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2007秋・夕映えフォークコンサート
  "黄昏色の雲よ 移ろう影たちよ"
/2007.11.17



 前日の父の緊急入院により、ごく内輪だけのスタイルへ変更を余儀なくされた昨秋の自宅コンサート。地道な努力のかいあって事業も少しは先行きの見通しがつき、幸いなことに父の容態もひとまず安定していた。
 1年ぶりの開催にむけて大きな障害はないと判断し、9月中旬あたりから少しずつ準備を始めた。

 テレビ局の取材やラジオのフォーク関連番組へのゲスト出演など、活発だった音楽活動を象徴するように、今年は多くのオリジナル曲が生まれ、そして古いオリジナル曲の再構成も数多くこなした。原則としてオリジナル曲中心で構成しようと考えている自宅コンサートには、質量とも申し分ない。
 休憩をはさんで前後半をおよそ40分ずつに分け、全体を1時間半にまとめるのは例年通り。会場は昨年は1階を使ったが、今年は最初から2階でやろうと決めていた。カバー曲に依存しない本格的なコンサートという位置づけで、より多くの方々に声をかけるとなれば、広いスペースが必要だ。必然的に場所は2階となる。

 同様の経緯で実施した2年前の第1回コンサートの場合、集まって下さった方々は私たち夫婦をのぞいて18名。いまだからこそ言えるが、予想をはるかに超える大人数で、(もしや床が抜けるのでは…)(椅子が果たして足りるのか…)などといった、音楽以外の心配を本気でしたほどだ。
 あまり無節操に声をかけてしまうと、同様の懸念で頭を悩ませる可能性もなくはない。集客は希望者を中心に、控え目に進めることにした。

 9月末あたりから、今年のテーマは「黄昏」でいこうかとぼんやり考え始めた。黄昏をイメージしたオリジナル曲は数多く、メインタイトルである「夕映えフォークコンサート」の主旨にも合致する。案内状やフライヤー用のメイン写真が必要だが、同じ時期にイメージぴったりの情景に偶然出会い、首尾良くカメラに収めることが出来た。2ケ月後の実施にむけて、イメージは徐々に固まっていった。
 10月中旬、予定にはなかった新曲が突然舞い降りてきた。コンサートのイメージを固める過程で新曲が生まれるのはよくあることで、運営を自らの手で進める者の特権かもしれない。歌いこむうち、かなりよい感じに仕上がった。出来て1ケ月もたたぬ間に披露するのは大きな冒険だったが、この曲をどうしてもコンサートで歌いたくなった。
「切ない夕暮れ」というタイトルで、「黄昏」というサブテーマにもぴったりはまる。

 曲の取捨選択をさらに進めるうち、全編を「黄昏」だけで構成するには少し無理があることが分かり、サブテーマを前後半で分け、前半のテーマは「道」にすることに路線変更した。
 実は初夏にモエレ沼で実施した「モエレ沼ウォーキン・森のフォークコンサート」で、予定していたプレイマウンテンに至る道端で歌うはずだった数曲のオリジナルが、強風のために急きょ中止となり、宙に浮いたままになっている。そのフォローを、今年の締めくくりとなる自宅コンサートでやろうというのだ。

 実施日は不動の11月第3土曜日。その年の締めくくりに相応しい時期であることはもちろんだが、本格的な冬にはまだ早く、車で来る方々が駐車場に困らない。何かと気ぜわしい年末にもまだ少し間があり、仕事も比較的暇な時期。ボーナスや給料日前だが、無料の自宅コンサートなら大きな負担にならずに時を過ごせる。
 こうした比較的集まりやすい条件が整っていることが、この日を自宅コンサート定例日に決めた大きな理由である。

 10月下旬に案内状を作り、11月上旬から郵送やメールで配った。「何かやるときは、必ず声をかけてください」と事前に言われているありがたい方々が中心だが、実は主な方には「11月第3土曜日に今年もやります」と、かなり前から連絡済みである。案内状は実施にむけての最終連絡と、出欠の確認というわけだった。
 予約は割に早く入り、実施の数日前にはおよそ10名前後の参加になることが分かった。

 自宅コンサートの準備はけっこう大変である。プログラムの構成や案内状の準備、歌の練習は当然として、会場となる自宅の掃除や椅子の準備、そしてコンサート終了後の茶話会の準備も欠かせない。しかし、「大変なことは楽しいこと」というのが持論である。大変なことを地道にこなせば、いつしかそれが自分に還ってくるのが人生の不可思議で正直なところ。「人間万事塞翁が馬」とはよく言った。
 今年は2階にあるL字形の常設ベンチの前に、ドリンク類を置くためのコーヒーテーブルも作った。このコーヒーテーブルにはちょっとした仕掛けがあり、そのまま階下に持ってゆくと、居間の大型テーブルと幅と高さがぴったり合う。つまり、コンサート終了後の茶話会の増設テーブルとしてもそのまま使えるのだ。

 加えて今年は、エフェクターという音響機器を新しく買った。それを調整する重要な仕事もあった。数カ月に一度しか替えないギターの弦も直前には替える必要がある。去年のことがあるので、年老いた両親の様子も、これまた直前に見て回らねばならない…。
 幸い、多忙を極めていた仕事は、11月上旬で大きな山を越えた。冬ごもり前になすべき雑事を粛々とこなしつつ、前述のさまざまな作業を併行してさばいていった。

 さて、コンサート当日である。札幌は数日前から厳しい寒波に襲われ、この日も悪天候を危ぶんでいたが、天の恵みか空はウソのようにからりと晴れ上がり、気温も10度前後と穏やかな日和。
 午後1時から時間をかけてギターの弦を交換していると、音楽活動をいつも応援してくれている遠方に住む親戚から、シクラメンの花がお祝いに届いた。アマチュアのコンサートに花は豪華過ぎるが、心遣いが素直にうれしい。
 午後3時からリハーサルを軽めにやる。午後4時過ぎから少しずつお客様も集まりだして、予定通り5時ちょうどからコンサートは始まった。
 サブテーマ「道」の前半セットリストは以下の通り。(◎はオリジナル)


 〜マイクテスト
「はじまりはじまる」 作詞:佐々木幹郎、作曲:小室 等

「里山景色」◎
「初恋の来た道」◎
「この道」
「道は空へ」◎(作詞:NON)
「向い風」◎
「もっと」◎
「追いこして追いかけて」◎
「流れる」◎



 この日のお客様の構成は、訪問ライブの歌い手としていつも呼んで下さる、近隣のグループホームの職員の方が4名。過去にも何度か私のライブに参加している、妻の職場の友人2名。大学時代の友人夫婦。そして「フォークブーム再燃」という切り口で、テレビのニュース番組で取り上げて下さった際、担当だったSさん。私たち夫婦を加えて総勢11名で、席には多少の余裕のある、程よい人数であった。
 驚くべきことに、聴き手の最高齢はグループホーム職員Mさんのお母さんの83歳。本来なら老人ホームの訪問ライブの聴き手だが、「歌が好きなのでぜひ」といらして下さった。
 逆に最も若い方は某放送局のSさんで、20代半ば。末の息子よりも若い方だが、取材時から私の歌に強い興味を持って下さった。どちらもこれまでの記録を更新で、実にありがたいことである。

 5時ちょうどに開始の予定でスタンバイしたが、開始2分前になってもグループホームのYさん他2名が現れない。そこでマイクテストをかね、カバー曲を1曲歌って場をつなぐ。
 あとで録音を確かめてみたら、この曲はピッキングやリズム感にアラが目立ち、全くいつもの調子ではない。自宅とはいえ、やはり緊張はある。結果的にこのテストは余分な力を本番前に取るための、よいガス抜きになったようだ。

 コンサートは予定通りに進んだが、途中で会場のノイズが少し気になった。季節柄、風邪気味の人が多いのだろうと最初は気に止めなかったが、曲が進むうち、どうも違うのではないかと考え始めた。
 この日、なぜか会場内が暗く、顔がぼんやり見えるのは手前の人だけで、一番奥の人は全く姿が見えないほど。だから、ノイズの正体がはっきりつかめないのだ。暗いのは開始時刻を初回より30分遅くしたせいだろうと思っていたが、実は二つあるスポットライトのうち、ひとつをつけ忘れてライブを進めていたのだった。それに気づいたのはすべてが終ったあと。
 これは良かったのか悪かったのか、よく分からない。「客席が暗くて、歌に集中出来た」と、後で妻は言っていたから、結果オーライだった可能性もある。

 ともかくも、ノイズだと感じたのは、実は涙をぬぐう音や仕種なのではないか?と途中で思い立った。その推測が当たっていたことが確認出来たのは、ライブ終了後の茶話会の場だった。
 前半から涙を流して下さったのは、グループホームのMさんと、大学時代の友人S君の奥様、Tさんである。Tさんはいつも私のブログを読んでくれていて、時折直接メールをいただいたりする。しかし、お会いしたのはこの日が初めて。積み重なったいろいろな思いが、涙として凝縮したのかもしれない。人生とはなかなか味なものである。

 ノイズの正体が涙らしいと感じてからは、歌は逆に集中度を増した。聴き手の涙は歌い手に対する最高の賛辞だと私は思っている。歌いながら聴き手の強いオーラが自分に集まってくるのを感じた。

 ほぼ予定通り、5時38分に前半を終える。この日、もうひとつ大事なことを忘れていた。いつも自宅で歌う際にはくスニーカーを予備室に準備しておきながら、本番ではすっかり忘れていたのだ。自宅では常に立って歌うので、スニーカーをはいたほうが脚に踏ん張りがきく。前半の途中でそれに気づいたが、歌に集中するうち、いつしかまた忘れていた。
 スポットライトのことといい、久し振りの本格的な自宅コンサートで、気持ちは相当舞い上がっていたらしい。

 5時45分から後半に移る。マイクテストを含め、前半は9曲を40分で歌い終えている。終了は6時30分の予定で、後半は曲数をやや増やした。
 サブテーマ「黄昏」の後半セットリストは以下の通りである。

「野の花や」◎(作詞:なんかい)
「三日月の森」◎
「秋の日に」◎
「僕は窓のある喫茶店が好きである」◎
「雪が降る」
「冬よ来い」◎
「切ない夕暮れ」◎
「待っているうた」◎(作詞:山下たづ子)
「そこにあります」◎
 〜アンコール
「地下書店」
「夢」◎(作詞:山上高)


 少しだけ構成の概要を記しておくと、前後半ともタイトルか歌詞、あるいは曲のテーマのどこかに「道」か「黄昏」が入っている曲をそれぞれ集めている。前半の「この道」と後半の「雪が降る」はテーマからやや外れたカバー曲だが、オリジナル曲だけで冗漫になりがちな全体構成に、メリハリをつけるためにあえて入れた。
 同様の意図から、前後半にそれぞれ20代に作った曲か、そのリメイク曲を一部まぜ、さらにアップテンポの曲を部分的に入れ、全体が単調にならないよう配慮した。
 曲はすべて3分前後で短かめにまとめた。経験的にアマチュアでもプロでも、3分半を超える曲はしばしば場の緊張感を損なう。余程のことがない限り、曲は短めがよろしい。

 いつもの悪いクセだが、歌の調子は尻上がりによくなった。終了後に妻や学生時代の友人からも同じことを指摘された。事前のリハーサルは充分やっているのに、どうしてもこうなる。気持ちの入れ方にムラがあるせいだろうか。出来るなら、最初からバリバリ飛ばしたいといつも思っているのだが、今後の大きな課題かもしれない。

 プログラムのうち、「僕は窓のある喫茶店が好きである」「冬よ来い」「切ない夕暮れ」「夢」は人前では初めて歌った。全体のおよそ半分が新しい曲で、(常に新しいものを目指す)という一点では充分満足出来た。
「僕は窓のある喫茶店が好きである」は、10年前に地元新聞の文芸欄で一席に入選した詩を歌として再構成し、曲をつけたもの。まず掲載された詩を最初に朗読し、その後続けて歌に入るという趣向を初めて使ってみた。場の気分を高める演出として、充分役立ったと思う。

 この曲に限らず、後半は詩だけでも充分通用する曲をずらり並べた。
「冬よ来い」の前にカバー曲「雪が降る」を入れたのは、「冬よ来い」がシャンソン系のフォークだからで、前半の「この道」と同じく、次曲へのMCの中でさり気なく関連カバー曲を短かめに入れるという、得意の手法である。

「現時点での私の人生に対するひとつの答がこれです」と言い添え、「そこにあります」を静かに歌い終える。曲の数や時間はこれで十分のはずで、コンサートはそのままお開きにするつもりでいたが、何だか会場の様子がおかしい。謝辞と共にコンサートの終了を告げても、誰一人その場を立上がろうとせず、じっと座ったままなのである。かといって、熱烈な「アンコール!」の嵐が吹き荒れるわけでもない。
 過去に老人ホームで同様の経験が一度だけあり、その時はこちらから「よろしければもう1曲歌いましょうか?」と声をかけ、盛大な拍手が返ってきて、ようやくその場をおさめた経験がある。

 この日も同様の雰囲気であることは間違いなかったが、歌い手自身がアンコールを聴き手に持ちかけるのが良いのか悪いのか、これまた判断に苦しんだ。
 場慣れした聴き手がいれば拍手でリードしてくれることも期待出来たが、あいにくこの日はライブ初参加の方が大半で、妻かその友人のNさんくらいしかその役割を担える人がいない。妻はこのイベントのいわばホステス役で、あからさまなアンコールは出しにくい立場だ…。
 しばしの膠着が続いたあと、かのNさんが「もう少し聴きたいわ」と遠慮がちにポツリとつぶやき、ようやくアンコールのきっかけを作ってくれた。助かった。

 アンコールの準備はしてあったが、この日の場の空気から判断して、歌える曲は限られる。オリジナルとカバーの両方でいくつか考えたが、最終的には「黄昏」というキーワードにぴたりおさまる及川恒平さんの新曲、「地下書店」に落着いた。
 この歌はご本人もまだライブでしか公開してないが、耳コピーでいつしか覚えた。最近歌いこんでいることもあり、この日は気分が乗った。

 歌い終えて今度こそ場がおさまるかと思いきや、場の雰囲気はほとんど変わらず、むしろ熱がさらに高まったような印象。いわば「火に油」状態で、誰一人席を立とうとしない。相当力を入れて歌い続けてきたので、ギターを押さえる左手はすでに限界で、固くつっている。
 これは困ったことになった、さあどうしようかと考えあぐねたが、こうなればどうしてももう1曲歌わざるを得ない。
 そこで一時はアンコール候補としてピックアップしたオリジナル曲の「夢」を、咄嗟にここで歌った。1分強の大変短い曲で、それが候補から外れた理由のひとつだったが、「いまが本当ならいいのに、夢だった…」というラストが秀逸。

 終了後、「ずっと泣かずにこらえてきたが、あのラストの『夢』でとうとう涙が流れてしまった」と、中年のNさんと若いSさんの両方から告げられた。作って35年を経て初めて人前で歌ったが、熱を帯びた場を穏やかにおさめるには、充分な役目を果たしてくれたらしい。

 終了後、手早く1階の居間に移動し、茶話会の準備に入る。この夜は参加者全員がそのまま茶話会にも残って下さった。過去に例のないことで、異例の2度のアンコールといい、何かと初めてずくめの日である。
 総勢11名の茶話会はこれまで経験がなく、テーブルの配置を予備ベンチまで動員した「大宴会モード」にすべきかどうか迷ったが、コーヒーテーブルの付け足しでぎりぎり対応出来ると判断し、中宴会モード体勢に決める。普段は掘りゴタツとして段差のある床をフラットに配置換えし、予備の座布団まで総動員して、何とか全員が座れた。

 茶話会の様子も簡単に記しておこう。乾杯のあと、全員を順に私から紹介した。「自宅コンサート」というキーワードだけで集まって下さった、本来なら違いに縁もゆかりもない方々同士で、人生の不思議な縁(えにし)をしみじみ感じた。
 テーブルには違いに持寄ったお酒やツマミ、手作りのお菓子や料理がたくさん並び、楽しい宴のひとときが繰り広げられた。歌好きのMさんのお母さんが歌いたそうだったので、私のギター伴奏で何曲か一緒に歌った。これまた初めての趣向。
 曲は「知床旅情」「海ゆかば」「お座敷小唄」。年齢を感じさせない立派な歌声で、会場は暖かな手拍子に包まれた。茶話会を和ませるよいアクセントになったと思う。

 残念ながら接待に忙しく、茶話会の写真は撮り損ねた。しかし、心の印画紙にはさまざまなシーンがくっきりと焼き付いている。

 人生の確かな記念碑となりそうな、得難い一日がこうして終った。たくさんの方々に、生きる勇気と喜びをいただいた。

 ありがとうございます。