ホームからまつ・皐月訪問ライブ /2005.5.22
3月にひな祭ライブを実施したグループホームのひとつから、再び訪問ライブの打診がきた。入居者の一人のお誕生会の余興に、もう一度ライブをやっていただけないだろうか、という依頼である。前回うかがったとき、「次回は七夕の時期にでもまたお願いします」と依頼されていた。予想よりもはるかに早い。ありがたく、そして嬉しい。一も二もなくお受けした。
前回ライブの終わった直後から、すでに夏向きの曲はある程度ピックアップしてあったが、5月末ではまだ早過ぎる。テーマを急きょ「春と花」に変更し、春や花の曲にちなんだ曲を再度選び、構成し直す。同時進行の青空ライブや、急増する仕事との調整もあって多忙を極めたが、これこそうれしい悲鳴である。
仕事の営業等でよく、「大切なのは二度目の訪問以降」という言葉がある。一度目は物珍しさや単なるお試し、そして義理などの動機からお付き合いしていただく例も少なくないが、二度目となるともはやそれはない。
逆に言うと、もし二度目がうまく運べば、営業であれば新規の仕事を半ば保証されたようなもの。訪問ライブであれば、定期的な訪問がしばらくは約束されたと考えてよい。本当の「勝負」は二度目以降なのだ。その意味では、非常に大事なライブとなるはずだった。
トリ(最後)の曲は森山直太朗の「さくら」でいこうと早くから決めた。前回の4度の訪問ライブやこの月に実施した2度の青空ライブでの実績と評価、そして季節的なタイミングから考え、春のライブはすべてこの曲を中心に構成しようと思った。妻と二人であちこち奔走した5月のライブを仮に個人的な「ミニツアー」と位置づけるなら、春のツアーのテーマ曲はずばり、「さくら」なのだった。
その他の曲は、大半を入れ替えるつもりでいた。受けの良かった同じ曲を中心にプログラムを構成するのは、安全で手間もかからない。だが、それはマンネリや怠惰と背中合わせの危険性も同時にはらんでいる。僕が本格的なライブ活動を始めてから、まだ1年も経っていない。自分の型が完成するまで、しばらくは新しいものに挑戦し続けたかった。
少しだけ頭を悩ませたのは、前回、歌や荷物運びで強力な助っ人となってくれた末の息子が4月に社会人となって札幌を離れてしまい、今回は全くあてに出来ないことだった。代りに妻が当日休暇をとってくれ、荷物運びや写真撮影の手伝いはやってくれることになっていた。だが、ライブそのものは完全に独りでこなさなくてはならない。1時間近いライブにどうやってメリハリをつけるのか、それが大きな課題だった。
いろいろと考え、プログラムの中程に「童謡メドレー」をもってきて、入居のみなさんや妻と一緒に歌ってもらうことにした。高齢者対象ライブに童謡は悪くないことを、すでに各種資料や口コミ情報でつかんでいる。
幸い、子供が小さい時期に買った童謡レコードが捨てずにしまってあった。引っぱり出してみると、懐かしい歌の数々が見つかった。その中から春向きの4曲をピックアップ。1曲を僕のソロで、他の3曲をメドレーで一気に歌うことにした。
前日に青空ライブで14曲歌っており、その夜から明け方までは仕事をしていて、かなり疲れがたまっていた。喉の調子にもやや不安がある。前夜に喉の常備薬である「生姜の蜂蜜湯」(生姜をすりおろして蜂蜜を混ぜ、熱湯で溶く)を飲み、酷使している喉を癒す。その効果か、出発直前の発声練習での声の調子は、まずまずだった。
当日の発声練習は、その日歌う予定の曲を原則として1番だけ順に歌っていく。まだライブそのものに慣れていないので、たとえば1週間も歌ってないような曲をいきなり本番で歌う芸当など、怖くてとても出来ない。
ライブ開始時間は前回と同じ午後2時だったが、今回は掛け持ちではなく、1ケ所のホームだけだ。その点では集中できる。1時半に車で家を出ると、5分で先方に着いた。
あいさつもそこそこ、すぐに機材を搬入し、PA(音響装置)をセットする。直前に自宅でテストしていたので、10分で終了。まずはマイクテストをかねて1曲歌う。息子がいないので、マイクは1本のみ。僕の場合、PAはライブの録音と生音の補助程度にしか考えていない。マイクは1本だけで充分なのである。
準備万端整ったが、時間がきてもなぜか入居者が全員そろわず、始められない。早くからホールに集まって待ち構えている方々のために、予定になかった2曲をここで歌った。
出来たてのオリジナルカバー「愛しき日々」や、グループホームではまだ一度も歌っていない「雨が空から降れば」を、さり気なくここで試す。2曲とも反応は悪くない。次回以降、本番でも充分使えそうだった。
2時5分過ぎに入居者全員がそろい、ライブを開始した。この日のプログラムは以下の通り。
〜マイクテスト(1番のみ)
「浜辺の歌」
「愛しき日々」(オリジナル作詞)
「雨が空から降れば」
「北国の春」
「古 城」
「赤い花白い花」
「上を向いて歩こう」
「里山景色(オリジナル)
「みかんの花咲く丘」
〜童謡メドレー
「ちょうちょう」「チューリップ」「めだかの学校」
「バンダナを巻く」(オリジナル)
「箱根八里の半次郎」
「ダンデライオン〜遅咲きのタンポポ」
「お富さん」
「花〜すべての人の心に花を」
「さくら」(直太朗)
〜アンコール
「きよしのズンドコ節」
出だしは快調だった。どのようなライブであっても、1曲目はとても大事だ。最初の一撃で聴き手をするりと自分の世界に引込まなくてはならない。かといって、自分のエース曲をいきなりここに持ってくると、最後が苦しい。聴き手が常に変化している青空ライブなら、迷わず最初と最後に同じエースの曲を持ってくる。だが、聴き手が動かない訪問ライブでは、その技は使えない。
考えたあげくの1曲目が「北国の春」である。タイトルがこの時期にぴったりで、高齢者に抵抗の少ない演歌。しかもこの歌の歌詞には2番の最初に、「カラマツ」という言葉が出てくる。訪問先のホームと同じ名だ。トップバッターとして、これ以上ふさわしい曲はなかった。
歌いだすと、声の調子がいいのが自分でも分かった。会場からはすぐに手拍子が出て、一緒に口ずさむ方もいる。歌に合わせて身体を左右に揺すってくれる。実にいい反応だった。
訪問ライブで演歌は欠かせないが、僕が演歌を歌う場合、完全に自分流にアレンジして歌う。どう料理するかを言葉で説明するのはとても難しい。「あなたが歌うとどんな曲でもフォーク風の独特の味になる」と昔からよく言われる。
「音楽なら何でもOK」と言う人がよくいる。僕の場合もフォークはもちろん、演歌、民謡、童謡、クラシック等々、材料はなんでもいいが、ジャンルによって自分を変えたりはしないし、それほど器用でもない。そうした雑多な材料をさばくのは、あくまで料理人(歌い手)としての強い自分の個性である。
かってないような好調な出だしの勢いをかって、2曲目の「古城」になだれこんだ。あとは自分のイメージ通り、メリハリの効いた構成でそのまま突っ走ればいい、そのはずだった。ところが、ここで思いもしなかったトラブルが続けざまに起こった。
2曲目を歌い出した直後、前回もライブ中に大声を発して僕と息子を戸惑わせた同じ入居者の方が、いきなり席を立って僕のほうに向かってきた。どうやら背後にある階段に行きたい様子で、引き止めるヘルパーにも構わず、大声を出しながら強引に僕の横をすり抜けようとする。あげくには、バランスを崩して譜面台につかまる始末だった。
そもそも、譜面台はつかまるような丈夫なものではない。幸い、横に傾いただけで壊れずに済んだが、直後にヘルパーの方が本人を確保し、何とか近くのソファに座らせ、落着かせようとしている。
介護訪問ライブにアクシデントはつきもので、最初から「何かある」という前提で始めたほうが無難だ。しかし、悪いことにこの時、もう一つ別のアクシデントが起きた。PAの不調である。
ふと気づくと、マイクが全く入っていない。最初の「北国の春」はシャウトして歌う曲なので気づかなかったが、アルペジオでささやくように歌っていた「古城」ではすぐにそれが分かる。事前に充分調整したはずのPAが、ここで全く機能しなくなっていた。
傍らでは、大声で抵抗する入居者を、ヘルパーの方が懸命になだめている。もはやライブどころではなかった。会場は戸惑いと困惑とで凍りついている。1曲目で完全に自分の世界に引込んだはずのライブは、無惨に崩壊した。さて、どうする…?
(いっそ歌を途中でやめてしまおうか…)
まずその考えが頭をよぎった。アマチュアの訪問ライブだし、これだけのトラブルなら、それも許されるのではないか…。しかし、そんな逃げの姿勢に、歌い手としての意地のようなものが勝った。結局最後まで歌いきった。
ここで窮余の策が咄嗟に口をつく。
「マイクを少し調整させてください」
聴き手は10数名だったので、青空ライブで鍛えた喉なら、本当はPAなどなくても充分やれる。だがともかく、少しだけ時間稼ぎをしたかった。PAトラブルへの対応は、ある意味で間をとるための格好の口実だった。
実はマイクトラブルの原因は察しがついていた。歌いながらミキサーのパイロットランプを見ると、消えている。電池が切れたのだ。予備の電池に変えてやれば、おそらく復活する。
自宅で発声練習とPAのテストを事前にやったとき、うっかりミキサーのスイッチを切るのを忘れていた。本番前に機材を設置したときそれに気づいてはいたが、マイクテストでは特に問題なかったので、そのまま始めていた。どうやら、本番開始直後に電池の寿命がきたらしい。
ミキサーと予備電池は足元に準備してある。ギターを脇の壁にたてかけ、素早く交換にかかった。横にいる妻がオロオロして見守っていのがはっきり分かるが、PAの事は僕にしか分からない。気が急いているので、開けたミキサーの蓋を閉めるのに随分と時間がかかる。落着いてよく見ると、前後が逆だった。ヤレヤレ…。
正味にすると、わずか1〜2分だったかもしれない。しかし、当事者にはそれが気が遠くなるような長い時間に感ずる。およそトラブルとはそんなものだ。
気の利いたサポート役なら、すかさずここで沈黙をつなぐ何らかの技を、自発的に披露したりするものだ。しかし、ことライブの運営や進行に限ればヒヨッ子同然の妻に、それを期待するのはいささか酷というものである。
「どうもお待たせしました」と、気を取り直して再開した。ミキサーが途切れたので、録音のMDも停止している。こちらも再度録音ボタンを押しなおす。マイクの音は回復していたが、最初よりも音が少し小さくなったように感じた。だが、これ以上の時間ロスはもはや許されない。
当初は3曲目にはオリジナルの「里山景色」を予定していた。しかし、いったん醒めた聴き手を相手に、耳になじみの薄いオリジナルはきつい。そこでひとまずこれを飛ばし、4曲目に予定していた「赤い花白い花」を歌った。ところがこの判断がまたまた甘かった。
「赤い花白い花」も「古城」と同じアルペジオ奏法の穏やかな曲だ。オリジナルの「里山景色」はストローク奏法だったから、当初のシナリオ通りであれば、メリハリの点でバランスよくライブは運ぶはずだった。ところが、この予期せぬトラブルのダブルパンチである。懸命に歌っても、聴き手の手応えは冷えたままで、一向にこちらに戻ってこない。
逆にあせればあせるほど、聴き手の心は歌からどんどん遠ざかるような絶望的な気持ちに追い込まれた。これはまずい、危ない。
つい最近、ネットで交流のあるアマチュア歌手の方が、同様のPAトラブルでライブを台なしにしたという失敗談が、頭の中をぐるぐる駆け巡った。何とかしなくては…。
ライブは水もので、本当に怖いとつくづく思う。一寸先は闇だ。人生を短く凝縮したようなものかもしれないが、そこにライブの醍醐味があるといえばある。つまりは人生と同じで、この修羅場を乗り切り、苦境を打開するのは最終的に自分独りの力であるということだ。第三者はたとえ妻といえども、決してあてには出来ない。
ここで僕は二つ目の打開策を、これまた瞬時に打ち出した。苦境に追い込まれるほど、火事場の馬鹿力のような思いがけない解決案が飛び出してくるのは、これまで人生でたびたび遭遇している僕の特質だった。
「いろいろトラブルがありましたので、予定の曲順を少し変えます」
そう宣言し、10曲目あたりに予定していた「上を向いて歩こう」をいきなりここで歌うことにした。この曲は前回、息子と二人で歌ってよい感触を得ていた。スイング調にアレンジし、乗りのいい曲に仕上がっている。沈んだ会場の気分を一発で元に戻す強力なカンフル剤になる可能性は充分にあった。
歌い始めると、会場からすぐに手拍子が湧いた。このとき、いいタイミングで妻の同僚のSさんが応援と見学に会場に現れ、一緒に手拍子に加わってくれる。愚図っていた入居者の方も、ようやく静かになった。歌い終えると、いつの間にかライブは元のペースに戻っていた。
5曲目にようやくオリジナルの「里山景色」を歌い、一息つく。そして6曲目から、この日の目玉である「童謡シリーズ」に入った。
「みかんの花咲く丘」では、良い意味での予期せぬことが起きた。1番の終わり頃から、場内の雰囲気が何かおかしいのだ。聴き手の気持ちが僕に強く集まっていて、一緒に歌を口ずさんでくれる。そのうち何人かの眼に光るものが溢れ始めた。泣いているのだ…。
この歌はつい数日前に急きょ歌うことを決めた歌だった。郷愁に満ちたメロディと歌詞とが、歌っていて胸を締めつける。聴き手も全く同じ気持ちになっているのは間違いなかった。会場の涙を見て、危うく僕も泣きそうになったが、瀬戸際のところで懸命にこらえた。
あとで聞くと、妻もこの歌で涙が自然に頬を伝ったという。ぬぐうと僕に気づかれて歌に影響を与えると思い、流れるままに任せていたらしい。
この歌で会場は完全にひとつになった。
そのあとに続いた童謡メドレーは、この日のライブの頂点だった。3つの歌の楽譜を1枚にレイアウトし、カポも変えずに一気に続けて歌える工夫を事前にしてあった。曲間に伴奏を入れながらMCをはさむという技も、ここで初めて試した。サポート役の妻も歌いながら軽い手拍子でリードしてくれ、聴き手も楽しそうに一緒に歌ってくれた。
「チューリップ」では会場のノリが大変いいのを察し、「もう一回みんなで歌いましょうか」と声をかけて再度歌う。「めだかの学校」では、3番の前に、「この歌には3番もあるんですよ」と、間奏中にアドリブを入れる。
予想をはるかに超える会場の反応だった。童謡メドレーは今後も目玉として、季節に応じたものを順次プログラムに入れようと思う。
青空ライブでは評価の高い「バンダナを巻く」は、ちょっと高齢者相手にはきつかったようだ。聴き手の顔には明らかに戸惑いの表情が見られる。それではとフォローのつもりで歌った「箱根八里の半次郎」の反応がこれまたイマイチ。「高齢者に氷川きよしは手堅い」と思いこんでいた期待が、やや外れる。
この理由は自分でもまだよく分析しきれていない。帰ってからチェックした音を聴くと、出来自体は決して悪くない。それどころかこの日の歌の出来は、音程にしても表現力にしても声量にしても、どれも平均点をはるかに超えている。だとすると、盛上がり過ぎた「童謡」の反動か?
この影響で、当初ここで歌う予定でいた「愛燦々」を完全にカットした。初めて人前で披露した「ダンデライオン」もフルコーラス歌わずに、最後をかなりはしょった。ライブの流れにいまひとつ自信が持てなかったせいだが、あとで妻や同僚のSさんに、「ダンデライオンはぜひとも全部聴きたかった」と文句を言われた。出来はすごく良かったそうで、入居者もみな静かに耳を傾けていたという。
若いSさんが眼をキラキラさせて「ダンデライオン」を聴いていたのは、歌っていて気づいた。だが、この日の主役はSさんではない。うつむいて聴いていた他の入居者を、勝手に「この歌に退屈しているのだ」と思いこんだ僕の判断ミスである。このあたり、最初のトラブルがまだ心の中で尾をひいていた。う〜ん、ライブは本当に難しいぞ。
「お富さん」は「上を向いて歩こう」と並んで、カンフル剤として準備した曲だ。先にふれたネットで交流のある先輩歌手の経験からヒントをもらった選曲だが、思惑通りのよい感触だった。何が起きるか分からないライブでは、この種の曲をいくつか準備しておく努力を怠ってはならないと痛感した。
ラストの「さくら」で今回は完全にやめる予定でいたが、なぜか歌い終わっても誰も席を立たず、会場がお開きの雰囲気にならない。まさかと思っていたアンコールなのである。
トラブル続きのライブをようやく無事に終えた安堵感から、いまひとつ歌う気分ではなかったが、「ずっと聴いていたいわ」というありがたいお言葉までいただき、それではと応じた。
ヘルパーの一人が、「何かリクエストなど」と入居者に声をかけると、「知床旅情」「四季の歌」の二つが飛び出す。どちらもそう難しい曲ではないが、残念ながら楽譜の用意がない。(あとで落着いて考えると、「知床旅情」は歌もギターも暗譜していた)
「練習して次回、必ず歌わせていただきます」と約束し、無難な「きよしのズンドコ節」でまとめた。様々な教訓と、次回につながる多くの宿題も得た、収穫多い5度目の訪問ライブだった。