一九九六・冬乃章

   つれづれに、そして気まぐれに語ってしまうのである。
   なにせ『徒然雑記』なのだから。


現代の木こり/'96.12

 30年近いつきあいのある学生時代のサークル(弓道部)の後輩のFが会社を辞めた。まだ45歳だが、いわゆるリストラのあおりである。会社は東証一部上場のいわゆる大企業で、たまに訪ねてきたときに聞く給料やボーナスの額、待遇などにいつもため息をつかされていたものだった。
 どういうわけか女性に縁がなく、(というより、自分で遠ざけていた節がある)いまだに独身なのだが、それほど経営状態も悪くないその会社に、まるで狙い撃ちのように肩を叩かれたのも、そうした身軽な身辺の事情が関係していたのだろうとも思う。

 ともあれ、しばらく音沙汰のないFに緊急の用が出来て連絡をとろうとしても、電話は撤去されて通じず、実家や友人にも連絡つかず、Eメールアドレスなどありません、といった有様で、やむなく元の住所に出した葉書にようやく反応があったのが一週間もたってからだった。

「実はいま、宮城県の山奥の森林組合で日銭契約の仕事やってるんです」
「そりゃ木こりってヤツじゃないのか」
「いまはもっぱら機械を使ってますけど、まあそんな所ですかね」
「以前、そんなこと言ってたけど、まさか本気だったとは思わなかったぞ」
「まあ、あの会社にい続けても先は見えてますし、肉体を使った仕事を一度やってみたかったですから…」
「ずっとそこでやるつもりなのか?」
「分かりません。でも、やっといま仕事には慣れてきたところです」

 私は思わず考えこんだ。多少の冷遇をがまんすれば、あと15年勤めあげ、なんの不自由なく暮らしてゆけるのに、Fはそれがいやだったと言う。私も入社10年で会社を辞めたくちだが、当時私が勤めていた社員200名そこそこの非上場会社とはわけが違う。
 いろいろ話してみたが、「都会の暮らしに疲れた」とか、「独り者の気楽さ」とかいう状況を推し量ってみても、すべてを投げうって与作のような生活を選んだFの気持ちを完全に理解することは結局出来なかった。
「Fさんって、強い人なのよ、きっと」
 一部始終を聞いた妻がそう言った。そうかもしれない。都会とか娯楽とかからは遥かにかけ離れたいまの彼の暮らしが、長年の孤独な精神生活に真に見合ったものなのかもしれない。そしてそんな生活を自らの意思で選んだFを、私は心底からタフな奴だ、と思った。




ストーブを直す/'96.12



 13年使っていた仕事部屋の石油ストーブが壊れた。点火してもすぐに消えてしまうのだ。仕事部屋は北側にあり、とても寒いので、使っていたのは強制換気、自動連続給油の「FF式」という強力なタイプのものである。長い間故障知らずで暖めてくれていたそれが、まるでいうことをきかない。
 こんなとき、いつも私は考える。「自分で直せないかな?」そしてまず説明書を引っぱりだす。この種の説明書類は製品を捨ててしまうまで、分厚いフォルダに買った順に保存してあるので、あっという間に取り出せる仕組みになっている。
 該当する項目をチェックし、ストーブをバラして点検してみる。長年のほこりがあちこちに詰まっている。これで直ったか?再度点火。しかし、直っていない。部屋は暖まらない。12月でも外は氷点下の真冬日。(一日の最高気温がマイナス)仕事はどんどんやってくるので、しかたなく電気アンカとはんてんで武装して夜を過ごす。

 翌日、意を決してストーブメーカーのサービス部に電話。13年間、一度も分解掃除をしていない、というと、そりゃ奇跡だ、いままでよくもったものだ、という。だいたいの症状を伝えると、まあ、たぶん分解掃除をすれば直るが、1万7千円が標準価格で、暮れで混んでいるので、持ち込みで一週間はかかるとつれない言葉。
 家電のディスカウントショップにいけば、ファンヒーターが1万5千円くらいで売っている世の中。だいたい、ストーブなしで一週間過ごすなど、耐え難いこと。結局私は修理を依頼しなかった。その代わり、その「分解掃除」なるものを自分の手でやってみることにした。壊れてもともとである。数時間かかって煙突その他をバラバラに分解。大量のススとほこり。これを洗い落とせば、動くはずなのだ…。
 ジグゾーのように散乱した部品を慎重に元に戻す。祈る気持ちでスイッチを入れる。だが、動かない。結果は同じだった。万策は尽きた。

 さて、そうは言っても寒さには耐えられない。連日の作業と寒さで体調もおかしくなってきた。とうとう私は、近くのディスカウントショップに出向いた。修理費以下の価格で手にはいる、簡便な石油ファンヒーターを買う気でいた。
「ファンヒーターって、マンションでも使えますよね?」
「マンションですか…、これって燃やした石油の分だけの水蒸気が出るんで、結露(壁や窓に水滴がつくこと)のもとになるんですよね」
「はあ、そうなんですか」
 私の思惑はまたしても外れた。結露は困る。断固困る。こうなれば大枚5万をはたいて新しいFF式ストーブを買うか、腹をくくって修理に出すかしかない。だが、財布の中は寂しかった。その日は日曜で近くの銀行は閉まっている。とりあえず私は近所に住む親の家にゆき、電気ストーブを借りることにした。
 ところが出てきた父親が、石油のノズル側は掃除したか、と聞く。以前、実家のストーブの修理を頼んだとき、原因はそこだったらしい。しまった、吸気側と排気側は完全に掃除したが、石油の配管路は見逃していた。きっとそこだ!
 さあ、傷だらけの手と疲労のたまった身体にむち打って再度ストーブをバラす。もう何度もやっているので、構造はすっかり把握している。石油の配管路を途中でバラし、細い針金を突っ込んでみる。確かな手応え。カチ〜ンと音がして、13年間で石のように固まっていた黒いススの固まりが、まるで耳あかか胆石のようにゴッソリと釜の中に飛び出した。やった!
 確信を持ってスイッチを入れる。勢いよく燃え上がる炎。一週間以上に及んだ執念のストーブとの戦いは、あっけなくフィナーレを迎えたのだった。

●教訓:捨てる前、直してみたいナ粗大ゴミ




元旦のアワビ/'97.1



 大晦日から元旦にかけて、アワビを食するのがここ十数年来の習慣になっている。なぜアワビなのか?と問われるとちょっと困るのだが、要は私の好物であることと、普段はめったに口に出来ない、とても高価な食べ物であるからだ。
 アワビは日本人にとって余程縁起のいい食べ物と見えて、おめでたい儀式などの供え物には、決まって干したアワビなどが供えられたようだ。今は単に紙に印刷された「シンボル」に成り下がってしまっている。進物などに必ず添えられる「のし紙」の右肩に印刷されている五角形の模様の中心にある細いものは、なんと「のしアワビ」だという。

 アワビに限らず、私は赤貝とかアサリとかの貝類が好きなのだが、なかでもアワビは特別な存在である。最初にアワビを食べたのは学生時代だった。大学の近くに安くてうまいすし屋があり、確か当時1100円出して「並上」というのを頼むと、1個だけアワビがついてきた。コリコリとした歯触りと、かみしめたときに口に広がるなんとも言えない旨みに、私はすっかり魅せられてしまったのだが、何せ貧乏学生の身分にとって奨学金の1/3がすっ飛んでしまう(当時の奨学金は月3000円)「並上」はふところにこたえ、食べられるのはせいぜい年に一度くらいのことだった。
 結婚してからというもの、そんな経済的な悩みからは多少は解放され、食べようと思えばいつでも食べられる状態にはなったのだが、なぜか私はこれを食べることをある種の「儀式」のように、年に一度(正確には二日間)とかたくなに決めているのだった。
「飽食の時代」とか言われて久しいが、食べるに困った時代を忘れたくはないと思う。うまいアワビも、年に一度だからご利益がある。1個1000円もするものを、年中食べていてはいけない。
 かくしてストイックな私の食卓に、虹色に光輝く貝殻にうやうやしく盛り付けられた「アワビの酒蒸し」の象牙色の切り身が並べられるのは、除夜の鐘の鳴り響く大晦日と初日に照らされた元日の朝だけということになり、熱燗とともにそれをありがたくいただきながら、「やれやれ、今年もよくやった」と歳を越し、「さあて、今年もまたやるかい」と新年を迎えるのが、いつしか年中行事になったのである。




ペーパーレス時代到来/'97.1



 年末から成人式まで、20日近く仕事がなかった。15年間の自由業の経験として、「仕事のないときはジダバタせずに休め」とある。そこで暇にまかせて、部屋の中央に鎮座している我がマックに日がな一日向かうことになった。
 さて、ゲームやらホームページの作品作りも悪くないが、かねてからやろうとして出来なかった「事務処理のOA化」をこの際やろうとした。既存のサンプルファイルやら眠っていたソフトやらを総動員し、思いついたときに「マックのメモ帳」に記録しておいたさまざまな事務OA化のアイディアを次々に形にしていった。

■オリジナル納品書、請求書/
 それまで市販品とゴム印と手書きで処理していた作業をクラリスワークスのデータベース機能で一気にOA化。事務所のロゴもいれてすっきり。なにより、プリンター印刷は早くて美しい!単価もマックの減価償却費を別にすれば、市販品の半分になった。私は年間200枚近くも伝票を使うので、この合理化のメリットは大きい。

■建築パース基本台帳/
 いままで手書きに頼っていた仕事の受注台帳を、同じくクラリスワークスのデータベース機能でOA化。作図データやら、単価などもすべてデータ化したので、「検索機能」を使えば、これまでカンに頼っていたデータ検索も、瞬時に解決。

■FAXシステムを整備/
 いままで手書きやプリントアウトしてから送っていたFAX書類を、マックの画面からモデムを介して、一発で送れるように改善。モデムについてきたソフトの使い方が分からず、放り出していたのをやっとここで物に出来たのだ。これは早くてきれいで簡単。

 とここまで進んできて、私は調子に乗って仕事以外のことにも、このOA化が生かせるのではないか?と考えた。そしてそれはうまくいった。

■文芸日記/
 5行くらいの季節日記をデータベースとしてつけ、小説などの季節表現に使用。
■文節辞典/
 いろいろな小説に出てくる気に入った表現を5つくらいに分類してデータベースとして記録し、小説表現に困ったときに検索して使用。

 こうしてOA化を進めていくと、アイディアは次々と浮かんでくる。私は書き上げた自分の作品を納品前に写真かコピーで保存しているが、スキャナーがあればこの作業もOA化出来そうな気がする。
 また、私はスクラップを長年重要な情報源と運用しているが、スキャナーで読み込んだ文字データを通常のテキストに変換してくれる素晴しいソフトが最近はあるらしい。とすれば、この新聞や雑誌からのスクラップもOA化してしまえるし、そうなれば検索などは瞬時に済むだろう。
 かくして、近ごろはもっぱらスキャナーのカタログに見入る日々である。




バレンタイン/'97.2



 今年もいつものようにチョコレートがやってきた。新聞によれば、この日にチョコレートを贈る女性たちの数がかなり減っているらしい。ブームが去ったとか、飽きたとかは考えにくいので、やはりこれは不況の影響と見るべきか。
 さて、かくいう私にも人並みにチョコはやってくる。妻と娘は恒例の「義理チョコ」いや「身内チョコ」あるいは「血縁チョコ」のたぐい。そのほかに、女子サッカーチームの子供たちから、毎年いくつかのチョコが届く。
 夕方近くになってインターホンが鳴り、頬を紅潮させた女の子がドアの向こうからやや緊張した面持ちで差し出すチョコレートの包みを、私は女神からの贈り物のようにありがたく押しいただく。
 ようするに私は一見気難しそうに見えながら(よく人からそう言われる)ある種の「愛」もしくは「思いやり」にくるまれた儀式的な贈り物を喜ぶ、単純な「オジサン」であるわけなのだ。ところが、バレンタインの直前に新聞に掲載された中一の少女の投書 を読み、私は絶句してしまった。

「私はチョコなんか贈らない!」

 義理チョコも本命チョコも私は否定する、という意見なのですなこれが。本命の子には、堂々と口で告白すると言う。ワカル、ワカルよ。

「男の人は義理チョコなんかもらってうれしいのでしょうか?」

 ソリャうれしいに決まってマンガナ。だって、オジサンは日頃から「思いやり」とか「愛」とかいうものにトッテモ飢えているものなのだからネ。

 ところがこの「思いやり」のたぐいも、相手を選ばないと難しいことになる場合がある。ある年、我が妻が何を血迷ったか、私と二人の息子の他に、近所に住む私の父親(当時70代半ば)の分まで買ってきた。
 私はちょっとイヤな予感がしたが、まあせっかくの妻の舅に対する「思いやり」を無にするのもなんだし、そのまま持っていかせた。ところが、予想通りそれからの父親の我が妻に対する態度が、ちょっとばかりおかしくなった。道で会っても視線をはずすっていうんですな、これが。
 大正4年生まれのオジイサマには、ちょっと「愛のバレンタイン」の遊び心はキツかったようで…。(ちなみに、妻は懲りてそれ以来持っていくのをやめてしまった)