"雨のち晴れ" /2009.6.6



 月例化を目指す自宅ライブ、"音の庭*歌の森" の第1回が無事終了。声をかけたのは、毎年秋に自宅でやっている「夕映えコンサート」の常連だけだったが、やや遠方に住む学生時代の友人夫婦とは、あまりに話が急だったせいか連絡がとれず、聴き手は妻とその友人3名であった。

 このライブのコンセプトは、「歌を介したオトナの遊び場作り」といったもので、営利は一切目的としない代わりに、「完全禁煙」「ライブ中はアルコール厳禁」「飲物食べ物は各自持ち寄り」など、参加者にとっては厳しいオキテがある。
 いわば音楽を仲立ちとした共同体、「音楽コミューン」のようなもので、この構想は4年くらい前から実はあり、当時の詳細なメモがいまだに保存してある。
 試行錯誤を重ねてきたが、家族の理解も得て、めでたく実施の運びとなった。「ある日突然」のようでいて、実は周到に準備された道筋なのである。とはいえ、初回なので、いろいろと手探りの部分もあった。

・ライブ開始が午後3時。(明るいライブは難しい)
・休憩なしの1時間限定。(体力が持つか?)

 そのほか、「最後まで椅子に座って歌う」「大幅に改良したPAでやる」という不確定要素もあった。PAに関しては聴き手が旧知の仲なので、途中でボリュームやリバーブの数値をあれこれ確かめ、修正しながら進めた。

 この日のセットリストは以下の通りで、準備時間が短かった割には、過去の使いまわしでは決してなく、テーマも流れもちゃんとあって、我ながらまとまっている。準備が長ければよいというものでもなく、そこがライブの難しさ面白さなのだ。


「六月の空」(オリジナル)
「あめのことば」
「黄昏のビギン」
「こころの虹」
 〜歌謡劇 "雨のち晴れ"
「雨が空から降れば」
「こわれました」
「もしも明日が晴れなら」
 〜ノーマルに戻る
「野の花や」(オリジナル/作詞:なんかい)
「女ひとり」
「誰も知らない夜」(オリジナル)
「星の世界」
「桃色吐息」
「引き潮」
 〜アンコール
「惑 星」


 合計14曲を一気に歌った。ジャンルはフォーク、オリジナル、歌謡曲、唱歌と多岐に渡っていて、まさに「歌の森」。オリジナルは意識的に少なめにした。結果として初披露の曲が6曲。初回としてはまずまずで、「常に新しいものを目指す」という日頃の生き方にも沿っている。
 開始は3時ちょうどで、終了が4時5分。アンコールで約5分延びたが、予定時間ピッタリにおさめた。


 歌い終えたあとの自身の手応えは、非常によかった。短い時間のなかでも周到に準備を重ねたので、目立つようなミスはゼロ。喉の調子もうまくピークにもってきて、その気になればもっと歌えた。しかし、「今後も定期的にやる」という目標もあり、余力は次回への楽しみとして残しておいた。

 妻の評価も「最初の頃より、歌や場のさばきが随分上手くなったわね」と、おおむね良好。ラスト「引き潮」の終盤では気持ちが入ったせいか、涙があふれそうになった。妻も泣いているのが気配で分かる。しかし、歌い手である僕は、際どくこらえた。
 ラストひとつ前、初披露の「桃色吐息」はNAOさんに非常に評判が良く、「男の人では初めて聴いたが、独特の味がある」と感激してもらった。この歌は激しいストロークで弾くので、消耗が激しい。ラスト近くにもってきた大きな理由だが、今後も歌い続ける曲になる可能性が高い。

 前半のテーマは、このところの愚図ついた空模様を反映させ、ズバリ「雨」である。全体の半分は雨に関連する曲だ。
 中盤に入れた歌謡劇「雨のち晴れ」は、自作のシナリオを関連曲でつなぐ構成で、4年前に作ってお蔵入りしていた作品。この種の歌謡劇は37年前に初めて試みた。雨に関連する構成なので、ライブ前夜に不意に思いつき、急きょプログラムに加えた。これだけでおよそ15分を費やしている。
 当初は非常に受けた手法だったが、妻の評価は、「単体でなら面白いが、1時間のライブの中だと、やや冗漫になる」という辛いもの。新しいことを試みるには絶好の場と意気込んだはずが、終了後の茶話会でも特に話題にならず、手応えとしては拍子抜けだった。


 しかし、翌日になってNAOさんがわざわざ再訪問し、この歌謡劇に関する感想と提案を話してくれた。

「あまりに新し過ぎて、考えがよくまとまらなかった」
 一晩寝て言いたいことがようやくまとまったので、伝えに来た。そういうことらしい。

 この歌謡劇はシナリオを語るバックに、それにふさわしいBGMをギターアルペジオで軽く入れ、時には効果音にも使う。一例をあげると、「おや、なんだろう?」という台詞には、マイナー系であるE7のコードを小さくトレモロで入れ、心理描写をする、といった感じだ。
 実際のドラマや映画では、この種のことは全て分業化されたプロが個別にやり、それを演出者が統括する。それをシナリオ作成も含め、すべてライブの中で一人でやろうという試みだ。

「歌はカバー曲でなく、いっそすべて書き下ろしのオリジナル曲にしてはいかがですか。全体の完成度が増すと思いますが」
 NAOさんから、そんな新提案もいただいた。以前なら無理だが、いまならやれそうな感じもする。ドラマでも芝居でもなく、ミュージカルに近い弾き語り創作劇、そんな新しいジャンルだ。構想がふくらむ。

 いつもの場、いつもの聴き手、いつもの歌い手で、休憩なしで1時間歌い続ける難しさも知ったが、新しい自分の可能性もまた確かに予感した。楽曲のバリエーションや構成を変えつつ、どこまでやれるか、いよいよこれからが勝負である。




"萌える命〜永遠の命" /2009.7.25



 月例化を目指す自宅ライブ、"音の庭*歌の森" の第2回を敢行。「敢行」とあえて書いたのは、前回やってからわずか1ヶ月半しか経ってなく、しかも降って湧いたような猛烈な仕事の忙しさに見舞われ、徹夜続きの瀕死の状況の中でやったからで、これは単なる「実行」ではなく、イノチガケ度のより高い「敢行」という言葉が相応しい。
 最悪の条件下でも、毎日の練習は欠かさずやっていたので、喉はまずまずの状態をキープしていた。やはり練習は裏切らないものである。

 今回の参加者は、歌い手を含めて8名。不動の常連メンバーに加え、前回参加出来なかった学生時代の友人夫婦のほか、初参加の音楽仲間ご夫妻もいて、静かな広がりと手応えを感じたひとときであった。
 この日のセットリストは以下の通りで、5月あたりからあちこちでやっている一連のライブとの重複は全くない。意識して重複曲を避けたわけではないが、構成を練りに練り、ライブ毎に何か新しいものをと模索するうち、自然にこうなった。


〜第1部 "萌える命"
「展 開」(オリジナル)
「思い出のグリーングラス」
「カントリー・ロード」
「昭和46年7月…」(オリジナル)
「宵待草」
「八月の宵」(オリジナル)
 〜歌謡劇 "16歳の夏"(全てオリジナル)
「オニギリ」「蒼い星に抱かれて」「スイカ」「岬への道」

〜第2部 "永遠の命"
「涙そうそう」
「いつか見た青い空」(作詞/作曲:いちろう)
「まあるい命」
「いのちかえす日」
「永遠の木」(オリジナル)
「あしたの君へ」

〜Extra stage/TOMunit
「Come to my bedside」
「僕の胸でおやすみ」
「夏・二人で」



 この日のテーマは「命」で、それに「夏」という季節感を加味しつつ、全体を構成した。
 前半は若い主人公の歌で統一し、サブテーマを "萌える命"とした。20代前半に作った初披露のオリジナルを連発したが、何といっても目玉は、歌謡劇 "16歳の夏"である。

 初回にやって好評だった歌謡劇だったが、この日は「若い」「夏」という切り口から、16歳の夏に親の反対を押し切ってやった、家出同然の単独自転車放浪旅行をテーマにした。
 前回はシナリオ以外はすべてカバー曲で構成したが、今回はシナリオとそれに沿った曲作りをすべてオリジナルでやり、しかもその二つを同時進行で創ってゆくという、珍しい手法をとった。
 およそ15分に渡る長い作品だが、シナリオと楽譜をA3見開き1枚に収め、カポも2で全曲統一し、空白時間をほぼゼロにして進行させるよう工夫した。

 この日の開始時間は早めの2時50分だったが、すべての窓に手製を含めたブラインドを降ろして暗がりをあえて作り、ステージだけに光をあてた。そのせいか、特に歌謡劇の進行中は聴き手のピリピリと刺すような意識の集中を感じた。このやり方は成功だった。

 後半の目玉曲は、ネットを介した音楽仲間である長崎在住のいちろうさん作のオリジナル、「いつか見た青い空」である。実はこの日のテーマにした「命」は、この曲を歌おうと決めてから思いついたもので、その意味ではこの日のライブの「核」ともなる、重要な曲である。
 奥様の入院と手術を夫の目線で描いた作品だが、切なくて泣ける。しかし、歌い手が情に流されて泣いていては始まらないので、何度も歌い込んで気持ちを馴染ませ、重いテーマをあえてストローク調で歌うなど、自分なりの工夫をこらした。
 それでも自信がなく、リスクを避けてライブの中程で歌ったが、何とかうまく場に収まってくれた。

 他のアマチュアの方が作った歌を人前で歌うのは初めての試みだったが、プロのカバー曲よりも、はるかに難しい。プロの作る歌は大半が「他人に広く聴いてもらい、歌ってもらう」という前提のもとに作られているが、アマチュアの場合は僕も含めて、あくまでも「自分だけのために」作って歌うからだ。その強い個の世界に入り込み、時には格闘する覚悟が必要で、これは生半可な気持ちではやれない。
 しかし、難しいことほどやりがいもあり、自分を高めてくれる。よい経験をした。


 この日の目玉は数多くあり、最後がアンコールの位置づけでもある音楽仲間の西やんとのセッションである。彼はボーカルはやらず、もっぱらリードギター専門で、1月にやった自主企画ライブ「かぐやな宵」でも2曲をセッションした。たまたまメールをもらい、近況を報告しあううち、偶然そんな話になった。
 やれる曲をあれこれ話すうち、3曲とも愛の曲になった。前後半が「命」という、切羽詰まった重いテーマを貫いたので、ラストを明るく締めくくるには、最適の選曲とアクセントに結果としてなった。

 本編は予定通り、ぴったり1時間に収めた。多くの曲を歌いながらうまく収まったのは、途中3セットのメドレーを入れたからで、これは常連のNAOさんの発案である。
 聴き手の立場として、曲毎に拍手とMCで感情の流れが途切れるより、ある程度浸る時間が欲しい。そのためには、プロのライブでもしばしば見られる、メドレーを取り入れてはどうか?との、ありがたい提案である。
 過去にメドレーは一度もやってなかったが、いろいろトライ出来るのが自宅ライブの強み。時間を短縮するにも確かに有効な手段かと思い、テーマが関連する曲を中心に、まずは2曲のメドレーにチャレンジした。

「故郷」に関連した「思い出のグリーングラス」と「カントリー・ロード」、「夕方咲く花」に関連した「宵待草」「八月の宵」、「タイトルに命を含む曲」で、「まあるい命」「いのちかえす日」、といったセットだったが、妻やNAOさんにも好評だった。次回以降もやってみる価値は充分にある。

 テーマがテーマだけに、聴き手の目には光るものが目立った。会場を暗くし、見通しの悪い座って歌う姿勢でも、それは瞬時に分かる。歌い手の本能のようなものか。

 ライブ中は聴き手の反応を見つつ、ある種の駆け引きをしながら歌うのが最善とこれまで思ってきたが、最近は場によっては、あえて聴き手の反応を気にせず歌うようにしている。
 今年になって介護施設以外では、すべて座って歌うスタイルを変えたのも、主にその理由から。つまり、「聴き手に泣かれると、自分も崩れる」というのが怖いのだ。座って歌っていると、その気配を察知するとすぐに顔を下げ、視界から消すことが可能である。だから、しばらくはこのスタイルを続けるつもりでいる。


 終了後の茶話会でも、一部の方から「過去最高の出来」との声もあり、妻の評価も「声がよく出ていた。無用なMCもなく、コンパクトにまとまっていた」と好意的だった。
 お礼にライブ音源をCD化して送った長崎のいちろうさんからも、「長丁場を、冗漫にならず、きちんとまとめている」と、評価していただいた。長いキャリアと実績を持つ方の言葉だけに大変ありがたく、うれしかった。

 反省点は、全体として場がシンミリし過ぎたことか。本編のラストで、手拍子の出やすい「あしたの君へ」を持ってきたが、1〜2番まで進んでも場は静まったまま。間奏で「拍手してもいいですよ」と声をかけたが、直後に歌詞を一瞬飛ばすというミスを犯した。
 大きなキズではなかったが、あまり無理はせず、流れに沿った静かな幕引きにすべきだったかもしれない。難しい。

 これまたたいした問題ではないが、いつも締めるバンダナをすっかり忘れてしまい、1曲目終了後に気づいて締めるという失態。茶話会の準備やリハも含め、あれこれやることが多いと、何かがこぼれてしまう。
 幸い、モニターも含め、PAはほぼ完璧だった。西やんとのセッションでもハウリングは皆無で、音のバランスもぴったり。すべて100%は至難の業だが、まずは及第点と評価していいだろう。

 茶話会は午後7時30分まで延々と続いた。新旧のメンバーが入り交じり、楽しい時間を過ごした。いつものことだが、場や曲と同じく、手作りの美味しい料理やお菓子が、テーブルの上には所狭しと並んだ。
 この"音の庭*歌の森" と称した自宅ライブのゆくえ、今後どうなるか歌い手にも分かっていない。ライブ中には、「ひとまず季節毎に年4回くらいは…」などと目標値を話してみたが、しばらくは来るべき秋の「還暦コンサート」に集中し、それ以降にまたゆっくり考えるとしよう。あせらず、急がず。