訪問ライブ顛末記


ホームなつれ本館&福住館・訪問ライブ /2005.2.27



 一昨年秋から企画し、暖めていながらさまざまな事情で延び延びになっていた「介護施設訪問ライブ」がついに実現した。きっかけは私自身が作った案内状とそれを使った個別営業によるものだが、何たる偶然か、近隣のグループホーム2ケ所にチラシを持参し、主旨を説明した翌日の地元新聞に、以下のような記事が載った。

「日曜日に歌や楽器で一芸を披露してくれるボランティアを募集…」

 歌い手は望まれる場所で歌うのが一番幸せである。飛び込み営業で回った施設の返事はさておき、さっそくこの施設にも電話を入れた。翌日に面談すると、できればすぐにでも来て欲しいとのこと。単調な施設生活の中でのメリハリとして、ぜひとも音楽によるボランティアを取り入れたい意向である。しかも、近隣にある別館と合わせて、1日に2度のステージをやっていただけないだろうか…。
 プログラムの予定は30分程度だったが、生活スケジュールの都合で、午後2〜4時の間に終らせて欲しいそうだ。施設でのライブは初めてでもあり、音響機器の設営と撤収、多少の休憩などを考慮すると少しきつい気もしたが、その場でお受けした。この種のことは熱のさめぬうちに素早く一気にやってしまうのが大事なポイントであり、常識である。
 ヘルパーの方と歌う曲目や歌う場所、客の座る位置、電源の場所、譜面台の明るさなどの細部を確認する。PAの配置やボリューム等は、自宅でのリハーサルでおよその数値を事前にテストすることにした。

 翌日からさっそく足りない備品の調達を始めた。訪問ライブに必要な備品の大半はすでに準備してあったが、譜面台の照明はまだない。木製の折畳み式のスタンドを作り、工事用のクリップライトに手製の笠をつけて顔の位置よりも少し高くした。40Wの白熱灯をつけてマイクのやや後ろから照らすと、顔と楽譜がほどよく明るくて具合がいい。
 次にMDコンポを転用したPAの動作確認である。ミキサーの性能がかなりよく、ほぼイメージ通りの音のはずだったが、客の前でそれを試したことがない。うまい具合に、妻の職場仲間の音楽好きのNaoさんが打ち合せの翌日自宅に現れ、これ幸いとリハーサルのモニターになっていただく。ついでにその時点で歌う予定の曲を1番のみ全曲披露し、意見をうかがった。
 ここで、「最初は三橋美智也ではなく、氷川きよしのほうが受けるのでは」「恋の歌が1曲あってもいい」「戦争直後の歌を少し入れては」「美空ひばりをぜひ1曲」などの貴重なアイデアをいただく。

 候補曲の中で手応えのあったのは、「引き潮」や「さくら(独唱)」だった。まだリハーサルなのに、妻やNaoさんが涙ぐんで聴いている。「白い想い出」は時節柄タイムリーで好きな曲だったが、私自身が泣けてうまく人前では歌えないことが分かり、この時点でやめる決断をくだす。
 PAの動作確認は生の音の感覚をそこなわず、しかも声の不足する部分を程よく補う適切な音量をここで得た。ライブが正式に決まった前夜の練習で、妻から「力み過ぎていて心に響かない」との厳しい指摘があった。確かに心当たりがある。この日は声量を自分の感覚で70%くらいに絞って歌ってみた。すると妻もNaoさんも、「心に染みてくる」と評判がいい。歌い手と聴き手の感覚はかなり違うことを思い知らされる。
 リハーサルでの意見を参考に、歌う曲目の追加修正、絞り込みを行った。面談の翌日に連絡があり、ライブの日取りが2/27に正式決定する。先方の決断も早い。本番まで1週間、仕事の合間をぬっての最終調整が夜遅くまで続いた。

 ライブ当日、息子は友人との約束、妻は仕事の予定がそれぞれあり、マネージャー役やゲスト出演はもちろん、荷物運びの助っ人すら頼めない。こうなればすべてを独りで切り盛りするしかない。
 神経が昂っているのか、いつもより早めに目覚める。備品の荷造りは前夜にほぼ済ませてあった。参考までに備品リストは下記の通り。

 ・ギター  ・予備弦  ・ピック×2  ・カポ×2  ・譜面台
 ・楽譜一式< ・演奏用メガネ  ・チューナー  ・PA(MDコンポ)
 ・ミキサー(ケーブル共) ・マイク(ケーブル共)  ・マイクスタンド
 ・電源延長コード(3口コンセント共) ・ライト  ・ライトスタンド
 ・空MD ・単3予備電池×4  ・喉アメ ・記録用デジカメ ・時計
 ・軽食 ・水  ・段ボール箱×2

 段ボール箱は引越し用の小さくて丈夫な物を用意し、荷物を入れて運んだあと、空き箱をスピーカーの台として使うことにする。
 備品は実に雑多だが、素人ライブには欠かせないものばかりだ。近い場所ならとりに戻れるが、この日の会場のように車で1時間もかかる遠方だとそうはいかない。リストをもとに、出発前に何度も指差し確認してチェックした。

 さんざ頭を悩ませた当日のプログラムは、以下の通りである。


「達者でナ」
「カントリー・ロード」
「リンゴの歌」
「早春賦」
「故 郷」
「さくら」(直太朗)
「川の流れのように」
「青い山脈」
「月がとっても青いから」
「引き潮」
 〜アンコール
「きよしのズンドコ節 」


 この他に、会場でのマイクテストで「面影橋から」を1番だけ歌った。この曲目が決まったのは、実は本番前夜である。「リンゴの歌」「川の流れのように」「青い山脈」「月がとっても青いから」の4曲が急きょ追加変更となった。一人でやっているからこそ、こんな勝手気ままが許される。
 曲目のバランスや順序など、実際にやってみないと分からない部分も多い。最初だからすべて手探りなのだが、幸いなことにネットで知り合った長崎市在住の自称「中年街角歌い人」のいちろうさんというアマチュア歌手の方から、施設訪問ライブにおける大事な情報を事前に数多く教えていただいた。
 この方は奥様をマネージャー代りに、年間かなりの数の施設訪問ライブをあちこちでこなしている。

「歌える場所なら選り好みせず、どこへでもいく」
「"何か凄いことをしている"という気負いやおごりが全くない」
「趣味や楽しみとしての歌とギターに徹している」
「歌のジャンルにこだわらない」
「いつも聴き手の立場を考えて演奏している」
「家族の暖かい支えと共に活動している」
「趣味といいながらも、常により高いものをめざしている」

 等々、私にとって最高のお手本となる方だ。世の中には本当にすごい人がいる。まだまだこの日本、捨てたものじゃない。

 約束の25分前に会場についた。ヘルパーの方々が待ち構えていて、かなりの数の荷物の搬入を手伝ってくださる。心配していたPAのセットは10分強で終り、開演までの数分をマイクテストと写真撮影で過ごす。

 かくして本館でのライブがまず始まった。入居の方々は9名、グループホームの最大定員だそうで、家族的な雰囲気である。他に4〜5名のヘルパーの方々がいる。
 写真で分かるように、この日は2会場とも最後まで立って歌った。場所の狭い会場が多いこと、客席から顔が見えやすいこと、フットワークがいいこと、等々の理由からで、以前は立って歌うのが苦手だったが、ギターの吊りベルトの場所と長さを自分でやりやすい位置に改良してから、むしろ座ってやるよりコードが押えやすくなった。声も立ったほうがよく出る気がする。何ごとにも進歩が必要だ。

 数日前の吹雪の現場回りで体調を崩し、喉の調子はいまひとつだったが、前日のショウガと蜂蜜湯での調整が効いて、声の状態はまずまず。だが、やはり出だしから力んだ…、と思う。ヘルパーの方々の評判はとても良かったが、自己採点としては歌と演奏に夢中で余裕がなく、客席とのキャッチボールがうまくいかなかった感じがする。
 それでも、最前列に座ったある方は、終ったあともずっと席をたたずにじっと私を見ていてくれた。「…さん、どうだった」とヘルパーの方が聞くと、「うん、良かった」と、小さくうなずいて私をまた見る。演奏を間近で見るのが初めてらしく、うまく言葉が出ない様子だった。
 遠い席で座っていた方の顔が、涙で濡れている。「…さん、『さくら』を聴いて泣いちゃったんだよね」とヘルパーの方が言う。それ以降、「引き潮」が終るまで、ずっと涙が止らなかったという。やはり自宅でのリハーサルと同じ現象だった。
「さくら」はこの日に備え、かなり解釈を変え、自分流にアレンジして歌った。はかない桜の木を人間の一生になぞらえるのである。そう聞こえるように歌う。すると、必ずそこで聴き手を揺さぶり、涙を誘う。
 これは直後に歌った別館でも同じ現象が起きた。この曲には秘められたパワーがある。歌い手はただそれを引出してやればいい。極めて新しい曲だが、間違いなく施設訪問の定番曲になるだろう。

 最初のライブが終ると、顔中に汗が流れた。室温が高齢者用に25度近辺に設定されていること、そして体調がまだ完全ではないこと、初めての経験による緊張感、理由はいろいろあった。
 MC(話し)や前奏、間奏を少なめにし、長い曲は極力避ける工夫をしたせいで、10曲を一気に歌った所要時間は約35分。盛り沢山の内容である。なるべく多くの歌を歌い、歌そのものをまず楽しんでいただこう、と考えたのだ。

 顔を洗ってコーヒーをいただきながら備品を撤収し、次の会場への移動に備える。ヘルパーの方の一人が、「どの曲もフォーク風の独特の味つけがされていて、素敵ですね」と言ってくれた。これは意識して工夫したので、うれしい評価だった。
 会場の隅にいてずっとライブを見ていたうら若き女性が、つと近寄ってくる。話を聞くと、近々小型のエレキピアノを持込んで弾き語りのボランティアライブをここでやるので、様子を見学にきたのだという。

「とてもよいライブでした。かなりやってらっしゃるのですか?」と聞くので、施設では今回が初めてですと答えると、とても驚いている。アレンジは誰かに頼んでいるのかと重ねて尋ねるので、自分流ですと答えると、よく出来ているとこれまた感心された。全体の出来としては悪くなかったらしい。
 この方と別のヘルパーの方は、「もう一度ぜひ聴きたい」と荷物持ちを手伝いつつ、そのまま別館までついてきてくれた。

 わずか20分強で撤収と移動、そして再セットを終え、別館でのライブが始まった。明らかに喉と身体に疲れが残っていたが、会場の都合で入居の方々を一ケ所に集めることが出来ない。気分を一新して同じプログラムをもう一度歌い始めた。
 この会場の反応は本館とは明らかに違っていた。私自身の2度目の慣れ、本館に比べると介護の程度が全体的に低いこと、ヘルパーの方のタイミングのよいリードなど、いろいろ理由は考えられた。
 2曲目の「カントリー・ロード」でいきなり手拍子がきて、びっくりした。きっかけは一人のヘルパーの方の小さな拍手からである。歌い終ったあと、すかさず、「この歌で手拍子をいただくと、とてもうれしいです」と、素直に自分の気持ちを言葉にした。たぶんこの一曲で、会場との強い絆が結べたと思う。
 実は「カントリー・ロード」は、プログラムに入れるかどうか直前まで迷っていた。外国の曲で比較的新しいし、高齢者には難しいのではないか…。そんな迷いは妻の「いい歌だから歌いなさい」の一言で吹っ切れた。正解だった。

 以降、歌う曲には会場からの確かな手応えを感じた。曲間のMCもかなりアドリブが効くようになってきた。やはり一度目よりも二度目である。
「故郷」では、一人の女性が曲にあわせて突然歌い始めた。まるで私の母のような年齢の方だ。その瞬間、こみあげてくるものが押えきれなかった。あとで録音を聴いてみると、一瞬嗚咽するのがはっきり聞き取れる。もちろん、切ない嬉し泣きだ。
(最初から歌い直そうか…)と一瞬迷ったが、懸命にこらえて何とか立て直した。2番からはその人のペースにゆっくり合わせ、二人で斉唱した。ヘルパーの方々もそれに続いた。会場がとても温かなものに包まれた。いまこれを書いていても、また新しい涙が溢れてくる。得難い感動だった。

 自分の歌がグズグズに流されてしまいそうな危ない予感がしたので、なるべく会場の反応を見ず、目をほとんど閉じて楽譜だけを追うように努めた。それでも「川の流れのように」で、一番近くの方が目頭をおさえているのが目に入ってしまい、また崩れそうになった。(これまた録音ではっきり分かる)
 しかし、幸いに「故郷」を一緒に歌ってくれた方が、ここでも途中から一緒に歌ってくれた。今度は私が助けられるような形になり、どうにか持ち直すことが出来た。
 この曲の終り頃にインタホンが鳴り、入居の方のお孫さんらしい小学生の女の子が二人会場に入ってきた。ライブのムードを壊したくなかったので、中断せずにそのまま演奏を続けた。すると小3〜6くらいのその二人は、私に一番近い席で(そこしか空いてなかった)静かに歌を聴いてる。会場の一種独特の雰囲気を、敏感に察知したのだろう。ライブはラストのクライマックスにさしかかっていた。

「引き潮」を歌う前に「みなさんにぜひお聞かせしたい最後の曲です」と言うと、一番後ろの男性二人が、「おい、もう最後だってよ」とささやく声が聞き取れた。プログラムが成功だったことを物語るうれしい言葉だった。
 すべてを歌い終え、「ご清聴ありがとうございました」と頭を深々と下げると、会場の様子が何かおかしい。拍手が終っても誰一人席を立たないのだ。ヘルパーの方々も含め、全員がただじっと私を見ている。小さな子供までも…。

(ひょっとするとアンコールか?)

 アンコールはちゃんと用意していたが、最初の本館ではその雰囲気はなく、私も次のライブが気になって早々に引き上げた。だが、今度は違う。普通、アンコールは長い拍手に応えてやるものだが、もしかするとその習慣自体を知らないのかもしれない。
 魂をこめて歌った「引き潮」のインパクトがあまりにも強く、すぐには立ち上がれない気配もその場に漂っていて、皆がただじっと私を見続ける。これこそが強いアンコールの意思表示ではないだろうか…。
 そこで私から恐る恐るこう申し出た。「もう一曲だけ歌いましょうか?」ここでようやくヘルパーの一人が「アンコール!」と言って手を叩いてくれた。会場の拍手がそれに続く。若いヘルパーの方がアンコールの習慣を知らないはずがない。きっと私の喉に気を遣っていてくれたのだろう。
 アンコールは「きよしのズンドコ節 」とかなり以前から決めていた。介護ヘルパーのボランティアをやっている知人から、この曲は高齢者の高い支持があるとの確かな情報を事前に得ている。会場はたちまち手拍子とかけ声に包まれた。結果的に涙の余韻を残しつつ、楽しく締めくくるよいカンフル剤、よいラストになったと思う。

「本当にいい歌でした」
 この日を指折り数えて楽しみにしていたというAさんが最後まで会場に残ってくれ、うれしそうな顔でそう声をかけてくださった。「故郷」と「川の流れのように」を一緒に歌ってくれたあの方だ。
 高齢者対象のライブには難しい部分もいくつか実感したが、(本館では最後に寝てしまった方が一人いた)一番熱心に歌を聴いてくれたであろうこのAさんのような方を早く演奏中に見つけ、それを軸にライブ全体を組み立てればいい気がする。

 初体験だった介護施設訪問ライブを総括すると、自己採点としては60点。初めての施設訪問ということで、ちょっと情に流され過ぎたきらいがある。歌い手と聴き手が一緒になって泣いていてはいけない。それでも録音を聴いた妻が言った。

「プロじゃないんだから、一緒に泣いても減点にはならないと思う」
 そんな妻も、録音を聴きながらボロボロ泣いている。「あなたの歌には人の心を動かす力がある」と珍しくほめてくれた。この言葉に奢らず、家族の暖かい励ましと受け止めよう。個々の曲に対する細かい評価もあるが、こちらは近々実施予定の別の訪問ライブレポート用にとっておくことにする。
 ヘルパーの方々にとっても非常に印象深い行事だったようで、「またぜひいらしてください」との声が複数の方からかかった。もしまた呼んでいただけるなら、季節毎に新しいプログラムを用意しようと思う。「客席とのキャッチボール」も、もっと工夫が必要だ。ひとつ終ったばかりだが、次のステップをもう考えている。


 

ホームさくら草・ひな祭訪問ライブ /2005.3.3



 前回の訪問ライブの興奮と熱とが、まだ充分に覚めきれない4日後、近所の二つのグループホームからの依頼で、ひな祭ライブを一気に実施した。一番最初に案内状を配った施設と、その紹介で連絡のあった系列の施設とが訪問先である。入居者に女性が多く、「ぜひともひな祭当日に」との希望だった。
 あいにくの平日だったが、幸いなことに急ぎの仕事は入っていない。当面ある仕事の段取りをメールと電話で処理し、空き時間を確保する。
 この日は両施設とも45分前後という長めの演奏時間を望まれていた。前回ライブの経験から、同じような選曲と進行であれば、アンコールを含めて13曲程度用意すればいいはずだった。
 両施設の移動時間は撤収、再セットを含めて25分。相互の距離は3キロ程度で、スケジュールとしてはかなり厳しい。そこで荷物運搬や設営の手伝いと歌の共演をかね、就職前の春休みで時間のあった息子に助っ人を要請する。息子もこれを心良く引き受けてくれた。

「家族ぐるみでの施設訪問ライブ」という構想は当初からあった。時間が許せば、妻もマネージャー役を引き受けてくれることになっている。私の場合、仕事も趣味も家族抜きで個々が勝手にやる、ということはほとんど考えられない。相互が理解しあい、協力しあってこその家族である。趣味の活動を通して家族の絆がもし深まれば、これに勝る幸せはない。
 息子の場合は元来が歌好きだったし、家に閉じこもってゲーム三昧の日々より、少しは社会の風にあたってみたほうが、彼自身にとってもいいに決まっている。何より、次の世代である息子をこの種の活動に狩り出すことにより、「歌を遠い未来にまで伝える」という宇宙レベルの遠大な目標に、多少なりとも近づけるというものだ。

 出発直前まで入念な音合わせを続ける。前日までは一人で歌う予定だった「上を向いて歩こう」の練習中、ふと思いついて「この曲も一緒に歌わないか?」と息子を誘うと、「やる」との力強い返答。試してみると、見事な二重唱をアドリブでこなした。和音に狂いはなく、その場で採用を決める。我が子ながらたいした才能だと感心。そうこうするうち、約束の時間まで残り10分と迫っていた。
 荷物を流れ作業で積込み、仕事の都合で今回も不参加の妻に見送られて出発。12時30分ちょうどに会場に着いた。

 最初の演奏は、同じ建物の2、3階にある二つのホームの入居者18名を3階の大食堂に集めて行われた。他に入居者とほぼ同数のスタッフの方々がサポート役としている。
 会場は事前に充分に調査ずみだったので、設営にとまどいはない。手が二つあるので、あっという間に終了。演奏場所は窓際で明るく、手元照明は不要である。

 今回はマイクが2本あるので、入念にマイクテストとミキサーの調整を重ねる。会場には続々と人が集まってきて、私と息子とを取り囲んで興味津々のまなざし。「まだ練習ですよ!」といくら念を押しても、すでに会場は熱気と拍手、そして歓声とに包まれてしまう。まだ開演時間前だったが、次の会場の予定が控えていることもあり、12時45分にライブを開始した。
 この日のプログラムは両会場とも、以下の通り。


 〜マイクテスト(1番のみ)
「面影橋から」
「恋は桃色」


「達者でナ」
「カントリー・ロード」
「リンゴの歌」
「早春賦」
「故 郷」

 〜ここからtiny-ZOO(息子とのユニット)
「里山景色」(オリジナル)
「あずさ2号」
「上を向いて歩こう」

 〜ここから再びソロ
「さくら」(直太朗)
「川の流れのように」
「月がとっても青いから」
「引き潮」
 〜アンコール
「きよしのズンドコ節」


 息子との共演もあり、選曲は4日前よりも微妙に変えた。具体的には、「青い山脈」を外し、新たに「上を向いて歩こう」を入れたこと。ネットで私の活動を知った友人のTさんから勧められたオリジナル曲、「里山景色」を入れたことなどである。

 挨拶のあと、「ご挨拶代りにまずは三橋美智也の『達者でナ』を歌います」と言うと、いきなり会場から「おぉ〜っ!」の歓声。どうやら熱烈なファンがいる様子だった。低いベース音をうならせてギターを弾き始めると、はやくも会場から手拍子。そしてサビの「ハァ〜ア〜ァ〜」の部分では、場内が大合唱である。さすがの私もいささか面喰らった。右手で出番を控えている息子まで、いい気になって手を叩いている。
 打ち明けると、あまり急に周りに乗られてしまうと、元来がシャイでへそ曲がりな私は、つい気持ちが引いてしまう困ったタチだ。しかし、今日のメイン歌手であるはずの私が、場の雰囲気に乗り遅れてしまうのはいかにもまずい。喜色満面でいまにも踊りださんばかりの勢いで両手を叩いてくれる方々の熱気に、水をさしてはなるものか…。
 よし、こうなれば今日はこの勢いで歌いまくるぞと覚悟を決め、最初からギターのネックを振り、足でステップを刻んで突っ走った。ほとんどロックコンサート状態である。

 この日、最も気を配ったのは、「客の目を見て歌う」という点だった。前述のTさんが送って下さった訪問ライブに関する体験資料で、「聴き手と心を通じ合わせるために、なるべく目を見て歌え」という記述があり、なるほどと思った。
 4日前のライブでは気持ちにゆとりがなく、つい目をふせて自分の世界に浸って歌ったきらいがある。一番最初の会場でいまひとつ反応が弱かったのは、聴き手の気持ちを思いやる心遣いが足りなかったせいではなかったか…。
 その反省をふまえ、この日は歌いながら一人一人の目を順に見るように努めた。すると、やはり反応が全く違う。目が合うと、どの方もとても嬉しそうな表情を見せるのだ。これはこの日の最も大きな収穫だった。

 ところが、あまりに楽譜から目をそらしすぎ、「カントリー・ロード」の途中でどこを歌っているのか、一瞬分からなくなった。この日一番のミスだ。すぐに回復したが、選曲がまだ確定せず、歌いこみも不足しているので、全曲の暗譜はとても無理である。今後の課題かもしれない。
 もっとも、「あまり皆さんの顔ばかり見て歌っていて、つい間違えてしまいました。ごめんなさい」と素直に謝ると、笑いと拍手で応えてくださった。会場との信頼関係を早く作ると、失敗さえもプラス指向に働いてしまう。そしてこの日は最後まで失敗や思わぬアクシデントをうまくさばく気持ちの余裕があった。

 途中、一人の方が咳き込んでとまらなくなった。このとき感心したのは、ヘルパーの方があわてず騒がず、背中をなでたり水を飲ませたりしてその場で処置をしたことだ。外に連れ出してしまうのは簡単だっただろう。だがそうすると、せっかくの楽しい機会を損ねてしまう。入居者に対するホーム側の暖かい配慮を感じた。
 私もあうんの連係プレーで、「大丈夫ですか」と声をかけて演奏をしばしやめ、ギターをパラパラつま弾いて場をさりげなくつないだりした。

 プログラムはトントン調子よく進んだ。歌う曲名を事前に発表するたび、会場から歓声や拍手があがった。「すごいね〜、上手だね〜」という場内の声が歌っている私の耳にもはっきりと届く。実に嬉しい。全く歌い手みょうりに尽きるというものだ。
 5曲終ったところで、息子の登場となった。今日の大きなハイライトである親子ユニット、「tiny-ZOO」のステージである。アンコールを入れて全部で13曲歌う予定だったから、息子との共演3曲を間にはさむと、いいアクセントになり、ライブ全体にメリハリが効く。昨年主催者を務めたフォーク歌手の及川恒平さんのステージで学んだ手法である。

 息子との共演は非常にうまくいった。声も顔もよく似ているので、ユニットとしての違和感がない。息子も度胸満点、ノーミスで晴れの舞台をこなした。設営やマイクテストの時点から、息子が助手としてすでに観客と充分コミュニケーションを図っていたのも幸いした。

 共演1曲目は本当は「恋のバカンス」を歌うはずだったが、2日前になってオリジナル曲「里山景色」に急きょ入れ替えた。最初の訪問ライブの感触で、「恋のバカンス」は高齢者には合わないと判断したのだ。代替曲をオリジナルにするのは大きな冒険だったが、ネットで公開している同じ曲を聞いた友人のTさんからの「感動しました。広まるといいですね」というメールに勇気づけられ、歌う決心がついた。
 アレンジは輪唱の部分は私が、二重唱の部分は息子が主に担当した。本来はソロ用に作られた曲をデュオ向きに編曲するのは結構難しい。直前まで何度もテストを繰り返したが、なんと息子は本番なってさらにアドリブで細部を変えて歌っていた。それでも会場の反応はよく、「いい曲だ」の声が多数かかった。

 大好評のまま息子との共演が終り、再びソロに戻った。そしてここにじっくり聞いてもらうための曲、「さくら(独唱)」「川の流れのように」をもってきた。動から一転して静へと移行する演出である。
 すでに4日前にこの2曲の威力はつかんでいる。それまでわき返っていた会場も、「さくら」が始まるとピタリと静まり返った。歌い手と聴き手とが心地よい緊張感でつながる。全く別の意味で、会場との強い一体感を感じた。
 続く「月がとっても青いから」で、場の気分を少しリラックスさせる。いわゆる「カンフル剤」の役目である。選曲と曲順には、おそらく「笑ったり、泣いたり、喜んだり」のメリハリが必要なのだ。わずか1時間弱のライブだけれど、それは人生を凝縮する小宇宙のようなものであるはずだ。このことも前述の及川恒平さんのステージで直感的に学んでいた。

 ラストはその及川恒平さんの「引き潮」で締めた。春の施設訪問ライブのすべてはこの「引き潮」で終えることを早くから決めていた。高齢者対象のライブを飾るのに、これ以上ふさわしい曲はない。多くの人々に伝えたい名曲だった。
 この会場では前曲の余韻があったのか、場内から軽い手拍子がきて少しとまどった。潮の満ち干きを連想させる緩い波のようなストローク奏法を伴奏に使ったからではないか、とあとで息子に言われた。だが、全体の中では大きなキズではなかったと思う。

「引き潮」が終るとほぼ同時に、会場から「アンコール!」の声が多数かかった。これまた4日前の反省で、アンコールは自主的にでもやる方向と決めていた。最初は演歌の古株の三橋美智也から入り、最後は同じ演歌の新星、氷川きよしで明るく締めくくる、そんなシナリオを思い描いた。「最初と最後は皆がよく知っている歌がいい」との情報を、ネットの友人から得てもいた。
 アンコールでライブの熱気は最高潮に達した。もしこのあとのスケジュールがなかったなら、そのまま延々と歌い続けていたかもしれない。(楽譜は充分に用意してあった)

 すべてが終了すると、「三橋美智也があってよかったネ」だとか、「本物の演奏はやっぱり違うワ」などという声がざわざわと会場のあちこちに広がっている。備品を運んでいると、「楽しかったよ〜」と、入居の方の一人がわざわざ出口まで送ってくださった。
「みんなに楽しんでくれとは言ってあったけど、まさかここまで盛り上がるとは…」と、今回のライブの仕掛人である当のホーム長さんも驚いている。だが、一番驚き、戸惑っていたのはたぶんこの私だ。
 あとで録音を聞いてみると、その戸惑いを引きずって気持ちが浮いていたせいか、この会場での歌自体の出来はあまりよいとは言えない。しかし、みなさんがこの上なく楽しんでくださったのは間違いない。その一点では大満足、大成功のライブだったと言える。


 

ホームからまつ・ひな祭訪問ライブ /2005.3.3



「ひな祭訪問ライブ」の第1弾が盛況のうちに無事終了した。備品をあわただしく片付け、車の中でお握りを一口水で流しこんで息を整える。最初のライブは予定通りピタリ45分で終ったが、この日二つ目の訪問ライブの開始時刻が迫っているので、ゆっくり休んでいる暇がない。
 1時45分に次の会場に着く。最初のホームから「いま出ました」との連絡が入っていたそうで、「お待ちしていました」と職員や入居の方々から歓迎される。

 このホームにはベットから起き上がれない方が一人いて、ぜひその人にもライブを見せてやりたい、とのホーム長さんのたっての希望である。演奏の場所を事前にいろいろ検討し、食堂からの見通しはやや悪いが、ベットから歌い手の横顔が見える雛飾りのすぐ横に演奏場所を決めた。
 あわただしく機材を再セット。最初の会場よりも広く、客席との距離もあるので、PA(MDコンポ)のボリュームをやや上げることにした。

 このホームでは前のホームとは開始の段取りが微妙に違っていた。マイクテストの時点ですでに場内からは熱烈な拍手と歓声。ここまでは最初と全く同じだった。前の会場から何らかの情報が入っていたのかもしれない。ところがいざライブを始めようとすると、ホーム長さんがきちんと我々を紹介してくださったのだ。いわゆる「司会つき」というヤツで、結構本格的である。
 私の場合、事前の紹介はあってもなくても別に気にしない。なければ自分で自己紹介して進めるし、やっていただけるならそれに従う。臨機応変、柔軟なのだが、こうしてホーム側がきちんと紹介してくださるのもまたよいものだった。

 このホームの入居者は全員が女性だった。ホーム長さんも女性で、入居者やスタッフの数も最初の会場のちょうど半分である。そのせいか、この会場の反応は最初よりも穏やかなものだった。だから盛上がらないのではなく、手拍子、歓声、歌声、どれも一緒にやっていただけるのは同じなのだが、「いかにもノリノリ」といった雰囲気ではなく、全てが密やかなのである。
 個人的には、ある程度自分の裁量で場の空気をコントロール出来るこれくらいの反応が好みだった。あとで両方のライブ録音をじっくり聴き比べてみると、音楽的には明らかに後者のほうが出来がよい。他の人はどうなのか分からないが、私に限っては静ひつな雰囲気が場を支配するほうが心地よいのである。

 この会場では、入居者の一人がライブ直前にちょっと大きな声を周囲に発していて、ヘルパーの方が懸命になだめている。演奏前の私と息子は少し不安になった。おそらく認知症の一症状かと思われたが、マイクテストが始まるとなぜか大人しくなった。
 ここでも一人一人の顔を演奏中になるべく見るように努めていて、それに対する皆さんの反応も最初の会場と何も変わらなかった。ところが、この方だけは演奏場所から死角となる食堂の奥に座っている。だから顔を見て目で話し掛けることが出来ない。

 3曲目を歌い終えたとき、スタッフの一人が突然この方を奥から最前列に連れてきた。再び大声で抗う声。何らかの指図を他からされるのを、極度に嫌っているように見えた。ライブの真っ最中である私にとっては、またまたアクシデントである。さて、どうしよう…。
 もしかするとヘルパーの方は、そのライブで私がやろうとしていたことを察知したのかもしれない。だから無理にでも最前列に連れてきた。ギターをポロポロ鳴らして時間を稼ぎながら、そう判断した。そこでその方から目を離さず、静かに次の曲を歌い始めた。
 すると不思議なことが起こった。それまで抗っていたその方がふっと沈黙し、私を見たのだ。ここぞとばかりに話しかけるようなキモチで歌い続ける。曲調が穏やかな「早春賦」だったことも幸いした。その方はそのまま椅子におとなしく座り、終りまで静かに歌を聴いてくれた。

「あの時は本当に驚いた」と、全てを目の前で見ていた息子からもあとで言われた。
「音楽療法」などという言葉が取りざたされている。認知症や精神疾患に音楽が効果的である、という考えだ。私自身は半信半疑だったが、この時の状況を見る限り、やはり何かしらの効果はありそうな気がする。

 この会場では、もうひとつ小さなアクシデントが起きた。5曲目の「故郷」を歌おうとしていた直前、スタッフの方の携帯電話が大きな音で鳴りだしたのだ。プロのライブならおそらく事前に案内があるが、さすがにそこまでお願いはしていない。
 一瞬たじろいだが、着信音を聞くとなぜか、「きよしのズンドコ節 」である。すかさず、「おっと、その曲はあとでちゃんと歌わせていただきますから」と、アドリブで凌いだ。我ながらナカナカやる。

 最初の会場と同様、歌う前には「みなさんきっとご存じの曲です。よろしかったら一緒に歌ってください」だとか、「元気の出る曲です。よろしかったら手拍子をお願いします」などと、押しつけがましくならない程度に言葉ではっきりとお願いした。
 事前の調査で、両会場とも訪問ライブ自体が初めてであると聴いていた。歌い手も聴き手も手探りの「初心者」なのだ。こちらが分かっていることははっきり言葉にし、聴き手が戸惑わないようにしたほうがいい、そう判断した。
 こうした曲間のMC(話し)のツボのようなものは、この4度目の訪問ライブでほぼつかんだ気がする。よい意味で場を上手にさばくことが出来るようになったと自分でも思う。場慣れし過ぎるのも問題だが、経験を積めばもっと向上出来そうだ。

 今回は両会場とも涙とは無縁のつもりでいたが、「さくら(独唱)」を歌い始めると、なぜか数人のスタッフの眼がうるんでいる。自分では気づかなかったが、前の会場でも一部で同様の現象が起きていたとあとで息子から聞いた。
 すべてが終ったあと、みなさんと一緒にお茶とデザートをいただいていたとき、ホーム長さんが私のそばにきてこう言ってくれた。

「入居者もそうですが、何より職員のみんなが菊地さんの歌声で本当に癒されました」

 また歌いに来ていただけますか…?もちろんです、さっそく新しいプログラムの選曲と練習をします、と即答した。

 介護施設をめぐる痛ましい事件が新聞を賑わしている。私は単なる通行人のような形でしか施設を見ていない。それでもぼんやりとだが、職員の方々の大変さは分かる。仕事と割切るだけではとても乗り越えられないものがそこにあるような気がしてならない。
 もし自分の活動が入居者のみならず、そんなスタッフの方々の心をたとえ束の間でも慰め、癒せるのだとしたら、これほど嬉しいことはない。全くの手探りから始めた「春の施設訪問ツアー」は、明日へとつながる多くの有形無形の成果をあげたように思える。

 夕食後、ライブ録音を自宅で聴きながら、家族で反省会を開いた。ささやかな素人ライブでも反省は常に必要で、ただの自己満足で終ってしまっては進歩はない。妻が録音を聴きながらまた目をうるませている。泣くようなシーンはあまりないはずだが…。
 音楽的にはかなり向上したが、家で一人で歌っているときのほうが出来がいい、と涙ぐみながらも冷静な妻の指摘。やはりまだ力みがあるという。そう簡単にベストになっては、向上するものがなくなってしまうので、少しは課題があったほうがいいかもしれない、と自分に言い訳をする。

 息子は、「実に楽しかった」と言ってくれたが、録音で自分の出番を聴くなり、「僕の音程は甘い」とか、「オヤジの声には僕にはないツヤがある」とか、「オヤジはフレーズ毎の声のF.O(小さく絞ること)がうまい」などと、ぶつぶつ言っている。自分の出来にはまだまだ納得していないようだ。
「あと30年修行すれば、たぶん追いつけるよ」と慰めた。余談だが、息子には好物のブラックニッカを1本「お駄賃」としてプレゼントした。親子でも、これくらいの気は遣う。

 息子との共演の次回が果たしてあるのかないのか、4月から彼が新社会人となり、地元を離れてしまうので現時点では不透明である。しかし、休暇をとってでも参加する意義は充分あると考えている。
 2番目のホーム長さんが帰り際にこう言ってくれた。

「実にいい親子関係を築いていらっしゃいますね」

 始めたばかりの息子のギターも、少しずつ向上している。まずは身近なところから活動の輪が徐々に広がっていけばいい。


 

ホームからまつ・皐月訪問ライブ /2005.5.22



 3月にひな祭ライブを実施したグループホームのひとつから、再び訪問ライブの打診がきた。入居者の一人のお誕生会の余興に、もう一度ライブをやっていただけないだろうか、という依頼である。前回うかがったとき、「次回は七夕の時期にでもまたお願いします」と依頼されていた。予想よりもはるかに早い。ありがたく、そして嬉しい。一も二もなくお受けした。
 前回ライブの終わった直後から、すでに夏向きの曲はある程度ピックアップしてあったが、5月末ではまだ早過ぎる。テーマを急きょ「春と花」に変更し、春や花の曲にちなんだ曲を再度選び、構成し直す。同時進行の青空ライブや、急増する仕事との調整もあって多忙を極めたが、これこそうれしい悲鳴である。

 仕事の営業等でよく、「大切なのは二度目の訪問以降」という言葉がある。一度目は物珍しさや単なるお試し、そして義理などの動機からお付き合いしていただく例も少なくないが、二度目となるともはやそれはない。
 逆に言うと、もし二度目がうまく運べば、営業であれば新規の仕事を半ば保証されたようなもの。訪問ライブであれば、定期的な訪問がしばらくは約束されたと考えてよい。本当の「勝負」は二度目以降なのだ。その意味では、非常に大事なライブとなるはずだった。

 トリ(最後)の曲は森山直太朗の「さくら」でいこうと早くから決めた。前回の4度の訪問ライブやこの月に実施した2度の青空ライブでの実績と評価、そして季節的なタイミングから考え、春のライブはすべてこの曲を中心に構成しようと思った。妻と二人であちこち奔走した5月のライブを仮に個人的な「ミニツアー」と位置づけるなら、春のツアーのテーマ曲はずばり、「さくら」なのだった。
 その他の曲は、大半を入れ替えるつもりでいた。受けの良かった同じ曲を中心にプログラムを構成するのは、安全で手間もかからない。だが、それはマンネリや怠惰と背中合わせの危険性も同時にはらんでいる。僕が本格的なライブ活動を始めてから、まだ1年も経っていない。自分の型が完成するまで、しばらくは新しいものに挑戦し続けたかった。

 少しだけ頭を悩ませたのは、前回、歌や荷物運びで強力な助っ人となってくれた末の息子が4月に社会人となって札幌を離れてしまい、今回は全くあてに出来ないことだった。代りに妻が当日休暇をとってくれ、荷物運びや写真撮影の手伝いはやってくれることになっていた。だが、ライブそのものは完全に独りでこなさなくてはならない。1時間近いライブにどうやってメリハリをつけるのか、それが大きな課題だった。
 いろいろと考え、プログラムの中程に「童謡メドレー」をもってきて、入居のみなさんや妻と一緒に歌ってもらうことにした。高齢者対象ライブに童謡は悪くないことを、すでに各種資料や口コミ情報でつかんでいる。
 幸い、子供が小さい時期に買った童謡レコードが捨てずにしまってあった。引っぱり出してみると、懐かしい歌の数々が見つかった。その中から春向きの4曲をピックアップ。1曲を僕のソロで、他の3曲をメドレーで一気に歌うことにした。

 前日に青空ライブで14曲歌っており、その夜から明け方までは仕事をしていて、かなり疲れがたまっていた。喉の調子にもやや不安がある。前夜に喉の常備薬である「生姜の蜂蜜湯」(生姜をすりおろして蜂蜜を混ぜ、熱湯で溶く)を飲み、酷使している喉を癒す。その効果か、出発直前の発声練習での声の調子は、まずまずだった。
 当日の発声練習は、その日歌う予定の曲を原則として1番だけ順に歌っていく。まだライブそのものに慣れていないので、たとえば1週間も歌ってないような曲をいきなり本番で歌う芸当など、怖くてとても出来ない。

 ライブ開始時間は前回と同じ午後2時だったが、今回は掛け持ちではなく、1ケ所のホームだけだ。その点では集中できる。1時半に車で家を出ると、5分で先方に着いた。
 あいさつもそこそこ、すぐに機材を搬入し、PA(音響装置)をセットする。直前に自宅でテストしていたので、10分で終了。まずはマイクテストをかねて1曲歌う。息子がいないので、マイクは1本のみ。僕の場合、PAはライブの録音と生音の補助程度にしか考えていない。マイクは1本だけで充分なのである。
 準備万端整ったが、時間がきてもなぜか入居者が全員そろわず、始められない。早くからホールに集まって待ち構えている方々のために、予定になかった2曲をここで歌った。
 出来たてのオリジナルカバー「愛しき日々」や、グループホームではまだ一度も歌っていない「雨が空から降れば」を、さり気なくここで試す。2曲とも反応は悪くない。次回以降、本番でも充分使えそうだった。

 2時5分過ぎに入居者全員がそろい、ライブを開始した。この日のプログラムは以下の通り。


 〜マイクテスト(1番のみ)
「浜辺の歌」
「愛しき日々」(オリジナル作詞)
「雨が空から降れば」



「北国の春」
「古 城」
「赤い花白い花」
「上を向いて歩こう」
「里山景色(オリジナル)
「みかんの花咲く丘」

 〜童謡メドレー
「ちょうちょう」「チューリップ」「めだかの学校」
「バンダナを巻く」(オリジナル)
「箱根八里の半次郎」
「ダンデライオン〜遅咲きのタンポポ」
「お富さん」
「花〜すべての人の心に花を」
「さくら」(直太朗)
 〜アンコール
「きよしのズンドコ節」


 出だしは快調だった。どのようなライブであっても、1曲目はとても大事だ。最初の一撃で聴き手をするりと自分の世界に引込まなくてはならない。かといって、自分のエース曲をいきなりここに持ってくると、最後が苦しい。聴き手が常に変化している青空ライブなら、迷わず最初と最後に同じエースの曲を持ってくる。だが、聴き手が動かない訪問ライブでは、その技は使えない。
 考えたあげくの1曲目が「北国の春」である。タイトルがこの時期にぴったりで、高齢者に抵抗の少ない演歌。しかもこの歌の歌詞には2番の最初に、「カラマツ」という言葉が出てくる。訪問先のホームと同じ名だ。トップバッターとして、これ以上ふさわしい曲はなかった。

 歌いだすと、声の調子がいいのが自分でも分かった。会場からはすぐに手拍子が出て、一緒に口ずさむ方もいる。歌に合わせて身体を左右に揺すってくれる。実にいい反応だった。
 訪問ライブで演歌は欠かせないが、僕が演歌を歌う場合、完全に自分流にアレンジして歌う。どう料理するかを言葉で説明するのはとても難しい。「あなたが歌うとどんな曲でもフォーク風の独特の味になる」と昔からよく言われる。
「音楽なら何でもOK」と言う人がよくいる。僕の場合もフォークはもちろん、演歌、民謡、童謡、クラシック等々、材料はなんでもいいが、ジャンルによって自分を変えたりはしないし、それほど器用でもない。そうした雑多な材料をさばくのは、あくまで料理人(歌い手)としての強い自分の個性である。

 かってないような好調な出だしの勢いをかって、2曲目の「古城」になだれこんだ。あとは自分のイメージ通り、メリハリの効いた構成でそのまま突っ走ればいい、そのはずだった。ところが、ここで思いもしなかったトラブルが続けざまに起こった。
 2曲目を歌い出した直後、前回もライブ中に大声を発して僕と息子を戸惑わせた同じ入居者の方が、いきなり席を立って僕のほうに向かってきた。どうやら背後にある階段に行きたい様子で、引き止めるヘルパーにも構わず、大声を出しながら強引に僕の横をすり抜けようとする。あげくには、バランスを崩して譜面台につかまる始末だった。
 そもそも、譜面台はつかまるような丈夫なものではない。幸い、横に傾いただけで壊れずに済んだが、直後にヘルパーの方が本人を確保し、何とか近くのソファに座らせ、落着かせようとしている。
 介護訪問ライブにアクシデントはつきもので、最初から「何かある」という前提で始めたほうが無難だ。しかし、悪いことにこの時、もう一つ別のアクシデントが起きた。PAの不調である。

 ふと気づくと、マイクが全く入っていない。最初の「北国の春」はシャウトして歌う曲なので気づかなかったが、アルペジオでささやくように歌っていた「古城」ではすぐにそれが分かる。事前に充分調整したはずのPAが、ここで全く機能しなくなっていた。
 傍らでは、大声で抵抗する入居者を、ヘルパーの方が懸命になだめている。もはやライブどころではなかった。会場は戸惑いと困惑とで凍りついている。1曲目で完全に自分の世界に引込んだはずのライブは、無惨に崩壊した。さて、どうする…?

(いっそ歌を途中でやめてしまおうか…)

 まずその考えが頭をよぎった。アマチュアの訪問ライブだし、これだけのトラブルなら、それも許されるのではないか…。しかし、そんな逃げの姿勢に、歌い手としての意地のようなものが勝った。結局最後まで歌いきった。
 ここで窮余の策が咄嗟に口をつく。
「マイクを少し調整させてください」

 聴き手は10数名だったので、青空ライブで鍛えた喉なら、本当はPAなどなくても充分やれる。だがともかく、少しだけ時間稼ぎをしたかった。PAトラブルへの対応は、ある意味で間をとるための格好の口実だった。

 実はマイクトラブルの原因は察しがついていた。歌いながらミキサーのパイロットランプを見ると、消えている。電池が切れたのだ。予備の電池に変えてやれば、おそらく復活する。
 自宅で発声練習とPAのテストを事前にやったとき、うっかりミキサーのスイッチを切るのを忘れていた。本番前に機材を設置したときそれに気づいてはいたが、マイクテストでは特に問題なかったので、そのまま始めていた。どうやら、本番開始直後に電池の寿命がきたらしい。
 ミキサーと予備電池は足元に準備してある。ギターを脇の壁にたてかけ、素早く交換にかかった。横にいる妻がオロオロして見守っていのがはっきり分かるが、PAの事は僕にしか分からない。気が急いているので、開けたミキサーの蓋を閉めるのに随分と時間がかかる。落着いてよく見ると、前後が逆だった。ヤレヤレ…。

 正味にすると、わずか1〜2分だったかもしれない。しかし、当事者にはそれが気が遠くなるような長い時間に感ずる。およそトラブルとはそんなものだ。
 気の利いたサポート役なら、すかさずここで沈黙をつなぐ何らかの技を、自発的に披露したりするものだ。しかし、ことライブの運営や進行に限ればヒヨッ子同然の妻に、それを期待するのはいささか酷というものである。
「どうもお待たせしました」と、気を取り直して再開した。ミキサーが途切れたので、録音のMDも停止している。こちらも再度録音ボタンを押しなおす。マイクの音は回復していたが、最初よりも音が少し小さくなったように感じた。だが、これ以上の時間ロスはもはや許されない。
 当初は3曲目にはオリジナルの「里山景色」を予定していた。しかし、いったん醒めた聴き手を相手に、耳になじみの薄いオリジナルはきつい。そこでひとまずこれを飛ばし、4曲目に予定していた「赤い花白い花」を歌った。ところがこの判断がまたまた甘かった。

「赤い花白い花」も「古城」と同じアルペジオ奏法の穏やかな曲だ。オリジナルの「里山景色」はストローク奏法だったから、当初のシナリオ通りであれば、メリハリの点でバランスよくライブは運ぶはずだった。ところが、この予期せぬトラブルのダブルパンチである。懸命に歌っても、聴き手の手応えは冷えたままで、一向にこちらに戻ってこない。
 逆にあせればあせるほど、聴き手の心は歌からどんどん遠ざかるような絶望的な気持ちに追い込まれた。これはまずい、危ない。
 つい最近、ネットで交流のあるアマチュア歌手の方が、同様のPAトラブルでライブを台なしにしたという失敗談が、頭の中をぐるぐる駆け巡った。何とかしなくては…。
 ライブは水もので、本当に怖いとつくづく思う。一寸先は闇だ。人生を短く凝縮したようなものかもしれないが、そこにライブの醍醐味があるといえばある。つまりは人生と同じで、この修羅場を乗り切り、苦境を打開するのは最終的に自分独りの力であるということだ。第三者はたとえ妻といえども、決してあてには出来ない。

 ここで僕は二つ目の打開策を、これまた瞬時に打ち出した。苦境に追い込まれるほど、火事場の馬鹿力のような思いがけない解決案が飛び出してくるのは、これまで人生でたびたび遭遇している僕の特質だった。

「いろいろトラブルがありましたので、予定の曲順を少し変えます」
 そう宣言し、10曲目あたりに予定していた「上を向いて歩こう」をいきなりここで歌うことにした。この曲は前回、息子と二人で歌ってよい感触を得ていた。スイング調にアレンジし、乗りのいい曲に仕上がっている。沈んだ会場の気分を一発で元に戻す強力なカンフル剤になる可能性は充分にあった。
 歌い始めると、会場からすぐに手拍子が湧いた。このとき、いいタイミングで妻の同僚のSさんが応援と見学に会場に現れ、一緒に手拍子に加わってくれる。愚図っていた入居者の方も、ようやく静かになった。歌い終えると、いつの間にかライブは元のペースに戻っていた。

 5曲目にようやくオリジナルの「里山景色」を歌い、一息つく。そして6曲目から、この日の目玉である「童謡シリーズ」に入った。
「みかんの花咲く丘」では、良い意味での予期せぬことが起きた。1番の終わり頃から、場内の雰囲気が何かおかしいのだ。聴き手の気持ちが僕に強く集まっていて、一緒に歌を口ずさんでくれる。そのうち何人かの眼に光るものが溢れ始めた。泣いているのだ…。
 この歌はつい数日前に急きょ歌うことを決めた歌だった。郷愁に満ちたメロディと歌詞とが、歌っていて胸を締めつける。聴き手も全く同じ気持ちになっているのは間違いなかった。会場の涙を見て、危うく僕も泣きそうになったが、瀬戸際のところで懸命にこらえた。
 あとで聞くと、妻もこの歌で涙が自然に頬を伝ったという。ぬぐうと僕に気づかれて歌に影響を与えると思い、流れるままに任せていたらしい。
 この歌で会場は完全にひとつになった。

 そのあとに続いた童謡メドレーは、この日のライブの頂点だった。3つの歌の楽譜を1枚にレイアウトし、カポも変えずに一気に続けて歌える工夫を事前にしてあった。曲間に伴奏を入れながらMCをはさむという技も、ここで初めて試した。サポート役の妻も歌いながら軽い手拍子でリードしてくれ、聴き手も楽しそうに一緒に歌ってくれた。
「チューリップ」では会場のノリが大変いいのを察し、「もう一回みんなで歌いましょうか」と声をかけて再度歌う。「めだかの学校」では、3番の前に、「この歌には3番もあるんですよ」と、間奏中にアドリブを入れる。
 予想をはるかに超える会場の反応だった。童謡メドレーは今後も目玉として、季節に応じたものを順次プログラムに入れようと思う。

 青空ライブでは評価の高い「バンダナを巻く」は、ちょっと高齢者相手にはきつかったようだ。聴き手の顔には明らかに戸惑いの表情が見られる。それではとフォローのつもりで歌った「箱根八里の半次郎」の反応がこれまたイマイチ。「高齢者に氷川きよしは手堅い」と思いこんでいた期待が、やや外れる。
 この理由は自分でもまだよく分析しきれていない。帰ってからチェックした音を聴くと、出来自体は決して悪くない。それどころかこの日の歌の出来は、音程にしても表現力にしても声量にしても、どれも平均点をはるかに超えている。だとすると、盛上がり過ぎた「童謡」の反動か?

 この影響で、当初ここで歌う予定でいた「愛燦々」を完全にカットした。初めて人前で披露した「ダンデライオン」もフルコーラス歌わずに、最後をかなりはしょった。ライブの流れにいまひとつ自信が持てなかったせいだが、あとで妻や同僚のSさんに、「ダンデライオンはぜひとも全部聴きたかった」と文句を言われた。出来はすごく良かったそうで、入居者もみな静かに耳を傾けていたという。
 若いSさんが眼をキラキラさせて「ダンデライオン」を聴いていたのは、歌っていて気づいた。だが、この日の主役はSさんではない。うつむいて聴いていた他の入居者を、勝手に「この歌に退屈しているのだ」と思いこんだ僕の判断ミスである。このあたり、最初のトラブルがまだ心の中で尾をひいていた。う〜ん、ライブは本当に難しいぞ。

「お富さん」は「上を向いて歩こう」と並んで、カンフル剤として準備した曲だ。先にふれたネットで交流のある先輩歌手の経験からヒントをもらった選曲だが、思惑通りのよい感触だった。何が起きるか分からないライブでは、この種の曲をいくつか準備しておく努力を怠ってはならないと痛感した。
 ラストの「さくら」で今回は完全にやめる予定でいたが、なぜか歌い終わっても誰も席を立たず、会場がお開きの雰囲気にならない。まさかと思っていたアンコールなのである。
 トラブル続きのライブをようやく無事に終えた安堵感から、いまひとつ歌う気分ではなかったが、「ずっと聴いていたいわ」というありがたいお言葉までいただき、それではと応じた。

 ヘルパーの一人が、「何かリクエストなど」と入居者に声をかけると、「知床旅情」「四季の歌」の二つが飛び出す。どちらもそう難しい曲ではないが、残念ながら楽譜の用意がない。(あとで落着いて考えると、「知床旅情」は歌もギターも暗譜していた)
「練習して次回、必ず歌わせていただきます」と約束し、無難な「きよしのズンドコ節」でまとめた。様々な教訓と、次回につながる多くの宿題も得た、収穫多い5度目の訪問ライブだった。