二〇〇三・秋冬乃章

   つれづれに、そして気まぐれに語ってしまうのである。
   なにせ『徒然雑記』なのだから。


サブマシン/'03.9

 久々にパソコンがクラッシュした。自宅と同じ名前、同じコンセプトのファンレスマック「CUBE」が、いきなり起動しなくなったのである。3年前と全く同じ症状で、(ハードディスクの寿命がきたか…)と、直感的に思った。
 微かな徴候は以前からあって、なんとなくトラブルの予感はしていた。だから、メールや仕事関係のファイル、ホームページのファイル等々、日々発生する新しいファイルの定期的なバックアップは怠りなかった。それでも突然起動しなくなるとあわてる。システムCDから起動してやると、ハードディスクそのものはまだ読み込める。折悪しく3D-CGの仕事が3件も入っていて、外付CD-RWに必要な機能だけをそっとONにしてやり、作業中のファイルをCDに無事退避させた。
 さて、ここからが問題だった。3年前のトラブルのときは、ハードディスクの初期化を数回繰り替えしても症状は改善せず、結局パソコンを買い替えている。もしかすると、今回も同じことになりはしないか…。
 取りあえずハードディスクを初期化し、システムを再インストールしてみると、何とか作動する。仕事やインターネットに必要な最低限なシステムだけを整え、こまめにファイルのバックアップをとりながら、恐る恐る仕事を続けた。

 だが、嫌な予感はあたっていた。翌日になって、再びパソコンが起動しなくなった。修復ソフトで診断してみると、「物理的に読めないセクターがある…」という難しいメッセージ。そうこうするうち、ハードディスクそのものを認識しなくなった。なじみのショップに電話すると、99%ハードディスクの寿命だろうという。要するに、ハードディスクに傷がついて、寿命がきたらしいのだ。
 普通の使い方なら、3年でハードディスクが壊れるということはあまりない。だが、私の場合、3D-CGを中心とした非常に過酷な負担を1台のパソコンに強いている。こうした場合、3〜5年でハードディスクに寿命がきてもおかしくないという。
 パソコンショップの話によれば、純正品にこだわらなければ、ハードディスク交換費用は2万円弱、予約すれば時間も30分程度で終わるという。だが、問題は部品の入荷が4日後であるという点だった。やりかけの仕事の納期が3日後、その次の仕事の納期がさらにその3日後という過密スケジュールで、部品の入荷を待っている余裕はない。話しながら私は即断した。
(パソコンをもう1台買うしかない…)

 この1〜2年で、仕事に占めるパソコンの割合は急増している。最近では設計図面もパースも、すべてパソコンで描いているのが現状だ。10年前の旧式パソコンが予備として1台あるにはあるが、ほとんど仕事の役にはたたない。最新式のパソコンをもう1台買い、非常時に備える必要性をひしひしと感じていた矢先だった。
 縄文生活者にとって不意の支出は痛いが、うまい具合に予期せぬ臨時収入もあった。ショップに修理部品の予約をしつつ、かねてから目星をつけていた一体型の格安マック、「eMac」の最低機種を思いきって買うことにした。

 メモリを640Mまで増やした関係で、価格は10万をわずかに超えたが、数年前なら50万はした高機能のパソコンが、この価格で簡単に手に入る。試しにやりかけの3D-CGの計算をやらせてみたら、それまでのパソコンの半分近くで済む。景気の回復や構造改革は遅々として進まないが、技術の進歩は確かだった。
 4日後には、壊れていたほうのパソコンも修理が終わった。いまは仲良く2台のパソコンが机に並んでいる。どちらがメインでどちらがサブなのか、実はまだはっきりしない。処理能力の高い新しいパソコンが当然メインになるはずだったが、実際に使ってみると、新しいパソコンには通常の換気ファンがついていて、この音が深夜は特にうるさく感じる。仕事部屋の隣には妻が眠っているので、深夜は音の全くしない古いファンレスパソコンのほうが、はるかに向いている。
 歌の楽譜とギターコードをパソコンに入力し、パソコン画面を譜面台代わりに見てギターで歌う、という技を最近会得したのだが、このときも全く音のしないパソコンのほうが歌の邪魔にならない。同じ理由で、CDコンポ代わりにパソコンを使ったり、音のするゲームをしたりするときにも、ファンレスパソコンは大変ありがたいことが改めて分かった。

 ともあれ、ほぼ同じ能力のパソコンが2台あるというのは、非常に便利である。丸一日かかる3D-CGの計算も、片方のパソコンでやらせつつ、もう一方のパソコンで別の作業が自由に出来る。以前ならじっと計算の終わるのを待つしか方策がなかった。こんなとき、文明の有り難みをしみじみ感じる。
 2台のパソコンはLANでつながっているので、ファイルのやり取りはもちろん自在に出来る。いつかまた訪れるであろうクラッシュに備え、互いにファイルのバックアップを取り合っている。用途に応じ、しばらくは2台のパソコンを上手に使い分けることにしよう。




山のロザリア/'03.9



 秋になると「山のロザリア」のメロディがふと頭を巡る。「山の娘ロザリア〜」で始まるロシア民謡で、団塊の世代ならすぐに思い出すだろう。そう、あのフォークダンスでは定番の、ちょっと物悲しい響きのする名曲だ。
 高校時代の秋は学校祭の秋であり、それはまたフォークダンスの秋でもあった。最近の高校生は手を握るのはもちろん、卒業までに3割以上の男女が性体験まで済ますというご発展ぶりだが、私たちの時代は異性の手を握ること自体が大問題で、それを公然と出来る唯一の場が学校祭のフォークダンスだった。
 まさか学校側がそんな世情に配慮して男女が手を握りあう機会を与えてくれていたとは思わないが、ともかくも学校祭の1ヶ月前くらいの体育の時間には、普段は離れて授業を受けている男女が一同に集められ、仲良くフォークダンスの練習に励んだのだから、何ともほほえましい風景ではないか。

 当時私が在籍していた札幌H高校には、夕方に実施される学校祭本番でのフォークダンスには、昼間のうちに「予約」していた異性と共にカップルで参加するという、妙な習慣があった。行き当たりばったりで、「入れて〜」では駄目だし、同性同士の参加は論外だった。
 誘うのはもちろん男性のほうである。進学校で女子より男子の割合が多かったから、魅力的な女子はすぐに取り合いになった。「好きな女の子を勇気を持ってダンスに誘う」という、男子として人生最初の試練がこの儀式だったように思う。
 1年の時は好きな女の子がいなく、本番でのフォークダンスには参加しなかったが、2年になって同じクラスに好きな女の子が出来た。タイミングを見計らって思いきって誘ったが、「ごめん、もう先約があるの」とすまそうな顔で断られ、力が抜けた。しかし、友人などを介さず、直接アタックして玉砕したのだからと、すっぱり諦めた。それでもこの子には、卒業するまでずっとほのかな想いを抱いていた。
 翌年は好きでも嫌いでもなかった中学校のときの同級生の女子を誘った。(どうせすぐに相手が変わるんだから…)などと姑息な計算を働かせたが、そのときに限って曲が相手の変わらない「マイムマイム」で、かなりの時間気まずい思いに捕われた。

 私が最も好きだった曲は、最初にも書いた「山のロザリア」である。相手が次々と変わり、(もうすぐ好きな子と踊れる)という期待感もあったが、手を相互に握りあう本格的なダンスのステップが踊りの中に取り入れられていたのが第一の理由である。
 体育は幼い頃から苦手だったが、徒手体操やダンスのたぐいだけは非常に得意だった。この「山のロザリア」には、ワルツのバックステップを踏む箇所があり、そこが難しくて男子の多くは悲鳴をあげていたが、私は全く苦にしなかった。
 入学当時は身長が154センチそこそこで劣等感に縛られていたが、3年生になった頃には背も高くなっていて、この時とばかりに巧みに女子をリードした。手を握りながら、女の子にも冷たかったり、じっとり汗ばんでいたり、生暖かったり、随分いろいろな手があるものだと感心した覚えがある。
 あるとき、文科系のクラスの女の子と初めて練習をすることになった。そのクラスにはなぜか背が高くて顔だちの整った子が多く、練習前から私は胸をどぎまぎさせていた。
「山のロザリア」の曲がかかっていたとき、ひときわ目立つ長身で愛くるしい顔だちの女の子が私の順番に近づいてきた。体育の授業なので上下とも学校指定の愛想のないジャージー姿だが、その服の上からも彼女の際立つプロポーションがはっきり分かる。
(あの子の番がくるまで、曲よ終わるな…)と気の多い私は心で願った。そんな願いが通じたのか、めでたく彼女の手を握った。
 当時170センチ近くまで伸びていた私と並んでも、彼女はほとんど変わらない背丈だった。たぶん165センチはあったと思う。そのうえ、大変肉感的な身体つきだった。背筋をのばしてステップを踏むと、そのたびに両胸の膨らみが微かに私の胸に触れた。
 身体の底で何かがうずいた。幸せな時間だった。包み隠さず書くと、初めて異性に情欲を感じた瞬間だったかもしれない。

 私の中に一瞬の確かな感覚を残し、彼女は回りながら踊りの輪から去った。その後卒業するまで、別の意味で彼女は気になる存在だった。同じクラスの友人を通じて、名前や素性を確かめたりもした。彼女は英語研究会に所属していて、英語は堪能だという。だが、「ちょっとミーハーな所があるから、俺はあまり好きな性格じゃない」と友人は言ってのけた。
 その後、彼女が日航のスチュワーデス試験に合格したことを噂で聞いた。私の胸には、彼女のふたつの豊かな乳房の記憶がほろ苦くすりこまれた。その記憶は、それまで時に観念に走りがちだった私の女性観を、いい意味で方向転換させてくれた。そしてその後の私の人生を、確実に豊かにしてくれていると思う。




センセイの鞄/'03.11



 久し振りに小説を読んで泣いた。「センセイの鞄」がそれである。以下、小説の登場人物になぞらえ、作者の川上弘美さんを親しみをこめて、「ヒロミさん」と呼ぶことにする。
 ヒロミさんの本は結構読んでいる。デビュー作の「神様」は、パスカル文学賞というアサヒネットのパソコン通信フォーラム(会議室)から生まれた作品で、私がインターネットのプロバイダに迷わずアサヒネットを選んだのも、元はと言えばこの「神様」に感化され、「よし、俺もいっちょう応募してみるか」と意気込んだからである。
 現実には諸般の事情でパスカル文学賞は打ち切られ、私の野望が達成されることはなかった。だが、未練たらしくそのフォーラムにい続けたおかげで、一度だけヒロミさんが会議室に現れ、メッセージを残してくれたことがある。
 当時すでにヒロミさんは「蛇を踏む」で芥川賞をとっていて、まさに雲の上の人だったが、会議室のメンバーに気さくに声をかけてくれ、大変感激した覚えがある。

 それやこれやで、ヒロミさんの本は身近な存在だった。いい作品に巡り会うと妻はもちろん、娘や息子に「読んでおけよ」と押し付けがましくメールを送ったりもした。妻と読後の議論を交わすのも、ヒロミさんの本が多い。
 ヒロミさんの作りだす世界の説明は、とても難しい。とんでもなく難解な言葉や言い回しはないが、独特の「仕掛け」のようなものが随所にはり巡らされていて、そこがちょっと素人受けしにくいかもしれない。もともとが理科系の人なので、それが彼女の作る小説世界に大きく影響を与えている気がする。

 さて、冒頭に挙げた「センセイの鞄」、「何をいまさら」といわれそうなベストセラーだが、なぜか読んだのはごく最近である。読んでいない方のために内容をかいつまんで書くと、30代後半の独身女性と70代前後の独身男性(結婚歴あり)の恋愛小説である。美味しい肴をつまみながら、美味しくお酒を飲むシーンが随所にちりばめられた、とてもグルメな小説でもある。しかし、この恋愛小説(といっても、ずっとプラトニックなのだが)の奥はなかなか深く、多くの謎に満ちている。
 主人公の女性は「ツキコさん」で、相手の男性が主人公の高校時代の恩師である「センセイ」である。女性はヒロミさんの分身と考えていいと思う。まず最初に不思議に思うのが、主人公の二人がなぜ「カタカナ」なのか?という疑問である。小説の冒頭で、「センセイは『先生』でも『せんせい』でもダメで、『センセイ』でなくてはならない」と明解に書かれている。作者が意図的にこの二人をカタカナで表示していることがまず分かる。
 小説にはこの二人のほか、正体不明の居酒屋の主人とそのお兄さんにもそれぞれ「サトルさん」「トオルさん」とカタカナ表示を使っている。他にも登場人物はいるが、すべて漢字表示である。カタカナ表示の登場人物に、作者の意図した特有の符号があることが分かる。

 次になぜヒロインの名が「ツキコさん」なのか?という謎である。単なる名前だからなんだっていい、ということにはもちろんならない。全てとまでは言わないが、多くの小説の特に主人公の名には、ほとんど意味がある。たとえば「伊豆の踊子」のヒロインの名は「宏美」や「雅子」ではダメで、「薫」でなくてはならない。(と私は思う)
 僭越だが、私が小説を書くときにも、主人公の名にはある種のメッセージを託す。それではヒロミさんが主人公に託したものは何か?よく読むと、センセイ以外の登場人物は、ヒロインを「月子」と呼んでいることに気づく。 「ツキコさん」は空に浮かぶあのお月様と同じ名である。ここに大きなヒントが隠されている。

 センセイはいつも大きな鞄を大事に抱えていて、その中身はさすがのツキコさんにも分からない。ところが、物語の最後の最後でその鞄がツキコさんのものになる。今度はセンセイ(といっても、これまた作者の分身だが)がツキコさんにこの鞄を託したのだ。ツキコさんが恐る恐る開けた鞄の中に入っていたものはいったい何か?それこそがこの物語のテーマであると私は思う。
 主人公の名と同じく、小説のタイトルにも重要な意味が隠されていることが多い。したがってこの小説のタイトルは、やはり「センセイの鞄」でなくてはならない。

 この小説の奥に潜むこうした数々の「謎」について、妻とたまたま帰省中だった上の息子に問いかけてみた。カタカナで表示されている人たちのナゾ、ヒロインの名のナゾ、そして鞄の中身のナゾ、等々である。もちろん答えはどこにも書かれていない。小説家はある種の手品師であり、読者にさまざまな謎をなげかけてくる。そして手品師は手品の種を決して明かさないように、小説家もまたその謎を明かさない。この謎を見つけ、自分なりの答えを導き出すのが、私にとって小説を読む大きな愉しみのひとつなのだ。
 妻や息子はしばらく考えこんでいたが、いくつか与えたヒントにより、やがて私と同じ答えにたどりついた。「そうだったのか〜」と感心した息子は、同じ本を読んだという女友達に、さっそくメールを入れていた。すると、ほどなくしてその子からも同じ答えが返ってきたという。
 もしこの本を読まれた方で、ヒロミさんのしかけた謎にまだ気づいてなかった方は、もう一度読んでその謎をぜひ解きあかしてみて欲しい。しかし、この物語が優れているのは、そんなこ難しい理屈などこねまわさずとも、読み手に応じて充分面白く読ませ、感動させてくれるというところだ。やっぱりヒロミさんはただ者ではない。

 ところで、「小説を読んで泣いた」と冒頭に書いたが、「いったいこの小説のどこで泣けるの?」といぶかる方がいるかもしれない。しかし、私は泣けた。あとで読んだ妻も同じように感動し、同じように泣いたという。
「人生はかくも愉しくて、愛しくて、そして慈しむべきものなんだよ」というヒロミさんの暖かなメッセージがひしひしと胸に伝わってきて、深夜の机の前で私ははらはらと涙を流したのだ。


 
電子譜面台/'03.11



 ホームページの自己紹介でもちらりと触れているが、私の趣味のひとつに、フォークギターの弾き語りがある。カラオケもたまにはやるが、自分でギターを抱えて弾き語る愉しみには到底かなわない。
 始めたのは20才くらいの頃で、当時一世を風靡していた岡林信康や吉田拓郎の強い影響を受けた。全くの自己流だが、オリジナル曲もいくつかあって、そのうちの一曲を自分の結婚式で妻と二人で大胆にも披露した。このホームページのテーマソングにもなっているその曲である。
 楽譜は一切書かず、ラジオなどで聞き取った曲の歌詞をカードに書きとり、勘だけを頼りにギターのコードを自分でつける。オリジナルの場合も基本的には同じで、机の片隅には、こうしてコツコツ書き上げた数百枚の手描きの歌詞カードが、整然と並んでいる。

 数年間全く歌わなかったり、かと思えば集中的に歌い込んだり、小説を書くのと同じで非常に気紛れな趣味だが、最近になってまたまた歌の虫が騒ぎだし、大切にしまってあるギターを引っ張りだして歌いはじめた。
 歌詞カードの欠点は書き取るのに手間がかかることと、コードの修正が頻繁になると、汚くなってしまうことである。カード代も馬鹿にならないし、数百枚となると結構場所もとる。ところが、最近になってパソコンを使った画期的な歌詞カード整理法をあみ出した。
 仕事用に使っているパソコンソフトに改良を加え、歌詞とギターコード、そして作詞者、作曲者などのデータをすべて入力し、データベース化したのである。年度やジャンルのデータも入っているので、たとえば「井上陽水の曲を年代別に順に並べて表示」とか、「グループサウンズの曲を全部表示」とか、「タイトルに雨の入っている曲をすべて表示」などという芸当が、瞬時に可能になった。
 何よりも便利なのは、歌詞とコードが美しい文字でパソコンの画面一杯に表示されることで、場所はとらないし、修正も実に簡単である。いわば夢の電子譜面台を手に入れたのだ。
 目下手持ちの歌詞カードを順に入力しつつ、インターネットに眠っているさまざまな歌手の歌詞データをダウンロードし、新しい情報も着々追加中である。

 歌のジャンルはフォークから始まって、「石狩挽歌」などの演歌、「花の首飾り」などのグループサウンズ、「コンドルは飛んでゆく」などの洋楽まで、実に広範囲で雑多である。選ぶ基準は特にないが、強いて挙げるなら、「琴線にピンと響くこと」ということになろうか。
 歌詞カードを歌手別に分類してみると、多い順に「及川恒平」「井上陽水」「かぐや姫」といった順になる。若い頃と違い、いくらメロディが良くとも、歌詞に強い文学世界がないと最近では歌う気があまりしなくなった。
 堂々一位にランクされた及川恒平は、小室等がリーダーをつとめていたグループ、「六文銭」の元メンバーで、私と同じ世代の歌手である。若い頃からずっと好きな歌い手で、70年代に出したソロアルバムはすべて大切に持っている。最近になって「まるで六文銭のように」というグループ名で復活し、活動を再開した。しかし私が好きなのはあくまでソロとしての及川恒平である。
 及川恒平の造り出す世界を一言で言うなら、「万物に対する愛に溢れてる」ということに尽きる。これまでも、そしてこれからも、そんな歌い手には彼以外にお目にかかれそうにない。これが及川恒平をずっと愛し、歌い続けている所以で、「電子譜面台」の完成を機に、古いレコードを引っぱりだし、ほぼすべての曲にコードをつけ、入力し終えた。

 私の生涯の趣味になるであろうフォークギターの弾き語りには、ひとつの夢がある。それは仕事部屋の一隅に簡単なステージをこしらえ、同じ趣味を持つ同士が好きな曲を互いに発表しあうささやかなコンサートを、定期的に開催することである。
 実現すればぜひとも及川恒平の曲でミニプログラムを作って歌ってみたいが、あいにく私以外にメンバーがいまのところいない。どなたか本気で参加してくださる方がいたら、ぜひともご連絡いただきたい。




着地点/'04.2



 話が少し古くなるが、昨年暮れの紅白歌合戦の男女の曲目の差に、私は大変興味をひかれた。女性軍は愛も変わらず愛だ恋だ、ハレたホレたの内容が大半で、前年の中島みゆきのように、ふかん的視野で事象をとらえた歌は皆無といってよかった。
 たとえば松浦亜弥の「ね〜ぇ?」である。このエッセイでも過去に触れたことがあるように、私は個人的には松浦亜弥とか藤本美貴とかモー娘等のたぐいは決して嫌いではない。それどころか、毎週の「ハローモーニング」というモー娘一味の登場するバラエティ番組は欠かさず見る、いわば「隠れモー娘ファン」でもあるのだ。
 だが、「ね〜ぇ?」はいけない。歌詞がいかにも古すぎる。

〜あなたはキュートな娘が好きなの?それともセクシーな娘が好きなの?〜あなたの好みに、私はすべて合わせるわよ〜

 噛み砕くとそんな内容の歌詞で、そこにはただ男に迎合し、かしづく古いタイプの女の姿しか見えず、自立した新しい女性の姿のかけらも見当たらない。大昔、(たぶん40年近く前)ある売れっ子の女性歌手が、「あなた好みの女になりたい〜」と歌い、一世を風靡したが、どうやら半世紀近くを経ても、女の意識には少しも進歩がないらしい。
 もちろん、これは女ばかりの責任ではない。女性歌手の歌う歌の多くは男性が作ったものであり、その内容は世間の多くの男が望む理想の女性像を、そのまま反映させたものと言っていい。いわばこうした歌の傾向は、男女相互が望んでいる形と言い換えてもよく、どんなに時代が進んだように見えても、少なくとも日本人の大多数が意識下に抱いている男女の役割分担には、ほとんど進歩がないのだと、ある種の無力感さえ覚えてしまう。

 だが、悲観する材料ばかりではない。男性軍の歌にはいくつか新しい傾向を見た。友の旅立ちをうたった森山直太朗の「さくら(独唱)」、敗者への励ましソングともいうべきスマップの「世界にひとつだけの花」、カバーだが、視点の広がりを感じさせた平井堅の「見上げてごらん夜の星を」等々、見るべきものはいくつかあって、その意味で歌合戦の結果が圧倒的な男性軍勝利に終ったのは、納得出来る。
 なかでも私が最も感動し、テレビの前で思わず涙を流したのは、長渕剛の「しあわせになろうよ」である。
 若き頃よりフォークソングに狂い、いまだにギターで独り弾き語りに勤しんでいるが、長渕剛の曲は歌詞カードの中に一曲もない。たまに行くカラオケでも、長渕を歌ったことはたぶん「順子」が一度きりで、多くは井上陽水かかぐや姫のたぐいである。そんな私がなぜ初めてフルコーラスで聞いた長渕の歌で泣いたのか?それはおそらく同世代の男がたどり着いたひとつの場所に、大いなる共感を抱いたからなのだと思う。
 長渕は私よりも7才年下だが、すでに中年と呼んでいい世代である。「とんぼ」の歌詞に見られるように、夢を求め、野心を抱き、地方都市から大都会に移り住んだ姿は、30年前の自分の姿とどこか重なる。夢をかなえ、そして傷つき、恋を成就させ、そしてまた破れ、漂い続けてたどり着いた地点が、おそらくこの「しあわせになろうよ」に歌われた場所なのだ。

「出会った頃の二人にもう一度戻ろう、そしてしあわせになろう」と彼は切々と語りかける。いい場所に着地したんだな、と思う。長渕の心情が痛いほど分かった。きっと私もあちこち漂ったあげく、彼と同じような場所にたどり着いたのだ。




チータの母/'04.2



 このところ明け方まで仕事を続けることが多くなり、深夜に2階の仕事部屋から誰もいない居間に降りて、テレビを独り見ながら夜食をとることが多くなった。この時間、衛星放送を含めて4つあるNHKのチャンネルのどこかで、たいては自然や動物を題材にしたドキュメント番組をやっている。
 動物学を専門に学んだことはないが、専門外のジャンルとしては宇宙学や文化人類学と並んで、非常に興味のある分野である。だからたいていはこの種の番組にチャンネルを合わせることになる。

 動物の生態が面白いのは、文化をもたない彼等の生き方、暮し方に、本来動物である人間の忘れつつある大切な原点を数多く見ることがあるからで、「住宅設計」という生き方、暮し方をデザインする仕事を生業としている私にとって、本やインターネットには決して載っていない、貴重な知識と情報が得られるからである。

 たとえばペンギンのある種族は、厳寒の中でオスメスが交代で平等に卵を暖めてかえし、交代でエサをとってきて子に与えて大人に育てあげる。いわば、生活と育児の男女完全平等分担制である。
 たとえばライオンの群れに成熟したオスは一頭しかいないという。他は数頭のメスとその子供たち。オスの子が成長して交尾可能な年令になると、父親であるオスはその我が子を激しく攻撃し、群れから追い立てる。群れの中のメスと交尾し、血が混ざりあってしまうのを避けるためか、あるいは独立して別の群れの主となることを要求しているのか。
 追い立てられた子は、自立の道を選ばざるをえず、ここでは「交尾可能年令」が、大人としての自立のはっきりとした基準になっている。
 たとえば極楽鳥のある種は、オスがこれと決めたメスの前で美しい羽根を広げ、求愛のダンスを激しく踊る。メスの姿態はオスと違ってあまり目立たないが、そのオスの求愛をじっくりと観察し、自分の子孫を残すべき相手に相応しいか、慎重に見極める。
 オスの求愛はしばしば報いられず、受け入れてくれる相手が見つかるまで、オスはひたすらさまよい続ける。結婚の決定権はあくまでメスが握っており、しかもメスは一度で簡単にオスを選んだりはしない。

 これらの雑多な生き物の生態を、深夜のテーブルでカップラーメンやお茶漬けをすすりつつ、ふむふむとしたり顔でうなづきながら眺める。
 こうしたなか、最近世界で初めてとらえたという珍しいチータの生態を、とりわけ興味深く見た。

 チータは母系家族である。オスは繁殖期だけメスの前に現れ、さっさと用だけ済ますと、ふっとまたどこかに消えてしまう。エサは自分の生きる分だけしか探さない。
 これに比べてメスは勤勉だ。自分の分はもちろん、3〜4匹生まれる子供の分のエサ(肉食なので、当然他の弱い草食動物)も捕らなくてはならない。だからチータのメスはオスよりも、はるかに狩りが上手なのである。
 年を重ねて経験豊かなメスはエサに不自由しないが、初めて子供を生んだ若いメスの場合、狩りに不慣れなために、しばしば子供を飢えさせ、子供はもちろん自分までも飢え死にしてしまう例は少なくないらしい。
 ある番組で、そんな若いチータの母親の生態が映し出された。何日も食べていないために、子供たちは腹をすかせて鼻を鳴らし、母親も空腹に耐えながら何度も狩りを試みるが、一向に成功しない。アフリカの強い日射しが照りつけ、弱った体力をさらに奪ってゆく。
 時だけが流れ、母子の餓死はもはや時間の問題かと思われたまさにそのとき、一頭のメスチータが疾風のように母子の前に現れ、若いチータが手こずっていたシカ(の一種)を、あっさりと捕らえてしまう。

(獲物の横取りか?)

 カメラを回していた取材陣は、一瞬そう思ったという。ところが、そのチータは捕った獲物を一切口にせず、弱り切った若いチータ母子の前に残し、いたわるように何度も振り向きつつ、ジャングルの奥に消えたのだ。
 どうやらそのベテランチータは、若いチータの母親(子供たちにとっては、おばあちゃんチータ)だったらしい。我が娘と孫チータが命の危機に瀕している危険信号を遠くで察知し、(おそらく動物独特のテレパシーのようなものだろう)助けに現れたのではないか?とナレーターは語っていた。
 世界で初というその映像が語るものは重い。親による実の子供への虐待やら殺りく、反対に溺愛と過保護のおぞましい世相は悪化の一途をたどつつある。どうやら人類は文明という便利さと引き換えに、情緒面ではチータ以下に成り下がってしまったようだ。