街角100ライブ


011 モエレ沼ウォーキン 森のフォークコンサート /2007.6.9


 その想いは、妻と二人で近隣にあるモエレ沼公園のサクラの森を散策中に、不意に目の前に舞い降りてきた。

「この公園のビュースポットをステージに見立てて、移動しながらコンサートをやれないだろうか…?」

 このサイトに掲載の青空ライブの記念すべき第1回が、2年前の春にモエレ沼公園で仕掛けたものであった。いわばこのモエレ沼公園こそ、我が青空ライブの出発点なのである。以来、ここからいくつのオリジナル曲が生まれただろう。この公園は我が創作の原点でもあった。
 さまざまな事情から、昨年は一度もこの公園で青空ライブはやっていない。とてもやれる気分ではなかった。
 時は流れて、自分たちを取り巻く環境も、徐々に変化しつつある。問題がすべて解決したわけではない。だが、出来うる限りの努力により、いつ何が起こっても動じない「覚悟」のようなものは心身に育ちつつあった。
 いま生きている自分をないがしろにして、何の人生だろう。仕事や家庭の事情を理由に、生きる活力に蓋をして封じ込めることはしたくないと思った。

 モエレ沼公園では、過去に3ケ所の異なる場所で青空ライブをやっている。そのほかにも何ケ所か候補地の目星はつけてあり、いつかやる機会をじっとうかがってはいた。しかし、その候補地を歩きながら一気に一日で回ってしまう、という考えはこれまでなかった。
 入口から順にステージを設え、その場に相応しい曲を数曲歌う。移動して次のステージへ。これを繰り返して、公園を一周して元の場所に戻る。歌う曲はオリジナルを中心にし、「その場で生まれた曲を、その場で歌う」を基本路線とする…。

 いったんそのアイデアに取りつかれると、イメージが次第に膨らみ、自分でもどうにも止められなくなった。傍らの妻に相談すると、職場の休暇の日なら、とことんつき合うというありがたい返事。
 このコンサートには、ある種のストーリーが発生する。場当たり的な路上ライブとは、切り口がちょっと違うのだ。フィールドを外まで広げた「自宅コンサート」の延長とも言えた。固定した聴き手抜きで、このコンサートは考えられない。最低限の聴き手を妻一人とし、実施に向けて準備することをその場で決めた。

 時期は早いほうが良かった。鉄は熱いうちに打つのが人生訓である。人生は短い。あれこれ思い悩んでいるうち、不意に死が訪れたりしたら、きっと後悔するだろう。
 妻の休暇の予定をさっそく調べると、うまい具合に6月第2週目の土曜が休みだった。職場の古株である妻には、なかなか週末の休暇の割り当てが回ってこない。ネットでこの日の天候の30年統計を調べると、曇り。晴れではなかったが、雨でもない。曇りならいいかと、この日に実施することを即断した。

 さて、聴き手は妻一人で充分だと最初は考えた。私にとってのフォークは、ずばり「自分の生きざま」を語ることである。モエレ沼公園で生まれた曲の多くは妻がらみの曲で、このコンサートも妻という聴き手さえいれば成立する。二人で歌いながら公園を回った夏の日は、二人が死するまで懐かしく互いの記憶に留まるに違いない。
 しかし、実施にむけて構成を考え、曲の準備を続けるうち、ごく親しい人なら呼んでもいいのではないか?と次第に思い始めた。このあたりの心境の変化は、歌い手としての性のようなものだ。
(このコンサートはきっとうまくゆく。プロにもアマにも簡単に真似の出来ない、画期的なアイデアだ…)
 そんな想いが、二人以外の人にも見届けて欲しいという欲望へと、徐々に膨らんでいった。

 とは言え、実施までわずか3週間足らず。そこで以前から私の歌をいつも聴きにきてくれている少数の友人に絞って、声をかけてみることにした。今回の企画はかなり突飛なもので、うまくゆくかどうかの確固たる自信もない。ごく親しい友人であれば失敗も含めて、丸ごとの私たち二人を受けとめてくれるに違いないと考えたのだ。
 電話で二人の友人に声をかけると、「それは面白そう、ぜひとも行きます」と即答してくれた。こうして確定した立会人(聴き手)は、3人に増えた。

 準備期間の3週間はたくさんの仕事が続けざまに入り、寝る暇もないほどの忙しさだったが、毎日の歌の練習だけは欠かさなかった。恒例の「赤れんが広場ライブ」のように、オーディションを受けて認められた場ではない。あくまで趣味としての突発的なコンサート、いわば「ゲリラ的ライブ」である。従ってマイクを始めとするPAが一切使えず、すべて地声で勝負しなくてはならない。声量不足は致命的だった。
 ギターも普段ライブではあまり使わない、音の大きいドレットノートタイプ。しかも、モエレ沼公園は普段から風が強く、森の中以外のステージでは、かなりの影響が懸念された。
 あらゆる面で還暦を目前に控えた中年世代には不利な条件がそろっていたが、だからこそ果敢にチャレンジしてみる価値があった。


第1ステージ・川沿いの径

 実施当日、天の恵みか、空はからりと晴れ上がった。暑くも寒くもない好都合の気温だったが、風だけは強い。ネットで調べると、8〜10メートルの強風らしい。
 しかし、強風はすでに折り込み済みで、この日に備え、カメラの古い三脚を利用した画期的な譜面台を考案し、別の強風の日に外でその効果を確認済みであった。

 車2台で公園に向う。自宅から公園までは10分足らずで着く。1時25分に現地に到着し、5分だけ待った。「スタートは1時30分」と事前に決めていたこともあるが、実はもう一人、メールで案内を出していた人がいた。その方のために、正式な時間まで開始を待ったのだ。
 その方は結局現れず、(あとでやむを得ない事情があったことを知った)当初の予定通りに4人でスタート。最初のステージは、公園入口の橋の手前にある川沿いの階段である。
 この日の公園は、週末とはとても思えないほど空いていた。理由には察しがついた。この日は「YOSAKOIソーラン祭り」のスケジュールとぴたり重なっていて、たいていの人々はそちらに走る。祭りとは無縁のこの公園にやってくるのは、オマツリ騒ぎにはまるで無関心の、私たちのような変わった価値観の持ち主に違いなかった。

 第1ステージのテーマは当然のように「川」で、プログラムは下記の通り。すべて川にちなんだ曲を並べた。(◎はオリジナル)


「河は呼んでいる」
「里山景色」
「向い風」
「イムジン河」


 ステージに見立てた場所は、川(正確には豊平川の蛇行により生じた三日月湖)に沿った道から、川岸へと降りるための石段である。土手の道から少し下がった位置にあるため、風の影響が少なく、通りを行く人の邪魔にもならない。
 この「一般の人々の邪魔にならない」という視点は、今回のコンサートで最も気を配った部分である。公園は皆のもので、営利的な目的以外なら歌うのも自由のはずだが、他の迷惑になる行為は社会人として慎むべきだろう。通行はもちろん、くつろぎの邪魔になる場所では、極力歌いたくなかった。
 それでも歌い始めると、行き交う数人の人が立ち止まり、興味深く見守っていた。聴き手の3人は石段にめいめい腰を降ろし、静かに聴いている。練習のかいあって、声はよく通った。風にも負けていない。始めるまでは不安に苛まれていたが、数曲歌ってみて、(これはいける…)という確かな手応えを感じた。

 およそ20分歌って、第1ステージの予定を終了。機材を素早く撤収し、橋を渡って次のステージへと向う。ギターは背負えるタイプのケースに入れ、長い移動に耐えられる体勢を整えた。
 楽譜はギターケースのポケットに入れたが、譜面台代りの三脚は軽いのでそのまま手に持って移動する。


第2ステージ・ガラスのピラミッドゾーン

 第2ステージの場所は、「ガラスのピラミッドが見通せる通り」とだけ決めていて、具体的なポイントは当日の人出を見て決めるつもりだった。ところがこの日はすでにふれたように、通りにはほとんど人がいない状態。橋からガラスのピラミッドに至るメインストリートの真ん中で歌っても、何も支障がない感じがした。
 この第2ステージでのテーマはちょっと漠然としていて、「人通り」「路上」を意識した曲を歌う気でいた。プログラムは下記の通り。正直言って、ややテーマを絞り切れなかった感じもする。


「展 開」
「雨ニモマケズ」◎(オリジナル作曲)
「千の風になって」


 歌う場所の決定に至るまでには、二転三転した。通りがあまりに広過ぎ、候補を絞り切れないのだ。聴き手の座ることを考え、入口付近にある境界石に向って歌うことを最初は考えたが、聴き手から見た歌い手とピラミッドの位置関係があまりよくない。
 そこで奥にある芝生に移動したが、そこは聴き手が座るには楽だが、通りに連なる並木のパースラインがすっきりしないという、美学上の欠点があった。

 あれこれ議論のすえ、私のツルの一声で決まった位置が写真の場所である。芝生と通路の境界あたり、並木と通路と芝生、そして照明灯の造り出すパースラインの焦点と、ピラミッドの稜線とが囲むVゾーンに私が立って歌っている。
 たとえゲリラ的ライブとはいえ、立派な「ステージ」なのである。歌ばかりでなく、聴き手から見た全体の「美」にも、徹底的にこだわった。この日の衣装も安いなりに、「森」をイメージしたもので統一した。

 さて肝心の歌だが、「千の風になって」はやはりここでも強い。かなりの方々が立ち止まって聴いてくださった。あとで同行のNさんが言っていたが、外で聴くこの曲は部屋の中で聴く趣きとは全く違って、すっきりと軽い、まるで別の曲のように聴こえたそうである。この歌にこんな解釈があったのかと、驚いたそうだ。

 第2ステージで歌った時間は、わずか10分。「あれ?もう終りですか」と、Nさんが怪訝そうな顔をする。自分でもちょっと短過ぎた気がしたが、あいにく予備の曲を用意していない。陽射しがだんだん強くなってきたこともあって、休憩をかねてガラスのピラミッドへと向った。

 ガラスのピラミッドにはトイレはもちろん、売店や休憩所、この公園の設計者であるイサム・ノグチの常設展示場などがあり、モエレ沼公園の核ともいえる施設だ。私と妻は何度も来ているが、同行の二人はモエレ沼公園にくること自体が初体験。そこで建物の内部を解説しながら案内して歩く。
 イサム・ノグチに関しては過去に多くの本を読んだことがあり、かなり詳しい。案内パンフには書かれていない裏話など教えてあげたりし、ここでおよそ30分を費やす。


第3ステージ・木漏れ日の森

 第3ステージには、ガラスのピラミッドの東に位置する「サクラの森」を想定していた。「サクラの森」には数多くの遊具スポットが点在していて、それらが細い道で相互に連結されている。遊具スポットの周囲には多くのベンチがあり、聴き手にそのベンチに座ってもらい、斬新なデザインの遊具(もちろん、イサム・ノグチの設計)を背にして歌う、という趣向だった。
 具体的にどの遊具スポットで歌うかまでは決めていなかったが、なるべく人が少なく、森に囲まれたひっそりした場所をイメージしていた。

 ところが、実際に森を散策してみると、思っていたよりも人が多い。通りは閑散としていても、ユニークな遊具のあるどのスポットにも、多くの親子連れが溢れていた。適当な場所を探して森の奥深くまで入り込んだが、条件にぴったりの場所になかなかたどり着けない。同行のNさんとGさんにはベンチで休んでもらい、私と妻とがあちこち探し回る始末。
 そうこうするうち、妻が「ここがいいんじゃない?」とある地点を指差した。見るとそこは遊具も何もない、ただの森。しかし、「森のコンサート」なのだから、森の中そのものをステージに見立てるのは、決して悪い選択ではなかった。
 横には遊具設営用のコンクリート台があり、聴き手はそこに座ればよい。隣には同じくコンクリートの壁があり、ちょっと区切られた空間になっていた。

「よし、ここにしよう」
 こうしてようやく第3ステージは始まった。

 この第3ステージでのテーマはずばり「森」である。この日のコンサートのメインタイトルともなっていて、中心的ステージになるはずだった。プログラムは以下の通り。


「さくら」
「カントリー・ロード」
「バンダナを巻く」
「にぎやかな木々」
「野の花や」◎(:なんかい)
「りんご撫ずれば」
「森の記憶」


 いざ歌い始めると、予想もしなかったことが起きた。それまでさかんに遊具で遊んでいた子供たちとその親が、どんどん集まってきたのだ。普段から老若男女を相手に歌い続けているので、これくらいでは動じない。ごく普通に1曲目を歌い終えたが、周囲からは盛んな拍手。いったい何事が始まったかと、取り巻く人はますます増え始めた。
 難しい展開になったな、と正直思った。繰り返しになるが、この日のコンサートにはストーリー性があり、固定された聴き手むけの構成になっていた。外で歌う関係上、通りすがりの人が耳を傾けてくれるのは想定内だったが、多くの不特定多数むけの企画ではない。
 経験的に、子供がこの種の歌を聴いてくれるのは、2曲が限度だ。そこで2曲目に、後のステージで歌うつもりでいた「カントリー・ロード」を持ってきた。宮崎アニメのテーマだから、子供たちの受けはよい。この歌をフルコーラス歌えば、おそらく子供の聴き手は満足する…。

 こちらの思惑通り、歌が終ると子供たちはすっとどこかへ消え去った。残ったのは同行した3人と、数人の大人たち。ここから本来のプログラムに戻し、風の影響もほとんど受けない木漏れ日の森の中で、森にちなんだ歌を延々と歌い続けた。
 歌い手も聴き手も、良い時間を共有できたと思う。この日のメインステージに相応しい、貴重なシーンだった。


第4ステージ・イサムの拓いた道

 第4ステージは当初、サクラの森を西に抜けた「プレイマウンテン」に至るゆるやかな坂道前の広場を予定していた。ここで「道」にちなんだ曲を歌おうというわけである。
 ところが突発的事情で、このステージで予定していた1曲目をすでに歌ってしまった。風は一向に収まる気配がなく、遮へい物が何もない広場ではステージの進行も困難が予想された。

 そこで急きょ第4ステージの場所を変えることにした。聴き手が座っているコンクリート台のそばには、変則的な穴の開いたコンクリート壁があり、そのむこうにはイサム・ノグチの設計した遊具が見える。聴き手の位置はそのままにし、歌い手である私だけが10メートルほど移動し、その不思議なコンクリート壁を背にして歌おうというのだ。
 そのアイデアを聴き手に説明し、実際に動いて立ってみると、目の前には遊具スポット同士をつなぐ細い道が、まっすぐに続いている。まさにイサムの切り拓いたその道だ。「道」をテーマにしたステージに相応しい場所だった。

 第4ステージは、偶然の閃きからこうして生まれた。


「愛しき日々」◎(オリジナル作詞)
「追いこして追いかけて」
「星雲の群と僕等の会話と一体どっちが本当だっただろう」
「三日月の森」
「流れる」


 ステージの進行と共に、オリジナル曲の占める割合が、次第に増えている。「その場で生まれた曲を、その場で歌う」が、今回のコンサートの主旨のひとつだったから、それは自然な成行きだった。中には出来て間もない曲もある。だが、どの歌にも熱い思い入れがあり、歌っていて自然に力が入った。

 ふと気づくと、森を抜ける風がひんやりと冷たい。時計を見ると、すでに3時半を回っている。当所の予定では、遅くとも3時半にはすべての曲を歌い終え、帰路につくつもりでいた。だが、まだ最終ステージが残っている。
 ひとまずの締めくくりとして、ラストに「流れる」を歌う。この曲はいつ聴いてもいいと、同行のGさんが言う。この日の喉は絶好調で、いくらでも歌える感じがした。高音部が聞かせどころの「流れる」は、Gさんの心に深く届いたらしい。


第5ステージ・夕映えのテトラマウンド

 サクラの森を西に抜け、「プレイマウンテン」の頂きに昇る。いつ来てもよい眺めだ。風はまだ強いが、空は晴れ渡っている。陽はかなり西に傾いていた。この日のコンサートを締めくくるべき時が満ちていた。

 最終ステージは「プレイマウンテン」を西に降り、下にある「ミュージックシェル」か、「テトラマウンド」のどちらかにするつもりでいた。
「ミュージックシェル」はもともと野外ステージ用に作られていて、ふたつに割れたシェル状の彫刻の間から、西日が差し込む仕掛けになっている。その間に立って夕日を背にし、ラストステージを迎えるイメージがまず頭にあった。

「テトラマウンド」は、銀色に輝く巨大な柱の三角錐と、その下にある芝生の丸いマウンド(盛土)から構成された不思議な造形である。モエレ沼公園の中ではかなり早い時期に作られたが、何かの縁があったのか、この造形の全体完成予想図を仕事で手がけている。
 この三角錐の下で夕日を浴びながらラストステージを迎えるというのが、もうひとつのイメージだった。

 どちらのイメージでコンサートを締めくくるべきか、花崗岩で出来た「プレイマウンテン」の石段を降りながらずっと迷っていたが、候補はあっさりと一つに絞られた。最初の候補地であった「ミュージックシェル」には、ある家族連れが数匹の犬と戯れていて、なかなか去りそうにない。無理にそこで歌うのは、かなり問題がありそうだった。

「ミュージックシェル」で歌うのは別の機会にと割切り、締めくくりの第5ステージには、夕日に鈍く光る「テトラマウンド」を選んだ。


「夕凪ワルツ」◎(オリジナル作詞)
「新しき世界」◎(オリジナル作詞)


 第5ステージはアンコールステージのような位置づけだったから、選曲もそれに相応しいものに落着いた。どちらの歌にも夕方のイメージがあり、場の空気にぴったり馴染む。
 夕暮れが近いこともあって、このステージには最初から最後まで誰も現れなかった。いわば世界の芸術作品を舞台借景として独占した、非常にゼイタクなステージである。得難い経験をさせてもらった。

 生涯の記憶に残りそうな長い一日は、こうして終りを告げた。あとで数えてみたら、全部で21曲も歌っている。
「声がよく伸びていた」「最後まで声量が落ちなかった」「めったにない経験をさせてもらった」と、聴き手の3人からも好意的な評価をいただいた。出来は何より、歌った本人が一番よく知っている。
 コンサート終了後の自宅での茶話会は、熱がさめる深夜まで、なかなか終りを告げなかった。