一九九六・春乃章

   つれづれに、そして気まぐれに語ってしまうのである。
   なにせ『徒然雑記』なのだから。


豪 雪/'96.3

 豪雪だったのだ。何十年振りとかいう見出しが、毎日のように新聞を賑わせたひと冬だった。3/15現在で、札幌はまだ90cm近くの積雪。北国の雪のすごさは、実際にある期間暮らしてみた人でないと、実感は難しい。雪まつりで「ワ〜すごい雪!ロマンチックね!」と感激する観光客の気持ちはよく分かるが、それは雪のごく限られた一面に過ぎないのだ。
 今年も札幌だけで、多くの人が雪で凍え、転倒し、そして命を落とした。160万都市の札幌でです。

■新聞に載った雪に関連する死亡記事
◎落ちてきた屋根の雪の下敷きになった。
◎バックしてきた除雪車に巻き込まれた。
◎横断歩道の雪山から車道に滑り落ちてしまい、車にはねられた。
◎融雪槽(水をためて雪を溶かす深い槽)に除雪した雪とともに落ちた。
◎吹雪の中、酔って自分の家が分からなくなり、行き倒れた。

 雪国で暮らしてゆくのは、ある意味で命がけなのである。不幸にして亡くなられた皆様に合掌。




次男の受験/'96.3



 やっと、というか、いつの間にやらというか、我が家の次男の受験終わってしまった。私立はとりあえず合格しているので、あとは3/16の公立の発表待ち。このホームページの開局と、同時になりそうな気配である。
 遅れているのか進んでいるのかよく分からないが、北の国では、「高校は公立が一番」という図式がいまだに定着していて、大半の私立はあくまで滑り止めなのである。
「高校は単なるプロセスなのだ」と、いつも三人の子供たちの前で能書きをたれている都合上、塾だとか家庭教師だとかの具体的な教育投資はどの子にもやったことはなく、「勉強しろ」とは決して言わず、「勉強のやり方を捜せ」とワケの分からぬ論理を子供にぶつける、おそらく子供にとっては不可解きわまりない親なのだった。
 さて、兄や姉と違い、これといった自己挑戦もせず、あるがまま、なすがままの気ままな人生をこれまで送ってきた次男だが、どうやら同じ調子で受験までをも切り抜けた様子。さて、この先、同じようにぬらりくらりと人生を切り抜けて行けるものか、彼のお手並みをじっくり拝見することにしよう。
「人生、そんなに甘くない?」いえいえ、そんな野暮など申すまい。少しの好奇心と、少しの集中力さえあれば、意外と人生甘いものなのかも知れない。そもそも、彼の人生にいちいち関わっていられるほど、私は暇ではないのだが。




確定申告/'96.3



 今年も確定申告が無事終了した。1年分の帳簿と伝票を項目別にコツコツ分類、記帳する作業は、開業以来、14年間続いているこの時期の「儀式」のようになっていて、ある種ジグゾーパズルに似た、自虐的快感を伴う魅力に満ち満ちている。
 それにしても日本の税制は不可思議なもの。「ある限界」を越えたとたん、加速度的に各種税金は上積みされて行く。そして税金は常に前年の収入に対してかかってくる…。
 つまり、1995年の税金は、比較的高収入だった1994年のもの。1995年が同じレベルの収入であれば問題がないのだが、事実は逆で3割以上の減少。トコロテン式に、今年は税金が前年の半分以下になるのは確実という有様。やれやれ、なんてこったい!




庭のクマゲラ君/'96.3



 ふるさと創生資金を活用して札幌市が世界に向けて発信している「札幌国際デザイン賞」。今年で3回目になるが、締切前日に突然思い立って徹夜で仕上げた私の作品が、なんと佳作14点の中のひとつに選ばれてしまった。
 その内容は、高い棒の先端にとりつけられた木製の「クマゲラ君」が、降り積もる雪の重みで定期的に雪を落下させ、その反動でくちばしを棒に打ちつけて音を出す、といういわば「冬のししおどし・クマゲラ版」というものだった。
 初めていただいた「賞金」というものが、私にはズシリと重い10万円。これで妻から借りた「Mac購入資金」が、ようやく返せそうである。
 表彰式は3/8の午後。一昨年の「市民芸術祭」の表彰式には、仕事柄、ロクな背広の持ち合わせがなく、大恥をかいた教訓を生かして、去年は大枚1万円をはたいてダイエー印の廉価スーツなど買い込んで「とらぬタヌキ」の準備など、おさおさ怠りなかったはずなのに、そんな年に限って「タヌキ」は一向に姿をみせず、哀れスーツはたんすのコヤシ。そのスーツもやっと日の目を見た次第である。
 白いワイシャツに、きりりと細いネクタイを締めると、なぜか気分は14年前にワープして会社員。ふと回りを見回すと、受賞者は3分の1が外国人で、あとはデザインの専門教育など受けた、そうそうたる顔触れ。
 なんとなく場違いな雰囲気に当惑しつつも、審査委員長の建築家の清家清先生から、ありがたく賞状と賞金目録を押しいただくと、予想を越える観衆を前にスポットライトなど浴びて、気分はすっかりパラダイス。ああ、やっぱり出してて良かった!
 審査委員の講評いわく、「菊地さんは提出作品と、とてもよく似た雰囲気を持っていらっしゃる」。ふん、どうせオイラはクマゲラの親玉でぇ!
 ちなみに、優秀3点、佳作14点の中で、(今回は大賞該当作なし)私のような間抜けな作品名は、どこにも見当たらず。ともかくも、賞金の10万円に免じて何言われても許してしまう私だった。




超多忙期/'96.4



 だったのです。世間では景気回復に明るいきざし、などという見出しが、控えめに新聞を飾り始めた今日この頃。それが本当なのか、はたまた、たまたま低金利の追い風で住宅産業だけが一時的に活気づいているせいなのか、真相は定かではない。
 ともかくも、連日、まるで火を吹くような仕事の嵐。ええぃ!面倒だぃ。「あるうちに、全部受けよう、この仕事」
 二月〜四月の三か月で年収の約半分を稼ぎ出してしまう、ヤクザ稼業のこの私。この二か月間、土日の休みは皆無の無。唯一の楽しみといえば、マックの前でのインターネットざんまい。ああ、超暇だった数ヵ月前のあの日々が、今では懐かしい。しかし、ぜいたくなど言えぬ。私の背には、ずっしりと四人の家族が乗っているのだから。ユンケル片手に、今夜も徹夜。さあ、もう一仕事やるでぇ!




いい会社悪い会社/'96.4



 さて、わが家のマイペース長女も、ようやく昨今の超就職難の実態に気付き始めたのか、仕事部屋のマックの前に陣取って、インターネットで就職情報の収集作業。だが、画面に広がる求職条件は、大半が「大卒以上」の条件つき。「高専卒」という半端な立場の厳しさに、「やっぱり、大きな会社はキビしいわね…」と、思わず娘も私もマックの前でため息吐息。
 さて、娘の就職は彼女の工夫と手腕にまかせるとして、さまざまな観点から私なりに「いい会社、悪い会社」を大胆不敵にも、一刀両断に切り分けてみることにする。
 そんなの入ってみないと分からない?いやいや、入ってからでは遅すぎる。それに、何も就職に限ったことではなく、私たちの身の回りには、否でも応でも「カイシャ」とのおつきあいからは逃れられぬよう、この社会は仕組まれているのである。

■電話の応対でだいたいのことは分かる。
 昔は電話をさんざたらい回しされたあげく、とどのつまりは「担当者不在で分かりかねます」などと、ふとどきな応対をする会社が結構あったものだったが、最近は電話応対の企業教育は徹底されているようで、さすがにそんなひどい会社にはあまり出会わなくなった。しかし、オブラートにくるまれた美辞麗句の応対の中に、その会社の本質がチラチラと見えてくることがあるのだ。
 何かの用事で始めてその会社に電話をしたとする。用件を伝え、こちらの氏名なり住所なりを伝え、愛想よく受け答えされ、電話を切る。だが、何か一抹の不安が残る。なんだろう…。
 不安的中。待てど暮らせど、依頼したカタログは送ってこない。伝言を頼んだ人からの電話はこない。どうなっているんだ!こんな怒りに身を震わせた経験は、たいていの人なら、一度や二度はあるはず。この不景気に、こんな応対をすれば、仕事はどんどん逃げてゆくはずなのだが、今年だけでも、すでに二度もこんなひどい目に私はあっている。どちらも、名前を言えば誰でも知っている大会社である。
 理由をいくつか推測してみよう。
1)メモをなくした。
2)住所氏名を間違えて書き留めた。
3)初めから相手にするつもりなどなかった…。
 要するに、「相手の氏名、住所等を確認する」という基本事項を怠っているのだ。簡単なことだが、これをする会社(またはする能力のある個人)にまずミスはない。少なくとも、私の場合はなかった。「確認をする」という仕事に対する姿勢が、きっちり結果として現われるからだろう。

■会社のドアを開けると、もっと分かる。
 大昔の学生時代、「面接試験のドアを開けた瞬間に、試験官はその学生の本質を見抜くものだ」などと就職担当の先生に脅かされ、「そりゃウソだ」と当時は真に受けなかったものだが、この歳になって、なんとなくその意味が分かってきた。面接だけでなく、会社のドアを開けただけでも大体のことは分かるものなのだ、と。
 何かの用事で始めてその会社を訪れたとする。ドアを開けただけで応対してくれる会社、「失礼します」と声をかけて始めて応対してくれる会社、待てど暮らせど客を放っておく会社…。どれがいいかは、言わずと知れたこと。だが、社員に何らかの不満がある会社ほど、あとの方の応対になってしまうのが人間の悲しい性。
 同じ理由で、社内の雰囲気が何となく雑然としている、社員の目がどろんとして生気がない、なども要注意。「どうしても」という理由がない限り、こうした会社とのおつきあいは、極力控えた方が賢明である。しかし、頭を抱えてしまうのは、相手が役所関係だったとき。こればかりは別の役所を捜すわけにもゆかず、私のストレスははけ口を失って宙に彷徨うのだ。




小説ざんまい/'96.5



 ホームページのリニューアルとメンテナンスに忙しく、このところ思うような創作活動が出来ない状態だったが、5月末の某文芸誌の募集締切にあわせ、ゴールデンウィーク後は一時ホームページ活動を休み、小説書きにいそしんだ。
 今回の小説は一年前の夏にふと閃いて、じっくりと構想を暖めてきた作品である。30枚の短編ながらも5日で書き終え、あとはひたすら推敲の日々。これには、書く時間の何倍もの時間をかけなくてはならない。
 私の小説は未だ「習作」「試行錯誤」の域を出ていないのだな、ということを今回もしみじみと感じた。「技法」「文章スタイル」はもちろん、「何を書くか」(書くべきか)さえも、まだ定かではないのだ。
 本格的に書き始めてから、すでに(まだ、と言うべきか?)3年たつが、まるで自分を乳飲み子のように感じることが、ままある。今回の作品は、不規則に存在する過去のプロットと、進行しつつある現在のプロットとの接点(つながり)を探ろうとするもの。この3年間でいろいろと試行錯誤するうち、自然にたどり着いた場所である。
 ただ、これが果たして自分の書くべきものなのかどうかは、まだ分からない。書くことは、ある意味では、私にとって「闘い」でもあるのだが、いまはとりあえず八月に発表される結果で、何らかの良い知らせが舞い込むことを祈るのみである。




家庭内ヘアサロン/'96.5



 我が家では私と次男は散髪屋さんに行かない。金と暇が惜しいというまともな理由のほか、「床屋に行った直後のアホづらが嫌」という差し迫った理由が主なもの。ともかく、髪が伸びてくると、自分で鏡を見ながらシャキシャキと数分で仕上げてしまう。そんな状態がもう20年以上も続いている。この間の床屋代だけで、おそらく一財産残したはずである。
 なんと、その「家庭内ヘアサロン」に、ついに妻までが仲間入りしてしまった。きっかけはごく単純で、「毎月、うだうだと電話予約をいれて、ヘアサロンに通うのが面倒」という妻に、「じゃあ俺が切ってやろうか?」(半分本気で、半分冗談)と声をかけたところ、「うん、切って!切って!」とすりよってきた。
 言ってはみたものの、本当はあまり自信がない。だが、いまさら引くに引けず、ついに本当に切り始めるはめに。基本的に、男の髪と変わらないはず、と自分に言い聞かせ、おそるおそるハサミを入れる。だが、やはり違う。女の髪は、長い!(アタリマエ(^_^;)
「おい、ここはいつもどう切ってる?」
「さあ、いつも切り始めたら寝てしまうから、よく分からない…」(なんて妻だ!)
 切り進むうち、なんとなく感じをつかみ始める。
「どんなイメージにする?」
「う〜ん、まかせる」
 まかせられると、結局は自分好みにしてしまう私である。上を少し膨らませて、サイドは大胆カットでスッキリ。15分くらいでほぼ終了。うん、これぞ自分好みのいい女!(^_^;
 長男を呼んで出来映えを聞く。
「うまい!まるで、デミー・ムーア(映画ゴーストのヒロイン)みたいだ」
 まあ、美しき身内のかばいあい、といった感がしないでもないが、とりあえずは妻も満足の様子。何より、浮かしたカット代をどうするか、今後の家庭内討議はもっぱらそちらに集中しそうである。




ホームスティ/'96.5



 情報は降って湧いたようにやってきた。5月中旬のある日、下校した長女がいきなりのたもうた。「チチ、ニューヨークからアレックス(アレキサンドラ)が来るよ!」
 話は一年前にさかのぼるが、娘が去年行ったニューヨークのホームスティ先の家の娘(16歳)が、EXCHANGE(交換留学生)として札幌にやってくるというのだ。
 わが家に特別受け入れる義務はない、と娘は言うが、アメリカでは娘がさんざ世話になっていることだし、ただ家が狭いから、という理由だけで断わっては、相手に義理をかく…。
 妻とよく話し合った結果、「よ〜し、受け入れよう」と結論。それから彼女がやってくるまでの1週間が忙しかったのなんの。
「ベットを買おう」(アレックスはベット以外では眠れない)「汚れた壁紙を張替えよう」「シーツと枕も新調だ」「テーブルも6人用に配置替えだ」
 てんやわんやのあげく、たちまち彼女はわが家にやってきた。ちなみに、わが家では過去4度、延べ5人のホームスティ経験があるが、部屋が狭くなってきてから、この7年間は受け入れていない。
 滞在中の1週間の逸話はいろいろあるが、そのすべてをここには書かない。いずれ別のコーナーで詳しく語る予定である。ただ、今回はわが家にとって、始めての妙齢の女性だったこともあり、過去のホームスティとはまた一味違うものだったことは確かである。
 妻は子供部屋の空いたベットに眠り、私は仕事部屋に布団を持ち込んだりの、かなり無理をしてのホームスティだったが、普段の生活では決して得られない、刺激と驚きに満ちた7日間だった。
 私の英語の勘がようやく元に戻り始めたころ、美人でグラマーなアレックスは、何事もなかったような顔で、すたすたニューヨークへと帰って行きました。