クオーレ山の手・七夕コンサート /2011.8.13
市内西区の有料老人ホームにて訪問ライブを実施。この日も札幌は30度を突破し、暑い中で準備したが、つい最近始めたばかりのツイッターの管理に熱中する余り、ふと気づくと出発時間が迫っていた。
休暇で家にいた妻にそうめんをゆでてもらい、5分で流し込む。麺類とはいえ、いくらなんでも早すぎるが、とにかく時間がない。箸を置くや、ただちに機材を積んで出発した。
妻を誘ったが、日々の疲れが蓄積しているようで、暑いさなかに出かけたくないという。まあ、そうでしょう。「妻から完全自立した弾き語り活動」を心がけているので、ストイックに一人で出発。
今回も依頼はネット経由で、先方はライブレポや音源で私の情報を事前に得ている。いまやネットは安定した依頼ルートである。本当は8/7に依頼されていたが、スケジュールの都合で1週間延ばしていただいた。
初めての施設だったが、他のライブ等でよく行く地域なので、下調べはグーグルマップでやっただけ。迷わず30分で着いた。すぐに機材をセットし、ちょっとだけマイクテスト。予定より5分遅れてライブは始まった。
実はここ数日、いまひとつ喉の調子が上がらなかった。身体的な問題より、このところ続けて不本意なライブが続いたことによる、気分の問題だったかもしれない。
室内がやや暑く、出掛けの慌ただしさもあって、不安を抱えた中でのスタートになったが、いざ初めてみるとなぜか気分は一気に乗った。ステージとなったホールの音響が抜群で、いわゆる「音の返り」が心地よいのだ。厨房に隣接していないので、後片付け等のノイズが一切ない。施設系にしては、非常に恵まれた場だった。
施設側の方針で聴き手は自由参加だったせいか、20名強。しかし、音楽好きな方が集まったようで、1曲目から一緒に歌ってくれる方が多数いた。歌いながら強い一体感を感じ、相乗的に歌はますます乗った。
この日歌ったのは順に以下の10曲。
「高校三年生」
「バラが咲いた」
「お富さん」
「ここに幸あり」
「真珠貝の歌」
「宗谷岬」
「瀬戸の花嫁」
「浜辺の歌」
「二人は若い」
「上を向いて歩こう」
〜アンコール
「丘を越えて」
このところ2度続けて「外れ」が続いているので、冒険はせず、実績のある曲を並べた。嗜好がいまひとつつかめず、しっとり系とニギヤカ系を取り混ぜたが、始めてみるとしっとり系を好む傾向にあり、やや反応の弱かった「お富さん」と「真珠貝の歌」は短めに切り上げた。
真夏の訪問ライブ自体が非常に珍しいので選曲には苦心したが、「真珠貝の歌」から「浜辺の歌」までをいろいろなタイプの海の歌で構成し、全体の中で小さな山を作ってみたが、これは当たった。
どのような場でも、季節感や構成の起承転結は非常に大切だと思うので、そこには常にこだわりたい。
予定通り30分で終えたが、誰一人席をたとうとしない。機材をさっさと撤収する雰囲気ではなく、職員の方も遠慮がちに会場を見回すだけなので、「どうしましょうか?」とこちらから声をかけると、期せずして「もっと聴きたい」「アンコール!」との声。
施設系ライブでアンコールは久しぶりだったが、ありがたく「丘を越えて」を歌い納めとした。
ライブ中も会場からは「いい声だ」「上手だね」とささやく声が耳に入っていたが、ずっと一緒に歌ってくれていた車椅子の女性が終了後近寄ってきて、直にお礼を言ってくれたうえ、「ぜひ握手を」と手を差し出された。これまたあまり例のないこと。
この日は本当に会心の出来で、「暑さを吹き飛ばしてくれる素晴らしい歌唱で、得難い時間を共に過ごすことができました」と、終了後に進行の職員の方もねぎらってくれたほど。
玄関まで送ってくれた担当のHさんが、「実は私も泣いてしまいました」と、そっと打ち明ける。 「ひょっとして"瀬戸の花嫁"ですか?」と問うと、そうです、なぜか自然に涙が流れました、と言う。ライブ中も会場からそんな気配をあちこちで感じていて、この歌では先月の施設に続き、連続の涙ということになる。
最近、以前は出ていなかった声が出せるようになった自分を感じる。うまく言えないが、高い低いではなく、「響く」イメージである。それが聴き手の涙とリンクしているような気がする。
問題はその正体が何であるか、まだ自分でもはっきりしないこと。持続して出せるか否かは、もうしばらく様子を見なくてはならない。