあって、簡単には入れない。インタホンを探しても見つからず、携帯は車の中に忘れてきた。重い荷物を抱えて駐車場に戻る気にはなれず、公衆電話を探すべきかと途方に暮れていると、たまたま帰りがけの施設職員の方が通りかかって、声をかけてくれた。教えられた別の入口からようやく中に入る。
 事前調査を怠ったツケが、とんだところで出た。やれやれ。

 休む間もなく、ただちに機材をセット。寒い道を歩き、階段を何度も昇り降りしたせいで腰も腕もしびれて痛いが、泣き言はいってられない。ともかくも準備は予定5分前に終わり、ライブはぴったり12時30分に始まった。

 聴き手は職員も含めて50名を超える。確かに年齢層は幅広く、しかも会場が横にだだっ広い。歌いながらの視線や身体の向きの変え方、音の広がり具合など、縦長よりはるかに難しい場だ。
 さまざまなトラブルの影響を心配したが、ライブそのものは順調だった。工夫をこらした選曲も当たった。この日歌ったのはアンコールを含め、以下の12曲。


「一月一日」
「ウインター・ワンダーランド」
「さくらさくら」
「北国の春」
「真室川音頭」
「宗谷岬」
「ピクニック」
「お富さん」
「上を向いて歩こう」
「いい日旅立ち」
「花〜すべての人の心に花を」
 〜アンコール
「二人は若い」


 場がいまひとつつかみきれないので、珍しく最初から「一月一日」「ウインターワンダーランド」の2曲をメドレーで歌ったが、どちらにも間髪を入れず手拍子が出た。
 3曲目の「さくらさくら」で冷えきった指が少し動かず、一瞬あせったが、どうにか持ち直す。この曲は初披露だが、「新春」という切り口には、ピタリはまる無難な曲だ。「上を向いて歩こう」で、会場を順に見回しながら歌っていたら、一瞬歌詞を見失った。横に広い場での難しさがここにある。
「ピクニック」とアンコールの「二人は若い」では、かけ声の部分を聴き手に完全に任せてみたが、大変ノリのいい方が数人いらして、上手に反応してくれた。その際、ギターストロークを一瞬止めた弊害で、流れに戻るのに多少もたついてしまった。全体としては大きなキズではなかったが、前回ライブではうまくいっていた部分。直前のトラブルをここでも引きずっていたかもしれない。

 いろいろあったが、結果としてみなさんには大変喜んでいただいた。フットタンバリンを要所に入れた効果か、終始拍手と歓声が絶えなかった。拍手は普通でない叙情系の「さくらさくら」「宗谷岬」「いい日旅立ち」にまで、曲調に合わせたていねいな手拍子をそれぞれいただく。
 予期せぬ難しい条件の中でも、大崩れせずにそれなりに場をまとめられたのは大きな成果だった。

「菊地さん、南こうせつに声質がとても似てますね。今度菊地さんの『夢一夜』をぜひ聴いてみたい」と、帰りがけに責任者のN子さん(おそらく40代)から唐突に言われた。
 この1年で、「南こうせつに似ている」と3度、「ふきのとうの細坪さんに似ている」と1度言われた。「〜に似ている」というのは褒め言葉かもしれないが、裏を返せば個性がないということか。しかし、ヒネクレ心には蓋をし、「大御所に似ている」という先方の気遣いに、素直に感謝しよう。

 聴き手の平均年齢が若いこの施設ではフォークもOKということで、カラオケ大会でもしばしば「かぐや姫」が飛び出すとか。次回のリクエストとしてありがたくお受けした。
 昨年末の「白いブランコ」のリクエストでも感じたが、いよいよ介護施設でもフォークの時代到来のようである。


 

ネクサスコート真駒内・1月誕生会 /2011.1.23



 正午から有料老人ホームでのライブ予定がある。ところが数日前に町内回覧板が回ってきて、町内会館の除雪作業を同じ日にやるという。ライブ会場は札幌の南端で、北端にある我が家からは30キロ近くあった。
 折からの豪雪で、交通事情は極度に悪い。安全をみて午前10時には家を出たいが、除雪作業は9時開始。事前のリハや機材積込み時間を考慮すると、除雪への参加は難しい感じがした。

 しかし、どちらも広い意味でのボランティア活動である。自分だけ早めに作業を始めれば、部分的な除雪は可能ではないか?そう考え、早めに起きて8時45分には町内会館の屋根に昇り、雪下ろしを始めた。
 やや遅れて他の人も集まってくる。凍りついた雪に手こずり、スコップの一部が割れてしまうというアクシデントがあったが、30分ほどで雪は下ろし終えた。

 平地の雪山除去の作業が残っていたが、事情を話して早退。すぐに家に戻り、汗で濡れた衣類を取り替える。休む間もなく、最終リハを始めた。
 一通り終わって機材一式を積み込み、家を出たのが10時15分。途中の道は予想通り混んでいる。路肩に山のように盛り上がった雪をダンプに積み込み、堆積場に搬出する作業をあちこちでやっていて、それが混雑に拍車をかけていた。

 南に進むにつれ、雪はだんだん少なくなり、車は順調に走り出す。11時25分に無事に会場に着く。施設はこれまで見たことがないほど立派である。介護の必要がない方も入居可能とのことで、スタイルは高級マンションに近い印象だ。
 すぐに担当のWさんと打合せ。歌う予定の曲目リストを事前に見せたが、場合によっては外すつもりでいた「東京ドドンパ娘」にはOKが出た。

 少し遅れて12時5分くらいからライブ開始。聴き手はおよそ60名ほどで、ほぼ正方形の会場である。昼食の直後なので、同じ空間にある厨房の片づけの音がかなり大きく、やむなくPAのボリュームを少し上げた。
 このところ的が絞りにくい難しいライブの連発だが、悩みに悩んだこの日のセットリストは、以下の11曲。


「おおブレネリ」(スイス民謡)
「埴生の宿」(イングランド民謡)
「浜千鳥」(文部省唱歌)
「サン・トワ・マミー」(シャンソン)
「ナポリは恋人」(カンツォーネ)
「野ばら」(H.Werner/F.Schubert)
「菩提樹」(F.Schubert)
「東京ドドンパ娘」(J-POP)
「奥様お手をどうぞ」(シャンソン)
「オー・ソレ・ミオ」(カンツォーネ)
「恋のバカンス」(J-POP)


「演歌はやらない」「クラシック等の洋楽を中心に」という、これまで例のない難しい要望が事前にあったので、構成には頭を悩ませた。結果として日本の曲がわずか3曲、初披露の曲が3曲で、他も介護施設では実績のない曲が大半という、大冒険のライブとなった。
 1曲目は「カントリー・ロード」を歌う気でいたが、昨夜遅くになって突然気が変わった。「カントリー・ロード」は確かに洋楽だが、ジャンルはカントリー。高齢者相手では難しいかもしれないと感じ、クセのないスイス民謡の「おおブレネリ」に差替えた。

「ノリのいい曲をみなさん好まれますよ」と、事前にWさんには聞いていたが、実際に歌ってみると、反応がよいのは逆に叙情系のしっとりした曲だった。
 2-3曲目の「埴生の宿」「浜千鳥」では一緒に口ずさんでくれる方が多数いたし、中盤の「野ばら」のメドレーでは、多くの人の目が生き生きと輝きだしたのがはっきり分かった。ウェルナーとシューベルト、二つのメロディのどちらにも一緒に歌ってくれる方がいて、最高の手応え。覚えたての曲だが、この「野ばらメドレー」は、たぶん別の場でも使える。

 あまりの反応の良さに、状況次第では飛ばすつもりでいた「菩提樹」を急きょ歌う。この歌はもちろん、その後歌った「オー・ソレ・ミオ」にまでも、一緒に歌ってくれる方がいて、非常に驚いた。(事前に歌詞カードは配っていない)
 反面、ノリのいいはずだったアップテンポ調の「東京ドドンパ娘」「サン・トワ・マミー」「恋のバカンス」等に対する場の反応はいまひとつ。あとで確かめてみたら、この種の曲は担当のWさんが大好きなんだという。そういうことでした。
 どのような形態であっても、施設側には運営に関するポリシーがあり、たとえボランティアライブであっても、その方針に沿った内容を求められるのが常。その方向性が必ずしも入居者の嗜好と一致しない場合もあって、そこがライブの難しさと面白さだ。まさに「ライブに勝るライブなし」なのである。

 合計11曲をぴったり30分で歌い終える。場の雰囲気からして当たるのは確実と思われた「蘇州夜曲」は、結果的に歌えずじまい。惜しいことをした。
 しかし、終了後に複数の方が近寄ってきてねぎらってくれ、施設長やWさんも「これほどみなさんが乗ってくださったのは、初めてです」と、興奮気味に語ってくれたので、最低限の義務は果たせたようだ。(施設は開設5年目である)

 もうひとつ、担当のWさんからうれしい言葉があった。

「菊地さんのMCは淡々としているが、聴き手を子供扱いも年寄り扱いもせず、一人の人間として尊重しているのが分かる。そうしたボランティアは稀なので、非常に好感を持ちました」と。

 周囲に媚びず、へつらわず、見下さず、一人の人間として接するやり方は、ライブのMCのみならず、普段の生き方から心がけていることだ。たとえば聴き手が小学生でも中年でも高齢者でも、「キミたちは…」「みんなは…」「おじいちゃん、おばあちゃんは…」ではなく、「みなさんは…」といった普遍の姿勢で臨む。
 言葉にしたことは一度もなかったが、わずか30分のライブでそれを見抜き、指摘されたのは初めてのことだった。私にとっては、何にも勝る賞賛である。

 今回の反省点は、「埴生の宿」で歌詞の「鳥」を「虫」といい間違えたこと。「野ばら」の出だしを3/4拍子で入るべきなのを、4/4でやってしまったこと。ワルツの出だしをあえて4/4でやることも多々あるし、歌はちゃんとワルツでやったので、よしとする。
「オー・ソレ・ミオ」の途中で歌詞を見失い、「うるわしの…」の部分の入りが一瞬遅れたこと。こちらはいわゆる「タメ」として、やや遅らせて歌った。

 いずれも全体からみれば大きなキズではないが、「初めての厳しい場」という状況がそうさせたように思える。「完全無欠のライブ」というのは実に難しいもので、どのような状況下でもそれができるのが、いわゆるプロなのかな…、と最近は思うのだ。


 

高岡スウェーデンヒルズ祭 /2011.6.11



 6月に予定されている怒濤の4連続ライブの第1弾として、近隣の障がい者支援施設での夏祭りイベントに参加した。知人の紹介だったが、似た施設でのライブは今年1月に経験しているので、ほぼ同じ構成で準備した。
 自宅から車で30分ほどの知っている地域だったが、施設の場所は丘陵地帯の奥まった位置で分かりづらい。地図はあったが、結局迷ってしまった。すぐに携帯で電話。説明を聞いてようやく到着できた。

 施設は旧小学校を改築したものだが、きれいに手入れされていて、古い校舎の暖かみがうまく活かされている。到着は開演15分前で音響テストは結局できなかったが、マイクとアンプは準備されていて、持参のPAは必要ないことが分かった。
 カギつきの楽屋を用意していただき、施設側からおでんや焼きそばなどの差し入れがあった。ところが私の不注意でおでんの汁が容器から溢れ、シャツやジーパン、靴の一部を汚してしまった。
 洗面所での汚れ落とし作業に追われ、1組目の「たぬきばやし踊り」を観られなかった。とんだ失態である。

 私の出演順は全5組中の3番目。他は踊り3組、大正琴1組で歌は私だけ。20名を超えるグループもあり、ソロ出演もまた私だけという、異色の存在である。
 2組目の大正琴が始まった時点で、譜面台とシールド、ギターを持ってステージ横で早めにスタンバイした。単に演奏を聞きたいこともあったが、この判断が結果的に正解だった。

 12時45分から30分間続くはずの大正琴の演奏が、なぜか1時でぷっつりと終わってしまう。司会者(プロの方)もあわてていたが、メンバーは素早く撤収してしまった。
 いったい何があったのか分からないが、担当のTさんがすっ飛んできて、「菊地さん、予定より5分早く1時10分からやってください」と言う。終了は同じで、要するに35分間歌って欲しいという要望だった。普段は短めに終わっている曲をフルコーラス歌えば時間は延ばせるので、すぐにOKした。

 大正琴で使ったテーブルや椅子を撤収するのを手伝い、直ちにマイク類をセット。ボーカルマイクは問題なかったが、ギターを専用アンプにつないでみると、音がいまいち固い。いわゆる「ショッパイ音」というやつだ。
 しかもその音を別マイクでとり、中庭に設置のスピーカーでも音を出したいとのこと。テストなしの不安が募ったが、ともかくもやってみることになった。

 1時5分に準備は終わったが、その間、突然の合間をアドリブの漫談でつないでいた司会者が、すぐにでも歌を始めて欲しいとのサイン。再びの時間変更で、スタートをさらに5分早め、合計40分歌うことがその場で決まった。
 ライブでは何があるか分からないので、曲は5曲ほど余分に準備していた。いいですよと、快諾。楽譜ナシで歌える曲を混ぜれば、1時間までなら対応可能な体勢だった。

 ともかくも1曲目の「カントリーロード」を歌い始めたが、不安が的中し、ギターの音が大きすぎてボーカルがよく聞こえない。フルコーラスを歌うはずが、結局一部を飛ばして短めに終えるはめに。
 PA担当の方が急きょ調整し、どうにかバランスがよくなった。結果としてエレアコではなく、モーリスを持参してマイク録りでやれば簡単だった。事前の打合せが甘かったことを悔やむ。この日歌ったのは突発的追加曲を含め、以下の11曲。


「カントリー・ロード」
「丘を越えて」
「ピクニック」
「上を向いて歩こう」
「いい日旅立ち」
「ソーラン節」
「涙そうそう」
「お富さん」
「宗谷岬」
「北の旅人」(南こうせつ)
「花〜すべての人の心に花を」


 聴き手はざっと200名余。20代から80代までと年齢層が広く、つかみの難しい場だった。3曲目の「ピクニック」で「飛び道具」のフットタンバリンを使い、動物の声の部分で会場を誘って、ようやくペースをつかむ。
 この種の「会場巻き込み型ソング」で使えるものは数少ないが、こうした難しい場では必ず準備しておくべきだろう。

 会場には座卓があって飲み物や食べ物も自由。大人の祭りなので、屋台ではアルコールも売られている。聴き手にとってステージは決して主目的ではなく、会話や飲食に忙しい姿も多かったが、そんな場でも熱心に聴いてくれる人はちゃんといた。
 ストローク系のにぎやかな曲を中心に準備したが、予定よりも10分伸びたので急きょ歌った「涙そうそう」が、なぜか最も受けた。会場の多くの方が曲に合わせ、心地良さそうに手拍子をとってくれるのだ。自分としてはそう好きではないが、聴き手の受けはよいという、不思議な曲である。「場所を選ばない」という意味では、「上を向いて歩こう」に似た貴重な曲だと再認識した。

 古い木造体育館なのでむき出しの高い傾斜天井があり、札幌時計台ホールによく似た空間だった。ナチュラルリバーブが程よくかかり、歌っていて非常に心地よい。場の醸し出す独特の空気感がある。
 場で歌は間違いなく変わると思う。ライブが冗漫になるのを防ぐ大きな手段が、ひとまず場を変えてみることだ。

 合計11曲を歌ってぴったり1時45分に終了。難しい条件下でのライブをうまくさばき、担当のTさんや所長さんにも大変喜ばれた。また少し自分の幅が広がった感。
 撤収時に会場出口でユーザー(入居者)の家族とおぼしき方が近寄ってきて、ありがとうございますと、深々と頭を下げられた。ちゃんと届いていたのだと、一瞬胸が熱くなる。施設訪問系ライブでしか得られない特別な喜びが、こんなところに確かにある。


 

ネクサスコート真駒内・7月誕生会 /2011.7.17



 今年1月にクラシック・シャンソン等の洋楽を中心に歌わせていただいた市内の有料老人ホームから再度の出演依頼があった。今回は日本の歌を少し多めに、という新たな要望をもとに、あれこれ準備した。
 場所は札幌の最南端で、幹線道路沿いではあるが、札幌の北端にある我が家からはとにかく遠い。ライブは午後12時開始だったが、プロ歌手の高橋真樹さんのライブで、「起きてから4時間以上経たないとまともな声は出ない」という話を最近聞き、休日だったが8時には起きて備えた。

 10時くらいから自宅でリハを始めたが、(介護施設系ライブの場合、リハのたぐいはまず不可能)このところの不順な天候のせいか、声の調子はいまひとつ。3曲目に歌う予定の「丘を越えて」の最高音部がうまく出ず、不安が募った。
 本番でも調子が悪ければ半音下げて歌おうと腹をくくり、ともかくも終了。すぐに機材一式を積んで家を出た。

 冬よりは10分ほど早く、およそ1時間で先方に到着。開始20分前だったが、前回と同じ場所に機材を早めにセットしてスタンバイした。
 予定ぴったりの午後12時からライブ開始。30分で10曲を歌った。内訳は日本の歌が6曲、洋楽が4曲。「震災以後、入居者の元気がない」という先方の要望から、明るめの曲を中心に構成した。


「高原列車は行く」
「サンタルチア」(ナポリ民謡)
「丘を越えて」
「真珠貝の歌」(ハワイ民謡)
「ここに幸あり」
「お富さん」
「瀬戸の花嫁」
「カレンダー・ガール」(オールディズ)
「夏の思い出」
「アニー・ローリー」(スコットランド民謡)



 前回同様、いや、前回以上に手応えのあるライブだった。歌詞カードは一切配らなかったが、多くの方々がいっしょに口ずさんでくださった。日本の歌と洋楽とのバランスも程良かったと思う。
「選曲が実に素晴らしかった」と、評価が厳しいという施設長さんからも及第点。心配していた喉の調子は、いざ始めてみるとあまり気にならず、全曲いつものキーで歌った。

 ライブは昼食直後に行われたが、この施設は余興に対する強制はなく、興味がなければ自室に戻ってもよい、というルール。しかし、席を立つ姿は皆無だった。
(担当の方の話だと、他の余興では結構あるらしい。ボランティアもすでに選ばれる時代に差しかかっている)

 初披露は「サンタルチア」と「アニー・ローリー」。両方ともうまくおさまってくれた。2度目となる「カレンダー・ガール」は、今回唯一外した曲。オールディズなのでいけると思っていたが、前回のライブハウスのようには受けなかった。洋楽でも馴染み深い叙情系の曲ならOKだが、テンポの早い曲はこうした場では難しいことを悟った。
 施設系では初めて歌う「真珠貝の歌」では、歌に合わせてフラダンスの身振りをする方が数名いらして、予想通りの手応え。ハワイアンは意外に受けることを再認識した。今後レパートリーを増やしたい。

 終了後に聞いた話によれば、最近精神のバランスを崩している入居者の方がいて、ずっと部屋に引きこもったままだったという。若い頃にはバイオリンに親しんだ方だそうで、今回のライブ前に「1曲だけでも聴いてみましょう」と、半ば強引に部屋から連れ出したらしい。
 その方、いざ歌が始まると表情が急に生き生きとなり、結局最後まで喜んで聴いていたという。幅広い会場の右はじにいたそうで、ライブ中は気づかなかったが、「立ち直るきっかけになるかもしれない。歌って、力がありますね」と、施設長さんは感慨深げだった。

 7曲目に歌った「瀬戸の花嫁」は、過去に実績のある曲だったが、曲名を告げただけで場内から歓声が上がった。歌っている間も強い手応えを感じる。あとから施設長さんが、「あの歌で涙を流している方がいた」と教えてくれた。
「聴いていると昔のことが思い出され、自然に涙が流れてきた」とのことで、こちらも歌い手冥利につきる。

 先日の地域センターにおける震災支援ライブでも「北の旅人」で涙を流してくれた方がいた。「聴き手の心にそっと寄り添う」を当面の目標にしている私にとって、聴き手の涙はこの上ない評価である。
 昨年あたりから、いろいろな曲で泣かれることが急に増えてきた。今回の「瀬戸の花嫁」もそうだが、自分の感情に流されず、技巧に走らず、聴き手をねじ伏せようとせず、しかし媚びることもせず、そんな姿勢をうまく貫けたときに、聴き手は静かに涙を流してくれるような気がしている。
 頂きには限りがないが、もしかするとひとつの場所にたどり着けたのかもしれない。


 

クオーレ山の手・七夕コンサート /2011.8.13



 市内西区の有料老人ホームにて訪問ライブを実施。この日も札幌は30度を突破し、暑い中で準備したが、つい最近始めたばかりのツイッターの管理に熱中する余り、ふと気づくと出発時間が迫っていた。
 休暇で家にいた妻にそうめんをゆでてもらい、5分で流し込む。麺類とはいえ、いくらなんでも早すぎるが、とにかく時間がない。箸を置くや、ただちに機材を積んで出発した。

 妻を誘ったが、日々の疲れが蓄積しているようで、暑いさなかに出かけたくないという。まあ、そうでしょう。「妻から完全自立した弾き語り活動」を心がけているので、ストイックに一人で出発。
 今回も依頼はネット経由で、先方はライブレポや音源で私の情報を事前に得ている。いまやネットは安定した依頼ルートである。本当は8/7に依頼されていたが、スケジュールの都合で1週間延ばしていただいた。

 初めての施設だったが、他のライブ等でよく行く地域なので、下調べはグーグルマップでやっただけ。迷わず30分で着いた。すぐに機材をセットし、ちょっとだけマイクテスト。予定より5分遅れてライブは始まった。

 実はここ数日、いまひとつ喉の調子が上がらなかった。身体的な問題より、このところ続けて不本意なライブが続いたことによる、気分の問題だったかもしれない。
 室内がやや暑く、出掛けの慌ただしさもあって、不安を抱えた中でのスタートになったが、いざ初めてみるとなぜか気分は一気に乗った。ステージとなったホールの音響が抜群で、いわゆる「音の返り」が心地よいのだ。厨房に隣接していないので、後片付け等のノイズが一切ない。施設系にしては、非常に恵まれた場だった。

 施設側の方針で聴き手は自由参加だったせいか、20名強。しかし、音楽好きな方が集まったようで、1曲目から一緒に歌ってくれる方が多数いた。歌いながら強い一体感を感じ、相乗的に歌はますます乗った。

 この日歌ったのは順に以下の10曲。


「高校三年生」
「バラが咲いた」
「お富さん」
「ここに幸あり」
「真珠貝の歌」
「宗谷岬」
「瀬戸の花嫁」
「浜辺の歌」
「二人は若い」
「上を向いて歩こう」
〜アンコール
「丘を越えて」


 このところ2度続けて「外れ」が続いているので、冒険はせず、実績のある曲を並べた。嗜好がいまひとつつかめず、しっとり系とニギヤカ系を取り混ぜたが、始めてみるとしっとり系を好む傾向にあり、やや反応の弱かった「お富さん」と「真珠貝の歌」は短めに切り上げた。

 真夏の訪問ライブ自体が非常に珍しいので選曲には苦心したが、「真珠貝の歌」から「浜辺の歌」までをいろいろなタイプの海の歌で構成し、全体の中で小さな山を作ってみたが、これは当たった。
 どのような場でも、季節感や構成の起承転結は非常に大切だと思うので、そこには常にこだわりたい。

 予定通り30分で終えたが、誰一人席をたとうとしない。機材をさっさと撤収する雰囲気ではなく、職員の方も遠慮がちに会場を見回すだけなので、「どうしましょうか?」とこちらから声をかけると、期せずして「もっと聴きたい」「アンコール!」との声。
 施設系ライブでアンコールは久しぶりだったが、ありがたく「丘を越えて」を歌い納めとした。

 ライブ中も会場からは「いい声だ」「上手だね」とささやく声が耳に入っていたが、ずっと一緒に歌ってくれていた車椅子の女性が終了後近寄ってきて、直にお礼を言ってくれたうえ、「ぜひ握手を」と手を差し出された。これまたあまり例のないこと。
 この日は本当に会心の出来で、「暑さを吹き飛ばしてくれる素晴らしい歌唱で、得難い時間を共に過ごすことができました」と、終了後に進行の職員の方もねぎらってくれたほど。
 玄関まで送ってくれた担当のHさんが、「実は私も泣いてしまいました」と、そっと打ち明ける。 「ひょっとして"瀬戸の花嫁"ですか?」と問うと、そうです、なぜか自然に涙が流れました、と言う。ライブ中も会場からそんな気配をあちこちで感じていて、この歌では先月の施設に続き、連続の涙ということになる。

 最近、以前は出ていなかった声が出せるようになった自分を感じる。うまく言えないが、高い低いではなく、「響く」イメージである。それが聴き手の涙とリンクしているような気がする。
 問題はその正体が何であるか、まだ自分でもはっきりしないこと。持続して出せるか否かは、もうしばらく様子を見なくてはならない。