訪問ライブ顛末記


ツクイ札幌東・敬老会 /2007.9.22



 ホームページで見た、聴いたという市内のデイサービスセンターから招かれ、敬老会で歌わせていただくことになった。介護施設を慰問する弾き語り系の人材が不足しているせいか、最近ネット経由での依頼が急増している。この種の活動に対する潜在的ニーズは、相当あるものとみる。
 いろいろな施設で聞く共通の話では、いまやカラオケはどの施設にも置いてあり、高齢者が順に歌う風景は、少しも珍しくないという。私の歌う歌もほとんどはカラオケに入っているというが、それをなぞって歌うのと、私がギターで歌うのを聴くのとでは、同じ歌でも全く違うのだそうだ。
 ではその違いとは?と突っ込んでも、どこがどう違うのかはよく分からないという。あくまで推測だが、おそらくここがライブのつきる事のない魅力なのであろう。ライブのグレードにもよるが、カラオケとライブとは、本来全く質が異なるものではないだろうか。

 フォークブーム再来とやらで、居酒屋でギターを抱えて歌う人は数多くいる。だが、ボランティアとして活動する人は稀。こうしてライブレポを丹念に記すことで、(自分にも何か出来るかも…?)と、具体的に行動してくれる人が現れることを祈りたいが。

 デイサービスでは過去にも何度か歌っているが、介護施設の中では最も難しい場である。通所施設なので聴き手の介護度が低く、まだまだ意気盛ん。従って歌の好みも幅が広い。ここが歌い手として難しいのだ。
 どうせ難しいなら、初めての場で聴き手の好みの傾向もつかめない以上、思いきった冒険をしてみようかと考えた。具体的には、覚えたての初披露の曲を多めに歌うことで、迷ったすえ、以下のようなプログラムで臨んだ。


「高原列車は行く」
「里の秋」
「旅愁」
「踊子」
「バラが咲いた」
「高校三年生」
「いい日旅立ち」
「千の風になって」
「お富さん」
「真室川音頭」
「夕焼け小焼け」
 〜アンコール
「二人は若い」
「皆の衆」


 どのようなライブでも出だしの1曲目は大事だが、今回はここに初披露の曲を持ってきた。「高原列車は行く」がそれで、もし失敗すればライブ全体を壊しかねない危険な賭だ。ぎりぎりまで迷って妻に相談すると、「あなたにしかない独特の味がある。絶対いける!」と、いつもは評価の厳しい妻が、珍しく太鼓判を押す。
 その言葉に勇気づけられ、予定通りに歌ったが、これが大当たり。当日、予定されていた中学校の合唱部が直前でキャンセルになったとかで、退屈しきっていた聴き手が、この歌で一気に元気づいた。
 まだ1番が終ったばかりというのに、会場からは盛大な拍手。曲間で拍手が出ること自体、極めて稀。出だしに使える貴重な曲に巡り会った。大きな収穫だ。

 1曲目で完全に会場をつかみ、これまた私にしては珍しく、MCもなめらか。調子のいい時は、何事もうまく運ぶ。2曲目以降は一転して静かな唱歌系の曲を連発した。
「曲調のメリハリ」という一点では抜群の構成だったが、「里の秋」「旅愁」「踊子」と歌い進むにつれ、会場が水を打ったように静まりかえった。もちろん退屈からではなく、感動からである。それは歌っている本人が、目で肌で感じている。

 特に「踊子」の効果は強烈であったかもしれない。この歌も初披露だったが、自宅での練習ではまるでダメ。曲への思い入れが強過ぎ、私自身が泣けてしまって満足に歌えないのだ。
 階下でいつも練習中の歌を聴いている妻がそれを敏感に察知し、「泣くなら、人前で歌ってはダメよ」と厳しい批評。聴き手を冷静に感動させるべき歌い手自身が、自ら先にグズグズ崩れてドースル?というわけである。
 それもそうだと納得し、一時はこの歌を断念しかけたが、捨てるには実に惜しい。唱歌系の切ないメロディと、サビの美しい高音部が自分向きだと思った。リズムパターンを速めることで何とか弱点を克服し、本番の数日前にようやくまともに歌えるようになったという、いわくつきの曲なのである。

 おそらく聴き手はこの「踊子」で感情がいっぱいいっぱい。とどめを差したのが、続く「バラが咲いた」である。「踊子」で会場の雰囲気が危ないのはすでに察知していたが、「バラが咲いた」の2番あたりで、熱心に聴いていた女性の数人が、ついに涙を流し始めたのが分かった。
 自分の歌で泣かれたことは過去にも何度かあるが、「バラが咲いた」では一度もない。おそらくこれは、一連の場の状況が生み出した「合わせ技」のようなものだろう。ライブとは本当に不思議でつかみどころのない物だと、改めて思い知った。

 自分の歌で泣いていただくのは歌い手名利につきるありがたい話には違いないが、お葬式のような雰囲気のライブは、本来好まない。「バラが咲いた」が終った直後、「次は少し明るい歌にしますから」と声をかけ、「高校三年生」を歌った。
 会場には救われたような手拍子が戻り、何とか気分を戻すことが出来た。

 この日は秋のライブということもあり、全体的にしっとりした唱歌系の歌を多めにして構成していた。しかし、少し早過ぎる涙のこともあり、予定していた「千の風になって」は、場合によっては歌わないつもりでいた。しかし、もしかすると聴きたい人もいるかもしれないと思い、ずばり会場に聞いてみると、「ぜひ、聴きたい」と拍手の嵐。
 幸い、この曲は最近、軽いアレンジでサラリと歌っている。涙の「ガス抜き」は事前に終えていたこともあってか、涙なしの盛大な拍手だけで無事に歌い終えた。

「千の風になって」のあと、「初めての場なので、みなさんのお好みが良く分かりません。シットリ調の曲と、ニギヤカ調の曲と、どちらがお好みでしょう?」とズバリ尋ねてみると、いっせいに「ニギヤカ〜!」の声。それではと急きょ予定を変え、手拍子系の歌を連発した。
 ただ、ニギヤカ系を求めた中には、職員の声が多く混じっていた。これまた推測だが、施設側は得てして、手拍子の出る歌で場がニギヤカに盛上がることを好む傾向にある。ほとんどの施設が「明るく楽しい介護」をうたい文句にしている以上、それは当然の成行きだと思うが、それが聴き手の潜在的な好みと、必ずしも一致するとは限らない。
 おそらくこの日のように、時に歌で泣いたりすることも、精神のカタルシスとしては大切なことだろう。人生と同じで、「泣いたり笑ったり」のメリハリが大事なんだと思う。最後は構成を含めた、歌い手の手腕に託されるというわけか。

 ともかくも、最後は「夕焼け小焼け」でほのぼのと、そして少しシットリさせて終らせた。午後2時35分開始で、3時キッチリ終了。事前の打ち合せ通りである。
 ここで予期せぬことがいくつか起きた。まず、入居者から「山形音頭」のリクエストがいきなり出た。ライブはいったん終了を告げているので、要はアンコールである。

 ところが「山形音頭」なるものを、あいにく私は知らない。(あとで調べたら、そういう歌もあるらしい)山形の代表的な音頭である「真室川音頭」は、たったいま歌い終えたばかり。そのことを告げると、では「星影のワルツ」をと、続けざまのリクエスト。
 これまた頭を抱えるリクエストだった。実は「星影のワルツ」は前月までの夏メニューとして、あちこちでさんざ歌ったばかり。得意な曲だったが、秋メニューに変えた直後のこの日に歌う予定はなく、いくら探しても楽譜が見当たらない。
(あとで冷静に考えると、楽譜なしでも何とかいけた)

 ちょっとバタバタしていると、担当のMさんが近づいてきて、「菊地さん、アンコールなら、いったん別の部屋に退いていただいて、私が再度拍手でお願いしますから、改めて登場する形で…」と、理解不能なことを言う。Mさんとしては、プロ歌手のステージをイメージして気遣ってくれたようだが、一介のアマチュア歌手に、そんなセレモニーなど無用である。
 時間さえよろしければ、面倒な手続きなど抜きで、あと何曲か歌わせていただきますよと率直に言い、「二人は若い」「皆の衆」をその場で手早く歌う。
 2曲とも手拍子系の曲だったが、ひとつは落着いた「ここに幸あり」でも良かったかもしれない。2曲とも2分弱の短かめの曲だったのが救いか。やっぱりライブは面白くて難しい。

 終了後、何人かの女性が近寄って声をかけてくれた。「こんなに楽しいものだとは思わなかった」と。これまた最近のよくあるパターンだが、いつもありがたく、そして励みに感じる。
 熱心に聴いてくれていた男性もいたのだが、これまでどの会場でも、男性から声をかけてもらった記憶がない。施設にくる男性の絶対数が少ないせいもあるが、おしなべて男性はシャイ。オニでもジャもないのだから、気楽に声をかけて欲しい。
 古い自分の殻を破るのは、他ならぬ自分。いくつになっても、「気づいた今が出発の時」でしょ?


 

茨戸デイサービス・訪問ライブ /2007.11.23



「ネットで見ました」と、見知らぬデイケアセンターから電話があり、場所が我が家の目と鼻の先。詳しい住所を尋ねると、どこかで聞き覚えのある目印が次々と出てきた。
 調べてみたら、昨年父が病院からの入所先を探していた折、いくつかあった候補のひとつと同じ地区である。条件が合わずに、別の施設に父はお世話になったのだが、関連施設であることは間違いない。
 先方は日帰りのデイサービス担当なので、そのようないきさつは何も知らない。単なる偶然なのだが、札幌市内だけでも200は下らない介護関連施設の中から、ねらい定めたような依頼が飛び込んだわけで、この世の不思議な縁(えにし)を感じる。

 充分な準備期間があり、急な寒波の襲来にも関わらず、体調も万全だったが、1週間前に自宅での刺激的なコンサートを終えたばかり。その余韻が頭と身体のあちこちに残っていて、その影響だけがやや心配だった。
 例年ならこの時期はまだそう寒くはなく、積雪もまずない。しかし今年に限っては真冬を思わせる厳しい寒さが続き、当初用意していた「秋メニュー」のプログラムを、直前になって変更せざるを得なくなった。

 以下、当日の実施プログラムである。


「高原列車は行く」
「冬景色」
「踊子」
「バラが咲いた」
「お座敷小唄」
「青春サイクリング」
「埴生の宿」
「冬の星座」
「お富さん」
「高校三年生」
「ここに幸あり」
「夕焼け小焼け」
「知床旅情」 
「二人は若い」
 〜アンコール
「真室川音頭」


 9月末に実施した別のデイサービスセンターでの訪問ライブの評判がとてもよかったので、その時の路線をベースに構成した。直前になって「里の秋」「旅愁」をやめ、「冬景色」「冬の星座」に入れ替えた。

 よく知っている地域なので、事前の下調査は今回はしなかった。しかし、場としては初めてになるので、聴き手の好みまではよく分からない。前回の訪問ライブで初めて歌った「高原列車は行く」の手応えが抜群だったので、この日も迷わずトップにもってきた。1曲目からグイグイと引っ張ろうという作戦だ。
 結果はやはり大成功。間奏毎に熱烈な拍手が起こるという、前回と全く同じ体験をした。季節や場を問わず歌える曲かもしれない。すごい曲を探し当てた。

 このセンターのライブに対する考え方は大変ユニークだった。ライブ開始直前、「みなさん、ギターの弾き語りボランティアが始まります」と広い館内に放送で告知はするが、ただそれだけ。人によって窓辺でくつろいだり、囲碁コーナーで対局に励む人もいたりするが、決して強引に人集めはしない。聴く聴かないの判断は、あくまで当人任せなのだ。
 ところがいざライブが始まると、あちこちから徐々に人が集まってきた。感覚的には路上ライブにちょっと似ていて、じわじわ聴き手が増えるというのは、実は気分的に悪くない。

 この日、会場があまりに広く、椅子のある場を中心にステージを設けたが、後側にも広いスペースが広がっていて、音の反射が全く期待できない。出力の小さめなPAなので、歌う側の条件としては相当不利だったが、椅子の上に運搬用の段ボール箱を載せ、PAの位置をなるべく高くすることで対処した。
 直前の自宅コンサートで、ミキサーの出力レベルを80%程度にすれば、PA側のボリュームを最大にしても音が歪まないことを発見し、普段よりかなり大きめの音にはなった。
 さらにPAそのものにあまり依存せず、青空ライブの感覚で肉声を大きめにして歌うように心掛けた。結果的にこれが場をひきつけるよい効果となったと思う。

 聴き手はおよそ30名。熱心に拍手し、声をかけてくださる方が最前列に3〜4人いて、その方々と会話のキャッチボールをしつつ、ライブを進めた。この活動を始めた頃にはまるで出来なかったことで、場数を踏めば人間それなりに変わってゆけるもの。人間、死ぬまで成長は続けられる。
 どの曲もおおむね好評で、寒さを吹き飛ばす元気なライブという印象だった。中程で歌った「青春サイクリング」は初披露の曲だが、カーターファミリーピッキングの軽いノリで歌うと、場の気分は最高潮に達した。1曲目の「高原列車は行く」の絶大な反応といい、この種の楽しいリズム感を、どうやら場は求めていたらしい。
 しかし、場独特の気分を抜きにしても、この「青春サイクリング」は使える。これまたよい曲に巡り会った。

 唯一の失敗らしきものといえば、「埴生の宿」と「冬の星座」を続けたあたりで、場がやや冗漫になったこと。最前列の元気のいい方が、「冬の星座」の後半で大きなアクビをしてしまった。この場に限っては、叙情系の曲の連発は不可だったようで、持参していた予備曲の「丘を越えて」あたりに差し換えるべきだった。
 これはいけないと、すぐに軌道修正を試みる。「お富さん」「高校三年生」と手堅く、軽いノリの曲で場の空気を戻し、「ここに幸あり」「夕焼け小焼け」でゆるやかに熱をさましてラストになだれこんだ。

 演奏時間は打ち合せ通り、40分ぴったりに収めたが、開始時間が数分早かったせいで、終了予定時刻までには若干の余裕がある。係の方がすかさずマイクをとり、「みなさんどうでしょう、素晴らしい歌声をもう1曲お願いしませんか」と問いかけた。会場からは盛大な拍手が返る。
 場のさばきに慣れた方が一人いると、アンコールもこうしてスムーズに運ぶ。そのうち、アンコールも第三者に頼らず、その場の空気を読んで自分独りでうまくさばく技を身につけたい。修練はまだまだ続く。

 一連の空気から、アンコールは手拍子系の曲がよいと即断し、これまた手堅い「真室川音頭」とした。終了後、「いい歌だったねぇ〜」と声を掛け合いながら会場のあちこちに散ってゆく聴き手の方々。
「こんなにたくさん集まったライブは珍しいです」と、係の方からもねぎらわれる。楽しく、充実した時間であった。


 

ホームのどか・クリスマス会 /2007.12.22



 近隣にあるグループホームで今年3度目となる訪問ライブを実施。入居者の家族を招いて実施する年末恒例のパーティで、その余興として毎年呼ばれている。
 ホーム長のYさんとは、以前いたホームからの長いつきあいがある。前月の自宅コンサートでも、ホーム長さん以下、4名の方々がお花を持って聴きにきてくださった。

 出番は12時半からだったが、12時過ぎに会場に着くと、宴はすでに始まっていた。料理や飲物を盛んに勧められたが、歌う直前の食べ過ぎや飲み過ぎは禁物である。それ以前に気になったのは、これまでにない会場の混雑ぶり。職員を含めると軽く30名は越えていて、室内に限定するなら、過去最高の人数である。
 空いている場所を探すのが難しいほどで、廊下で立ったまま食事をしている職員の方さえいた。さて、この混雑の中でどこをステージにするべきか?

 時間はどんどん迫るばかりなので、どこからも見通せる台所横の席に即断。PAはシンクの上に大きめのまな板を置き、そこにセットした。
 ステージは椅子を廊下に片づけて何とか確保。通路が極端に狭く、譜面台やマイクスタンドは折り畳んだままひとつずつ運び、狭い場所で組み立てるしかなかった。

 手間取ったが、どうにか体裁が整い、予定より5分遅れて開始。もちろんマイクテストやリハの類いはやる暇がなく、一発勝負である。この日のプログラムは以下の通り。


「ジングルベル 」
「赤鼻のトナカイ」
「きよしこの夜」
「冬の夜」
「北風小僧の寒太郎」
「おしりかじり虫」
「雪」
「お正月」

「高原列車は行く」
「東京の灯よいつまでも」
「踊子」
「真室川音頭」
「丘を越えて」
「二人は若い」



 正味30分の予定だったが、およそ15分ずつ前後半に分け、どちらかと言えば前半を子供むけ、後半を大人むけの構成で臨んだ。
 入居者や職員の方々の大半は顔見知りのいわゆる「勝手知ったる場」だったので、大きな戸惑いはない。初めて顔を見る家族の方々がかなりいたことが唯一の不確定要素だただろうか。
 2日前に傷めた腰の調子が悪く、いつ激痛がくるかと不安だったが、不思議なことに歌い始めると痛みのことなどどこかに忘れてしまった。ライブは予定通りに、トントンと調子良く進んだ。

 前半で特筆すべきは、出かける30分前の自宅リハで、ふと思いついて歌ってみた「おしりかじり虫」。最初は遊び半分で歌ってみたが、なんだかすごく楽しい。(こいつは使えるかもしれない…)と、急きょネットで歌詞を調べ、適当にギターのコードをつけてメモし、楽譜の間にはさんだ。
 時間が迫っていて、いつものようにパソコンソフトに入力してプリントする暇がない。もし去年のようにホーム長さんのお孫さんがきたら、歌うチャンスがあるかも…。その程度の軽い気持だった。

 5曲目は「北風小僧の寒太郎」で、いわゆるNHKの「みんなのうた」ソング。これを歌った直後のMCで、会場の雰囲気をさり気なく探った。

「実は今年もうひとつ、とんでもないタイトルの歌がこの『みんなのうた』で流行ったんですが…」
 するとすかさず会場から、「オシリでしょ?」との声が複数。
「そぉ〜なんですよ」

 しめたとばかり、すぐさま続けて歌った。時間の都合で半分くらいに縮めたが、これが老若男女にバカ受け。会場はたちまち笑いと手拍子に包まれた。歌の持つ勢いというものなのだろう。ほんの思いつきだったが、何でもやってみるものだ。

 調子が悪いといいつつ、この日はこの「おしりかじり虫」「お正月」「東京の灯よいつまでも」「丘を越えて」の4曲が初披露。「丘を越えて」は、最近あれこれと調査発掘中の「軽いリズムパターンの明るい曲」のひとつだったが、場のノリはなかなか良い。別の場で試してみる価値は充分にある。
 この日唯一の「ハズレ」は、後半2曲目に歌った「東京の灯よいつまでも」だっただろうか。確信がなかったので無難な順序に置いて試してみたが、受けはいまひとつ。
 もっとも、この日は場全体の雰囲気が、いわゆる「お祭りムード」に支配されていたので、たとえ「捨て歌」といった位置づけだったとしても、この種の曲はちょっと無理があったかもしれない。

 本当は「丘を越えて」でぴったり終えるつもりでいたが、時計を見ると終了予定の30分までには、まだ数分の余裕がある。そこで夏祭りで大好評だった「二人は若い」を歌って調整した。
 いわゆる「自主アンコール」のような位置づけで、このあたりはMCでうまくさばいた。「おしりかじり虫」への入り方といい、この日はMCの面でも場をうまくコントロールできたと思う。

 その後、職員の方のオカリナ演奏数曲、ホーム長のお孫さんの手話による赤鼻のトナカイ、入居者代表の方による詩の朗読、若い男女の職員さんによるギター弾き語り(何と、コブクロの曲)、職員さんによるプロもどきの手品と、次々と続くユニークで飽きさせない構成の出し物に、しばし時を忘れた。

 楽しい2時間を共に過ごし、帰り際に手作りのクリスマスカードとペアのマットをいただく。カードに添えられた暖かい言葉がありがたく、うれしい。


 

ホームのどか・ひな祭 /2008.3.3



 なじみのグループホームでのおひな祭に招かれた。この日は平日だが、「ひな祭」という特異日の関係で、どうしてもこの日にイベントを実施したいというのがホーム側の意向だった。事業展開が悪化した2007年から、仕事に影響しかねない平日の訪問ライブは自重していたが、昼食時間を使ったイベントということもあり、特例としてお受けした。
 あいにく多忙な日々が続いていて、仕事をしながら合間に最終リハをやるという綱渡りスケジュール。幸い、場所は車で5分という近距離。この条件でなければ、とても平日の訪問ライブは無理だ。

 この日のプログラムは以下の通り。


「北国の春」
「うれしいひな祭り」
「花」(瀧廉太郎)
 〜童謡メドレー
「ちょうちょう」「チューリップ」「春よ来い」

「さくら」(直太朗)
「青春サイクリング」
「宗谷岬」
「仰げば尊し」
「のどか」(オリジナル)
 〜アンコール
「二人は若い」


 早春の曲を中心に、予定通り30分で11曲を歌い終えた。いつ仕事の電話が鳴るか分からないので、素早く撤収して仕事に戻ろうとしたら、こんな日に限ってアンコール。全く予定してなかったが、咄嗟に「二人は若い」を歌って場をおさめた。
 ラスト3曲に、「宗谷岬」「仰げば尊し」「のどか」という、どちらかといえばシンミリ系の曲をもってきた関係で、聴き手に余韻が残ったのかもしれない。時にはアンコールもまたよし。

 グループホームのテーマソングとして半月ほど前に作った、「のどか」の評判はまずまずだった。この種の歌は、まず「作る」ということに最大の意義があり、その意味では披露する時点で、「万事OK」なのである。
 ただ、聴き手は手拍子の出る歌を期待していたかもしれない。うららかな春の光が室内に満ちあふれ、聴き手の気持ちは「楽しく歌う」という方向に流れていたように思う。その意味では、アンコールを「二人は若い」でしめたのは、正しい判断だった。

 場がこのように傾いたときに備え、リズムパターンを変えた編曲に工夫するのが今後の課題だろうか。
(このライブのあと、リズムパターンを民謡調にガラリと変えた、「のどか小唄」が完成。「お座敷小唄」のような曲調で、手拍子が必須。次の機会にぜひ披露したい)

 ともかくも、ライブは無事に終えた。この種の活動は、細々とでも途切らせずに長く続けることに意義があるはず。その一点では、価値のあるものだったと思う。


 

ベストライフ清田・母の日ライブ /2008.5.11



  ぎりぎりまで悩んだが、かなり以前から依頼されていた老人ホームへの訪問ライブを、予定通りに実施した。
 この施設では、以前にも喉を壊して一度お断りしたことがある。今回は父の葬儀の直後でもあるので、事情を話せばおそらくすんなりキャンセルとなったであろう。
 しかし、施設は別であっても、父が長い間老人ホームのお世話になったのは紛れもない事実である。慰問で歌うこと自体が、生前歌が大好きだった父への何よりの供養になるかもしれない、と考え直した。

 この日は「母の日」だったので、それにちなんだ構成を依頼されていた。予定していた歌も「母」か「親」にちなんだものばかり。これまた父を追悼するに相応しかった。
 連日の無理がたたったのか、前日にくしゃみと鼻水が止まらなくなったが、薬を飲んでなんとか一日で持ち直す。ライブは予定をややオーバーし、45分で13曲を歌った。

 この日のプログラムは以下の通り。


「北国の春」
「かあさんの歌」
「みかんの花咲く丘」
「浜千鳥」
「四季の歌」
「涙そうそう」
「瀬戸の花嫁」
「思い出のグリーングラス」
「いい日旅立ち」
「おかあさん」
「おふくろさん」
「花〜すべての人の心に花を」
「丘を越えて」


 幸いに喉の調子は悪くなく、無難にこなした。この日のテーマがテーマだけに、出だしの「北国の春」以外は多くが静かなアルペジオでのリズムパターン。会場はあくまで静ひつな雰囲気に包まれていたが、静かでありながらも、聴き手の強い反応を感じた。
 初披露の「涙そうそう」はリズムパターンに少し迷ったが、構成にメリハリをつけるために、あえて軽いストロークで歌った。この歌は自分には難しく、歌う前にはかなり不安があったが、会場の反応は非常によかった。今後のレパートリーに加えてよい強い歌だ。

 これまた初披露の「思い出のグリーングラス」は外国曲で、老人ホームでは冒険だったかもしれない。しかし、こちらもすんなり場になじんだ。会場からは、「どれもいい歌ばかりね」とささやく声が、歌っている耳に届くほど。全体の構成は非常にうまくいったと思う。

 ラスト近くの「おかあさん」の歌途中、突然胸にこみあげるものがあり、崩れそうになるのを必死でこらえて歌い続けた。
 父の死のことは、先方にいらぬ気遣いをさせぬよう、一切ふせてあった。しかし、やはり間接的な影響はあったと思う。次の「おふくろさん」は情に流されまいと、ほとんど目を閉じて歌い通した。

 娘と息子の立場からそれぞれ母を歌ったこの二つの名曲を無事に歌い終え、時間は予定通り40分が経過。これでライブは終了のはずだったが、傍らでずっと聴いていた施設長さんに確認をとると、「あと2曲ほど、ぜひお願いします」とのこと。いわゆるアンコールである。
 場が全体的にかなりシンミリした雰囲気に浸っていたので、最後は明るく力強く終わろうと思い、それに相応しい曲を選択する。

 終わったあと、施設長さんから、「とても良かったです。泣いている人がたくさんいましたよ」とねぎらわれた。会場を見回す余裕があまりなかったが、結果として父へのよい供養になった気がする。少し無理をしたが、歌ってよかった。


 

真駒内養護学校・おやじの会夏祭り /2008.7.5



 3年前の夏に歌わせていただいた、真駒内養護学校おやじの会主催の夏祭りに、再び招かれた。当時のセルフレポにも記してあるが、まだギター弾き語り活動を始めたばかりの頃で、正直いって出来はあまりよくなかったと自分では思っていた。
 歌ったこと自体すっかり忘れていたが、数カ月前に担当のAさんから3年ぶりに電話があった。今年の出し物についてメンバー間で話し合ったところ、私の名前が出て、ぜひまた歌っていただきたいということになったが、まだ活動を続けられていますか?といった内容である。

 しばらくは半信半疑で、「本当にまた私でいいんですか?」と何度も確かめたほど。ライブの自己評価などあてにならないものだと、妙なところで感心してしまった。出来が良かった悪かったと一人であれこれ落ち込まず、ただヒタムキに歌いなさい、ということなのだろう。

 先方の注文がひとつだけあり、前回臨時ユニットを組んで数曲を歌ったMさんと、また一緒に歌って欲しいということだった。前回、Mさんとのユニットが好評だったので、今回は私のソロとユニットを半々くらいの比重まで増やすことをその場で提案。細かいことはMさんと私とで、直接打ち合わせることになった。
 問題はこの春、Mさんが札幌から道北の旭川に転勤してしまったことだ。学校関係者として多忙なMさんと、前回のように自宅で事前に音合わせをすることは、事実上難しい。
 そこで、以前から暖めていた「ネットを利用した遠距離ユニット」の構想を、初めて試してみることにした。本当は道南に住む息子とやるつもりの案だったが、具体的なライブの予定が決まっている以上、こちらを優先すべきだった。

 さっそくMさんにその旨をメールで連絡。まず、二人で歌う予定曲を前回の経験を元に7〜8曲リストアップし、Mさんの意見をうかがった。
 Mさんは私と同年代だが、長いギター弾き語りの経験があり、教育にもそれを十二分に活かしている。ステージも学校関係を中心におよそ月に一度のペースと本格的だ。そんなMさんの意見も参考にし、数曲を追加修正する。
 仮決定した候補曲の中で、互いに知らない曲が1曲ずつあったが、この際練習してレパートリーに加えましょうという、前向きの結論に至った。

 候補曲が割に早く決まったので構想通り、まずは全曲を私が録音する必要があった。あれこれ多忙な時期だったが、頃合いをみて「自宅スタジオ」にて、全曲を一発録音。MDコンポとパソコンをケーブルでつなぎ、ソフトでネット用のMP3音源に変換処理した。音はこれでひとまずOKである。
 楽譜は私のパソコンソフトに入っている分を「スクリーンショット」という技でそのまま汎用のjpg画像変換。そこに私の考えた互いのパートを注釈として直接文字で打ち込み、音源とセットにして、私の持つネット上のフリーエリア(2G所有)に送信した。
 このあと、全部で8セットのファイルが入っているアドレスの「閲覧許可」というものを、Mさんにメール送信。カバー曲ばかりなので、他の誰かに聞かれるかもしれない手法は著作権上、まずいのである。また、某大な容量となる音源ファイルを、メール添付で送信するのは先方に負荷がかかり過ぎ、現実的でない。
 これにより、ネット環境さえあればいつでもどこでも機種やOSを問わず、Mさんだけが楽譜を見ながら私の声に合わせて一緒に歌えるという仕組みだ。「遠距離ユニット」の完成である。

 ほどなくしてMさんから連絡がきた。
「うまく閲覧できました。いい方法ですね!」

 幸いなことに、Mさんと私はキーがほぼ同じ。声質も非常に似ている。ギターはMさんがやや上か?いずれにしても、これだけ準備をすれば、互いのパートやキーは当日早めに集合して微調整すれば、大きな問題はないと思われた。

 音源と楽譜を手配したのが5月末だったが、本番の日はあっという間にやってきた。前回、会場設置のPAの調整がうまくいかず、持参のPAを使った経緯があるので、念のため今回も自前のPAを持ってゆくことにする。マイクスタンドやマイクセット、譜面台や楽譜もすべて2セット準備。移動用の荷造りは手慣れているが、早朝に出発する必要があったので、準備はすべて前夜に整えた。
 ギターを含め、荷物は全部で4つ。コンパクトにまとめたつもりでも、それなりにかさばる。この日は久しぶりに妻に休暇をとってもらい、荷物係&撮影係として「引率」してもらうことにした。

 朝起きると晴天だったが、なんだかやけに暑い。雨よりいいやと荷物を積み込んで午前9時過ぎに家を出たが、クーラーのない車の中はどんどん暑くなる。気象の急変に備え、Tシャツの上に長袖シャツをはおっていたが、すぐに車内でシャツを脱ぐ。
 心配していた警察の「サミット検問」にも遭遇せず、すいすいと10時に先方に着いた。機材を運び込んで、すでに旭川から到着していたMさんと、ただちに音あわせを行った。

「遠距離ユニット」などと気取ってみても、直に面会しての練習と比べると、その内容は雲泥の差。幸いに音程やリズムに大きなズレはなかったが、互いのパート分けや間奏の入れ方、終わり方などで微調整を繰り返した。

 一通り終わると11時。外に出て会場設営のチェックと、マイクテストをやる。舞台と客席が近すぎ、スピーカーの位置が後ろ過ぎる。しかも舞台が畳1枚分の台を横に二つ並べた形だったので、位置と向きの大幅な修正をやっていただいた。
 舞台の位置を5メートルほど後ろに下げ、台を客席にむけて縦に二つ並べて配置する。こうすると、マイクスタンドと譜面台を台の上に置いても、支障なく歌えるのだ。3年前に感じた不都合の修正である。
 マイクテストは会場のPAが以前とは格段の差で、持参したミキサーもPAも全く不要だった。ただ、リバーブ(エフェクター)だけは持参のものを使ってもらった。接続に不安があったが、ちゃんとつながなった。

 開始は12時15分ということで、12時少し前からマイクテストを開始。Mさんも私もギターはアンプ内蔵のいわゆるエレアコで、マイクを含めて全部で4 本のケーブルが地面をころがったが、すぐにいい音にたどり着く。リバーブも問題なく作動した。音響専門のスタッフをつけていただき、大変ありがたかった。
 マイクテストでは本番では歌わない「どうしてこんなに悲しいんだろう」と「カントリーロード」を歌ったが、全く練習していないのに、Mさんもなぜか途中から参入。最後はアドリブでハモリまで入れていただき、まだ本番前というのに、歌を聴きつけてあちこちから人が集まってきだした。

 特に、ほんの思いつきで歌った「カントリーロード」は非常にうけた。マイクテストではもったいなかったが、いわゆる本番前の「後の祭り」というヤツか。

 予定通り、12時15分からライブ開始。最初は私のソロで7曲歌う予定だったが、リハの段階で「涙そうそう」が「祭りとしてはイメージが暗すぎるかも?」というMさんの意見で中止。ソロのラストで予定していたオリジナル「ありがとうagain」をライブ中に中止した。
 会場は早くユニットでの歌を聞きたがっていると、歌っている本人(私)が判断したからだ。しかし、あとで妻に確かめたら、この判断は少し外れていたかもしれない。

 イベント系ライブの常だが、会場には純粋に歌を聴きにくる人のほか、屋台でのゲームを楽しんだり、食事を楽しんだりする人も混在している。舞台の上で見た感じでは、真剣に聴いてくれている人は、15〜20人といったところで、舞台から遠い人は、ほとんど歌を聴いていない印象がした。
 3年前も同じ感じだったから、特にお祭り系のライブというものは、このようなものか。会場の全ての人々を注視させる力は、もちろんいまの私にはない。

 練りに練った当日のプログラムは、以下の通り。


 〜マイクテスト
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「カントリー・ロード」


 〜最初はソロで
「上を向いて歩こう」
「さくら」(直太朗)
「北の旅人」
「空も飛べるはず」
「帰りたくなったよ」

 〜ここからMさんとのユニット「AGAIN」で
「アビーロードの街」
「切手のないおくりもの」
「手のひらを太陽に」
「春の風が吹いていたら」
「うちのお父さん」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
 〜アンコール
「翼をください」
「またあえる日まで」


 歌いながら、暑い太陽がじりじり真上から照りつけた。冷たい水を補給し、タオルで汗をぬぐいつつ歌う。トレードマークのバンダナは絶好の汗止めになった。
 あとで調べたら、この日の札幌はこの夏初めて30度を突破したそうで、どうりで暑いはず。Tシャツを準備していって、良かった。

 6曲目からMさんとのジョイントとなる。MCも含めて、ニギヤカ系ハゲマシ系の曲を無難にこなす。リハーサルで問題のあった部分は修正されていて、一部アドリブで別構成に変わっていたりしたが、全体としての出来は良かった。よく声が出ていたし、声にも絶好調時のツヤがあったと自分でも思う。
 アンコールは2曲。ラストはMさんの提案で、ゆずの「またあえる日まで」を選んだ。私の全然知らないアニメソングだったが、必死で覚えたかいあって、ラストに相応しい盛り上りだった。

 13曲歌ってほぼ予定通り、1時10分に合計55分の炎天下ライブが無事終了。全てを見届けた妻が、「すごく良かった」と涙ぐんでいる。泣くほどのものではなかった気もするが、評価の厳しい妻の感想を、素直に受け取っておこう。
「オリンピックじゃないですが、4年後にまたぜひおいでください」とスタッフの方からもねぎらわれた。

「もし次の機会があったら、『AGAIN』というユニット名でやりませんか?」と、本番のMCの中でMさんと会場に伝えた。『AGAIN』すなわち、『もう一度』ということで、Mさんや会場の方々と再びこの場で出会い、そしてまたいつか会いましょうという想いがこもっている。いい名だとMさんも了解して下さった。
 4年経ったら、62歳。生きていれば、たぶんまだ歌っていることだろう。生きてさえいればね。