二〇〇三・秋冬乃章
つれづれに、そして気まぐれに語ってしまうのである。
なにせ『徒然雑記』なのだから。
サブマシン/'03.9
久々にパソコンがクラッシュした。自宅と同じ名前、同じコンセプトのファンレスマック「CUBE」が、いきなり起動しなくなったのである。3年前と全く同じ症状で、(ハードディスクの寿命がきたか…)と、直感的に思った。
微かな徴候は以前からあって、なんとなくトラブルの予感はしていた。だから、メールや仕事関係のファイル、ホームページのファイル等々、日々発生する新しいファイルの定期的なバックアップは怠りなかった。それでも突然起動しなくなるとあわてる。システムCDから起動してやると、ハードディスクそのものはまだ読み込める。折悪しく3D-CGの仕事が3件も入っていて、外付CD-RWに必要な機能だけをそっとONにしてやり、作業中のファイルをCDに無事退避させた。
さて、ここからが問題だった。3年前のトラブルのときは、ハードディスクの初期化を数回繰り替えしても症状は改善せず、結局パソコンを買い替えている。もしかすると、今回も同じことになりはしないか…。
取りあえずハードディスクを初期化し、システムを再インストールしてみると、何とか作動する。仕事やインターネットに必要な最低限なシステムだけを整え、こまめにファイルのバックアップをとりながら、恐る恐る仕事を続けた。だが、嫌な予感はあたっていた。翌日になって、再びパソコンが起動しなくなった。修復ソフトで診断してみると、「物理的に読めないセクターがある…」という難しいメッセージ。そうこうするうち、ハードディスクそのものを認識しなくなった。なじみのショップに電話すると、99%ハードディスクの寿命だろうという。要するに、ハードディスクに傷がついて、寿命がきたらしいのだ。
普通の使い方なら、3年でハードディスクが壊れるということはあまりない。だが、私の場合、3D-CGを中心とした非常に過酷な負担を1台のパソコンに強いている。こうした場合、3〜5年でハードディスクに寿命がきてもおかしくないという。
パソコンショップの話によれば、純正品にこだわらなければ、ハードディスク交換費用は2万円弱、予約すれば時間も30分程度で終わるという。だが、問題は部品の入荷が4日後であるという点だった。やりかけの仕事の納期が3日後、その次の仕事の納期がさらにその3日後という過密スケジュールで、部品の入荷を待っている余裕はない。話しながら私は即断した。
(パソコンをもう1台買うしかない…)この1〜2年で、仕事に占めるパソコンの割合は急増している。最近では設計図面もパースも、すべてパソコンで描いているのが現状だ。10年前の旧式パソコンが予備として1台あるにはあるが、ほとんど仕事の役にはたたない。最新式のパソコンをもう1台買い、非常時に備える必要性をひしひしと感じていた矢先だった。
縄文生活者にとって不意の支出は痛いが、うまい具合に予期せぬ臨時収入もあった。ショップに修理部品の予約をしつつ、かねてから目星をつけていた一体型の格安マック、「eMac」の最低機種を思いきって買うことにした。メモリを640Mまで増やした関係で、価格は10万をわずかに超えたが、数年前なら50万はした高機能のパソコンが、この価格で簡単に手に入る。試しにやりかけの3D-CGの計算をやらせてみたら、それまでのパソコンの半分近くで済む。景気の回復や構造改革は遅々として進まないが、技術の進歩は確かだった。
4日後には、壊れていたほうのパソコンも修理が終わった。いまは仲良く2台のパソコンが机に並んでいる。どちらがメインでどちらがサブなのか、実はまだはっきりしない。処理能力の高い新しいパソコンが当然メインになるはずだったが、実際に使ってみると、新しいパソコンには通常の換気ファンがついていて、この音が深夜は特にうるさく感じる。仕事部屋の隣には妻が眠っているので、深夜は音の全くしない古いファンレスパソコンのほうが、はるかに向いている。
歌の楽譜とギターコードをパソコンに入力し、パソコン画面を譜面台代わりに見てギターで歌う、という技を最近会得したのだが、このときも全く音のしないパソコンのほうが歌の邪魔にならない。同じ理由で、CDコンポ代わりにパソコンを使ったり、音のするゲームをしたりするときにも、ファンレスパソコンは大変ありがたいことが改めて分かった。ともあれ、ほぼ同じ能力のパソコンが2台あるというのは、非常に便利である。丸一日かかる3D-CGの計算も、片方のパソコンでやらせつつ、もう一方のパソコンで別の作業が自由に出来る。以前ならじっと計算の終わるのを待つしか方策がなかった。こんなとき、文明の有り難みをしみじみ感じる。
2台のパソコンはLANでつながっているので、ファイルのやり取りはもちろん自在に出来る。いつかまた訪れるであろうクラッシュに備え、互いにファイルのバックアップを取り合っている。用途に応じ、しばらくは2台のパソコンを上手に使い分けることにしよう。
山のロザリア/'03.9
秋になると「山のロザリア」のメロディがふと頭を巡る。「山の娘ロザリア〜」で始まるロシア民謡で、団塊の世代ならすぐに思い出すだろう。そう、あのフォークダンスでは定番の、ちょっと物悲しい響きのする名曲だ。
高校時代の秋は学校祭の秋であり、それはまたフォークダンスの秋でもあった。最近の高校生は手を握るのはもちろん、卒業までに3割以上の男女が性体験まで済ますというご発展ぶりだが、私たちの時代は異性の手を握ること自体が大問題で、それを公然と出来る唯一の場が学校祭のフォークダンスだった。
まさか学校側がそんな世情に配慮して男女が手を握りあう機会を与えてくれていたとは思わないが、ともかくも学校祭の1ヶ月前くらいの体育の時間には、普段は離れて授業を受けている男女が一同に集められ、仲良くフォークダンスの練習に励んだのだから、何ともほほえましい風景ではないか。当時私が在籍していた札幌H高校には、夕方に実施される学校祭本番でのフォークダンスには、昼間のうちに「予約」していた異性と共にカップルで参加するという、妙な習慣があった。行き当たりばったりで、「入れて〜」では駄目だし、同性同士の参加は論外だった。
誘うのはもちろん男性のほうである。進学校で女子より男子の割合が多かったから、魅力的な女子はすぐに取り合いになった。「好きな女の子を勇気を持ってダンスに誘う」という、男子として人生最初の試練がこの儀式だったように思う。
1年の時は好きな女の子がいなく、本番でのフォークダンスには参加しなかったが、2年になって同じクラスに好きな女の子が出来た。タイミングを見計らって思いきって誘ったが、「ごめん、もう先約があるの」とすまそうな顔で断られ、力が抜けた。しかし、友人などを介さず、直接アタックして玉砕したのだからと、すっぱり諦めた。それでもこの子には、卒業するまでずっとほのかな想いを抱いていた。
翌年は好きでも嫌いでもなかった中学校のときの同級生の女子を誘った。(どうせすぐに相手が変わるんだから…)などと姑息な計算を働かせたが、そのときに限って曲が相手の変わらない「マイムマイム」で、かなりの時間気まずい思いに捕われた。私が最も好きだった曲は、最初にも書いた「山のロザリア」である。相手が次々と変わり、(もうすぐ好きな子と踊れる)という期待感もあったが、手を相互に握りあう本格的なダンスのステップが踊りの中に取り入れられていたのが第一の理由である。
体育は幼い頃から苦手だったが、徒手体操やダンスのたぐいだけは非常に得意だった。この「山のロザリア」には、ワルツのバックステップを踏む箇所があり、そこが難しくて男子の多くは悲鳴をあげていたが、私は全く苦にしなかった。
入学当時は身長が154センチそこそこで劣等感に縛られていたが、3年生になった頃には背も高くなっていて、この時とばかりに巧みに女子をリードした。手を握りながら、女の子にも冷たかったり、じっとり汗ばんでいたり、生暖かったり、随分いろいろな手があるものだと感心した覚えがある。
あるとき、文科系のクラスの女の子と初めて練習をすることになった。そのクラスにはなぜか背が高くて顔だちの整った子が多く、練習前から私は胸をどぎまぎさせていた。
「山のロザリア」の曲がかかっていたとき、ひときわ目立つ長身で愛くるしい顔だちの女の子が私の順番に近づいてきた。体育の授業なので上下とも学校指定の愛想のないジャージー姿だが、その服の上からも彼女の際立つプロポーションがはっきり分かる。
(あの子の番がくるまで、曲よ終わるな…)と気の多い私は心で願った。そんな願いが通じたのか、めでたく彼女の手を握った。
当時170センチ近くまで伸びていた私と並んでも、彼女はほとんど変わらない背丈だった。たぶん165センチはあったと思う。そのうえ、大変肉感的な身体つきだった。背筋をのばしてステップを踏むと、そのたびに両胸の膨らみが微かに私の胸に触れた。
身体の底で何かがうずいた。幸せな時間だった。包み隠さず書くと、初めて異性に情欲を感じた瞬間だったかもしれない。私の中に一瞬の確かな感覚を残し、彼女は回りながら踊りの輪から去った。その後卒業するまで、別の意味で彼女は気になる存在だった。同じクラスの友人を通じて、名前や素性を確かめたりもした。彼女は英語研究会に所属していて、英語は堪能だという。だが、「ちょっとミーハーな所があるから、俺はあまり好きな性格じゃない」と友人は言ってのけた。
その後、彼女が日航のスチュワーデス試験に合格したことを噂で聞いた。私の胸には、彼女のふたつの豊かな乳房の記憶がほろ苦くすりこまれた。その記憶は、それまで時に観念に走りがちだった私の女性観を、いい意味で方向転換させてくれた。そしてその後の私の人生を、確実に豊かにしてくれていると思う。
センセイの鞄/'03.11
久し振りに小説を読んで泣いた。「センセイの鞄」がそれである。以下、小説の登場人物になぞらえ、作者の川上弘美さんを親しみをこめて、「ヒロミさん」と呼ぶことにする。
ヒロミさんの本は結構読んでいる。デビュー作の「神様」は、パスカル文学賞というアサヒネットのパソコン通信フォーラム(会議室)から生まれた作品で、私がインターネットのプロバイダに迷わずアサヒネットを選んだのも、元はと言えばこの「神様」に感化され、「よし、俺もいっちょう応募してみるか」と意気込んだからである。
現実には諸般の事情でパスカル文学賞は打ち切られ、私の野望が達成されることはなかった。だが、未練たらしくそのフォーラムにい続けたおかげで、一度だけヒロミさんが会議室に現れ、メッセージを残してくれたことがある。
当時すでにヒロミさんは「蛇を踏む」で芥川賞をとっていて、まさに雲の上の人だったが、会議室のメンバーに気さくに声をかけてくれ、大変感激した覚えがある。それやこれやで、ヒロミさんの本は身近な存在だった。いい作品に巡り会うと妻はもちろん、娘や息子に「読んでおけよ」と押し付けがましくメールを送ったりもした。妻と読後の議論を交わすのも、ヒロミさんの本が多い。
ヒロミさんの作りだす世界の説明は、とても難しい。とんでもなく難解な言葉や言い回しはないが、独特の「仕掛け」のようなものが随所にはり巡らされていて、そこがちょっと素人受けしにくいかもしれない。もともとが理科系の人なので、それが彼女の作る小説世界に大きく影響を与えている気がする。さて、冒頭に挙げた「センセイの鞄」、「何をいまさら」といわれそうなベストセラーだが、なぜか読んだのはごく最近である。読んでいない方のために内容をかいつまんで書くと、30代後半の独身女性と70代前後の独身男性(結婚歴あり)の恋愛小説である。美味しい肴をつまみながら、美味しくお酒を飲むシーンが随所にちりばめられた、とてもグルメな小説でもある。しかし、この恋愛小説(といっても、ずっとプラトニックなのだが)の奥はなかなか深く、多くの謎に満ちている。
主人公の女性は「ツキコさん」で、相手の男性が主人公の高校時代の恩師である「センセイ」である。女性はヒロミさんの分身と考えていいと思う。まず最初に不思議に思うのが、主人公の二人がなぜ「カタカナ」なのか?という疑問である。小説の冒頭で、「センセイは『先生』でも『せんせい』でもダメで、『センセイ』でなくてはならない」と明解に書かれている。作者が意図的にこの二人をカタカナで表示していることがまず分かる。
小説にはこの二人のほか、正体不明の居酒屋の主人とそのお兄さんにもそれぞれ「サトルさん」「トオルさん」とカタカナ表示を使っている。他にも登場人物はいるが、すべて漢字表示である。カタカナ表示の登場人物に、作者の意図した特有の符号があることが分かる。次になぜヒロインの名が「ツキコさん」なのか?という謎である。単なる名前だからなんだっていい、ということにはもちろんならない。全てとまでは言わないが、多くの小説の特に主人公の名には、ほとんど意味がある。たとえば「伊豆の踊子」のヒロインの名は「宏美」や「雅子」ではダメで、「薫」でなくてはならない。(と私は思う)
僭越だが、私が小説を書くときにも、主人公の名にはある種のメッセージを託す。それではヒロミさんが主人公に託したものは何か?よく読むと、センセイ以外の登場人物は、ヒロインを「月子」と呼んでいることに気づく。 「ツキコさん」は空に浮かぶあのお月様と同じ名である。ここに大きなヒントが隠されている。センセイはいつも大きな鞄を大事に抱えていて、その中身はさすがのツキコさんにも分からない。ところが、物語の最後の最後でその鞄がツキコさんのものになる。今度はセンセイ(といっても、これまた作者の分身だが)がツキコさんにこの鞄を託したのだ。ツキコさんが恐る恐る開けた鞄の中に入っていたものはいったい何か?それこそがこの物語のテーマであると私は思う。
主人公の名と同じく、小説のタイトルにも重要な意味が隠されていることが多い。したがってこの小説のタイトルは、やはり「センセイの鞄」でなくてはならない。この小説の奥に潜むこうした数々の「謎」について、妻とたまたま帰省中だった上の息子に問いかけてみた。カタカナで表示されている人たちのナゾ、ヒロインの名のナゾ、そして鞄の中身のナゾ、等々である。もちろん答えはどこにも書かれていない。小説家はある種の手品師であり、読者にさまざまな謎をなげかけてくる。そして手品師は手品の種を決して明かさないように、小説家もまたその謎を明かさない。この謎を見つけ、自分なりの答えを導き出すのが、私にとって小説を読む大きな愉しみのひとつなのだ。
妻や息子はしばらく考えこんでいたが、いくつか与えたヒントにより、やがて私と同じ答えにたどりついた。「そうだったのか〜」と感心した息子は、同じ本を読んだという女友達に、さっそくメールを入れていた。すると、ほどなくしてその子からも同じ答えが返ってきたという。
もしこの本を読まれた方で、ヒロミさんのしかけた謎にまだ気づいてなかった方は、もう一度読んでその謎をぜひ解きあかしてみて欲しい。しかし、この物語が優れているのは、そんなこ難しい理屈などこねまわさずとも、読み手に応じて充分面白く読ませ、感動させてくれるというところだ。やっぱりヒロミさんはただ者ではない。ところで、「小説を読んで泣いた」と冒頭に書いたが、「いったいこの小説のどこで泣けるの?」といぶかる方がいるかもしれない。しかし、私は泣けた。あとで読んだ妻も同じように感動し、同じように泣いたという。
「人生はかくも愉しくて、愛しくて、そして慈しむべきものなんだよ」というヒロミさんの暖かなメッセージがひしひしと胸に伝わってきて、深夜の机の前で私ははらはらと涙を流したのだ。