訪問ライブ顛末記


恵み野北町内会〜ネットワーク夢・例会 /2006.5.23



 少し前のことになるが、「ボランティア情報誌で見ました」というライブ依頼の電話があり、その後いろいろと準備を整え、札幌近郊のE市に出掛けた。このところ、こうした突然のライブ依頼が急増している。
 訪問ライブ活動を始めた当初は、自分で何ケ所か「営業回り」のようなことをやったものだが、工夫を重ねた地道な活動のかいあって、最近ではありがたいことに何もせずとも自然に活動の輪が広がってゆく気がする。
 今回のライブ依頼はいつものような介護施設関係からではなく、町内会文化サークルからのもの。郷土勉強会の最後に、ゲストとして歌っていただけないか、との打診である。初めての経験だったが、「ぜひに」とのことで、ありがたくお受けした。

 細かいことはすべて電話で打ち合せ、会場の下調査には行っていない。聴き手の層は50〜80歳とかなり広い。選曲が難しい感じだった。ライブの時間が30分という、自分にしては短いほうであることも悩ましい。
 2日前に別の施設で訪問ライブを終えたばかりで、つまりは中1日というハードスケジュールである。指定された日は平日のお昼。遠方でもあり、こちらとしては週末がよかったが、使う公共施設等の都合でやむを得ないらしい。
 折悪しく、数日前から気管支を傷めていた。もともと気管支は丈夫ではなく、いつもこの時期にはやられている。起きた直後は声が完全にかすれていたが、受けた以上はキャンセルしたくはなかった。出発までの数時間で何とか調整。歌の途中に声が途切れはしまいかと不安を抱えたまま、機材を積んでかなり早めに家を出る。

 外はあいにくの冷たい雨。ここで雨を恨んでもしょうがない。寒いので車のヒーターをがんがんつける。これで本当に5月の下旬か?
 先方の責任者の方が事前に細かい案内図を送ってくれたので、1時間半ほどで迷わず到着。会場のすぐそばに車をとめ、途中のコンビニで買ったオニギリのうち、1個だけを食べる。ライブ開始時刻がお昼の12時30分というのは、歌う側にとってはちょっと辛い。食べ過ぎても空腹過ぎてもいけないので、調整が難しいのだ。
 だが、聴く側の立場になってみると、お腹が一杯になったあとの歌ってのは、悪くないのだろう。こっちは歌う側だから、割切るしかない。

 会場となる郷土資料館はレンガや打放しコンクリートを多用した大変ユニークな建物で、建築設計という自分の仕事面でも参考になる。水が回廊のように流れる美しい中庭があり、天気が良ければ本当はその中庭でライブをやる予定だったのだが、惜しいことをした。
 受付に会場を尋ねると、研修室に案内された。開始まで15分あったので、担当のWさんに挨拶したあと、資料館をしばし見物。5分前に戻って、研修室の外の狭いスペースでマイクスタンドや譜面台の組立てを始める。スケジュールが厳しいと聞いていたので、少しでも歌の時間を増やしたかったのだ。

 12時30分ちょうどにようやく部屋に通される。かなり狭い。自宅2階の常設ライブコーナーとあまり変わらない広さに感じた。20畳くらいの場所にびっしり椅子が並び、ほぼ満席である。
 いつもの癖で「日本野鳥の会」になって数えてみたら、40人弱だった。「20人くらいだと思います…」と事前に聞いていた話とかなり違うが、まあいいか。

 さっそくコード類をつなぎ、音を出す。狭いせいか、2日前の会場と全く同じPAの数値なのに、音の感じ方が微妙に違う。本当は何曲か歌って調整したかったが、雰囲気として許されない感じだ。あとで気づいたが、エフェクトの数値を少しあげてやればよかったようだ。狭い会場に多くの人が入った関係で、残響時間がやや足りなかったらしい。
 さらに悪いことに、会場が明るく、聴き手との距離が異常に近い。私の苦手なパターンで、ギターのアルペジオを試しに弾いてみたら、なぜか指がうまく動かないように感じた。

(もしかしたら、緊張しているのかも…?)
 1ケ月前の自宅ライブの折、似たような状況でライブ前半の出来に、いまひとつ納得がいかなかった事態を思い出す。そもそも、初めての聴き手と会場で、入って10分後に本番というのは、プロでもかなりキツいのではないか?
 しかし、そんな泣き言を並べてはいられない。「手は早いうちに打て」「過ちは二度繰り返すな」とばかり、責任者のWさんが会場にこれまでのいきさつを説明しているのも構わず、「音のテストをします」とかなんとか理由をつけ、「おぼろ月夜」を歌い始めた。
 案の定、指がうまく動かない。声のハリもいまひとつ。やはりリハなしはキツいよな…、と思っているうち、1番の歌詞を間違えて途中で詰まってしまった。

「あ〜、スミマセン、間違えました。まだ練習ですから。ハハハ…」と笑ってごまかす。
 不思議なことに、これで肩の力が抜けたのか、指の動きが俄然滑らかになった。全く何が幸いするか分からない。2番は無事にこなす。だんだん気持ちが落着いてきた。なんとかいけそうだった。

 この日のプログラムは以下の通り。


 〜マイクテスト
「おぼろ月夜」


「北国の春」
「浜辺の歌」
「宗谷岬」
「ここに幸あり」
「さくら」(直太朗)
「釜山港へ帰れ」
「花」(瀧廉太郎)
「川の流れのように」
 〜全員で斉唱
「知床旅情」


 内容は2日前に終えたばかりの訪問ライブのプログラムに微調整を加えたものだ。こう頻繁にライブの依頼がくると、さすがに会場毎に全く別の構成で、というわけにはいかない。
 変えた部分は、手拍子の出そうな歌はすべてやめ、2日前の会場で評判のよかった「釜山港へ帰れ」を後半の勝負どころに持ってきたことくらいか。聴き手の平均年齢が若そうだったので、演歌色の濃い歌は極力外したが、これは正解だった。

 トップの「北国の春」は「上を向いて歩こう」にすべきか、ちょっと迷った。結果論だが、「上を向いて歩こう」のほうが良かったかもしれない。その迷いが歌に出たのか、出来はいまひとつ。途中、高音部分で声が一部途切れてしまうという失態。完全に気管支の不調のせいである。
 前半は会場の空気もつかみきれず、気分がいまひとつ乗らない感じで、聴き手の方々には申し訳なかった。

 歌いながら会場を順に見回すと、50代あたりの、どうもても私より若い女性数人の反応がとてもよい。全ての歌にうなずいてリズムをとったり、一緒に口ずさんでくれたりする。もしかすると地元のコーラスグループにでも関わっている方々だったのか。
 ライブは熱心に聴いてくれる方々をターゲットに進めると、たいていはうまく運ぶ。ごく自然な成行きで、この会場に点在する数人の熱心な聴き手に、暗黙の「リード役」をやっていただくことにした。
(稀にこの暗黙の「リード役」が場にいないケースもあるが、そんなときは職員や責任者の方にその役をやっていただくことにしている。いずれにしても、早い段階でこの暗黙の「リード役」を会場から見つけだすことである)

「さくら」を歌う前に、ちょっと躊躇した。曲調が新しく、しかも街の桜はほぼ散っている。あえて歌わなくとも、曲のストックは充分にあった。
 MCであれこれ話しつつ、「次の歌は歌うべきかどうか、実は迷っています」と曲名を挙げて率直に打ち明けると、例の「暗黙のリード役」の方々を中心に、「ぜひ聴きたいです!」との声が多数。結果的に会場との一体感をより強くすることが叶った。

「釜山港へ帰れ」を歌う前に、少しだけ韓国ドラマに夢中の妻のことや家族のことを話す。MCで自分の人となりを知っていただくのは、歌とは直接関係ないとしても大切なことだろう。
 この歌は多くの人々が聴きいってくださった。自分の気持ちが入りやすい曲は、聴き手にも受け入れられるようで、迷ったときはこれを基準に選曲するのが無難のようである。

「花」で場の雰囲気を明るく戻したあと、ラスト前に何を歌うべきか、またまた迷った。ラストは「知床旅情」を全員で歌うことが事前に決まっていて、開演前に歌詞カードが配られている。時間的に歌えるのは、あと1曲だけだった。年齢層の広い場なら「川の流れのように」かな…、と思ったが、いまひとつ確信が持てない。
 そこでまた会場にずばり聞いてみた。多少の迷いはあったにせよ、この日ぜひとも聴いて欲しい曲はほぼ歌い切った。ここで歌うのは最初で最後かもしれないし、どうせなら会場の意向に沿ったほうがいい。何曲か候補を挙げると、「川の流れのように」のリクエストが圧倒的。期せずして私の思惑と一致した。

 こうして駆け足ながらライブは無事に終った。時間はほぼ予定通りである。用意していて歌えなかった曲がいくつかあったのが心残りだったが、責任者のWさんから、「3曲目あたりから乗ってきましたね、さすがです」とねぎらわれる。どうやら推してくださったWさんの顔はつぶさずに済んだようだ。
 外に出ると雨は上がっていた。時間や段取りの都合で場内の写真を撮りそびれたので、機材一式を置いて外観の写真を自分で撮る。「一人上手」もすっかり板についてきた。


 

デイサービス菜の花・5月訪問ライブ /2006.5.29



 今年5度目となるディセンターNの訪問ライブにでかけた。中旬に傷めた気管支が完全に回復せず、薬でだましながら何とか調整を続けてきたが、この日を乗り切ればしばらくライブの予定はない。どんなに好きなことでも、身体の調子が思わしくないと、気分はいまひとつ乗らない。自己管理の大切さを思い知る。おそらくこのあたりがアマチュアの甘さであり、悲しさだ。
 この日、プラグラムの中程にヘルパーの女性と二人で、2ケ月前にリクエストのあった「銀座の恋の物語」をデュエットすることが決まっていた。マイクと譜面台と楽譜、マイクスタンドをそれぞれ二つ用意して車に積込む。リハーサルをやる可能性があるので、少し早めに家を出た。

 到着後、数日前にスケジュール確認と新任挨拶の電話があった新しい施設長さんと面談。非常に若い方で、息子と同年代のように思われた。
 開演前にリクエスト曲やデュエットの打ち合せをしたが、デュエット担当のヘルパーさんが介護の手が離せないので、リハなしの本番一発で臨みたいとのこと。多少の不安はあったが、おそらく歌い慣れている方だろうと推測し、さっさと機材を2セット準備した。
 少し迷ったが、マイクスタンドは組立ず、カラオケのようにマイクは手で持って歌っていただくことにする。そのほうが歌いやすいのではないかと、これまた勝手に判断した。

 自ら「衣替え夏モード」と名づけたこの日のプログラムは以下の通り。


「鐘の鳴る丘」
「みかんの花咲く丘」
「赤いハンカチ」
「夏は来ぬ」
「夏の思い出」

 〜ヘルパーさんとデュエット
「銀座の恋の物語」

 〜ソロに戻る
「茶摘み」
「ブルー・シャトー」
「瀬戸の花嫁」
「浜千鳥」
「釜山港へ帰れ」
「知床旅情」


 喉の調子に不安があったのでエネルギーを温存するべく、マイクテストなしの一発勝負である。電話で施設長さんから新たなリクエスト曲、「ブルー・シャトー」「知床旅情」が事前に提示されており、2ケ月前にリクエストがあってまだ歌っていない「赤いハンカチ」「銀座の恋の物語」とあわせ、12曲中の4曲がリクエスト曲という珍しい構成となった。

「鐘の鳴る丘」は、初めて人前で歌う曲だったが、あえてトップにもってきた。いきなりの大冒険で、慣れた会場でなければとても出来ない。しかし、それなりの勝算はあった。明るくてリズム感があり、懐かしい曲であるからだ。案の定、会場からはすぐに小さな手拍子が起こった。この曲は今後も1曲目として使えそうだ。

 以降、いつものようなジグザグ構成で臨んだが、心配していた喉の調子は決して悪くなかった。しかし、会場の反応はなぜかいまひとつである気がした。よくあることだが、歌っている自分の満足感と会場の反応とは必ずしも一致しない。
 理由はいくつか考えられる。いつも会場を上手にリードしてくれる顔なじみのヘルパーさんがこの日、なぜか不在であったこと。やむなく、開演挨拶まで自分でする羽目になっていた。すべてを一人で進行するのは、正直言ってあまり得意ではない。
 また、「衣替え夏モード」などと称して歌った12曲のうち、8曲が初披露の歌だったこともやや問題であったかもしれない。

 唯一の救いは、中盤にもってきた「銀座の恋の物語」のデュエットである。ヘルパーさんは同世代の女性だったが、予想通りの美声で、リハなしのぶっつけ本番をノーミスで軽々とこなしてくれた。
 会場はヤンヤの喝采。これは受けないほうがおかしい企画だ。むしろ、湧いた会場のあとをうまく収めなくてはならないそれ以降が、別の意味で大変だった。

 リクエストだったはずの「赤いハンカチ」「ブルー・シャトー」の反応もなぜか鈍かった。果たしてリクエストされた方はこの日、会場にいたのだろうか?そんなことまで考えてしまった。
 リクエストはとてもありがたいが、会場にいる全ての聴き手の嗜好を代表しているものではなく、そこに難しさとリスクがある。「この日はリクエスト中心の構成で…」などと意気込んでみたが、その考え方そのものに、もしかして誤りがあったのではないか。

 あれこれいいつつ、プログラムは進行したが、聴かせどころであるはずの後半になってなぜか、数人の方々が次々と用を足すために席を離れた。すべて介護の必要な方ばかりで、ヘルパーさんも一緒に場内をトイレへと動く。これまでこの会場では一度もなかったことで、ライブはますます落着かない雰囲気になった。
 悪いことは重なる。この日の昼食は準備に手間のかかるジンギスカン鍋。「いつもより早めに終ってください」と、事前に施設長さんから言われており、MCで間をもたせ、場をうまくコントロールする心の余裕がなかった。
 あとで考えたが、会場全体が何となく落着かなかったのは、この日の昼食メニューへの期待があったせいかもしれない。ごちそうと食欲への期待を凌駕するほどの歌の魅力は、いまの自分にはまだないということである。

 言われた通りに5分早くライブを終えた。いつもならここで次回のライブ日程の打ち合せになるのだが、新任の施設長さんは、「いい雰囲気のライブでした」とねぎらってくれるだけで、次回については何もふれない。ライブの手応えがいまひとつだったこともあり、こちらからあえて(次回はいかがいたしましょう?)と切り出す気にもなれなかった。
 北海道の介護施設の場合、夏場はなるべく外で過ごすべく、多くのイベントが屋外で計画されるのが常だ。去年も夏はほとんど訪問ライブの依頼がなかった。おそらく同じようなスケジュールになるのだろうと勝手に推測している。
 秋になって私の歌をもう一度聴きたいと誰かが思ってくれたなら、また依頼がくるかもしれない。その日が再びくることを信じ、しばし心と身体を休めたいと思う。


 

白石中央病院・夏祭り /2006.7.22



 わけあって、父が入院中の病院で毎年この時期に開催される夏祭りのゲストとして歌ってきた。父の入院は冬の凍結路で転倒した今年1月上旬に始まった。脳挫傷の後遺症で歩くことも叶わず、退院の見通しもたたない。
 4月から長期療養型のいまの病院に移ったが、週に1度ほど顔を出しているうち、職員の方々ともすっかり顔なじみ。たまたま廊下に誕生会の写真が展示してあるのを見つけ、もしやと思って「実は介護施設等でときどき訪問ライブをやっています。何かあればお手伝いします」と職員の方に打ち明けた。

「それは素晴らしい、今度ぜひウチの病院でも歌ってください」
 そう頼まれ、快諾していたのだが、その初舞台は誕生会ではなく、地域住民にも広く開放された夏祭りの場だった。

 当日は雨の予報だったが、見事に外れて蒸し暑く、夏祭りには絶好の天気。ステージは午後2時からだったが、私の出番はラストひとつ前の3番目。2時45分から15分間である。
 1時半に先方に着き、PAの調整をする。屋外駐車場に巨大なテントをかけたステージと客席は、雨や陽射しも完全に防ぐことが出来、今年で30回目という長い祭りの歴史を感じさせた。

 PAの設備はまずまずだった。ギターはPAに直接つなげることが分かり、マイクは面倒をさけて病院側のものを使うことにする。モニタースピーカーとリバーブがないが、ぜいたくは言えない。
 時間の関係でリハーサルも不可能。いわゆる「一発勝負」だが、最近はこのパターンが多いので、何とかなるだろう。いや、しなくては。

 病院側の用意してくれた控室は、点滴室だった。お茶やお菓子まで用意してくださり、恐縮。ゲストとはいえ、入院中の患者の家族である。いわば「関係者」のようなものだが、素直にご好意に甘えることにした。
 2時ちょうどにステージが始まる。普段はケアマネージャーをしているというTさんの司会進行は、非常にうまい。普段から人を説得することに、慣れているからかもしれない。
 最初は和太鼓、続いて日本舞踊の円舞があり、私の出番がきた。この日のプログラムは、「高齢者だけでなく、出来れば地域住民や患者の家族も意識した、幅の広い選曲を」と事前にTさんから頼まれていた。かなり難しい要求だったが、考えに考えたセットリストは、以下の通りである。

「上を向いて歩こう」
「カントリー・ロード」
「浜辺の歌」 作詞:林 古渓、作曲:成田為三
「さくら」(直太朗)
「知床旅情」
 〜アンコール
「宗谷岬」


 15分程度という演奏時間は、私としては短いほうだ。普通にやると4曲だが、この日は構成の関係から、どうしても5曲やりたかった。そこで「カントリー・ロード」と「知床旅情」をいつもより短くして歌うことにし、流れによっては、「さくら」も一部をカットするつもりでいた。
 あれこれいいながら、こうして並べてみると、いずれも定番の得意曲である。ライブ活動もいつしか2年を超え、次第に自分の歌うべき歌、収まり場所のようなものが見えてきたような気がする。

 1曲目の「上を向いて歩こう」から会場は湧いた。場内は職員や患者の家族、そして地域住民も含めておよそ100人。その最前列には、車椅子に座った父の姿がある。おそらくは病院側の配慮であろう。身内、しかも病身の親が目の前にいる状況は、あまり歌いやすいとはいえない。だが、この日は極めて気持ちが落着いていた。
 調子に乗って「カントリー・ロード」を続けて歌ったが、実はこの歌は直前まで歌うべきかどうか迷った。しかし、場内には小さな子供の姿も見える。「万人むきの選曲」という点では歌うべきだった。だが、歌いながら注意深く観察すると、案の定、高齢者は聴き慣れない曲に退屈そう。予定通り、短くはしょって歌い終える。

 その後の3曲の反応は、まずまずだった。4曲目の「さくら」で、突然父に付き添っていた看護士の方が車椅子を押し、歌っている最中の私の横に連れてきた。これまた何かの演出か配慮だったのか。
 いわゆる「泣き」の入りそうな危ういシチュエーションだったが、ここでも私は落着いていた。ただし、歌の内容が内容だけに、非常に情感は乗った。危ない状況を、うまくプラス側にさばいたと思う。歌い終えると、「こちらがお世話になってます父です」と、場内に紹介する余裕さえあった。

 ラストの「知床旅情」を無難に歌い終え、さっさと撤収しようとしたら、うしろでPAの調整をしてくれていた進行のTさんが、「菊地さん、お父さんのために、もう1曲お願いします」と言う。早い話がアンコールである。
 全体の進行が早めに進んでいたので、時間は大丈夫とのこと。「それでは父だけでなく、みなさんのためにもう1曲歌わせていただきます」と、これまた無難な「宗谷岬」で締めくくった。

 2日後に病院で父の病状や今後のことを相談に行った折、Tさんから、「もしお父さんが退院されても、来年またぜひ歌ってください」と頼まれた。選曲等、とても好評だったそうである。
 これを聞き、少しは親孝行の真似事になったかもしれないと、肩の荷が降りた気がした。


 

輝楽喜楽くらぶ・例会 /2006.7.29



 車で15分足らずの近所で活動している障がい者グループの例会で歌ってきた。このグループからライブの依頼を受けたのは春先のことで、前日に依頼を受けて翌日にはもう歌う、などというハードなスケジュールを日頃こなしている身にとっては、充分過ぎるほどの準備期間があった。
 対象は心身に障がいのある10代の子供たちとその親。聴き手の層としてはかなり難しく、事前の打合せでも、特に選曲に関していろいろ相談させていただいた。
 基本的には「おまかせします」とのことだったが、会話の中で唯一出たリクエスト曲が、SMAPの「世界に一つだけの花」。一度も歌ったことがなかったが、作者が槇原敬之なのでやれそうな気がした。この日のために長い時間をかけ、練習に励んだ。

 ライブ当日が次第に近づくなか、身内の入院とか仕事の突然のアクシデントだとかの不測の事態が次々と起こったが、予定は予定である。主役である子供たちとその親との両方に喜んでもらえそうな曲を自分なりにピックアップし、候補曲は多めにして臨んだ。

 会場は地域の町内会館で、20畳くらいの和室。ライブは10時50分から30分程度の予定で、10時30分に着くとすでにメンバーは全員集まっていた。子供が3人、大人が4人のこじんまりした集団だが、人数の多少はあまり重要な要素ではない。
「たった一人の依頼でも歌いにうかがいます」と、日頃からあちこちで宣言している。ちょっと格好が良過ぎるかもしれないが、聴く気のない100人の前で歌うより、真剣に聴いてくれる一人のために歌いたい。

 この日のプログラムは以下の通り。


 〜マイクテスト
「僕の胸でおやすみ」
「雨が空から降れば」


「上を向いて歩こう」
「カントリー・ロード」
「牧場の朝」
「埴生の宿」
「宗谷岬」
「世界に一つだけの花」
「浜辺の歌」
「手のひらを太陽に」
「さくら」(直太朗)
 〜アンコール
「翼をください」
「あなたにメロディ」(オリジナル)


 本番前に歌った2曲はリハーサルのようなものだったが、聴き手のコミュニケーションをとるため、この時点からあれこれと会話を交しつつ、進めていった。
 これといった開始前の紹介もなく、進行もすべて一人だったが、ファミリーな雰囲気のライブという意味では、これでよかったと思う。ムードとしては自宅コンサートに限りなく近かった。

「あまり余計な話は曲間に入れないで」と、事前に聞かされていたので、MCはほとんどなしで、トントンとライブは進んだ。30分で9曲も歌えた理由はそこだ。
 全体として大人たち(親)の反応は大変よかったが、子供たちの反応はさまざまだった。曲によっては生き生きとした表情を見せる子もいれば、あまり関心がなさそうな様子の子もいる。障がいの程度やその日の気分、体調などがさまざまなのだろうから、これはやむを得ないことだろう。

 この日の喉の調子は大変よく、そこは大きな救いだった。初挑戦した「世界に一つだけの花」「手のひらを太陽に」「牧場の朝」も無難にこなした。このような場のために作ったようなラストの「あなたにメロディ」も好評だった。
「世界に一つだけの花」は、つい調子に乗ってテンポを上げると、息つぎが苦しい。努めてゆっくりめに歌った。私にとってはかなり難しく感じる曲だ。自分のものにするには、もう少し歌いこむ必要がある。

 ライブが終ると代表のKさんから、秋の別のコンサートにも来ていただけないだろうか、と打診された。例会とは別に、友人を対象に定期的に自宅で音楽コンサートを開いているのだそう。
「主人にもぜひ菊地さんの歌を聴いてもらいたいのです」と、Kさんは言う。
 私が定期開催している自宅コンサートと、ほとんど同じ主旨である。もちろん快諾した。互いの都合が合えば、11月か12月に訪問することになりそうである。


 

ホームのどか・敬老ライブ /2006.9.18



 以前に訪問ライブをさせていただいたグループホームのホーム長さんから、半年ぶりに電話があった。新しく施設を開設したので、敬老の日に歌っていただけないか、との打診である。以前に移転の話だけは聞いていたし、いつも喜んでくださっていたので、すぐにお受けした。
 場所は車で数分の近所。会場の下調査のため、電話をもらったその日に先方にうかがった。施設はごく普通の二世帯住宅を改築したもので、会場となる居間兼食堂がやや狭い。歌う場所は食卓から最も遠い入口近くのテレビの横と決めた。

 入居者や職員の方々も前の施設から数人が一緒に移動していて、懐かしい顔が並んでいる。ホーム長のYさんは以前の施設では雇われの身だったが、今回は独立自営である。経営的には厳しいに違いないが、なぜか表情は以前よりも晴れやかに見えた。独立に伴って入居者や職員がついてくる。おそらくYさんの人徳であろう。
 入院中の父のことも含め、近況など報告。入居者の方々から北島三郎や美空ひばり、秋の童謡などのリクエストをいただく。涼しくなって、再び歌う場に恵まれた。

 今年は仕事や私事でいろいろ困難な問題が持ち上がっていることもあり、夏以降は積極的なライブ活動を控えていた。およそ2ケ月ぶりに人前で歌うことになったが、場所はともかく、担当の方が顔見知りなのでその点では心強い。
 台風の余波で当日はあいにくの雨。備品ケースをビニール袋でおおい、準備万端整える。1時45分に先方につき、10分で機材の搬入とセットをすべて終えた。

 この日のセットリストは事前のリクエストを一部配慮して、以下のようなものだった。


 〜マイクテスト
「僕の胸でおやすみ」

「高校三年生」
「浜辺の歌」
「星影のワルツ」
「浜千鳥」
「函館の女」
「里の秋」
「瀬戸の花嫁」
「旅愁」
「川の流れのように」


 プログラムの特徴を一言で書くと、「演歌と唱歌のジグザグ構成」である。全部で11曲準備したが、30分という演奏時間のなかで結果として歌ったのは、マイクテストを除いて9曲。MCを極力減らして歌っても、このあたりが限界である。

 この日は喉の調子がまずまずで、ていねいにゆっくり歌うことを心掛けたせいか、大きなミスはなかった。強いてあげると、アルペジオの曲で爪が何度か弦にひっかかったこと、「函館の女」の最初のサビで、一部声が途切れたことか。
 この「函館の女」は入居の方に北島三郎ファンがいるとの事前情報で入れた曲だが、ここから会場は一気に盛上がった。このホームに限っては、「函館の女」をトップで歌うという選択もあると見た。

 ホーム長さんが以前にいた施設もそうだったが、入居の方々は皆おとなしい。しかも、入居者が5人という少人数なので、構成としてはかなり難しい。初めての会場の場合、人数が多いほど選択した曲が誰かにあたる可能性が高くなるので、やりやすいのだ。
 しかし、中盤以降で感極まって涙ぐみながら聴いてくださった方がいたので、ライブの出来としては悪くなかったのだと思う。
 もしまた呼ばれる機会があったら、もっと元気のいい曲を増やしてみたい。いずれにしても、介護施設でのライブ構成は、なかなか奥が深い。

 終了後、手作りのおいしいアンミツをいただき、ロールケーキのお土産までいただく。とてもアットホームな訪問ライブであった。


 

サンフラワー・10月誕生会 /2006.10.8



 連休を控えた週末の昼近く、突然電話が鳴って、すわ、連休ごしの仕事かと受話器をとったら、見知らぬグループホームからだった。先月歌ったグループホームからの紹介だそうで、2日後の日曜に1時間ほど歌っていただけないかとの急な訪問ライブ依頼である。
 今年はこちらから積極的に動くことは控えているが、向こうからやってくるライブ依頼は断りにくい。しかも、懇意にしている方からの紹介だ。時間がなく、気持ちの準備はあまりなかったが、すぐに受けた。場所はいつも行く近所の大規模公園の近く。昼休みに散歩をかね、会場調査に行った。

 責任者の方と名刺交換をすると、なんと相手は上場会社の大手。(名刺に書いてあった)全国の従業員も1万人近い。(帰宅後にネット検索で判明)介護もいよいよ立派な産業なのかと、改めて驚かされる。
 デイケアセンターも併設していて、グループホームは2ユニット。聴き手の人数はかなり多い。ライブの場所とプログラムの打合せを簡単に済ませる。
 入居者の歌の嗜好を訪ねると、「北国の春」「赤い靴」「炭坑節」「荒城の月」「石原裕次郎」「細川たかし」と、いろいろ出てきた。できる限り応えようと、家に戻ってさっそく練習に励む。
 全く歌ったことがなかった「炭坑節」を短期間で何とかモノにする。この手の民謡は、場を盛り上げるには絶好かもしれない。リクエストはレパートリーを増やすよい機会ととらえよう。

 当日、会場に着くと、すでに宴が始まっている。ヘルパーさんの一人が音頭をとり、歌集を片手に入居者の方々が歌っている。食後の合唱タイムだろうか。機材をセットしながら聞き耳をたてると、練習した「炭坑節」や、この日歌う予定でいた唱歌なども含まれていた。
 ちょっとやりにくい気が一瞬したが、自分で歌うのと弾き語りを聴くのとではまた趣きが違うだろうと、気を取り直す。

 機材の準備は整ったが、会場の歌は続いていて、どうもマイクテストをする雰囲気ではない。歌う場所の後ろに和室のくぼみがあり、会場全体が横に広い。そのあたりがちょっと気になり、ぜひとも音を出して試したかった。
 言い出しかねていると、かのヘルパーさんがそっと近寄ってきて、実は今日は……さんの誕生会もかねているので、「ハッピバースデーツーユー」の歌をぜひどこかで歌って欲しい、と耳もとでささやいた。
 一瞬頭がパニくった。全く聞いていない話だ。どうも先方はこちらをかなりの使い手と勘違いしているようだ。何も準備なしでハイハイと弾いて歌える技術は、残念ながら持ち合わせていない。
 しかし、これまた断りにくい雰囲気。やむを得ず、急きょコードをなぞっていたら、C、G7、Fで何とかいけそうな感じだ。ふと閃いて、いっそこの歌をマイクテストにしようと決めた。

「誕生祝いの歌を最初に歌います」と宣言し、弾き始めたが、あきらかにキーが低い。あわててカポをつけて調整。3カポでどうにか合った。
 ジャカジャカ弾きながらさり気なくコード進行を確かめ、該当の方の名前をうかがう。適当にお祝の言葉を交え、すっと歌に移って、何とか無事に終えた。際どいアドリブだったが、喜んでいただいた。よかった。予期せぬ依頼ではあったが、結果的に冒頭のこの歌で会場の空気をつかむことが出来たようだ。

 ミキサーで音を微調整し、本番に移る。ボーカルがやや大きい感じが途中でして、再調整。この日のプログラムは準備不足もあり、一ケ月前の訪問ライブを基本とした秋メニューだった。


「北国の春」
「埴生の宿」
「函館の女」
「浜千鳥」
「つぐない」
「炭坑節」
「里の秋」
 〜童謡メドレー
「赤とんぼ」「紅葉」「たき火」

「お富さん」
「旅愁」
「荒城の月」
「銀座の恋の物語」
「花〜すべての人の心に花を」
 〜アンコール
「知床旅情」


 1曲目の「北国の春」は時期外れだが、事前の調査で人気のある曲と聞いていた。もともとこの曲は介護施設では「ハズレ」の少ない曲である。案の定、うまく入れた。以降、唱歌を多めにして随所にノリのいい曲をはさむという構成で進めた。
 1曲目の「函館の女」を歌う直前、入居者の一人が突然の腹痛でうなり始めた。一瞬会場に緊張が走ったが、この種のハプニングには充分慣れている。せっかく調子に乗りかけた場の空気を壊さぬよう、ヘルパーの方が車椅子で運び出す間、「函館の女」のコードをゆっくり鳴らして音を切らさないように心掛けた。


リハの時間がなく、珍しいライブ終了後の写真


 この日は喉の調子がよく、場も次第に盛上がって、今年最高とも思える出来。ほとんどの曲を会場のどなたかが一緒に口ずさんでくれ、歌う側の気分も乗った。
 よい流れはどんどん相乗効果を生む。歌いながら会場の様子をうかがう余裕もでてきて、見回すと会場のどの目もいきいきと輝いている。
(これを上回るライブは、もうあり得ない)と、手応えのあるライブを終えるたびにいつも思うが、ライブの奥はそれほど浅くはないようだ。主催者や聴き手に代表される場に恵まれると、より向上したライブに巡り会うことが可能なのだと、この日つくづく思った。

「銀座の恋の物語」の2番で、ヘルパーさんの一人が突然立上がってマイク横に「乱入」してきた。本番前の合唱で音頭をとっていた方だ。それまでずっと一緒に歌って盛り上げてくれていたから、何の違和感もなく受け入れた。
 しかし、背の低い方でマイクが高過ぎ、椅子に載ると今度は高過ぎる。しゃがんで歌ってようやくちょうどよくなった。会場はやんやの喝采。そのままラストの「花」になだれこむ。
 ふと見ると、会場の幾人かの方が涙を流している。しかし、悲しい涙ではなく、「いついつまでも花を咲かそうよ〜」の歌詞と、この日のライブ全体の流れに呼応したうれしい涙だ。私も大いに乗って、ラストを2度繰り返し、余韻を残して歌い終えた。

 介護施設では久し振りのアンコールに応え、すべてを終えると、何人もの方が近寄って声をかけてくれた。「こんなにうれしそうな顔の入居者を見たことがない」と、責任者の方からもねぎらわれる。手応えは何より、歌った私自身が最もよく感じている。
 機材を撤収中、ヘルパーに支えられた10月誕生の方から、お菓子を直接プレゼントされる。今年で喜寿だそうだが、まだまだしっかりしている。受け取りながら、歌ではこらえていた熱いものがこみあげた。

 実はこの日のライブは、当初「1時間ほど歌って欲しい」との要請だった。しかし、1時間もたせる自信がなく、「ひとまず30分歌わせていただき、あとは場内の反応を見て適宜延長します」と応えていたが、終ってみれば合計16曲、ほぼ1時間歌っていた。
 帰宅後、久し振りに左手がつってしまった。かなり気合いが入っていたのだろう。そのまま倒れるように夕方まで仮眠。疲れたが、充実した時間だった。