訪問ライブ顛末記


デイサービス菜の花・新春訪問ライブ /2006.1.16



「情報誌で知ったのですが、当方のディケアセンターで歌っていただけませんか」

 暮れの押し詰まった2005年のある日、そんな電話がかかってきた。その年の秋に取材を受け、写真入りで大きく掲載された私の訪問ライブ活動の記事を読んだという。
 NPO法人が定期発行しているボランティア情報誌「ボラナビ」がそれで、「笑顔を生み出す出張芸ボランティア」という特集の中で紹介されたものだ。
 そもそもこの月刊誌のことを知ったのは、2005年夏に旧北海道庁前広場(赤レンガ)で実施された2005北海道パフォーマー見本市だった。オーディション終了後に案内パンフレットを事務局から渡され、何気なく募集要項に記入してきたことがきっかけだ。

 歌とギターによる様々なライブ活動を始めてからやがて1年になるが、この種の世界は広いようで案外狭い。多くの組織や個人が、あちこちでつながっている。地道に活動を続けていれば、情報は自然に広がってゆくものらしく、その意味では仕事の世界とあまり変わりはない。自分の活動内容そのものが、物言わぬ広告塔のようなものなのだ。

 年が明けてから先方と再度連絡をとり、施設を訪問して責任者と面談、会場の下見と打ち合せを行った。会場を一度も見ずにライブをいきなりやる勇気や実力もまだない。事前に会場を見て、じわじわと当日のイメージを作ってゆく、それが自分流のやり方である。
 打ち合せのなかで、「極端に古い歌や軍歌の類い、極端に子供むきの童謡は避けて欲しい」「一緒に歌うことを聴き手に強要しないで欲しい」「出来れば聴き手の要望に応える形式、たとえばリクエストコーナー等を設けていただけないか」等々、様々な要望が先方から出された。
 おおむね納得出来るもので、自分のこれまでのやり方と大きな隔たりはない。特に「リクエストコーナーを設ける」は、かねてから施設訪問ライブでやってみたいと考えていた構成で、見事に私と先方の思惑とが一致した。
 童謡はいつも歌わせてもらっている近隣のKホームでは好評だが、施設には施設毎に異なった嗜好があり、歌い手は基本的にそれに合わせるべきだと思っている。リクエストコーナーをプロぐラムの中程にもってくれば、アクセントとしての童謡は必要としない。

 あらかじめ準備しておいた楽譜集を見せると、「感覚が非常に新しいですね」と、先方は気に入ってくれた。これまでもたびたび訪問ライブを別の方に頼んでいたが、職員を含めた聴き手の反応はいまひとつ。退屈のため、途中で眠ってしまう人も多く、新しい歌い手を探していたのだそうだ。
 これを聞いて思わずうなった。ボランティア活動もすでに「やってあげれば何でもいい」時代ではなく、相手の嗜好や要望に合わせたキメの細かい配慮が必要な時期に差し掛かっているのかもしれない。言葉が適当かどうか分からないが、いわば「ボランティア淘汰」の時代到来である。

 幸いだったのは、ボランティア情報誌に紹介された記事に、「レパートリーは『さくら』『カントリーロード』など、およそ500曲」とあったことだ。確かに新しいといえば新しく、いろいろ歌える歌い手、という読み手のイメージにはつながったかもしれない。

 下調査のおよそ10日後の月曜日が本番の日である。先方の希望は午前中で、仕事をあれこれやり繰りし、支障のないように準備してから出掛けた。
 冬道の渋滞を心配したが、約束時刻の30分前に到着。ステージの位置はすでに打合せてあり、あとは機材をセットするだけだった。
 この日、妻はライブに帯同していない。軽量のアンプ付スピーカーを中古で買い、荷物が大幅に減ったことが大きな理由で、最初の場であるので写真撮影だけはマイクテストの折に職員の方にお願いした。
 訪問ライブもかなりの数を重ね、今回のように平日の午前中の時間帯もあったりして、これまでのようにその都度妻の仕事のスケジュールを調整する手法は、難しくなってきつつある。妻の負担を軽くする意味でも、徐々に独りでライブ活動をこなす体勢に変えていくつもりでいた。

 10時50分から機材をセット。職員の方々は椅子の配置変えを同時にやっている。10時55分に終了し、さっそくマイクテストを開始した。
 新しいアンプ付スピーカーもかなり使いこなせるようになり、音は一発でOK。この日、初めて音にエフェクトをかけた。いわばカラオケのエコーのようなものだが、レベルはごくわずかである。この「肉声の良さを損なわない程度のわずかな効果」という調整が意外に難しいのだが、工夫研究のかいあって、この日はほぼイメージ通りの音が作れた。

 11時ちょうどからライブを開始した。先方の終了希望は11時50分。予定に合わせてピタリとライブを終えるのは、最近うまくなった。時計を眺めつつ、曲目を飛ばしたり歌詞の一部を省略したりして、だいたい1分以内の誤差で合わせる自信がある。
 初めての場なので、これまで歌ったことのある無難な曲を中心に構成したが、目玉は中間に設けた「リクエストタイム」である。ある種の賭けでもあったが、予想以上にリクエストがポンポン飛び出し、非常に盛上がった。
 準備していった楽譜の1/3程度しか歌えなかったが、この日のセットリストは以下の16曲である。

 〜マイクテスト
「浜辺の歌」
「さくら」(直太朗)



「北国の春」
「バラが咲いた」
「冬の星座」
「白い想い出」
「知床旅情」
「宗谷岬」
「真室川音頭」
 〜リクエストタイム
「帰ろかな」
「川の流れのように」
「箱根八里の半次郎」
「北酒場」
 〜ノーマルに戻る
「お富さん」
「高校三年生」
「銀色の道」

 マイクテストの途中で隣接するグループホームの方々がかなりやってきて、会場はややざわついていた。だが、「さくら」を歌い出すと会場はほぼ落着き、この時点ですでに熱心に耳を傾けてくださっている。歌っている私自身も次第に熱が入ってきて、4分のフルコーラスを歌い切った。すると、会場からは本番と全く変わらない拍手。
 最近、このマイクテストで会場の空気をつかむ、ということをやっているが、かなり効果的だ。落語でいうと「マクラ」のようなもので、本番ではちょっと歌いににくい曲とか、その日の聴き手は何を求めているのかなど、いろいろな事を試すことが出来る。

 この日の衣装は新春らしく、昨年末のKホームの訪問ライブでクリスマスプレゼントにいただいたバンダナのうち、赤いほうをさっそく使った。シャツもそれに合わせた暖色系の色調。ライブは歌い手にとっても聴き手にとっても「非日常」だから、いろいろな意味で小さな演出は大切だ。引いてはそれがライブ全体の雰囲気を支配することにもなる。

 聴き手の数は20〜25名前後で、かなり多いほうだったが、最初の6曲を歌ったところで、会場がいまひとつ静か過ぎる印象がした。歌いながらも聴き手の表情や動作を注意深く見ているので、みなさん熱心に聴いてくれているのは分かっている。歌に合わせて手を膝の上で小さく叩き、リズムをとっている方も複数いた。だが、全般的におとなしい。聴き手の80%が女性という要素も関係していたかもしれない。
 歌い終ったあとの拍手は強く、長かったが、歌い手としてはもう少し場に入ってきて欲しい気がした。

 前半の曲調がやや穏やか過ぎて、雪が舞い散る窓の外の景色にはぴったりマッチしていたが、反面、にぎやかに場を楽しむ雰囲気には欠けていた嫌いがある。
 そこでいつものように奥の手を取り出した。当初のプログラムの構成を無視し、賑やかな曲をカンフル剤として急きょここにもってきたのだ。歌はずばり「真室川音頭」。初披露の曲だったが、自宅での練習では妻が必ず階下で手拍子をしてくれていたし、親に隠れて三橋美智也を聴いて育ったくらいだから、民謡はもともと得意だ。
 歌い出すと、すぐに大きな手拍子がきた。この曲でようやく場の空気を自分のものにした。この余勢をかって、今回の目玉である「リクエストタイム」になだれ込む。

 実はこのリクエストタイムのアイデアは、昨年青木まり子さんがライブでやっていたのを真似たものだ。プロの歌い手である青木まり子さんは、数十曲のタイトルをスラスラ読み上げ、「ご希望の歌がありましたら声をかけてくださいね」などと軽々と言ってのけていたが、いざ真似てやろうとすると、簡単そうで難しい。
 その場で歌える曲の絶対数が多いことは当然だが、対象が高齢者であることを配慮しなくてはならないし、リクエストの出やすい工夫もしなくてはならない。そこで演歌系の歌を中心に、原則として一人の歌手で2曲を準備。まずは歌手の名を読み上げ、「この歌手が好きな方はいますか?」と会場に直接呼びかけた。
 幸いだったのは、2曲目に準備した北島三郎のファンがいて、すぐに小さく挙手してくれたことだ。以降、この方が会場をリードする形でリクエストタイムは順調に進行した。
 場をなごませるため、時には職員の方にも声をかけつつ進めていたので、「細川たかしが聴きたいが、どちらがよいのか分からない」と会場が迷っていたときは、ホーム長さん自らが「《北酒場》が聴きたい」と決断を下してくれたりもした。

 予定通り11時50分ぴったりに終らせたので、アンコールはない。だが、終ったあとの会場には余韻が残り、誰も立上がろうとしない。「もっと聴きたい」という多くの声が挙がり、「それではまた来て歌っていただきましょう」と、その場で翌月の訪問ライブの予定が決まってしまった。

「リクエストタイムがあって、とてもうれしかった」(女性)
「『川の流れのように』が最高に良かった」(男性)
「ラストの『銀色の道』を聴いていて、思わず涙が出た」(女性)
「青春時代に一瞬戻った気がした」(女性)

 ライブ終了後に直接声をかけて下さった聴き手の方々の感想である。このほか、職員の方々からは、「声がとても美しい」「時節に合わせた選曲と構成が巧み」などの声も挙がった。歌い手として、本当にうれしい言葉ばかりだ。去年1年の手探りに近い地道な経験の積み重ねで、聴いてもらえるおよその位置には立てた気が自分でもする。

 帰り際、責任者の方から、「我々の気持ちです」と、のし袋を差し出される。これまでその種の謝礼や交通費の類いは一度もいただいた経験がなく、固辞したが、それでは気持ちが収まらないと、先方も頑として譲らない。「ほんのガソリン代程度です」という言葉に甘え、ありがたく頂戴した。
 もしかするとこの施設では定期的にライブを依頼されそうな予感が漠然とだがする。仮に毎月ともなると、飽きられないように準備するのが結構大変そうだが、しばらくは請われるままに歌ってみようかと覚悟を決めている。


 

デイサービス菜の花・2月訪問ライブ /2006.2.20



 ボランティア情報誌に掲載された記事がきっかけで始まったディセンターNでの、2度目の訪問ライブを予定通りに行った。
 どのような活動でも似たような傾向があるが、大切なのは最初ではなく、むしろ2度目のほうかもしれない。最初は仕掛ける側(歌い手)と受ける側(聴き手)の双方が新鮮な気持ちで対処できるから、よい結果に結びつくことが多い。
(最初からダメなケースも確かに存在するが、すでに1年以上の訪問ライブの実績を経たあとでもあるので、今回は考えない)
 仕事の営業でも、2度目以降がスムーズに運ぶことが肝心で、そのためには最初の一回で相手の心を確かにつかむことだ。最初の訪問ライブを終えた直後に次回の訪問を依頼されたこの施設では、この点での問題はなかった。

 仕事やプライベートでの様々な雑事に謀殺されながらのスケジュールをどうにか調整し、新しいカバー曲へのチャレンジも交えつつ、準備万端整えてこの日を迎えた。
 1ケ月の準備期間中に考えたことは、2度目はすべて別の曲を歌おう、と自分に課したことだ。(実際には1曲のみ前回と重複)1度目は聴き手にとってすべて最初の曲だから、耳に新しい。しかもこれまであちこちのライブで歌っていて、ある程度実績のある無難な選曲でまとめた。いわば選曲面での大きな失敗を避けた安全策で、それなりの手応えもあった。しかし、2度目となると、もはや同じパターンは通用しない。
 最初のライブでつかんだおおまかな場の雰囲気をふまえつつ、これまでとは別の新しい方向を何かひとつでも見つけたかった。

「以前とは違う何かを自分の中で見つける」

 雑誌の取材でも応えたが、それこそが日々のライブ活動を支える、私の大きなエネルギー源なのだった。
 幸いなことに、これまでの訪問ライブの定番には必ずしもこだわる必要はないことを、最初の打ち合せで確認ずみである。「高齢者だから童謡や古い歌をそろえておけば無難」という従来の概念を打ち破り、新しいパターンを試すにはもってこいの場だった。

 相手先の都合で、ライブ開始はこの日も平日午前中である。このあたりのスケジュール調整がつくのが自由業の強みといえば強み。これだけをとっても他より少しは優位な立場にいる気がする。
 今回も妻は仕事の調整がつかず、同行しない。機材を始めとしたライブ体勢を身軽なものに変えてから俄然フットワークがよくなり、この1年でさまざまな場で多くの修羅場をくぐり抜けて精神的にもたくましくなって、ほぼ独りで事を取り仕切れる自信がついた。

 同じ札幌市内だが、施設は自宅から数十キロも離れている。いつものように予定曲の1番だけを自宅でざっと歌って発声練習をかねたミニリハをすませ、早めに家を出たが、暖かい陽射しのせいで雪解けが進み、車の流れはスムーズである。予定よりも30分早く先方に着く。遠方の場合はこれくらいの余裕があったほうが無難だ。
 機材を搬入し終えると、前回とは違う責任者の方が突然現れ、「組織内移動で担当が変わりました」と名刺を差し出される。この瞬間、(これは弱ったぞ…)という嫌な予感が走った。

 実は前責任者の方は雑誌に掲載された数多くの情報の中から、私を選んで白羽の矢を立ててくださった方である。世代も同じで、偶然だが自宅も車で10分ほどの距離。しかも若い頃にギターを弾いていたことがあるらしい。前回のライブ中も会場の最後尾に陣取り、何かと場を盛り上げてくれていた。そのありがたい理解者が、移動でいなくなってしまったという。
 介護施設の責任者は多くが「雇われ責任者」であり、経営者は別にいて、現場にはあまり顔を出さない。そして訪問ライブの選択権を掌握しているのは当然ながら経営者ではなく、現場の責任者のほうである。たとえボランティア活動といえども、この責任者の理解なくして訪問ライブは成り立たないのだ。

 理解者不在のままライブを実施することに、一抹の不安を覚えた。スタッフは他にもいるが、大きな期待は出来そうにない。ライブは自分独りのリードで進行せざるを得ない状況だった。
 あれこれ考えているうちに、たちまち開始時間となった。11時5分前に全員がそろい、前回ライブで顔見知りだった主任クラスと思われる若い男性の挨拶でライブは始まった。聴き手は前回とほぼ同じ25名前後である。
 この日歌った曲はマイクテストも含めて15曲。うち14曲は前回ライブとは異なる曲で、さらに10曲が初めて人前で歌う曲だった。


 〜マイクテスト
「冬景色」



「上を向いて歩こう」
「ここに幸あり」
「帰って来いよ」
「時計台の鐘」
「コキリコ節」
「宗谷岬」
 〜リクエストタイム
「つぐない」
「愛燦々」
「悲しい酒」
「ラブユー東京」
 〜ノーマルに戻る
「早春賦」
「与作」
「いい日旅立ち」
「花」(滝廉太郎)

 2月の下旬ということで、冬の終りだが、確かな春の予感も感じさせる微妙な時期でもある。会場にある大きな南窓からは降るような陽光が注ぎ、暖房はついていないのに汗ばむほど。選曲もそうした時候を充分に配慮し、長い冬の終りと春への期待感に満ちたものでまとめた。
 新しいことへの挑戦は大切だが、さすがに1曲目に大きな冒険は出来ない。無難な「上を向いて歩こう」でまず気分を盛り上げ、じわじわと新展開へと持込む。この日も原則として賑やかなストローク奏法の曲のあとは、一転して穏やかなアルペジオ奏法の曲とし、全体のメリハリに配慮した。

 2曲目の「ここに幸あり」で素晴らしいことが起きた。会場の多くの方が一緒に歌ってくださったのである。
 最近の訪問ライブでは、「よろしければご一緒に歌ってください」とか、「手拍子をお願いいたします」などといった、聴き手に対するある種の押しつけはしないよう心掛けている。初期の頃はそうするのが普通だと思っていた。しかし、こちらが場をきちんと整えてやれば手拍子は自然に沸き起こるし、一緒に歌ってくれる人も自然にでてくる。どのようなものであれ、歌い手と聴き手とが一体化した真のライブというものは、そのようなものではないだろうか。
 この日は、(ここで手拍子…)(ここで一緒に歌って…)(この曲は静かにじっと聴きいって…)などという、ある意味でこちらの身勝手かもしれない心の願望と、ほぼ一致した会場の反応だった。

「ここに幸あり」のほかに、会場から自然に歌声が流れてきた曲は、「時計台の鐘」「早春賦」である。手拍子が出た曲は、「上を向いて歩こう」「コキリコ節」「与作」あたり。反対に会場が静まり返った曲は、「つぐない」「愛燦々」「悲しい酒」あたりか。
 恒例化しつつあるリクエストタイムでは演歌がずらり並んだが、例によって用意した曲の一部しか歌っていない。幾度も練習を重ねた「北の宿」「津軽海峡冬景色」「氷雨」「長崎は今日も雨だった」は結局歌えずじまい。次回のチャンスを待とう。
 だが、「つぐない」「愛燦々」「悲しい酒」のリクエストが思いがけず飛び出し、大変うれしかった。くしくも日本と台湾の歌姫の持ち歌を、3曲も続けて歌ったことになる。会場は水を打ったような静けさに包まれた。退屈ではなく、感動による静けさであることは歌っている私自身が一番よく知っていた。歌い手名利につきる時間だった。

 反省は、このリクエストタイムの曲であまりに気持ちが入り過ぎ、場が沈うつなムードに包まれてしまったことである。それは会場が望んだことだからそれでよかったのかもしれないが、以降の4曲でその場の空気を大きく変えることはもはや困難で、急きょ予定を変えて、この日会場の反応のよかった唱歌系の曲である「花」を熱冷まし的にラストで歌い、何とか場をおさめた。
 前回同様、11時50分ぴたりにライブを終えたが、歌い手自身としては前回のようなメリハリに欠けた印象が残った。はっきり言えば、「不満足」である。
 リクエストタイムは場の流れで曲がコロコロ変わるので、構成としては難しい。不満の原因がそのあたりにあるらしいことは分かっていたが、前回のように責任者の方が「北酒場をぜひ歌ってくださいよ」などと、うまく場を盛り上げるための声をかけてくれることは今回はなく、その点でも難しさを痛感した。

 帰り際、司会進行をしてくれた男性に、「責任者の方が変わったようですので、私の訪問も再検討していいただいて構いません」と率直に申し出た。この種のことは依頼者である相手側は言い出しにくいものであるから、ズバリこちらから言ったほうがいい、と判断した。
 すると意に反して担当者は、「いえいえ、これからも月に一度、歌いに来ていただきたいのです」と言う。予想外の言葉だった。これまでの様々なボランティアの方と比べても、菊地さんの歌は評判がとてもいい。訪問活動中に寝てしまう人が必ずいるものですが、菊地さんのライブの場合はそれがない。そう言葉を継ぐ。
 ライブ中に眠るか否かがひとつの尺度とは目からウロコの思いだったが、確かに初期の頃には自分にもそんな記憶がないでもない。相手がそう評価してくれたのなら有り難いことだし、月に一度という決まったサイクルで、決まった場所で歌える機会が与えられたことは、歌い手としては素直に喜ぶべきことなのだろう。

 さてそうなると、月に一度のペースでしばらく同じ場で歌い続ける具体的な方策である。まずは最低1年間は続くと思って今後の計画を立てなくてはならない。
 季節に応じた唱歌や演歌、民謡などのピックアップ作業。要望の多い美空ひばりやテレサテンのレパートリーを増やすこと。埋もれている歌や歌手の掘り起こし作業など、やるべき課題は多い。またしても日々の忙しさに追われそうな予感だが、一方でそれはうれしい忙しさでもある。

「大変なことは結局楽しいこと」なのだ。


 

ホームからまつ・ひな祭訪問ライブ /2006.3.3



 昨年5度の訪問ライブをさせていただいた近隣のKホームから、再びひな祭ライブに招かれた。このホームは入居者全員が女性で、ホーム長さんも私と同年代の女性である。女性のお祭りともいえるひな祭は、イベントとしては欠かせないものなのだろう。ライブの依頼はかなり早くからあったが、ある程度の心構えはその時点ですでに出来ていた。
 依頼のとき、「実は4月から別の施設に移動することになりました」とホーム長さんから打ち明けられた。私を買って何度も訪問ライブを依頼してくれたのは、他ならぬこのホーム長さんである。次の責任者は未定とのことだったが、少なくともこのKホームでこのホーム長さんと共にライブを行うのは、最後の機会となる。ひょっとすると、後任者の考え次第で、Kホームそのものでのライブが最後となる可能性もあった。

 春は移動の季節であり、ホーム長とはいえ、経営者から雇われの身である。人も世も常に流れていて、決して同じ場所に留まってはいないもの。出会いと別れを繰り返すのが人生だ。実際にそうなるかどうかは別にして、(これが最後)と考え、プログラム全体を構成することにした。

 わずか10日前に別のディケアセンターで訪問ライブを行ったばかりで、「冬から春へ移り変わり」という季節的な位置づけに変わりはない。その関係で数曲が前回と重なったが、別の施設なのだからあまり問題とはならない。「歌い込まれた曲」という意味では、むしろ重なるほうがよいのかもしれない。
 このほか、このホームの持つ独特の雰囲気に沿う柔らかい曲調の歌をいつものようにそろえた。評判の高い童謡や唱歌も欠かせない。歌ったのは、童謡メドレーも含めて以下の16曲である。


 〜マイクテスト
「おぼろ月夜」



「高校三年生」
「ここに幸あり」
「早春賦」
「宗谷岬」
「知床旅情」

 〜童謡メドレー
「春よ来い」「ちょうちょう」「チューリップ」

「うれしいひな祭り」
「川の流れのように」
「四季の歌」
「さくら」(直太朗)
「みかんの花咲く丘」
「与作」
「花」(滝廉太郎)


「知床旅情」「四季の歌」は去年5度のライブの中で入居者の方々からリクエストをいただいた曲である。また、ホーム長さんに大変喜んでいただいた、「宗谷岬」「さくら」も今回歌った。いずれも、(今回が最後かも…)ということを意識した選曲だが、ホーム長さんの意向もあり、実際のライブ中に一切その種の話題は入れず、ごく普通の訪問ライブという切り口で通した。
 この日もとても穏やかな天候で、ライブの構成と窓から降り注ぐ陽光とがぴたりとマッチしていて、まさに「ひな祭りライブ日和」である。入居者の方にも大変喜んでいただいた。いつものように、認知症の症状のひどい方による「ライブ中の奇声」というハプニングはあったが、これまたいつものように何となくさばいた。ライブ全体としては、満足出来る内容だったと思う。

 ライブ終了後、入居者の一人のHさんが近寄ってきて声をかけてくれた。今日も素晴らしい歌でした。ついては去年のクリスマスライブに参加した息子から、同じような活動をしたいのだがやり方を聞いて欲しいと頼まれている。名刺をいただけないだろか、と言われる。
 このHさんは足がややご不自由なのでこのホームに入居しているが、認知症の症状はなく、いつも私の歌を喜んでくださる方だ。話をよく聞くと、どうやら息子さんは会社で指導的な立場にあり、部下の前で率先して芸を披露する機会も多く、この「ギター弾き語り」に興味を持ったらしい。
 過去に経験があるかどうかは分からなかったが、どうやら私と同年代のようだ。それでは息子さんにお渡しくださいと、趣味専用の名刺を差上げた。いつかどこかで、同好の士が増えることを祈りつつ。

 お茶とお菓子をいただいて帰ろうとすると、ホーム長さんが近寄ってきて、パックに入った桜餅と一緒に封筒を手渡す。

「次に移る施設の案内パンフレットが入っています。落着きましたら連絡しますので、新しい施設へもぜ歌いにきてください」
 なんだそうか、と思った。少なくともこのホーム長さんとは、今後ともお付き合いが続くらしい。パンフレットを見ると、場所は自宅から車で10分足らず。距離的には大変近く、何も支障がない。新しい活動の場が、またひとつ増えることになりそうだ。


 

デイサービス菜の花・3月訪問ライブ /2006.3.20



 今年4度目となる訪問ライブをディセンターNで実施。設計監理中の住宅現場の完成引渡しが間近で、日々の忙しさに追われていた。前日と前々日も早朝から夜7時過ぎまで、終日完成内覧会に立会ったばかり。しかも、この日の午後には、完成内覧会に訪れてくださったお客様が事務所を再訪問する約束になっており、まさに仕事と仕事の谷間に作ったわずかな時間を割いての、慌ただしい訪問ライブスケジュールなのであった。
 身体にはかなり疲れがたまっていたが、ライブは1ケ月前から決まっていたもの。仕事の予定が急に詰まったからといって、ライブ日程の変更や中止を簡単に願い出たりしては、先方に迷惑をかけるのは明らかだ。たとえボランティアとはいえ、余程の緊急事態でない限り、予定は守るべきだった。

 この日の選曲や構成はかなり前から決めてあって、前日仕事から戻ったあとも全曲を一通りリハーサルしている。忙しい割には不思議に喉の調子はよく、気力充実している時期というのは、そのようなものかもしれない。
 当日出発前にも発声練習をかねて1番だけをざっと歌う。このセンターのライブではリクエストタイムを設けているので、20曲は事前に用意しなくてはならない。実際に歌うのはそのうちの7割程度で3割は無駄になるのだが、やむを得ない。

 春の彼岸というのに、前夜から断続的に降り続く雪が15センチを越えた。ライブ開始予定時刻の1時間20分前に家を出たが、先方に着いたのは開始10分前の午前10時50分。慣れている会場だから事なきを得たが、ちょっとした冷や汗ものである。
 日々の疲れとそんな際どい時間のやり繰りがおそらく顔に出ていたのだろう。開始前に顔なじみのヘルパーさんから、

「アッ、菊地さん今日は調子が悪そう…」などと声をかけられてしまう。

 内心ドキリとしつつ、「大丈夫です」と自分に言い聞かせるように応じた。直前のこのやり取りで、散漫だった気持ちがギュッと引き締まった。女性の勘は実に鋭い。いい声をかけてもらった。

 この日歌った曲のリストは以下の通り。およそ2週間前の「Kホーム・ひな祭訪問ライブ」とかなりの重複があるが、短期間に多くの訪問ライブをこなすうえで、同時期の曲の重複はこれまたやむを得ないことだった。


「高校三年生」
「おぼろ月夜」
「宗谷岬」
「夜霧よ今夜もありがとう」
「さくら」(直太朗)
 〜童謡メドレー
「春よ来い」「ちょうちょう」「チューリップ」

 〜リクエストタイム
「知床旅情」
「星影のワルツ」
「函館の女」

 〜ノーマルに戻る
「北帰行」
「みかんの花咲く丘」
「仰げば尊し」


 今回、人前で始めて披露した曲は、「夜霧よ今夜もありがとう」「星影のワルツ」「函館の女」「北帰行」「仰げば尊し」で、何やかや言いつつ、常に新しいことへの挑戦は怠りないのである。

 この日は会場の反応が大変よく、ライブは尻上がりに盛上がった。おそらく聴き手の強い後押しがあったからだと思う。同じ場所でのライブも3度目で、聴き手の皆さんともかなり顔なじみ。いろいろな意味での条件が整っていた。
 構成上で大きな手拍子のでる曲はなかったが、私の歌とギターに合わせ、一緒に歌を口ずさんでくださる方が相次いだ。もちろん事前にこちらから特にお願いしているわけではない。ライブの流れの中から自然に湧いた歌声なのである。

「おぼろ月夜」「童謡メドレー」「知床旅情」「星影のワルツ」「みかんの花咲く丘」「仰げば尊し」などがそれで、実はこのように高齢者の方々が楽しそうに、時に懐かしそうに一緒に口ずさんでくれる行為に、とても弱い。なぜか泣けてしまうのだ。
 この日は「さくら」でも、メガネを外して涙を拭っている男性がいた。歌い手が一緒に泣いてしまうと、ライブは崩れる。発信者である歌い手がグズグズと感情に流されると、聴き手は逆に醒めてゆくものだ。過去の様々なライブ経験でそのことは充分知っていたので、この日は危なくなると歌とは別のことを考えて感情の暴走を抑えた。たとえば進行中の現場の段取りを歌いながら考えたりした。
 果たしてそれがよいことなのかどうかは分からない。もっと良い手段がある気もする。しかしともかくも情に流されることなく、際どい部分を保ちつつ、無事ライブを終えることが出来た。

「《仰げば尊し》がとても良かったです。青春の日々がよみがえりました」
 機材を片づけていると、近寄ってそう声をかけてくださる女性がいた。ひとときの確かな時間と空間を共有出来たのだ。手応えのあるライブだった。

 終了後主任の方から、市内6箇所に点在する系列の介護施設を順に定期訪問していただけないか、との正式な打診を受ける。実はこの介護施設は市内に古くからある不動産会社が手広く経営するもので、全く別ルートだが、以前に住宅のほうの仕事を受けたこともある。縁があるのだろう。
 願ってもない話だったが、毎週同じ系列の施設を回るのは、他のライブ活動もあるので少々キツい。「ひとまず月に2回ペースでいかがでしょう」と申し出ると、心良く了解していただいた。
 そんなわけで、4月はすでに3つのライブの予定が決まった。ますます忙しくなるが、うれしい悲鳴なのである。


 

デイサービス菜の花・4月訪問ライブ /2006.4.17



 毎月定例化しつつあるディセンターNでの訪問ライブを今月も実施した。雪もほとんど消え、確かな春の気配が街角に漂っている。道すがら、歩道のすみにクロッカスの黄色い花をみかけた。選曲も当然ながらそんな春の訪れを意識したものとなった。


「北国の春」
「浜辺の歌」
「さみだれ川」
「バラが咲いた」
「美しい十代」

 〜リクエストタイム
「黒い花びら」
「木綿のハンカチーフ」
「珍島物語 」

 〜ノーマルに戻る
「埴生の宿」
「笛吹童子」
「川の流れのように」
「荒城の月」
「花〜すべての人の心に花を」


 歌った13曲のうち、結果的に8曲が初披露となった。「結果的に」と書いたのは、この会場の大きな特徴であるリクエストタイム用に準備した曲が、その日必ず歌えるとは限らないからである。
 前日に代えたギターの弦がいまひとつしっくりこず、かなり気になった。声もいつもよりカサカサした感じで、いまひとつツヤや伸びがない。コンディションとしてはかなり悪いほうである。仕事や私事で気の滅入ることが続発し、それが歌に大きな影響を与えていた感は否めない。何せ、歌にはキブンが大きな比重を占める。
 準備に最善をつくしたとしても、歌っているのは生身の人間だから、時にはそんな悪い心身状態のときもある。要はそんな悪条件下で、いかに聴き手に訴えかけることが出来るか?なのである。

 歌う側の気分が優れないときは、会場のノリもいまひとつ悪い感じが心なしかした。いつもライブをてきぱきと上手に仕切ってくれる施設側の担当者の姿が見えないのも、マイナス要素のひとつだった。(突然退職したということをあとで知った)この日、場を仕切ってくださったのは、いつもは介護に忙しい女性のヘルパーさんである。
 それでもプログラムは予定通り淡々と進んだ。声や気分の状態が悪いときは、最後の持ち駒であるテクニックで迫る。邪道と言えば邪道だが、他に手はない。とはいえ、ギターの技術はたかが知れているから、使うのはもっぱら歌である。この日は特にフレーズ毎の強弱に気を配った。声の強弱に反比例させるように、ギターの音を極端に増減させる。曲に情感ではなく、技術でメリハリをつけようという姑息な手段だが、それなりに効いた。
 実はこの手法は、4月から月1回のペースでNHK-BSで始まった「フォークの達人」という番組で、遠藤賢司が使っていた歌唱法にヒントを得たものだ。聴いていて(うまいな…)と思った。いつか試してみようと思ったが、こんなに早く機会が訪れるとは。

 前半をこの技で何とか乗り切った。そうするうち、不思議なことに徐々に気分が乗ってきた。喉の調子も幾分回復したように感じた。リクエストタイムを終えたあとのラスト5曲は、悪いなりに満足出来る内容だったと自己評価している。調子の悪さをカバーするべく、いつもよりもMCを多めにし、聴き手の関心を少しでも惹こうと心掛けたのも効果的だった。
「埴生の宿」「笛吹童子」「川の流れのように」「荒城の月」は、会場からの反応も大きかった。「笛吹童子」は単なるラジオドラマのテーマソングだ。大きな冒険で、歌うべきか否か直前まで迷ったが、歌ってよかった。
 話が前後するが、前半に歌った「さみだれ川」は実は完璧なフォークで、唱歌風の曲調は必ず受け入れられると信じていたが、高齢者相手にはこれまた大きな冒険だった。前後を無難な曲で挟むという工夫をこらし、早過ぎず、しかも遅すぎない3番目に歌ったが、予想通り大きな抵抗はなかった。今後も少しずつフォークを高齢者施設で歌っていこうと考えている。

 歌い終えると、二人の方が近寄ってきて声をかけてくれた。

「《黒い花びら》がとても良かったです。あの歌が大好きなのですが、なかなか聴く機会がなかったのです。まさかここで聴けるとは思ってもみませんでした」

「素晴らしい歌声でした。思わず涙が流れました。お陰さまで、良い時間を過ごすことが出来ました」

 最初の方はおそらく、前回のライブでリクエストを下さった方であろう。(メモは曲名だけで、名前の記載はない)あとの方は、「川の流れのように」〜「荒城の月」に至るプログラムの中で、涙を流していた最前列の方である。声をかけて下さったのは今回が最初だ。有り難く、そしてうれしかった。

 施設側の人事の動きが定まらず、前回話のあったグループ内の系列施設を順に回る件は、一時棚上げとのことである。その代り、当分の間毎月ライブに来て欲しい、と言われた。内情をよく聞けば、先月赴任したばかりの施設長さんが、またまた交代とのこと。別の担当主任さんは突然の退社だというし、黎明期の介護施設はどこも人事のやりくりが大変のようである。
 2006年4月から札幌地区ではグループホームの新規開設に規制が入ったそうで、3月中に多くの駆け込み開設があったらしい。どの施設も人事の動きが激しい裏事情は、おそらくそのあたりだ。歌う側としては淡々と自分の道を追い求めるだけだが、施設側の運営方針が落着くまでには、しばしの時間が必要のようである。


 

ベストライフ西・5月訪問ライブ /2006.5.21



「ホームページを見ました」と、突然の訪問ライブ依頼がメールであり、勇んででかけた。場所は自宅から車で30分ほどの札幌市内。定員100人前後の施設を全国に100近く持ち、手広く介護事業を運営している組織のひとつである。
 活動のセルフレポをこまめに書くなど、地道な活動を続けていると、輪は自然に広がってゆくもののようだ。依頼のルートがインターネットの検索からというのも、いかにも今風。時代は大きく流れ、動いている。

 ライブの打ち合せはすべてメールで済ませていて、会場の下調査には行っていない。いわばぶっつけ本番だった。多少の不安があったので、約束時刻の午後2時よりもかなり早めに家を出た。1時半に先方に着くと、なぜか担当のMさんが玄関口でにこやかに出迎えてくれる。どうやらサイトに掲載の数々の写真で、すでに私の顔を知っていたようだ。
 そのMさん、かなり若い。セッティングの途中に何となく年齢の話になったが、なんと息子と同じ年(20代後半)とのこと。聞けばMさん自身もフォークの弾き語りを趣味でやっているそうで、声をかけてくださった理由を、なるほどと理解する。

 会場となる食堂はかなり広い。定員が79名だそうで、全員が座れる分の椅子が準備してある。会場があまりに広いので、持参のPAの出力(合計で6W)が気になった。これまで最大でも30名までしか試したことがない。すぐに音のテストをする必要があった。

 コード類を素早くつなぐと、音は問題なく出た。PAをヤマハのVA-10に変えてから、セッティングが抜群に早くなった。前回から電池もサンヨーのエネループという強力な充電式タイプに変更し、演奏途中での電池切れの不安がなくなった。機材に不安があるとすれば、スピーカーのパワーだけだった。
 スピーカーはいつもは荷物を入れる段ボール箱を縦にしてその上に置くが、今回は用意してあった少し高めの机の上に置く。位置はより高いほうが音は遠くに届く。場所はモニターを兼ねるよう、歌う位置よりわずかに後ろにする。これはいつものこと。
 まずは「おぼろ月夜」を歌う。Mさんに会場のあちこちに立ってもらい、音の聴こえ方をチェック。コンクリートの建物のせいか、広い割には反響がよく、何も問題がない。一発でOKである。初めての会場なので、Mさんに写真を何枚か写してもらう。

 開演までにはまだ15分あったが、すでに準備は整った。Mさんはライブの案内を場内放送したり、各階を回って声をかけたりしているようだ。やることが何もないので、人集めもかね、何となく歌ってしまう。下調査もしていない会場だったので、いきなり本番に臨むより、マイクテストを口実に、ある程度歌っておきたいという本音もあった。
 本番で歌う予定の歌は避け、楽譜集から何曲か見繕った。そうするうち、通りすがりの人たちがだんだん集まってきだした。
「本番は2時からです。まだ練習です」などと声をかけるが、1曲ごとに盛大な拍手が起こり、熱心な人はすぐ近くの席に陣取ってじっと聴きいってくれるしで、すでに本番状態。やめにくい雰囲気になってしまった。
 やむなく(本心では喜んで…)目に止った曲を次々と歌う。あれやこれやで、本番前に5曲もフルコーラスで歌ってしまう。おいおい、こんなに歌って大丈夫なのか?

 2時5分前に、会場はかなりの人で埋まった。「日本野鳥の会」になった気で、開演前に素早く目で数えてみたら、入居者だけでおよそ50名(希望者のみ)、ヘルパーさんなどの職員の方々がおよそ10名で、合計60名前後という、訪問ライブとしてはかってないほどの聴き手の前でライブは始まった。
 この日のプログラムは以下の通り。


 〜マイクテスト
「おぼろ月夜」
「雨が空から降れば」
「花〜すべての人の心に花を」
「釜山港へ帰れ」
「時計台の鐘」


「北国の春」
「浜辺の歌」
「宗谷岬」
「ここに幸あり」
「さくら」(直太朗)
「夜霧よ今夜もありがとう」

「真室川音頭」
「お富さん」
「花」(瀧廉太郎)
「待っている女」
「瀬戸の花嫁」
「高校三年生」
「川の流れのように」
 〜アンコール
「知床旅情」


 マイクテストだったが、初披露の「釜山港へ帰れ」はいい手応えだった。本番でいきなり歌うのは冒険のような気がし、ここで歌ってみたが、本番でも十二分に通用する歌だ。
 最初の4曲までは、マイクテストでの勢いをそのまま引張って、抜群の出来映えだった。「ここに幸あり」では、間奏ごとにさざ波のような拍手が会場のあちこちから響いてくるほどで、初めての経験に身が震えた。

 ペースがちょっと狂い始めたのは、「さくら」「夜霧よ今夜もありがとう」あたりか。この理由ははっきりしないが、それまでの曲に比べ、なじみの薄い歌であったことがまず考えられる。
 ほとんど本番のようだったマイクテストから数え、30分以上も経過したことによる聴き手の疲れもあったかもしれない。そして、この日の私自身の体調にも問題があった。
 実は数日前から気管支の具合が悪く、明け方にひどく咳き込む状態が続いていた。薬などで懸命に調整はしたが、絶好調には程遠い状態。体調も顧みずにマイクテストで調子に乗り過ぎたこともあって、ちょうど喉に疲れが出始める時期でもあったようだ。

 危険を察知し、Mさんが用意してくださった冷たい水を飲み、MCを少し長めに入れて一息つく。同時に予定よりも早めに、手拍子の出やすい「真室川音頭」「お富さん」の2曲を続けてここにもってきた。
 いつもならこれで事態は収拾にむかうはずだった。ところが、会場からの手拍子が思ったほどではない。(おかしい…)と心で思いつつ、ともかく歌い終える。
(歌の内容が場に合わないのではないだろうか?)
 だんだんそんな不安な気持ちになってきた。このホームは小規模のグループホームとは料金体系や支援システムがかなり違っている。入居の方々の嗜好も、これまでとは違っていてもおかしくはない。

 そこで飛ばす(歌わない)予定でいた瀧廉太郎の「花」を急きょ復活させた。ここまで歌ったなかで、演歌色の強い庶民的な歌より、唱歌系の歌、叙情的な歌のほうが聴き手の反応がいいような感触がしていたからである。
「花」はいつもアルペジオでしっとり歌うので、自分の声を確かめやすい。音程やボリュームを再度チェックしながら歌う。会場からの反応もここでかなり復活した気がした。あとは一気にラストになだれこむだけだ。

 ラスト4曲。水を飲み飲み喉をなだめ、突っ走る。ここでの選曲ミスは「待っている女」だっただろうか。前述のことが薄々分かってはいたが、つい歌ってしまった。マイクテストであまりに歌い過ぎ、代替曲がなくなってしまったツケである。
 ものすごく受けたのが、「瀬戸の花嫁」。ネットでの歌仲間のIさんからの情報で急きょ入れた歌で、1日しか練習してなかったが、唱歌風の曲調であったことが幸いした。何より、この歌は私の声と歌唱法によく合っている。

 予定ぴったりの2時45分にライブを終え、片づけを始めようとすると、なぜか「アンコール」の大拍手。このところ、訪問ライブでのアンコールからは遠ざかっている。介護施設では時間スケジュールがはっきり決まっていて、たとえ5分でも時間がずれることは許されないからである。
「時間は大丈夫なのですか?」とMさんに問うと、OKですとの返事。それではとケーブルを元に戻し、「知床旅情」を歌う。何となく胸騒ぎがし、マイクテストで歌わずに残しておいたのが幸いした。

 最初から聴いてくださった方は、休憩なしで1時間以上。さぞかしお疲れだっただろう。しかし、自分の体調は別にし、歌に対して会場から返ってくる反応はとてもよかった。
 機材をまとめたあと、出口へは会場を横切って行かなくてはならなかったが、私が姿を消すまで、ずっと拍手で送ってくださった。いつになく気持ちよく歌わせていただいた。ありがたいことである。

 自宅に戻ったら、はやくもメールでの礼状がMさんから届いていた。
「入居者もとても喜んでいました。またぜひおいでください」「菊地さんの別のライブもいつか聴かせてください」とある。同じ音楽仲間として、興味を持ってくださったようだ。
 会場での帰り際に、「次回は私のリードギター伴奏で、ぜひ何曲かやらせてください」とも言われている。もし実現すれば、新しい展開となるのは確実である。楽しみがまたひとつ増えた。