一九九六・夏乃章
つれづれに、そして気まぐれに語ってしまうのである。
なにせ『徒然雑記』なのだから。
アカシアの花とビール/'96.6
むせるような、なまなまとした匂いのアカシアの花が満開になり、そして少しずつ散り始めている。
「アカシアの花が咲くと、ビールのうまい季節がやってくる」と、誰かが言っていた。確か、平均気温の関係でそうなるとかで、それが何度であるかは、すっかり忘れてしまったが。
この場合、大切なのは「ビールがうまく飲める」という事実であり、それでなくとも晩酌に冷たいビールを一杯やるのが至上の楽しみになっている私にとって、(ここで、「なんだ、そんなことが楽しみなのか」と嘲笑なさるな。人間、所詮こうした些細な楽しみを支えに、生きているものではないかな?)この事実は、決してないがしろには出来ない重大事なのである。これまで、いろいろとビール遍歴を重ねてきたが、どうもその土地に最もふさわしい味のビールがある気がしてならない。たとえば昔、大阪や高松に住んでいたころ、ねっちりと肌にまつわりつくようなあの暑さには、やはり「濃い目」のキリンビールが合っていたし、反対に、ここ札幌のように、湿度の低いカラッとした暑さには、「爽やか目」のサッポロ黒ラベルが合うのである。
では関東では何ビールを飲めばいいのか?私は10年近く、東京及びその近郊に暮らした経験があるが、これがよく分からない。当時は成り行きでサッポロを選んでいたが、どうもピンとはこなかった。キリンもしかり。アサヒ?サントリー?さあて、お店に売っていただろうか…。
近ごろ、アサヒのシェアが急上昇とか。もしかして、「コクがあるのに、キレがある」とかいう、あのスーパードライこそが、関東の亜熱帯的正体不明の暑さに合っているのではあるまいか?そう言えば、私が関東に住んでいた十数年前には、まだスーパードライは発売されていなかった。
(ちなみに、私自身は「キレすぎている」印象が強すぎて、口にあわない)
「地ビール」がブームを呼び始めて久しいが、このへんの「風土と味の関係」をどうとらえているのか。機会があれば、ぜひ私も試してみたいが、「ゴルフ場」「オートキャンプ場」と同じように、一時のブームだけに終わってしまわぬことを祈りたい。
ネットバージン/'96.6
刺激的タイトルでもうしわけない。(え?こんなのど〜ってことない?それを聞くと安心です)最近、40にしてパソコン通信を始めた女性に、いろいろと手ほどきの真似事をしてあげている。
この女性、自宅でちょっとした仕事をしているのだが、一年前に仕事のためにパソコン(MAC)を買い、いろいろ使っている様子なので、「パソコン通信はいかが?新しい世界が広がるよ。インターネットもあるし」とけしかけ、仲間に引きずりこんだ次第なのである。
経験者の方なら先刻ご承知のように、これって、始めた当初は本当に分からないもの。もちろん、私もそうだった。(いまでもよく分かってない?)もちろん、ネットには「相談室」みたいなコーナーがあり、詳しい説明書も添付されてくるので、それらのコーナーを利用するなり、解説書をよく読むなりすれば、まあたいていのことは分かるはずである。
しかし、それでもよく理解出来ないことはあるものだ。たとえば、私は最初、電子メールはすべてオンラインで書くものだ、と思いこんでいた。これはいま手ほどき中の女性もそう思っていたようで、どうも解説書が、なぜか「NTTより」になっていて、オンラインで書くことを奨励するような書き方になっているのことに、一因があるように思われる。ほかにもいろいろあるのだが、通常、こうしたことをフォーラムやチャットで質問することは厳禁である。(私は過去に「通信代の無駄だ」と言われたことがある)もちろん、会議室やチャットにはそれぞれテーマが決まっており、それ以外の話題は御法度なのは理解出来るが、初心者ほど、なぜか「パソコン通信やっている人は皆、親切だ」という「思い込み」があり、このドツボにはまりがちなのである。
基本的に私は「おせっかい」であるので、ある程度、フォーラムの様子が分かってからは、時折現われるこの種の「初心者」には、他の人に迷惑をかけぬよう、メールでの「個人的な手ほどき」をしてあげていたのだった。
大人になってしまえば、大人は子供のときのことを忘れてしまう。ベテランは、自分もかっては初心者だったことを忘れてしまう。でも、なぜか私は忘れずにいる。
泣いた…/'96.6
久しぶりに泣かされました。私の指導する女子サッカーチームが、全国代表決定戦まで行き、そこで負けてしまったのだ。いわば子供たちの「悔し泣き」へのおつきあいといったところだが、どうも私は涙もろいたちのようで、「え〜っ、こんなときに?」と普通の人なら思うようなときに、平気で涙を流してしまうのだ。例1)学生時代、自転車での日本一周をやり遂げ、フェリーで北海道に戻るとき、小さくなる陸地を見つめていて。
例2)十数年前、チョーヨンピルが母国語で歌う「釜山港に帰れ」を始めてテレビで聞いたとき。(後に、日本語で歌うものを聞いたときは、なぜか涙が出なかった)
例3)7年前、指導していた少年サッカーチームが、残り2秒で決勝点を取り、始めての道大会出場を決めたとき。
例4)4年前、家族の忘年会で「愛燦々」のカラオケを歌っていて、〜人生はうれしいものだよね〜と歌うところで。思いつくままに拾ってみても、こんなにある。「男は人前で泣くな」とか言う意見もあるが、私は全く意に介さない。私にとっては泣きたいのをこらえる方が余程不健康であり、不自然に思える。人にとって「泣く」行為は、なにかしらのストレス解消行為になっているはずで、それを無理に封じ込めては、別のどこかで必ず歪が出てくる。
そもそも、「男だからこうあれ」「女だからこうあれ」という思考が私にはよく分からない。私の両親も大正生まれで、幼少のころより、「男は男らしく、女は女らしく…」というガヂガヂの価値観の中で育てられたが、それは私にとっては、非常に苦痛なものだった。この「…らしさ」について語りだすと日が暮れそうなので、別の機会に譲りたいと思う。
余談だが、サッカーで「泣くチーム」「泣く選手」はなぜか必ず強くなるものだ。
神様・其の一/'96.7
北の地は涼しい夏が続いている。結局、七月は30度を越えた日は一日だけ。冬は寒い日が来ずとも一向に平気だが、暑くない夏はどことなく寂しい気がする。
さて、人並みにと言うよりも、人並み以上にオリンピックにハマった七月だった。来年の消費税アップに備え、住宅を駆けこみ購入するとかいう動きがあるせいか、このところ時期外れの忙しさ。徹夜の毎日に、気を紛らわせてくれる絶好のお守役がテレビのオリンピック放映だった。
今回も選手たちが繰りなすさまざまな人間模様に、大いなる興味をそそられたものだが、なかでも秀逸は、女子柔道で日本初の金メダルに輝いた地元北海道出身の恵本選手のこの言葉だった。『オリンピックには魔物ではなく、神様がいた!』
なぜこの言葉にそんなにシビれたかと言えば、私も常々自分のサッカーチームの子供たちに、「サッカーには神様がいて、それを味方につけることが出来れば勝てるのさ」とだまくらかしているいきさつがあるからなのである。もとよりこれは、子供たちに対してある種の自己暗示をかける方便であり、私と子供たちとの間に強い信頼関係が存在しなければ、たいして意味のない言葉である。
ともかく、こうした「神様」という曖昧なものに勝敗をゆだねる、という姿勢は、自分の中にある奢りや弱気の虫を抑え、謙虚な姿勢で試合に望むために、とても大切なことだと私は考えている。
この場合の「神様」とは、最終的には、「自分の中に存在する未知の力」のようなものであり、これをうまく引き出すことが出来れば、困難な勝負を制することはさして難しいことではないように思えてくる。もっとも、オリンピックをまるで修学旅行のように、「楽しんできま〜す」などと脳天気にとらえている人々には、この「神様」は、決して味方にはつかないだろう。
神様・其の二/'96.7
先日、ある外国人と話していて、神様の話になった。その人はユダヤ教徒で、クリスマスや復活祭のお祝もしない人である。いわく、「ユダヤ教徒は"Oh,my God!"(なんてこった)という言葉をほとんど使わないのよ」理由は簡単で、この言葉の中の"God"は、キリスト教徒の神だからだそうだ。
いまでは日本人にもよく使われるこの言葉、さすがに外国人は自分の主義主張にこだわるものだな、と感動させられる。やがて話は互いの神の話になり、「あなたの信ずる神は?」内心(来たな〜)と思いつつ、「私に特に宗教的な神はいないが、強いて言えばNATURE(自然)が私の神だ」と応ずると、「おお、それはいいことですね」と返事が来て、それまで「無神論者は外国人には軽蔑される」というある種の思い込みにとらわれていた私を、少しばかり安心させたのだった。
外国人はみな信仰心が厚く、対して日本人は宗教心に乏しく、宗教は葬式のためだけのもの、などと決めつける人がいるが、実際に外国人と接触し、生活してみるとそんなことは決してなく、たとえばわが家に滞在した外国人で、夕食前に祈りを捧げた人は7人中たったひとり。それも、たまにする程度で、日曜に礼拝に行った人はゼロでだった。(自国でたまに行くという人がひとり)
これはわが家にだけ特別な人が集まってしまった可能性もあるぞと思い、それとなく尋ねてみると、まあいろいろな人はいるけれど、宗教に関してはおしなべてこんなものです、という返事が返ってきた。
「NATUREの神」に話を戻すと、私をそんなふうにさせた理由のひとつは、電気さえもない過疎地に生まれ育ったという私の生い立ちが関係していると思う。冬に嵐が来れば数日も汽車が止まり、物資は跡絶え、学校さえも休みになるという過酷な自然。秋が来ても必ず作物が実るとは限らず、人々は生き延びるため、子供も大人も知恵を絞り、そして最後にはただ天に祈るしかなかったのだ。
神様・其の三/'96.7
神様の話を続ける。川上弘美さんが今年上半期の芥川賞を受賞した。実はこの方、パソコンネットでの文学賞がデビュー作だったのだ。
その賞とは、私も入っているASAHIネットが主催する「パスカル短編文学新人賞」。輝く第一回の受賞者だった。その受賞作のタイトルがなんと『神様』。まるでこの時が来るのを予知していたかのようなタイトルである。いまならインターネットでも読むことが出来るので、興味のある方はぜひどうぞ。(公開終了)パソコン通信でデビューした作家が、芥川賞を取る時代になったのだな、と思わず深い感慨にとらわれたものだった。芥川賞は純文学系だから、SF物やファンタジー物と違って、パソコン通信からでは難しいかな、と思っていた。
作家といえば、長い髪をかきあげ、着物かなんか着て古い座り机の前などで原稿用紙にチマチマと万年筆で文字を埋め込んでゆく姿をなんとなく連想するが、川上さんは二人の子供を学校に送り出したあと、台所のテーブルの上にワープロを持ちだし、カチャカチャと原稿を打って、出来上がったテキストファイルを、モデムでピ〜ゴロゴロと送るマルチメディアな主婦作家なのである。
スケールこそ全く違うが、同じようなスタイルでカチャカチャ、サクサクと書き綴っているこの私も、とても勇気づけられた今回の受賞である。川上さんにあやかり、ここはひとつ「神だのみ」で、今年の「パスカル短編文学新人賞」に応募してみるとしようか?
娘の就職/'96.8
高専5年で就職活動真っ盛りの娘の行き先が、あっさり決まってしまった。氷河期だ、ジュラ紀だ、やれ白亜紀だのと世間から追い立てられ、母親譲りの(父親譲りかも知れぬ)脳天気な性格を誇るさすがの我が娘も、七月の解禁日以来、セミナーを回ったり企業に手紙を書いたりの世間並みのリクルート娘に変身。
さて、勇んで受けた札幌の某パソコンソフト関連会社。書類選考は無事に通ったものの、面接での「雑談」とやらで、何となくしゃべり過ぎたもよう。
(ここでいきなり、ページ名物の『パピプペ問答』)
「雑談ってのが曲者だわな〜」
「何でも好きなこと話せって言うから、好きなこと話しちゃった、私」
「おい!いったい何を話したんだよ、お前」
(アッケラカ〜ンとして)
「このページのこととか、インターネット全体の印象とか…」
「お前な〜、人様に語れるほど、このページに関わっていないでしょうが。
それに、聞きかじりや半可通はまずかったんじゃないか?」
(やや不安そうに)「そうかな」
(きっぱりとした調子で)「こりゃ落ちたかもな…」
(かなり動揺して)「そ、そんな〜」
で、その結果が、これまた待てど暮らせど来ない。さすがののんき娘もしびれを切らし、学校で一人だけ推薦枠があるという、某外資系パソコン関連企業のデザインセミナー(といっても、事実上の実技試験)に応募。これがなぜか通った。最初の会社の通知の来ぬまま、娘は八月上旬の暑い盛りの東京へ一週間の研修旅行。
その途中経過は長くなるので割愛。結論から言えば、幾多の関門をくぐり抜け、娘は24人の競争相手の中から、ただ一人内々定を受けた。これは奇跡だ!
(ちなみに、札幌の会社は予想通り落ちた。こと就職に関しては"No news is bad news."なのだ)とにかく、その研修ってのがすさまじいものだったらしい。回りは大半が全国から集まった有名美術系大の男子学生。一地方の無名高専の娘など、まるで相手にされない雰囲気だったという。ではなぜそんな中から選ばれてしまったのか?これが娘にもよく分からない。まして試験を受けていない私に分かろうはずもない。
ひとつだけ心当たりがあるのは、その会社の企業案内に「私たちはいわゆる会社人間は必要としていません」とあったこと。いわゆる遊び心を持った人間が欲しかったのだとすれば、娘がひっかかった訳は、それひとつしかない。そして、もしそれが理由で拾ってくれたのだとしたら、娘はなんて幸せな奴なのだろう、と思うのだ。
私は決して大企業信奉者ではなく、どちらかと言えばその逆なのだが、教育にさして金をかけた記憶のない(かけたくともかけられなかった)我が家からは、いわゆる大企業に子供が入ることなど起こりえない、と決め込んでいた私にとって、いろいろ複雑な思いにとらわれた出来事だった。●教訓「ときには遊びが役だつこともある」
小説の入選/'96.8
確か五月あたりのこの欄に記した記憶のある、短編小説の応募の結果がようやく出た。札幌市民文芸・第13号、優秀賞に入選でした。よかった…。
今回の作品は、自分としてはある程度納得のゆく作品だったので、喜びもひとしおである。タイトルは『流れる夏』。内容は現在、このページに発表中の『八月の記憶』の延長線上にあるとも言える作品で、小説でのオムニバスというものに、初めて挑戦した作品である。
分かりやすく言えば、「三色ダンゴ」のような作品で、ひとつの小説の中に三つの小さな作品が入っており、その三つの作品は一見違って見えるけれども、食べてみれば中味はやはり同じダンゴであり、一本の太い串によって貫かれているのだ、ということです。(かえって分かりにくいか?)百聞は一見にしかずで、すぐにでもこのページ上で発表出来ればよいのだが、この小説、なまじ入選してしまったために、十月下旬ころに本になって書店に並んでしまう。(同人誌の中に掲載)と言っても、いわゆる非商業系同人誌であり、著作権はもちろん私にあり、版権も問題ない。しかし、道義上、本になる以前に、いきなりホームページ上で発表してしまうのもどうかと思われ、やはりここでの発表は店頭に並んだあと、ということにしたいと思う。
(現在、この作品は「文芸ライブラリ」のコーナーで公表)本格的に文章を投稿し始めてから丸三年たつが、私が目標としている「第一次選考通過以上」をひとつのハードルとすれば、私のトライ成功率は、おおむね50%といったところである。この中には、いくつかの中央レベルの文芸誌が含まれているので、まあこんなものかな、といった感。
私の力では、まだまだ中央レベルの文学賞は無理なので、当分は地元文芸誌に投稿して力をつけたいとは思っているが、今回の入選は、今後私が書くべき方向を示唆する重要な分岐点になるような気がする。
やはり私の書くべき世界は、過去のプロットと現在のプロットとの接点を探るものであり、そうすることによって、過去は過去だけに終わらず、現在や未来のプロットとも連続した、ひとつのループとして存在するようになってくるように思える。●教訓「下手な投稿も、出さなきゃ当たらない」