訪問ライブ顛末記


真駒内養護学校・おやじの会夏祭り /2005.7.9



 地域FM局が主催するフォークコンテストに出たのが縁で、担当者から市内の養護学校の夏祭りステージに出ていただけないか、と打診された。格好のいい言葉に置き換えるなら、いわゆる「オファー」だ。その放送局は障がい者支援にも力を入れていて、各方面に幅広い人脈を持っている。

「ホームページで菊地さんの音楽活動を拝見し、依頼されたときにすぐに頭に浮かびました」と担当者は言う。かねてから子供たちを前に訪問ライブをしてみたいと考えていたので、二つ返事でお受けした。

 さて、引き受けたはいいが、問題は構成である。対象が主に子供であることは分かっていたが、夏祭りの主催は「おやじの会」と称する父親中心の父母会である。これに教師や地域住民も関わってくるという。聴き手の幅が大変広く、的が絞りにくい。
 そもそも、「子供が対象のライブは難しい」と、ネットで交流のある多くの音楽仲間からいつも聞かされていた。大人と違って基本的に歌う側の気持ちを気遣ってはくれないから、「興味がなければ聴かない」というふうに、はっきり態度で示すという。世代がこれだけ違うと、聴く音楽のジャンルもガラリ変わってくるだろう。
 だがこれまでの経験で、歌い手が真摯に思いをぶつければ、相手が誰であっても必ず手応えはあるはず、というぼんやりした予感はあった。それを試す機会が思っていたよりも早くやってきた。そう前向きに考えることにし、まずは現地訪問をお願いしてみることにした。直接この目で学校を確かめれば、当日のイメージはより確かなものになるはずだった。

 6月下旬に互いの顔見せをかねて責任者と会い、夏祭りの概要と学校の様子を聞き、生徒のいる時間に学校訪問をさせていただけないかと申し入れた。ぶっつけ本番と考えていたらしい先方は大変恐縮し、こちらの願いを喜んで受け入れてくださった。
 翌週、自宅から車で1時間かかる郊外の学校を訪れた。おやじの会の責任者、学校側の責任者、そして教頭先生と面談し、写真や資料等で去年の夏祭りの様子を詳しくうかがう。学年毎の音楽教育に関する資料もいただいた。練習曲の中にいくつか知っている曲、歌える曲があり、少しほっとする。

 次に校内を低学年から順に見せていただく。生徒は小学校から高校までと幅広いが、1クラス単位の生徒数は少なく、サポート役の大人は当然ながら多い。
 案内役の先生が教室前を通りかかると、めざとく生徒が見つけ、「せんせ〜い」と近寄ってくる。中にはいま習っている歌を歌いながら近寄ってくる子もいた。
(なんとその歌が「あの素晴らしい愛をもう一度」で、急きょプログラムに入れることをその場で決意する)

「音楽に対する感覚は、なかなか鋭いですよ」と、案内役の先生。歌う側としては、歓迎する材料だった。

 最後にステージとなる屋外駐車場と音響設備を見せていただく。屋外駐車場がウナギの寝床のように縦に細長く、その狭いほうの端にステージを設ける予定だという。スピーカーの出力は充分だったが、当日の配置次第では、音のバランスが問題になりそうな予感がした。
 マイクは無線が基本で、これまた音質がどうなのか、その日確かめることは不可能である。買ったばかりの増幅装置つきギター(エレアコ)がPAにつなげるかどうかも、この時点では分からなかった。
 結局、この日の最大の収穫は、学校と生徒を自分の目で見たことで、当日のイメージがより鮮明になったことである。PAに関してははっきりせず、安全のため、手持ちのPAを持参することにした。こちらも当日になって戸惑うより、事前に分かったことがむしろ幸いだったかもしれない。

 6月下旬の記録的な猛暑、一転して7月上旬のぐずついた冷たい雨の日々に振り回され、体調の維持にかなり神経をすり減らした。ライブに風邪は禁物で、下手をすれば相手先に大きな迷惑をかける。直前の5日間はハチミツ入りの生姜湯を毎日飲み、喉の調子を整えた。ボランティアとはいえ、ライブには最高の体調と喉の調子で臨みたかった。
 並行して選曲や構成の修正作業を行った。打合せや訪問の中で、意外に古い歌を教育の中に取り入れていることが分かり、さっそくいくつかの曲を差し換えることにした。

 細かい打合せの中で、責任者の方の一人が大のかぐや姫ファンであることが分かる。僕とほぼ同年代だが、学生時代にバンドを組んで、かなり歌っていたらしい。

「せっかくの機会ですから、ご一緒しませんか?子供たちも喜ぶでしょう」
 そんな話になり、かぐや姫ナンバーを当日2曲だけ一緒に歌うことになった。練習なしのブッツケではまずいということで、急きょギター持参で我が家に来ていただき、二人で2時間ほど楽しくセッションをした。
 リードボーカル専門だったというMさんは声がとても美しく、しかも上手い。2曲ともMさん中心でやっていただくことにする。予期せぬ二人のジョイントは、ライブの中でいいアクセントになりそうだった。

 ライブは午後12時開始予定だったが、当日の集合時間は午前10時だったので、数日前から体調を朝型に調整して備えた。寝不足では声が充分に出ない。
 安全のため、手持ちのギターを2本とも車に積み、この日のために休暇をとってくれた妻を助手席に乗せて家を出た。

 到着してすぐ、挨拶もそこそこに備付けのPAでマイクテストをする。マイクやエレアコの接続はすぐに終わり、音も問題なく出たが、2基のスピーカーは案の定、細長い敷地の前後に100メートルほど離れて配置されている。マイクテストでの音量は充分だったが、音に大きなズレが生じ、かなり違和感があった。
 長いケーブルでつながれたスピーカーの急な配置変更は難しそうだった。しかも、持参のエレアコのケーブル長が6メートル弱で、PAからステージまで届かない。適当な延長コードも見当たらなかった。そこですかさず、車から手持ちのPAを出して組立てた。屋内用で出力は小さいが、試してみるとスピーカーを演奏者の真横に置ける関係で、狭い範囲でのライブ感は抜群である。
 音の届く範囲が狭いのが最大の難点だったが、およそ20メートルの範囲なら何とか聴けることが分かり、聴き手の対象を絞って、こちらの設備で本番を行うことにした。

 開始までの1時間を、わざわざ校内に設けてくださった名札付きの「楽屋」で妻と過ごしたが、仮設のステージにも「菊地友則さんライブ」との大きな看板が足元に用意されている。それが先方の暖かい配慮であることは分かっていたが、歌そのもの以外で目立つことが苦手な僕と妻は、ただひたすら恐縮してじっと部屋に身を潜めていたのだった。

 この日の衣装は、グレー系と赤でコーディネイトした。10数年ぶりに買ったジーンズ、自分でリフォームしたベストとグレーのシャツをベースに、手作りのバンダナと新調のギターの赤をポイントにした。やはり手作りのギターストラップもグレー系、ベルトと靴は中間の色基調となるワインブラックにする。
 アマチュアのステージ衣装など、どうでもいいと考えがちだが、僕は結構こだわる。舞台というハレの場であり、聴く側歌う側の双方にとっても非日常を演出し、気分を盛り上げる大事な要素なのだ。

 練りに練った当日のプログラムは、以下の通り。


 〜マイクテスト
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「アビーロードの街」



「上を向いて歩こう」
「カントリー・ロード」
「Puff〜パフ」
「空よ」

 〜ここからMさんとのジョイント
「うちのお父さん」
「加茂の流れに」

 〜ここから再びソロ
「翼をください」
「タッチ」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
「空も飛べるはず」
「大空と大地の中で」

 〜アンコール(K先生とのジョイント)
「今日の日はさようなら」


 12時15分から本番は始まったが、会場は子供と大人を併せて200人近いかなりの人出。ところが1曲目を歌い始めても、遠くに見える人たちの動きがない。やはり音が全然届いてなく、始まったのがよく分からない様子だった。
 気づいた関係者の方が、後方にも届く大形スピーカーを通し、「ステージでライブが始まっています。みなさま前方にぜひどうぞ」と声をかけてくれると、ようやく人が周囲に集まってきだした。

 最初の「上を向いて歩こう」は万人むけのノリのいい曲で、総じて前半は小さい子むけの曲を並べた。今回初めて人前で歌う曲も少なくないが、候補曲はもっとあった。歌う歌わないの最終的な判断は、「いま自分が歌いたいかどうか」という、ある種ワガママで身勝手な基準である。
 どんなに構成に知恵を絞ってみても、自分が歌ってみてピンとこない歌は、結局人の心を捕らえることは難しいと僕は考えている。逆に言えば、あまり聴いたことがない曲でも、歌い手が好きで気持ちをこめて歌えば、必ずどこかで聴き手の心をつかまえるはずだ。

 プログラムはトントンと進んだが、途中でスタッフの一人から、「もう少し音が大きくなりませんか」との注文が出る。ハウリングを恐れて音量をやや絞っていたが、最大に上げてようやくOK。人々のざわめきがほとんどなかったマイクテストでは問題なくても、本番では同じようにはいかない。しかし、機材に頼ろうとすると、だいたいはこのようなものだ。

 歌いながらも、遥か遠くにいる人々の動きがやはり気になる。高さ30センチほどのステージを準備していただいたので、上るとかなり遠くまで見通せる。会場には多くの食べ物の屋台や、ヨーヨー吊り、金魚すくい、ボーリングゲームなどのコーナーもあり、参加者があちこちで自由に楽しめる仕掛けになっている。
 歌い始めてみて気づいたが、ライブは細長い会場の隅で繰り広げられる一イベントに過ぎず、音が全く届かない遠方では、身近な楽しい遊びにもっぱら興じている、という図式なのだった。
「自分の歌で会場の人々すべてを引きつける」と意気込んでいた僕は、出ばなをくじかれた格好だった。当初描いていたライブのイメージが崩れると、それは歌の調子にも微妙に影響する。最初は歌に気持ちが乗らず、勢い、MCも少なめになった。

 聴き手の反応に手応えを感じ始めたのは、5曲目のMさんとのジョイントからである。Mさんはイベントの関係者であり、責任ある立場でもあったので、会場内のほぼ全員に顔が知れている。ギターを抱えて段に上るだけで、かなりの集客能力があるのだ。
 僕はあくまでギターとサイドボーカルという脇役だったが、結果的にこのジョイントは大成功だった。二人の作るハーモニーで会場の少なくともステージ周辺はピタリと静まり、予定の2曲が歌い終わると、早くも場内から「アンコール!」の声。
「最後にもう1回一緒にやります」と言い、後をまた一人で続けたが、以降、場内の雰囲気が明らかにステージに向かってきているのが、はっきり感じられた。もしこのMさんとのジョイントがなかったら、ライブの行方はかなり難しいものとなっていたかもしれない。

 後半のトップ、「翼をください」あたりから、スタッフの一人がどこからかタンバリンを持ち出してきて、アップテンポの曲にはずっとギターに合わせて叩いてくれた。それがなかなかのリズム感で、場がさらに盛上がる。
(あとで聞いたら、学生時代にドラムをやっていた人だった。やっぱり…)
 歌に合わせて一緒に手を叩いたり、口ずさんでくれる生徒も出てきた。僕自身にあまり気持ちの余裕がなく、「よろしかったら一緒に歌ってください」という声を、ついかけそびれていたので、これは大変うれしかった。
「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌い終えたあと、最前列でずっと歌ってくれていた男子生徒に、「一緒に歌ってくれてありがとう」と声をかけることが出来、ようやく会場との直接のコミニュケーションらしきものがとれた。

 新しい歌だが、「空も飛べるはず」はかなり聴き手を集める歌だと分かった。この歌は自分でもなぜか気持ちがすっと入りこめる。高齢者対象では無理だが、今後僕のエースとなる可能性を秘めている。
「大空と大地の中で」は、ラストという意気込みが多少上滑りした。あとで録音を確かめても、サビの部分で力が入り過ぎて完全に独りよがりだ。このほか、前半の「空よ」では気分がいまひとつ乗り切れず、高音の伸びが全くなかったし、「タッチ」では会場に目をやり過ぎて楽譜から目が離れ、どこを歌っているか一瞬分からなくなった。
 言い訳になるが、楽譜から目が離れたのは、実はステージが狭くて譜面台の置場がなく、下の地面に置いたせいもある。スタンドをいっぱいに伸ばしても、譜面が極度に低かったのだ。アクシデントが一回だけで済んだのは、歌う曲をかなり暗譜していたからだろう。

 最後に「今日の日はさようなら」を再びMさんと歌ってライブを終えた。驚いたのは、一度も練習していないのに、Mさんがアドリブでこの歌を二重唱してくれたことだ。息子以外で即興の二重唱をこなせる人とは、初めてめぐり会った。あちこちで活動を続けていると、こんな出会いもある。

 帰り道、「遥か遠くにいた人たちを、もっとステージの周りに集めたかった」と、つい妻に愚痴をこぼしたら、「お祭りなんだから、あんなもの。50人以上の人が集まって1時間も熱心に聴いていてくれたのだから、上出来。それ以上望むのはゼイタクよ」と、逆にたしなめられた。
 町内会の連合夏祭りで、同様の状況でのステージを見たことがあるが、もっと閑散としていたと妻は言う。そう言われてみて、なるほどそうなのかと納得した。

 夕食時にライブ録音で確かめてみると、確かに歌自体は悪くない。小さなトラブルはいくつかあったが、大きく崩れることなく、いつものようにたくましく乗り切った。子供を対象にした初めてのライブとしては、全体として良い出来だったのだろう。
 途中寄り道をしたせいもあったが、自宅に戻ると早くもMさんから暖かい感謝の言葉と、子供たちやスタッフの好意的な感想がメールで届いていて、僕を喜ばせてくれた。


 

ホームからまつ・敬老訪問ライブ /2005.9.19



 3月にひな祭ライブを実施したグループホームのひとつから、敬老の日に合わせた訪問ライブの依頼がきた。ここでは今年に入ってすでに2度のライブをこなしていたこともあり、この日のスケジュールは予め空けて備えていた。
 今年になって幾つかのグループホームで歌っているが、なぜここに限って3度も呼ばれるのか、実はよく分かっていない。入居者が全員女性、という他のホームにはない特徴がもしかしたら関係しているのかもしれない。
 私の歌唱の特質は決して力強さや激しさではなく、おそらくその対極にある柔らかいものだ。そっと聴き手の心の隙間に忍び寄る、そんな歌に少しでも近付けるよう日頃から心掛けている。そうした姿勢が女性により強く響き、受け入れられるのかもしれない。

 この日、いろいろなつながりから、ボランティア雑誌の取材と見学の方が4人も来ていただけることになった。この種の活動をより多くの人に理解してもらえるまたとないチャンスだし、何より私自身の大きな励みとなる。
 ソロでのライブ活動を本格的に始めてからまだ半年余りだが、妥協せずに地道にやっていれば、輪はこうして自然に広がってゆくものなのだろう。

 ライブ開始はいつもと同じ午後2時からだったが、取材と撮影があるため、早めの1時20分に会場に入った。機材の搬入だけを先に済ませ、20分ほどの取材をまず受けた。本当はライブ後のほうが取材はよりしやすいのでは、とも思ったが、先方の都合もある。
 ほぼ予想していた質問が続いたが、最後のほうで「読者へ簡単なアピールを一言」と請われ、ちょっと困った。私としては「なぜ歌うのですか?」という問いと同じ答え、つまり、「ライブ毎の工夫のなかで、前よりも少し成長している自分を見つける喜び」と似た主旨の自己完結的な主張にしたいと一瞬思った。だが、よく考えるとそれでは読者むきのアピールとは言えない。確認したら思った通り、先方の思惑から外れているような印象である。

 時にライターとして取材したりする機会もあるので、ある程度記事の主旨に添った答でないと聞き手が困ることは私にも充分理解出来た。そこで、「本当に望まれているなら、一軒の個人のお宅、一人のためにでも出掛けて歌います」と180度言葉を変えた。
 これは場を取り繕うための方便ではなく、まだ訪問ライブでは実現してないが、かねてから考えていることだった。
 音楽は好きだが、いろいろな事情でライブには出かけることが出来ない人。これは当人ばかりではなく、介護等で疲れきっている家族も含んでいる。そんな小さな場でも歌う用意がある。歌にはそんな人をなぐさめ、元気づける力が必ずあると信じている。

 取材が終わると、ただちに機材をセットした。仕事の都合で妻はいなかったが、何度も来ている場所なのでとまどいはなく、わずか5分で終了する。
 今回、試験的にリビングの中央にある高さ20センチほどの小上がりの上でライブをやってみよう、ということになった。一人でのライブには最適の畳2枚を敷いた大きさで、部屋の中央に島のように独立した空間となっている。ライブ中の人の移動や出入りが万が一あった場合でもステージが通路とならず、都合がいい。
 1時50分からマイクテストを開始。取材用の写真撮影もかねているので、2曲ともフルコーラスを歌う。最初の「雨が空から降れば」は必ずしも高齢者むきとは言えないが、取材責任者である40代女性に聴いていただくつもりで、本番通りに気持ちをこめて歌った。
 あとでご本人から「歌いこまれている様子がわかり、絶妙の歌いまわしに感激しました」との感想が届き、私を喜ばせてくれた。

 今回はマイクテストの時点で入居者全員がそろい、熱心に聴いてくださっている。すでに本番が始まったかのような印象で、歌い終えるとはやくもあちこちから拍手。ライブ前に仕組んだ「一人前座」のようだった。
 2時ちょうどからライブを開始した。この日のプログラムはこれまでとがらり雰囲気を変え、大半を穏やかなアルペジオ奏法、しかも初披露の曲で構成した。

 〜マイクテスト
「雨が空から降れば」
「浜辺の歌」



「高校三年生」
「バラが咲いた」
「宗谷岬」
「四季の歌」
「里の秋」
 〜童謡メドレー
「どんぐりころころ」「七つの子」「夕やけ小やけ」

「上を向いて歩こう」
「知床旅情」
「女ひとり」
「旅愁」
「いつでも夢を」
「北の旅人」
「あなたにメロディ」(オリジナル)
 〜アンコール
「いい日旅立ち」


 出だしから気分よく歌った。「取材」という事実が精神を高揚させ、明らかにプラス側に作用していた。このホームでは初披露のエレアコ(増幅装置付ギター)も、事前の調整がぴたり決まって、でしゃばりすぎないバランスのいい音を出してくれている。
 私の場合、「誰もいない丘の上で独り歌う」というシチュエーションも決して嫌いではないし、「より多くの本気で聴いてくれる聴き手がいる」というシチュエーションも、それ以上に好きだ。前者の嗜好は特別かもしれないが、後者は人前で歌を歌っている者なら、プロでもアマでもおそらく似たような感覚を持っているだろう。

 聴き手もマイクテストで作ったいい雰囲気をそのまま持込んで、1曲目から乗ってくれた。「高校三年生」「バラが咲いた」は事前にネット等で調べたうえでの選曲で、「この2曲は高齢者に意外に受ける」とのこと。半信半疑だったが情報は正しく、身を乗り出すようにして聴いてくれ、確かな手応えを感じた。

 調子よく進んで、3曲目の「宗谷岬」に入ろうとしたとき、ちょっとしたハプニングが起きた。入居者の一人が、曲の直前で大声を発し始めたのである。ステージの位置を変更し、マイクテストで充分に雰囲気を作っても、すべてが思惑通りに運ぶとは限らない。それがこの種のライブの怖さであり、宿命でもある。
 問題は人生と同じで、予期せぬ出来事にどう対処するかだ。冷静さを失い、ライブを一時的に壊してしまったことも過去にはあった。あわてず騒がず、ハプニングをどうさばくか、そこに歌い手の力量のひとつが表れるのかもしれない。

 このとき、咄嗟に考えたことは、ギターの演奏だけをしばらく続けて時間を稼ぐことだった。そこで、「宗谷岬」の出だしのコードだけを、軽いストロークでゆっくりと弾いた。そのうち静かになって欲しい…、そんな切なる願いをこめて。
 すると不思議なことに、その方の声がなぜか歌のように旋律を伴ってきた。しめたとばかり、その人の声の調子にストロークを合わせる。まるで伴奏のようだった。

「…さん、いい調子だねえ」
 ヘルパーの方がすかさず声をかけた。一瞬凍りつきそうになりかけた場の雰囲気が、ふっと和らいだ。しばらく歌のように声を出していたその方も満足したのか、やがて静かになった。それを待ち構えていた私は、そのコードの流れのまま、歌にするりと入った。

 苦し紛れの思いつきだったが、この演出は非常に自然で、しかも効果的だった。「宗谷岬」は妻のカラオケの十八番で、私の声の特質にも良く合った曲だ。もし妻とユニットを組んで歌う機会が将来あったとしたら、間違いなくレパートリーに入るだろう。
 この曲はワルツでストロークはつけにくいが、1拍目を強くして波のようなイメージで弾いてやると、うまく旋律に言葉を乗せられる。歌の途中、ホーム長さんが「いい歌だねぇ〜」と隣席の入居者とささやき合っているのが聞こえてきた。
 この日は今年これまでやった20本近くのライブの中で、確実にベストスリーに入る出来だったのだが、この「宗谷岬」で完全に聴き手とライブの流れをつかんだと言っていい。

「四季の歌」は前回のライブでのリクエストに応えたもので、そこから童謡メドレーを含めた5曲は、会場に一緒に歌ってもらおうという趣向。いわば長丁場のライブの気分転換ともいえる位置づけで、これは前回も試みて成功しており、「しんみりした歌」「ほのぼのした歌」という曲調の変化とバランスも含め、ほぼ思惑通りに運んだ。
「上を向いて歩こう」は全体的に緩い曲調で進んできた場の雰囲気をいったん変えるための選曲。万が一のトラブルがあったときの「カンフル剤」といった意味もあったが、前半のハプニングをうまく乗り切ったので、当初の予定通りの曲順に収まった。

「知床旅情」も前回ライブでのリクエスト曲。ここで素晴らしいことが起きた。リクエストをくれた本人が、最後までひとつも歌詞を間違えず、一緒に歌ってくれたのだ。
「たいへんお上手ですね」と思わず声をかけると、愛想を崩しておられる。部屋の中央の少し高い位置で、立ったまま歌っているので、周囲を取り巻く形で椅子に座っている聴き手と、この種のコミュニケーションが大変とりやすい。このステージの選択も、この日のライブが成功した要因のひとつだった。

 当初、この曲から「女ひとり」「北の旅人」と旅シリーズを続け、出来たてのオリジナル「あなたにメロディ」でライブを締めくくるつもりだった。だが、時計を見るとまだ2時半前。終了予定時刻までには、まだ20分以上もある。どうやら前半で飛ばしすぎたようで、ヘルパーの方とも相談の結果、「女ひとり」のあと、急きょ予備の2曲も歌うことにする。
「旅愁」は同じ旅がらみの曲ということもあってよい反応だったが、「いつでも夢を」がいまひとつの印象がした。この日、「外した」と自己判断した曲をもし挙げるとするなら、まさにこの曲だった。
 年代も同じ、曲調にも大きな隔たりのない「高校三年生」「バラが咲いた」がよく、なぜ「いつでも夢を」が駄目なのか、実はよく分からない。もしかしたら聴き手の中心である高齢者にとって、休憩なしの長いライブの中で、ちょうど疲れの出てくる時間帯でもあったのかもしれない。

「あなたにメロディ」は1週間前の赤れんが青空ライブで初披露し、非常によい感触を得たオリジナルだったが、高齢者相手でも反応に大きな違いはなく、自分のライブ活動における「エンドテーマ候補曲」として、大きな自信を持った。
 この日のライブ全体を支配した、穏やかで心に染み入る雰囲気にふさわしいアンコール「いい日旅立ち」で締めくくると、時間はちょうど2時50分。マイクテストとメドレーも含め、18曲を1時間で一気に歌い切った充実したライブとなった。

 ステージが終わると、最後までうれしそうに手を振って聴いていた入居者の一人が、不自由な身体で近づいてきて、「とてもよい歌でした、ありがとうございます」とていねいに挨拶してくださった。かってなかったことで、非常に感激した。これがあるから歌はやめられないのだ。
「声を抑制しつつ、聴き手の心に訴えるように歌う」というこの日の課題のひとつも、ある程度達成出来たように思う。帰り際、ホーム長さんから次回のクリスマスライブの予約まで早々といただいた。
 最後までライブに立会ってくれた取材と見学の方にも、とても好感を持っていただいた感じがする。当の私自身もライブの余韻がしばらくあとを引き、軽い興奮状態がまる一日以上も抜けなかったほどだ。
 反省点があるとすれば、聴き手の体力を考慮し、MCをもっと増やして曲数を減らすことだったろうか。しかし、ライブの流れ全体から考えると、それも大きなキズではなかった気がする。そうすると残る気がかりは、この日の出来を越えるライブが、果たして今後やれるだろうか?という漠然とした不安だけだ。取り越し苦労と思いたいが…。

 この日、なぜか録音用のMDがうまく作動せず、訪問ライブにしては珍しく録音記録が残っていない。だが、この日この場でライブを同時体験した20名近い方々の胸には、録音では決して感じ取ることの出来ない確かな臨場感が、記憶のかけらとしてどこかに残ったのではないだろうか、そんなことをいまぼんやり考えている。


 

ホームからまつ・神無月訪問ライブ /2005.10.22



 今年3月の「ひな祭訪問ライブ」以来、すでに3度の訪問ライブをこなしている近隣のグループホームから、「突然ですが、来週の誕生会に歌いにきていただけませんか」との連絡がまたまたあった。
 このホームでは先月の「敬老訪問ライブ」で歌ったばかりで、12月のクリスマスライブもすでに依頼されていた。今回依頼された日の翌日には、道庁前広場での「赤れんが青空ライブ」のスケジュールがすでに入っている。
 折悪しく妻はその週は休暇をとって東京に旅行の予定。つまり、妻なしで仕事や家事をこなしつつ、なおかつ二つのライブをやり遂げなくてはならなかった。一瞬迷ったが、プロであろうがアマであろうが、歌い手は請われて歌っているうちが華である。「前回よりも少し短めに」という条件で結局お受けした。

「赤れんが青空ライブ」の構成をしつつ、同時進行で訪問ライブの構成に急きょかかる。一番困ったのは選曲だった。ホーム長さんには、「先月と同じような内容になるかもしれません」と話してはおいたが、現実問題として全く同じ構成や選曲でやることは、自分のプライドや向上心が許さない。
 秋たけなわなので、秋にちなんだものでまだ一度も人前で歌っていない曲、あるいはそのホームではまだ歌っていない曲。しかも入居者全員が女性というホームの特徴に合わせ、前回好評だった穏やかな曲調のものを中心にリストアップした。

 以下、苦心さんたんして構成した当日のセットリストである。


 〜マイクテスト
「虹に消えた恋 」



「切手のないおくりもの」
「想い出のグリーン・グラス」
「ちいさい秋みつけた」
「津軽平野」
 〜童謡メドレー
「赤とんぼ」「紅葉」「たき火」

「白いカーネーション」
「バラが咲いた」
「忘れな草をあなたに」
「北の旅人」
「宗谷岬」
「あなたにメロディ」(オリジナル)
 〜アンコール
「今日の日はさようなら」


 あれこれ言いながら、歌った15曲のうち、初めて人前で披露した曲が9曲あって、全体の半分以上。「常に新しいものをめざす」という一点では評価していい内容だった。

 当日、起きるとなぜか体調が優れなかった。急に気温が下がったのに、前夜バスタブに湯を張らず、簡単なシャワーだけで済ませてしまったのが響いたらしい。しかし、受けたものは余程の事情がない限り、実行しなくてはならない。幸い、声はそれなりに出たので、2時ぎりぎりまで発声練習に励む。
 2時5分前に家を出て、2時ちょうどに先方に着いた。いつもなら20分前には着いて、10分前にはスタンバイしている。しかし、演奏時間が高齢者にはやや長過ぎた前回の反省もあって、今回は時間を短かめにしようと最初から考えていた。終了の3時は動かないから、開始を2時15分にすれば正味45分のライブとなる。

 機材の搬入もセットもたった一人なので、慣れた場所とはいえ、終えるのに10分かかった。マイクテストはごく簡単に済ませたが、なぜかボーカルマイクの音が小さい感じがする。ヘルパーの方に確認したが、「問題ありませんよ」とのこと。まあいいか、と思ってそのまま始めた。
 あとで確かめたら、ボーカルのゲインの数値が少しずれていた。やはり時間には余裕がないといけない。しかし、「肉声に近い音を聴いていただく」という意味では、これはこれで良かったかもしれない。

 準備期間が短かった割には、全体として大きなキズのないライブにおさまった。ともかく前回の同じ場所でのライブが、「今年のベストスリーに入る出来」と自ら認めたばかりなので、そう大きな飛躍は期待出来ない。ライブの間隔も短いので、手堅くまとめよう、という守りの気持ちがどこかで働いていたように思う。
 それでもこの日の課題のひとつとして、ただ新しい曲にチャレンジするだけでなく、前回突っ走りすぎて聴き手を少し疲れさせてしまった反省から、MCを長めにして1曲に時間をなるべく多めにとろうと考えていた。
 だが、だからといって単なる無駄話や世間話ではなく、すべては曲に関わる話で、なおかつ聴き手を飽きさせず、そのまま曲に入り込みやすいものでなくてはならない。

 たとえば、「津軽平野」では自分の父親が出稼ぎの大工だった話。「北の旅人」と「宗谷岬」では、16のときに自転車で家出同然の旅に出たこと、そしてその行き先が宗谷岬だったことなどをワンセットの形で話した。
 高齢者むけのMCはとても難しい。だからライブはとかく簡単な曲紹介に終止し、歌だけの勝負で突っ走りがちになる。まだまだ充分ではないが、この日はある程度当初の目標を達成出来たと思う。

 この日、なぜかヘルパーさんの反応がやたらよかった。曲の重複を極力避けようとしたせいで、高齢者にとってはやや選曲になじみが薄かったが、中年世代のヘルパーさんの心にはより強く響いたのかもしれない。

「今日は入居者よりも、職員のほうが楽しんでしまったようです」
 帰り際、出口まで送ってくださったホーム長さんが、正直にそう話していた。

 そのほかの反省として、マイクテストを含めた全15曲のうち、ストローク奏法がわずか3曲のみ。他はすべて静かなアルペジオ奏法で、「心に染み入る」という点では効果的だったが、その分メリハリに欠けた感じだ。
 たとえば「宗谷岬」のように、ゆるやかなストローク奏法でも聴き手の心に訴えかける曲を要所に選び、構成にメリハリをつける工夫をすべきだろう。
 同じ曲でも、ストローク奏法とアルペジオ奏法の両方で弾いて歌う練習を最近は少しずつしていて、場によって使い分ける方向を模索している。創意工夫に終りはない。


 

ホームからまつ・クリスマス訪問ライブ /2005.12.23



 次第に定期演奏者と化しつつある近隣のグループホームで、今年最後のライブとなるクリスマスライブがあった。前回の敬老ライブを終えた直後にホーム長さんから依頼されていたものだったが、開始時間がいつもより2時間も早い昼の12時。なぜだろうといぶかっていたら、「昼食会もかねていますので、そのおつもりで」と、直前に連絡がきた。
 10分前にうかがうと、会場はちょっとしたパーティのようにテーブルが配置され、入居者の方を囲むように家族の方々がすでに座っている。テーブルの上には色とりどりのオードブルやケーキが並び、座っている皆様のお顔もどこか晴れやか。よく見ると身につけた服もよそ行きだ。
 どうやらこの日は完全なる「ハレ」の日だったようで、クリスマスにぶつけた家族パーティがまずあり、その余興として訪問ライブでときどき歌わせてもらっている私が呼ばれたらしいのだ。
 いつもとは微妙に違う自分の立場を察知し、わきまえることは大切だった。たとえるなら、「社内旅行の宴会で、余興に呼ばれた芸人」そんな立場だったかもしれない。

 ホーム長さんの挨拶がまずあったが、話の中でこのパーティが家族と入居者を交えた年に一度だけの貴重な機会であることを知る。

「私たちは一生懸命つくしますが、どんなにがんばっても家族の皆様を越えることはできません。ご多忙でしょうが、できるだけ時間を割いて会いにきてあげてください」
 そんなホーム長さんの言葉に、この種の仕事の厳しさ、難しさを垣間見た。

 ライブが始まるまでのわずかな合間に、先月自宅でやった「夕映えコンサート」にいらしてくださった5人のヘルパーの方々から、かわるがわる話しかけられた。

「素晴らしいコンサートでした」「心が洗われた」「ぜひまた呼んでください」などの好意的な感想ばかりだったが、なかでもある方が言った、「私たちにはコンサートに行きたくても時間がない。菊地さんのようにすぐ近くで素敵な場を作ってくれるのは、とてもありがたい」との言葉は、深く心に染みた。自分のやろうとしている「自宅を拠点に大人の遊び場を作る」という試みは間違っていないのだと、少し自信を持った。
 社会的な意味での「介護」は、まだまだ黎明期だと思うが、今後は入居者ばかりでなく、プロであるヘルパーの方々の心のケアをどうするかが、大きな社会問題になってゆく気がしてならない。

 歌に差し支えるので食事は少しだけにし、12時40分から開始と言われていたライブの準備を始めた。今回のPAはいつものMDコンポではなく、先日中古で入手したばかりの小さなアンプ付スピーカー(YAMAHA VA-10)である。電池式だが、連続30時間もつので、電池切れはあまり気にしなくていい。(いちおう予備電池は持参した)
 電源接続の煩わしさを回避するため、今回はミキサーも電池で駆動させることにした。こちらも60時間もつが、電池を新品に入れ替えて備えた。

 いつもより荷物が二つも少なくなり、一人ですべての荷物を一度に運べる。搬入も楽だし、セッティングも5分弱で終了。唯一の欠点は音源の録音機能がないことだった。
 しかし、訪問ライブもかなりの回数を重ね、すでに音源を保存する大きな意味も薄れている。記録にこだわる気も最近はあまりなくなってきた。録音はしょせん録音で、一番大事なのはナマの臨場感そのもののような気がするのだ。どんなに録音がよくても、ナマで聴いた気分に追いつくことは出来ない。

(今日はいい感じで歌えた…)(今日はいい手応えだった…)
 そんな自分の感覚が一番大切なような気がいましている。
 同じ意味で、今回はデジカメでの撮影も全く準備しなかった。身軽な装備で身軽にライブに行くという、いわばマネージャー役としての妻に依存しない形への模索で、来年以降の「自立したライブ活動」にむけた新しい試みの場でもあった。

 パーティはすでに始まっているので、今回はマイクテストもなしでいきなり歌い始めた。この日のセットリストは以下の通り。


「赤鼻のトナカイ」
「かあさんの歌」
「雪の降る街を」
「冬の星座」
「雪」
「冬の夜」
「ペチカ」
「帰ろかな」
「きよしこの夜」
「白い想い出」
「銀色の道」
「ジングルベル 」


 10日前にひいた風邪も完治し、事前に自宅で入念な練習を重ねたかいあって、声はよく伸びた。ライブで初めて使ったアンプ付スピーカーには、簡単なエフェクト装置がついている。自宅での練習では軽いディレイ(エコーに近い効果)をかけて使っていた。本番でもこのままやるつもりでいたが、当日になって突然気が変わった。高齢者相手に特別に造られた音は不要のような気がしてきたからである。
 もともと極端な音響効果は好きではなく、自分の声質には室内の造り出す自然な残響効果が最も相応しいのではないかと、かねてから思っていた。内蔵されていた効果が、ややピリピリした印象だったこともある。専用機材であれば、もっと自然な音を造りだせるのかもしれない。だが、この日は単純にマイクで音を拾い、単純に増幅した素に近い音で勝負しようと決意した。
(その後、同じ装置でイメージに近い効果を出せることを発見。次回のライブでは使うかもしれない)

 正味30分のなかで、12曲も歌うのはかなり無謀な計画だった。唱歌系の短い歌が多いとはいえ、1曲あたりの割り当てはわずか3分弱。MCはあまり入れず、メドレーのような形で突っ走る予定でいた。
 テンポのいい「赤鼻のトナカイ」を最初にもってきたのは、パーティをクリスマスらしくぱっと盛り上げる趣向で、会場全体が手拍子に包まれ、その思惑通りに運んだ。
 2曲目の前に、「皆様懇談しながら聴いてください」とあえて話した。家族を交えたライブであることは事前に聞いていたので、懇談の中でのBGMのような歌でよいだろうと考えたのだ。事実、歌の途中でも話声や食事の音は途絶えなかったが、曲が進むにつれ次第に会場が静まり返ってきて、なぜか普段のライブとあまり変わらない雰囲気になっていった。

 プログラムはすべて初披露の歌でそろえた。同じ場で同じ相手に年に5度も歌うとなれば、どんなに優れた歌い手でも飽きられてくるのは明らかだ。それを避けるには選曲や構成に工夫をこらし、歌うたびに新鮮な気持ちで聴いてもらうよう努めるしかない。
 幸いに季節は冬でしかもクリスマス。選曲には事欠かなかった。クリスマスの定番曲を3曲用意し、最初と最後は手拍子の出るにぎやかな曲、中程にしっとりした曲を挟んでメリハリをつけようと考えた。

 2〜3曲歌い終ったとき、ヘルパーの方が舞台に近寄ってきて、「菊地さん、『きよしこの夜』は歌う予定に入ってますか?」と聞いてきた。真ん中過ぎに歌う予定ですがと応えると、一緒に歌いたいという方がいますので、ぜひお願いしたいのですが、という。ライブを盛り上げるのにゲストは大変効果的であることは経験的に分かっていたので、一も二もなくお引き受けした。
 曲順がやってきて舞台に上がってきたのは、私と同年代のご家族の女性。リハを全くやってなかったので、キーがちょっと心配になった。この歌は「眠りたもう〜」の部分がかなり高い。キーがCなので、咄嗟の転調も難しかった。舞台上でそこだけ軽く弾いて音を合わせてみたら、きちんと出る。かなりの経験者のようだった。
「アルペジオ4回で入ってください」と告げ、ギターを弾き始めた。最初の一小節だけ一緒に歌ったが、すぐに止めた。私が歌う必要がないほど声量が豊かで、音程も安定しているのだ。そのまま最後までソロで歌っていただいた。
 この歌で場の雰囲気はいっそう盛上り、「家族を交えたホームパーティ」という位置づけがより鮮明になった。以前に市内の養護学校で教頭先生と3曲一緒に歌って好評を博したときのことを思い出した。今回は予告なしの突然の話だったが、上手に場をさばいたと思う。

 どの曲もおおむね好評だったが、「雪」「帰ろかな」「銀色の道」が練習よりもはるかに出来がよく、その分会場の反応も良かった。場に応じた選曲は実に難しいが、ピタリはまるとこれほどうれしいものはない。
 予定通り30分ジャストで終了。この後も入居者の方々や職員、家族の方々の余興の予定が詰まっていたので、アンコールはない。この日は日没前までにどうしても進行中の現場に行く必要があり、ぎりぎりの時間まで宴におつきあいしたが、最後まで見届けることは結局できなかった。

 事情を話して失礼しようとしたら、出口でホーム長さんがリボンのついた包みを差し出す。

「菊地さんにもクリスマスプレゼントです。来年もまた歌いに来てくださいね」
 帰ってから包みを開くと、手焼きのクッキーと、赤と青の高級バンダナが2本入っていた。バンダナはいまや私の大切なトレードマークだ。来年からのライブにすぐに使える。実によく考えられた贈り物で、思わず胸が熱くなった。
 外は真冬日だったが、心のこもった暖かな集いだった。