訪問ライブ顛末記


ベストライフ西・12月誕生会 /2006.12.17



 5月にネット経由で依頼され、今年のベストスリーに入るほどの手応えでライブを終えた有料老人ホームから、半年ぶりの依頼が再びあった。担当は別の方だったが、その日のライブをすべて見ていて、ぜひまたお願いしたいとのことである。
 一度ライブをやった場所から再度の依頼があること自体、歌い手としては喜ぶべきことなのだろう。当然のごとく受けたが、一抹の不安は、
(5月を越えられるライブが果たして出来るのだろうか…?)の一点だった。

 プロでも同じようなことがあるように感じるが、ある日ある時ある場所で、感動的なライブを終えたとする。たいていの歌い手と聴き手は、(あの感動をぜひもう一度…)と願うだろう。実はそこに大きな落し穴があるのだ。
 プロであろうがアマであろうが、同じ場所と同じ歌い手というシチュエーションで、全く同等の感動を何度も聴き手に呼び起こすのは、ほとんど奇跡に近い。もしそれが叶うとすれば、歌い手に並外れた力量があるか、構成なり編成なりに余程の変化を加えた場合ではないか。

 漠然とした不安を抱えつつ、当日はやってきた。身辺雑事に謀殺されつつも、自分なりにライブの構成には腐心した。初披露の曲もいくつか加え、飽きられない工夫もこらした。だが、当初から胸に抱いていた悪い予感は、やはり当っていた。

 この日のプログラムは以下の通り。


 〜マイクテスト
「冬景色」
「夜霧よ今夜もありがとう」)


「ジングルベル 」
「赤鼻のトナカイ」
「きよしこの夜」
「白い想い出」
「北風小僧の寒太郎」
「冬の星座」
「雪の降る街を」
「函館の女」
「知りたくないの」
「サン・トワ・マミー」
「ここに幸あり」
「春風」
「花〜すべての人の心に花を」
「銀色の道」
 〜アンコール
「宗谷岬」
「上を向いて歩こう」


 聴き手は前回と同じ、職員を含めて60〜70名。前回と違っていたのは、季節と構成プログラム、そして開始時間である。
 あとで思ったことだが、この開始時間が前回の午後と違って、昼食の直前であったことが、ライブの手応えに大きく関わっていた気がする。

 まず会場に一歩足を踏み入れた直感が良くなかった。最初の話では、11時から場内放送で案内し、人を集めてから15分後くらいに開始、という段取りだった。ところが入るとすでに会場は満席で、機材をセットする私を多数の目がじっと見守っている。
 前回は会場には誰もいず、セットを終えたあとでリハーサルをかねて何曲か歌ううち、音を聞きつけて自然に人の輪が広がり、スムーズに本番に突入することが出来た。同じ状況をイメージしていた私は、のっけから調子が狂ってしまったのだ。

 それでも何となくライブは始まったが、前回に比べるとどうにも手応えが悪い。のれんに腕押し、闇に放り投げた石ころといった感で、時と共にズルズルとドロ沼にはまりこんでゆく自分を見た。初めて使った安価なギター弦もどこかしっくりこない。
 もうすぐ昼食で、空腹な聴き手。花よりダンゴ、歌より誕生会のごちそう、といった気分が会場には満ち満ちている。以前に某デイケアセンターで、「お昼のジンギスカンパーティの直前」という難しいシチュエーションで歌った記憶があるが、やはり同じ悲惨な状況に追い込まれた。空腹時の高齢者を歌でつかまえる程の技量は、残念ながら持ち合わせていない。

 カンフル剤として急きょ歌った「函館の女」。場を盛り上げようと、「北島三郎がお好きな方はいますか?」と事前に会場に尋ねたら、シ〜ンとした静けさのみが虚しく返ってきて、場をさらに白くした。
 それでも気を取り直して歌ったが、悪いことは重なる。出だしの「函館へ〜」の高音部で、声が途切れて出なくなった。まるで初めての経験で、これが事態をますます悪化させた。

 少しだけ立て直せたのは、ラスト4曲か。喉の危機を感じたので、キーを少しだけ下げて歌ったのが効いたのかもしれない。軽い手拍子が湧き、聴き手の一部にも目の輝きが戻ってきて、そこが唯一の救いだった。
 アンコールは担当者からの依頼で、会場からのものではない。時間が余ってしまったのだ。こちらはぴったり35分で歌い終えている。当初の予定通り、11時15分開始であればうまく収まっていたはずだ。まだ若い担当者の構成ミスであったかもしれない。自分に余力が残っていれば、あと数曲歌って時間まで場をつなぐことも出来たが、この日に限ってそんな余裕は全くなかった。

 会場では余った時間を、ホーム長さんのカラオケで埋め始めた。これ幸いと機材をさっさとまとめ、挨拶もそこそこに会場から逃げ出した。
 車を出す直前に、ホーム長さんが挨拶に駆けつける。

「今日は出来が悪くて、申し訳ありません」と、素直に謝った。するとホーム長さんは怪訝そうな顔をしている。「ぜひまたお願いします」なんて言っている。しかし、とても次回のことを考える気分ではない。
 これはたぶん歌い手と聴き手にしか感じ取れない、微妙な空気感のようなものだ。ライブの最初と最後にだけ顔を見せたホーム長さんには、おそらく理解不可能な世界だろう。

 そんなわけで、この日は写真すらない。数えてみたら今年20何番目かのライブだったが、数多くやっているとこんなこともあるさと、気分を切り替えるしかない。何ともしまらないライブとなってしまった。


 

ホームのどか・クリスマスパーティ /2006.12.23



 敬老の日に訪問ライブに行ったグループホームから再び招かれて、クリスマスライブを実施した。
 以前にもふれたが、ここのホーム長のYさんとは2年来のつきあいがあり、Yさんが以前にいたホームからもたびたび招かれている。私のことを余程気に入ってくれたのか、この春に独立して自らグループホームを経営し始めてからも、忘れずに声をかけてくださるありがたい方だ。
 強い信頼関係があるので、数日前のような悲惨な結果にはならないだろう、との漠然とした予感はあった。最近よく感じるが、特に知っている会場の場合、ライブをやる前にある程度結果が見えてしまうことがある。私自身かなりの気分屋で、気難しく頑固な性格であることも災いしている。
 歌い手としては本当はいけないことで、どんな場所であっても柔軟に対応し、最大限の努力をすべきなのだろう。いや、努力はちゃんとしているのだが、キブンを強引に変えることは不可能である。せいぜい自分の気持ちの持ってゆき方を工夫することくらいか。

 この日はホームのクリスマスパーティもかねていて、ライブ開始は午後1時からだったが、1時間前の12時に出向き、一緒に食事をしていただきたいと、事前にYさんからていねいな葉書が来ていた。
(余談だが、直前にライブ予定の再確認を入れてくる場では、おおむねライブの「ハズレ」がない)
 出がけに急に雪が降ってきたが、プログラムには冬や雪の歌が満載なので、ムードを盛り上げるには好都合である。
 まず乾杯のあと、ごちそうをいただく。あとにライブが控えているので、盛んに勧められる食べ物や飲物を、ほどほどにしておく。私の場合、声は腹ぺこでも満腹でもダメで、食後1時間くらいがちょうどよい。

 入居の方々の多くは顔見知りで、和気あいあいの家族的な雰囲気のなか、12時45分から機材の準備を始め、1時5分前からライブは始まった。
 この日のプログラムは以下の通り。


 〜マイクテスト
「冬景色」


「ジングルベル 」
「赤鼻のトナカイ」
「きよしこの夜」
「雪」
「冬の夜」
「北風小僧の寒太郎」
「冬の星座」
「夜霧よ今夜もありがとう」
「与作」
「春風」
「人生一路」


 実はこのプログラム、数日前の悲惨な結果だった訪問ライブのときと、内容に大差ない。時間もおよそ30分強と依頼されている。違っていたのは開始時刻と、場の空気である。
 冒頭にクリスマスソングをもってきたのは前回と同じ。構成で変えたのは、洋楽系の曲を極力減らしたことか。新たに加えた曲は、「雪」「冬の夜」「与作」「人生一路」の4曲で、このあたりはグループホームという場に充分配慮した。

 パーティの延長ということで、開始前からすでに気分は充分盛上がっており、途中で参加したYさんのお孫さん(2歳と4歳)のタンバリンの可愛い応援などもあり、開演直後から場は一気に燃えた。
 入居者の方々も小さな子供がいることで、とても楽しそうである。私もMCでさかんに子供たちに声をかけ、場を盛り上げるのにうまく利用させていただいた。
「…くん、タンバリン上手だねぇ」「次の歌は、…ちゃんも知ってる歌かもしれないよ」といった感じである。

「北風小僧の寒太郎」までは、この子供たちがずっと場を盛り上げるのにがんばってくれた。さすがは経営者のお孫さんである。人に気を配る大切さ、つまりはサービス精神のようなものをすでに心得ているのだ。将来がとても楽しみである。
「冬の星座」から「人生一路」までは、さすがに子供たちも疲れたのか、ひと休み。しかし、代りに入居者の方々が乗ってくれた。
 ある男性は、「冬の星座」あたりから、1曲終るたびに「アンコール!」のかけ声。その都度、「ありがとうございます。では、もう1曲歌わせていただきます」とそつなく応じる。つまり、この歌以降はずっとアンコールが続いていたことになる。

 この日、「歌の途中のMC」というものが初めて使えた。「冬の夜」の1番のラストで、「外は吹雪〜」とあるが、ちょうどその時に窓の外は激しい雪。職員の一人が、「ああ、歌の通りの景色だ…」とつぶやいたのを耳にはさみ、間奏の間に「ぴったりですねぇ」と咄嗟に応じたのだ。些細なことだが、私にとっては画期的なこと。気持ちに余裕があったから出来たのだろう。
 ラストの「人生一路」は1週間しか練習してなく、しかも人前では初披露の曲だった。美空ひばりの歌はどれも難しい。だが、歌えばどこでも受ける。しかもこの歌は、まさに人生を励ます歌だ。毎日練習を続けるうち、次第にラストで歌いたくなってきた。だが、いまひとつ自信がない。
 思いあまって階下でいつも練習中の歌を聴いている妻に相談すると、「歌いなさいよ」の一言。これでようやくふんぎりがついた。
 会場の反応は非常によく、自然に手拍子が湧く。聴き手の目が輝いている。歌い終ると、感激屋のSさんが、涙を流している。聴き手の誰かが泣いてくれたら、ライブは大成功。歌ってよかったのだ。

 終了後、職員の方のプロ並みの素晴らしい手品の芸と話術を堪能し、帰り際にホーム長のYさんからバンダナと靴下のクリスマスプレゼントまでいただいて、アットホームな暖かい雰囲気のパーティを終えた。
 わずか6日の間に、まさに地獄と天国を見た気持ちである。ライブが、そして歌うことがますます分からなくなった。ただ、その「不可思議さ」が、私のあくなき好奇心を満たしてくれることだけは確かだ。それでいいのかもしれない。しばらくは思い悩んでみよう。


 

サンフラワー・新年会 /2007.1.7



 暮も押し詰まった12月30日の午後。大掃除に精を出していたら、10月に初めて訪問ライブをやったグループホームから電話があり、来週の新年会でまたぜひ歌っていただけないか、と頼まれた。
 前回のライブは大変な盛上がりで、その時も終了後に、「来月もぜひ」と頼まれていたのを「続けて盛り上げるのは難しいので、しばらく時間をください」と、やんわり辞退した経緯がある。だから今回は断りにくい。
 開始時間を昼食後にしていただくこと、演奏時間は40分前後をメドにこちらの判断で微調整することをお願いしたうえで、お受けした。

 年末年始に関わる諸事や年越しで依頼された難しい仕事、入院中の身内と数年ぶりに正月帰省した二人の息子の世話などに謀殺されつつ、少ない時間をやり繰りしてプログラムの構成を練り、日々の練習に励んだ。

 年が明けて1月4日に先方から再度の確認電話があり、その際に歌詞カードを事前に入居者に配りたいのだが、当日の曲名を教えていただけないか、との話があった。
 プログラムは決まっていても、その場の雰囲気でコロコロ変わってしまうのが私のライブ。弱ったなと思いつつ、まずこの曲を飛ばす(歌わない)ことはないだろう、というものだけを数曲教えた。
 だが、入居者に歌詞カードを事前に配ることがライブを楽しむことにつながるのかどうか、分からなかった。どちらかと言えば、何もなしで自然に記憶をたどって口ずさんでくれるほうが、歌い手としてはやりやすい気もする。

 同様の主旨なのか、前回ラストに歌って非常に好評だった喜納昌吉の「花」を、今回もぜひ歌っていただきたい、とのリクエストがあった。
 実はこの時点でこの曲は予定に入っていない。確かに前回のライブでは、幾人もの方が涙を浮かべながら聴いてくれた。歌い手名利につきるというものだが、だからといってその感動を今回もまた、と歌う側が考えるのはかなり甘い。ライブはナマモノで、常に動いている。前回受けたからこそ、あえて今回は外したかったのだ。
 しかし、先方のたっての希望なので、予定しているプログラムの最後に付け足す形で歌わせていただくことにした。つまりは、「やる前から決まっているアンコール」のようなものだ。
 この時点での心境はかなり複雑だった。リクエストは大変ありがたいのだが、時に歌い手の自由な発想を妨げたり、ペースを乱したりするものだと考えている。そこが小さな不安だった。

 当日は午前中にライブの練習と仕事とを時計を見ながら交互にやるという綱渡り。途中、エレアコの音がボコボコと何だかおかしい。PAの電池は前夜フル充電したので、問題ない。いろいろ調べると、マイクの音はちゃんと出ている。すると、ギター内蔵の電池が切れたか?
 買って1年半になるこのギター、ピックアップ用に中に9Vの特殊電池が入っている。まだ一度も交換したことはないが、念のため買置きしてあった予備の電池と交換してみると、音はあっさり元に戻った。
 テスターで確認すると、見事に電池が消耗していた。こんなこともある。ライブ中でなくて幸いだった。

 昼食もそこそこに先方に駆けつける。台風なみの低気圧接近で暴風雨警報が出ていたが、なぜか雨も雪もふらずに穏やかな天気。
 開始時間は午後1時15分で、昼食後のゆったりしたよい時間である。会場には家族の方々も呼ばれていて、職員も含めると30人前後の人が聴き手である。

 この日のプログラムは以下の通り。この日に限っては恒例のマイクテストはなく、本番一発勝負。1曲目をまず歌ってみて、PAを微調整することにした。


「一月一日」
「ノーエ節」
「お座敷小唄」
「とうだいもり」
「喜びも悲しみも幾年月」
「真室川音頭」
「冬の夜」
「笛吹童子」
「冬景色」
「夜霧よ今夜もありがとう」
「北酒場」
「春風」
「人生一路」
 〜アンコール
「花〜すべての人の心に花を」


 この日もそうだったが、最近は以前にやっていた「アップテンポの曲と穏やかな曲のジグザグ構成」に変えて、似た傾向の曲をまとめて歌うという構成をあえて選択している。
 特に訪問ライブの場合、あまり異質の曲を次々と繰り広げるよりは、似た傾向の曲をある程度続けたほうが、聴き手が受け入れやすい気がしてきたからだ。

 冒頭には新年会という場に相応しい「一月一日」を持ってきた。「その日のライブの季節感を冒頭に出す」というのも、最近の新しい試みである。クリスマスならクリスマスソング、誕生会なら誕生日の歌、ひな祭なら「うれしいひな祭り」といった具合だ。
「一月一日」は高齢者なら誰でも知っている歌で、この日は手拍子が出やすいスイング風にアレンジして歌った。会場は出だしからいきなりの拍手。そのまま「ノーエ節」「お座敷小唄」と、手拍子が続く。会場は大いに盛上がり、「やっぱり歌って楽しいわ」という声が早くもあがる。
「お座敷小唄」には歌詞カードが配られたが、見て歌っている人はごく一部で、大半は私の顔を見つつ、手拍子で一緒に盛上がっている。手拍子をしながら歌詞カードを見て同時に歌うなど、高齢者にはちと酷であった気がする。歌詞カードを配るなら、手拍子のいらない静かな曲が適していたかもしれない。
 このまま一気にずっと手拍子で、というねらいもあったが、聴き手に一服してもらうつもりで、手拍子無用の穏やかな曲を2曲歌う。「ちょっとひと休みしてお聞き下さい」とMCを添えることも忘れない。

 最初の5曲はすべて初披露の曲だったが、受けは悪くなかった。「ノーエ節」と「お座敷小唄」は「富士山」「雪」が歌詞にあって新年には相応しいと思ったが、ちょっとツヤっぽ過ぎる。大きな冒険だったが、他でも充分に使える曲だ。
 唱歌系の「とうだいもり」も無難だったが、「喜びも悲しみも幾年月」の反応はいまひとつ。テンポが高齢者には難しかったかもしれない。次回もし歌うなら、もっとゆっくり歌わないとダメだ。

「真室川音頭」で会場の気分を少し元に戻し、「冬の夜」に続けたら、これがなかなかよい反応である。歌詞カードがないのに、複数の方々が一緒に口ずさんでくれた。
 そこで急きょ、予定にはなかった「冬景色」を歌う。いま思い返すと、いまひとつの手応えだった「笛吹童子」をやめ、代りに「冬の星座」を歌って「冬の唱歌3点セット」という切り口もあった。

 最後の区切りは、もし名付けるなら「歌謡曲メドレー」か。その意味では「春風」は無用であったかもしれない。
「夜霧よ今夜もありがとう」では、間奏でさざ波のような拍手をいただく。以前にも別の場所、別の歌で同様の経験があるが、これは歌っていてとても気分のよいもので、思わず背中がゾクゾクした。ある種の「麻薬」に近い。
 この歌は完全に自己流にアレンジしていつも歌っている。アルペジオではなく、冒頭の「一月一日」と同じくスイング調で歌うのだ。この「スイング調アレンジ」にこっているのも最近の傾向だ。聴き手の心にすんなり入り込みやすい気がするし、何よりも自分にとって歌いやすい。

 2番を歌い始めると、熱心に聴いてくれていた家族の方の一人が、しきりに目頭をぬぐっている。見間違いかと確かめたが、間違いなかった。あちこちで歌っているが、この歌で泣かれたのは初めての経験だった。私と同年代と思われるそのご婦人、余程この歌に思い出があるのだろう。
 この日のライブは前回を100%とすると、今回は80%程度の出来と自己採点していたが、仮に「聴き手を一人でも泣かせる」という一点で評価するなら、満点と言ってよいのかもしれない。

 予定通りにアンコールで「花」を歌い、1時50分にライブを終える。開始は5分早い1時10分だったので、正味40分ちょうど。大きなキズのない無難なライブであった。

 実はこの日、会場に入るなり、「私、菊地さんの近所に住んでいるんです」とあるヘルパーさんから唐突に言われた。以前から私を知っているという。
 名前を聞いてみると、めったにない珍しい名字。自宅から歩いて5分の散歩道沿いにある家で、確かに近所だ。そのOさん、前回は非番だったそうだが、面識は全くない。なぜ私を知っていたのだろう?
 近隣ではあるが、自宅から車で10分近くはかかるホームだ。こんな偶然はそうあるものではない。歌が大好きだそうで、次回の自宅ライブの折に声をかけることを約束した。

 自己評価は厳しかったが、帰り際にホーム長さんを始めとする多くの職員の方々から、「次回もまたぜひお願いします」と声をかけられた。このホームでのライブは定例化しそうな気配が濃厚である。
 帰宅直後にすごい暴風雨となる。瞬間最大で、たぶん30メートルは越えている。いろいろな面でラッキーな一日であった。


 

サンフラワー・2月誕生会 /2007.2.15



 1ヶ月前に新年会で歌わせていただいたグループホームから再びの依頼である。2月の誕生会ということだったが、いつものようにほとんど準備時間がない。
 あいにく喉の調子を落としていて、体調はよくなく、仕事やプライベートでもいくつか問題を抱えていて、取り巻く状況は最悪に近かった。
 前回実施から日が浅いということも気がすすまない理由のひとつで、体調を理由にやんわり断る気に一時はなったが、電話でのやりとりのなかで、「30分でもいいですから」と先方に強く頼まれ、結局はお受けした。

 このようなとき、なかなか断れないのが我が気質。自分のよい部分でもあり、欠点でもある。あれこれいいつつも、すぐに喉の調整とライブの準備にとりかかった。

 天気予報はよくなかったが、うまい具合に当日は穏やかな日和。春の訪れを予感させるプログラムを準備していた私を、ほっとさせた。
 この日のプログラムは以下の通り。例によって、リハーサルもマイクテストもない一発勝負であった。


「北国の春」
「矢切の渡し」
「早春賦」
「花」(瀧廉太郎)
「東京ドドンパ娘」
「みかんの花咲く丘」
「仰げば尊し」
「東京音頭」
「ここに幸あり」
「宗谷岬」
「知床旅情」


 全11曲のうち、「矢切の渡し」「東京ドドンパ娘」「東京音頭」の3曲が初披露だった。
「矢切の渡し」は前日まで三橋美智也の「達者でナ」を歌う予定でいた。しかし、練習を続けるうち、高音部が喉への負担が大き過ぎると判断。しっとりと歌えるこの曲に変えたが、会場の反応はとてもよく、一緒に口ずさんでくれる方がたくさんいた。
 期待していたよりも受けがよくなかったのが、「東京ドドンパ娘」。このホームでは民謡などのノリのいい曲がいつも受けるので、さぞやこの曲も…、と意気込んで練習したのに、拍子抜けの反応。古い曲でも、リズムや歌詞がハイカラ過ぎる曲は、難しい感じだ。
 同じく思っていたよりも受けがよくなかったのが、「早春賦」。季節にはぴったりの選曲だったつもりが、これまた曲調が難解過ぎたのか、歌い終えたあとの拍手もまばら。この日最悪の反応である。

 他の曲はおおむね評判がよく、無難な出来であった。特筆すべきは「ここに幸あり」だろうか。この歌はいつどこで歌ってもハズレがない。歌声がさざ波のようにいつも場内に広がってゆく。感動ものである。自分に合っているからなのか、はたまた単に曲がよいせいなのか?
 喉の調整には充分気を配ったつもりだったが、ラスト前の「宗谷岬」でつい油断し、高音部が一瞬途切れた。ライブ中に声が切れたのはこれで2度目のことで、またしても失態である。救いは間奏で、「すみません」と即座に謝ったことか。ただの言い訳であったかもしれない。人前で歌うことは本当に難しい。

「次の誕生会もまたお願いします」と、帰り際に職員の方に頼まれた。みなさん、本当に喜んでくれているんです、と言い添えて。
 この日、会場の涙はなかった。喉の調子のこともあり、アンコールもやんわりと辞退した。だから失敗だったとは評価していない。同じ場所で短期間のうちに3度目のライブという事情もあり、聴き手にも慣れが出来ていたように感じた。この「よい意味での慣れ」を、いかにして持続するかだ。道はまだまだ奥深く続いている。


 

ホームのどか・ひな祭 /2007.3.3



 なじみのグループホームでのお雛祭に招かれた。事業展開や家族の問題に飛躍的な変化はないが、それでも自分の行ける場所、誰かが喜んでくれる場所があるということは、きっと幸せなことなのだろう。
 この日のプログラムは以下の通り。


「うれしいひな祭り」
「北国の春」
「矢切の渡し」
「花」(瀧廉太郎)
「みかんの花咲く丘」
「高校三年生」
「瀬戸の花嫁」
「仰げば尊し」
「東京音頭」
「ここに幸あり」
「宗谷岬」
「知床旅情」


 いわゆる「春一番メニュー」で、2週間前に別のグループホームでやったプログラムを微調整した簡単なものである。私にしては珍しく、初披露の曲がひとつもない。
 つまりは、「守りの姿勢」で臨んだライブであった。自分の都合で活動そのものをやめてしまうのは簡単だが、せっかくここまで場を広げたのだし、できれば細々とでも続けてゆきたいと思っている。冒険を避けた手慣れた構成で臨むことも、時にはやむを得ない選択であろう。

 自分の気力や体調をわきまえ、キーは全体的に低めで歌った。従って、大きなミスなく、無難に40分をこなした。その分、PAに依存した歌唱法になっていたかもしれないが、これまたやむを得ないだろう。力まずに歌ったことで、「聴き手の心にそっと入り込む」という一点では、かえってやりやすかった気もする。
 場の反応自体は決して悪くなく、歌い終えると、「もっと聴きたい」とのアンコール。入居者の方から出た「ソーラン節」は楽譜の持ち合わせがなく、次回に持越したが、「菊地さんの歌で『千の風になって』をぜひ聞かせて欲しい」と、ある職員の方から頼まれた。
 最近、あちこちでよくこの歌を聞くようになり、一度だけ練習したことがある。あれこれ話すうち、さわりだけでも歌ってみようかという気になった。もちろん歌詞もコード譜もない。

 いったんしまったギターを出して弾いてみると、どうやらキーはCのようだ。(その後の調べで、原曲はEであることを知る)探りながらうろ覚えの歌詞を思い出して歌い始めると、まずまずいける。
 ラスト一行の歌詞がとっさに出てこず、スキャットで逃げたが、「素晴らしい!」とおほめの言葉をいただく。ほとんど練習していない曲をその場で歌ったのは初めてだったが、なかなかよい経験をした。
 プログラムは定番コースだったが、最後の最後で初体験の大きな冒険をした。話題性の強い曲は、ひとまず歌えるようにしておくべきなのだろう。結果として、またひとつ経験値が増えた気がする。