OPEN..LIVE..ROOM


2006春・夕映えフォークコンサート
  "黄昏のビギン"
/2006.4.22



 昨年の晩秋に初めて試みた自宅ライブの2度目をやるべきか否か、終った直後からずっと考えていた。
 ライブそのものは最初としては大成功と評価している。仮に2度目をやるとしても、機材や会場等のハード面での準備、告知を始めとするソフト面での準備には何も不安はない。迷いがあったのは、聴き手にとって自宅ライブが本音の部分でどのようなものであったのか?という懸念である。
「集客」という一点に議論を絞り込めば、初回は自宅でのライブという物珍しさ、それまで積み重ねてきた互いの人間関係に基づく付き合いや義理、そんなものが大きく後押ししてくれたと冷静に振り返ってみて思う。だが、2度目となるとそうはいかない。
 たかがアマチュアの歌の発表会、しかも決して交通の便のよくない場所に、2度3度と足を運んでくださる方がもしいるとすれば、歌い手に余程惚れ込んでいるか、それ以外の何かに引きつけられて来る方である。
 もっと具体的に書くと、歌だけではなく、それを取り巻く私や妻の生き方や暮し方に共感するか、何らかの興味や好奇心を持ってくださる方々であろう。

 かなり迷ったが、2月頃になってやはりやってみようと決心した。そもそも自宅ライブをやろうとした本意は、「音楽を通したオトナの遊び場作り」である。その初志を貫こうとするなら、たとえ少人数でも本当に歌が好きで、自分たちの生き方を理解してくださる方と、穏やかな時を共に過ごしてみたいと考えたのである。
 駐車場等の都合から、実施時期は雪が完全に解け、仕事の一段落する4月下旬。GWを避けて大きなイベントのなさそうな20日前後の土曜日夕方と決めた。
 もし2度目をやるなら、全曲オリジナルにこだわった初回とはガラリと構成を変え、カバー曲で好きな歌を集めて歌ってみようとずっと思っていたので、その主旨に沿って徐々にイメージを固めていった。ある程度固定された聴き手を対象とする場合、それがどのような場であっても、聴き手の飽きないような工夫は大切だろう。

 4月上旬になって、ごく少数の人にだけ案内状を送った。「次がある場合は、ぜひとも声をかけてください」という奇特な方々が中心だったが、いろいろな都合で当日、実際に足を運んで下さった方は5名、初回の1/3以下である。
 当初から、(参加人数は5〜8名くらいかな…)と心づもりしていたから、つまりは想定内の人数だったことになる。

 前回同様、フライヤーもちゃんと作り、玄関ホールには譜面台を利用した案内板も設けた。前回と少し違っていたのは、まずはお客様を1階居間に招き入れ、開演までしばし歓談の場を設けたことだろうか。少人数ならではの趣向だった。
 ハード面でも前回と同じ設備を使ったが、ひとつだけ改善したのは、音に厚みを加えるため、音響機材としてエフェクターを入れたことだ。訪問ライブ用に中古で買ったアンプ付スピーカーに内蔵されている簡易エフェクターを間に挟んだだけの簡単なものだったが、あるとないとでは段違いである。妻や友人に事前に音を確かめてもらい、耳障りのしない程よい数値に何度も調整を重ねた。

 当日は曇天だったが、4月も下旬となると、開演の4時半ではまだまだ明るい。今回のサブテーマは「黄昏のビギン」で、昼から夜へと移り変わる微妙な光の時間帯に合わせた曲目で全体を構成していたので、あまりに明る過ぎるのは演出として困る。そこで会場となる2階のすべての窓のブラインドを完全に降ろし、舞台がスポットライトでぼんやり浮び上がる工夫をした。
 開演15分前に早くも参加予定メンバー全員がそろってしまい、都合で前半だけで帰るという方が一人いた関係もあって、予定よりも5分早くライブを始めることにした。
 前半40分のセットリストは以下の通り。


「雨が空から降れば」
「さくら」(直太朗)
「僕の胸でおやすみ」
「おぼろ月夜」
「カントリー・ロード」
「宗谷岬」
「しあわせになろうよ」
「さみだれ川」


 前半はどちらかといえば自然をテーマにした曲で構成。外もまだ充分明るい時間帯なので、歌の背景もすべて昼間である。
 1曲目の「雨が空から降れば」は、かなり早い時期に決めた。20代に覚えた曲だが、これまでライブで最も数多く歌っている曲で、カバー曲中心の構成なら、最初はこの曲以外に考えられない。
 2曲目以降は、この1年間のさまざまな活動の中で数多く歌ってきた曲を中心にした。基本的に自分が歌いたいと思っている歌ばかりだが、同時に他からの熱い支持のあった歌でもある。曲間のMCにもこれらのエピソードを適当に交えながら歌った。

 他のライブと同様、聴き手の飽きに配慮して曲調の似た曲は続けて歌わないよう心掛けたが、「これしかない」と思って最初に歌った「雨が空から降れば」は、もしかするとストローク調の曲目に変えるべきだったかもしれない。
 というのは、最初の歌い出しで、いつもとは違う自分の調子に気づいたからである。喉の調子は充分調整したかいあって、絶好調に近かった。おかしいと感じたのは、声の伸びである。いつもなら充分声が伸びるはずの小節と小節のつなぎ目が、妙に息が切れる感じだった。
 どうやら理由は何年ぶりかに訪れた「上がり」というヤツらしい。聴き手が前回よりも格段に少ないのだから、リラックスしてよいはずだったが、私の場合は聴き手が少ないほうが大人数相手より、なぜかかえって上がってしまう変な傾向がある。
 おそらく少ない聴き手と、それらが醸し出す濃密な空気を必要以上に意識し過ぎるせいなのだろう。歌いながらすぐにその「危機」を察知したが、この種の上がりはアルペジオで静かに聞かせる歌のほうが、アラが出やすいものだ。悪いことに前半はその静かな曲が連続していた。構成ミスといえばミスだった。

 ようやく気分が落着いてきたのは、軽いストローク調の「カントリー・ロード」を歌い終えたあたりである。あとで気づいたが、当初の曲順にこだわらず、早めにこの曲を歌ってしまえばよかった。まだまだ修行が足りない。

 ともかくも、ほぼ予定通りに前半を終えた。10分の休憩のあと、後半を始めたが、冒頭で妻が突然、「今日の調子はどうなんですか?」と客席から問いかけてきた。どうやら、声にいつもの伸びが欠けていることを、妻も敏感に察知していたらしい。

「スルドイね〜、今日は妙に緊張しているみたいなんだ。聴き手が多いより、少ないほうが緊張するんですよ、実は」
 アラ、女性が多いせいかしら?(この日の聴き手は5人中4人が女性)イヤイヤ、女性相手に歌うのは慣れてますから…。とかなんとか、ジョークを交えて軽く会話のジャブを応酬。こんなやり取りを交すうち、すっと肩の力が抜けた気がした。
 休憩時にこっそりではなく、後半開始早々のライブ中にあえて指摘したのは、妻流の思いやり、つまりは夫に対するある種の「活」であったかもしれない。

「不調」を自ら口にしたことで、歌の邪魔になる無用の気負いのようなものは完全に消えた。以降、ライブは尻上がりに調子がよくなった。
 もっとも終了後の感想では、前半の歌にも大きなキズはなかったと妻以外の聴き手の方は言ってくれた。歌い手の感覚と聴き手の印象は必ずしも一致しないのだ。ライブでときどき見られる不思議な現象である。

 後半40分のセットリストは以下の通りである。


「黄昏のビギン」
「河のほとりに」
「傷ついた小鳥」
「夜のバス」
「さりげない夜」
「夕凪わるつ」(オリジナル作詞)
「荒城の月」
「星影の小径」
 〜アンコール
「恋は桃色」


 初回の自宅ライブと同様、後半は愛の歌を中心に歌った。前半と後半にそれぞれ唱歌を1曲入れたが、歌う側としての切り口はいずれも「フォーク」である。「フォークコンサート」をうたい文句にしながら、実はすべての楽曲がフォークというジャンルに入っているわけではない。
 たとえば「黄昏のビギン」や「星影の小径」はどうみても「歌謡曲」というジャンルだろう。しかし、私にとってのフォークは単なる歌のジャンルではなく、自分の生き方暮し方に沿った広義なものである。だから、「あの歌はフォークじゃない」などという教科書的な議論には、あまり意味がない。
 今回のプログラムは一見すると雑多なゴッタ煮風に見えるかもしれないが、その場に立会った方には、全体を通して一貫した何かを感じ取っていただけたはずだ。

 予定より5分早く始まったので、予定よりも5分早い5時55分にライブを終えた。時間ぴったりに終らせるのは得意技で、MCやアンコール曲などで微調整をする。
 アンコールを含め、正味80分間で17曲歌った。前回と全く同じ時間と曲数だったが、終了を宣言したとき、「もう終りなんですか?」との声がGさんからあがった。どうやら「聴き手を飽きさせない」という工夫はうまく運んだようである。

 所用で帰るKさんをJRの駅まで送り届けたあと、残った数人で1階居間で簡単な茶話会を始める。妻の負担も考え、今回は食べ物も既製品を中心にし、事前の買い出しにも妻と二人で出掛けた。ちょっとした料理や果物、ワインなどを持ち寄って下さる方もいて、ライブ同様、ファミリーな雰囲気で延々と懇談が続いた。
 茶話会で特に話題になった楽曲は、「さくら」「カントリー・ロード」「夜のバス」「夕凪わるつ」「荒城の月」である。これまた必ずしも歌い手の思い入れとは一致しない。ライブとはそのようなものだ。
 Gさんの紹介でいらした初参加のIさんが、実にスルドイ指摘を連発してくださったが、特筆すべきは「さくら」に対する評価である。

 直太朗の「さくら」は関東に咲く薄いソメイヨシノの印象だが、菊地さんの「さくら」は、色鮮やかな北海道のエゾヤマザクラですね、というものである。北海道に広く分布するエゾヤマザクラは確かに色がかなり濃い。つまりは私の歌う「さくら」は北の大地を連想させ、大変力強く、心に残る、という話なのである。
 実は以前にも「さくら」を別の方に高く評価してもらったことがある。そのときは主に技術面での評価だったが、Iさんの評価にはそれとは異質のニュアンスを感じた。大変うれしい言葉であった。

 オリジナルで唯一歌った「夕凪わるつ」は、実はイワノビッチの「ドナウ川のさざ波」に、全く別のイメージで歌詞をつけたものだった。静まり返った夕凪の海に、あえて二人で船を出そう、という等身大の私たち夫婦の姿を歌ったものだが、「うねるようなリズム感が聴いていて心地よい」と、大変評判がよかった。
 クラシックやポピュラーの一般曲に別の歌詞をぶつける試みは、これまでもしばしばしている。クラシックの場合は著作権の問題もないところが旨味。今後も続けたい。

 茶話会が終ったのは10時で、4時間はさすがに長い。しかし、それだけ皆のキブンが乗っていた証拠でもある。主催者&歌い手としては喜ぶべきことだ。
「紹介による参加者」という新しい道もでき、今後の自宅ライブの方向性が少し見えた気がする。これを書いている時点で、すでに次回の構想も具体的に頭の中にある。次回いつやるかはまだ分からない。しかし、「細くても長く確かに」なのである。