街角100ライブ


040 チカチカ☆パフォーマンス26th
   「暗くてマニアック」
/2013.1.29



 1月2度目のチカチカパフォーマンスを実施。直前の町内会除雪ボランティア作業で小康状態だった腰を再び痛めてしまったが、仕事の切れがよく、天候も穏やか。1月も残り少なく、2月は雪まつり関連行事で、あまり枠がなさそうな気配である。
 試してみたいことがいくつかあったので、無理を承知でエントリーすることにした。

 腰の傷みは前日よりもなぜか悪化していた。加齢と共に、ダメージは2日後あたりにやってくる。悲しいが、それが現実だ。
 たまたま休暇で家にいた妻が、腰をかばいつつ出かけようとする私を見かねて荷物係を進言してくれたが、妻も風邪気味の身体にムチうって仕事を続ける身。慎んで辞退し、いつものように1人で会場に向かった。

 この日は即興ダンスの宮脇さんとの共演。場所は前回と同じ北大通広場だが、私の到着が先だったので、持ちにくい大型案内板2つを抱え、遠い会場へとトボトボ歩く。さすがに腰への負担が大きく、途中で2度も休んでしまった。

 準備中に宮脇さんが現れ、打合せの結果、なるべく長い時間を休まずにやりたいという宮脇さんの希望を受け入れ、互いに1ステージのみをやや長めにやって終了することにした。
 最初は私が演ることになり、14時15分から約40分で、以下の12曲を一気に歌う。(※は初披露)


「いいじゃないの幸せならば」※
「人形の家」
「山羊にひかれて」※
「抱きしめて」(オリジナル)
「男と女のお話」※
「夜が明けたら」※
「横須賀ストーリー」※
「ラヴ・イズ・オーヴァー」
「時の過ぎゆくままに」
「白い冬」
「虹と雪のバラード」
「冬のリヴィエラ」


 この日の前半8曲は「暗くてマイナーな曲」を意識的に集めて構成した。普段は人前では歌わない、長く封印していた曲を連発した。初披露が多い所以である。
 聴き手が立ち止まるかどうか、はたまたオリジナルCDが売れるか否かは度外視で、自分がただ歌ってみたい曲をワガママに並べた。そんなマニアックな姿勢を象徴するように、ストリートでは極めて稀な座って歌うスタイルをとった。

 椅子はこの日のために作ったDIYの木製。自宅でかなり歌い込んでいたので、40分間ぐらつくこともなく、安定して歌えた。
 マイナーな内容であることを暗示させる意図で、椅子はあえて通りに対してやや斜めに置いた。結果としてスピーカーの音が聞き取りやすく、かってないほど歌いやすかった。
 不思議なことに、いざ歌いだすと腰の痛みはどこかに消えてしまい、1時間でも歌い続けられそうな感じだった。

 意に反して、2曲目の「人形の家」あたりから人がじわじわ集まってきた。前回も感じたが、この曲は非常に強い。決して明るい曲調ではないが、なぜだろうか?
 その勢いで「山羊にひかれて」を曲紹介のみで続けたが、打って変わって次々と人が消えだし、終わる頃にはわずか2人まで激減。好きな曲だが、これまた理由は分からない。ここでひるむことなく、オリジナルの「抱きしめて」を淡々と歌う。するとなぜかまた人が増えだし、一気に10人を越す。

 あくまで自分のペースを貫くのがこの日のテーマだったので、人の動きはあまり気にせずに歌い継いだが、全く期待してなかった「男と女のお話」「夜が明けたら」に、予想外の強い反応があって驚く。
「夜が明けたら」では、「浅川マキ、最高だった」と、わざわざ近づいて声をかけてくれた中年男性もいたほど。マニアックな曲でも聴いてくれる人はちゃんといる。何事も思い込みや決めつけは禁物であると、この日学んだ。

 最後の4曲は2ステージ目として準備していた曲の一部で、実績ある曲ばかり。久しぶりに20名を越える方々が、最後までじっと耳を傾けてくれた。天候が穏やかだったせいか、通りをゆく人々の足取りは緩やか。中高年世代も多く、ゆっくり歌を聴いてくれる気分が満ちていた。
 告知はほとんどしなかったためか、売れたCDは1枚だけだったが、いろいろと収穫の多い一日だった。暗くてマニアックな構成、またいつかやろうと思う。




041 チカチカ☆パフォーマンス27th
   「キャリーカート初使用」
/2013.2.21



 179センチという記録的な大雪が降った日、かねてからエントリーしてあったチカチカパフォーマンスに参加。早めに起きて、車庫や玄関前を入念に除雪することからまず始める。
 腰をかばいながら作業に励むうち、空は徐々に晴れてきたが、雪による渋滞が怖いので、いつもより30分も早く家を出た。

 ほぼいつも通りの時間に都心に着く。この日は2週間ほど前に買ったキャリーカートを初めて試す日でもあった。大雪で歩道の状態が悪そうだったが、逆にこんな日にこそ、キャリーカートの真価が分かるというものだ。
 機材は自宅で梱包し、キャリーカートごと車に積んだ。うまい具合にそのまま後部トランクにすっぽり収まる。心配していた雪道だったが、あまり問題なく運べた。段差部分もゆっくり進めばOKである。
 何より、肩や腰への負担が格段に少ない。これは使える。

 この日は昼の枠に似顔絵を含めて4組がエントリーしているはずだったが、事務局に行くと、まだ誰も来ていないという。大雪で出遅れたのかもしれない。やむなく、2種類ある看板を預かり、キャリーカートに積み込む。
 ヒモや余分なゴムバンドを持参しなかったので、積み込みにはかなり苦労した。しかし、工夫すれば何とか積める。移動時には手で支えてやり、地下へは階段ではなく、エレベーターを利用した。

 会場は苦手とする北3条広場だが、2月は割当て枠が少なく、他の会場の選択肢はない。トップバッターとして14時ちょうどから第1ステージ開始。およそ27分で以下の8曲を歌う。(※は初披露)
 直前に連絡のあった知人のTさんが会場に来ていて、最初から聴いてくれた。


「いいじゃないの幸せならば」
「石狩挽歌」※
「人形の家」
「抱きしめて」(オリジナル)
「男と女のお話」
「夜が明けたら」
「圭子の夢は夜ひらく」※
「伊勢佐木町ブルース」※


 前回大冒険企画としてやってみた「暗くてマイナーな曲」が予想外に受けたので、勇気を得て再度似たような構成で臨んだ。人が集まりだしたのはオリジナルの「抱きしめて」あたりから。自分でも理由がよく分からないが、この曲は本当に強い。
 続けて歌った「男と女のお話」で聴き手はさらに増え、一気に30人近くまで迫る。そのまま大きく減ることなく、ラストまで歌い進んだ。
 いつもはマルチビジョンの音声が大きい会場だが、この日はいつもより音が小さく感じられた。この会場としては、かってないほど人が集まった理由のひとつだったかもしれない。

 楽曲の強さにも助けられたのも事実だ。聴き手は必ずしも明るくて励まされる曲ばかりを望んでいるわけではない。時には暗く沈んだ曲も聴きたい。それが紛れもない事実である。その確証をこの日得た。ここでは曲調などあまり気にせず、自分の歌いたい曲を好きに歌えばよいのだ。

 ジャグラーの方のパフォーマンスをはさみ、15時10分から第2ステージ開始。およそ28分で以下の9曲を歌った。第1ステージでアルペジオの感覚が微妙にズレたので予定を少し変え、全曲ストロークで歌った。


「夢の途中」
「時の過ぎゆくままに」
「オリビアを聴きながら」
「不思議なピーチパイ 」
「白い冬」
「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」
「五番街のマリーへ」
「男と女のお話」
「熱き心に」


 後半はガラリ雰囲気を変え、実績のあるメジャーな曲を並べた。ところが、聴き手の集まりが前半に比べて極端に悪い。第2ステージにありがちな展開だったが、臆せずに淡々と歌い継ぐ。
 いつもは強いはずの「白い冬」で、ついに聴き手がゼロになってしまった。過去一度もなかったことで、理由は不明。ふきのとうがいつでもどこでも受け入れられるわけではないということだ。

 いつものように通りに吹く風になった気持ちで歌い続けるうち、「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」からまた人が集まり始めた。ストリートの聴き手には、まるで波のような掴みどころのない流れがある。
 以後、聴き手は減ることなく増え続け、ラストの「熱き心に」では20名近くに達した。第1ステージであまりに反応がよかったので、「男と女のお話」を再び歌った。同じ日に同じ歌を2度歌うことはまずないが、それほどこの曲が強かったということ。

 この日売れたオリジナルCDは2枚。ほとんど告知せずに並べてあるだけなので、こんなものか。
 最後の2曲くらいで指と足の裏がつり気味になり、さらには寝不足による眠気も襲っていた。これらは大雪によるダメージであるのは間違いない。気を奮い立たせて歌いきったが、ちょっとした綱渡りだった。

 すべてを終えて撤収にかかろうとしていると、遠くから中年女性が微笑みながら近づいてくる。以前に子供がサッカーでお世話になった者です、という。15年前に指導していたサッカー少年のお母さんなのだった。
 普段は通らない地下通路を何気なく通りかかり、懐かしい歌だな、上手な人だなと思って聴くうち、以前のサッカーコーチであることに気づいて驚いたという。
 偶然だが、住んでいたマンションも同じで、息子さんは札幌選抜チームにセレクトされた優秀な選手であった。しばし懐かしい話にふける。本当に不思議な偶然の起きる空間である。




042 チカチカ☆パフォーマンス28th
   「ひっそり追悼」
/2013.3.7



 3月最初のチカチカパフォーマンスを実施。雨の予報が出ていたが、そんな気配はなく、車はスムーズに流れて都心に着く。
 実は昨年末にいつも停めていた60分100円の格安パーキングが廃業した。同じ料金の別駐車場に変えたが、その駐車場も3月から50%値上げ。他に100円パーキングは4ヶ所リストアップしてあるが、いずれも平日午後の競争率は高い。
 運良くそのうちのひとつに空きがあり、すんなり停められた。ガソリン高騰の折、安い駐車場の確保は活動を無理なく継続するうえで、大きなポイントである。

 今日の会場は北4条広場。寒いが静かで音響がよく、好きな広場だ。3組の共演だったが、今日も私の到着が一番。書類記載中にジャグリングの弥勒さんが登場。看板を分担して会場に移動する。話し合いで私がトップを務めることになった。

 この日は東日本大震災直近の枠ということで、追悼と復興支援という切り口で第1ステージを構成しようと、かなり早くから決めていた。普段のチカチカではほとんど歌わない癒し系、励まし系の歌を中心にやろうというのだ。
 14時7分からおよそ25分で、以下の7曲を歌った。


「さくら(直太朗)」
「ふれあい」(初披露)
「カントリー・ロード」
「青葉城恋唄」
「雲や風と共に」(オリジナル)
「時代」
「レット・イット・ビー」(オリジナル訳詞)


 大雪も峠を越え、天候も穏やか。人通りも多かったが、人々が足を止めてくれたのは、こうした場で実績のある「カントリー・ロード」から。最初2曲の反応は皆無で、拍子抜けした。
 直後の「青葉城恋唄」で聴き手は一気に30名前後に迫る。この曲は1年前にも被災地追悼として歌ったが、非常に強い曲である。同じ東北系の「ふれあい」が無反応なのと対照的。理由はゆっくり考えてみたい。

 続けて歌った唯一の被災地支援系オリジナル「雲や風と共に」で、次々と人が消え始める。最後まで残って聴いてくれたのは5人ほど。聴き手は実に残酷である。楽曲の力不足を認めなくてはならない。追悼や支援を声高に叫びさえすれば、必ず耳を傾けてくれるほど甘くはないのだ。
「時代」で少し戻し、ラストの「レット・イット・ビー」では再び20人を超えた。この曲はいつどこで歌っても強い。訳詞がビタリはまった感じだ。

 歌い終えると、数人の中年女性が近づいてきて、「いまの曲はCDに入ってますか?」と問う。著作権の関係で無理です、と応じたが、それでもCDを買ってくれた。この日初めて並べた200円の紙ジャケットCDも売れた。
 近寄ってきた別の女性に見覚えがあるな…、と思ったら、何と小学校の同級生である。昨年、同窓会の幹事を違いに務めた間柄。隣市に住んでいる方だが、たまたま用事があって通りかかったとのこと。最近よく知っている方に会うが、同窓生は初めてだ。

 通りすがりの市民を対象とした震災追悼と復興支援のステージは、看板や募金箱も一切なく、ひたすら歌うだけのささやかなスタイルではあったが、人々の心に確かに伝わったと思う。今年もやってよかった。

 ジャグラーの方のステージをはさみ、15時から第2ステージ開始。およそ25分で以下の8曲を歌う。ここでは持参した小型の椅子に座って歌った。


「いいじゃないの幸せならば」
「石狩挽歌」
「人形の家」
「抱きしめて」(オリジナル)
「男と女のお話」
「柳ヶ瀬ブルース」(初披露)
「夜が明けたら」
「圭子の夢は夜ひらく」


 第2ステージの切り口は、1月下旬から始めて思わぬ手応えを感じている「暗くてマニアックな昭和歌謡」である。ただ、最初の2曲は全く立ち止まる人がなく、そろそろ見切り時かもしれない。
 人が集まり始めたのは、すでに実績のある「人形の家」から。そしてオリジナルの「抱きしめて」で、どんどん増え始める。前回と全く同じ動きで、本当にこの曲は強い。聴き手を惹きつける何かがあるのかもしれない。

 そのまま最後まで聴き手は減らず、周囲1メートル程をぐるり取り込んで離れない。聴き手との距離が近すぎるのは歌いにくいものだが、最近はかなり慣れた。PA無用の近さだったが、遠くでじっと聴いている人もいたので、そのまま継続。
 もしかすると「座って歌った」ことが関係していたかもしれない。私の歌の聴き手は女性が圧倒的に多く、立って歌うと少し見上げる感じになる。ところが座ると視線が下がる。より親しみを感じてくれるのではないか。これについても、もう少し分析してみる必要はあるが。

 歌い終えると、CDの棚が空っぽ状態になっている。料金箱にお金を投げ込んでCDを持ち帰る人が多数いたのは気づいていたが、持参したCD9枚のうち8枚が売れていた。5枚の紙ジャケCDは完売。「もうないんですか?」と尋ねる方もいたほど。紙ジャケCDの威力は絶大である。
 200円という求めやすさと、曲のタイトルを大きく入れたジャケットデザインが分かりやすいせいではないか。予想をはるかに越える反応で、次回は数を増やさねば。