OPEN..LIVE..ROOM


流れる /2005.8.14



 10数年来の交流がある富山市のネット友人が北海道旅行の途中、我が家を訪れた。彼とはインターネットの出来るはるか前、パソコンのフロッピーを利用したメールマガジンを定期発行していた時期に知り合った。
 娘と同じ年だが、知り合ったときはまだ高校生。親子ほど年代の違う者同士が、これだけもの長い期間、途切れることなく細々と交流を続け、ついには面会にまで至ったことに、当事者でありながらも不思議な感動を覚える。

 普段から私のサイトはまめにチェックしているそうで、サイト上に掲載のオリジナル曲もすでに聴いてくれていたが、ぜひとも私の歌を生で聴いてみたいと彼は言う。とてもうれしい話で、あまり時間の余裕はなかったが、急きょライブの予定をたてた。
 来訪予定は旅の最終日かその前日で、事前にライブを中心とした歓迎の手段をいろいろと検討し、出発前にもメールで彼(仮に名前を遠藤くんとしよう)に意向を打診した。
 以下、送ったメールの要旨を引用する。
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1案:
 15日(月)午前10時ころ、大通り公園近辺で待ち合わせ。菊地はギターと楽譜を持参し、大通り7丁目あたりにある某所で30〜40分の青空ライブ。(客とサポート役は遠藤くん)
 その後、適当な店で昼食。1時ころ解散。ただし、菊地はほとんど外食しないので、店はあまり知りません。ジンギスカンか札幌ラーメンあたりか?(お好み次第です)
 ラーメンで有名な店は私からすればほとんどマズイのですが、(^_^;「S条H龍」という繁華街の外れにある店は結構うまいです。(ただし、ここしばらく行ってません)

2案:
 14日(日)午後に我が家近くのJR駅まで来てもらい、菊地が迎えに行く。(または車で直接来てもらう)そのまま自宅でライブ、あるいは早めの夕食など。天気がよければ外のウッドデッキで焼肉と青空ライブ。
 JRで来た場合は、ビールも飲める!(^_^; ただし、遠藤くんが飲めるかどうかは、現時点でシリマセン。
 日が暮れたらコーヒーでも飲んで解散。この案は自宅がすっかり見学出来るし、私がほとんど外出しなくて済むので、すごく楽。

3案:
 14日(日)午後にモエレ沼公園で待ち合わせる。(二人とも車)菊地はギターと楽譜を持参し、そのまま公園のどこかで青空ライブ。(客とサポート役は遠藤くん)
 モエレ沼には最近、「海の噴水」という40分も延々と続くすごい噴水が出来たらしい。まだ行ってないけど、一見の価値はあるかも?家からモエレ沼までは車で5分なので、帰路、家にちょっと寄ってもらう。車なので遠藤くんは飲めないが、私は飲める。(^_^;
 以降のスケジュールは成りゆきです。
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 どれもなかなか魅力的な案だと自負していたが、結果的に遠藤くんの意向で、2案の方向で調整することが決まった。

 当日、あいにく妻は早朝から仕事。当初の予定より遅れ、夕方5時近くに来訪した彼に、用意してあった正統派ジンギスカンを、ウッドデッキの常設バーベキューコンロで振る舞う。
 厚い鉄鍋と北海道でしか売っていないベルのタレを使った薄切り本格ラム肉ジンギスカンに、遠藤くんは大喜び。ビールもすすんで、あっという間に日が暮れた。

 夜7時過ぎ、妻が勤めから戻る。外はヤブ蚊が多く、虫に弱いという遠藤くんに配慮して、ライブは家の中でやることにする。
 実はこの半年の目の回るような忙しさから、8月はライブ活動を自重していた。仕事も先が見え、ここで一息入れてリフレッシュし、秋以降の新たな活動に備えて、充電しようと考えていた。

 だが、遠方からはるばる歌を聴きにきてくれる友のために歌うのは、少しも苦痛ではない。いつも言っているが、「たいして聴く気のない1000人」より、「本気で聴いてくれるたった一人」のために、私は喜んで歌う。
 前半はカバー曲を中心に構成した。最初はどう考えてもこの曲しかない。


「さくら」(直太朗)


「この曲はぜひ聴いてみたかった。素晴らしいです」
 予想通り、遠藤くんが手放しで喜ぶ。この曲はいつ歌っても、何度歌ってもうまく歌える。しかも、歌うたびに新しい何かが見える気がする。実に不思議な曲だ。
 調子に乗って、若い彼の顔を見ているうちに、どうしても聴いて欲しくなったかぐや姫ナンバーのひとつを続けて歌った。


「突然さよなら」


「この曲、知っています」
「えっ、どうして?」
「実は、両親がかぐや姫ファンで、この曲をよく聴いているんです…」

 私たち夫婦よりは少し若いが、ご両親がほぼ同年代であることが分かる。さすがにかぐや姫は強い。
「じゃあ、次は拓郎を歌うよ。拓郎で1曲だけ選んで歌うとなると、この曲しかない」
 そう前置きして歌い出した。


「どうしてこんなに悲しいんだろう」


 この曲を彼は知らなかったらしいが、反応はいまひとつの印象がした。青空ライブ等でも感じていたが、拓郎の歌に対する聴き手の反応はそれほど強くない。私の声と歌唱自体が、あまり拓郎には向いていないせいもおそらくある。だから、最近はあまりプログラムにも入れていない。

「ところで、菊地さんが一番好きな歌手はいったい誰なんですか?」
 不意に遠藤くんがそう尋ねた。

「そりゃ、六文銭の及川恒平だよ。去年、コンサートも主催したしね。ライブではそれほど歌ってないけど、楽譜は一番多い。声質も結構似てる、ってよく言われるし…」
「ぜひ、一曲聴かせてください」

 実はこの日、カバー曲で何を歌うかは、はっきり決めてなかった。決まっていたのは1曲目の「さくら」だけで、あとは楽譜ファイルを繰り、初めて会った彼の印象からイメージする曲を、つれづれに歌っていただけである。
 拓郎の次は井上揚水を何か歌うつもりで、頭の中では「帰郷」と「白いカーネーション」のどちらを歌うかで、密かな闘いが繰り広げられていたのだが…。話の成りゆきから、急きょ楽曲を変更することにした。


「雨が空から降れば」


 この歌は暗譜しているが、最近は以前より下げたDのキーで、ストロークを一切使わずにアルペジオ奏法でじっくり歌っている。しばしのブランクがあったが、心に染みるいい感じで歌い終えた。

「初めて聴きましたけど、素晴らしいです」
 遠藤くんはとても気に入った様子だ。青空ライブのリストにはなかったようですけど、外では歌わないのですか?と重ねて聞いてくる。しんみりした曲だからね、でも、今度場所を選んで歌ってみようかな…。
 そう答えるうち、本当にそんなキブンになってきた。森の中や川べりなどでは、案外ぴったりはまるかもしれない。

 サア、ここからはオリジナルだよ。そう宣言し、こちらはかねてから準備していた新曲を続けて3曲歌った。


「流れる」(オリジナル)
「森の記憶」(オリジナル)


 この2曲は出来たてで、妻以外の前で披露するのは、この日が初めてだった。どちらも人生と森羅万象をテーマにしていて、双方が互いに呼応しあう曲展開になっている。秋以降のライブを構成するにあたって、どちらを主役にするかちょっと悩んでいて、若い遠藤くんの率直な意見を聞いてみたかった。
 結果は「流れる」が耳に残る、とのこと。くしくも最初に聴かせた妻と同意見である。

 実は「流れる」は歌詞が極めて厭世的で、「すべての物は流れ、消え去ってゆく」という、まるで救いのない内容である。しかし、メロディのインパクトは強い。普通はやらない動詞をあえてタイトルに使ったところも気に入っていた。
 対して「森の記憶」は、「人が死しても、思いは未来永劫に残る」という救いのある歌詞で、曲調も穏やか。自分としては、生きる希望が直接的に湧いてくる「森の記憶」がいいと心中密かに思っていたが、意に反して、「流れる」がいいと二人はそろって言う。

 もしかすると、「流れる」の救いのない歌詞は、逆説的に「だから生きているいまを大切にしろ」という声として、聴き手の胸により深く届くのかもしれない。
 作り手(歌い手)と聴き手の満足度は、しばしば一致しない。歌は世に放たれた途端、自分の思いとは違う方向に動き出すものだ。しばらくは、「流れる」を中心に今後のプログラムを組み立てることにしよう。

 最後に、彼のためだけに急きょ作った感謝の歌、例の「ありがとうシリーズ」の第5弾を歌い、ライブの終了とした。


「ありがとう・遠藤くん」(オリジナル)


 いつものように、歌詞は今回の出会いとライブの様子を手短かにまとめたもので、メロディは定番の各シリーズ物と同一である。
 この企みは遠藤くんにはもちろん知らせてなく、彼も全く予期してなかったようで、とても喜んでくれた。帰ってからの話のタネにと、楽譜はそのまま彼にプレゼントする。

 しばしの「ライブ休息モード」に入っていたせいもあって、この日の喉の調子は万全とは言えなかったが、場の気分の良さで充分それを補った。
 何より、遠方からはるばる我が家を訪れてくれた10数年来の友への、これ以上ないホスピタリティ(歓待・おもてなし)になったはずだ。私のライブ活動の最終目標となるはずの、自宅を拠点としたオープン・ライブルームへの新しい展開と方向性が、少しだけ見えてきた気がする。




河のほとりに /2005.11.8



 以前から懇意にしているライブ居酒屋のマスターご夫妻が、別に経営しているアイス工房がシーズンオフに入ったのを機に、我が家を訪問してくださった。

「今度菊地さんの『スタジオ』で、ぜひ歌わせてくださいよ」
 たまにお店に歌いに行った折、そんな会話をかねてから交していたのだが、ようやくそれが実現したのだった。

 この日の訪問には全部で3つくらいの意味があった。まず70年代フォークが大好きというマスターに我が家の「特設スタジオ」で歌っていただくこと。次に我が家の自然流の住まいや夫婦の暮らしぶりを直接マスターご夫婦に見ていただくこと。そして10日後に予定している自宅での本格的なソロコンサートに備え、自宅スタジオの会場設備や音響機器などの様子を、様々なプロ歌手のライブを企画運営しているご夫妻に、いわば興行のプロとしての目で見ていただくことだった。
 妻はすでに一度お店に連れていったことがあって、ご夫妻とは旧知の仲。1階居間で互いの商売の気苦労などを話のタネにあれこれ歓談するうち、陽がかなり陰ってきて予定していた夕方のライブ開始時刻に近づいてきた。
 その日も夜は仕事があるご夫妻に配慮し、早めに2階に移動してリハーサルに近い形での自宅ライブが始まった。

 マスターは経営者だが、自らもギターで弾き語りをこなす。渋い歌声には独特の味があり、聴くものの魂を揺さぶる。互いに2曲ずつを交互に歌い、音響効果を中心に、音のトータルバランスを確かめた。
 当日の私の歌った曲は以下の通り。「二組の夫婦のジョイント・ライブ」といった切り口だったから、すべての曲をラブソングでまとめた。


「サルビアの花」
「東 京」
「もっと」(オリジナル)
「向い風」(オリジナル)
「長い雨のあとに」
「ダンデライオン〜遅咲きのタンポポ」
「河のほとりに」
「突然さよなら」
「初恋の来た道」(オリジナル)


 あれこれ試すうち、PAのボリュームはもちろん、使うギター、曲調、立つ位置等で、聴いている側に届く音が微妙に違ってくることが分かる。たとえばストローク奏法とアルペジオ奏法とではボリュームを微妙に変える必要があったし、座って歌う場合と立って歌う場合とでは、ギターのハウリングの起き方が全く違う。
 スピーカーの位置を多少調整する必要も出てきたが、ケーブルの長さに余裕がない。これは至急修正しなくてはならない問題だった。
 使うギターは買ったばかりで音程が安定していて、手元でも音量調節の可能なエレアコを使用すること決定。歌う姿勢はハウリングが起きにくく、声も出やすくて日頃のライブでも慣れている立つ姿勢に決まる。

 PAの各種数値はラスト近くで何とか最適値を得たが、あくまで客の入っていない状態での値なので、本番で再調整の必要があるかもしれなかった。
 奏法によるボリューム調整を歌いながらその都度変えるのは結構大変そうだが、それが事前に分かっただけでも大きな収穫。やっぱりプロの方は違う。事前に見ていただいて良かった。

 機材の調整に忙しく、歌の内容は度外視のような進行だったが、客として1時間半ずっと聴いていただいたママさんと妻は、特に後半部の夫婦愛をテーマにした歌、「河のほとりに」「初恋の来た道」に心を動かされた様子だった。

 ほぼ同数の曲を歌っていただいたマスターの歌の記録がないが、心に残ったのは「訪ねてもいいかい」(河島英五)プカプカ(西岡恭蔵)である。特に「訪ねてもいいかい」はいつ聴いても心に染みる。
 よく考えると、どちらもラブソングだ。やはりこの日は「夫婦」というキーワードが、ライブ全体の雰囲気を強く支配していたようである。