訪問ライブ顛末記


ホームのどか・夏祭り /2010.8.7



 近隣のグループホームでの夏祭りライブが終了。天気予報では午後から雨で、蒸し暑く、空はいまにも雨が降り出しそうな曇天。午前中からすでに雨がパラついていた。
 雨天時は屋内でやると決まっていたので、早めの1時前に先方に着いたが、不思議なことにライブの始まる1時半ころになると空は晴れ、薄日までさしてきた。出かける直前にアメダスで調べて見ると、会場となる北区だけがすっぽりと雨雲が抜けている。まるで奇跡だ。

 これまで何度も屋外のライブを経験しているが、なぜか一度も雨に降られたことがない。当日が雨だったことは何度かあるが、今日のように私の出番のときだけカラリと晴れてしまうという経験が、今日を含めて3度もあった。若い頃は完全なる「雨男」だったが、最近はすっかり「晴れ男」に変貌。年を重ねて、欲がすっかり抜け落ちたせいか。

 予定より少し早めにマイクテストをかね、1曲歌う。当初の予想より近隣町内会からの参加が少なく、聴き手の多くはいつもと変わらない職員や入居者、そしてその家族という構成だった。
 このホームでの夏祭り自体が2年ぶり。引っ越してから地域住民を交えての夏祭りも初めてである。私自身も夏祭りでのステージが2年ぶりだった。いろいろと不確定要素が多いので、まずは歌ってみて聴き手の反応をうかがう。場が読めないときのいつもの手段である。

 いつも書いているが、お祭り系の場は苦手である。基本的に聴き手の気持ちは食べ物や飲物、他のイベント等に向かっていて、音楽は場をもり立てる脇役でしかない。本来ならMCなどをうまく使って、その聴き手のウキウキ気分に自分の歌も乗せてゆくのがよいのだろう。しかし、最近の私の歌は「叙情系」を旨としているし、元来の口下手が災いし、MCはまるでヘタクソである。
 しかし、いまさら背伸びもできず、いつものようにMCは曲紹介程度にとどめ、淡々と予定曲を歌った。今日のセットリストは以下の通り。


 〜マイクテスト
「崖の上のポニョ」


「カントリー・ロード」
「憧れのハワイ航路」
「赤い花白い花」
「上を向いて歩こう」
「二人は若い」
「フニクリフニクラ」
「瀬戸の花嫁」
「宗谷岬」
「のどか小唄」(オリジナル)


 予定ぴったり2時に終わらせたが、自己採点すれば40点くらい。つまり、完全な落第点である。これといったミスはなく、それなりに手拍子もいただいたが、研ぎすまされたような聴き手の反応を得ることは最後までできず、生煮えの印象。初披露の「フニクリフニクラ」の手応えもいまひとつで、急きょ1番だけで打ち切った。この種のお祭り系ライブで60点以上をクリアするのは、私に取って至難の業だ。
 本来なら苦手な場は断るべきなのだろうが、いろいろな事情で、そうもいかない場合もある。趣味、ボランティアとはいえ、いつも好きな場で好きなように歌っているわけにはいかない。それが世の中だ。

 DIYで改良したミニアンプスタンドを初めて立って使ったが、高さを口あたりに合わせたので、自分の声とギターが聞き取りやすかった。座っても立っても充分使えることが判明。今日の唯一の収穫かもしれない。

 帰り際、ホーム長さんから手作りの料理やお菓子、飲物など、たくさんいただく。(こんなにいただいていいのでしょうか?)というのが、今日の正直な気持ちだった。
 家に着いたとたん、雨がパラつきだし、夕方にはどしゃ降りになった。この日は月遅れの七夕で、町内子供会の屋外行事が予定されていたが、屋内に変更になったらしい。祭りも雨には勝てない。


 

東苗穂病院・誕生会 /2010.9.9



 春に歌わせていただいた老健施設の責任者、Tさんから連絡があり、関連施設である病院の長期入院病棟で歌っていただけないか、と頼まれた。あいにく希望日は平日で、平日のライブは原則として受けていない。しかし、「ぜひに」との強い希望で、場所が自宅から車で10数分、時間も30分程度ということで、急な仕事の呼び出しにも充分対応可能である。ちょっと迷ったが、ありがたくお受けすることにした。

 前日まで急ぎの仕事が入っていたが、早めに仕上げてこの日はフリー。新しくしたPAでの音合わせとパッキングを早めに済ませ、出る直前に再度メールをチェックすると、新規の仕事がまた入っている。ライブ中に携帯が鳴っては困るので、すぐに返信を済ませた。自由業の身にとって、平日のライブはやはり綱渡りである。

 Tさんの案内で隣接する病院のロビーのような場所に入った。入院患者の年齢層は幅広いと事前に聞いていたが、実際には大半が70-80代の高齢者で、介護度の重い方も多く、ほとんど意識のない車椅子ベットの方も数人いた。当初の予定ではフォークも歌う予定でいたが、これでは無理である。どうやって構成をやり繰りすべきか、機材をセットしつつ、頭の中で忙しく考えを巡らせた。
 もうひとつ困ったのが、ステージの位置で、会場が狭いL字形になっていて、その角の部分に誕生月の患者さんが数人。他の患者や家族がその前の椅子に陣取っていて、空いている場所がもうひとつの空間しかなく、結果として多くの聴き手を真横に見ながら歌う変則的な位置にステージを設営した。
 聴き手を真横に見て歌ったライブは記憶がない。しかし、廊下からの出入りに邪魔にならない場所となると、ここしかない。過去には台所の中に入って歌ったこともある。声さえ届けば、場所はどこだっていいのだ。

 ほぼ予定通り、午後2時15分からライブ開始。この日は新しくしたPAを初めて実戦で使う日で、機材の設定にいろいろ戸惑った。音だしのテスト段階で、なぜかハウリングを起こしてしまう。あわててボリュームを絞ったが、どうもしっくりこない。とりあえず1曲目を歌ったが、ミキサーのメインボリュームがいつもよりずれていたことに歌い終えてから気づいた。2曲目の前に、あわてて再調整する。
 病院の責任者の方に確認すると、聞いていた話と違って歌は5-6曲でよいと言う。実は最初の挨拶では、「それでは1曲お願いします」と紹介された。思わず「1曲だけでよろしいですか?」と真顔で確認したほど。ステージの位置決定といい、仲介者であるTさんと現場との意思疎通が充分ではなかった感じだ。

 始まる直前まで迷ったが、結果としてこの日歌ったのは、以下の8曲。


「上を向いて歩こう」
「浜辺の歌」
「おかあさん」
「埴生の宿」
「高校三年生」
 〜秋の童謡メドレー
「夕焼け小焼け」「紅 葉」「赤とんぼ」


 いろいろ手間取った割に、1曲目から調子よく手拍子をいただいた。聴き手は患者とその家族、職員を含めておよそ20名ほど。新しいPAは2曲目からほぼ調子をつかんだが、スピーカーの位置を会場の都合でマイクよりもやや前にしたので、モニターがしずらかった。しかし、会場が非常に狭かったので、大きな問題ではない。
 いつものように、余分なMCなしでトントンと歌い継いだが、「埴生の宿」で患者の一人がゼイゼイと喘ぐ声が耳に入ってきた。職員があわただしく対応していたが、まあ、病院なのでこれくらいのハプビングはよくある。あわてず騒がず、淡々と進めた。

 途中から音を聞きつけた患者があちこちから集まってきて、立ったまま聴いている。4曲目終了後に責任者の方に時間を確認すると、「あと10分で終わってください」とのこと。素早く楽譜をめくり、ストローク系の「高校三年生」をまず歌い、最後に秋にちなんだ童謡を3曲メドレーで歌って、時間ぴったりに終わらせた。
 結局当初よりも短めの20分で8曲を歌ったが、聴き手が入院患者なので、無理はできない。短いが、濃密なステージである。

 歌い終わると、高齢の女性患者の一人が、涙をボロボロこぼしている。一瞬何事かと思ったが、職員の方が、「歌で感激して泣いているんです」という。場所が陰になっていて気づかなかったが、どうやら童謡メドレーで泣いたらしい。
 歌っている途中に、ピンと張りつめた場の空気を確かに感じてはいたが、そういうことだった。

「いつもは疳の強い患者さんなんですが、まさか歌で泣くとは…」と、あとでTさんが驚いていた。菊地さんの声には、人の心を揺さぶる何かがある、とも言ってくれた。「童謡メドレー」では、ギター伴奏や声のテンポを詩の内容に応じて自在に変えたり、強弱の微妙な使い分けをしたりなど、かなりの工夫をこらした。最近歌い始めたシャンソンや歌曲の歌唱法が随分参考になっていて、それは歌の裏に潜む世界を、ひっそりと聴き手の心に届けるための重要な手段になっている。
 ライブで目指すものは人によってさまざまだと思うが、今年になって「聴き手が歌で泣く」という事態が頻発している。このところずっと心掛けている叙情的な世界を突き詰めてゆくと、結局はここにたどり着くような気がする。

「イェーイ!一緒に楽しもうぜぃ!」というモリアガリ系の歌唱も時には悪くないが、しょせん私の柄ではない。どうやら「しっとりヒーリング癒し系」が、今後も私が目指すべき道のようだ。


 

北区社会福祉協議会 敬老演芸の集い/2010.9.18



 前月歌った近隣地区センターでの「ミニミニ演芸会」終了後、一人の女性が近寄ってきて、「素晴らしい歌でした。特に『さくら貝の歌』が良かったです」と声をかけて下さった。
 私は区社会福祉協議会に所属していて、来月同じ場所で敬老の集いをやる予定がある。ついては、ラストに全員で歌う曲の歌と伴奏を壇上でやっていただけないか、と打診された。
 9月はすでに3本のライブ予定が入っていて、自称ツキイチ還暦シンガーとしては、ちょっときつい。実は札幌市の社会福祉協議会には名前だけだが、登録してある。ボランティア保険登録時に担当の方に勧められたものだが、そんな経緯からして断りにくい。
 そもそも「あなたの歌をぜひに」とは、歌い手にとっての殺し文句である。聴き手が手慣れた高齢者、歌は多くて3-4曲ということなので、ありがたくお受けした。

 先方の希望する曲は「青い山脈」と「世界の国からこんにちは」の2曲で、壇上で私がリードしながらそれをマイク前で歌う。全員参加のシングアウトのまとめ役のようなもので、「世界の国からこんにちは」は一度も歌ったことがなかったが、何とかやれそうだった。
 その後、責任者のMさんから再度連絡があり、出演者に欠員が出たので、予定にはない中間の時間帯でも歌って欲しいと頼まれた。出演時間は5-10分で、曲数は時間に応じてその場で調整して欲しい、という注文。施設訪問系の曲を多めに用意し、当日に備えた。
 時間的に分断された二度の短いステージを効率よくこなし、なおかつ前回同じ場所である方に指摘されたボーカルとギターの音の分離問題を解決するため、普段はあまり使わないモーリスのギターを整えたり、マイクスタンドと譜面台を一体化するユニットを自作したりと、さまざまな工夫をこらす。

 当日の開演は午後1時で、場所は同じ地区センターの体育室。事前に送られてきたプログラムを見ると、出演者の持ち時間は入替えを含めて5分が大半。かなりあわただしくなりそうな予感がした。
 開演前にスタッフの方と機材に関する細かい打合せをし、ほぼ1時ぴったりに始まった。公的施設の場合、時間には非常に厳密で好感がもてる。要は主催者側のヤル気だ。
 この日の会場には前回より多い180席分の椅子が並んでいたが、開演前にはほぼ満席。4人の来賓等の挨拶ののち、地元中学校のブラスバンドからパフォーマンスは始まった。

 私の出演順は欠員の出た部分の穴埋めで、9番目である。ブラスバンド、フラダンス、カラオケ、日本舞踊、南京玉スダレ、コミック舞踊など、多彩で達者なパフォーマンスが続く。

 5分ほど遅れたが、やがて私の出番がきた。出演者毎に幕が閉じられるので、わずかな時間の間にすばやく機材をセット。ギターはエレアコではないので、音を直接拾うための専用マイクを用意してもらい、ボーカルとギターの音を分離せず、同時に大型スピーカーから出すようにした。
 幕が開くまでの時間、マイクテストをかねてギターの音だけを軽く出した。ちょっとした演出で、そのまま幕が開いて歌が始まる。最初のステージは以下の通りである。


 〜秋の童謡メドレー
「夕焼け小焼け」「紅 葉」「赤とんぼ」
 〜アンコール
「二人は若い」


「秋の童謡メドレー」は先日の病院訪問ライブで一部の患者さんの涙腺を絞った構成と同じ。事前の打合せで何となく決まった選曲だったが、いざ歌い始めてみると、場の反応がいまひとつで戸惑った。
 理由はいくつか考えられるが、開演後休憩なしで1時間半近くが過ぎ、聴き手に飽きと疲れがあったこと。予想外に男性の聴き手が多く、「童謡」という切り口に潜在的な抵抗があったかもしれないこと。さらには、窓のブラインドが完全に開放されていて場内が明るく、シンミリ系の歌を聴くには、やや気分が散逸しやすい条件だったこと、などである。

 歌い始めてから(しまった、「手拍子メドレー」にすればよかったかも…)などと一瞬後悔したが、すでに遅い。歌い進むうち、「紅葉」で場が少し落ち着き始め、ラストの「赤とんぼ」で一気に集中してくる気配を感じた。前回も感じたが、「赤とんぼ」には日本人の琴線を揺さぶる何かがある。
 この日の自宅リハで、「赤とんぼ」のラストに「ルルル…」とスキャットを入れてF.O.で締めくくる歌い方を思いついたが、場の空気次第では普通に終わるつもりでいた。しかし、反応がよいので、咄嗟にアドリブで入れた。心のこだまのように静かな余韻の残る終わり方に結果としてなったと思う。

 最初の出演に関し、(もしかすると、時間調整で多めに歌ってもらうかもしれない)と言われていたが、特に要請がなかったので、予定通り一礼して下がろうとすると、控えていたスタッフが手で(戻れ)と合図をしている。同時に総合司会の方からも「アンコール」の声が。
 舞台袖を見ると、次の出演者である総勢12名による日本舞踊のスタンバイができていない。(あとで聞くと、全員の衣装準備が間に合わなかったらしい)なるほどと納得し、予め用意してあった「二人は若い」を無難に歌う。普段はあまりしないが、この日は珍しく、「よろしければ手拍子をご一緒にどうぞ」と事前にアピールした。

 その後、落語家の林家とんでん平師匠の落語が40分ほどあり、すべてのパフォーマンスが終了した。最後に再度私がステージに上がり、「青い山脈」と「世界の国からこんにちは」をシングアウトとして歌う。この種のシングアウトは過去にも幾度か試みているが、うまくいった覚えがあまりない。
 今回は伴奏を短く事前に弾いて歌い出しの箇所を聴き手に合図し、キーも下げてテンポもかなり落とすなど、歌いやすくするよう心がけた。直前の落語でとんでん平師匠が場を充分に和らげてくれたこともあって、多くの方が一緒に歌ってくれた。
「世界の国からこんにちは」のラストでは、咄嗟に「もう一回!」と声をかけ、フレーズを繰り返してギタートレモロで終わる。珍しく「成功」と評価していいシングアウトだった。とんでん平師匠の巧みな場のさばきが、少しばかり参考になったかもしれない。やっぱりプロはちがうな、と感心されられた。

 この日は他のパフォーマンスのかねあいもあり、ブラスバンド以外はすべて背景の幕を閉じて行われたが、なぜか歌っていて音の返りが非常によく、気持ちよく歌えた。あとでPA担当のSさんに確かめたが、ボリューム調整以外は前回と何も変えていないという。推測だが、ギターをモーリスに換え、音をすべて大型スピーカー経由で出したことがよかったのかもしれない。
 音作りは実にデリケートで難解だが、今後同じ会場でのやり方にひとつの方向性を見つけた感じだ。

 帰宅後、ちょっと疲れてボーとしていると、夜になって担当のMさんから電話があり、場を上手に盛り上げていただいて、ありがとうございます、とねぎらわれた。
 前回のステージを見たMさんの推薦がなければ実現しなかった演奏だったが、他のスタッフにも好評だったそうで、どうにか期待に応えた模様。次のステージの話も話題になったが、多くを望まず、粛々と日々の練習に励むことにしよう。


 

ベストライフ清田・敬老会 /2010.9.19



 わずか10日間で4本という、私にしては実にハードなライブスケジュールを、この日の介護施設訪問ライブでようやく乗り切った。
 前日の練習は軽めにしたが、朝起きると身体がやや重い。前日のライブで他方面に気を配ったせいか、予想以上にダメージがあるらしい。しかし、長いおつきあいと義理のある方からの依頼なので、万難を排して対応しなくては。人間、義理を忘れてはいけない。

 出かける前に軽めのリハをしたが、さすがに声が少しかすれた。しかし、歌い進むとだんだん調子が出てきた。これなら何とかやれそうだ。
 片道1時間近くかかる遠方なので、いつもより余裕をみて出発。開始は午後2時だが、15分前には先方に着き、実戦2度目となる譜面台付マイクスタンドと、こちらも2度目となるローランドの新しいPAをまず組立てる。

 この日は敬老会で、施設のイベントがまずあり、午後2時20分あたりからライブは始まった。最初に「上を向いて歩こう」を歌ったが、PAの感覚がこれまでとは全然違い、抜群に歌いやすい。スタンドをつけて真横に置いたこと、そして何より、出力に充分な余裕があるせいだろう。
 この施設は大人しい方々が多いが、珍しく出だしから自然発生的な手拍子をいただいた。以降、トントンとライブは進み、35分で以下の12曲を歌った。喉は尻上がりに調子がよくなり、開始前の不安を吹き飛ばしてくれた。
 この日歌ったのは、以下の12曲。


「上を向いて歩こう」
「旅愁」
「サン・トワ・マミー」
「赤い花白い花」
「高原列車は行く」
「女ひとり」
 〜秋の童謡メドレー
「夕焼け小焼け」
「紅 葉」
「赤とんぼ」

「恋のしずく」
「時計台の鐘」
「いい日旅立ち」


 多いときは年に2度も呼んでくれる場なので、前回(昨年11月)と同じ曲の重複は避けた。定番曲を外すと構成が難しくなるが、この日は普段あまり歌わない「サン・トワ・マミー」「女ひとり」「恋のしずく」をセットに入れて対処。恋愛系のやや難しい曲ばかりで、かなりの冒険だったが、「女ひとり」はいい反応で、一緒に歌ってくれる方が数人いて驚いた。
 対して、春に別の老健施設で歌って好評だった「恋のしずく」は、この日唯一外した曲。好きな曲だが、受ける受けないとは別問題だ。
 実は直前に歌った「童謡メドレー」の反応が抜群によく、「赤とんぼ」を歌い終えると、場内からため息まじりの歓声が漏れるほど。つまり、次の曲をすっかり「食って」しまった形で、歌う順番が悪かった可能性もなくはない。

 それにしても、「赤とんぼ」がどうしてこうも受けるのか?これまでほとんど歌ってなかったが、いまや私の「決め歌」に成長である。推測だが、「赤とんぼ」には日本人の心の深い部分に訴えかける何かがあるのだと思う。その証拠に、「秋の童謡メドレー」と称し、同じ内容を短期間に別々の3カ所で歌ったが、どの場でも同じような強い反応があった。
 もうひとつの理由として、歌唱法の工夫が考えられる。昨年から歌い始めたシャンソンの影響から、いろいろな歌でメロディやテンポを自在に変えて歌う手法を、最近は全ての曲で取り入れている。これといったルールはないが、主に歌詞の発する魂(言霊)に従った直感的もので、完全な自己流だ。しかし、これが聴き手の心に予想以上に届いてる気がする。
 どんなことでも同じだが、「これでよし」と思った時点で成長は止まる。肝心なのは飽くなき向上心である。

 聴き手と同じ床面で初めて試した「譜面台付マイクスタンド」は、迷わず真正面に置いたが、相変わらずキビキビと使える。もはや手放せない。
 この日気になったのはDIYで作った木製の譜面台ユニットで、写真でも分かるように、色と形が妙に浮いた印象である。さらなる改良の必要に迫られた。
 人間の欲にはキリがないが、ひとつスッキリさせると、別の何かがまた気になってくる。まあ、そうやってチェックし続けないと、歌も構成も機材も何ら進歩がなく、私にすれば活動を続ける意味がない。


 

北区社福協・年忘れ交流会 /2010.11.28



 9月の敬老会で歌った区の社会福祉協議会地区代表の女性から電話があり、月末の年忘れ交流会でまた歌っていただけないか、と打診された。その方の自宅を地域の高齢者に開放し、ゲームや食事などで楽しむのだそうで、例年30名ほど集まるという。よほど大きなお宅とみえる。
 私の自宅でもたまにライブをやるが、あくまで楽しみの範囲だし、人数も最大で20名が限度。経費を切り詰めるために自宅を会場にするらしい。単なる義務感だけではとてもできないことで、その志に頭が下がる。

 月末の同じ日には別のライブハウスでも歌う予定があったが、幸いに実施時間は大きく離れていた。買っていただいているのだし、歌い手は呼ばれるうちが華。万難を排して行くべきと、すぐにお受けした。

 お昼の12時くらいに来て欲しいと頼まれていたので、早めに起きて調整を重ね、15分前に出発。買物などによく行く地域なので、簡単に探し出せると思っていたが、10分ほど迷った。
 食事がちょうど終わったところで、聴き手の準備は整っている。ただちに機材をセットし、12時25分からライブ開始。一般住宅なのでPAをどうすべきか迷ったが、パワーは小さいが電池駆動で機動性の高いヤマハVA-10を選択。結果的に程よくおさまってくれて、正解だった。

 聴き手は地域の高齢者35名ほどで、広い居間と和室をぶち抜いた大空間が人で一杯。大半が床に座っているので、聴き手の視線に近づけるようこの日は椅子を用意していただき、この種の場では珍しく座って歌った。
 予期せぬリクエストが乱れ飛び、当初の予定が大幅に変更になったが、この日歌った曲は以下の通り。


「上を向いて歩こう」
「高校三年生」
「赤い花白い花」
「星影のワルツ」
「二人は若い」
「真室川音頭」
「浜辺の歌」
「丘を越えて」
「お富さん」
「憧れのハワイ航路」
「白いブランコ」
「函館の女」
「ソーラン節」


 1曲目の「上を向いて歩こう」から調子良く手拍子をいただいたが、途中で突然代表のMさんが立ち上がり、曲に合わせて手話を始めた。以前に落語家の林家とんでん平さんが「どんぐりころころ」を手話で歌っているのを見たことがあるが、この曲では初めて見る。
 これがなかなか素晴らしく、終了後のMCで確認するとアドリブではなく、以前から習って知っているそう。事前に打ち合わせた訳でなく、ただの偶然だが、いかにも社会福祉協議会主催らしい幕開けになった。

 その後3曲歌ったところで、Mさんから「何かみなさんで歌えるものを…」と印刷した歌集が会場に配布された。その存在は前日の電話で聞いていたので、予定曲の順をいったん棚上げし、中にあった「二人は若い」をひとまず歌う。
 場の空気が次第に手拍子ニギヤカ系になり、その後散発的にリクエストが飛び出し始め、応えられるものは順に歌っていった。

 最終的に40分で13曲歌ったが、結果としてリクエストで歌った曲が7曲もあり、用意していった主に叙情系の曲は、大半が歌わずじまい。途中で「みなさん、手拍子の連続でお疲れでしょう」と、やや強引に「浜辺の歌」を歌った程度。
 これほどまでにリクエストに応えた記憶はかってなく、それも場の流れに身を任せたせいだが、みなさん大変喜んでくださったので、よしとすべきであろう。持参したハーモニカも結局使えなかったが、「真室川音頭」で使ったフットタンバリンはなかなかよい感じで、今後確実に使えるメドが立った。

 リクエストで戸惑ったのは、「ビリーバンバンの曲を何か」と、見るからに若そうな方から頼まれたこと。弾き語りでは一度も歌ったことがなく、介護関連施設では普通リクエストが出ない曲である。
 譜面はもちろんなかったが、実は20歳のときに姉の結婚式で「白いブランコ」をアカペラで歌ったことがある。40年前の細い記憶をたぐって歌い始めたが、「日暮れはいつも〜」というサビの部分が一瞬思い出せず、助けを求めるように横にいたMさんを見たら、ハミングで教えてくれた。Mさんは私よりも年上だが、高校時代は合唱部だったそう。さすがによく覚えている。
 1番だけを何とか歌い終えたが、叙情系の曲でもあって出来自体は決して悪くなく、とても喜んでいただいた。

 残念ながら応えられなかったリクエストは、「青い背広で」(あまり知らない曲)「東京ドドンパ娘」(譜面の持参がなく、歌詞もうろ覚えなので断念)の2曲。
「突発リクエスト」「ニギヤカ手拍子系」など、傾向としては苦手な部類の場だったが、幸いにショウガ湯で調整した喉の調子はピークに近く、うまくさばけたと自己評価している。

 数日経ってから、代表のMさんから電話があり、「みなさん、生の弾き語りを目の前で聴けて、大変喜んでいました。『またぜひ同じような場を設けて欲しい』とのことです」と伝えられた。
 正直に書けば、事前に私のイメージした内容とはかけ離れたライブだったが、それでも聴き手の評価は高かったらしい。歌い手の満足感と聴き手のそれとは、必ずしも一致しない。ここがライブの難しさであり、奥の深さだ。

「次回は歌える曲のリストを私から出すなり、みなさまのリクエストを事前にいただくなりしませんか」と私から提案しておいた。常に進化し続けるのが活動のモットーなのだから。


 

ホームあじさい・クリスマス会 /2010.12.22



「ホームページで見ました」と、見知らぬ方から電話があったのが、およそ1ヶ月前のこと。グループホーム職員の方で、平日だがクリスマス会で歌っていただけないか、との打診だった。実はホームページには、「活動日は土日祝の午後のみ」と明記している。しかし、近隣地区で業務に支障がないと予想される場合、例外的にお受けすることも過去にはあった。
 先方の希望時間は午後1時40分開始で、場所は実家近くのよく知っている地区。普通の交通事情なら30分ほどで着く距離で、ちょっと迷ったが、年末は緊急の業務は稀ということもあって、結局お受けした。

 初めての場には事前に調査にうかがうこともかってはあったが、最近はおよその様子を電話で担当者に確認するだけで済ませている。丸6年途切れることなく活動してきたので、このあたりの要領は概ねつかんだ。
 駐車場の位置、歌うスペースやコンセントの確認のほか、年齢層や聴き手の好みも電話で確かめたが、「しっとり系よりはニギヤカ系を好みます」との情報で、それに応じた構成で臨んだ。

 当日、幸いに緊急の仕事は入らず、普通に準備して12時50分に家を出た。この日はフットタンバリンを使う予定だったが、いつも使う移動用の段ボール箱には余裕がなく、入らない。バックをもうひとつ増やそうかと悩んだが、段ボール箱をしばる紐にくくりつければよいことに直前で気づく。機材はなるべく少ないのが望ましいのだ。

 時期外れの暖気で雪はかなり解けていて、35分ほどで現地に着く。土地勘のある場所なので、迷わずに一発で見つかった。施設はビルの3階にあり、機材搬入に手間取ったが、開始予定5分前にはスタンバイ。予定きっちりにライブは始まった。
 初めての場は嗜好がつかみきれないので構成が難しく、リスクの多い初披露の曲や外国の曲は極力避けた。この日歌ったのは結果として以下の12曲。


「ジングルベル」
「函館の女」
「青い山脈」
「故郷」
「夕焼け小焼け」
「丘を越えて」
「ソーラン節」
「高校三年生」
「二人は若い」
「ここに幸あり」
「真室川音頭」
「上を向いて歩こう」


 予定通り、1曲目にフットタンバリンを使った効果か、いきなり手拍子をいただいた。幸先の良い出だしで、以降、手拍子の連発。一気に場をつかんだ印象である。
 聴き手は入居者と職員をあわせて15名ほどだが、どの顔も喜色満面で、かってないほどのいいノリである。「函館の女」「青い山脈」では、間奏にまで拍手歓声があがるほど。間奏の途中で思わず「ありがとうございます!」と、曲間MCで応じてしまった。
 この「曲間にMCをアドリブで入れる」という技は長い間やろうと思いつつ、できなかったものだが、最近になってようやく自然にやれるようになった。場を盛り上げるには非常に効果的で、これまた長い経験のたまものである。

 あまりにノリが良過ぎ、最後まで聴き手の元気が持つかどうか不安になってきた。そこで予定を少し早め、じっくりしんみり聴いてもらえる唱歌童謡を2曲続けて歌う。しかしここでも一緒に歌ったり、軽い手拍子が入ったりし、強いノリノリ気分は衰えを見せない。前列に座っていた介護度の強い方々も、唱歌童謡になると生き生きと目が輝きだす。唱歌童謡には日本人の魂に訴えかける強い力があると再認識した。
 5曲歌い終えたところで心配になり、「みなさん、ずっとこの調子で大丈夫ですか?」と思わず問いかけた。職員の方からは結論が出ず、入居者の方々からは「いけるところまで歌って!」と、元気のよい反応。こうなればとことん突っ走ってみるかと、以降も同じ調子で歌い継いだ。

 その後4曲をにぎやかに歌ったが、「二人は若い」あたりから、歌い終えた後の拍手に少し勢いがなくなったのを察知した。時計を見ると、開始からすでに30分近い。しかし、「二人は若い」では、「あな〜た」の問いかけに「な〜んだい」と、複数の入居者の方から反応があったから、熱い反応がずっと続いていたことは間違いない。
(この歌に事前の打合せなしにアドリブで反応があったのは、初めての経験)

 とはいいつつ、平均80代という方々に疲れがあるのは明らかだったので、休憩の意味をこめ、急きょ叙情系の「ここに幸あり」を歌う。歌い終えると職員のKさんが近寄ってきて、(あと2曲くらいで打ち切ってください)と小声でささやいた。場の空気を読んだ適切な判断だった。
 そこでラスト2曲を選び、歌い納めとする。「真室川音頭」では再びフットタンバリンを使い、当初からラストにと決めていた「上を向いて歩こう」では、いつもより短めに歌詞を詰めて歌った。「あと2曲で終わりです」と事前に宣言したので、場の元気は復活していた。

 終了後、「よかったね〜」「全部知っている歌だったね〜」と、多くの方が口々に語り合い、喜んでいる。最後まで喜色満面で拍手していた方が、終了後になぜか涙を流している。
「なんだか涙が流れるねぇ〜」と、本人も自分の涙の訳が分かっていない。後半に泣くような歌は特になかったはずで、もしかすると高揚感によるうれし涙に近いものだったかもしれない。

 どんなライブでも反省点はあって、反省なくして前進はない。2曲目の「函館の女」で、2番の出だし最高音部で声が少し裏返ってしまった。喉の調子が100%ではなかったことが原因だが、キーをひとつ下げるなり、リスクのある曲は喉がなじんでくる後半で歌うなりすべきだった。
 マイクスタンド兼用の譜面台ホルダは、改良型を使ったのはこの日が初めてだったが、ほぼ問題なくやれた。心配していた譜面交換時のノイズも気にならず、足元がスッキリして設置撤収が素早くできる。

 フットタンバリンを立って使うのは初めてだったが、「ジングルベル」ではラスト近くでタンバリンが動いてしまい、位置修正で一部音が途切れた。「真室川音頭」では修正したので、今後の慣れが必要である。タンバリンのアピール度は期待通りで、今後とも使えるメドが立った。
 PAでの反省は、スピーカーの向きがやや内側過ぎたのが、あとで写真を見て分かった。自分はモニタしやすいが、聴き手の立場を考えて角度をもう少し聴き手側にし、自分のやや後ろに置いてモニタすべきだった。PAの性能がよいので大きな問題にはならなかったが、機材設置時間にやや余裕がなかったツケである。

 あれこれあったが、歌い手にとっては、拍手歓声も涙も強い賛辞だと私は思っている。この日はその両方を同時にいただいた。
 私は歌いながら泣いたことは過去に一度しかないが、(20数年前の自宅でのホームスティライブ)逆に聴き手に泣かれたことは、20代前半から数多い。今年は特にそれが多い気がする。普段の創意工夫や練習の積重ねがそうさせているのだとしたら、それに勝る喜びはない。