二〇〇五・秋冬乃章
つれづれに、そして気まぐれに語ってしまうのである。
なにせ『徒然雑記』なのだから。
怖い人/'05.9
「お前は怖いヤツだな…」
そんな主旨のことを、過去に複数の人、おそらく5人以上から言われたことがある。この場合の「怖い」は、外見的な風貌や粗暴な発言、もしくは行動の類いとは微妙にニュアンスが異なる。言われたときの前後関係等から推測するに、主に私の性格や資質に起因するもののようだ。最初に言われたのは学生時代のサークル仲間からだ。
当時弓道部に所属していた私は、2年生秋に実施された主将選に立候補したが、1票差で敗れた。「1票差」というところがいかにも私らしいが、とにかく負けは負けだ。負けた候補は普通執行部には入らないが、このとき主将に選ばれた男がその夜私の部屋を訪れ、執行部入り、しかも副将になって欲しいと懇願した。
これは推測だが、部内を二分した主将選のしこりを残さず、運営を円滑に運ぶために彼は、どうしても私の力が必要だったのだろう。さて、ここからの行動がいわゆる私の「怖さ」であり、考えようによっては、「ズルさ」でもあったのだ。執行部人事は主将選の翌日に実施される「新執行部コンパ」で公表されるのが慣例で、うだうだ考えている時間などない。ましてや主将の次に大事な副将である。やるならやる、受けないなら受けないと、その場で返答してやらないと、その他の人事決定に支障が出てしまうのだ。(執行部人事の決定権は選ばれた新主将にあった)
私はその場で即座にこう言った。「副務をやらせてくれ」と。副務の仕事は道場の設備や備品の管理で、当時から手作りが得意だった私にはうってつけの役職だった。執行部としては軽微な立場にあったが、いざ運営会議となれば他の委員と同等の発言権があり、主将の「反主流派」として、部内での彼の独走を阻み、自分の影響力を残すことが出来るのではないか…、そんな強かな計算を働かせた。
そんな胸の内はおくびにも出さず、単に「副将では意見が違い過ぎて運営に支障が出る。しかし、部のほぼ半分の票を得た責任もあるので、発言権も弱くて負担の軽い副務が妥当だと思う」と、負けたばかりの相手を前に、非常に冷静に答えた。
この種の修羅場での私は不思議に肝が座り、言葉にも態度にも、相手に反論させる隙を与えない説得力がある。相手は私の提案を受けた、いや、受けざるを得なかった。1年が過ぎて私たちは次の執行部にバトンを渡したが、あるとき、別のサークル仲間と飲んでいて、かっての主将選の話題になった。彼は私の執行部入りに、いまひとつ合点のいかないものをずっと感じていたらしい。人一倍プライドの高い私が、なぜ自分を殺してまで運営に協力したのかと。
すでに終わったことでもあり、私は当時の自分の考えを彼だけに話した。
彼はこの1年の私の言動を同じ執行部の一員としてつぶさに見ており、それですべてを悟ったようだった。私はほぼ自分の思惑通りに事を運んでいた。選挙には負けたが、自分流のやり方を貫く、という一点では、決して負けていなかった。「お前って怖いヤツだな…」
彼はそのときそう小さくつぶやいた。社会人になってからもときどき、「怖い人」「怖いヤツ」という代名詞で呼ばれた。20代後半になって初めて女性の部下を持ったとき、彼女がいわゆる「じゃじゃ馬」タイプで、美人だったが部下としては非常に扱いにくい。それでも上司としてはうまく仕事を割振って、組織の一端を担ってもらう必要がある。
あるとき、彼女がいつになく深刻な顔をしている。「珍しく元気ないね、どうかした?」と前の席だった彼女に声をかけると、「私って、どうして皆から邪険に扱われるのかしら。他の女子社員と私とでは、はっきり扱いが違っている気がするの…」
そんなことをブツブツつぶやいている。なんだそんなことかと、私はすぐに彼女の悩みに答えてあげた。「それはね、君が自分で周りにいつもそんな世界を作っているからさ。君が周りにキツい世界を投げかけるから、周りも同じようにキツい言葉や態度で返してくる。自分にとって周りは『壁』と同じだよ。それがイヤなら、自分自身が変わるしかない…」
それを聞いていた彼女の端正な顔が、みるみる青ざめた。「そんなことを言われたのは、生まれて始めてです」とつぶやいて黙りこくった。
その後しばらく経ってから彼女に、「菊地さんは本当に怖い人ですね、今後あまり近づかないようにします」と真顔で言われた。彼女は私のいわんとした意味を、おそらく理解したのだろう。女性から直に「怖い人」と言われたのは、これまで彼女しかいない。「怖い人」などという他からの評価は、決してほめ言葉じゃない。しかし、自由人として油断のならない世の中を渡ってゆくには、欠かせない資質であると自分では思っている。だから忘れた頃に言われたりすると、「あなたはいい人ですね」などというありきたりの評価などよりも、自分としてははるかにうれしかったりもする。
さらに言うなら、私はこの「怖さ」を、単なる人生の通りすがりの人、そして自分を真に理解してくれる人に対して示すことはまずない。
ニックネーム/'05.9
人にニックネームをつけるのが結構得意だ。サラリーマン時代は虫の好かない上司のほとんどに、妻と自分にしか通じない暗号のようなニックネームをつけ、家に帰って晩酌をするときの格好のサカナにした。はっきり言って、相手の性格を痛烈に皮肉ったニックネームで、とても公表出来るようなシロモノではない。
互いに上司の人となりを知り尽くしている社内結婚だから成り立つ話で、実に安上がりな憂さ晴らしだった。そのせいか、私には同僚と会社帰りに焼き鳥屋で上司に対する愚痴を言い合った記憶は全くない。独立してフリーになってからは、妻を始めとする家族にさまざまなニックネームをつけては楽しんだ。当然ながらサラリーマン時代の上司に対するような悪意はなく、親しみをこめたものばかりだ。
●アサ太郎
長女がまだ幼かった時期にもっぱらこう呼んでいた。命名は私だ。女の子だが、風貌はどう見ても男っぽい。そこで名前をもじって「アサ太郎」である。「女であること」をあまり意識させずに育てようと夫婦で話合っていたので、このニックネームはその後の長女の人生に、少なからず影響を及ぼしたと思う。
本人も「私はオトコオンナよ」と、思春期になっても周囲に公言していた。真意を正したことはないが、見てくれでは勝負できないことを、自ら悟っていたのかもしれない。それとも単なる親の刷り込みだったろうか。●フスマ・シメオーネ
長男が中学生のときに私がつけた。非常に勤勉だった彼は、とにかく自分で決めた時間がくるときっちり自室にこもり、頭に入る入らないは別にして、机に向かうのが常だった。
当時、長男の部屋は和室の一部を改造したもので、部屋の出入り口はフスマ戸である。居間から自室に入るときは、(さあ、僕はこれから勉強するよ)とあたりに宣言でもするかのように、開いていたフスマを軽い音をたててぴたりと閉ざす。その様子を見た私が、半ばからかい気味に「出た!フスマ・シメオーネ」と思わず叫んで名づけたものだ。
「シメオーネ」にはちゃんと別の意味があって、元アルゼンチン代表の有名なサッカー選手の名だ。当時息子もサッカーに打込んでいて、シメオネは好きなタイプの選手。だからこのニックネームは、すでに難しい反抗期に差し掛かっていた息子にも受けた。名字までついたニックネームは珍しいが、私の最大ヒット作かもしれない。長男には幼少時に妻が名前と姓をもじって「タクチくん」と名づけ、定着しかけたが、10歳過ぎに本人からの強い抵抗に出会い、あえなく頓挫した。
実は私にも「ボク」「ノリくん」という母のつけたニックネームが幼少時にあったが、同じような時期に強く拒み、自ら排除した経緯がある。普通の感性の子なら、産みの母の溺愛の情が見え隠れする甘ったるいニックネームなど、物心がつけば受け入れないだろう。●チョメ吉
末っ子の二男につけたニックネーム。確か10歳近くまで呼んでいた気がする。記憶がはっきりしないが、まず妻が「チョメちゃん」と呼び出し、その後私が「ちゃん」では甘過ぎると、「吉」に変えたはずだ。いわば夫婦二人の合作で、このニックネームは当時の彼のセカセカと落着かない性格や、愛くるしい風貌にピタリはまっていた。
このニックネーム自体がやや甘過ぎるきらいがあるので、10歳を過ぎてからは夫婦で話合って呼ぶのをやめた。子供はいつまでも子供ではないから、親の側からいい加減に見切りをつけてしまわないと、抜き差しならないことになってしまう。●スーちゃん(スーさん)
最近、しばしば妻をこう呼ぶ。名前の一部をもじっただけだが、妻もまんざらでもない様子である。ただし、呼ぶのは二人きりのときか、ごく親しい友人の前だけだ。「もし夫婦でユニットを組んで歌うとしたら、名前は『Tom&Susie』だね」などと私が半ば冗談、半ば本気で言ったことがきっかけである。中1の時期に学んだ英語の教科書に出てくる主人公に由来するものだが、本名である「すい子」→「Susie」→「スーちゃん」と3段変格活用した。「スーちゃん」か「スーさん」かは、その場のキブンと流れで決まる。
結婚直後は「君」とか「あなた」とかの代名詞で呼んでいて、子供が生まれてからは普通に「カーさん」などと呼んでいた。だがよく聞いてみると、妻は名前で呼ばれるのを最も好むらしい。子育ての済んだ今後は、こうした名前を中心にした呼び名が定着するだろう。
蛇足だが、「おい」だとか「お前」だとかの差別的代名詞で呼んだことは結婚以来、一度もない。ニックネームの歴史は家族の成長の歴史そのものでもあり、振り返ると愛しさで胸が熱くなる。こうして書いていると、当時の家族の息づかいまでがまざまざと蘇ってくるのだ。
まぁいいか/'05.11
「世の中には二種類の人間しかいない。『やる人間』と『やらない人間』だ」と、誰かがどこかで言っていた。この議論は結構分かりやすいが、使い尽され、やや色褪せた感もする。何か新しい定義はないものだろうかとあれこれ考えていたら、妻との雑談の中で、ちょっと面白い定義を思いついた。「世の中には二種類の人間しかいない。『ねばならぬ人間』と『まぁいいか人間』だ」
読んだだけで、およそのことが直感的にお分かりいただけると思う。
「ねばならぬ人間」は物事に極端にスジを通す人で、他に対しても自分に対しても間違いを許さず、自分の信ずる概念を他に押しつける。
電車が到着するまで並んでいる順番に横入りは絶対に許さないし、車の全く通らない真夜中の赤信号もかたくなに守り、様々な組織で頻繁に実施される懇親会の類いには、必ず参加する。男は人前で泣いてはならず、女は慎ましくてしとやかだ。対して「まぁいいか人間」は、到着したとたんに列を乱して殺到する人々を内心苦々しく思いつつも、(まぁいいか。先を争って席を奪い合うより、着くまで立ってよう…)などと半ば自虐的に考えて簡単にあきらめてしまうし、車の通らない赤信号は昼であろうが夜であろうが、(車にハネられなきゃいいか…)と、さっさと渡ってしまうのだ。気のすすまない懇親会は、あれこれ理由を作って参加しない。男でも悲しけりゃ人目をはばからず泣くし、女でも時には強くてたくましい。
ここで我が身を振り返ってみる。人をとやかく言う前に、胸に手をあてて自分を省みるのは大事だよ。
まず妻は生まれつきの「まぁいいか人間」である。親しい友人もほぼ全員が同類であると彼女は証言する。長年連れ添ってきた夫である私も、(確かにそうだ)と、納得せざるを得ない。
妻の名誉のために書き添えておくが、彼女は非常に生きることに真面目な人間である。社会全般のルールもきちんと守る。いい加減なのは、あくまで「自己責任で処理出来る範囲」のことだけだ。前述の例で言うと、電車ホームの列を無視する連中は許すが、自分で列を乱すことは決してしないし、自分が運転する側(妻は免許がないので、あくまで仮定の話であるが)つまりは強者に回ったとき、真夜中でも赤信号は当然守る。
一方、自分の子が小さかった時期は、車が全く通らない赤信号でもちゃんと守っていた。オトナとして保護者として、我が子に社会一般のルールをひとまず覚えこませる義務と責任とがあったからだ。はてさて、私自身はどうなのか。「TOMさんは几帳面な人だ」などと他からよく言われたりする。自分でも暮し方生き方にはこだわりを持っていると思う。だから「ねばならぬ人間」のように、もしかしたら思えるかもしれない。だが、実は隠れ「まぁいいか人間」なのである。
世の中に対する不平不満や他者の行動全般に関しては、自分に余程の危害を及ぼすものでない限り、(どうぞ、好きにやってちょうだい)と黙認する。「男は強くあるべき、女はおしとやかに」などという一般概念には、まるで無頓着。車の全く見えない赤信号はとっとと渡る。子育ても終わり、親としての役目ももはや終わった。
創造の世界では確かにこだわるが、それは他が関与しない内なる自分の世界に限っての話で、さまざまな理由で第三者が関わりだすと案外どうでもよくなって、「ど〜ぞ、アナタ様のお好きに」と、すべてを相手任せにしてしまったりする。
妻と同じで私の場合も「自己責任で処理出来るか否か」が、唯一無二の基準なのである。
書く覚悟/'05.11
ブログの大流行に象徴されるように、特にネットを媒介とした書く行為が、広く世間に行き渡りつつある。この私も含め、我も我もとせわしなく、毎日のようにネット上で自分の意見を堂々と公開している。
書くことは自己啓発、引いては自己確認やある種の「癒し」にもなるのだろう。あっちでもこっちでも書く人々が出没し続ける社会的背景は、たぶんそのあたりだ。
一部には「ブログが世の中を変える」とまで予言している人さえいて、本気でそれを信じているのか、日々の文章に精を出す人々が跡を絶たない。だが、名前や経歴など、一切の情報を隠ぺいしたまま、それほど意味があるとも社会のお役にたつとも思えないジマン話や、他者攻撃の類いを垂れ流し状態で書き列ねる行為が、本当に世の中まで変えるだろうか?書くことって、そう軽いもんじゃないと私は思っている。本当はすごく怖いものだ。一度も会ったことがない人でも、一通のメールを読めば、その人のおよその事が推し量れる。まして、私のサイトのように日々書き連ねた膨大な文章の山を目にすれば、その人の現在過去未来、すべてが見えてしまうと極言してもいいほどだ。
どんなに美辞麗句を並べて取り繕ったり、あるいは極端に開き直ったり、はたまた卑屈の穴に入り込んだりして、苦心さんたん自分の本質をオブラートに包んだつもりでも、すべてはガラス張り。自分を秘密のベールにくるんで他者に見せたくないのなら、一切どこにも何も書かないことだ。つまり、不特定多数を対象に文章を公開するという行為には、自分のすべてをさらけ出す覚悟のようなものが必要だということ。いま世間を席巻している一億総作家の皆々様に、その覚悟のほどがあるのだろうか。
もし、書くことによって本気で救われたいと思っているなら、自分のジマン話をひけらかしたり、他者を一方的に攻撃したりするだけでは片手落ち。たとえばとってもスケベな自分、嫉妬にたけ狂う自分、ボロボロの自己嫌悪に陥っている自分、そんな他に対して見せたくない闇の部分まで書かなくてはウソになる。そこに不可欠なのは自分を冷静に省みる客観的な「自省の視点」なのだが、そんなものが広く一般化されていたとしたら、世の中はもっと住みやすく、暮しやすいものになっているだろう。
自省心の欠落した文はどこか高慢でうさん臭く、読む気も失せるが、まだ救いはある。ピリリと自省のワサビの効いたサイトや本にたまに出会うと、つい読みふけってしまうし、そんな書き手は密かに応援したくなる。こんなことをエラそうに書いている自分も、せいぜい「自省の視点」を見失わないよう心掛けなくては。でないとただの「物笑いサイト」になりかねない。
心に届く/'06.2
「歌が上手いですね、という言葉は、必ずしも歌い手に対するほめ言葉じゃない」と、ある方から言われたことがある。また別の方からも、「歌は上手いか下手かが問題ではなく、聴き手の心に届くかどうかがすべてだ」と聞かされた。
二人ともアマチュア歌手としての長いキャリアを持っている。互いの歌を生で聴いたことがあり、かなり親しい間柄だ。そして二人とも技術的には相当「上手い」。ギター弾き語りでのソロライブ活動を始めてからおよそ一年が経つが、この二人の言葉はなるほどと心に染みた。人はとかく「歌が上手いですね」というひとくくりの言葉で歌い手を評価しがちだ。しかし、この「上手いですね」の言葉の裏には、実にさまざまな意味がこめられている。音程に代表される技術的な要素、声そのものの美しさ、そして歌のもつ説得力のようなもの…。
歌の上手さが単に技術面だけだった場合、聴き手の心を揺さぶり、感動させるには程遠い場合も少なくない。聴き手は「上手いですね」の言葉の裏に潜むものをあまり具体的には語ってくれないから、ほめられたときには、その真意を注意深く探ってみる必要がある。
(私は技術面の評価だけで満足です、という方は、ここでは議論の対象にしない)カラオケには採点機能というものがあって、事前にセットすると歌に対する得点を出してくれる。この機能は音程や譜割りを原曲通りに正しくなぞっているかどうかだけを評価するものであって、「人の心を感動させるか?」までは評価してくれない。採点するのはあくまで機械だから、おのずと限界がある。
聴き手は機械ではないから、技術的な部分や声そのものの美しさ、それ以外の部分までを総合的に判断して「上手いか下手か」の判断を下す。ではこの「聴き手の心を揺さぶるそれ以外のもの」という曖昧模糊とした要素の正体はいったい何か?最近の新聞で読んだが、カラオケの採点機にも新しい機能が付加され、技術的な部分以外でも聴き手を「上手い」と思わせる要素があると、加点してくれるようになっているという。その要素とは、以下の通りである。
・ため:原曲の譜割りよりも、やや遅らせて歌う。
・走り:原曲の譜割りよりも、やや早めて歌う。
・ビブラート:音程を細かく上下に震わせて歌う。
・しゃくり:原曲よりもやや下の音程から歌い始め、徐々に正しいキーに近づける。「聴き手の心に届く」という難しい要素をデジタル化しようとした初の試みで、大変興味深い。どの要素もプロの歌手なら多用しているが、何事もやり過ぎは禁物。懐メロ系歌手で、イニシエの自分の持ち歌を馬鹿の一つ覚えのようにタメまくって(遅らせて)歌っているのをよく見かけるが、ただ聞き苦しいだけだ。
カラオケ採点機の場合、上記要素の回数を単にカウントして加点しているだけらしいが、「心に届くか否か」は、そんなに単純な問題ではないはずだ。ただ回数さえ多ければよいのなら、たとえばすべての小節ですべての歌詞を「タメて」歌ってしまえば事足りることになるが、それでは聴き手は逆に醒めてゆく。上記4つの要素が、「心に届く」という部分で重要な比率を占めているのは理解できる。問題はこの4つを、「いつどこでどのように使い分けるか」だ。
その答えは歌い手や曲毎に違ってくるはずで、歌詞とメロディに応じ、(この歌はこの部分でタメるべきだ)とか、(この歌はこの部分でしゃくって歌うのがベストだ)だとか、歌い手個人個人が自分の判断で嗅ぎ分け、歌い分けるものだろう。時には何もせず、純粋に譜面をなぞるのが効果的なフレーズもきっとある。
これらのバランスが歌い手の持つ技術的な部分、そして声そのものの特質(美声である必要はない)とぴたりマッチしたとき、聴き手は歌に引きつけられ、時にハラハラと感動の涙を流す。歌の持つパワーを直感的に読み取り、十二分に引出すのは結局のところ、歌い手のそれまで重ねてきた人生の時間とその質によって決まるように私には思える。
自己完結/'06.2
間違って120歳近くまで生きない限り、これまで生きてきた年月よりも、これから生きる年月のほうが明らかに短いはずだから、暮し方生き方全般に、大きな「借り」を作らないよう日々心掛けている。いただいたメールには遅くとも1日以内で返事を出すし、いただいた厚意には何らかの形でのお返しをなるべく早く済ませる。
こちらは負の部分だが、自分のしでかした不始末は、同様になるべく早く尻拭いを済ませてしまう。時にはその場で、「ごめんなさい、すみません」と頭を下げる。これらはすべて「明日をも知れぬ我が命」を意識してのことだ。
これまでいろいろな物を自分に与えてくれた世の中全般に対しても、何らかの形でお返しが出来ればいいとも考えている。借りを返すチャンスがまだ充分に残っている年齢ではもはやない。「貸しも借りもない自己完結型の人生」、そんなことを最近よく考える。これらの議論の延長線上にあるのが、死んだときの資産状況のことだ。仮に明日死んでしまったとしても、借金の大半は家のローンであるから、残額の半分は住宅保険でまかなってくれる。(我が家は妻との共有登記なので、全額弁済とはならない)それなりの生命保険にも入っているので、すべての負債を精算し終えたとしても、ただちに残された妻が路頭に迷うことはない。
反対にすべてのローンを払い終える69歳まで生き長らえたとする。この時点で借金はゼロになるが、年金もたいして払っていないし、それほどの預貯金があるわけでもない。縄文暮しのスタンスはおそらく今後とも変わらず、大きな収入も資産もない代り、大きな支出も借金もない。健康でさえいれば、細々と仕事は続けていられる…。
以降のことは皆目分からないが、いつ死んでも資産面での大きな貸し借りはたぶんない。つまり、私の理想とする「自己完結人生」が、ここにめでたく成就する。などと都合よく書いてみたが、あくまでこれは机上のシミュレーションだ。現実の人生には何が待ち受けているのかまるで分からない。しかし、これまでも多くの困難を自分と家族の力だけで乗り切ってきた。今後も家族の支えさえ失わなければ、何とか乗り切っていけるだろうという漠然とした予感はある。
まずはストレスを溜めず、運動を心掛けて健康に留意することが、現時点で最も必要なことではないかな。