街角100ライブ


013 ハツキタ春まつり /2011.5.14



「ホームページで見ました」と見知らぬ方から電話があり、札幌西区の商店街の者だが、春祭りのイベントで路上ライブをやっていただけないか?との打診である。
 イベント系のステージは過去に何度か経験があるが、基本的には苦手。しかし、「路上ライブ限定」という部分がちょっと気になった。聞けば、予算の都合でステージが作れず、PAもない。しかし、商店街を行く住民相手に、何らかのイベントを仕掛けたい。プロにこの種の依頼は無理なので、ホームページで路上ライブの経験があると知った私に声をかけてみたのだという。

 5月は別の大事なライブ予定が控えていたが、時期がビミョーにずれている。あれこれ話すうち、相手の誠実な話し振りに、次第に気持ちが動いた。
 路上ライブは過去12回の経験があるが、昨年は一度もやってなく、今年はどこかでぜひやりたい、と密かに考えていた矢先の依頼である。イベント系ライブは得手ではないことを先方に率直に伝えたら、「菊地さんの得意なスタイルで、やりやすいように歌ってください」とも言われた。
 そもそも歌い手として、請われて歌うほど幸せなことがあろうか。これも何かの縁と、結局お受けした。

 路上ライブ(青空ライブ)はおよそ2年ぶりなので、この日に備えてあれこれと頭を巡らせて準備。愚図ついた空模様が続いていたが、当日になってどうにか晴れた。しかし、気温は10度前後で、非常に寒い。真冬なみの暖かい服装で臨んだ。

 場所は広い歩道に面したラーメン屋の店先。路上はPAナシでやるのが原則だが、叙情系の歌で迫るつもりの今回に限っては、こだわりを捨てるのが得策。しばらく使っていない乾電池駆動のヤマハVA-10を持参した。「叙情歌弾き語り」の譜面隠しも今回が初披露である。
 傍らではさまざまな食材の即売会も同時開催していて、いわば「鳴りもの」としての盛り上げ役だった。開始は午後4時と聞いていたが、到着した3時半には気温がさらに下がってきたため、予定を変えてすぐに始めることになった。

 第1ステージは3時40分からおよそ30分間。6-7曲歌い終えたところで、店内に入って特別メニューのラーメンをいただく。第1ステージの反応はまずまずだったが、休憩後の第2ステージになると気温はさらに下がり、通りを行く人の数はめっきり減った。
 しかし、それでも歌い続けるのが路上ライブの宿命。第2ステージは午後4時半から連続1時間余。全く誰もいない状態の時間帯もかなりあったが、いつものように青空に向かって朗々と歌い続けるのだった。

 この日はサッカーを指導していた時代に買った特別なトレーナーを着た。写真のように袖口が一段長くなり、その一部に親指を通す穴が空いている。手首がすっぽり隠れるので、まるで手袋をはめているように暖かく、しかも指先は自由なのでギターは普通に弾ける。
 これでしばらくは凌いだあと、再び店に入って暖をとる。自分でしかけた路上ライブなら、自己判断でいつでも打ち切ることは可能だが、他から依頼された場合、そうはいかない。担当のOさんに判断をあおぐと、最後にもう1ステージやって欲しいという。こうなれば意地と、再び外に出た。

 6時過ぎから第3ステージ開始。あたりは次第に薄暗くなり始め、気温はさらに下がる。(後で調べたら、7度だった。路上ライブをやる気温ではない)途中でジャンパーを着込んだが、それでも寒い。喉は抜群の調子だったので、気力で6時半まで歌い続け、ようやくお役御免となった。
 あとで数えてみたら、全部で25曲ほど歌っていた。最初と最後に「花」という同じタイトルで別の曲を歌ったが、そんなこだわりに誰も気づくはずもなく、自分ただ一人の矜持なのである。

 こんな過酷なライブは初めて体験したが、収穫は自らの持続力の再確認。最悪とも思える状況でもこれだけ歌えたのは、たゆみない日々の練習の成果に違いなく、大きな自信になった。
 さらには、外での叙情歌が意外に収まる、という発見である。車がかなり激しく行き交う喧噪の場でもそれなりだったから、たとえば静かな公園などでは、もっと馴染む可能性が高い。
 久しぶりに通りすがりの人々を相手にしたが、ライブハウスを始め、いつも「聴いてくれる」という暗黙の条件下で歌うことに慣れた甘い身にとって、身の程を知るという一点では、苦い良薬であった。

 このとき、商店街の広報担当のOさんがiPhoneで撮影し、YouTubeにアップしてくれた動画がある。後半3/4が私の路上ライブになっていて、曲が商店街をイメージして直前に作ったオリジナルソングである。
 この日は大半の曲を叙情歌でまとめたが、数少ない例外がこの曲。商店街の会長さんが直々に激励に訪れてくれたので、感謝の意味で急きょ歌った。

 タイトルは「ハツキタSONG」。発寒北→ハツキタという略称だが、当初のタイトルは「ハツキタ小唄」というものだった。ところが撮影した広報担当のOさん、休憩時にラーメンをすすりながら、何やらiPoneをいじっている。
「菊地さん、さっきの『ハツキタSONG』、YouTubeにアップしていいですか?」と、確認してきた。タイトルが違うんですが…、と言いかけたが、『ハツキタSONG』のほうが耳障りがいいかも?と思い、そのタイトルをありがたくいただいた。

 その動画は以下の通り。イベント全体を撮影している関係で、私の歌はおよそ1分後から始まる。

 開始6-7曲目くらいの第1ステージなので、聴き手はけっこういた。まだ充分に元気もあり、拍手もいただいている。ラスト近くに鳴り響いた花火の音も、うまくアドリブでさばいた。
 音声に入っているノイズは強い風の音。通りを行き交う車もガラスに写っていて、過酷さの片鱗がうかがえる。視線が時折宙に泳ぐのは、建物上部に広がる空を見ているからで、路上ライブ(青空ライブ)時の私の癖だ。

 この曲はかなり前に、某グループホームのイメージソングとして作った。当初はバラードだったが、あまり評判がよくなく、思い切ってお座敷小唄のリズムパターンに変更して作り直したら、おおいに受けた。
 以降、そのグループホームに呼ばれた際は必ず歌っているが、今回はメロディはそのままに、歌詞を商店街向けに大幅に作り直して臨んだ。商店街の略称はもちろん、「イチョウ並木」「手稲」など、ご当地ソングを充分に意識した構成になっている。
 イメージソングを作るのはけっこう得意。できれば歌い継いで欲しいが、それはちと虫が良過ぎるか?



014チカチカ☆パフォーマンス01st
   「チカチカ初ステージ」
/2011.9.22



 札幌駅前通地下歩行空間での最初のチカチカパフォーマンスを無事に終えた。前夜から大型の台風が接近し、実施そのものが危ぶまれたが、未明に降りだした雨は明け方にピタリやんだ。気温が15度くらいしかなく、まるで晩秋の寒さだが、地下なので実施に支障はない。
 一緒にやる予定だったジャグリングのパフォーマーの方が、前夜になって急きょキャンセル。午後の3時間枠を一人で受け持つことになったので体力を温存するべく、練習は軽めに済ませた。休暇で家にいた妻を伴い、午後1時過ぎに家を出る。

 機材一式は私が一人で持って会場までの道を歩く。充分な軽量化を図ったはずが、いざ歩いてみるとかなり重い。多少高くても近い駐車場にすべきか。
 地上5階の事務所にまずパフォーマー用看板を取りにゆく。そこで開始の挨拶と日報の記入を済ませる。ただちに地下に降り、機材をセット。看板を組み立てると、物珍しそうに人が集まってきた。すぐに始めようと音のテストをするが、なぜかマイクの音が出ない。
 ギターは何とか音が出るが、普段より極端に音のバランスが悪い。10分近くも悪戦苦闘したが原因が分からず、見切りをつけてギターの音を小さめにし、ボーカルはノーマイクでやることにした。

 公園などで歌うときはいつもノーマイクだが、運悪く会場に設置された広報用のアナウンスがかなり大きい。この音に負けないように歌うのは至難の業だった。
 しかし、ここでくじけてはならぬと、午後2時20分くらいから開始。第1ステージは世界の叙情歌を中心に、40分で以下の11曲を歌った。


「サントワマミー」(シャンソン)
「詩人の魂」(シャンソン)
「オーソレミオ」(カンツォーネ)
「さくらんぼの実る頃」(シャンソン)
「パダン・パダン」(シャンソン)
「鱒」(シューベルト)
「サンタルチア」(カンツォーネ)
「思い出のグリーングラス」(カントリー)
「この道」(北原白秋)
「ここに幸あり」(日本歌曲)
「ブンガワンソロ」(インドネシア民謡)


 途中、何度かマイクの調子を確かめるが、音は復活しない。ノーマイクなので普段はあまり使わないパワーを出して歌ったが、それなりに人は集まってきて、ちゃんと聴いてくれた。
 驚いたのは1曲毎に聴いている方々が拍手をくれたこと。小さなテーブルセットがいくつか置いてあり、ちょっとしたライブ会場という雰囲気はあったが、予想外の反応である。

「しばらく休憩します」と宣言し、再びマイクの調整を試みる。妻が近寄ってきて、声はそれなりに出ていたので、そのままでもいいようなことを言う。
 しかし、せっかくそろえた機材が肝心なときに役立たないのは納得できず、あれこれいじるうち、ふとマイクとギターのケーブルを入れ換えてみようと思った。すると、何のことはなし、普通に音がでる。ギターの音も正常。買ってからずっとケーブルをつないだままにしておいたのが悪かった。いざ本番で逆接続という失態をやらかした。ジャックにわかりやすくシールを貼っておくべきだったと、少し悔やむ。

 ともかくも問題解決。午後3時15分から日本の叙情歌を中心に第2ステージ開始。45分で以下の14曲を歌った。


「女ひとり」
「見上げてごらん夜の星を」
「北の旅人」(南こうせつ)
「ゆりかごの歌」
「瀬戸の花嫁」
「廃墟の鳩」
「宗谷岬」
「浜辺の歌」
「埴生の宿」(イギリス民謡)
「荒城の月」
「赤とんぼ」
「ダンデライオン」(松任谷由実)
「いい日旅立ち」
「夢路より」(フォスター)


 PAが正常になり、音が広報用のアナウンスにも負けなくなったせいで、多くの人が足を止めてくれるようになった。(あとで事務局に確認すると、広報の音を消すことはできないそうだ)
 聴き手は当初の予想通り、中高年の女性が中心。しかし、中年男性もかなり聴いてくれる。なぜか若いカップルもけっこう足を止めてくれた。驚くべきことに、最初から最後まで2時間近く、間近でずっと熱心に聴いてくれた方がいた。一人の平均滞在時間は10〜15分といったところ。1曲だけ聴いて去る方も当然いる。一期一会の出会いだが、それなりにふれあいは感じられる。
 会場は人が絶えず流れている印象で、常時いる人数は5〜20人ほど。曲によって波がある。これまでさまざまな場所で路上系、街角系のライブを試みたが、これほど手応えのある場は初めてだった。

 午後4時近くになり、喉にも限界を感じ始めた。ギターを押さえる左手の握力も下がっている。曲紹介もMCもないので、負担はかなりのものだ。最後の曲で普通のライブのように挨拶をした。
「今日は最後までお聴きいただいて、ありがとうございます。ご縁がありましたら、またお会いしましょう…」

 ライブの一部始終を静かに見届けた妻が言うには、「あなたのシャンソンは、あの街角によく合っている」という好意的なもの。妻の評価はかなり信頼できるし、実は歌っている本人もそう感じていた。
 シャンソンのルーツはそもそもお高くとまったものではなく、パリの街角などで吟遊詩人が楽器を手に歌うように語ったものが始まり。その原点に近い形で歌ったのだから、それは似合うはずである。

 第2ステージではがらり構成を変え、日本の叙情歌を中心に歌ったが、強い手応えを感じたのは、後半に連発した唱歌だった。歌を聴きつけた中高年の女性がどんどん増えてきて、壁や柱にもたれかかり、じっと目をとじて旋律に合わせて身体を揺らせたり、いっしょに口ずさんだりしているのだ。
 介護施設や地区センターのように、用意された場に集まってくる人々なら納得できるが、単なる通りすがりの人々にそれが起きたことに驚きを感じた。シャンソン系の曲と唱歌、当面はこの路線でいけそうだ。

 全25曲のなかで、唯一反応が弱かったのが「ダンデライオン」。ユーミンの曲の中では最も好きで、秋から冬にかけての情景を叙情的に歌っている。しかし、この歌が始まると潮が引くように人が消えた。あとで理由を考えてみたが、唱歌かそれに近い曲を30分近く歌い続け、「赤とんぼ」を区切りに急に曲調が変わったため、聴き手が潮時と判断したせいではないか。
 思わぬトラブルもあり、心身ともに非常に疲れたが、それに見合う手応えを感じた。通りを流れる人に自分の歌声が風のように寄り添い、ふれあってゆく得難い感覚を味わうことができた。これまで経験したことのない、あたらしい世界である。



015チカチカ☆パフォーマンス02nd
   「一気に31曲」
/2011.10.24



 札幌駅前通地下歩行空間で2度目のチカチカパフォーマンスを実施。前日まで不順な天気が続いていたが、時折陽もさすまずまずの日和となった。「ライブ晴れ男」のジンクスはまだ続いている模様。
 駐車場からの移動や写真撮影が面倒なこともあり、今回も妻には休暇をとってもらい、引率をお願いした。

 13時に家を出、まず車を会場真上の交差点近くに停車。機材と妻をそこで降ろし、私だけが離れた駐車場に車を置きにゆく。事前に調べた1時間100円の駐車場がうまく空いていて、そこから歩いて妻と合流した。
 機材を運ぶ距離を極力少なくし、最近膝の痛みに悩まされている妻の負担を軽くする策だったが、思惑通りに運んだ。

 前回より少し早く、14時10分からライブ開始。同じ時間帯で同じ場所だが、曜日が違うせいか通行人はやや少なめ。地上を歩ける温暖な日和であったことも関係していたか。
 しかし、歌い始めると徐々に人が集まってきた。第1ステージでは世界の叙情歌を中心に、45分で以下の16曲を歌った。


「サントワマミー」(シャンソン)
「詩人の魂」(シャンソン)
「わかっているよ」(シャンソン)
「恋心」(シャンソン)
「愛の讃歌」(シャンソン)
「ドミノ」(シャンソン)
「さくらんぼの実る頃」(シャンソン)
「鱒」(シューベルト)
「シューベルトの子守唄」
「ゆりかごの歌」(北原白秋)
「モーツァルトの子守唄」
「竹田の子守唄」(京都民謡)
「てぃんさぐぬ花」(沖縄民謡)
「庭の千草」(アイルランド民謡)
「サンタルチア」(カンツォーネ)
「ケ・セラ・セラ」


 前回よりも5曲増やしたが、重複は5曲のみ。初披露が「恋心」「愛の讃歌」「シューベルトの子守唄」「モーツァルトの子守唄」「てぃんさぐぬ花」「庭の千草」「ケ・セラ・セラ」の7曲もあったが、聴き手が特定されない場だからこそできる冒険である。

 最初の2〜3曲でまず聴き手を集め、4〜5曲目あたりからつかむ(引きつける)という路線をとったが、だいたいうまくいった。この場では好きな曲を歌ってはいるが、結局は聴いてもらってこその世界である。聴き手を無視した構成など考えられない。
 前半はシャンソンを連発したが、中間部に配置したクラシックの「鱒」がちょっとしたターニングポイント。ここから同じシューベルトの子守唄に転じ、以降子守唄を4曲続けてラストへと持ち込んだ。場にはうまくなじんだと思う。

 14時50分に第1ステージを終えたが、3曲目あたりからずっと熱心に聴いてくださった2人組の中年女性が、去り際に「よい歌をありがとうございます」と声をかけてくれた。
 離れた場所で聴いていた妻が、「今日は余分な力が抜けていて、前回よりも出来がいい」と言ってくれた。最初からPAが使えたことと、顔見知りの人が皆無だったせいだろうか。力むとだいたいは失敗に終わるとよく言われるが、なるほど確かに。

 15分休み、15時5分から第2ステージ開始。日本の叙情歌を中心に、45分で以下の15曲を歌った。


「女ひとり」
「いい日旅立ち」
「さくら貝の歌」
「北の旅人」(南こうせつ)
「この道」(北原白秋)
「月の砂漠」
「宗谷岬」
「浜辺の歌」
「埴生の宿」(イギリス民謡)
「荒城の月」
「赤い花白い花」
「宵待草」
「時計台の鐘」
「バラが咲いた」
「旅愁」


 第2ステージも前回より1曲増やしたが初披露はなく、実績ある曲を並べた。ここでも前回と構成をかなり変えたが、最も強い反応があったのは新しく入れた「月の砂漠」である。この曲で聴き手がどんどん膨れた感じだ。
 暗い曲調なので普段はほとんど歌わないが、なぜこの曲がこうも受けるのか?しばしの分析が必要だ。

 途中で会場の通路側で大きなスピーカー音が流れ、歌っている真っ最中だったので、何ごとかと困惑した。あとで妻に確かめたら、通路の途中で立ち止まる人が続出し、通行の邪魔なので立ち止まらないように、との注意だったそう。
 歌いながら目をやると、確かに通路の真ん中で立ち尽くし、ずっと聴いている人がかなりいる。ちょっと興味はあるが、近寄って聴きに行くほどでもない…、ということか。歌の力で何とかしたいが、難しい問題だ。

 後半残り5曲くらいになって、左手の指がつり始めた。MCなしで合計31曲も短時間で歌い続けたので、無理もない。幸い喉のダメージは少ない。過去の経験から関節マッサージを繰り返しつつ、何とか予定曲を歌い切る。

 15時50分に終了し、機材を片づけて帰ろうとしたら、最初からずっと椅子に座って聴いていた中年女性4人が近寄ってきて、「とても素晴らしい歌でした。心に響く曲ばかりです。次回はいつどこで歌われますか?」と尋ねてきた。
 見るとその眼が微かに潤んでいる。推測だが、ラスト前に歌った「バラが咲いた」で非常に気持ちが入ったので、そのせいかもしれない。(この曲で泣かれたことが過去にある)
 今後のおよその予定を伝え、念のため名刺を渡した。一期一会が基本の場だが、新しい出会いはちゃんとある。次回以降はもっと分かりやすい形でライブ告知をすべきかもしれない。

 ライブを最後まで見届けた妻から「けっこうギターが上手になってきたわね」と、終了後におほめの言葉をいただく。
 いつも言っているように、私にとってのギターは歌の調子をとるための単なる添え物。「ないよりマシ」程度の位置づけに過ぎないが、私の弾き語りにずっと立ち会っている妻からそう言われると、まんざらでもない。

 歌った31曲のうち、ストローク奏法で歌ったのは「サントワマミー」「恋心」「宗谷岬」の3曲だけで、残る28曲は全てアルペジオ奏法で歌っている。
(厳密に書けば、「埴生の宿」「旅愁」で一部ストローク奏法を混ぜた)
「内外の叙情歌を弾き語ります」と宣言していることもあり、ギターは必然的に曲調に合ったアルペジオ奏法が中心になる。

 アルペジオ奏法は小指以外の4本の指で順につまびく弾き方だが、単純そうでけっこう奥が深く、今回も曲調やフレーズに合わせ、10種類くらいの弾き方を使い分けた。
 7年前に活動を再開した頃にはやってなかった弾き方もかなり増え、最近では同じ曲の中でも数種類のパターンを使い分けることが少なくない。それが「けっこう上手くなってきた」と妻に言わしめた所以であろう。技術的に大きな進歩があったわけではない。
 しかし、少しでも向上しようと、日々努力は怠っていない。そして努力の成果をまさに「ライブ感覚」でただちに確かめられる第三者の目と耳がこの場所にはある。