OPEN..LIVE..ROOM


2009秋・還暦コンサート
  "ガラスの時間"
/2009.10.3



 ふとしたことから、自らの還暦を記念したコンサートをやることになった。場所は世界に知られる彫刻家、イサム・ノグチの遺作であるモエレ沼公園の中核施設、ガラスのピラミッド。
 個人レベルのイベント舞台としては、あまりに大きい。いや、大き過ぎる。当初は自宅で地味にやる予定が、どういうわけかそんな流れになった。
 自宅からモエレ沼公園までは、車で10分足らず。妻と共に四季折々に訪れていて、大好きなスポットである。ただそこにいるだけで、同じクリエイターとしての感性をそそられる。

 ここで生まれたオリジナル曲も多数あり、ここを舞台に仕掛けた青空ライブも数回にのぼる。屋外で歌ったことは何度もあるが、屋内空間で歌うには事前の許可が必要で、お金もかかる。ガラスのピラミッドという外と内とが一体となった小宇宙空間を訪れるたび、(このガラスに囲まれた空間で、いつかず歌ってみたい…)という思いが募った。

 現実問題として、個人レベルでのコンサートが可能なのかどうか、数年前から調べた。細かい制限はあるが、基本的には問題ない。扉は開け放たれていた。あとは実施にむけての企画である。時期、機材、費用、集客、構成、それらを具体的に煮詰める必要があった。

 いろいろな条件を詰めてゆくと、夫婦の還暦イベントの一環としてやるのが安全確実である、という結論に達した。当初はグループ開催という案もあったが、諸事情で流れた。
 偶然だが、僕たち夫婦は生年月日がほぼ同じ。2009年10月に同時に還暦を迎える。6月あたりからコンサートのコンセプトを「還暦」一本に絞り、10月上旬実施にむけて、少しずつ準備をすすめた。

 今回のコンサートの基本構想は1年くらい前からすでにあり、もしやる場合は末の息子と共に歌うつもりでいた。

 息子とは5年前から「tiny-ZOO」という名のユニットを組んでいて、過去に6〜7回のステージを経験している。音楽に対する感覚は悪くなく、親子なので声がよく似ている。サイドボーカルとしてはうってつけだった。
 何より、「家族で両親の還暦を祝う」というコンセプトにぴたり一致する。イベント構成要員として、これ以上の条件はなかった。

 実施日は暑くも寒くもない10月3日の土曜日。開場は18時、開始時間は18時30分、修了は20時30分と決めた。床以外のすべてがガラスに囲まれた会場の希有な環境から考え、時間は夕方から夜がベストである。
 当然ながら入場料はナシで、出入りも自由。あくまで内輪のコンサートではあるが、歌い手聴き手ともに年代を越えた、「開かれた場」にしたかった。
 申込みが早かったので直前まで知らなかったが、この日はたまたま中秋の名月である。曲の構成には「夜」や「月」を当初からイメージしてはいたが、もし当日晴れてくれたら、ステージから満天の星と満月がのぞめる最高の舞台が整うはずだった。

 息子と歌える曲目は限られていたので、レパートリーを増やすべく、夏期休暇を利用して「合宿」と称する練習をやった。息子は札幌から遠く離れた函館に住んでいて、そう頻繁に会うことはできない。およその選曲が決まった段階で、早めに音源と楽譜をネット送信し、まずは個別での練習に磨きをかけた。
 コンサート直前の9月末の連休にも再度来てもらい、最後の特訓を重ねる。レパートリーは20数曲に増えたが、厳しい取捨選択のすえ、最終的には18曲に絞り込んだ。

 コンサート・タイトルはかなり早い時期から「ガラスの時間」と決めた。施設名称の一部であると同時に、「開かれたガラス張りの場」という期待もこめた。場の持つ空気感を余すことなく表すのに、これ以上の言葉はない。
 サブタイトルとして「夕映えフォークコンサート」をつけ加える。本来は年に一度の自宅コンサートで使っている定番タイトルだが、内容からしてこの企画が自宅コンサートの延長線上にあるのは明らかだった。

 曲目は早い段階で絞り込んでいた。「モエレ沼」「還暦」「結婚35年」「家族」、そんなキーワードを並べてみると、歌うべき曲は自然に決まっていった。
 2時間という長丁場なので聴き手が飽きないよう、全体を2部構成にした。休憩なしで一気に走れる限界は僕の場合、1時間である。第1部をソロで30分、休憩をはさんで第2部を息子とのユニットで1時間15分とし、全曲目を構成した。
 第1部は自身による「セルフ・オープニングアクト」のような位置づけで、音響を含めた場の気分をまずつかむ意図があった。場の気分を変えるため、第1部は立って歌い、第2部は息子と共に椅子に座って歌うことにした。

 会場のキャパが大きく、詰めれば200名は入れるという。しかし、あくまで内輪のイベントなので、無闇に集客する気はなかった。それでも僕の歌や僕たち夫婦の生き方を理解してくれそうな友人、知人には、ぜひともコンサートを見届けて欲しかった。家族も含め、早めの8月中旬には20数枚の案内状を全国に送った。
 9月あたりからポツポツと反応があり、思っていたよりも多くの方々が聴きにきてくれそうな感じだった。当初は、(だいたい10〜20名の範囲か?)と思っていたが、下旬あたりに集計してみると、30名を越す気配。本気で聴いてくれる人が一人いればライブは成立するが、やはりたくさんの方がいると、張り合いも違ってくるというもの。

 歌の練習と併行し、コンサートに伴う宿泊や宴会などの準備にも奔走した。不況で仕事が暇なのが幸いといえば幸い。そういう星の巡り合わせなのであろう。
 普段はつましい暮しの僕たち夫婦にしては、かなりの出費をしたが、ここぞという時に使うべきなのがお金。「60年に一度」のイベント、つまりは「一生に一度」のイベントである。何より、人生は生きているうちにこそ楽しむべきではないか。

 コンサート前日から、家族、東京の友人などがじょじょに集結。あいにく週末には雨の予報が出ていて、前夜はドシャ降り。(月は無理か…)と思っていたら、当日の夕方になって空はウソのように晴れ上がった。
 自宅で入念にリハを繰り返したあと、機材一式を車に積み込んで17:30に出発。会場となるモエレ沼公園の真上には、中秋の満月がまるで我らの前途を祝福するように、ぽっかりと浮かんでいる。
 17:40にガラスのピラミッドに到着。受付を済ませ、設営は会場を借りている18:00からだろうと思っていたら、前の時間帯が空いていたので、早めにやってよいという。ありがたく17:45から設営開始。

 会場となるアトリウム2には、壁際の間接照明と、足元の25個のフットライトしかない。手元がやや暗く、音響ケーブル類の接続に支障がある。そこでまずは照明スタンドを組立てた。
 初めて使う手製のスタンドだったが、自宅でのテスト通り、うまく収まった。その後下調査通りにトントンと作業をすすめ、およそ15分で全機材のセットを終えた。

 18:00からマイクテストを開始。予想通り残響時間が異様に長く、リバーブなどの音響効果は一切使わないことを即断。早めに会場にやって来た音楽に詳しいWさんに客席に座ってもらい、マイク毎に各種数値やスピーカーの位置などを微調整する。
 そうするうち、続々とお客様がやってきた。数年ぶりに会う方や、初めて聴きにくる方などもいて、マイクテストをしながら挨拶を繰り返す。

 残響時間の長い問題は解決不可能なので、これを逆に活かすべく、メインボリュームを自宅よりも2割ほど落とすことにする。モニタスピーカーの方向は天井ではなく、歌い手正面に向きを変え、ハウリング防止のため、音量をかなり絞る。4曲ほど歌って、およそのOKが出た。

 マイクテストでは楽譜なしでいつでも歌え、なおかつ本番の構成からは外れた「どうしてこんなに悲しいんだろう」「雨が空から降れば」「面影橋から」を歌った。
 実は「雨が空から降れば」を歌っているとき、背中をゾクゾクするような感覚が走った。うまく表現できないが、自分の声が会場の隅々にまで響き渡るようなイメージで、(これはいける…)という確かな予感である。それまで漠然と胸中にあった不安が、これで一気に払拭された。

 息子とのマイクテストで「コスモス街道」を歌い、第2部でゲストとして一緒に歌う予定のNAOさんとの細かい打合せも終わり、ヤレヤレと時計を見ると、開演間近の18:27あたり。会場の階段席には、すでに多くの方々が座っている。
 しばしの間を置いて、予定通り18:30からライブは始まった。前半第1部のセットリストは以下の通り。


「さくら」(直太朗)
「愛しき日々」(オリジナル歌詞)
「しあわせになろうよ」
「秋の日に…」(オリジナル)
「森の記憶」(オリジナル)
「夕凪わるつ」(オリジナル歌詞)


 第1部はオリジナル曲中心だが、立って歌ったのでモニタの位置が遠く、しかも角度が足元に向いているので、声のコントロールが難しい。「一人前座」のようなステージなので、音響効果を含めた場の空気をつかむことに専念した。
 喉の調子はよく、ほぼ100%。調整がうまくいった。力を入れすぎないよう、ていねいにキモチを声に乗せるよう心がける。

 ステージ正面になじみのグループホームの方々が座っていて、顔を見ると非常に気持ちが落ち着いた。(いっちょうやってやろう…)という無用な気負いがとれ、ふっと肩の力が抜けた。おかげでその後の2時間、「聴き手の心に寄り添うように」という、自分の歌の原点に立ち返ることができたように思う。

 大事な1曲目は、かなり以前から「さくら」と決めていた。なぜならこの歌こそ、4年半前の春にモエレ沼公園の路上で初めて歌った曲だからで、不安に押しつぶされそうになりつつも、歌い終えると横で聴いてくれていたらしい3人の女性から、盛大な拍手をもらった記念すべき曲なのだ。
「愛しき日々」はブログのタイトルの一部にもなっていて、しかも初めてモエレ沼公園で生まれたオリジナル曲。「しあわせになろうよ」は、結婚30年目の真珠婚の日に、なじみのフォーク居酒屋で妻の前で歌った曲。くしくもその際、見届けてくれたマスターとママさんが、忙しいなか聴きにきてくれた。

「秋の日に…」は、妻を初めて「君」という形で歌った曲で、「森の記憶」は家族の思い出を軸に、輪廻転生をテーマに作ったオリジナル。「夕凪わるつ」は中年夫婦の新たなる人生の旅立ちをテーマにした曲である。
 いずれも還暦にふさわしい選曲で、しかも歌い慣れたリスクの少ない選曲だった。

 18:55に第1部終了。マイクテストにつきあってくれたWさんが近づいてきて、音響に関するアドバイスをいただく。ギターの音はよいが、ボーカルの明瞭感がいまひとつらしい。モニタースピーカーが遠いせいかもしれない。第2部は座って歌い、モニターの位置も足元なので、そこを意識して歌うことにする。
 しばしの休憩をおき、19:00から息子とのユニット「tiny-ZOO」で第2部開始。後半のセットリストは以下の通り。


「誰も知らない夜」(オリジナル)
「恋のバカンス」
 〜"故郷"をテーマに2曲
「里山景色」(オリジナル)
「カントリー・ロード」
「街染まる」(オリジナル)
 〜"孤独"をテーマに2曲
「真夜中のギター」
「独り」(オリジナル・作詞&朗読:まりりん)
 〜"浜辺と月"をテーマに唱歌を2曲(ここから「施設訪問ライブ系」を4曲)
「浜辺の歌」
「浜千鳥」
「あなたにメロディ」(オリジナル・TOM&NAO)(ボーカル:NAO)
「千の風になって」
 〜ファミリー紹介(ここから"愛の歌"を6曲連続で)
「結婚したんです」(オリジナル)
「追いこして追いかけて」(オリジナル)
「桃色吐息」
「恋は桃色」
「僕の胸でおやすみ」
「ありがとうdear」(オリジナル)
 〜アンコール
「惑 星」(ソロ)
「道は空へ」(オリジナル・作詞:NON)


 第2部は17曲を休憩なしで歌ったが、聴き手が飽きないよう、構成にさまざまな工夫をこらした。随所に小さなテーマを設け、中盤には曲作りに関わった女性ゲスト2人を迎えた。
 さらには「施設訪問コーナー」で唱歌系の歌を4曲歌ってメリハリをつける。僕の音楽ヒストリーを語るうえで、施設訪問ライブは欠かせない。会場には長いおつきあいのあるグループホームから、入居者も含めた7名もの方が聴きにきてくれていたので、この試みは成功だったと思う。

 エンジンのかかりが遅く、歌い進むうちに調子が良くなるのがいつもの悪いクセだが、この日に限っては、1曲目からフルパワー全開といった感じだった。その理由はよく分かっていない。場の持つ独特の空気感のせいで、気分が高揚していたからかもしれない。




 日本各地から家族が全員集合したので、終盤には「ファミリー紹介」のコーナーを設け、35年前に結婚式で妻と二人で歌ったオリジナル曲、「結婚したんです」を家族紹介を交えつつ歌う。ここでコンサートは最高潮に達した。
 結婚式では妻を無理に説得して二人で歌ったが、この日はさすがに拒否された。しかし、幸いに35年後のいま、3人の子供たちと新しい家族がいる。これが月日の流れというものだ。二人の息子にサブボーカルを頼み、無事に歌い終えた。

 コンサート後の感想でも、このシーンで感動したという声が多かった。口幅ったいが、今回のコンサートのねらいは、単に還暦を自ら祝って歌うだけでなく、「夫婦」「家族」「友人」「人生」そんなささやかな人間の営みと絆、そして時の流れを聴き手に感じ取ってもらうことだった。
 その試みと思いは、会場に居合わせた人々に、確かに伝わったと思う。

 コンサートの途中、聴き手の数をざっと数えてみたら、階段席で35名ほど。通りすがりの方が周囲の回廊で結構聴いてくれていて、あとで写真などから数えてみたら、およそ10名ほど。あわせて45名前後にもなった。予想をはるかに超える人数で、お招きした方々はもちろん、通りすがりの方も大半が最後まで聴いてくれた。
 先にふれたように、この夜は中秋の名月。ガラスのピラミッドの展望台や前方のモエレ山には、名月見物の方がかなりいて、帰り際にふと足をとめてくれたらしい。空も月も星も味方してくれた。

 写真のように、ステージの真下から光があふれ、天からは自身の声の木霊がシャワーのように降り注いだ。まさに光と音のページェントである。特にアルペジオ系の曲では、自分の身体が一瞬宙に漂うような得難い体験をした。至福の時間だった。

 予定通り、20:15に第2部終了。ラストの数曲でギター弦を押さえる左手の指がつってしまい、マッサージを繰り返しながら何とかやり終えた。リハやテストを含めると、一日で60曲近くを歌っている。もはや肉体の限界である。
 アンコールのお気遣いをいただき、気力を振り絞って2曲を歌う。幸いに喉は絶好調をキープしていて、充分に余力がある。最後はギターはほどほどにし、ボーカル中心で歌い切った。
「ギターに依存せず、ボーカルの持つ力を最大限に発揮して歌う」というひとつの新境地を、もしかするとこの日つかんだかもしれない。時がくれば、いずれそれは分かるだろう。

 アンコールで何を歌うか歌うべきか、直前まで迷ったが、候補のひとつだった「シングアウト風にぎやか系の曲」はすっぱり捨て、聴き手にむけたメッセージとしての2曲を選んだ。会場からの確かな反応から考え、この選択は正しかった。

 終了は20:25、全25曲を無事に歌い終えた。曲数、演奏時間とも、過去の最高記録を更新した。開始前、そして終了後にも、たくさんの花束やプレゼントをいただく。花束は全部で6束にもなった。
 近づいてきた妻の眼が潤んでいて、よいイベントであったことを無言で語っていた。

 挨拶もそこそこに撤収作業開始。公共施設なので21時までには完全に機材を片づけ、職員の確認を受ける必要がある。こちらも多くの方が手伝ってくださって、すぐに終わった。

 21:00過ぎから自宅を会場に打ち上げをやる。身内が多数いたことを気遣ってか、友人関係は22時前にはみな帰路についた。その後、家族で0時ころまで話の花が咲く。
「主役自らが企画構成し、弾き語る」という珍しい形式での還暦イベントだったが、家族友人など、多くの方々の励ましや支えで、人生のリスタートを最高の形でやり遂げることができた。

 人生の記憶に残る一夜でした。ありがとうございます。