訪問ライブ顛末記


ベストライフ清田・2月誕生会 /2009.2.22



 過去に何度か歌わせていただいている有料老人ホームから、また招かれた。場所は札幌の南外れで、札幌の北外れに位置する我が家からは、相当の距離。冬道という悪条件もあるので、車でも最低1時間はかかる。
(一度招かれた施設には、地図に日時と所要時間をメモしてある)
 前日までにかなりの雪が降り、さらなる渋滞が予想されたが、午後1時に家を出て、ちょうど1時間後の午後2時に無事先方に着いた。

 この日は夜に全く違う主旨のライブがフォーク居酒屋であり、そちらにもエントリーしていた。「同じ日に二つの施設で続けてライブ」は、過去に2回経験しているが、「時間をずらして全く違う場で2つのライブ」は、一度も経験がない。喉の調子はともかく、気持ちの切換えがうまく運ぶか、かなりの不安があった。
「2月のお誕生会」がこの日のイベントの主旨で、前回の「母の日ライブ」のような曲目の要望は特にない。これまでの場の様子から、しっとりした歌が好まれることは分かっていたので、叙情系の春の歌を中心に全体を構成した。

 イベントは14時から始まったが、予定より少し長引き、私のライブが始まったのは14時30分。この日のプログラムは以下の通り。


「花」(瀧廉太郎)
「みかんの花咲く丘」
「北国の春」
「サン・トワ・マミー」
「仰げば尊し」
「おぼろ月夜」
「釜山港へ帰れ」
「宗谷岬」
「川の流れのように」
「真室川音頭」


 今回で3度目なので、会場にはなじみの顔が並んでいて、歌いやすい条件は整っていた。大きなミスなく、これまた予定通りの3時ちょうどにライブを終える。
 最初の依頼では、「30〜40分の構成で」と時間に含みがあり、2通りの構成を用意していたが、3時直前に施設長さんにお伺いをたてたところ、(3時終了ということで…)とのサインがあったので2曲を中止し、短めのセットで終了した。

「仰げば尊し」はタイミングとして、この時期にのみ歌う曲だが、会場から思いがけない強い反応があり、幾人かの方が涙ぐんで聴いてくださった。歌っている私があやうく流されそうになったが、きわどくこらえた。
「宗谷岬」は唱歌ではないが、一緒に口ずさんでくれる方が多数いて、驚いた。この歌は「北をテーマにした曲」ということもあり、あちこちで季節を問わず歌っているが、じわじわと自分のエース曲に育ちつつある。

「サン・トワ・マミー」「川の流れのように」は数年ぶりに歌ってみたが、どちらも反応はよかった。「川の流れのように」でも涙をぬぐっている方がいた。
「仰げば尊し」もそうだが、自分の生きてきた長い人生の道のりを振り返り、(いい人生だった…)としみじみと思い返す部分が歌詞にまずあり、それをメロディにのせて聴き手の心にそっと届けることが叶えば、必ず心を揺さぶるものと信じている。

 このライブでの反省を挙げるとするなら、少し場がしんみりしすぎてしまったことか。手拍子の出る曲が、結果として「真室川音頭」だけだった。「春」ばかりにこだわらず、もう少し元気のよい曲を混ぜてもよかったかもしれない。根が暗い人間なので、「明るくニギヤカに場をまとめる」というのが、元来苦手。難しいです。


 

ホームのどか・ひな祭 /2009.3.3



 平日だったが、この日は「ひな祭」という特異日。4年間の長いおつきあいのある近隣のグループホームで、30分ほど歌ってきた。自宅から車で5分ほどなので、仕事の連絡があったとしても、すぐに対応できる。数年前から平日の活動は一切してないが、このホームでのこの日だけは、唯一の例外である。
 介護施設でのイベントには、あるパターンがある。訪問ライブ関連に絞ると、「新年会」「ひな祭」「夏祭り」「敬老の日」「クリスマス」といったところ。このほか、散発的に「誕生会」があり、まれに「母の日」などがある。

「ひな祭」と「母の日」はあっても、「端午の節句」「父の日」はなぜかない。理由は明白で、入居者の8割前後が女性だからだ。
 女性がこれほど多い背景には、長寿であることのほか、介護施設での団体生活に素早く順応できるのは、たくましき女性、という図式もあるように思える。男の健やかな老後を阻むものは、男自身であるということか。

 雪もやみ、陽射しも暖かな春模様。そのせいか聴き手の気分も妙に高揚していて、1曲目の「うれしいひな祭り」から、はやくも手拍子が飛び出した。この曲、フツーは手拍子は出ないが、それだけみなさんが春を待ち望んでいるという証であろう。

 この日の出演は私だけで、聴き手も顔なじみの入居者の方々と数名のヘルパーさんのみ。極めて家族的な雰囲気のなかでライブは進んだ。プログラムは以下の通り。


「うれしいひな祭り」
「花」(瀧廉太郎)
「北国の春」
「真室川音頭」
「宗谷岬」
 〜童謡メドレー
「ちょうちょう」「チューリップ」「春よ来い」

「のどか小唄」(オリジナル)
「知床旅情」
「ああ人生に涙あり」
「丘を越えて」
「二人は若い」


 1曲目以降、3拍子で手拍子は極めて合わせにくい「みかんの花咲く丘」にまで手拍子が出るほどで、 (今日は叙情系の歌は無理)と即断し、予定していた「仰げば尊し」「川の流れのように」を急きょカットし、手拍子系の曲を連発した。
 全く予定になかった「ああ人生に涙あり」までつい歌ってしまったが、こんな日もある。無理に自分のペースに持ち込むことはせず、場の流れにまかせるときもある。

 この施設のために作ったオリジナル曲「のどか小唄」は、完全に場に定着したようだ。催促せずとも自然に手拍子がでるよう、「お座敷小唄」のリズムパターンをそっくり使うというシカケをしてある。(歌詞やメロディは全くの別物)
 最近では手拍子はもちろん、軽く口ずさんでくれる方さえいる。「施設でオリジナルはご法度」というタブーに果敢に挑戦してみたが、ひとまずは吉と出た。今後の方向性を示しているのかもしれない。


 

ベストライフ清田・11月誕生会 /2009.11.22



 徹夜続きの仕事に追われていたが、かなり以前から依頼されていた介護施設での訪問ライブがあり、いつもより少し早めに起き、ギリギリまで仕事を続ける。
  ライブは午後2時過ぎからだが、市内でもかなり遠方なので、車で1時間近くかかる。時計をながめつつ、12時過ぎからリハを始めた。ハーブティーやショウガ湯で調整したおかげで、喉の調子はまずまず。12時45分を過ぎて荷造りにかかり、軽い昼食を食べて1時過ぎに家を出た。

 ほぼ予定通り、2時少し前に先方に着く。すっかり顔なじみのホーム長さんが玄関前で待ち構えていて、顔を合わせるなり、
「菊地さんの還暦コンサート、実は始めから最後まで回廊の暗がりのなかで、ひっそりと見てたんです」と言う。

 一瞬なんのことかといぶかったが、事前に案内ハガキを出していたのを、すっかり忘れていた。声を全くかけてくれなかったのは、手ぶらでやってきたせいなのかもしれないが、
「歌い手にとって最大の贈り物は、ライブを聴きに足を運んでくれること」

 なのである。忙しいスケジュールを調整し、わざわざ見にきていただいたことがうれしく、ありがたかった。

  最初に誕生会のイベントが20分あり、14時20分からライブは始まったが、そんな事情から、徹夜続きの体調の悪さを充分にカバーするほど、気持ちは乗った。
 この日歌ったのは、以下の12曲。


「高校三年生」
「里の秋」
「ペチカ」
「丘を越えて」
「バラが咲いた」
「涙そうそう」
「おかあさん」
「蘇州夜曲」
「二人は若い」
「月の沙漠」
「知床旅情」
「りんごの木の下で」


 いつものように、MCは曲名紹介程度で、淡々と歌い継いだ。聴き手は職員の方々を含め、70名弱といったところ。
 隣接する厨房でかなりの作業音がし、曲調の静かな「里の秋」で、聴き手も歌い手もやや集中力を欠いた感じだった。体調が万全でないせいか、息が一部続かない歌詞もあったりした。
 ただ、「ペチカ」をシャンソン風にテンポを自在に変化させつつ歌い、これがいい感じに決まった。以降、よい流れでライブは進む。

 この日の課題は、「聴き手を力業で自分の側に引っぱりこむのではなく、聴き手の心に寄り添うように歌う」という、このところ取り組んでいるテーマを、介護施設でも確実にやってみること。勢い、選曲は多くがゆったりした叙情系の歌に集中した。
「明るく楽しくニギヤカに」というイメージからは遠のくが、今年の夏以降、この路線からはどんどん離れつつあり、還暦コンサート以降は完全に「寄り添い、忍び寄り系」のスタンスになっている。

 その方向性を確認するという意図があったが、聴き手の反応から察するに、最悪の体調ながらも、その目標はほぼ達成できたように思う。
 60歳という自分の年齢から考え、「叙情系」への流れは、ごく自然なものだろう。当面はその流れに身を任せてみる。

 叙情系、シャンソン系の両方のイメージを混ぜたような歌唱法で歌った、「バラが咲いた」は、特に強い反応があった。この歌の新境地を拓いたかもしれない。「聴き手の心の中に、小さなバラを咲かせたい」という主旨にも、ぴったりはまった。
 初披露の「蘇州夜曲」は直前まで歌うか否か迷ったが、妻の強い勧めで思い切って歌った。この日の流れに沿っていたこともあり、無理なく収まってくれた。この曲はどのような場でも歌える感じだ。

「月の沙漠」「りんごの木の下で」も初披露。どちらも当たった。「月の沙漠」は普通に歌うと暗くなりがちなので、「矢切の渡し」のイメージで歌曲風に朗々と歌った。この歌はたぶん私にむいている。
 時間の関係で、予定していたエース曲、「いい日旅立ち」が歌えずじまい。しかし、終了は予定ピタリの15時。何事も時間厳守は大事である。


 

ふぁみりあ・クリスマス会 /2009.12.24



 仕事に追われていた12月中旬、見知らぬ方から突然電話があって、事務所名で応対すると、「菊地さんのお宅ですか?ギター弾き語りの菊地さんではないですか?」と聞いてくる。
 何らかのライブ依頼だと直感したが、その後の話で、以前にある老人ホームで歌った際、職員として私の歌を聞いたことがあるという方だと分かった。いまは別の施設で働いているのだが、菊地さんの歌が忘れられないので、クリスマスにぜひ歌って欲しいとのこと。

「あなたの歌が忘れられない」というのは、プロであろうがアマであろうが、歌い手にとっての殺し文句であろう。数日前のライブハウス月例会で歌い納めのつもりでいたが、万難を排しても応ずるべきである。
 当日は平日だったが、昼休みを利用し、30分程度の時間という条件で、ありがたくお引き受けした。

 最近は平日の施設訪問ライブは原則として受けていないが、場所は自宅から車で5分ほどのところ。偶然だが、今年の夏に「森の七つの椅子」と題したインスタレーション型青空ライブを仕掛けた大規模公園の正門前である。ここなら、急な仕事の呼び出し等にも何とか対応できる。これも何かの縁だ。

 翌日の夜に再度連絡があり、曲目等の打合せをしたが、その中でリクエスト曲がいくつか出た。「青い山脈」「高原列車は行く」「知床旅情」などで、どれもレパートリーにあるので、容易に対応できる。
 他にもニギヤカ系の曲を打診されたので、「二人は若い」「ソーラン節」を提案した。事前に歌詞カードを準備するそうで、この種のイベント企画が初めてというその方は、かなりの張り切りようである。
 思惑が必ずしもうまく運ぶとは限らないのが、この種のイベントの難しさなのだが、意気込みはよく分かる。出来る限り協力しようと、準備を進めた。

 本番当日、うまい具合に仕事はすべて山を越し、進行中の物件も納期は来年早々で、余裕がある。結果としてこの日に仕事の電話等は皆無だった。
 先方の都合で開始は午後1時30分となったが、初めて訪れる施設なので、早めの午後1時には家を出た。

 施設はいつも都心へ行く街道沿いにあり、入ったことはないが、場所はよく知ってる。依頼を受けたあとで調べてみたら、経営主は生前に父がお世話になった施設と同じ社会福祉法人だった。やはり縁があるのだ。
 出来たばかりの施設で、中はとても明るくて広い。会場となる談話室は自然素材が貼られた傾斜天井で、音響条件は最高だった。

 事前の打合せで数曲をみんなで一緒に歌う手はずになっていて、該当曲の歌詞について、担当のHさんと打合せ。予定曲の歌詞はそろっていたが、フルコーラスは歌わないので、飛ばす部分を調整する。
 ソーラン節の歌詞が私の所有分とかなり食い違っていて、配布を中止とする。代案として、私所有の「二人は若い」の歌詞を追加した。

 予定より少し遅れて1時35分からライブ開始。聴き手は職員を含めて15名ほどだったが、スタートからいきなり手拍子が出て、場は盛り上がった。事前にHさんから「歌に対する反応は、あまり期待しないでください」と聞いていたので、やや面食らった。
 しかし、反応がないよりあったほうがいいに決まっている。以降、そのノリのまま、ライブは順調に進んだ。

 この日歌ったのは、以下の12曲。


「ジングルベル」
「高原列車は行く」
「バラが咲いた」
「青い山脈」
「雪」(文部省唱歌)
「お正月」
「いい日旅立ち」
「二人は若い」
「知床旅情」
「高校三年生」
「ここに幸あり」
「ソーラン節」


「高原列車は行く」「青い山脈」「二人は若い」「知床旅情」の4曲が歌詞配布曲だが、みなさん予想外によく歌ってくださった。職員さんも一緒に歌うなど、場を盛り上げてもらうよう、事前にHさんにお願いしてあったのが良かったのだろう。
 これまでの施設訪問ライブで、「一緒に歌う」という部分では、あまりうまくいった経験がなかった。しかしこの日は(いける…)とすぐに分かったので、MCでも充分な間をとり、高齢者のペースに合わせ、全体的にゆっくり歌うよう心がけた。
 一息ついてもらう曲を随所に混ぜるなど、曲の構成にもかなり気を配った。結果として、歌詞配布のなかった「バラが咲いた」「雪」「お正月」「ソーラン節」も、多くの方が一緒に歌ってくださった。

 入居者に大変ノリのいい方が数人いて、曲に関する思い出などを、ライブ中にあれこれ話しかけてくる。MCは元来あまり得意ではないが、今日はそのひとつひとつに相づちを打ち、上手にさばくことができた。これが場をなごませた大きなポイントだった。

 35分ほどでライブ終了。この日の課題のはずだった「アップテンポの曲で聴き手に寄り添う」は、ほとんど意識せずに終わった。そんなことを意識せずとも、聴き手がどんどんすり寄ってきてくれたので、こちらから寄り添う必要がなかったのだ。
 終了後、「楽しかった」「おかげで若返った」と、数人の入居者の方々が近寄ってねぎらってくれる。わざわざ玄関まで見送ってくれる方さえいた。またぜひにと職員の方にお願いされたので、次回はこちらから専用の歌詞カードを準備しようと思う。

 この5年でいろいろな施設を訪れてきたが、ちょっとこれまでないタイプの施設だ。おかげで活動5年目にして、新境地を拓いたような気持ちである。

 その後ずっとこの不思議な手応えだった訪問ライブに関し、考えていた。自己検証のすえに思い当たったのは、以下のことである。

1)訪問ライブの場は、「参加型」と「傾聴型」に大別される。
2)「参加型」の場は共に歌い、楽しむことを基本的に求めていて、ニギヤカ手拍子系の曲調を好む。
3)「傾聴型」の場は歌い手の技量を単純に味わうことを求めていて、概して叙情系の穏やかな曲調を好む。
4)どの施設がどのタイプかの判断は、その場で歌ってみるまで分からず、職員を含めた聴き手の気質、引いては施設全体の雰囲気に大きく左右される。
5)型の判別や対応を誤り、歌い手が我を通そうとすると、ライブはたちまち色を失う。

 だいたいこんなところで、先月下旬に訪問した施設は、明らかに「傾聴型」であり、昨日訪れた施設は反対に「参加型」であろう。この分類、おそらくは施設訪問ライブに限らず、あらゆる場にあてはまる。
 私の得意なのは当然ながら「傾聴型」の施設(場)で、40分歌っても手拍子が全くでないこともしばしば。しかし、ちゃんと最後まで真剣に聞いてくれているのは、聴き手の表情や反応から判断して明らかである。

「参加型」の場が苦手なのは、ライブハウス等でも同じだ。根が暗いのだろう。しかし、施設訪問ライブの場合、そんなワガママなど言ってはいられない。昨日のライブで「参加型」の場をうまく収める手法が、何となく分かった気がする。
 施設側が歌い手に何を求めているかを推し量ることが大切で、特に初めて訪れる施設では、事前の充分な調査と根回しが必要だと悟った。分かったような気でいても、まだまだ知らないことは数多くある。


 

ホームのどか・新築記念ライブ /2010.2.13



 近隣のグループホームが新築移転し、記念の祝賀会をやるという。余興として私も呼ばれた。この施設では定期的に歌わせていただいているが、およそ1年ぶりのライブとなる。
 実は新しい施設の基本設計は私が手がけた。施設長さんとは5年前からの長いつきあいで、自宅ライブや還暦ライブにも職員や入居者の方々を伴い、何度か来ていただいている。
 当初の候補地は事情で流れたが、その時に詳細に検討した図面をベースに、別の土地に新築したと聞いている。新施設には初訪問なので、自分の関わった部分が、実施設計でどの程度活かされているだろうか?という関心もあった。

 午前11時まで自宅で軽くリハをしたあと、まずは近隣の菓子店に予約してあったケーキを取りにゆく。新築祝い用だが、昨年秋の私の還暦コンサートでは、このグループホームから立派な花束をいただいている。
 お祝いは同じように花にすべきかちょっと迷ったが、花は他からも集まるだろうと、実用的な食べ物に決定。このあたり、結局は贈り主の好み、ということになる。

 新築した施設は我が家から歩いてでも行ける近さだが、機材があるので、やはり車である。あいにくの積雪で、施設前の駐車場は職員の方々が除雪作業の真っ最中。少し待つうち、時間は開始時刻の正午になってしまった。
 やや遅れて、12時15分あたりから宴が始まる。偶然だが、隣に座ったケーナ演奏者のKさんが、同じ物書き集団に所属する同人。8年前に一度だけ会ったことがあるが、先方は私のことを忘れていたようだ。
 いろいろ話すうち、思い出してくれたが、改めて今度は音楽用の名刺を差し出す。まさかこんな場で出会うとは夢にも思わず、本当に世間は狭い。

 しばし歓談、会食のあと、12時50分から私がトップバッターで歌った。お酒はないが、お祝いの席なので、場はかなりにぎやか。それを見越し、前半は場に沿ったにぎやか系の歌を並べた。
 聴き手は24畳ほどの空間に、およそ50人ほど。動くスペースもないほどの超満員であった。

 出来はまずまずで、大きなミスはなかった。時間が全体的に予定より遅れていたので、途中で司会の方に終了時刻を確認しつつ進める。予定よりも2曲少なく、8曲25分で終わらせた。
 この日のプログラムは以下の通り。


「北国の春」
「宗谷岬」
「丘を越えて」)
「のどか小唄」(オリジナル)
「バラが咲いた」
「花」(瀧廉太郎)
「二人は若い」
「りんごの木の下で」


 このグループホームのテーマソングとして作ったオリジナル「のどか小唄」は受けた。場の気分にぴったりはまったのだろう。「北国の春」「丘を越えて」では、歌の終了前に盛大な拍手をいただいた。場が乗っているときに起こる現象で、「知床旅情」などでも、時と場合によってこの現象は起きる。
 アルペジオでしっとり歌った「バラが咲いた」「花」は、いわば捨て歌。場はしばしの間緊張感を欠いたが、これは予定通り。聴き手が食べたり飲んだりする時間も、時には必要なのである。

 場が食べながら飲みながら、しかも最初の演奏というのは、条件としてかなり厳しい。声に影響するのが怖く、私自身は歌い終わるまでほとんど何も食べなかった。
 私のあとに教会の聖歌隊10人ほどのアカペラと紙芝居、さらにケーナ&ギター演奏の二人が続く。選曲や構成など、いろいろと参考になった。全体的にみて、1番バッターの役目は十二分に果たせたと思う。

 帰宅後、初めて使ってみたICレコーダーでライブ録音をチェック。会場が混雑していたので、ICレコーダーはクリップモードにし、マイクのブーム部分にはさんだ。
 位置がやや近過ぎ、聴き手の耳に届いた音とは微妙に違っていたかもしれないが、だいたいの感じはつかめた。

 歌っているその場での自分の感覚と、そう大きなズレはなく、ちょっと安心した。ストロークで弾いた歌で、ギターの音が部分的に大き過ぎたかもしれない。そこが反省点。
 もう何回か試す必要があるが、手元で調整するギターのボリュームは、自分が思うより、もう一段階少なくすべきかもしれない。しかし、大筋ではいまの演奏法でよいのだ、という自信になった。


 

老健施設ひまわり・訪問ライブ /2010.5.29



 近隣の老健施設から訪問ライブを依頼された。全く知らない施設だったが、ネット検索で私の活動を知ったという。ネット経由での依頼は久しぶりで、老健施設、つまりはリハビリと社会復帰を主目的とした介護施設からの依頼は初。
 介護度の低い施設でのライブは歌の好みも多種多様で、一般的な老人ホームのライブよりも、はるかに対応が難しいという記憶があるが、何事も経験と、すぐにお受けした。

 ライブ当日はいつもより早めに起き、最終リハをざっとやる。午後2時開始だが、初めての施設なので少し早めに出て、開始20分前には先方に着く。自宅とは別の区だが、車だと20分もかからない。担当のH島さんと簡単な打合せをし、場所を決めてすぐにPA等をセットした。
 10分前にはスタンバイしたが、すでに会場には30名を越える人が集まっている。予定を5分早め、1時55分から歌い始めた。

 事前情報で、介護度の低い元気な方(要支援1〜2)が大半、と聞いていたので、プログラムは慎重に構成した。最初の4曲で様子を見て、その反応で以降の歌の出し入れを調整しようと考えたのだ。
 その4曲とは順に、「北国の春」「花(滝廉太郎)」「恋のしずく」「お富さん」。クセのない演歌→唱歌→艶っぽい新しめの歌謡曲→民謡に近い演歌、といった位置づけである。これらを含めたこの日のプログラムは以下の通り。


「北国の春」
「花」(瀧廉太郎)
「恋のしずく」
「お富さん」
「瀬戸の花嫁」
「二人は若い」
「川の流れのように」
「真室川音頭」
「時計台の鐘」
「釜山港へ帰れ」
「丘を越えて」
「ここに幸あり」
「いい日旅立ち」
〜アンコール
「宗谷岬」


 出だしの「北国の春」はリスクの少ない訪問ライブの定番曲で、1〜5月の訪問ライブでは同じ場所でない限り、1曲目には必ず歌う。起承転結の「起」に相応しい曲で、高齢者対象の訪問ライブを今後やってみたいと考えてる方は、ぜひともレパートリーに加えることをお勧めする。
 始めるまでは全くの手探り状態だったが、結果として4曲とも受けた。最もリスクのあった「恋のしずく」も含め、間奏中にもさざ波のような拍手が起きるという、信じがたい反応。あとで聞いたことだが、開所以来初めての外部ボランティアによる演芸会だったそう。「新鮮度」という部分で、かなり得をした。
 同じフロアーにリハビリ機器が多数設置されている関係もあって、会場が予想よりもかなり広く、持参した簡易PAではパワー不足を感じた。老健施設の盲点である。そこでPAにあまり頼らず、路上ライブのような感覚で歌った。その分疲れるが、歌の魂は聴き手に伝わりやすかったかもしれない。

 会場には確かにかなり若い方もいて、MCのなかで年齢の話題になったが、私が「去年還暦を迎えました」と自己紹介すると会場がざわつき、「私と同い年」という女性が二人も名乗り出る。あとから聞くと、通いでリハビリに励んでいる方々だった。いよいよ介護施設で同年代の方々と遭遇する時代到来かと、感慨を深くした。人生さまざまである。

 以降、新旧とりまぜた構成で、トントンと歌い継ぐ。どのようなライブでもそうだが、会場の中で真剣に聴いてくれる人をいち早く見つけ、その人に気持ちをぶつけるように歌うと、だいたいうまく運ぶものだが、今日はその「真剣に聴いてくれる人」が多数いた。
 つまり、「どこを向いて歌っても聴いてくれる人ばかり」なのである。やりがいのある場だった。

 ラストの2曲、「ここに幸あり」「いい日旅立ち」では、会場がいい意味での緊張感に包まれた。聴き手の気持ちが集まってくる気配を強く感じた。「いい日旅立ち」では、泣いている方もいた。最近になってこの歌の世界を再認識している。人生を振り返り、励ます歌だ。高齢者むきの歌だと思う。
 ミスが皆無だったわけではなく、2曲目の「花」で、本来はカポなしで歌うはずが、1曲目「北国の春」の2カポのまま歌ってしまった。途中で気づいたが、喉の調子がよかったせいか、どうにか歌い終えた。初めての場で、やや緊張していた感じた。
 もうひとつは、「時計台の鐘」のラスト。ギター伴奏で4弦と5弦を鐘の音のように交互に強調して鳴らし、5弦で「ボ〜ン」とやって終わるはずが、何と6弦を「ボ〜ン」と弾いてしまった。咄嗟に全体をジャラ〜ンと鳴らして事なきを得たが、ゴマカシ技も時には必要である。

 13曲をぴったり40分で終え、素早く撤収しようとしたら、会場の拍手が鳴り止まない。担当のH島さんは終わらせたい感じだったので、構わず作業を続けたが、会場の後ろのほうから期せずして、「アンコール!」の声。それも複数である。
 私の場合、訪問ライブではアンコールはあまり出ず、仮に出たとしても、職員の方がリーダーとなり、「ぜひあと1曲歌っていただきましょうか」といった流れが普通だった。
 施設には決められたスケジュールがあり、それを滞りなく仕切るのが職員の務めだからで、アンコールをするか否かの判断も、おそらくそれに含まれるのだろう。

 しかし、「聴き手側からのアンコール」は記憶にない。聴き手の介護度が低いので、歌い手と聴き手が対等なごく普通のコンサートと考えると、それも納得がゆく。横にいたH島さんと打合せ、いったん抜いたケーブルを再セット。短い曲を1曲という条件で、「宗谷岬」を歌った。
 準備はしていたが、いろいろな事情で外した曲のうちの1曲である。曲調といい、季節感といい、締めくくりにはピッタリ収まる選曲だった。この日はこの歌を、いままでなかったような歌唱法で歌うことができた。うまく言い表せないが、聴き手の心とキャッチボールをしているようなイメージである。一連の場の流れから、自然にそんな歌い方になった。得難い体験だった。

 終了後、責任者のT橋さんに応接室に招かれ、ねぎらわれた。これまたあまりない経験だ。T橋さんから、「もしかして以前に"かぐや姫"を歌ってませんでしたか?」と、いきなり問われた。
 聞けばT橋さんも高校時代に"かぐや姫"や"風"のコピーバンドをやっていて、伊勢正三の大ファンだとか。私の歌を聴いていて、何か感ずるものがあったらしい。なかなかスルドイ方で、これまでの活動歴などをざっと話すと、「次回はぜひ"かぐや姫"を歌ってくださいよ」と、真顔で言われた。

 ひとまず「北の旅人」「僕の胸でおやすみ」なんかを次回やりましょうか、ということになったが、本当に実現すれば画期的なこと。
 場の反応から、かなり新しい歌でもいけそうな感触はあったが、介護施設でフォークを歌える日が、今年中にでもやってくるかもしれない。長生きしてよかったです。