一九九七・秋乃章

   つれづれに、そして気まぐれに語ってしまうのである。
   なにせ『徒然雑記』なのだから。


入れ歯勧告/'97.9

 夏休みも満足にとれない嵐のような忙しさがようやく去り、やれやれこれで一息つける、と安堵していたら、8月末あたりからじくじく痛み始めていた歯茎が、まるですべての仕事の納品を待ちかねていたようにズキズキと痛みだした。
 鏡で調べてみると、8月に痛んでいた下の歯茎は化膿し、腫れは上の歯茎に「飛び火」までして、風船ガムのように膨らんでいる。これはイカン…。

 実は私は10代の後半から歯茎が弱い。最初に歯医者にかかったのは虫歯でもなんでもなく、やはり今回のような歯茎の腫れだった。これまで麻酔を打って腫れた部分をメスで切除してもらったことが2度。しかし、ここ10年は良い歯医者に恵まれなかったこともあり、歯茎の治療は跡絶えていた。だが、今回はとても放っておける状態ではない。
 意を決して近所にある初めての歯医者の門を叩く。30代なかばほどの医師が患部を見るなり言った。

「あ〜、駄目だなこりゃ。歯茎がすっかりやられちゃってるよ。抜かなきゃ駄目かな」

 いきなりの「抜く」という言葉に声もない私に、医師はさらに追い打ちをかけるようにそっけなく言った。(余談ですが、歯医者や医者は無愛想なくらいのほうが腕はいいと思いませんか?)

「ひどい歯槽膿漏だよ。こりゃ入れ歯だな…」

 入れ歯だって?私は自分の耳を疑った。自分の歯をカポリと取り出して、トリデントかなんかで洗っているCMが思い浮かぶ。あたしやまだ47ですぜぃ!
 とりあえず、その日は腫れている患部を切開し、膿を出してもらってお茶を濁したが、私の不安は収まることはなかった。

 翌日、医師はさらに言う。指でゆすってクラクラ動く歯はもう駄目なんだよね。金属をかぶせてみたところで、根っこが駄目になってるんだから、体調の悪いときなんか、狙い定めて悪さをするよ。
 歯石を取ってくれた歯科衛生師が、なぐさめるように言う。症状の軽いものは歯茎マッサージとかで何とか生き残るでしょうけど、全部はね…。
 結局、私が「最終通告」を受けた歯は、前歯上下3本と奥歯4本の合計7本。私は不安におびえながらそのことを医師に確かめた。

「あのう、『入れ歯』って、取り外して管理する奴なんでしょうか…」

 すると医師はなんだそんなこと、といった顔ですらりと答えた。
「いやいや、抜いた左右の歯に「ブリッジ」(要するに土台を作って、義歯を橋のようにはめこむ)して、固定するんです。左右の歯をしっかり手入れしていれば、そのままずっと使えますよ」
「じゃ、見た目は今までと変らないんですね?」うなずく医師。私はほっと胸をなでおろした。

 という訳で、私はいま歯科治療の真っ最中である。痛みの激しかった2本の親知らずと2本の前歯はすでに抜き、前歯はその「ブリッジ」の作業中である。まるで毎日が「口の中の工事中」といった感で、いささか情けない。
 情けないといえば、「メ、ハ、××」と古くから言われているように、50歳が近づいてきた私も、そろそろ忍び寄る老いというものに向き合う覚悟を有無をいわさず強いられた、今回の「入れ歯勧告」だった。




オンライン文芸同人/'97.9



 ここ5年ほど休んでいたパソコン通信のフォーラム活動を再開した。某ネットの「創作・文芸フォーラム」の中にある、とある会議室である。過去にこの種の会議室でいろいろな苦い思いをして懲りていた私を、ついふらふらと参加させたのは、この会議室でやっていることが非常にユニークだったからである。名付けて「オンライン文芸同人」。
 ちなみに、この名称は勝手に私が名付けたもので、正式なものではない。

1/定期的に出される「お題」をもとに、400字の小説(厳密にはその一部)を書き、締切までにシスオペに送る。締切は公示後、おおむね一週間。一人何編でも応募可。
2/締切が過ぎたらシスオペはそれを会議室掲示板に作者の名をふせて一括掲示。
3/読み手は3編の「正選」と「次点」を番号で選び、選評とともに会議室に書き込む。投稿者はこの選評を義務づけられる。また、投稿してなくとも会員なら誰でも自由に選評出来る。
4/一定期間経過後(十日間くらい)シスオペはそれをまとめ、回ごとに「正選王」(最もポイントの高かった人)を決定して告示。
5/めでたく「正選王」に輝いた人は次回の「お題」を決めて公示する権利を持つ。
6/1に戻る。(ほとんど無限ループ状態)(^_^;

 前回の「お題」は「病院の待合室」だった。400字でそれをひとつの世界に切り取って描写する。物語として完結している必要はないのだが、「400字で何が書ける」などと思うむきは、この時点ですでに脱落である。実際に会議室に掲示された作品(前回は全24編)を眺めてみると、「400字でここまで書けるのか」とその質の高さに驚く。それもそのはず、投稿者、選評者にはプロ、または限りなくそれに近い人も参加しているのだ。
 前回の「正選王」はぶっちぎりの10.5ポイントで30代女性に輝いた。私はといえば、初参加とはいえ、2編投稿するも力不足でそれぞれ2ポイント、1.5ポイントではるか及ばず。道は険しい。せめてもの救いはプロ、または限りなくプロに近い方からの評価が比較的高かったことくらいか?だが、いつかは自分も「正選王」をと、おおいに気持ちをかきたてられている。

 実はこうした文芸同人活動をインターネットやホームページ上でやろうと当初もくろんでいたのはこの私である。しかし、現段階ではそれはまだまだ難しい状況。そこへかっては熱心に活動していたパソコン通信フォーラムでの文芸同人である。オンライン上でやれるということに変りはなく、かねてから自分の作品の公平無私で冷静な評価を求めていた私を目下満足させ、喜ばせてくれている。




気がつけばSOHO/'97.10



「SOHO」という言葉が耳に新しい。どうやら「Small office & Home office」の略らしく、なんでもかでも省略してしまってそれらしい耳障りに変えてしまう日本人気質に微笑ましいものさえ感じてしまうのだが、それはさておき、この「SOHO」とやら、実は私自身が20年以上も前に計画し、15年前に実行して今も継続中の「在宅で仕事をする」という意味のようなのだ。
 パソコンの普及でわざわざ会社にいかず、自宅で仕事をして作業データをデジタル信号で送るという、自宅を会社の出張所代わりに使っているサラリーマンや契約社員もそれに含まれるらしいが、私がずっと続けてきたことはそうしたものではなく、組織からは完全に離れた孤立無援のものだった。

 このSOHOというもの、言葉のように格好よくって楽なものなどでは決してなく、常に家族と向き合い、厳しい自己管理の下で仕事を進めていくという、きわめてストイックなものなのである。
 基本的に三度の食事はもちろん、すべての生活を家族と共にしなくてはならぬ。人間だから一人になりたい時もある。反対に、たまには誰かと居酒屋にでもいきたい。家族の愚痴など聞きたくない…。
 そんなこんなの「一方的」なわがままなど、家族という運命共同体の中に身をなげた者にとって、許されるはずもない。
(家族のいない、本当の意味で一匹狼の方はその限りではないでしょうが)
 逆に家族の側からすれば、朝から晩まで夫(または父)が家にいて息が詰まる。不意の来客が頻繁でやりきれない。仕事の電話など取りたくない…、等など、私のほうの論理をそっくり裏返したような不満が募るものなのだ。
 さらにこの上に、組織に属さない悲しさで、収入が極めて不安定でしょせんは景気と顧客まかせ。稼げば稼いだで、鬼のような数々の税金の山が待ち構えている。社会保険や年金もすべて自己負担で、失業保険など我知らぬ…。
(ちなみに、この項目は組織に属しているSOHOの方には無縁のものです)

 こうして書くと、まるで悪いことばかりのように思えるが、もしそうなら誰もSOHOなどと騒がないし、私もそんな道は選ばなかっただろう。そう、在宅勤務には以下のような素晴しい利点があるのだ。

■時間が自由。どんな仕事であろうとも、打ち合わせの時間と仕事の納期さえ守っていれば、あとは昼に起きようが、夜中に仕事をしようが、平日にサッカーをしようがまるで自由である。

■煩わしい人間関係がまるでない。上司、同僚、部下などが基本的に身辺にいないのだから当然。もっとも、妻とか子供とかの人間関係を煩わしく感じてしまっては論外だが。

■家族との関係が濃密。私は自分の子供の家庭教師、父母参観、PTA活動、高校進学のときの三者懇談、ホームスティなど、普通の父親では絶対不可能な活動を、苦もなくやってきた。だからどうだと言うわけではないが、おそらく通常の夫婦や親子が一生かかって交す会話量を、すでに人生半ば過ぎにして消化してしまった感がある。

 在宅勤務の鍵は、おそらくこうした膨大な自由時間と親密な家族との関係をやりくりする自己管理能力にあるのではないか、と15年間のわが身を振り返ってみて強く思う。
 それにしても、農業家、林業家、漁業家、職人が濶歩していた数十年前のわが国では、世の中の家の多くが「SOHO」すなわち在宅勤務だったわけで、それが改めて脚光を浴びつつあるいまこそ、その良さが社会的に見直されているのだな、と感慨を深くするのだ。




夫婦紅葉狩/'97.10



 10月中旬の早朝に、たったひとり「在宅」している次男が修学旅行に出かけてしまい、わが家は5日間の「夫婦水いらず状態」に陥った。
 などと言っても、先に書いたように、15年の在宅勤務で互いの顔は見飽きている。「かすがい」の 子供がいなくなって、いったいどうやって5日も二人きりで過ごそうか…、などという心配は無用だった。その日を待ちかねていたように、私たちはおそらく新婚以来という、二人きりでの「夫婦紅葉狩」にいそいそと出かけたのだった。

 まず、次男を車で空港に送ったあと、その足で支笏湖へ直行。その日は土曜日だったが、朝まだ早いせいで広い道路はほとんど独り占め状態。赤、黄、セピア、黄緑のあでやかなグラデーションに彩られた湖畔は、まさにこのとき、という形容がぴったりの紅葉の見頃だった。
 どうせだから湖畔の温泉でひとっぷろ、と温泉街を回ってみるが、時間があまりにも早すぎ、どの旅館も扉は固く閉じたまま。しかたがないので、時間つぶしに湖畔をさらに廻ることにした。

 南側の周遊道路を走っていたとき、道端に「樽前山登山道路」の看板。この山には7合目まで車で行けることを知っていた私。「登ってみる?」と助手席の妻に水を向けると、「いいわよ」と例によって妻は屈託のない返事。
 細い砂利道を抜けると、確かに7合目からの登山道があり、「カルデラの尾根まで約50分」とある。互いの装備を見ると、なぜか妻はこのことを予期してたかのようにマウンテンパーカに運動靴。私はといえば、靴は比較的がっちりしたアウトドアタイプ。だが、ジャンパーはただの街着。「山を甘く見ちゃいかん」という言葉が頭をかすめるが、標高約1000mの山のうち、残りは300mだけと思い、天候悪化などのときは途中で引き返すつもりで登り始めた。

 さて、天気は予報が外れて次第に青空が広がり、登るにつれて眼下には太古の自然を彷彿とさせる見事な紅葉の樹海と支笏湖のパノラマが広がり始めた。だが、吹き抜ける風はやはり冷たい。妻はフードを頭からすっぽりかぶり、私はジャンパーの襟を立てる。用心のために車の中から持ってきた軍手がここで効いた。やはり山は装備だ…。
 目標より早く、40分で尾根に到着。噴煙を背景に写真を撮ると、本当はもっと上にある頂上登頂を断念し、そそくさ下山することにした。空模様が怪しくなってきたこともあるが、やはり装備に不安があったからだ。

 下山後は数年振りの山歩きで疲れた身体を温泉の湯船に沈めて英気を養い、さらに支笏湖から札幌に向かう街道沿いにひっそりとある私のとっておきの店、食数限定の手打ち蕎麦屋で名物ざる蕎麦に舌鼓を打ったあと、身も心も満ち足りて帰路についたのだった。




貯金するより金を買え/'97.11



 日本が危ない。いや、金融が危ない。巷では「決してつぶれるはずのなかった」巨大組織が、枯れ木のようにバタバタと倒れ始めている。
 こんな時期がくるのを予期でもしていたかのように、このところ「金(キン、つまりゴールド)を買え」という、自称一部上場企業のナントカ貿易とかからの勧誘電話が、かまびすしい。どうやら、どこかで手に入れた建築士事務所の登録リストをもとにかけてくるらしく、この種の業者特有の媚びへつらったイヤラシイ口調で、
「シャチョオ〜、ひとつどぉですか、景気づけに、話だけでもいいですから聞いてくださいよぉ〜」とくるのだ。
 基本的に私は人との話が嫌いではなく、こうして電話をかけてくる人々を、
「お前はアホか、そんな話をする暇があったら、自分のキンでも舐めてろ!」
などと無下に断わることは、根っからの人の良さと、頭に血がのぼった業者からのあとあとの仕返し、嫌がらせなどが怖くてとても出来ず、その都度適当に相手をしてやったあと、体よく断わっていた。

 ところが、この春あたりにかけてくる某業者のなにがしという輩が、何を勘違いしたのか、どうやらこれを「購入の脈あり」と読んだらしい。それからこの輩が取った行動が少し異常だった。
 最初の電話から一ケ月たってからの再電話は、過去にもそうした経験が幾度かあったのでそれほど驚かなかったが、その後、たて続けに頼みもしない資料を送り付けてみたり、夜討ち朝駆けの電話攻勢など、まるで今はやりのストーカーを地でいくような、見事な攻撃ぶり。
 温厚で鳴らす私もついには、「あんた、しつこいぞ。いい加減にしろよ!」といまだかって妻にも子供にも吐いたことのないような罵声を浴びせかけ、乱暴に受話器を置いたのだった。

 彼の一方的な論理を総括すると、こうなる。
 いまの日本の金融機関はどこも信用出来ぬ。(これは多少当たっているか?)少しでも余分な金があったら、(そんなもん、あるかよ)ウチの会社でキンを買って備蓄しておくに限る。キンは不況に強い。(ホントか?)とにかくキンだ…。
 こうしてあれこれ議論を進めていくうち、決まって登場する彼等の殺し文句がある。

「シャチョ〜、お金が沢山あって、困る人はこの世に一人もいないでしょう」

 そうかな?お金があまりあると、困ることもあるんじゃないか?ほどほど食えるくらいでちょうどいいんじゃないの、と何気ない調子で反論すると、自分の論理を信じて疑わない敵は、予期せぬカウンター攻撃に思わずとまどい、そして黙りこくる。
 そうなのだ。人にはいろいろな価値観がある。こうして電話をかけてくる、私にとっては迷惑千万なだけの輩の仕事だって、私はちゃんと認めよう。だが、キンとか投資とかにはまるで興味のない男に、常識を越えた勧誘はお互いに時間の無駄というものだ。自分の思い込みの強制は止めよう。
 君のあくなき情熱とエネルギーは、どうか君と同じ価値観を持つ人々に向けてやってくれ。もちろん私に余分な金などあるはずもないが、万一出来たときは、知恵とか、好奇心とか、健康とか、そういったものに「貯金」するとしよう…。

 その後、自分の仕事にあくまで忠実な彼からの電話は、いまのところない。




 
血縁地縁知縁/'97.11



 私には三つの縁がある。血縁と地縁と知縁だ。三つとも「チエン」と読めるのだが、意味あいはもちろん、それぞれ異なる。

 血縁。これは説明するまでもなく、親子兄弟に代表される赤い血、いやDNAの遺伝子網でからめとられた、ある種甘美な香りに満ちた、重くせつないしがらみの縁である。

 地縁。これは愛用の辞書によれば、「同じ地域に住むことで結ばれる社会的な関係」とある。つまり、いまマスコミなどでいわゆる「識者」「文化人」と称される一部の人々が、「第2、第3のサカキバラを出さないために、いまこそ必要だ」などと声高に叫んでいる、「地域のつながり」というやつなのである。
(本当にこんなことで第2第3のサカキバラが出てこなくなるかどうかの議論は、いましない)

 そして最後の知縁。これはおそらく、どの辞書にも載っていない。ひょっとすると、公に登場するのは、このページが初めてかもしれぬ。実は、最近の私の造語である。その意味は何か?
 知縁の「知」は、知識のチ、知恵のチ、知見のチと置き換えてもよい。すなわち、自分の内なる好奇心に支えられた「チ」によって得たつながり、友人、知人のたぐいが「知縁」である。
 私の場合なら、インターネットで知り合った人々などは立派な「知縁」であるし、趣味のサッカーを通じて知り合った人々もそうだ。仕事とは直接関係のない、デザイン関係の友人もそうだろう。将来、小説や手作りの世界からも、こうしたつながりが生まれてくるかもしれない。
 血縁は勘当しようがされようが、世捨て人になろうが、決して断ち切ることは出来ないし、地縁はたとえ嫌気がさして引っ越したとしても、無人島でも暮らさない限り、人の世につきまとう。しかし「知縁」は自分がラジカルに行動して造り出した、という一点で、前二つとは決定的に違っている。
 殺伐とした世の中が当分は続きそうな気配だが、従来の血縁、地縁、組織を中心とした人と人とのつながりから、これからはこうして個々が造り出した「知縁」が重要な位置を占めてくるような気がしてならない。

 ところで私の友人知人関係には、高校や大学時代のものに始まり、以前の会社に勤めていたときのものから現在の仕事関係にいたるものまで、種々雑多なものがある。だが、こうした人々との縁は、いま書いた「知縁」とはまた少し違ったもので、かっては「知縁」だったはずか、知らず知らずのうちに風化してしまったり、色あせてしまったりするのは、誰にも止めようがない。
 たとえば、学生時代は世を徹して恋愛論など戦わせた学友などに、久しぶりに再開したとする。昔話を肴に酒を酌み交わし、大いに盛り上がって別れたあと、まるで祭りのあとのような一抹の寂しさに襲われることがあるのは、おそらく止むを得ないことなのだ。

 星は流れ、世は流れ、人は流れて縁も流れてゆく。そんな流れに、竿をさして留まることはきっと難しい。普遍の真理は、宇宙の法則だけか。